2016/05/03 - 2016/05/03
3位(同エリア115件中)
エンリケさん
2016年GWのネパール旅行3日目(ネパール観光2日目)。
この日はバグマティ川を挟んでカトマンドゥのすぐ南にある“美の都”パタンへ。
15〜18世紀のマッラ3王朝時代、パタン王国の首都として栄えたこの街は、当時のネワール様式の建築物が数多く残る世界遺産の街。
前年の大地震による被害状況が心配でしたが、建築物の倒壊はカトマンドゥほどではなく、現代まで保存された趣のある街並みや技巧を凝らした美術品を存分に楽しめた訪問となりました。
<旅程表>
2016年
5月1日(日) 成田→バンコク
5月2日(月) バンコク→カトマンドゥ
○5月3日(火) カトマンドゥ→パタン→ボウダナート
→パシュパティナート→カトマンドゥ
5月4日(水) カトマンドゥ→ポカラ
5月5日(木) ポカラ(サランコットハイキング)
5月6日(金) ポカラ→カトマンドゥ→ナガルコット
5月7日(土) ナガルコット→バクタプル→カトマンドゥ
5月8日(日) カトマンドゥ→バンコク
5月9日(月) バンコク→成田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
5月3日(火)
ネパール観光2日目のこの日は、午前中、カトマンドゥの南にある古都パタンを訪れ、午後にチベット仏教の聖地ボウダナート、ヒンドゥー教の聖地パシュパティナートと周るスケジュール。
まずは早朝6時45分、カトマンドゥのタメル地区北側にあるホテルを出て、パタンへのマイクロバスが発着するラトナ・パークのバス停へと向かいます。
途中、前日も目にした貯水池跡のような施設では、最下層に降りてチョロチョロと流れ出ている水を大事そうに汲む人が。
この施設は遺跡ではなく今も現役で、周辺に住む人々にとっての貴重な生活用水供給施設となっているのでしょうか。 -
タメル地区の東側、ポカラへの長距離バスが多数停車している大通り“カンティ・パト”(Kanti Path)を南下し・・・。
-
中央にインドのチャトリ(あずまや)風の寺院のある池、“ラーニ・ポカリ”(Rani Pokhari)を横目に見ながら・・・。
-
7時10分、カトマンドゥにおける貴重な緑地帯、“ラトナ・パーク”(Ratna Park)に到着。
ラトナ・パークではこの季節、紫色の花を咲かせるジャカランダが満開で、土色のカトマンドゥの街並みにあって、唯一といってもいいほどの彩りを添える貴重な存在となっています。ラトナ パーク バス停 バス系
-
このラトナ・パーク前の道路はマイクロバスの停車場になっていて、数あるバスの中からパタン行きのものを見つけます。
バスには運転手のほか、まだ10代のような車掌が1人乗っていて、彼の誘導にしたがい乗車。
客が3、4人乗ったところで頃合いと見たのか、バスはラトナ・パークを出発。
バグマティ川を越えてカトマンドゥの南に位置するパタンを目指します。 -
15分後の7時25分、バスはパタンのダルバール広場の少し先の停車場に停車。
若い車掌は一人旅の外国人旅行者の行き先をよく把握してくれていて、降りはぐれないよう、きちんと呼びかけてくれます。
彼にお礼とともに乗車賃(18ルピー=約18円、20ルピー出してもおつりはちゃんと出してくれます。)を渡し、降車。
降り立って改めてパタンの街を眺めてみると・・・1年前の大地震の被害によるものなのか、屋根にシートが覆いかぶさっている家があったり。
左の高い建物は、何だか右に少し傾いているような気がしますね。 -
そしてダルバール広場の入口へ。
“地球の歩き方'13〜'14”の表紙にもなっている風景で、ネパール伝統の三重の塔や、インドと西洋がミックスしたような円錐状の石造りの塔が建ち並ぶその様は、まさに“美しい”の一言。
1年前の大地震にもよく耐えた世界遺産の建物群ですが、ただひとつ残念なのは、大気汚染で空が濁っていて、“地球の歩き方”の写真のようにはヒマラヤの雪山が見渡せないことか・・・。ダルバール広場 (パタン) 広場・公園
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入口のすぐ脇には、猿神ハヌマンなどのヒンドゥー教の神様の像。
道行く人は、通りがけに拝んだりあいさつしたり掃除したりと、眺めていて神様との親密ぶりが伝わってきます。
昔は日本もお地蔵様にあいさつしたりと、こんなふうだったんだよなあ・・・。
代わりに今はバーチャルな世界のポケモンを追っかけまわしていますが。 -
世界遺産のダルバール広場の右手にドカンとそびえるのは、旧王宮の建物群。
カトマンドゥの旧王宮と違って、1年前の大地震の被害はほとんどないように見えます。
三重の塔(デグタレ寺院)の屋根飾り(ガジュール)が若干ひん曲がってはいますが。 -
旧王宮の建物の屋根の下には、カトマンドゥでも見た、軒先を支える神様の彫像トゥンダールが。
この旧王宮、カトマンドゥの旧王宮と同じく、マッラ3王朝時代(カトマンドゥ王国、パタン王国、バクタプル王国鼎立時代)の17〜18世紀に建てられたもので、ところどころに当時のネワール族職人の細やかな彫刻技術の粋を見ることができます。 -
旧王宮の建物群のうち、広場の奥側の一角は、現在は博物館になっており、その入口はやはり細やかな彫刻で装飾されています。
入場しようとしたところ、扉は固く閉ざされており、開館は10時30分からとのこと。
開館まで2時間以上あるので、まず先にパタンの街を一回りしてみることにします。 -
もう一度世界遺産のダルバール広場を見渡すべく、入口の方向に戻ろうとすると、正面からは見えなかった突っ支い棒に支えられたクリシュナ寺院(Krishna Mandir)が。
うーん、カトマンドゥよりはましながらも、ここパタンもやはり大地震の傷跡が残っているのですね。
ちなみに外の道路からダルバール広場に入るところには小さな小屋が設置してあり、係員が滞在して入場料を徴収される仕組みになっているようですが、わたしは朝早く来過ぎてしまったためか、係員はおらず、入場料を徴収されずじまいでした・・・。 -
そしてもう一度広場の奥を見渡すと、左手の方に不自然な景色が。
そう、左手にあるべき建物が、台座だけでその上がすっかりなくなってしまっています。
大地震前はここに“ハリ・シャンカール寺院”(Hari Shankar Mandir)という巨大な三重の塔があったはずなのですが、現在は柱一本なく、後ろの建物が見渡せる状態・・・。ハリ シャンカール寺院 寺院・教会
-
少し先に進むと、ガルーダ像を真ん中にして、もうひとつの“クリシュナ寺院”(左の石造の建物)と“ヴィシュワナート寺院“(Vishwanath Mandir)が。
二重の塔のヴィシュワナート寺院の方は、倒壊防止のための突っ支い棒が痛々しく突き立てられています。 -
こちらの寺院(ビムセン寺院)の前のスペースには野菜が並べられ、これから市(いち)が開催されるようでした。
まさに庶民の生活の一部になっている世界遺産ですね。 -
8時30分、ダルバール広場を越えて街歩きを続けます。
広場の端にあるビムセン寺院を過ぎ、狭い路地に入っても、数十メートル間隔で入れ替わり立ち替わり様々な寺院が。 -
寺院だけでなく、こんな神様を祀った祠もあちらこちらに。
まさにパタンは様々な寺院建築や彫刻が今も生きて街なかに残る、“美の都”ですね。
*パタンのサンスクリット語名“ラリトプル”(Lalitpur)及びネワール語名“イェラ”(Yala)は、いずれも“美の都”という意味。 -
さて、狭い路地をぐるぐると回っていたら、こんな由緒がありそうな立派な門構えのスポットにやってきました。
どうやらここは、外国人観光客に有名な“ゴールデン・テンプル”の模様・・・。 -
門をくぐると、こんな細密ないかにもネワール文化といった感の彫刻群がお出迎え。
このゴールデン・テンプル、創建は12世紀とのことですが、現在の建物は19世紀に建てられたものとのことで、ダルバール広場の建築群よりも新しく、1年前の大地震による被害を受けているふうには見えません。
ここで受付に入場料50ルピー(約50円)を払ってさらに奥に進みます。 -
もうひとつの門をくぐると中庭らしきところに出て、正面には金ピカの建物が。
これがゴールデン・テンプルと呼ばれる由縁・・・。 -
狭い中庭の中央には本堂らしき建物があり、四方からタルチョ(チベット仏教における五色の祈祷旗)が結び付けられています。
-
中庭を囲んでいる回廊にはマニ車が取り付けられています。
・・・ここパタンは、午後に訪問予定のボウダナートと同じく、1950年代以降に中国共産党の支配を逃れてきた亡命チベット人が多く暮らしているといいますが、このゴールデン・テンプルは彼らの拠り所となっているのでしょうか。 -
中庭を取り囲んでいる回廊の2階に上がってちょっと部屋をのぞいてみると、内部にはこんな仏像が。
少しの時間見学していたら、地元のおじいさんがやってきて、お祈りを捧げてはすぐに帰って行きました。 -
9時を回ってゴールデン・テンプルの見学を終え、再びパタンの古い街並みをぶらぶら。
こちらは“NAKABAHIL”という名前の書かれた、2階の出窓部分の彫刻が印象的な、いかにも由緒がありそうな建物。 -
中に入ってみると、ちゃんと仏像があって“Donation”(寄附)の表示もあるものの、片隅で近所の主婦らしき人たちが駄弁っていて、雰囲気的には厳かな宗教施設という印象を受けない廃れた寺院という感じ。
1年前の大地震の傷跡なのか、屋根にはシートが被さっていて、こういったところも廃寺感をいっそう強くさせます。 -
再びてくてくと歩き、9時30分、“Pimbahal Pokhari”という貯水池らしきところにやってきました。
この池の脇道を歩いていたら、向こうから日本人の若い女性らしき人がやってくるのを目にします。
ネパールで初めて目にする日本人、と思って様子をうかがっていたら、別の女性が現れ、何やら現地の言葉で話し出して・・・どうやら地元の人だったようです。
ネパールにはインド系の濃い顔立ちの人が多いですが、一方でチベット・ビルマ系の平たい顔の人もそれなりにいて、後者は日本人に似ていて一見区別がつかないくらいです。
こういうコーカソイド系とモンゴロイド系の顔の造りの異なる人々が何気に共存できているのがネパールの奥の深いところ。 -
池のほとりには、“Pimbahal Chaitya”というチベット仏教のストゥーパが。
人種と同じく、宗教もヒンドゥー教と仏教がうまく共存している感じですね。
いや、共存というより、日本の神道と仏教のように融合しているというべきか・・・。
一神教のキリスト教、イスラム教、ユダヤ教間の関係と違って、神道、仏教、ヒンドゥー教、いずれも多神教だからうまくいくのでしょうね。 -
9時45分、もうすぐ博物館が開館する時刻になったので、ここらでダルバール広場に戻ります。
カトマンドゥと同じく、ところどころ建物を支える突っ支い棒が痛々しい通りを引き返し・・・。 -
10時15分、少し迷ったりしながらダルバール広場まで戻ってきました。
旧王宮の博物館の前までやってくると、すでに扉は開いていて、何人か観光客が入っている模様。
わたしも早速中に入ってみると、最初の空間は中庭のようになっていて、中央にはあずまやのような建物が。
何となくイスラム教のモスクのような造りです。
【エジプト紀行(6) カイロのモスク ガーマ・アフマド・イブン・トゥールーン】
http://4travel.jp/travelogue/10531432#photo_link_21036716パタン博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
さらに奥に進むと緑の空間が現れ、ちょっとしたカフェが。
これまでの写真でも分かるとおり、カトマンドゥやパタンの市街地には街路樹や緑地帯がほとんど見られず、土色の街並みばかりが目立つ状況。
そんな中にあって、このような緑の空間は、非常に心が癒される感じがします。
・・・ネパールの都市空間は、イタリアなどヨーロッパの街並みを彷彿とさせるところが多いですが、緑の使い方となると、だいぶ遅れをとってしまっていますね。 -
10時30分、本当の開館時間になったので、建物の2階の展示室に上がります。
入場料は400ルピー(約410円)。
チケットを買う際、停電中で展示品がよく見えないところがあるがかまわないかと言われたのですが、ギャラリーは窓から光が採り入れられていて、思ったほど暗くない感じ。
展示室は2階と3階の回廊部分で、展示品はパタン王国時代(15〜18世紀)の仏像やヒンドゥー教の神々の像など、細やかな彫り込みを特徴としたネワール文化の彫刻作品が中心となっています。 -
展示品の中からいくつかをご紹介。
こちらは1710年作とされているもので、“シヴァ神の化身リンガを背に乗せた牛と子牛のレリーフ”(Inscription with Shivalinga, Cow and Calf)。
ヒンドゥー教ではナンディー(聖牛)はシヴァ神の乗り物となっているとはいえ、このレリーフは何やらローマの紋章(ロムルスとレムスに乳を飲ませる狼)を彷彿とさせます。
街づくりの類似性からして、やはり中世ネパール人はイタリアと何らかのつながりがあったのでしょうか?? -
こちらは19世紀の銅製の彫刻で、ガネーシャの乗り物とされるネズミ(Ganesha's transport the Rat)の像。
こんな小さなネズミがあのまるまるとしたガネーシャの乗り物に本当になるのかと訝しんでいたら・・・。 -
すぐ隣に、2匹のネズミに乗ったガネーシャの彫刻が展示されていました(笑)。
17〜18世紀頃の作品とのことですが、こんな巨体でよくネズミがつぶされないものですね。 -
こちらは17〜18世紀の銅製の彫刻で、ガルーダに乗る世界の維持神ヴィシュヌの像。
笛を持っている姿からは、ヴィシュヌ神そのものというよりその化身クリシュナを想起させます。
しかし、ガルーダってネパールでは人間の姿をしていながらどうやってヴィシュヌ神を乗せるのだろうと思っていたら、こんな組体操みたいな格好をして乗せていたのですね(笑)。
【震災1年後のネパール(1) カトマンドゥのダルバール広場のガルーダ像】
http://4travel.jp/travelogue/11144318#photo_link_44350744 -
こちらは17〜18世紀製作の仏像。
顔や金箔の具合が三十三間堂などの日本の古い仏像によく似ていますが、身にまとっている袈裟はエキゾチックな感じですね。 -
こちらも17〜18世紀に製作されたものですが、全体的にミャンマースタイルっぽい仏像。
【ミャンマー紀行(6) バガンのセィンニェ・アマ寺院の仏像】
http://4travel.jp/travelogue/10631546#photo_link_24153543
伝承順からいって、ミャンマーの仏像がネパールのものを真似しているのか、それとも、ミャンマーから逆輸入されたものなのか。 -
彫刻ギャラリーの最後を飾るのは、18〜19世紀に製作された何とも破廉恥な(?)交合中の神々の像。
さすがは現世利益のヒンドゥー教といったところです。 -
さて、時計を見ると12時近く・・・。
1時間半も彫刻観賞で過ごしてしまったわけですが、今やアジアの最貧国となってしまい、大地震からの復興作業も一向に進まない現代のネパールの姿とはギャップを感じるようなかつての技巧を凝らした作品の数々に、しばし時を忘れて見入ってしまいました。
アジアでは日本やタイと並んで欧米列強に侵略されなかった文化度の高い独立国だったのに、どうして今はこうなってしまったのか・・・。
続いては、博物館とセットになっている旧王宮の建物内部の見学へ。
いったん博物館からダルバール広場に出て、隣にある入口から建物内に入ります。 -
こちらは“ムル・チョーク”(Mul Chowk)と呼ばれる王の執務室だった建物の2階の窓の部分。
軒下を支えるトゥンダールとあわせて、木彫技術が素晴らしいですね。 -
こちらの柱も細かいところまで図柄が彫り込まれていて目を見張ります。
-
本当に、昔のネパールには外国人が驚くようなこんな素晴らしい技術があったんだと感心してしまいますね。
-
そんなふうに感心しながら彫刻を見ていると、それまでスマホをいじっていたイケメン風の警備員の男性が、“こっちにおもしろいものがある”というので、彼の案内にしたがって、隣の間へ。
そこは“スンダリ・チョーク”(Sundari Chowk)と呼ばれる王の住居で、中庭の中央にはこんな神々の彫像に囲まれた穴が。
“地球の歩き方”には王の沐浴場とありますが、イケメンの警備員がいうには、ここは王の瞑想の場だったとのこと。
ふーんとうなずいたふりをして、写真を何枚か撮って帰ろうとすると、彼から“Money”とチップの請求が。
せっかくのイケメンが台無しだなあ・・・。
(無視してもしつこく請求されることはありませんでしたが。) -
旧王宮内部の方はさらっと見て、12時過ぎ、ダルバール広場に戻ってきました。
広場には外国人も増えてきて、“美の都”がいよいよ賑やかになってきたところ。
わたしの方は、パタンの見どころはだいたい見終わったので、次の目的地ボウダナートへ向かうべく、パタンの北の入口“パタン・ドカ”の先にあるバス乗り場へ向かうことにします。 -
こんな生活感あふれる細い路地を通って行き・・・。
-
12時30分、パタン・ドカの手前までやってきました。
曲がり角には由緒がありそうな目を引く寺院が。
ちょっと中をのぞいてみると・・・。 -
一段低くなったところには花輪をかけられたガネーシャの像が。
人々の生活を見守る道端の神様という感じですね。 -
ガネーシャが祀られている寺院から歩いてすぐのところにパタン・ドカが見えてきました。
パタン、古い街並みと美しい彫刻コレクションの博物館を残すいい街でしたね。
続いては、カトマンドゥの北東にあるネパールにおけるチベット仏教の聖地、ボウダナートを目指します!
(震災1年後のネパール3日目中盤〜ボウダナート観光に続く。)パタンゲート 散歩・街歩き
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この旅行記へのコメント (2)
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- 川岸 町子さん 2016/07/31 17:11:41
- まさに「美の都パタン」ですね(@^▽^@)
- エンリケさん、こんにちは!
いやぁ〜、やっぱり美しいですね、パタン。
私が知らない博物館や「王の瞑想の場」を見せて頂きました。
小さな街で、狭い所に寺院などがギッシリ。
どれも趣のある古いものですね。
木造の彫刻は、見事です!
きれいに撮られているので、細かい手作業に驚きました。
思い出したことがあります。
確かに広場からヒマラヤが見えました。
大気汚染で、見えなくなったのでしょうか?
また木彫り職人のお店が多くあり、重いのにお土産を買いました(笑)
パタン行きのバスがあったのかどうか覚えていませんが、往復ともオートリキシャ―でした。
間違いなく空気悪かったなぁ…(-_-;)
「一神教のキリスト教、イスラム教、ユダヤ教間の関係と違って、神道、仏教、ヒンドゥー教、いずれも多神教だからうまくいくのでしょうね。」
→さすがエンリケさんの旅行記と感動しました!
お歩きになりながら出会う寺院を、今までの旅と比較されながらのご説明、いつも興味深く読ませて頂いてます!(^^)!
地震もそうですが、様々な環境の厳しさなどをも、今のネパールの皆さんは寛容に受け入れておられるのでしょうか…?
町子
- エンリケさん からの返信 2016/07/31 21:16:08
- いろいろと考えることの多かったネパールの旅ですね・・・。
- 川岸 町子さん
こんばんは。パタン旅行記にご訪問ありがとうございます。
パタンは古い街並みも美術品も素晴らしかったのですが、かつてこんな文化を誇っていた国が、どうして今はアジアの最貧国と言われるほど落ちぶれてしまったんだろうなと、ちょっと考えるところが多かったですね。
> 思い出したことがあります。
> 確かに広場からヒマラヤが見えました。
> 大気汚染で、見えなくなったのでしょうか?
町子さんがネパールを訪問されたときはヒマラヤの山々が見えたのですね。
今回の旅行では、空にずっと霞がかかっていて太陽がはっきりと見えた日は一日もなく、やはりネパールの大気汚染は間違いなく進んでしまっているのでしょうね・・・。
> パタン行きのバスがあったのかどうか覚えていませんが、往復ともオートリキシャ―でした。
そういえば、今回の旅行ではオートリキシャーは全く見かけませんでしたね。
インドやスリランカでは今でも大活躍しているのに、ネパールではなくなってしまったのでしょうか???
> 地震もそうですが、様々な環境の厳しさなどをも、今のネパールの皆さんは寛容に受け入れておられるのでしょうか…?
旅行中、日本に留学していたという若い男性と偶然会って少し話をしましたが、大地震があって外国からの観光客が少なくなっているこんな状況でも悲壮感は漂っていなかったですよ!
夢をもった若い人たちが、ネパールをよりよい国にしていってくれればと願うのみです。
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