2012/08/16 - 2012/08/16
1位(同エリア16件中)
エンリケさん
ブルガリア旅行7日目。
内陸の首都ソフィアから黒海を目指して東へ進んできたブルガリアの旅もこの日が最終日。
黒海沿岸のブルガリア第四の都市ブルガスから、夜行バスでトルコのイスタンブールへ行く前に、北東へ35km戻ったところにある世界遺産都市ネセバルへショートトリップ。
黒海へ突き出た半島にあるその街は、青い空と青い海に囲まれた中世ビザンツ帝国(東ローマ帝国)時代の面影を残す小さな街で、バカンスを過ごしにやってきた観光客で大賑わい。
古代・中世の港町の遥かな歴史を楽しんだ後はブルガスに戻り、イスタンブールへの出発までの間、これまでのブルガリアの旅を想って黄昏時を迎えます・・・。
<旅程表>
2012年
8月10日(金) 成田→ソウル→モスクワ→ソフィア
8月11日(土) ソフィア
8月12日(日) ソフィア→リラ→ソフィア
8月13日(月) ソフィア→プロヴディフ
8月14日(火) プロヴディフ→ヴェリコ・タルノヴォ
8月15日(水) ヴェリコ・タルノヴォ→ヴァルナ→ブルガス
○8月16日(木) ブルガス→ネセバル→ブルガス→
8月17日(金) →イスタンブール
8月18日(土) イスタンブール→
8月19日(日) →ソウル→成田
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 2.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- アシアナ航空 アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
8月16日(木)
首都ソフィアから東へ進んできたブルガリアの旅もこの日が最終日です。
朝起きて6時30分、ブルガスのホテルの部屋から黒海の向こうに昇りくる朝日を観賞。 -
黒海に面する人口約20万人のブルガリア第四の都市ブルガスは、黒海南岸部における工業や観光業の中心都市ですが、この時間帯はまだ朝の静けさに包まれているようです。
・・・このブルガス、はるか紀元前に黒海沿岸の町アポロニア(現在のソゾポル)に入植していたギリシャ人が移り住んできて街を築き、塔と言う意味の“ビルゴズ”と呼んだのが始まりとされています。
その後も住民はギリシャ人が多く、それほど目立った町ではありませんでしたが、19世紀のオスマン帝国からの解放後はブルガリアの領土となり、1902年にソフィアと鉄道がつながったことによって一躍産業の町として開発が進められ、今日のような大都市となるに至っています。 -
2階にあるホテルのレストランで朝食(宿泊費に込み)。
ビュッフェ形式の朝食でしたが、さすがブルガスでも最高級クラスのホテルだけあってどれも美味しく、特にスープはほっとする味で何杯もおかわりしてしまいました。
今から思えば夕食もあえて外に行かず、ここにすればよかったかも・・・。 -
9時、陽がだいぶ昇ってブルガスの街にも活気が出てきました。
この日も黒海沿岸部は快晴。
街をぶらぶらするにはかなり暑い一日になりそうです・・・。 -
さて、この日に訪れることにしている世界遺産都市ネセバルへは、アフトガーラ・ユク(南バスターミナル)前の1番乗り場からのバスで1時間ほど。
ネセバル終点のバスよりも、サニー・ビーチ行きのバスの方がほぼ20分おきと頻発しているようで、それに乗ることにします。
9時30分のバスに乗り(チケット(6Lv=300円)は車掌のおばさんから購入)、いくつも停留所に止まっていきますが、アナウンスもないのでどこで降りたらよいのか不安に・・・。
そうしていたところ、隣や前後に座っていた方々から“ネセバルはまだ向こうの街だ”とか、“あと数分で着くよ”とか、いろいろと親切なアドバイスをいただきました。
ブルガリアの人々は本当に優しい方が多いですね。 -
10時半すぎに街なかにあるネセバルの停留所に到着。
通りにはホテルやお土産屋が立ち並び、薄着の観光客の姿も多く、海のリゾートの雰囲気。
ここから海の方へ向かって10分ほど歩いて行くと・・・海に突き出た半島の街とともにネセバルのアイコン、年季の入った大きな木造の風車が見えてきました。 -
半島への一本道の周りに広がるのは黒海。
その水は青く透き通っていて、とてもきれいです。
やはり“黒海”という名前は似つかわしくないですね(笑)。
ちなみに現在半島になっているネセバルの旧市街は、約400mの地峡で陸地とつながれていますが、この地峡は人口のもので、かつては陸地から切り離された完全な島だったそうです。 -
そのまま歩いて11時、ネセバル旧市街の入口に到着。
石造りの城壁に囲まれた、要塞のような姿をしています。
そもそもこのネセバルの街の歴史は紀元前千年紀にさかのぼり、最初の居住者は古代トラキア人で、彼らの言葉で“メナンブリア”(メナス王の街)と呼ばれていました。
紀元前5世紀頃には交易の拠点として古代ギリシャ人が入植し、名前も“メセンブリア”と改められますが、紀元前1世紀には古代ローマに支配されるようになります。
その後は古代ローマから街の支配を引き継いだビザンツ帝国(東ローマ帝国)と第1次、第2次ブルガリア帝国との間で争奪戦が繰り返され、街の名前もいつしか訛って“ネセバル”と呼ばれるようになり、最終的にはビザンツ帝国がその支配を維持します。
しかし1453年、ビザンツ帝国の滅亡とともに街はオスマン帝国へ、そして19世紀のブルガリアの自治獲得後はブルガリアへと引き継がれていき、1925年の住民交換によりギリシャ人は追放され、今ではすっかりブルガリア人の街となっています。
・・・そんな歴史のある街ネセバルは、午前中の早い時間帯からたくさんの観光客が行き交っています。 -
入口の門を抜け、黒海に沿って南側から歩いていきます。
土産物屋が軒を並べる通りを抜け、海の見える丘にまず姿を現したのが聖ヨハネ・アリトゥルゲトス教会(St.John Aliturghetos(unsanctified)church)。
白い石と赤いレンガで造られた建物の横縞模様が青空に映えて、何やら美しい廃墟といった感です。
この教会、実は14世紀に創建されたのですが、完成してすぐに、攻撃の矛先をオスマン帝国から第2次ブルガリア帝国に変えたサヴォイア十字軍(1366-67年)の襲撃を受けて屋根が焼け落ちてしまい、結局そのまま教会として使われることはありませんでした。
そのため、ネセバルには別のヨハネ教会もあることから、この教会には“奉納されなかった”という意味の“アリトゥルゲトス”という呼び名が使われているのだそうです。
しかし“十字軍”と名乗っておきながら、正教会とはいえ元は同じキリスト教の教会を襲撃するなんて、この時代のカトリックの騎士団は節操がないですね・・・。 -
聖ヨハネ・アリトゥルゲトス教会の建つ丘に登って周りを眺めると・・・下に見える廃墟の前にしつらえられたステージでは、大学生くらいの若い女性たち(胸に“RUSSIA”と書かれたTシャツを着ていたことからロシア人?)が、ダンスか何か出し物の練習をしているようでした。
プロヴディフで見た古代ローマ時代の円形劇場と同様に、こんなふうに今でも催し物に使われているんですね。
(ブルガリア〜イスタンブール紀行(3)プロヴディフの古代ローマ時代の円形劇場)
http://4travel.jp/traveler/kissydney/pict/26700925/ -
そして海の方を眺めると、青くきれいな黒海とともに海水浴を楽しむ観光客たちの姿が。
ネセバルは世界遺産となっている中世の遺跡も見られて海水浴もできる、まさに一石二鳥の観光地ですね(笑)。 -
続いては、聖ヨハネ・アリトゥルゲトス教会から道路を挟んですぐ向かいにある聖ステファン教会へ。
10〜11世紀のビザンツ帝国時代に創建された教会です。
ネセバルの中でも人気のある観光スポットなのか、入口には団体の観光客が集まっています。 -
そして入場料(4施設に入れる共通チケットで12Lv=600円、ほかに撮影料4Lv=200円)を払って中に入ると・・・薄暗い建物の中には、木造のイコノスタシスを中心にして、辺り一面にキリストや聖母マリア、聖人像がびっちり描かれたフレスコ画の見事な空間が広がっていました。
・・・ちなみに、フレスコ画もさることながら、正面左右に見える白い柱は6世紀のビザンツ帝国初期の時代の大理石の柱で、当時の建築物は資材の不足からか、それとも何か象徴的な意味があるのか、古い建物の部品を再利用することがよく行われていたようです。
そういえばヴェリコ・タルノヴォでも同じようなものがありましたね。
(ブルガリア〜イスタンブール紀行(4)聖40人の殉教者教会の第1次ブルガリア帝国時代の柱の再利用)
http://4travel.jp/traveler/kissydney/pict/26865281/ -
扉の正面にどっしり構えているのが、信者の祈るエリアである内陣と奥の聖域(至聖所、アプス)とを分け隔てる役割を果たしている木造のイコノスタシス。
これはネセバルがオスマン帝国に支配された後の16世紀のもので、木の上に直接キリストや聖母マリア、十二使徒の像が描かれています。 -
天井を支えるアーチにもキリスト像やその生涯を著した物語がびっちり。
-
側面の壁にもこれでもかというくらい聖人像がびっちり描かれています。
これらは16〜18世紀のフレスコ画で、オスマン帝国支配下でもこのような小さな教会の中でささやかながら正教の信仰が行われていたことがうかがえます。
・・・聖ステファン教会、イスラム教徒の支配下でも、正教の人々の信仰の強さをうかがわせる貴重な歴史的建築物でした。 -
12時になり、ますます暑くなってきました。
このネセバルを含め、黒海沿岸地方は多少の蒸し暑さもあり、内陸部よりも体力の消耗度が早いです・・・それでも、東京の夏よりは歩けるだけずっとましですが。
さて、聖ステファン教会の次はこれまた近くにある、“全能者”という意味のパントクラトール教会(Christ Pantcrator Church)へ。
最初に見た聖ヨハネ・アリトゥルゲトス教会と同様、第2次ブルガリア帝国時代の14世紀前半に建てられたもので、これまた石とレンガを組み合わせた横縞模様が美しい教会となっています。
赤いラインが特徴的な2階のアーチ状の装飾部分をよく見ると、赤いラインの間に緑色のラインが混ざっていいアクセントになっています。
これは、赤いレンガの間に緑色の陶器をはめ込んで装飾のポイントにしているのだそうで、黒海沿岸地域におけるビザンティン建築様式の特徴のひとつともなっています。
赤レンガの模様の中には中国や日本と同様、インドから伝わったとみられる卍模様もあったりして、建物の細部をじっくり観察してみるといろいろ発見があっておもしろいです。 -
パントクラトール教会の中へ入ってみました。
当時の建築様式のままに残る、上方にあるレンガを重ね合わせて造られた円いドームの窓からは外の光が差し込み、建物の中を明るく照らしています。
内部はネセバルの歴史などを紹介するギャラリーになっており、現在は教会としては使われていないようです。 -
続いてはもうひとつのヨハネ教会、洗礼者ヨハネ教会(St. John the Baptist Church)へ。
10世紀のビザンツ帝国時代に建てられた、石とレンガでできた教会です。
ネセバルにはこんな建物ばかりで、ちょっと見ただけではもう区別がつきません(笑)。
・・・こちらの建物は中には入れないようなので、写真だけ撮って先を急ぎます。 -
北岸に出て、海沿いの道を東へ、半島の先に向かって歩いていきます。
このあたりは海が見える風光明媚な場所で、やはり裕福な人々が住んでいるのか、民家もきれいで立派です。
それでも、プロヴディフで見た19世紀の民族復興期の建物などと同様、2階部分が張り出した伝統的な造りになっています。
ただし、2階部分は木造でも、1階部分が石造りになっているのが内陸部とは異なる特徴のようです。 -
少し歩いて聖母エウレサ教会にやってきました。
“エウレサ”とは聖母マリアを讃える際の称号で、高台に建っていて海の眺めが良いので、“海のバシリカ”とも呼ばれています。
この教会はもともとはビザンツ帝国時代の6世紀に創建されたもの。
中世には修道院も併設され、14世紀まで使われていたそうですが、15世紀以降のオスマン帝国支配時代に廃れてしまい、現在はこのように寂しい廃墟になっています。 -
教会は基礎と一部の柱を残して完全に廃墟になっています。
見た目はみすぼらしいですが、こういうナマの歴史を味わえるスポットもいいものです。
今の日本にはそんな力はないでしょうが、バブル期の日本だったらこういう歴史的スポットも撤去されてリゾートホテルか何かに開発されてしまうんでしょうね・・・。 -
聖母エウレサ教会を後にしてまた少し歩くと、半島の先端の高台に到達。
目の前には雲ひとつない夏の青空の下、空よりも青い黒海が広がり、いい眺めです。 -
半島の先端の海の見える街角をパチリ。
ネセバル旧市街のある半島は東西に900m、南北に350mほどのコンパクトなサイズで、車の乗り入れも制限されているので歩きやすいですね。
東京の夏ほど汗もかかないですし。 -
旧市街の中心部は観光客だらけですが、先端の方は観光客も少なく、どことなくのどかな感じです。
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街なかには中世の観光用の教会ばかりでなく、現役の教会ももちろんあります。
ヴェリコ・タルノヴォなどで見た教会と同様、この教会の入口の門のところにも、追悼を表すと思われる、人々の顔写真入りの白い紙がたくさん貼られていました。 -
通りにはこんな伝統家屋のお土産屋もたくさん。
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そんな伝統家屋に混ざって、こんな中世からの石とレンガでできた建物も並んでいます。
外壁に彫刻されているアーチ模様が印象的なこの建物は、13世紀に創建された聖パラスケヴァ教会(St. Paraskeva church)で、教会としては19世紀まで使われていたそうです。
現在は一般公開していないのか、この教会も中には入れず。 -
そしてまたすぐに姿を現したのが大天使ミカエル・ガブリエル教会。
この教会も13世紀の創建です。
2階部分はかなり損壊していますが、1階部分の緑陶器を埋め込んだアーチ模様が美しいです。 -
そしてこんな伝統家屋の間の狭い路地を抜けていくと・・・。
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聖スパス教会を発見。
17世紀のオスマン帝国支配下に創建された教会で、支配階級のムスリムに遠慮してか、1階建てで小さな目立たない姿をしています。
こちらの教会は内部見学が可能なので入ってみると(共通チケットで入場可、撮影には別途4Lv必要)、中にはキリストの生涯や聖人を描いたフレスコ画が壁一面に広がっていました。
本来なら美しいフレスコ画に感動するはずなのですが、ここまで短い時間に同じような教会を見まくったせいか、感動も薄め・・・そろそろ飽きてきたかも(笑)。
このネセバル旧市街、小さな面積の中にも10あまりの教会があり、これでも多く感じられるのですが、かつての最盛期にはなんと、40もの教会があったと言われています。
まさに“教会密度”の高い街ですね。 -
こちらは6世紀、ビザンツ帝国のユスティニアヌス大帝時代の建物の遺構。
まだ発掘中で、きちんとした観光施設になっていないようです。
ネセバルの街もソフィアやプロヴディフ、ヴァルナと同様、地面を掘るとこんな古代や中世の遺跡にひっかかってしまうのですね。 -
ネセバル旧市街のメインストリート、メセンブリア通りにやってきました。
両側には陶器や刺繍などを売る土産物屋が立ち並び、観光客の姿も多く、街は活気づいています。 -
13時30分、街歩きを始めてもう2時間半が経過しました。
炎天下の中歩くのもきつくなってきたので、最後に半島のほぼ真ん中にある聖ソフィア教会を見て教会巡りを終えたいと思います。
メセンブリア通りを横道に入って土産物屋が並ぶ通りを抜けていくと・・・屋根や壁が崩れ落ちながらも、残ったアーチの柱とアプス(イコノスタシスの先にある至聖所)が力強い存在感を示している巨大な石の建物が姿を現しました。
・・・聖ソフィア教会です。 -
これまで見てきたネセバルの遺跡の中で最も巨大なこの建物は、ネセバルで最も古い5世紀末から6世紀初めにかけて創建されたもので、ほぼ同時代に建設されたコンスタンティノープル(現イスタンブール)やソフィアの教会同様、“聖ソフィア教会”と名付けられました。
現在残っている石組は9世紀に再建されたときのもので、もともとは古代ギリシャの植民市時代のアポロン神殿跡地に箱型のバシリカ教会として建てられたものと伝わっています。
石組みからも想像できるその威風堂々たる姿から、かつては正教の主教座も置かれており、そのため、この建物は“スタラタ・ミトロポリャ”(古い主教座)とも呼ばれています。
すっかり廃墟になってしまった現在では、こうした観光スポットとしての用途のほか、コンサート会場などとしても利用されているそうですが、欧州の人々はこういった遺跡の再利用が上手いですよね。 -
遺跡の奥にあるアプス部分をズームアップ。
こうしてみると、形といい大きさといい、この巨大なくぼみはイスラム建築の“イーワーン”のようです。
(エジプト紀行(6)カイロのガーマ・スルタン・ハサンのイーワーン)
http://4travel.jp/traveler/kissydney/pict/21041594/
イーワーンはササン朝時代(226〜651年)のペルシャ(イラン)が起源で、さらにその先をたどれば紀元前後のオリエント建築から誕生したと言われていますが、その形や大きさから推測すると、古代ギリシャや古代ローマの建築の影響を強く受けて誕生した様式なのかもしれません。 -
こんな石とレンガのアーチも廃墟の中の美を感じさせますね。
・・・聖ソフィア教会、ネセバル旧市街で最も観光客の姿が多く、個人的にもネセバルでいちばんの観光スポットでした。 -
さて、ネセバル観光のハイライトとも言える聖ソフィア教会の見学を終え、旧市街を後にしますが、街の入口に戻るところで考古学博物館を発見。
先ほど買った共通チケットで入れるようで(撮影料は別途4Lv=200円)、散々歩きまわって疲れていましたが、建物の中でクールダウンもできるし、せっかくなので見学することにしました。 -
博物館は地上1階と地下1階というシンプルなつくりで、紀元前数千年紀のトラキア時代の土器から紀元前後の古代ギリシャ・ローマ時代の壺や装飾品、彫刻、さらには13〜19世紀のイコンまで、数千年にもわたるネセバルの歴史がコンパクトに展示されています。
【考古学博物館〜ブルガリア・オフィシャル観光サイト】
http://bulgariatravel.org/ja/object/54/Arheologicheski_muzej_Nesebyr
写真はネセバルが“メセンブリア”と呼ばれていた紀元前4世紀の古代ギリシャの植民市時代の青銅の壺。
古代ギリシャの本土では見かけない珍しいかたちをしたこの壺は、ネセバルの古代墓地で発見されたもので、納骨壷として使われていたと推測され、側面にはギリシャ神話の神々の像が刻まれています。 -
こちらは紀元前6世紀の黒陶。
お馴染みのギリシャ本土でも良く見られるタイプのものです。 -
こちらは1〜3世紀のコイン。
現代にも通じる細密な図柄が彫られており、美術品としての価値も超一級です。
コインの図柄からは当時の人々の信仰や文化をうかがい知ることができ、とても興味深いですね。
時間があればひとつひとつゆっくりと眺めていたいところです。
・・・このほか、地下室には13〜19世紀のイコンの数々が展示されており(撮影は禁止)、ひととおり見学してから博物館を後に。
そして15時、旧市街の入口まで来ていたバスに乗ってブルガスへ帰ります。 -
帰りも1時間ほどでブルガスに到着。
すでに16時になっていましたが、この日はこれから23時30分のイスタンブール行きの夜行バスに乗って国境越えをする予定であり、まだまだ先は長いです・・・。
深夜の出発までの間、特に何もすることがなかったので、とりあえずブルガス中心部を南北に伸びるアレクサンドロフスカ通りをぶらぶら。
この通りも前日の夜に歩いたアレコ・ボゴリディ通りと同様、歩行者天国になっていて、行き交う人々は皆、生き生きとして夏の午後を楽しんでいるようでした。 -
せっかくだからちょっと観光らしいことでもしてみようかと思い、横道に入ってガイドブックにも載っている聖キリル・メトディ教会を目指します。
19世紀末から20世紀初頭にかけて建てられたブルガリア正教の教会で、ブルガスでいちばん大きくて有名な宗教施設なのですが、改修中なのか周囲を柵で囲まれており、中には入れず・・・。
仕方ないので柵のすき間からパチリと1枚撮って教会を後にします。 -
その後は暑い中歩き疲れていたこともあって、アレコ・ボゴリディ通りのオープンテラスの店でブルガリアビールのシュメンスコを飲みながらしばらくぼーっとして過ごします。
そして、夕方近くなった18時30分、アレコ・ボゴリディ通りを真っ直ぐ東へ行って、突きあたりにある緑の木々が生い茂る公園を抜けて黒海へ。
最後はやっぱり海を見たくなるものですね(笑)。 -
公園のある丘の端に立って黒海を眺めると、砂浜の先に何やら桟橋のようなものが。
気になったので、ちょっと行ってみることにします。 -
丘の上から階段を降りて砂浜へやってきました。
夕暮れのこの時間帯はもう海水浴をしている人々の姿はなく、規則的に立てられたビーチパラソルからは、何だか夏の終わりのような物悲しさを感じます。 -
砂浜の先の桟橋を渡って先まで行ってみると・・・特に何があるわけでもなく、地元の若者たちがそれぞれ集まって、海を眺めたり、おしゃべりをしたりしているだけでした。
夕日と海を見ると、洋の東西を問わず人は皆たそがれたくなるものなのですね・・・(笑)。 -
桟橋の途中では気長に釣りを楽しむおじさんたちも。
・・・平和な風景です。 -
丘の上の公園に戻ってきました。
いつの間にか、人々を楽しませるストリートミュージシャンもいますね。
プロヴディフの公園でもそうでしたが、夕方のこの時間帯、家族連れやカップル、友人同士などで夕暮れのひとときを楽しむ人々が多いような印象です。
日本の公園ではこの時間帯はあまり人がいないようなイメージですが・・・。
特にこのブルガスの公園では、ベビーカーを押している満ち足りた表情の若い夫婦たちが何組もいて、やけに目立つ感じです。
ブルガリアは米世論調査機関ギャロップが2005年から2009年にかけて行った国民幸福度ランキングによると、155か国中137位(欧州で最下位。ちなみに日本は81位)と、貧しいアジアやアフリカの国々と同等で“幸福度が低い国”というレッテルが貼られていますが、あまりそのような様子は感じられないですね。
【The World's Happiest Countries(Forbes.com)】
http://www.forbes.com/2010/07/14/world-happiest-countries-lifestyle-realestate-gallup-table.html
それとも、ブルガスはブルガリアの中でも有数の重化学工業地帯ということで、他の地域よりも裕福な人々が多いということなのでしょうかね。 -
黒海に面した丘の上の公園の端で、遥かかなたの船を見やる人々。
家族や友人との、平和な夏の夕暮れのひとときですね。
・・・ブルガリアの旅もこれで終わりかという感じになってきました。 -
これまで7日間にわたって首都ソフィアから巡ってきたブルガリア。
訪れる前は、EUの最貧国ということで、人々の暮らし向きは厳しく、貧しいがゆえに少し犯罪の匂いのする国なのかなと漠然とイメージしていましたが、どうしてどうして、人々は素朴で親切な方が多く、道に迷ったり困っていれば助けてくれるような人ばかりで、外務省の海外安全情報に掲載されているような治安情報はあまりあてにならないなと感じました。
(かといって全く無視するのは危険ですが。)
日本のどの都市の公園よりもゆったりした公園で夕暮れのひとときを楽しむ人々・・・人間や都市の豊かさは経済力ばかりではないのかなと改めて感じたひとときでもありました。
ただしそれも、旅行者の立場だからそう見えるだけで、前述の国民幸福度ランキングのとおり、人々の内面は必ずしもそうでないのかもしれません・・・。
思うに、“幸福度”というのは多分に比較論的なもので、ブルガリアの場合、比べる相手がドイツやフランスなどのEU諸国だから、自らに劣等感を感じてしまうのでしょうかね。 -
19時30分、人々の集う公園でしばし物思いに沈んだ後、アレコ・ボゴリディ通りに戻ってきました。
夕暮れの涼しい時間帯になって、いよいよ人の通りが増え、賑やかになってきた印象です。
夏の夜の楽しみはこれからという感じですね。 -
バスの時間はまだ先ですが、横道に入ったところにある庶民的なレストランで、ひとまず腹ごしらえ。
最後はやっぱりブルガリア料理で締めたいと思います。
まずはプロヴディフで食べて美味しかったチキンのカヴァルマを注文(7.9Lv=395円)。
こちらの店の味の方はというと・・・ちょっとスパイスが足らずピリ辛感が少ない印象。
ブルガリアの国民食ともいうべきカヴァルマは店によって味の違いが大きいのが特徴ですが、やっぱりプロヴディフで食べたものがいちばんでしたね。 -
次は“スパイシーミートボール”とメニューに解説されていたキョフテ(3Lv=150円)。
こちらはカヴァルマと違い、どこで食べても安定した味ですね。 -
最後はせっかくブルガリアに来たのだからと、イチジクの実入りのヨーグルトを注文(4.5Lv=225円)。
味の方は・・・やっぱりダノンと変わりません(笑)。
この後ホテルへ戻り、預けた荷物を返してもらって、バスの時間近くまでロビーでぐったり休息。 -
待ちくたびれて眠くなってきた23時、アレコ・ボゴリディ通りの北の寂しげな通りにあるメトロ社の小さなオフィスへ。
本当にこんな小さなオフィスの前にバスが来るのかと不安でしたが、従業員の方がオフィス内に迎え入れてくれ、そのうちわたしのほかにも5人ほどの旅行者が集まってきました。
中には単身の高齢の女性の方も・・・集まってきたメンバーを見ると、けっこう年配者も多く、夜行バスの旅はそれほど危険な雰囲気はないようです。
そして23時30分、定刻通り、すでにたくさんの乗客を乗せた大型バスがオフィスの前に到着。
停車時間が短いので、急いで奥の席へと乗り込みます。
・・・首都ソフィアから駆け抜けてきたブルガリアの旅、穏やかな雰囲気の街の中でもう少しゆっくりしたかったという気持ちもありますが、一方で物足りなさも感じるようになってきました。
次はいざ、この旅の最終目的地、イスタンブールへ!
ヨーロッパとアジアの接点に位置し、世界史における大帝国、ビザンツ帝国とオスマン帝国の首都となった歴史ある街・・・そこではいったい、どんな刺激が待ち受けているのでしょうか?
(ブルガリア〜イスタンブール紀行、ブルガリア編終わり〜引き続きイスタンブール編に続く!)
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この旅行記へのコメント (6)
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- しにあの旅人さん 2020/01/26 11:38:25
- 通読しました。
- ブルガリア、イスタンブールの旅行記通読しました。初めから読むと旅行の雰囲気がよく感じられます。イスタンブールで相当バテられたのが、行間からはっきり伝わってきました。ごくろうさまでした。
十分楽しみました。
私は目下イタリアに凝っております。そのあとは多分ギリシャ。トルコもついでに
行けるかもしれません。年齢の都合で、東欧まで行く時間的余裕はないでしょう。この旅行記で行ったことにします。
- エンリケさん からの返信 2020/02/10 00:00:42
- 東欧もぜひ。
- シニアの旅人さん
こんばんは。
ブルガリア、イスタンブールの古い旅行記を見ていただきありがとうございます。
その旅行はお盆の頃でしたので、相当暑かったのを記憶しています。
トルコは地中海性気候だから蒸し暑い日本とは違ってそれほど体にはこたえないかな、と思っていたら、そうでもありませんでした・・・。
> 私は目下イタリアに凝っております。そのあとは多分ギリシャ。トルコもついでに
> 行けるかもしれません。
イタリアはギリシャ・ローマ時代以来、いろいろな時代の遺跡があったり、世界に冠たる食文化があったりして、通好みのところがありますよね。
わたしもイタリアは2回ほど行ったことがありますが、次はシチリア島やプーリア地方など、また違った地方を訪れてみたいですね。
> 年齢の都合で、東欧まで行く時間的余裕はないでしょう。この旅行記で行ったことにします。
いえいえ、東欧は物価が安いところとか、人々が人懐っこいところとか、ちょっとしたアジア感があっていいですよ。
ぜひ、機会を見つけて東欧の旅もご検討してみてください!
-
- liberty-libertyさん 2013/01/03 15:40:58
- 今回も穏やかさが伝わりました(*^o^*)
- エンリケさん
明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたします(^o^)
ようやくゆっくり
エンリケさんの旅行記最新版を読むことが出来ました。
黒海と空の青さ
街や教会の素朴さ
相変わらず心癒される旅の様子が伝わる旅行記ですね♪
ブルガリアヨーグルト・・・・・ダノンかぁ〜(>▽<)
それでもぜひ一度、本場で食べてみたいものです(笑)
それでは次回のイスタンブールも
楽しみにしていま〜す!
- エンリケさん からの返信 2013/01/12 15:30:24
- いつもご訪問ありがとうございます!
- liberty-libertyさん
いつもご訪問ありがとうございます。
こちらこそ今年もよろしくお願いいたします!
ブルガリアヨーグルトといっても、本当に自家製を売っているお店は少ないみたいで、ほとんどがダノンを使っているようでしたよ。
ブルガリア=ヨーグルトって発想をするのは日本人くらいなのかも・・・。
一度ブルガリアを旅した後では、食べ物というとカヴァルマやキョフテ、ケバブチェ、それにフレーバーティーが思い起こされますね。
イスタンブール編、最近時間がなくてなかなか作成が進みませんが、がんばって書いていきたいと思いますので、完成したらぜひまた遊びに来てください!
-
- ガブリエラさん 2012/12/15 00:03:39
- 欧州でも、違いますね(*^_^*)
- エンリケさん☆
こんばんは♪
そして、ただいまです〜ヽ(^o^)丿
ドイツから帰って、ブルガリアを見せていただいてると、同じ欧州でも、同じ石の建物でも、違いますね♪
再来年は、ドイツをお休みして、よその国にいっちゃおうかな、なんて思ってます(*^_^*)
来年は、お金をセーブでーす!
そして、次は懐かしいイスタンブール!
もうかなり昔に行ったので、最近の姿を楽しみにしてますね♪
ガブ(^_^)v
- エンリケさん からの返信 2012/12/15 15:32:21
- いつもご訪問ありがとうございます!
- ガブリエラさん
こんにちは、ドイツから無事お帰りのようで、何よりです。
そして早速こちらの旅行記にご訪問いただき、うれしい限りです!
経済力のせいか、ブルガリアの建物や街並みはドイツほど洗練されていないので、ドイツから帰ってきた直後ではブルガリアの旅行記はかなり見劣りしてしまうかもしれません・・・。
しかしその分、人々は素朴で人情があって、写真のみでは伝えられない魅力があることも間違いないところですね。
・・・そんなブルガリアを去って、次は世界有数の観光都市、イスタンブールにまいりますが、素朴なブルガリアとの違いも書いていきたいと思いますので、ぜひまた遊びに来てください!
ガブリエラさんのドイツ旅行記も楽しみにしています!
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