2016/03/11 - 2016/03/11
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comestaiさん
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3月 11日、曇り
初めての水戸 #3 - 水戸藩士が学んだ幕末の学校「弘道館」です。偕楽園から水戸駅に戻る途中で、東照宮経由で水戸・三の丸にある弘道館を訪れました。
写真は、水戸藩士が学んだ幕末の藩校「弘道館」です。天保12年(1841年)、徳川斉昭が創立した日本最大の藩校で、当時は儒学や武術、医学などの科目が講義されていたそうです。長州藩の「明倫館」、岡山藩の「閑谷黌」と並び、日本三大学府の一つと称されています。
弘道館 http://www.koen.pref.ibaraki.jp/park/kodokan03.html
下記、3つの旅行記に分けて投稿します。
□ 徳川斉昭設計の偕楽園 「好文亭」 http://4travel.jp/travelogue/11114277
□ 水戸の梅祭り、偕楽園の梅林 http://4travel.jp/travelogue/11114593
■ 水戸藩士が学んだ幕末の学校「弘道館」
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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国道50号
水戸東照宮見学の後、国道50号へ出て、大銀杏横の道(写真左)へ、三の丸の弘道館へ向かいます。 -
三の丸小学校
弘道館の敷地、白壁の中にあります。勉強が良くできそうです。校門も素敵! -
弘道館・正門〔重要文化財〕
本瓦葺きの四脚門で、藩主が来館する際など正式の場合のみ開門したそうです。 -
弘道館・説明板
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弘道館
入館料は200円ですが、偕楽園のチケットを見せると、150円になりました。 -
弘道館
学生や諸役人は通用門から出入りしたそうです。チケット購入後、こちらから入場します。 -
正庁〔重要文化財〕
学校御殿ともいい、藩主臨席のもとで文武の大試験が行われたり、その他儀式などに用いられたそうです。弘道館 名所・史跡
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正庁の玄関
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正庁の玄関
広い式台が設けられていて、正面に斉昭自筆の「弘道館」扁額が掲げられています。
尊攘の掛け軸が掲げられていました。
尊攘とは「尊王攘夷」の略で、君主を尊び、外敵を斥けようとする思想との事です。 -
諸役会所
来館者控えの間で、床の間の「尊攘」の掛け軸は、水戸藩の藩医で能書家で知られた松延年の筆だそうです。安政3年(1856)に斉昭の命で書かれました。 -
弘道館・廊下
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諸役会所
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弘道館の中庭
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弘道館
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弘道館・梅林
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正庁正席の間
藩主が臨席をして、正席の間や二の間で行われた学問の試験や対試場で行われた武術の試験をご覧になったところだそうです。 -
正庁正席の間
床の間には、弘道館の建学精神が示された弘道館記碑の拓本が掲げられています。 -
弘道館
敷地には多くの梅の木が植えられています。 -
弘道館・畳廊下
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便所と湯殿
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便所
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湯殿
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弘道館の鬼瓦(昭和の大修理の瓦)
ハートの形が使われていて、このハートの模様は、日本の伝統的な「猪目」という模様で、魔除けや火災除けの意味があるそうです。 -
至善堂(しぜんどう)
正庁と畳廊下で接続されています。 -
被災と復旧の歩み紹介
ちょうど3月11日、震災の日だったので、写真を交えて、正庁と至善堂の屋根瓦を一度取り外してふき直した様子を説明してもらいました。写真は「至善堂の押印瓦」です。
【茨城新聞】 被災と復旧の歩み紹介 水戸、弘道館で特別見学会
http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14576995018488
https://www.youtube.com/watch?v=AJrOnVIisb0 -
弘道館
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至善堂御座の間と要石歌碑(拓本)
最後の将軍、徳川慶喜(七郎麿)も5歳〜11歳まで、ここで学んだそうです。
この部屋が至善堂と言い藩主の座所で、明治維新に将軍職を辞した徳川慶喜公(烈公第七子)がここにあって恭順の意を表し、静かに朝廷の命を待たれた由緒あるところだそうです。 -
至善堂
その他の三室(二の間、三の間、四の間)については、諸公子講学の場所にあてられました。 -
至善堂
なお「至善」とは最上最高の善で、人間は最高善に到達し、かつその状態を維持することを理想とすべきであるとの意だそうです。 -
雲龍水
弘道館に備え付けられていた消防ポンプで、安政四年(1857)の銘があります。 -
徳川慶喜公使用の長持ち
明治維新の際、将軍職を辞した徳川慶喜公が明治元年四月、水戸に下り、弘道館(至善堂)にあって恭順の意を表し謹慎していた当時に使用していたものだそうです。 -
農人形
徳川斉昭公(烈公)は平素「愛民謝農」の心深い方で、自ら小さな農人形を作ってころを食膳に据え、食事のたびに最初の一膳を初穂として、人形に供えてからのち食事をとることをにしておられたそうです。 -
至善堂
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正庁の玄関
広い式台が設けられていて、正面に斉昭自筆の「弘道館」扁額が掲げられています。 -
正庁の玄関の鳥瞰図
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徳川斉昭公・七郎麻呂(慶喜公)像
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諸役会所
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弘道館・正門〔重要文化財〕
内側から見たところです。 -
正庁〔重要文化財〕
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正庁〔重要文化財〕
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弘道館のお庭
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イチオシ
正庁〔重要文化財〕と左近の桜
玄関前の左近の桜は、斉昭夫人登美宮吉子が水戸家に御降嫁された時に仁孝天皇から賜わったもので、江戸小石川の水戸藩邸に植えられていたものを弘道館開設の際に移植されたそうです。 -
弘道館のお庭
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井戸
藩校当時、この近くに「御台所」があり、この井戸が使われていたそうです。 -
弘道館のお庭
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弘道館のお庭
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弘道館のお庭
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至善堂
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弘道館のお庭
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至善堂
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弘道館のお庭
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白梅
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弘道館
左は「江南所無」の梅の木です。 -
白壁
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弘道館と対試場
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弘道館と対試場
武術の試験などが行なわれた場所で、藩主は正庁正席の間から試験の様子をご覧になったそうです。 -
弘道館
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烈紅梅
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イチオシ
弘道館と左近の桜(右)
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弘道館・正門〔重要文化財〕
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広場のチケット売り場へ
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水戸城址大手橋
手前、三の丸・弘道館側より二の丸へ -
大手橋の下は堀切
現在は道路になっていて、左側が二の丸です。 -
大手橋から弘道館を見たところです。
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徳川頼房公像
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茨城百景の石碑
「弘道館と水戸城址」と刻まれていました。 -
弘道館
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水戸駅
水戸駅 駅
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水戸駅北口
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水戸駅南口
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水戸駅南口 5番・高速バス乗り場
高速バスで東京駅に戻ります。行きはJRバス、帰りは茨城交通のバスでした。
http://www.ibako.co.jp/regular/terminal/mito-station-south.html#H201DT04
初めて、水戸・偕楽園と弘道館を訪れましたが、なかなか良かったです。
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