2015/05/10 - 2015/05/10
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
クアットロ・フォンターネの4つの噴水を見終わって、さあ、いざボッロミニの作ったサン・カルロ・アッレ・クアットロ・フォンターネにと入り口に向かいましたが、そう、今日は日曜日でした。
教会の入り口には、大きく「ミサの間、ノーツーリスト!」と張り紙がありました。
濃い顔をした方々なら、素知らぬふりして、ミサに参加出来るのでしょうが、当方どこから見てもカトリックには見えない面をしておりまして、カメラをぶら下げて入っていく勇気はありませんでした。
仕方ない。明日バルベリーニ広場に行く予定なので、出直すことにしましょう。見逃すことはできません。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
てなわけで、内部が見たかったサン・カルロ・アッレ・クワットロ・フォンターナは明日までお預けです。
せめて外側だけでも観察しましょう。どうですか?この歪んだ曲線。写真で見たことがあるとはいえ、やはり鮮な驚きがあります。はぁ〜、ほぉ〜の世界です。
教会を建てる計画の段階で、すでに噴水は存在していました。敷地は教会としては不自然な台形、ボッロミニは1634年、依頼を受けてまず修道院と回廊に取り掛かり、その後教会、続いて(仮ごしらえの)鐘楼を1643年までかかって作り上げましたが、その時点で資金は底をついてしまいました。ファサードに取り掛かったのはそれから実に22年後の1665年のことでした。 -
しかし、心の病気を抱えていたボッロミニは1667年に自殺。彼の甥ベルナルド・カステッリ・ボッロミニがその後を引き継ぎ、1670年までに鐘楼をきちんと完成させました。次いで1674年からファサードの建設に取りかかり、最終的に装飾を終えたのは1682年だったそうです。実に50年の歳月がかかっていたのですね。
教会前の道路の道幅は大変狭く、交通量が激しいので、写真を撮るには注意が肝心です。道路が狭すぎて、鐘楼を含めた全体像を撮ることのできない教会でした。 -
ファサードの右側は修道院になっているようです。修道院側に戸口の余裕を取られ、思いっきり身を縮こませているような印象のファサードでした。
-
サン・カルロ・アッレ・クワットロ・フォンターネに続いてあらわれたのは、広々としたサン・タンドレア・アル・クイリナーレ庭園。
緑が大変美しい公園が一般開放されていたので、少しだけ休憩をとりました。 -
イチオシ
公園の中央にあったこの彫像は、題して「嵐の中の警官たちのパトロール」。2014年にカラビニエリ(イタリアの国家治安警察隊)創立200周年を記念して建てられたものです。
オリジナルは、フィレンツェ出身の彫刻家アントニオ・ベルティが1973年に制作したものです。悪天候の中を重いマントを身に纏い、前かがみになりながらも確実に前進していく二人の姿はなかなか感動モノでしたよ。 -
クイリナーレ通りをさらに進むと、見えてきたのはベルニーニの作ったサン・タンドレア・アル・クイリナーレ教会。前述のサン・カルロとは殆どお隣同士なので、ボッロミニとベルニーニの対決だなんてよく騒がれていますが、どちらも天才。好き嫌いはあるにせよ、甲乙なんてつけられるわけがありません。
サン・カルロと比べたら広々とした敷地が何ともうらやましい。教会の建物が円筒形をしていることが、外からはっきりとわかりますね。
ここは11世紀の段階では、かつてサン・タンドレア(聖アンデレ)に捧げる教会だったということがかろうじてわかるような廃墟だったようです。後年、建物はイエスズ会のものになり、1653年、ボッロミニが教会の再建を依頼されます。ところが、クイリナーレ宮殿のそばに大きな教会を作られたくない当時の教皇インノケンティウス10世(在位 1644年〜1655年)が反対したため、イエズス会は教皇が亡くなるのを待たねばなりませんでした。
次のアレクサンデル7世(在位 1655年〜1667年)は1658年になって、周りをすっぽり高い塀で覆うという条件で教会の建設を許可しました。しかしこの頃、ボッロミニはナヴォナ広場のサンタネェーゼ・イン・アゴーネ教会にかかりっきりとなっていたため、枢機卿は代りにベルニーニに建設を依頼したのです。 -
ベルニーニは全体の設計を行ったものの、実際の仕事は優秀な地元の建築家、芸術家に任されました。ファサードは1670年になってから工事が始まりましたが、もうその頃には次の教皇クレメンス9世の時代になっていて、周りを塀で覆う云々に関しては忘れさられていました。そんなこんなで教会は1678年ようやく完成し、献堂されたのです。
教会はローマのバロック文化における最高傑作の一つと言われています。彼自身もここでの自分の仕事ぶりが気に入っていて、晩年はミサに出席するため、しばしばこの教会を訪れたとのことです。
こちらのファサードも大変個性的です。突き出した半円形のポーチと逆の弧を描く外壁、そして外から見える円筒形の教会本体部分が見事な調和を保っていて、三角形のペディメントの部分だけが異様に目立つ気がします。
ポーチの上の紋章は、ファサードのスポンサーであるパンフィーリ家のものです。 -
「はいっちゃだめよ!」と言う張り紙はないようなので、おそるおそる中に入ります。
「ノーフラッシュ!」ですね。はいはい、わかりました。 -
思ったより内部は小さな楕円形の空間でした。通常楕円形の教会の場合、楕円の長い方の両側に入り口と聖域があるのですが、ここはなんと短い方にありました。そのため、入り口から目と鼻の先に聖域にある感じです。
ピンクに白い筋の入った、とても美しい大理石が、壁の殆どと、主祭壇の4本の柱に使われています。ベルニーニ自身がまだ一度も使われたことのない、真新しい石を採石場から調達したのだそうです。
祭壇画は、X字型の十字架に磔になったサン・タンドレアの殉教を描いたもので、フランス人画家 ギョーム・クルトワGuillaume Courtoisの1668年の作品です。絵の上には、金色をした沢山の天使達・・・こちらはアントニオ・ラッギの作品。彼の作った「柱を持った天使」はサンタンジェロ橋を飾る天使たちの一人です。
やはりミサの真っ最中。写真を撮るのは憚られます。 -
動けない状態のまま見上げると、ドームの一部が目に入りました。主祭壇の4本柱で支えられたエディキュラの上には、天に昇るサン・タンドレアの姿がありました。彼の視線はドームの中央を向いています。なんという演出でしょう!
ベルニーニはここでも教会を劇場に仕立て上げていました。 -
撮影が憚られる状況だったので、これを最後の写真にして退出しました。
不完全ですが、ドームの全景です。アンデレが手を伸ばしている先には、小さなプット達が待っている天国がありました。そこから尾を引いて流れ出る10筋の金色の光! アンデレを取り囲むようにして集う聖人と天使達。窓と窓の間は花飾りが垂れています。
すっご〜い!
アンデレを含めたスタッコの彫像も前述のラッギの作品。完璧な演出です。しばらくの間眺めて、しっかりと目に焼き付けました。 -
教会の隣はカラビニエリの司令部のようでした。そりゃあそうですよね。かつての教皇グレゴリウス13世の屋敷、現イタリア大統領官邸の真ん前ですから。
先ほどの公園にカラビニエリの彫像が置かれていたのも納得。 -
こちらは、その真ん前の建物。クイリナーレ宮殿の通用門でしょうか?
そもそもクイリナーレ宮殿の歴史は、私が2日目に訪れたティヴォリのヴィッラ・デステの主人枢機卿イッポリート・デステがここに屋敷を建てたことに始まります。1583年には教皇グレゴリウス13世が夏の宮殿に改装。前回の旅行記に頻繁に出てきた教皇シクストゥス5世は1587年にそれまでリースだった土地を買入れ、宮殿を拡張。宮殿前の道路、水道を整備したり、噴水を作ったりしましたよね。
それから1870年にイタリアが王制になるまで、ここはずっと教皇の夏の宮殿でした。そしてイタリア共和国の時代となり、大統領官邸となって現在に至っています。
宮殿の通用門と勝手に決めてしまいましたが、アーチの上の碑文には、アレクサンドル7世(在位 1655年〜1667年)、インノケンティウス13世(同1721年〜1724年)、クレメンス12世(同1730年〜1740年)らの名前や1732年と言う年号があるので、歴史ある入り口の一つなのかもしれません。 -
大統領に関する儀仗部隊コラッツィエリのユニフォームを着た兵士発見!
コラッツィエリになるためには、身長が190cm以上必要なのだそうですよ。超カッコイイ!! -
急に警察部隊の追っかけになってしまいました。ローカル警察との業務分担がどうなっているのか、よく理解できていないのですが・・・
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こちらの方はとっても気さくな警察の方。撮影を快く了承して下さいました。でも仕事中ですから、常に辺りに気を配っていらっしゃいました。モデルになって下さり、ありがとうございます。
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クイリナーレ宮殿の向かい側にあるヴィッラ・カルロ・アルベルトまでやってきました。カルロ・アルベルトはサルディニア王で、最後のサルディニア王でかつイタリアの初代国王ヴィットリオ・エマニュエーレ2世のお父様。
様々な木々が植わった素敵な公園でした。それもそのはず、世界中から持ち帰った木々がここには植えられているそうです。 -
地球の〇き方には全く案内が出ていませんでしたけれど、この公園には入場可能なようです。
公園中央の目立つ騎馬像は、1900年にロマネッリにより作られたカルロ・アルベルト公の騎馬像です。優柔不断な性格で、あまり人望がなく、最後はポルトガルに亡命してそこで亡くなった寂しい王様だったようです。 -
今回の旅行で、4本目のローマのオベリスクが見えてきました。こちらも古代13オベリスクの一つクイリナーレのオベリスクObelisco del Quirinaleです。
高さ14.63m、台座の部分を入れると、28.94mあります。
エジプトのアスワンで採石された赤い花崗岩で、ドミティアヌス帝の時代、紀元1世紀にローマに運ばれたようです。但し、オベリスクとしてあったものではなく、単純に石そのものを運んできたということなので、エジプト原産ローマ・メードのオベリスクです。
アウグストゥス帝の墓所入り口付近で、1519年に掘り起こされたオベリスクは、お馴染みのシクストゥス5世が1587年にサンタ・マリア・マッジョーレのあるエスクイリーノの丘へ移動させました。
そして1527年に発見された双子の片割れであるこちらは、それから約200年後の1786年、建築家ジョヴァンニ・アンティノリにより、ピウス6世(在位 1775年〜1799年)の時代にここに移されました。 -
これまで見たオベリスクはこちら
1.エスクィリーノのオベリスク サンタ・マリア・マッジョーレ後陣前
http://4travel.jp/travelogue/11031577
2.ラテラノのオベリスク サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ広場
http://4travel.jp/travelogue/11040068
3.ドガリのオベリスク ディオクレティアヌス浴場前
http://4travel.jp/travelogue/11043515 -
オベリスクはローマ・メードなので、当然のことながらヒエログリフは彫られていません。
オベリスク周りにある彫像は、ふたご座の兄弟カストルとポルックス。二人が馬の調教をしているところです。像は高さ5.5m。コンスタンティヌス浴場の入り口に飾られていたものを1588年、教皇シクストゥス5世がここに運ばせました。オリジナルはギリシャ製ですが、こちらは5世紀ローマで作られたレプリカです。
その手前にあるのが、ディオスクーリの噴水。どこにあるかわかりますか? 全く目立たないですね。シクストゥス5世の作ったオリジナルは現存せず、こちらは、1818年ピウス7世の命で作られた新しい噴水です。
広場にはまだ他に噴水が作れそうな場所があるのになぜ?と思ったのですが、わざわざこの場所、「背後にオベリスク、両脇にカストルとポルックス」と言う場所を選んだのそうです。 -
クイリナーレ宮殿は面積が110500?、世界で6番目に大きい敷地面積を誇り、国家元首の館としては世界でトルコのアンカラにあるアク・サライに次いで2番目の広さです。部屋の数が1200室あるそうですよ。
マニカ・ルンガと呼ばれるクイリナーレ通り沿いに360m続くこの巨大な建物は、教皇アレキサンドル7世の命により、ベルニーニが設計。1659年から工事は始まり、1732年フェルディナンド・フーガによってようやく完成しました。 -
クイリナーレ宮殿は日曜日の午前中だけ一般公開しています。見てください。この行列。
この宮殿だけに捧げる日曜日を確保してから、いつか出かけていきたいと思っています。 -
こちらが、メイン・エントランスです。ファサードと2階にあるバルコニーはベルニーニ作です。
どこかかしこも警察車両で一杯でした・・・ -
クイリナーレ宮殿前の広場から見たサン・ピエトロ寺院。やはり目立っていますね。
2001年に訪れたきりで、今回は計画に入っていないのですが、この景色を見ていたらやはり行きたくなってしまいました。 -
角度を変えてオベリスクをもう1枚。
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そして、オベリスクの奥に見える建物に注目。
パラッツィオ・デッラ・コンスルタ 1955年以降は憲法裁判所として使われている建物です。
この建物から続くなだらかな南斜面にコンスタンティヌスの浴場がありました。シクストゥス5世の時代、その廃墟の上に最初の建物が建てられました。そこでは、教会に寄せられる数多くの相談事を扱う司教協議会が開催されたそうです。建物は1737年フェルディナンド・フーガにより最終的な完成を見ました。
カストルとポルックスが移動を迫られた理由が分かりましたね。 -
クイリナーレ宮殿にくっついたような円筒形の建物があるところから階段を下りて行きます。
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階段を降り切るとそこは下町。ローマの町でよく使われている黄土色の壁の建物が増えてきました。
この横丁はちょっと面白そう。名前もヴィーコロ・スカンデルベグVicolo scanderbegって変わっています。アルバニアの国民的英雄スカンデルベグが昔住んでいた地域なのだそうです。 -
下るにつれて、ホテルやレストラン、そして人の数が増えてきました。トレヴィの泉はもうすぐ先です。
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じゃ〜ん! また工事中です。
実は事前に工事中であることを知っていたので、来るつもりはなかったのですが、人の流れに逆らわないで歩いてきたら、自然とここについてしまいました。
物凄い人の数です。仮の池まで作られていて、観光客がそこに行列を作っていました。絶対ご利益ないと思うけれどね。と私はさっさと退散。 -
トレヴィの泉で、噴水より有名だと思われるこの背景の建物の名前をご存知ですか? パラッツォ・ポリというお屋敷であることを私は今回初めて知りました。
左側のシートがかかっている部分がトレヴィノの泉の背景。ファサードの部分ですね。ファサード以外の建物部分はいたって普通。写真に撮るまでもありませんが、脚光を浴びない建物というのも実は好きなんです。 -
Oratorio dell'Angelo Custode
オラトリオというのは祈祷所と訳すんですよね。司祭のいない、地域の小さな礼拝堂だと勝手に思っているのですが、地方ならいざ知らず、こんなに教会が集まっているローマにも祈祷所が必要なのでしょうか?
こちらのオラトリオのファサード波打っていて、ボッロミニに通じるものがあります。1階中央のペディメントの上に乗っている像は「信念」と「希望」。この二人の表情が気にいりました。 -
やってきたのは、サン・シルヴェストロ広場。もっと騒々しい広場を思い描いていたのですが、車は広場には乗り入れていませんでした。聞こえるのは、テントづくりのにわか遊園地から響いてくる子供達の歓声だけです。
右側に見える時計塔のある建物は郵便局です。 -
まあ〜 またしても工事中のサン・シルヴェストロ教会です。中が見られるとよいのですが・・・工事中の箇所多すぎです。
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ロマネスク様式の鐘楼がいかにもローマらしいこの教会、正式名をサン・シルヴェストロ・イン・カピテと言います。カピテとは頭の意味で、洗礼者ジョヴァンニの頭の一部を聖遺物として安置していることからついた名前だそうです。
でもそれなら、ジョヴァンニの頭教会の方が良さそうですが、なんでもこの聖遺物13世紀に廃寺・・・ではない廃教会となったところから預かったのだとか。
ゲートをくぐると、前庭とロッジアのあるあたりがサンティ・クワットロ・コロナーティと雰囲気がよく似ています。良かったあ。中は工事中ではありませんでした。 -
前庭の壁とロッジアは、初期キリスト教や、ローマの神々たちの石棺、柱の土台部分、レリーフやその断片でご覧の通り。教会自体の修復工事や、お隣の郵便局の建築工事の際出土したものが集められているのだそうです。
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右側の壁には、古代の列柱が立っていました。イオニア式が3本。それより太いドーリア式が1本。
再利用したい方はお早くどうぞ〜ってもう遅いでしょうか? -
教会は現在、英国のナショナル・チャーチとなっています。ということは、ミサは英語で行われるということなのだそうです。
入口を入るとすぐにこのゲート(ヴェステイーブレ)があり、その奥は一廊式で、左右のアーチの間に3つずつ礼拝堂がありました。 -
ヴェスティーブレのヴォールトには、様々な寓話のシンボルがフレスコで描かれています。
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身廊のかまぼこ型の天井は、ジァチント・ブランディ作のフレスコ画「聖母被昇天」で覆われています。
落ち着いた色彩で、何故か気持ちを落ち着かせてくれる絵でしたよ。 -
その奥にはドームのある翼廊、祭壇、後陣と続いています。
翼廊のアーチの上に乗る、スタッコで作られた二人の天使の格好が、とても可愛らしくて印象に残りました。
教会はフィリピン人らしい家族が幼い子供、親戚?を連れて何かのお祝い事をしていて、とても賑やかでした。 -
逆光で見にくい写真で、ごめんなさい。聖域から入り口方向を撮った1枚です。
中央のオルガンの周りの装飾が大変手の込んだ模様であることがお分かりいただけるでしょうか?
こんな広々としたかまぼこ型の窓のある教会も例がないですね。あまりに光が入りすぎるので、急遽フレスコで半分覆ったという印象です。 -
地下のコンフェッシオは、1906年になってから掘られたものだそうです。ここには8世紀に最初の教会が建ったときに、郊外のカタコンブから持ってきたタルチシウス、ディオニュシウス等聖人の聖遺物が納められています。
下りては行かなかったのですが、コンフェッシオの壁には古代ローマ時代の鳥が水浴びをしているモザイクがあったそうです。残念・・・ -
主祭壇です。3人の教皇シルウェステル1世、ステファヌス1世とディオニュシウスの遺物が安置されています。主祭壇はミケランジェロのデザインを元に、トスカーナ出身のピエトロ・ロッセッリが制作しました。
主祭壇手前にある幕屋は、1686年カルロ・ライカルディにより追加で制作されました。お宝は、幕屋中央に見えている聖顔布。ヴェロニカの聖顔布とどう異なるのか私理解できていません。このお宝、1870年までこの教会にあったそうですが、現在はヴァチカンで保管されています。ということはこれはコピーでしょうか。
後陣のフレスコ画は教皇シルウェステル1世によるコンスタンティヌスの洗礼です。ここでは小さな盥を使っているみたいですが、確か、クワットロ・コロナーティのシルベストロ礼拝堂では、大きな浴槽を使っていましたよね。
http://4travel.jp/travelogue/11038209 -
きりりとした横顔にうっとり! の天使です。ガーディアン・エンジェルというのかな?
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司祭室をちょいと拝見。壁画が飾ってありました。絵は主祭壇に祀ってある聖人でしょうか・・・
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「併設する修道院の壁から取り外したフレスコ画の断片」と書かれていました。
キリストの鞭打ちの場面ですね。鞭打つ人2人の顔が削られているのが印象的でした。 -
いつもキリストの幼子を抱いているパドヴァのサン・アントニオの彫像。彼はリスボン生まれ、亡くなったのはパドヴァで、まだ30代半ばだったそうです。
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折角なので(っていつもじゃない・・)いくつかサイド・チャペルをご紹介します。まずは主祭壇に向かって右側の礼拝堂から。
前述のパドヴァのサン・アントニオの礼拝堂です。祭壇の2本の柱はシシリアン・ジャスパーだそうです。祭壇画では、サン・アントニオは百合の花を聖母子に捧げ、その傍らで、サン・ステファノ(ステファヌス1世)が跪いています。
祭壇向かって右側のフレスコ画は、サン・アントニオが死者を復活させている場面です。 -
どの礼拝堂も雰囲気がよく似ていますね。区別がつきません。
次の礼拝堂はアッシジのサン・フランチェスコに捧げられたもの。祭壇画は、フランチェスコが聖痕を受ける場面。
右側の絵は、フランチェスコが初めての宗教上の誓いを立てる場面です。 -
3番目の礼拝堂は聖霊に捧げられています。祭壇画はジュゼッペ・ゲッツィの聖霊降臨祭。左側の絵は、キリストの洗礼を行う洗礼者ジョヴァンニ(ヨハネ)。
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右翼廊の礼拝堂は、名門コロンナ家の礼拝堂で、カルロ・マデルノの設計、様々な色の大理石と装飾を施した豪華な造りです。
祭壇画はバッシオ・ジアルピによる聖人に囲まれた聖母マリア。
ここにも、きりりとした表情の天使がトーチ型のライトを携えて立っていました。 -
コロンナ家礼拝堂とまるで双子のような左翼廊の礼拝堂は、この教会に聖遺物が置かれている聖人の一人タルチシウスに捧げられたものです。
テレンツィオ・テレンツィTerenzio Terenziが描いた祭壇画は、聖母子にバーリのサン・ニコラス、サン・ピエトロ、、マグダラのマリア、シエナのカタリーナと言う4人の聖人で構成されています。なかなか面白い構図です。 -
左側3番目は、聖母の無原罪の御宿りの礼拝堂。
聖母マリアは、罪無くして(原罪を受け継がずに)母アンナの胎内に宿り生まれたというのは、カトリック教会の正式な教義です。
祭壇画のマリア様は、少女の様。若すぎますね・・・これって若さへの嫉妬かしら??? -
左側2番目の礼拝堂は教皇聖マーセラスと聖ジュゼッペに捧げられています。といっても、捧げられているこの二人を存じません。
祭壇画はマーセラスの信念。彼が手に持っている赤くて長い布のようなものは一体なんでしょうか?
天井にはプットが沢山います。 -
結局全部回ってしまいました。こちらが最後の礼拝堂。キリストの受難に捧げる礼拝堂です。
こちらは、ここでの仕事に参加するため、ヴェネツィアからローマにやってきたフランチェスコ・トレヴィサーニのコレクションがあることで有名です。仕事ぶりを認められたトレヴィサーニは枢機卿キージに可愛がられ、後に次々と仕事が舞い込むようになり、ブランズウィック、マドリード、ミュンヘン、ストックホルム、ウィーンなどに呼ばれて仕事をするようになりました。
祭壇画は磔図。左側の絵はキリストの鞭打ち。 -
入口まで戻ってきました。他の部屋とは雰囲気の異なる少々みすぼらしい空間です。大変美しい聖母子像の前で熱心に祈る人ひとり。
-
近隣の出土品を見ながらの帰り道、ここはポルティコです。
左側上は、アッピア街道のクオ・ヴァディス?教会にもあったキリスト足でしょうか?
三つともすべて墓石だそうです。 -
壁にも沢山のレリーフが飾られていました。こんな小さな教会にも、歴史が沢山詰まっています。
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これまで何度も書いていますが、下手な博物館より教会はずっと充実しています。ただ説明が少ないのが玉に瑕かなあ・・・以前地図でこの教会を知って、特に目的もなく訪れたのですが、とっても満足の訪問となりました。
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お気に入りの1枚はこちら!そろそろサン・シルヴェストロに別れを告げます。彼女の思いはこの地で永遠に伝わっていくはずです。
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出口近くまで来て、はたと気が付きました。一体サン・ジョヴァンニの頭の一部は何処に? もう一度戻ろうとも思いましたが、どうせ、それと分かるようには置いてないでしょうから、まっいいか・・・と言う気分になりました。
なんと入口付近にそれと分かる方法で展示されていたそうなのですが、全く気が付きませんでした。こういう失敗しょっちゅうです。何度やっても懲りません!
長くなりましたので、この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その20 ローマ サンタンドレア・デッレ・フラッテ〜ヴェネツィア広場で。
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