2015/03/08 - 2015/03/08
85位(同エリア409件中)
tadashiさん
- tadashiさんTOP
- 旅行記229冊
- クチコミ0件
- Q&A回答4件
- 143,615アクセス
- フォロワー26人
風の強いドブロヴニクから少し内陸の世界遺産の街モスタルに行きます。ここも御多分にもれず旧ユーゴの民族間の血みどろの戦いの象徴のような運命に翻弄されました。宗教的にはカトリック、セルビア正教、ユダヤ教そしてイスラム教が共存し、民族的にもムスリム人、クロアチア人、セルビア人そして少数のヒターノ(ジプシー)と複雑な様相を呈している。しかも家族もそれらの混血も多い。クロアチアととボスニア間の国境越えはやはり時間がかかった。バスのドライバーはみんなのパスポートを預かり缶ビール1パックを持ってボスニアのイミグレーションにもって行き、しばらく戻ってこない。後で聞いたところによると、国境係官はまずビールを一缶飲み干してから、ゆっくりと各人のパスポートにスタンプし、全部を済ませたのち、仕上げのもう一缶ビールを飲み干してから返却してくれたのだという。これが行きと帰りの2回行われるのだという。モスタルはヨーロッパの雰囲気はほぼない、トルコに旅したことがあるが、イスラムの雰囲気が満ちていた。先ず、新市街地区のレストランで昼食。ナンのようなパンにシシカバブのような焼き肉を挟んだものが供された。味はとても日本人に会うものであった。レストランの店員はすべて男性で女性は見かけなかった。昼食後、旧市街へ歩いていきました。各宗教のモスクや教会を眺めながら、ネレトヴァ川に架かるスターリ・モストという石造りのアーチ橋の両岸に土産物の店舗が軒を連ねている。今まで、一度も見かけなかったジプシーもおり、観光客に「喜捨」を求めていた。現地のガイドさんから、「彼らには元締めがいて、ほとんど吸い上げられてしまう。彼らのためにならないので、あげたりしないで欲しい。」といわれた。小さな子供がねだってくると断るのも、少し心が痛んだ。橋の一方の端に「Don`t forget`93」の文字を刻んだ小さな石があった。 オスマントルコ時代の建造に始まるこの端が爆撃により落ちてしまったことを忘れまいという戒めの碑です。夏場などには地元の若者などがこの橋の中央から度胸試しに川に飛び込むのをニュースなどでみたことが」あったが、さすがに今回は飛び込む人は見かけなかった。しかし観光客向けだろうか、近くにウエットスーツのレンタル店があり、一応営業していたが客はつかないようでした。のんびり、ゆっくりと時間が流れている街でした。
表紙は現地ガイドの御嬢さんと写したスターリ・モスト石橋とネレトヴァ川の流れ。
PR
-
2日前、ここで休憩したクロアチの中に数キロだけあるボスニアの領の海の街の昼間の風景。
-
2日前の夕刻にここで休憩した時の写真です。
-
ボスニアの農村風景
バス車窓からなのできれには写っていませんが、こんな葡萄畑があちこちにみられました。緑豊かな時期や、ブドウの実がついたじきもいい風景でしょう。 -
いかにも、硬水のような川の流れ
-
モスタルに到着。ここまでドブロヴニクから120キロ、累計1,450キロです。
まずは腹ごしらえ。
このレストランでいただきます。 -
飲み物は、小生は現地のビール、相棒はオレンジ・ジュース
-
実にシンプルな前菜の野菜サラダ
-
シシカバブ・サンドイッチのフライド・ポテト添え?
実においしかった。 -
ポストレは上品な甘さのおかし
-
給仕をしていただいた方に断ってパチリ
-
フランシスコ教会。
この裏側に大きな駐車場があり、そこまでレストランからバスでやってきて、さー旧市街のほうへと歩き始めます。 -
破壊されたままの建物。
かってユダヤ教徒のための建物であったときいたようなきがする?
再建しないのか、あるいは戦争のモニュメントとして残しているのか? -
ネレトヴァ川本流に注ぎ込む支流の川
-
旧市街へと渡る大通り。
信号は守ります。 -
廃墟につき危険の看板
ちょっと離れて通りすぎる -
こんな石畳の狭い道の両脇には多くの土産物やさんやカフェ、レストランが立ち並んでいます。
-
石橋の西側の商店街
-
同じく西側の商店街
-
スターリ・モスト橋の中央から右手の近代的橋を見渡します。
-
少し、クローズアップ
-
石橋の入口の上をみあげると
-
西の橋の入口はこんな感じ
-
悲劇を繰り返すなの碑
西の入口を入ると直ぐにあります -
橋の向こう側、東側の街並み
やはり多くのみやげもの店が -
橋の東側の商店街
イスラム的な雰囲気が充満しています。 -
モスクが美しい
-
河畔に観光客がいっぱい
私も降りてみましょう -
こんな狭い階段道を通って、河畔に降りていきます。
-
降りていく途中で石橋を写してみます。
-
河床から見上げる石橋。
きれいです。 -
川には鴨のご夫婦が仲良くおよいでいらっしゃいます。
-
川床から対岸を
-
川床から右手を
-
支流の小さなアーチ橋を見つけた。
そこにもいってみた、
さあ、次はまたクロアチアにもどり、トロギールに向かいます。
今夜はそこに泊まり、翌日はトロギール、スプリット、シベニクを観光し、宿泊はオッパティアの目の回るようなスケジュールです。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
-
前の旅行記
歴史的大風で始まった東欧10日間バス2000キロの旅 ドブロヴニク編
2015/03/06~
ドブロブニク
-
次の旅行記
歴史的大風で始まった10日間バス2000キロの旅 トロギール編
2015/03/08~
トロギール
-
歴史的大風で始まった10日間東欧バス2000キロの旅 旅立ち編
2015/03/03~
ザルツブルク
-
歴史的大風で始まった10日間東欧バス2000キロの旅 ザルツブルクからブレッド湖観光のちリュブリャーナへの編
2015/03/04~
ブレッド湖周辺
-
歴史的大風ではじまった10日間東欧バス2000キロの旅 リュブリャーナ編
2015/03/04~
リュブリャナ
-
歴史的大風で始まった10日間東欧バス2000キロの旅 ボストイナ鍾乳洞観光からプリトヴィッツエへ到着編
2015/03/05~
ポストイナ
-
歴史的大風で始まった東欧10日間バス2000キロの旅 プリトヴィッツエ湖群を覗き込むの編
2015/03/06~
その他の都市
-
歴史的大風で始まった東欧10日間バス2000キロの旅 ドブロヴニク編
2015/03/06~
ドブロブニク
-
歴史的大風で始まった東欧10日間バス2000キロの旅 モスタル編
2015/03/08~
モスタル
-
歴史的大風で始まった10日間バス2000キロの旅 トロギール編
2015/03/08~
トロギール
-
歴史的大風で始まった東欧10日間バス2000キロの旅 スプリット編
2015/03/09~
スプリット
-
歴史的大風で始まった東欧10日間バス2000キロの旅 シベニク編
2015/03/09~
シベニク
-
歴史的大風で始まった東欧10日間バス2000キロの旅 オパッティア・ホテル宿泊編
2015/03/09~
その他の都市
-
歴史的大風で始まった東欧10日間バス2000キロの旅 ザルツブルク編
2015/03/10~
ザルツブルク
-
歴史的大風で始まった東欧10日間バス2000キロの旅 ミュンヘンから帰国編
2015/03/11~
ミュンヘン
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ) の人気ホテル
ボスニア・ヘルツェゴビナで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ボスニア・ヘルツェゴビナ最安
625円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
旅行記グループ 歴史的大風の中、スロヴェニア、クロアチア、ボスニア周遊とザルツブルク、ミュンヘン
0
34