2014/10/29 - 2014/10/29
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belleduneさん
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小樽の街から少し離れた祝津の鰊御殿を見に行って来ました。明治から大正に掛けて、日本海沿岸では鰊漁が盛んになり、どこの漁港も賑わっていました。積丹半島の泊村で、鰊漁場を経営していた田中福松の住居兼作業場の宿舎として、明治30年に建てられたものを、昭和33年に現在の祝津へ移築されました。泊村は、アイヌ語で「モイレ・トマリ」と言い、その意味は静かな泊地で、入り江を指す言葉から由来しているそうです。平成元年(1989)に泊村に北海道唯一の原発第一号が運転開始しました。現在、3号機までありますが、全て定期検査中のため、一時停止状態です。ネットでリアルタイムの情報が公開されています。北海道電力は、脱・原発の意向はないそうです...
- 旅行の満足度
- 4.5
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眼下に祝津漁港が広がっています。
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左手の山の景色です。
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鰊御殿横に小高い丘のようになったところにある「正一位 水富稲荷神社」。この神社は、小樽で一番北に位置する神社です。
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鳥居からの日本海の眺めです。
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この岬の上まで移築するのは、大変だったでしょうね。住所:祝津3−228
小樽市内からタクシーがバスで水族館バス停から歩いて5分です。 -
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建物の前庭に大きな碇が3基(本、台)置いてありました。鰊漁船で使っていたものでしょうか。
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向こうに現役の日和山灯台が見えます。11月1日から3日程、海上保安庁が灯台の点検に来るので、中が見られますよ、とのこと。普段は無人で灯台は暗くなると灯りが点きます。
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岩場に打ち寄せる波はやはり日本海らしい。
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建物前面の道は狭いので、ここから全体を見ることは出来ません。
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鰊御殿と彫ってありますが、随分穴が開いていますね。この建物は?の木が多く使われているということなので、これも?の材木でしょうか。
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玄関を入ると正面に、弁財船の模型が置いてあります。これは、泊村の田中福松と実兄の古兵衛が安政〜分久年間(1850年代)に物資の運搬のため、使用した150石積み型の弁財船です。10石が約1トンなので、15トン位ですね。船の中央には、内部に神棚、炉、障子、?笥など陸と変わらない室内調度品が備えてありました。
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1階は右手に客間、左手に使用人、漁夫の部屋と分かれていますが、2階は其々3つに区分されていて、行き来が全く出来ないように仕切ってありました。
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ここで、帳簿などを記帳していたのでしょう。
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イチオシ
1階の広い廊下からの眺め
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2階の客間へ上がります。
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階段の手摺りにもちょっとした遊びがあります。
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やはり2階からの眺めは良いですね。ここは岬なので、強風に備えて、ガラス戸の外に金属製の鎧戸がありました。
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前面ガラス戸になっているので、見晴らしが素晴らしい。
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鰊御殿というだけあって、客間は書院造りになっています。黄色で囲んだ部分はガラスが填められてて、内部が見えるようになっています。
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内部は、廊下がなく、行き来が出来ないようになっています。
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左の壁の向こうが使用人の部屋になっています。
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床の間天袋に描かれている牡丹の絵は、山田東洋(1865〜1946)の筆によるものです。東華の画号を持ち、東京洋画学校で洋画を学び、33歳で北海道へ渡りました。洋画で朱衣の達磨を描くなど、独学で自分の境地を開きました。
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1階の玄関辺りを見下ろす。
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全体の見取り図
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中央の階段を上がると、使用人の部屋となっています。
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一間だけです。
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1階の土間に下りて行くと、2階の漁夫達の寝床へ上る梯子がありました。見学者は上ってはいけません。
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ここに120人位の漁夫が寝たとありました。
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更に屋根裏に上る梯子も見えます。
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台所の土間
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囲炉裏のある居間
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ここに色んなものをぶら下げて、乾かします。
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大きな櫂が展示してあります。
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鰊沖揚げの図
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玄関周りの上部の木組みは北海道産の?の木が使われているということです。
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土間の煙突
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丘を下りると全景が撮れます。
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小樽市内へ戻る途中に、旧青山別邸があります。外観だけちらっと見て来ました。
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北海道屈指の美術豪邸と言われています。ネットで内部を見たのですが、今回はパスしました。約1500坪の敷地に、木造2階建て、建坪190坪の屋敷内に6畳〜15畳の部屋が18室あります。青山留吉、政吉の二代で、鰊漁で巨万の富を築き上げました。青山家最盛期の大正6年、三代目政恵夫婦と共に鰊大尽と呼ばれた政吉は、美意識が高く、一流好みだったそうです。
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政恵が17歳の時、山形県酒田市の本間家邸宅に数回訪れ、その建物に魅せられて、「あの本間邸以上のものをこの祝津に建てよう」と決心しました。政吉は酒田から宮大工の棟梁・斉藤藤子之助、石垣清二郎、土間市太郎を呼び寄せ、その指揮の下、左官頭・佐藤朝吉、建具頭・西野岩吉、瓦師頭・新家長松、石工頭・福田喜太郎、佐藤丑太郎をはじめ、総勢50数名の職人が技を競い合ったそうです。
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材料は酒田より運ばせ、屋根は瓦葺き、軒下は全て手彫りの彫刻を施してあります。床や柱は、欅の春慶塗り、漆喰壁、神代杉の幅広い天井、鶯張りの廊下、継ぎ目のない1本ものの長押、紫檀、黒檀、タガヤサン、白檀を使った書院造りの床の間、七宝焼の襖の引き手など至るところに細かい装飾があります。欄間は、竹、紫檀、白檀に彫刻が施されています。建物の三方に庭があり、家族専用の池泉庭、松と石を組み合わせた枯山水の中庭などがあります。
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ネットで旧青山別邸を見ると、1室だけ洋間があります。
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ちょっと口ずさみたくなる...粋な黒塀 見越しの松...
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黒塀越しに見る紅葉がちょっと粋な感じでした。
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