2011/08/13 - 2011/08/18
116位(同エリア418件中)
きっちーさん
「瀋陽だけでいい~。わざわざお金かけて遠くへ行きたくない~」
「飛行機代は持つから、行こ。ね!ね!」
「どっかで飛行機が落ちたらどうするの~」
空港まで来といて往生際悪く、不平たらたらのママ上を引っ張って、遼寧省瀋陽から黒龍江省はハルビンへやって来ました。
せっかく東北地方へきたのですから、戦争犯罪で悪名高い、731部隊の戦跡を訪れようと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- アモイ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
瀋陽でハルビン往き列車の切符を購入しようとしました、が!
なんせキャパがデカく、人の行き来も物流もすさまじい中国で、列車の切符もなかなかの争奪戦。
準備不足で、結局購入できませんでした(涙)。
鉄道切符を買うのに、切符の枚数ぶんのパスポートがいるんすよ。
いつもひとり旅だったから、うっかりママ上のパスポート忘れて買えんかった〜。
あいたた・・。
諦めかけたその時、たまたま宿泊していた遼寧賓館のビジネスセンターで、ハルビン往きの往復航空券をゲットできたので、なんとかかんとか。
ハルビンの空港へ到着です。
瀋陽→ハルビンは、列車だと4時間半ですが、飛行機だとわずか50分ほど。
なのに、しっかり食事が出ました!
(キャビンアテンダントさんたちが、ものすごく追われてましたが)
すごいぞ、廈門航空☆ -
ハルビン空港はけっこう混雑しています。
とりあえずタクシーで向かった先は・・・ -
コチラ!
-
コチラ!!
「工事中ビルやんけっ」
と、突っ込まないように(笑)。 -
こちら、ハルビンのホリデイ・イン・ホテルです。
ちょうど1階エントランスを改装中で、シートがかかっていたのですが、中はフツーに営業しています。
ママ上には、瀋陽で宿泊している遼寧賓館がどうしても気に入らず、「ハルビンではぜったい良いホテルに泊まる!高くてもいい!」と言い張って、コチラのホテルに飛び込みました。
いつも150元前後のホテルを利用する自分には、シングル・ツイン共に1012元からという、外資系ホテルなどまず泊まる機会は無いんですけど。
「すみません、予約はしていないんですけど、1泊できますか?」
英語と中国語で尋ねると、ツイン1泊朝食付きで609元だそう。
えー。
ガイドブックの値段と、全然ちがうじゃん。
『1012元〜』って書いてあったのに。
まっ、安いに越したことは無いですがv -
値段だけでなく、「日本語対応スタッフがいる!」というのも、やや違っていて。
しゃべれるスタッフが常駐しているわけではなく「日本語の出来るスタッフがいる時間がある」の間違いでした。
ただ、レセプションのスタッフは本当に親切なので、筆談にもすごく丁寧に対応してくれます。
なので、ガイドブックは当てにならなくても、お勧め☆ -
「あんたの選ぶホテルはいっつも安くてボロいところばかりで。お母さんは、こーゆうとこに泊まりたいの!」
「そんな力説せんでも・・」
「バスローブがあって、トイレに紙が流せて、バスタブがきれいで、日本語が通じて」
「さっき通じなかったじゃん」
「外資系ホテルがいいの!」
どこのセレブだ。 -
明日の午後には瀋陽に戻るので、ハルビンでの滞在時間は今日の午後と明日の午前中のみ!
ハルビンで訪れたかった、『侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館』と『金上京歴史博物館』および『金太祖陵』は、地図で見るとかなり離れた郊外にあります。
もちろん、どの施設も入場時間つーもんもあるわけで。
移動時間がどのくらいになるか分かりませんし〜。
閉まらないうちに行かなきゃね☆
ホテルにかまけてないで行くぞ、さあ!さあ! -
「その前に、紙の流せるトイレ・・」
んなの、日本へ帰ったらいくらでも流せんでしょーっ! -
1階のレセプションで、
「これからタクシーを1台、貸しきりにさせてもらって、
①『侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館』
②『金上京歴史博物館』
③『金太祖陵』
をまわるのって、時間とか金額ってどれぐらいかかりますでしょうか?」
筆談でたずねると、レセプションの女性陣がタクシー会社に問い合わせてくれます。
タクシー会社からの返答によると、市内から侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館までは、約1時間。
金上京歴史博物館や金太祖陵に至っては、3時間はかかるそうで。
結論から言うと、半日ではとてもじゃないけどまとめて見学は無理なようです。
中国の広さを甘く見てはいけません。
日本の市内地図とおなじ距離感覚で、中国の市内を歩くと、エライひらきがあるのに閉口した経験は一度ならず・・・!
このとき時間は、だいたい1時を少しまわったぐらいでした。
「どうされます?」
カウンターごしに、係りの女性が少し困ったように声をかけてきます。
もちろん、どれかを選ぶとしたら1箇所しかありません。
「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館へ行きたいです」 -
タクシーを午後いっぱい貸しきって、350元。
日本円で、約4200円です。
洛陽から少林寺へ行ったときも、たしかそんくらいの値段だったので、ややホッとします。
あんまり高いと、ちょっとアレだし。
「部屋でお待ちください」と言われて、20分ほどでタクシーが到着したと係りの人から電話が入ります。
ロビーへ降りると、背の高い男性がホテルの入り口に停まったタクシーの前まで案内してくれます。
どうやら、英語のできる運転手さんを呼んでくれたようなんですが・・。
こっちが母子揃ってエーゴできないもんで(汗)。お恥ずかしい。
「これでようやくしゅっぱーつ!」
そう、浮かれたのが甘かった・・・。 -
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館は、『ハルビン市区から約20キロあたり』と某有名ガイドブックにあるので、
「時速60キロとして、罪証陳列館までは20〜30分弱くらい?」
と、思っちょりました。
さっきの『1時間』というのは、往復で1時間なのかと・・。
と、ところが!!!
ハルビン市内は一方通行がとても多く、しかも交通量がハンパ無いので、とにかく渋滞につぐ渋滞!
ようやく30分ほどかけて郊外へ出たと思ったら、こんどはエンジントラブルでタクシーが動かなくなり。
「なにかの呪いか・・?」
幸い、車が動かなくなってしまった近くに修理・整備の工場があり、すぐに見てもらえて10分ほどで再び走り始めたものの、
「またとまっちゃったらどうするの?戻った方がいいんじゃないっ?!」
顔色を変えたママ上をなだめなだめ・・。
どうにかこうにか、2:40頃に到着いたしましたー! -
ホテルを出発したのが、1:35。
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の駐車場に到着したのが、2:40。
結局、エンコした時間を15分ほどとしても、市内から約1時間はかかるようです。
「4:30に戻りますので、待っていてください」
「3:30まで待つよ。4:30なら、100元割り増ししてほしい」
ええ〜っ。
またずいぶんな。
1時間弱しか見学できないというのでは、苦労してきた甲斐がないので、もうはじめから100元払う気持ちで車を降ります。
こゆトコへきてんだから、ケチケチしても始まらない。
それでも、少林寺を一緒にまわってくれた楊クンの顔が浮かびます。
はあ〜。
楊クンは、こっちが和んじゃうくらい可愛い系タクシードライバーだったよなぁー。(児童労働の疑いは残りますが・・)
癒し系、楊クンとの旅行記はコチラ→http://4travel.jp/traveler/need/album/10415830/
入り口ゲート手前の監視室らしきところが、チケットボックスになっています。 -
あ、これも史跡なのか!
中へ入ると、ガラス越しに女性が座っています。
「リャンジャン、ピャオ」
指を『ぶい、ぶい』してみせると、「フージャオ(パスポート)」といわれます。
2人ぶんのパスポートを見せて、無料チケットを受け取ります。
ガラスの向こうの小姐が、
「15元(約180円)で、音声ガイドを貸し出していますけど」
と声をかけてくれます。
「対不起、あの〜う、エーゴとかまったく駄目なんで・・」
「有、日語」
「日本語のもあるんですか!じゃあ、じゃあ、リャンウェイ(2名)」
建物の入り口で貸してくれるそうなので30元を支払い、チケットを片手におもてへでます。 -
チケットボックスのドアの脇にあった、開館時間の表示に目がとまります。
「おわっ!3:30になってる!!!」
ガイドブックだと、『侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の閉館は4:30』となっていますが、3:30に閉まるようです。
タクシーのおじさんは、べつに短めの時間を言ってボッタクろうとか、そんなんじゃなくて。
この施設自体が3:30までってことだったのか! -
反省・・。
事情通な地元の人の言葉は、よく聞くべし。 -
なんか、カバンが重かったのか、写真が傾いてるな(汗)。
見づらくて、すんません〜。 -
建物の入り口には簡素な受付があり、先ほどのチケットボックスからレシーバーで連絡を受けて、キュートな小姐が手招きします。
彼女は慣れたようすで、液晶つきの音声ガイダンスが先についたネックホルダーを広げ、首からかけてくれます。
片耳に小型のリモコンも嵌めてくれて、ママ上にも同じように、丁寧に装着して、
「どこも触らなくていいです。部屋に入ると解説が始まります」
中国語初心者でも分かるようにゆっくり説明し、1人ぶんのパスポートを預かると、順路を示してくれます。
預かったパスポートは、出口で音声ガイダンスの機械と引き換えに、返却するそう。
「謝謝」
「不客起」(どういたしまして)
おっし!
行くか! -
とにかく1時間しかないので、さくさく行きましょう。
ホントは、もっとじっくり見学したいのですが仕方ない。
それもこれも、某有名ガイドブックのせいじゃ、こんにゃろ! -
建物は横に長く伸びた廊下に貫かれ、左右にある小部屋が展示室になっています。
部屋の入り口には分かりやすく数字が掲げられていて、第一展示室から見ていけば良いもよう。
廊下から展示室へ入ると、音声ガイダンスのくわしい説明が始まります。 -
日本にいるときは音声ガイダンスなんて面倒くさいし、借りることはまず無いんですが。
外国へくると、「こりゃ便利じゃわい!」と再認識させられます。
ガイダンスは女性の声で、非常に流暢な日本語で解説してくれます。
若干イントネーションがはねなければ、ネイティヴと変わらないので聞きやすく、もちろん大助かり! -
音声ガイダンスに頼らずとも、日本からの見学者に配慮されていて、中国語・英語・日本語の並列表記になっちょります。
でもでも!
うちら時間限られてるから、読むよか聞いたほうが早いっちゅー話で!
とにかく、展示を見ることを重点に置いて。
文章や表などは、デジカメに残してあとでじっくり読もうと。
せわしないのが悲しいですが。
現場に来れただけでもヨシとしなきゃね☆
展示をながめつつ、興味を惹かれた文章(全部は無理ですが)をカメラにおさめ、耳でその展示室の内容を聞く、という・・。
なんとも忙しいコトになってます。 -
気がつくと、ガイダンスで繰り返し強調される、『不完全な統計』という言葉。
南京大虐殺や、重慶爆撃を調べた時もそうでしたが、被害の数字というのは攻撃されやすく、「数字があてにならないから、被害自体が信用できない」とする、根底に差別や悪意あるレトリックに対して、日本語音声を通じての解説はとても神経を使っているように感じました。
あんまり頻繁に聞こえてくるので、いくぶん情けない気持ちに。
日本の侵略戦争によって亡くなられた人の数や、被害の総数が完璧に数字化されなければ、それを無かったことにできる、または、してやると、どうしてそんな思考回路をたどれるのか。
自分には理解できません。
また、したいとも思いません。
けれど、事実そういった動きがあるからこそ、音声ガイダンスが断わりを入れながら数字を述べているのに、胸が痛みます。
個々の主張によって数字上の議論はあっても、大きな事実は変わらない。 -
もちろん、ひとつの被害数字が軽んじられるのも、許されないことと確信があります。
被害を受けたのは、誰かの親だったり子どもだったり、親戚や友人知人だったり、ごく当たり前の、顔のある人間なんですから。
数字で大枠を見失っちゃいけないんだけど、ひとつひとつの数字が、誰かの人生なわけです。
数字つながりでアレなんですけど。
わりと『中国側の資料!』みたいのが、バンバン展示されているのかと思いきや、日本の子ども達がどれくらい動員されていただとか、そういう『日本側統計資料』が、驚くほど数多く見られます。
子どもが戦争動員されていたり、企業が戦争協力していたのは、知識の上で認識していても、被害地で突きつけられるとまったく違う衝撃を覚えます。 -
『ハルビンで起こった(または起こり続けている)悲惨な出来事』という枠でせばめず、日本国内のどのような流れの中で、中国東北地方や中国各地での毒ガス戦が行われていったのかを、具体的な場所や組織を調べ上げて展示しています。
-
いままで、南京・重慶・北京・香港そして台湾と、忘れられない被害展示に衝撃を受けてきましたが、ここ侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館は、まったく新しい展示方法になってきていると感じます。
-
うまく書けないんですが、『被害の連帯』といったらいいんでしょうか。
日本が加害側であるのは、もちろん、大前提ですが。
表や写真から垣間見える、幼い子どもたちは自らの決定権も無く、殺傷兵器の製造に関わらなくてはならなかったわけで。
そこでは個人の意思や自己決定権は、根こそぎ剥奪されている。
はむかえば、生命が脅かされる。
生まれたときから徴兵されているような、ゾッとする世界です。 -
小さな兵隊たちの兵器が、この地で生きる人たちの命と暮らしを破壊していくさまは、言葉を失うほどグロテスクに思えます。
-
『加害の内側』にすら、弱者の被害があることを、言外にメッセージとして発信しつづける展示に、頭が下がります。
だからつって、「そうだ日本人も被害者なんだ!むしろこっちが被害者なんだ!」とやるのは、勘違いもはなはだしいですけど。
加害と被害の関係を認識しながら、くり返さないための中日共同研究成果って言ったらいいんでしょうか?
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館は、他の地域の施設と比較して片っぽだけが調べたものじゃなくて、お互いが掘り下げた事実にいろんな人に向き合ってもらうっていう、新しいやり方が感じられました。 -
毒ガス製造に深く関わった、日本の関連施設がつぎつぎ並びます。
「人間を殺傷するための学問をほどこす学校って・・」
千葉なんて神奈川の目と鼻の先ですから。
こういった『学校』が、運営されていたっつーのも、おっかない話です。 -
「よく調べたもんだよなぁ」
ぽてぽて歩いていると・・・。
おおっ?! -
日本側の戦争犯罪研究本紹介コーナーで、自宅本棚にある著者の名前が!
吉見義明さんって、あの従軍『慰安婦』研究の本書いてる人じゃ・・。
むかし、ひとり旅をした山西省で、日本軍の性暴力被害にあった女性達のことを知り、以来いろんな書籍を読んだり、講演を聴きに行ったりしてたのですが。
たしかその時に、この人のパネル講演も聴いたし、本も2冊くらい持ってハズ。 -
あ。
?まであるし。
つか、これ中国語版ではないから、日本で入手可能ってことかしら? -
意外な場所で、知った名前を目にすると、場違いですがなぜかウレシイ。
反面、知らない著者が多くないってのは、日本の良心的な研究者って、まだまだ少ないのかなあ、と肩が落ちる思いです。 -
そいえば!
時間に追われてたので、展示室で見た記憶がまったく無いんですけど!
超〜っ有名な、あの本!
731部隊といえば、『悪魔の飽食』(森村誠一 著)☆☆
間違った写真掲載が問題になって、絶版・再出版の憂き目を見たけど、内容そのものは日本の戦争犯罪と加害責任を強く意識した、センセーショナルな一冊でした。
『悪魔の飽食』は、課題図書だったと思うんですけど、そのときはかっつー(注:本多勝一)の『中国の旅』『南京への道』よかインパクト感じませんでした。
しかし、それは個人的な感想で。
『悪魔の飽食』が、ガチ有名なのは間違いないし。
なんで、置いてないの??
見逃したかな? -
見つからなかった『悪魔の飽食』はさておき。←ヒドイ・・
731部隊で最大の思い出は、やはり高校のとき観た香港映画、『黒い太陽731』ですね。
なんつーか、スゴかった。
かなりエグイ描写が飛び出して、チキンな自分は震えあがったのですが、そこで初めて被害者の視点と、日本の加害責任を知る出発点となった作品です。
「こわい、気持ち悪い!」感情の中に、実際に『マルタ』と呼ばれた人たちの恐怖には足元にも及ばないものの、「ああ、こんな怖い思いを体験させられたんだ」という気づきが生まれました。
それまでヒロシマ・ナガサキといった部分で、「戦争は悲惨なんだ、やっちゃいけないんだ」という被害的な平和学習の価値観が、ぐるりとひっくり返りました。
もちろん、ヒロシマ・ナガサキでの出来事が悲惨で、くりかえしてはいけないのは、変わらないですけど。
それだけじゃなくて、侵略や殺し合いには相手がいて、敵視して殺すそのさきに、おなじ人間が悲惨で辛い目にあっている。
ヒロシマ・ナガサキでは、朝鮮半島や中国をはじめ、他地域・諸外国の人たちも被爆しているのに、「自国の悲劇」に押し込めることによって、加害だけでなく、ヒバクシャ個人の被害さえも見えづらくしている。
被害の視点を都合のいい「日本人のみ限定」にせず、あらゆる弱者・被害者、個人個人の言葉から出発し、戦争を考える。
そういった捉え方を教えてくれたのが、中国の被害者たちが自らの体験を語る、かっつー(注:本多勝一)のルポタージュと、『黒い太陽731』という香港映画でした。
お。
ちょうど、731部隊パネルに移ってきましたね。
蛇足ですが、映画『黒い太陽731』は展示されてました。
ちなみに、?も展示されてましたよ。
続編なんて作ってたんだ・・。知らんかった・・。 -
マンガの神さま手塚治虫が、『MW』という作品で毒ガスによって人生を狂わされた子どもが成長し、美しい殺人鬼となって毒ガスに関わった人たちへ、つぎつぎと復讐を果たしていく――つう、ピカレスクっぽい話を扱っていました。
(すこし前に、ハマリすぎの玉木宏主演で映画化されました)
毒ガス被害についてあまり知識もないまま、漠然と手塚作品のイメージが強かったので、敗戦後投棄され劣化した毒ガスによって、重度の火傷のような被害を引き起こしている事には認識があっても、どこかで毒ガスの被害者っていうのは眠るように死んでいる、といった錯覚がありました。
実際は、全然そんなキレイなもんじゃなく。
毒ガスによって、顔面や四肢にケロイドのようなただれを穿たれた、多くの人たちの写真。
生きているのか亡くなられているのかも、判別しがたい写真の前に立つと、現実の残酷さがフィクションを凌ぐさまを見せ付けられるようです。
このすさまじい事実の前に、「美しい殺人鬼」や「眠るような遺体」は成立しずらいでしょう。
そもそも、死者はどういう見た目だろうと、殺されてることに違いはないし。 -
自分は化け学とか数式とか得意でないので、そういう方面に強い人は正直「すごいなあ」と無条件に尊敬しちゃいますけど。
えらく秀でているからといって、必ずしも世で生きる真っ当な人たちの力になるとは限らないと、凹みます。
毒ガス製造や生体実験に参加した人たちの経歴は、ものすご〜く選抜された、いわばエリートで。
出身校だけさらっても、いまだって「すごいですね!」と評価される大学ばかり。
この事について、某有名大学は検証・総括しているのかな、と疑問に思います。 -
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の展示は、731部隊のみに絞った内容ではなく、日本軍による組織的な毒ガス製造の流れや、黒龍江省にとどまらない加害を追っているので、ここへ来て初めて知るような事件もけっこうあります。
-
←1942年、河北省で800人あまりの村人が、日本軍の毒ガスによって殺された惨案。
-
あまり亡くなった方のパネルを写真に撮るのは、禁止はされていないのですが、躊躇してしまいます。
河北省の虐殺事件で、毒ガスによって殺された子ども達の写真。
村では、30戸以上が一家全滅しており、この子達の死を悼む近親者も生き残れたのかどうか・・。
「この写真を撮って残そうとした人は、どんな気持ちだったんだろうな」
胸の奥がザラザラします。 -
耳元では、音声ガイダンスの女性の声が、地元の人たちの誠意をようやくやってきた「日本人」へ伝えるように、落ち着いた真摯な声で「不完全な統計によれば、この事件によって・・」と亡くなった人たちの状況を、伝え続けています。
-
閉館時間が迫り、時計を気にしながら展示室をさらにすすむと、実行に関わった日本側の証言が展示され始めました。
-
む。
全部中国語じゃ、よくわからんな。
漢字なので、時間をかければだいたいの意味は伝わるんですが・・。
3:30で閉まっちゃうからさー!
えーんっ!! -
「と、とりあえず。証言者本人の手書きっぽい図だけでも・・!」
頑張ります。 -
「と、とりあえず。あとで読めるように・・!」
しつこいです。 -
ほとんどパネル展示なので、うっかりすると見逃しそうなパネルに、重要なことやハッとさせられる事が載っていたりするので、油断できません。
←これなんかも、さきほどの1942年河北省で起こった、800人あまりの村人が日本軍の毒ガスによって惨殺された事件の、加害証言! -
「このころは古い字体だ・・。中国の人は、やっぱ字が上手いなあ・・・」
変なところに感心しているのは、証言内容が中国語表記であったから(汗)。
これも、あとでデジカメズームで読むしか・・・ぶつぶつ・・・。 -
ほぼパネルばかり撮影しておりますが、731部隊で使われていた、拷問道具や実験器具(見かたによっては拷問道具?)など、施設の破壊跡から発見された物も数多く展示されています。
ガラスケースのむこうの、防毒マスクや防護服などはひどく安っぽく見えて、まるでB級ホラーの衣装のようです。
←ほら、これだってアレみたい!
LOVEジェンセン・アクレス主演『ブラッディ・バレンタイン3D』の犯人マスク☆
あ・・。
いや、ジェンさん出演作『MBV』がB級ホラーってわけじゃないですよ(汗)!
もう、ジェンが出てるだけでいいっv -
「こんなのでホントに防げていたのかな?」
ものすごく疑問に思えます。
中国やアジア諸国の民衆はもとより、兵士や研究者も「戦争の大儀」のまえでは命が使い捨てだったろうことは、容易に感じられます。 -
つくづくおっかない時代だと思いますが、このとき以上に兵器研究が進んでいる現代は、歯止めが利かなくなればもっと悲惨な状況が出現しかねないと思うし。
オーストラリアの学者さんの言葉じゃないけど、「平和への具体的な準備をつねに」というのは、大事だなーと。
展示は、中国東北地方だけでなく、化学兵器が使用された中国各地の事例の紹介へ移っていきます。 -
赤い丸が、日本軍が毒ガスを放った地点?
-
長江沿いに見ていくと・・・。
あ!
真ん中チョイした!
これウーハン(武漢)だよね!
知っている地名が出てくると、どこやらさっぱり分からない地図も、真剣にさらってみたりして。 -
すかーし!
肝心の毒ガス放出地点の地名は・・・。 -
・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・。
ごめん、ぜんぜん見当つかないや(泣)。
どこなんだろ。
あんま観光的にメジャーな地名じゃないから、農村とかそんな場所なのかなあ。 -
こちらは、『南昌作戦』の化学兵器使用マップ。
すんません、素人なもんで『南昌作戦』ってフツーに書かれても、どんな作戦かまったく分からないので、とりあえずグーグルマップで南昌の位置や、基本情報をチェック☆
場所は杭州や紹興でおなじみの、海に面した浙江省のお隣り。
江西省というやや内陸にある省の省都が、南昌市。
江西省には、あの陶磁器で超〜っ有名な、景徳鎮がありまする。
地図の右端に出ている鄱陽湖は、中国最大の淡水湖!
南昌は、中国人民解放軍誕生の地でもあるとか。
へー。
日本でおなじみの観光地でないトコでノーマークだったけど、中国の人には有名な場所なんでしょうね。 -
時間がなくてせっせと撮ってきたもんで、前後しちゃいますが。
ウーハン(武漢)での会戦時、日本軍の写真。 -
こっちも。
展示されていた防護マスクがしょぼいと感じましたが、こうやって見るとガッシリしたのは視界をさえぎるし、軍隊的に動きにくいのかなあ、と思いました。
動きにくくても毒ガスが放出された空気吸ったら、死んじゃうわけだし。
つか、たまたまでもこの場にいたら、兵士も民間人も、大人も子どもも関係なく、ひっくるめて殺されるってことで。
使用そのものが違法なわけだし、こんなのぞろぞろ目の前なんて、ありえないよなー。 -
ママ上と「ひどいねー」って言い合うのすら躊躇してしまいます。
館内には、年齢でいうと40代〜50代くらいのお父さんお母さんが、子連れで見学に来ていたりして、夏休みの平和学習的な雰囲気。
南京の侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館の空気とかぶるものがあります。
(→http://4travel.jp/traveler/need/album/10263334/)
ここで日本語をしゃべっていたからといって、険悪になったり物騒な状況に陥りそうなようすは、まったく無いのですが。
それでも、声のトーンが落ちてしまいます。 -
ウーハン(武漢)で、防ガスマスクの向こう側にいた、中国側の兵士の遺体写真。
-
人を殺すやり方ってのは、どんどんエスカレートしていくものなのか。
不正を正したり、くり返さないためには、引き起こされた不正そのものを直視しないといけないとは思うんですけど、亡くなった人が体現するおなじ人間の所業に、どうやって立ち向かえばいいのか。
心もとなく感じる瞬間です。 -
それでもなー。
死んじゃった人が生き返って、自分でどうにかするとか、出来ないわけだし。
やっぱ生きてる人が、誰かが可能性のある未来へすすむ途中で、理不尽に殺されない道筋を、守り、つくってくんだよなあ。
できることは、おっきくなくても頑張んなきゃだな! -
なるべく、知らない地名や知らないタイトルを探して、写真におさめていきます。
-
山西省でもそうだったけど、現地でわからなくても、あとで読んだ本と自分の歩いた場所や、見た情景が、何かの拍子にリンクすることもあります。
-
中国はホント広くて。
いっこいっこの旅じゃ、到底まわりきれないほどなんですけど。
そんな、すっごいだだっ広い大陸の、「こんなトコもかよっ」って場所に、思いがけない戦時中の傷が残されていたり。 -
中国語がほとんど出来ない自分に、たまたま出会った地元の人が、戦時中の苦しい体験を、短い言葉にたくし、筆談や、身振り手振りでなんとか伝えようとしてくれたりすると、やっぱり「え〜と、こう言ってんのかなー?」みたいな当て推量じゃなくて。
ちゃんと正確に知りたいと思うし。
基本、観光メインの中国旅行で、そういった出会いや機会があることが、奇跡のように感じます。 -
地元にしてみたら、残された毒ガスで被害者も出続けているわけだし。
なにかの拍子に、建設現場かなんかで掘り当てちゃうかもわかんないし。
じゅうぶん現在進行形か。
過去の戦争って言葉はたしかにオカシイ。 -
びみょーな展示方法・・。
つか、こわいよ。 -
ガラスケース越しなら、標本のように現実味が薄いですけど、ジャンプすれば届きそうな位置にむき出し展示って、やばいです。
つか、マスクの表面とかに触ると化学反応で爛れちゃうとかないよね?
放射性物質もそうですけど、感知できない危険ってマジ怖い。 -
←ちなみに、どうみても胡散臭げなマスク姿について、日本ではどう報道されてたかっちゅーパネル。
-
文章を拡大してみました。
『中国側が上海の第一戦に毒ガスを使用したため、従軍記者も含め、防毒マスクを着用した』と書かれてあります。
今も昔も、御用メディアの危うさってのは、ホントどうにかなんないのかなってカンジです。 -
自分はたまたま今の時代にいるから、中国側の被害者の証言や研究者の熱心な行動、そして日本で戦時/戦後責任と真剣に向き合おうとする市民や、学者さんらの研究成果によって、あのB級ホラーな防毒マスクが何のために使われていたのかを。
そして、『中国側が上海の第一戦に毒ガスを〜』の記事の裏で、実際にはなにが起こっていたかを知ることが出来ます。
けれど、もし戦時中。
反中ムードいっぱいの時に、あんな記事をしょっちゅう目にしていたら、頭では「鵜呑みにしちゃいけない」って思っても、「ひょっとしたら・・」に誘導されちゃうと思う。
報道の一面として、『権力の監視』がありますけど、民衆もまた『メディアの監視』を絶えずしていかなくてはいけないのかも知れません。
←こちらの記事。
ウチの田舎がある群馬県でかつて行われた、陸軍による「日本人将兵」をつかった、毒ガス人体実験。
1995年の毎日新聞のスクープです。 -
うおーっ!
どんどん時間が過ぎていく!!
シャカシャカ参りましょう!!! -
戦時中の出来事や責任は、なかなか実感しづらくとも、このあたりからは明らかに自分の世代で解決できること。
また、しなくてはいけない問題です。
皇軍によって製造され、敗戦後、中国大陸に遺棄された化学兵器は、現在を生きる人に被害を出し続けているからです。
個人的には、某ロイヤルファミリーが国民の血税は使わずに、自分らのポケットマネーで全額被害者に補償すべき、と考えます。
当時、たったひとりの『主権者』の遺産を相続しているわけですから。
負債も負うべきと。
ただし、現在は国民の象徴が気に食わなかろうと、主権在民ですから。
主権を持つイチ日本国籍者としては、「自分は関係ない」と安易に無視できない問題です。 -
まあ、よくこげに捨てていったなと、改めて驚きます。
-
200万発とか、100トンとかって、どのくらいなのか想像しにくいんですけど。
『直接傷害2000人以上』というのは、重く感じます。 -
日本でも時々、「工事してたら不発弾が出たー!」みたいなニュースを観ますけど。
都道府県が違っても、2000人以上が怪我をしたなんていったら、どうですかね?
それこそ、ワイドショー的トップニュースだと思いますけど。
日本だったら大騒ぎになるけど、それが中国だったら無視できるって、なんか違和感を覚えます。
戦争中の爆弾で怪我するのって、すっげー理不尽だし、かち合った人はホント堪んないだろうな。 -
毒ガスや空爆による攻撃は、よく「無差別殺戮」と表現されますが、ターゲットを選ばない「特性」は、時代をも超えた無差別攻撃ですね。
この遺棄毒ガス弾によって負傷した、おじいちゃんやおばあちゃんだって、かりに見た目よりか歳がいってて戦時中生きてたとしても、まだめちゃめちゃ小さい子だったはず。
幼い頃ここで命を狙われて、歳とってやっぱり同じ兵器で入院させられるって、どうなのよって思います。
引っ越してきたら偶然、みたいのもイヤですけど。 -
ヘビーな中身ばっかで、アレだったんですけど。
良いニュースも、ちゃんとあります。 -
「東京地裁も、たまには司法の責任を果たすんだ」
ちょっとホッとします。
あとで瀋陽からバスで行った、平頂山事件の旅行記をアップしますが、そちらの裁判はダメダメでしたからね。
やっぱり人間が司法に携わるなら、癒すことが出来ない被害者の痛みを、どこまで回復させられるのか。
やられた側の気持ちに沿った方向で法律を駆使し模索してほしい。
被害の事実認定しといて、不当判決をくだすって意味がわからないし。
まあ、それはあとでやります。
フー。 -
そのファイルは、コ●ヨか?
裁判で使った資料なども展示。
残念ながら、いまだ戦後補償裁判の勝訴ってめずらしいから、こういったものが誇らしく見えてしまいます。
真っ当な判決が、きちんと出続ければ、こんな大きくスペース割くことも無いんだろうに。 -
時間に追われているため、展示室の順番が行ったり来たりで申し訳ございません!
再び、731部隊コーナー。 -
731部隊ハイラル支部配置図。
左上のはしっこ。
車庫なんですけど、フォード車やイスズの車があったそう。
てか、イスズってそんな昔っからやってたの??
どうも『悪魔の飽食』で登場するような収容所チックな施設が、バンバン建っていたイメージがぬぐいきれないのですが・・。
場所によって、施設のつくりは様々だったんですかねー。 -
でた、石井四郎。
とくにいかつくもなさそうだし、『ハ』の字ヒゲと軍服がなかったら、駅のベンチで缶コーヒー飲んでそうなオジサンにしか見えませんけど。
見た目じゃわからんなー。
多くの人に危害を加える人物が、必ずしもモンスターちっくでない部分が、ハリウッド映画のステレオタイプな悪者と現実社会の違いでしょうか。 -
―――と、直前で複線を張ってみたりして!
アメリカつながり?
ええと、731部隊の人体実験データは、敗戦のどさくさに焼却または破棄によって戦争犯罪の証拠となりえるので隠滅されたかに思えましたが。
じつは免責交渉で、アメリカ側に渡っていた一部データが、見つかっています。 -
2007年1月12日に秘密解消となった、アメリカ国立資料館の731部隊関連資料。
美語、很不明白。(エーゴ、ワカリマセ〜ン)
なので、訳とか期待しないでくださいねー。
自分わかるのは、日本語字幕を完全暗記した『スーパーナチュラル』のディーンの台詞だけさっ☆←アメドラです -
現物は、アメリカ国立資料館にあるので、展示されているのはパネル写真です。
-
それでも、そーとー生々しいですよ(汗)。
英語はからっきしでも、手書きのイラストから伝わってくる「実験」の内容は・・・正直、あんまり知りたくないかも。
色鉛筆で塗られた脳が変化していくようすなんて、「おっ前、なにやったんだよっ」と怒鳴りたくなります。 -
解説を読むと(ちゃんと訳されてるんですのヨ)、アメリカ国立資料館で公開された人体実験データのうち、
①ペスト菌に関する、『Qレポート』
②炭素菌に関する、『Aレポート』
③鼻疽菌に関する、『Gレポート』
①~③のレポートは合計1500項を超え、731部隊が中国平房地区でおこなった生体実験を詳しく記録しているそう。
←これが『Gレポート』のパネル。 -
中国語でも、なんとなく読めますね。
-
日本語訳。
ほとんどすべての臓器で実験しているのがわかります。 -
名前は記録されず、臓器の変化だけが色鉛筆でつづられるレポート。
こんなん生きた人間でやったなんて。
ホント、無茶苦茶だな! -
関連して、南京九華山生物研究所で1644部隊が行っていた、生体実験の被害者が地下から発見されたときの写真。
-
あとで石井四郎が関わった、生体実験に関する解説パネルでも出てきます。
-
731部隊のルーツとして紹介されている、加茂。
シリアルキラーさながら(むしろマスキラーか?)、どんどんエスカレートしていったんだなあと、体温が下がる思いです。 -
たまに、かのアウシュヴィッツへも、いつか行けたらなーと夢想しますけど。
「まずは日本のやったことを知ってから。それが筋だよな」
そう考えて、近場の韓国や台湾、中国など、わりと有名な戦跡だけまわっても、次から次へと出るわ出るわで・・。
皇軍による大爆撃・生体実験・大虐殺・生物兵器の現場は、おもに中国で歩いてきましたが、従軍「慰安婦」の被害者や関連施設に至っては、東南アジアやオーストラリアにも被害証言がありますし、沖縄でも同様です。
日本の戦争犯罪だけでも、自分的に容量MAXなカンジで。 -
素人旅行のすき間すき間で見聞きしたことなんて、たかが知れてますけど。
それだって日本にいては、なかなか想像しづらい壮絶な内容を目の当たりにする場面もあります。
地元ではごく当たり前に知られていることが、日本まで伝わってない部分ってあるし。 -
現場主義じゃないですけど、直接現地へ行って現場に立つのって、絶対大事だと思います。
被害者の人の証言に、「ああこの場所の事だったんだ」とすごく納得させられる。
証言内容を疑ってるとかじゃなくて。
なんつったらいいのか。
その人の時間や体験や恐怖は身体化できないけど、場所を共有することで、よりリアルになるってゆーか。 -
アウシュヴィッツに立ってナチスの所業に憤るなら、同様の視点で、近隣国で皇軍の人道に反した殺戮を、足が震えたってきちんとみなきゃいけない。
逆にそれが出来ないなら、アウシュヴィッツへ行く意味は(自分に関して言うなら)無いように思えます。 -
「まあ、でもポーランドってお洒落っぽいし、アウシュヴィッツ抜きでも1回くらいは〜♪」
頭に花を飛ばしていたら、ママ上が「これ撮って、これ撮って」と手招きします。
なんじゃい。 -
「前衛的な、粘土細工だね・・」
「ちがうでしょ!」
ばしっと突っ込むママ上の撮影希望展示は、生体実験の現場をあらわした、モノクロのコーナー。 -
これが『真空実験』ですね。
-
いくら呼び方を変えたって、相手を人間と思わず、こんなことが出来るってのが、ぞっとします。
粘土で作ったような、お世辞にも精緻な展示ではないのですが、それがかえって怖さ倍増・・。
ママ上は、こういった実験の内容は知っていたそうですが、ヴィジュアル的にどういうものだったのかを目にするのは初めてだったようで。
「これ、写真撮っておいて!」とせかします。
つか、あんま思い出の写真っぽくはなんないけど〜(汗)。 -
遠く他国へ来て、現地の人を殺し続けて、おかしいと思わないのかなあ。
-
逆光でわかりにくいですけど、石井四郎が日の丸の下に立っています。
-
これはレプリカじゃなくて、本物かな。
1999年に国旗国歌法(国旗及び国歌に関する法律)が施行されてい久しいですが、国旗を日章旗、国歌を君が代とするのは、どーしても抵抗があります。
こゆの見ちゃうとね。
やっぱり、軍靴が聞こえてくるような気持ちになっちゃう。 -
さて、先ほどよりわかりやすい地図が出てきました。
-
さっきのは、ちょっと中国に詳しい人じゃないと、どのあたりかって理解出来ないんじゃないかと思いますけども。
-
こっちのはガイドブックでもお馴染みの地名がでています。
逆に、「えー!あそこで?!」って気持ちも強いんですけど。 -
こちらは、小さなジオラマ。
やはり毒ガス実験なのですが、空中から飛行機で毒ガス弾を落として、下にいる人にどのような影響が出るかの実験・・・実験つか、殺人だよなあ・・。 -
ピンぼけっててスミマセン。
暗いから、ちょいブレが影響大でございます。
えーと、実験台にされる人たちは、逃げることもできないよう、磔状態にされています。 -
かなり離れた場所で、軍人と白衣姿の研究者が、観察しています。
なんとなく核実験を連想してしまいましたが、殺しの道具は違っても、殺人のための殺傷実験であるという点では、まったく同じ。
どんな残虐行為も戦争犯罪も、「同じ日本人だから」と擁護するんじゃなく、同じ日本人だからこそ厳しく追求すべきなんじゃないかと、いっつも疑問に感じます。
現地で知ることは大事だと思いますが、この展示の一部でも、どうして日本国内でみることができないのかな。 -
ついに時計の針が、3:30をまわります。
「うおっ!やべ、閉館っ」
焦りますが、とくにまわりの中国のみなさんも急ぐようすもなく?
館内放送もなにもかかりません。
「アバウトばんざい・・」
「だめよ。早く行かなきゃ」
展示もようやく最後の方へ来たので、慌てて目についたパネルを撮っていきます。
ああ!
もっと時間をくれいっ!!
この部屋の、タイトルは『後悔』?
中国の普通語は、日本もそうですけど略されちゃってて、パッと見わかんないときがあります(汗)。 -
元731部隊隊員がつづった手記や手紙が展示されています。
-
残念ながら、思ったほど無い・・。
-
部隊なわけだし、4〜5人しかいないなんて事ありえないのに。
「申し訳なかったと思う」みたいな文面は、あまりに少ない。 -
731部隊の人体実験に関わった部隊員の手記だけでなく、家族の手紙なども公開されています。
読むと、加害者の家族も傷つけるんだなあ、と切なくなります。
元隊員の「あの時代に、そんな事は出来ませんなんて絶対言えなかった」という言葉は、きっと部隊に共通した心情であろう事は、よく分かるんですけれども。
そこに、ひとつの疑問が生まれます。
敗戦後、または証言しても拘束されることのない時代に至っても、なぜ圧倒的多数の沈黙が続いたのか? -
自分が被害者の家族なら、やられたことは許せないにしても、聞くのがどんだけキツくても、身内がどんな死に方をどこでむかえたのかって、絶対知りたいと思うし、少しでも手がかりがほしいと思う。
ながい沈黙の向こうに、ひょっとして家族の最期を知る手がかりがあったとしたら、沈黙もまた被害者だけでなく、その家族をもないがしろにしかねないと感じます。
悶々とした気持ちでいると、ふたたび石井四郎の展示。 -
細菌戦提案の理由分析のチャートが、すごいです。
人為か自然かわからない、からって・・。
はじめから隠蔽前提。
国際法に違反するって、わかっててやってんだから改めて怒りがわきます。
ただこの展示の仕方だと、石井四郎より上の責任追及がしずらいかな、と感じます。 -
←こゆトコで若干、石井以外の責任者に触れられてはいますが、最高責任者の名前は出てこないんだよなあ。
-
まあ、それは中国だけじゃなく、日本側が追求すべき問題でもあるのですけど。
-
お。
戦時中のハルビンの空気が伝わってくるようですね。 -
この建物がどこにあるのか興味深いですけど。
せ、洗濯物見えてますよ〜。 -
瀋陽もでてます。
-
長春100部隊や南京1644部隊についても、これから研究が進んでいくんでしょうね。
-
いまさらのような気もしますが。
アレか。
「まぼろし系」言いがかりっぽいのへの反論か? -
丁寧な資料収集は大事だと思いますけど。
-
ちなみに、なんで戦時中ってカタカナ多いんですかね?
ひらがなってそんな最近使われ始めたってわけでもないと思うんですけど??? -
日本の情報公開がもっと進めば、さらにすっごい資料が出てくるかも知れませんね。
カタカナだとよう読まんけど☆ -
ママ上にせかされながら、先へ進みます。
←韓国の方の証言。
16歳で中国語通訳として徴発され、5年後『北支防疫給水部済南支部』へ配属。
ここでは中国軍捕虜や朝鮮の流民に対する実験、さらに近隣部落での人狩りがおこなわれていました。 -
短いですが、被害証言のパネル。
このむこうに、まだたくさんの人の証言が連綿と続いているのだと思うと、言葉が出ません。 -
展示の最後に、この陳列館の意義が謳われています。
まったく同感で、くり返さないための努力をする誓いをあらたに! -
出口には、ズラリと死者の名がならびます。
ここに、日本の労組や教員、学生などが贈った千羽鶴が、むきあうように手向けられていました。 -
トンネルのような黒石の連なる廊下をぬけると、あっさりした小部屋に出ます。
そこがそのまま展示棟出口になっており、会議机にスタンバった小姐が音声ガイダンスを回収し、机に並んだパスポートの顔写真をチェックして、持ち主に返却します。
おもてへ出て、ホッと一息。 -
出口よこのギフトコーナーで関連書籍を買い込み、裏の敷地へ出ます。
広々とした背後の敷地には、当時の建物の遺跡などが残っており、電動カートや徒歩でまわれます。 -
残念ながら閉館時間を過ぎてしまったので、電動カートは駐車場に停まったまま。
徒歩で行くっきゃない! -
「ええ〜!まだ行くの?もう、お終いの時間じゃない」
「ダイジョブ、ダイジョブ。まだみんな歩いてるv」
そう。
閉館時間はとっくに過ぎているのに、見学者も館内スタッフも、まったく動じる様子なし!
これが日本なら、30分前に夕暮れっぽい音楽が流れ始め、10分前くらいに場外へ退出をうながすアナウンスなんかガンガン放送されそうですけど〜。
もっかい、アバウトばんざい(笑)。 -
731部隊が当時使っていた建物があった場所は、芝生とほっそりした木々がまばらに立つ、うっかりすると公園のようにも見えるスペースに変わっています。
-
広い敷地は、周囲の静けさと相まって、とても陰惨な生体解剖や人体実験が行われた場所とは思えません。
小鳥の声や、北国の心地良い夏風、ひらひらと蝶が花を探す、のどかな風景。
見学に来た親のまわりを駆けまわる、腕白な姉弟の声が遠くに聞こえています。 -
外の空気を肺いっぱいに吸い込み、少し足早に案内板にそって歩きます。
よく手入れされた芝生の端に、ポッカリと地面がむき出しになった穴が穿たれ、案内板が足元にあらわれました。 -
監獄と、地下細菌試験室の跡。
この美しい風景にかつて存在した、傷ついた記憶を露出しているようにも見えます。 -
ママ上の肩越しに映ったのは、チョ〜有名な景色!!!
-
731部隊の象徴といったら、やはりこの崩壊した建物が思い浮かぶのではないでしょうか!
ボイラー跡。 -
展示に気がイッてたもんで、すっかり忘れてたんですけど☆
敷地のど真ん中、とかじゃなくて。
「こんな隅っこに建ってたんだ・・」
ちょっと意外〜。 -
この廃屋の前にはレールが2本伸びており、まるでアウシュヴィッツを見るようです。
-
アウシュヴィッツへは行ったことないですけど(汗)。
-
まあ、悪事を隠蔽しようとする連中の手口ってのは、かぶるっちゅーか。
鉄道引いて、なるべくバレないようにバレないようにってのが、似てっかなーみたいな。 -
ボイラー棟と線路の手前は、危険防止か(?)はたまた時間で閉まっちゃうのか、鉄柵で区切られています。
なのに、閉館時間をオーバーしても制服姿の男性は見学者をさえぎることなく、のんびり木陰に腰をおろしています。
いいのか?!スッタフさん!
・・・ま、助かるけど。 -
ボイラー棟は、元はどんなカタチであったか判別することも難しく、ボッコボコに隠滅された瓦礫が点々と、伸びた草地に転がっています。
-
「これが旅行記の表紙かな〜v」
どっかの本で見たような角度で写真を撮っていると、
「崩れるとあぶないから、近寄るのよしなさい!」
ママ上に怒られました。 -
煙突のそばは、たしかにヤバそうですが、手前の瓦礫部分はもうどこも崩れようが無い感じなので大丈夫じゃない?
-
あ。
階段で、降りられるよ。
「蛇が出る!蛇が!!」 -
いねーだわよっ。
トカゲくらいなら、いるかも知んないけど?? -
とはいうものの、爬虫類系はご他聞にもれず苦手なので、降りるのは思いとどまりました。
せっかくなので、煙突の横っちょへまわると〜。 -
薄ッ。
壁1枚残ってるだけって感じですね。 -
これは確かに、いつ崩れても不思議じゃないかも。
-
時刻は4時をまわり、敷地内の見学者も徐々に少なくなっています。
-
「ほら、そろそろ帰りましょ」
「へーい」
相変わらず見学者をせかすことなく、日陰に座ってるだけの(笑)館内スタッフさんのわきを通って、展示棟方面の出口へ歩き出します。 -
時間があれば、野外の建物跡もけっこうあったので、もそっと細かく見たかったんですけどねー。
-
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の敷地のむこうは、住宅地になっており、典型的な郊外団地が周囲をとりまくように建っています。
-
「失礼だけど、こういう施設があるトコに住んでて怖くないかしら・・?この場所で大勢殺されてるのよねえ・・」
ママ上が団地を眺めながら、つぶやきます。
「まあ、遺体とかは回収されてるだろうし、日本だって墓地のまわりに住んでる人もいるわけだから。ふだんは気になんないんじゃん?」
それよりも、不発弾じゃないけど敷地付近に遺棄されていた毒性の薬品が出てきちゃったぞ、みたいなほうが怖いかも。 -
たった1時間では、本館を見学するだけでも一杯一杯でした。
30分オーバーで居座りましたが・・(汗)。
もし、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の見学を考えていらっしゃる4トラメンバーズがいらっしゃいましたら、耳寄りなお知らせ☆
えー。
新館もあるそうです。 -
くそっ!
自分もあとから知ったんですけど。
この敷地をいっかい道路へ出て、敷地に向かって右手方面に歩くと、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館『新館』があるそうです!!
ちっ。
見らんなかったけどさ! -
感触的には、3時間見学するつもりでいらした方がよろしいかと思います。
プラス、市内からの行き帰りで2時間弱。
結局、真面目に見たいと半日はかかっちゃうカンジかなー。 -
汽車の切符が取れなかったときは、いっぺん諦めかけましたが。
こうして、この場所に立てたのはママ上のおかげです。
サンクス!
「あんたも変わってるわねー。わざわざ飛行機代払って、こんなとこ来たがる日本人なんていないわよ」
そっかなー。
外国だし、個人で行くとなるとアクセスが難しそうに思えるかもだけど。
やってみたら、スムーズに行けちゃったし。
チャンスがあれば来たいと思う人は、けっこういると思うけどなー。
「イヤ、いない」(やけにキッパリ) -
そ、そこまでいわれると。
自信がなくなっちゃいますが・・。
肩を落として出口に着くと、すでに門が閉まりかけています。
ひいい〜ぃっ!
閉じ込められる!!!
あたふたと小走りで行くと、門番のおじさんがゆっくり進み出て、ちゃんと通行用のスペースを確保してくれます。
もちろん、「もうとっくに終わりですよ!」とか「早く出てください」など、嫌味を言われることもしかめ面をされる無く―――。
「慌てなくてもいいよ〜」みたいな。
中国で良くも悪くも共通する、このアバウトさが好きさv -
駐車場でお昼寝をしていたタクシーのおじさんに声をかけて、あとはホテルまでの長い道のり。
・・・ってほどでもなく。
帰りは、時間が短く感じます。
それでもやっぱり1時間はかかってましたが。
遠いよね。
さて!
←コチラ侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館で購入してまいりました、おみやげ! -
ちなみになぜか館内スタッフの小姐は英語でしたが、ギフトコーナーの小姐は日本語ペラペラでした!
そんなに買ってないんですが、ママ上とワタクシ用に袋を別々につけてくれました。
気が利くなあ。
よくみると、オリジナルなのね。 -
裏面。
-
紙袋も!
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館モデル☆
変なトコ凝ってるなあ(笑)。 -
いかがでしたでしょうか?
メインの瀋陽へ行く前に燃え尽きちゃいそう(笑)。
次回、軽くハルビン街めぐりをしたのち、瀋陽へ戻ります。
しかし!
ハルビンで思わぬトラブルが!!
母子を襲ったハプニングに、みなさんもお気をつけください。
詳細は、『東北王朝~③』でv
つづきまーす!
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この旅行記へのコメント (14)
-
- 魅々さん 2012/11/29 21:20:50
- 満州731部隊と登戸研究所
- 本日、私の旅行記
「明治大学平和教育登戸研究所資料館」で学ぶ「満州731部隊と登戸研究所」
http://4travel.jp/traveler/yasminoru/album/10729718/
をアップしました。
きっちーさんの写真12枚使わせていただきました。
お読みいただき、ご意見・ご感想頂ければ幸いです。
先ずは、お礼かたがた、ご報告まで
魅乃る
- きっちーさん からの返信 2012/11/30 22:09:31
- 拝読いたしましたー!
- 魅乃る 様
こんばんは。
旅行記、拝読いたしました。
丁寧に記載していただきまして恐縮です。ありがとうございます。
陸軍登戸研究所については、明治大学駿河台キャンパス『リバティタワー』で以前おこなわれたドキュメンタリー上映会に取り上げられ、軍事機密だった風船爆弾の実験場所なども、住民証言などから特定されたことがスクープされていました。
ドキュメンタリーでは、風船爆弾づくりに子ども達も動員されていたこと、当時の女学生達が指がおかしくなるほど働かされていた当事者証言なども紹介されていて、侵略戦争下での加害国でも子どもの被害を表記していた、中国の展示をあらためて思い起こさせられました。
首都圏で大学のような広い敷地を確保しようとすると、元軍事施設のような場所が多くなると、明治大学の先生が苦笑していました。
繰り返してはいけないことほど、オープンにアクセスできる環境であることが大切だと思うので、明大の先生には申し訳ないですが(笑)、国の管理施設のままじゃホイホイ入れなかったかもしれないので、まあ良かったんじゃないかなーと思います。
お父様からの宿題だったんでしたっけ?
すごく丁寧に調べられているし、喜ばれると思います。
私も勉強になりました、ありがとうございました。
ではでは☆
きっちー
- 魅々さん からの返信 2012/12/01 11:24:52
- RE: 満州731部隊と登戸研究所
- きっちーさま
お読み頂き、ありがとうございます。
「勉強になった」と言ってくださり、一生懸命調べた甲斐がありました。
慶應義塾大学日吉の地下壕、明治大学の登戸研究所資料館の二つを父に連れられて見に行きましたが、これまで知らなかった歴史の真実を語る遺産を目の当たりにしました。
日吉の地下壕では、日本国中枢は本土決戦の準備を着々と進めていたことを知りました。
もし原子爆弾が落ちていなければ、アメリカ軍は九十九里浜と相模湾から、大兵力を上陸させ、首都圏は火の海にしていたことでしょう・・・・
登戸研究所では、関係者の戦後を通じて、歴史の暗闇を知りました・・・・
調べれば調べるほど、日本の今の平和が、多くの人々の犠牲の上に成り立っていることを実感し、平和の尊さを知りました。
これからも、折にふれ戦跡めぐりをし、戦跡が持つ歴史的背景を勉強していきたいと思います。
良い機会を与えてくれた、父に感謝です。
魅乃る
-
- 魅々さん 2012/11/27 16:34:00
- 陸軍登戸研究所と731部隊
- きっちーさま
最近の新聞報道に下記の記事がありました。
「11月18日付け中国各紙によると、中国国家文物局は17日、世界文化遺産登録を目指す45件のリストを発表した。故宮(紫禁城)を含む北京中心街一帯や、旧日本軍が細菌兵器の開発・実用化を目的に設置した旧関東軍防疫給水部(731部隊)跡地が入った。・・・・
731部隊跡地は、黒竜江省ハルビン市にあり、2002年に、申請が計画された。2010年に被害者名簿が公表されたのを受け申請の動きが加速されたという。」
私は、父に連れられて、明治大学生田校舎にあり「明治大学平和教育登戸研究所資料館」に行きました。そこで戦時中に「陸軍登戸研究所」と「満州731部隊」とが協同して、青酸ニトリルの開発、そして中国での人体実験をしていたことを知りました。
731部隊の跡地がどのようになっているか?
クチコミを調べたところ、きっちーさまの記事に出会いました。
楽しそうなママ上さまとのご旅行、
その中にズッシリと、重い展示を詳しく書いておられます。
素晴らしい力作だと思います。
私の「登戸研究所」の記事は
http://4travel.jp/traveler/yasminoru/album/10727875/
です。
これを発展させて、731部隊について一歩進めたいと考えております。
つきましては、きっちーさまのお写真を一部使わせていただきたいと思いますが、お許しいただけるでしょうか。
またリンクも張らせていただきたいと思います。
それにしても、中国が尖閣問題での反日の高まりに乗じて、一気に世界遺産登録を進めようとしているのでしょうか・?・・
魅乃る
- きっちーさん からの返信 2012/11/27 19:36:36
- 読んでいただいて、ありがとうございます
- 魅乃る様
読んでいただきまして、ありがとうございました。
長々と書いていますが、「どこかに誤字脱字が・・・」と戦々恐々です〜。
どこかにあっても見逃してくださいませ。
中身は重い部分があったりしてますけど、地元中国の人たちが親切にしてくれて、母と行く楽しい旅行だったので、その雰囲気がちょこっとでも伝わったらうれしいです。
えーと、私は侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の世界遺産登録申請には大賛成です。
広島・長崎の原爆遺跡やアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所が、「負の遺産」としてみんなの胸に刻まれるのとおなじく、日本軍のやった毒ガスを使った人体実験が「二度とやってはいけない悪いこと」として世界の人たちに共有されるのは、まっとうだし意義があると思います。
リンクと写真利用のお問い合わせについては、丁寧に御連絡をしていただきまして、感謝しております。
リンクはご自由になさってください。
写真については、人物が写っている写真についてはお断りさせていただきます。
人が写っていないものについては、使われた写真には必ずどの旅行記から転用したのかを1枚1枚に明記していただければ、使っていただいてもかまいません。
なんか、御投票もしていただいたみたいで恐縮です。
旅行記、頑張ってください。
ではでは☆
きっちー
- 魅々さん からの返信 2012/11/27 19:53:52
- RE: 陸軍登戸研究所と731部隊
- さっそくのご返事ありがとうございます。
父の趣味に無理やり付き合わされて、慶應義塾大学の帝国海軍大地下壕、そして明治大学平和教育登戸研究所資料館を見学に行きました。
しかし、自分なりにいろいろ調べていくうちに、なんだかのめり込んでいきそうな予感がします。
「登戸研究所と731部隊との関係」は、父から与えられた宿題でもありますので、自分なりに調べて、記事を完成したいと思っています。
きっちーさまは、731部隊以外も、いろいろよくご存じで、敬服します。
これをご縁に、今後ともよろしくお願いします。
魅乃る
-
- ジェームズ・ボンドさん 2011/09/22 00:25:47
- 脱亜入欧
- わりと、ちゃんとした資料館なんですね。
「メディア・リテラシー」というのが、展示館資料館にも必要だと思ってるので、そういった施設には懐疑的なんですが。
とんでもない人体実験ですが、似たことは今も何処かで行われているんでしょう。
ああいう資料を見ると、裏に脈々と流れる差別意識に気が重くなります。
中国本土に遺棄された化学兵器処理に利権が生まれ、悲惨な歴史を金儲けののタネとしか考えてていない奴らも居るし。
ちなみに展示品の防毒マスクは当時の水準から見ても粗末なものだそうで、軍部が使用する側のである兵士の生命も軽視していた証拠とも言えるでしょう。
戦勝国側が「行為は極悪だが収集したデータは貴重」と首謀者に免責を与えたと言いますがほんとうなのですか?
- きっちーさん からの返信 2011/09/22 19:28:14
- 昨日は怖かった!
- 午前中、フツーに曇り時々小雨程度だったんで、「大げさ〜」とナメていたら酷い目にあいました。
危うく怪我するトコでした(笑)。
師匠、台風ってすこぶるやばいです。
さて、戦争被害の展示ですが。
どうなんでしょうね。
最近は、戦争被害の研究が被害国・加害国の研究者さんらの合同で進められていて、国際的シンポジウムなどで持ち寄られた研究成果が、研究者の批判にきちんとされながら残ったものが展示される傾向にありますし、あんまおかしな展示はないと思うんですけど。
国立施設は国が予算握ってるので、どうしても政府方針に都合の悪い展示はしにくいかもしれません。
ただ、被害が起こった現地っていうのは熱の入れ方が違うので、国の方針とぶつかっても主張すべきことは主張してますよね。
(日本でも、広島や長崎の市長さんや沖縄からは、けっこう骨太な発言が飛び出しますし)
ですので、地元展示が好きってのがあるんです。
データと引き換えに免責されたのは、偽装葬儀までやって隠れていた石井四郎が有名ですが、同じく731部隊にいた北野政次は、敗戦直後上海にいましたが46年1月にGHQから呼び出され、米軍機で帰国しています。
その後、あの薬害エイズ事件で有名なミドリ十字に勤務。
かっつーの電話インタビューを受けています。(やりとりについては全集に集録されています)
この資料提供と引き換えに起訴しないという取引は、アメリカの月刊誌『ブルティン・オブ・アトミック・サイエンティスト』や81年10月1日付け朝日新聞夕刊で明らかにされています。
エライむかしの新聞なので、わたしも現物は見れてないんですけど、731部隊関係者のその後を追った書籍や、元隊員の手記などは本屋さんとかアマゾンに置いてますョ。
- ジェームズ・ボンドさん からの返信 2011/09/22 22:52:14
- RE: 脱亜入欧
- 人体実験のデータが以後の治療や健康に寄与出来ていて欲しいですね。
単なる支配者としてだけではなく、相手を低く見ていたからこそ出来た実験かと。
その国家体制にもよるのでしょうが、イデオロギーのバイアスが掛かった資料館もありますよ。
よく「戦後補償」という言葉を聞きますが、どこまでを範囲とするのでしょう?
分からないです。
- きっちーさん からの返信 2011/09/29 21:29:43
- 展示をみていると〜
- 展示をみていると、とてもじゃないけど「治療に寄与」じゃなくて、効率的に殺すやり方&サディスティックな方向違いの探究心にしか思えませんでした。
これを病院に持ち込んだら、誰かの命が助かるとはちょっと思えません。
目的が目的ですから、治療の前段階、「予防」の考え方が一切ないというのがシュールです。
「戦後補償」は、興味深い課題だと思います。
個人的には「公の記憶」としての補償と、個人の被害に対する「個別補償」が重要なのではないかと思っています。
よく比較されるドイツでは、2005年にシュレーダー首相がアウシュヴィッツ解放60周年記念式典で、被害者への謝罪と今後の歴史についての決意をあらためて表明しました。
日本で、歴代首相(もしくは皇室)がアジア周辺国の被害地域のそういった記念式典に出席したり、現地でもって侵略戦争を謝罪するといったことはなかったと思います。
また、日本の永田町や銀座4丁目に相当するベルリンの一等地には、2700個のモニュメントがナチス犯罪を忘却することなく、次世代へ語り継ぐために並べられ、全国数千箇所に資料館・追悼碑・記念碑を置いています。
日本で同じような規模で、731部隊や南京大虐殺、四川省大爆撃の資料館が果たしてあるのかと考えると、ちょっと・・。
日本軍「慰安婦」制度と強制連行についての資料館は、民間でそれぞれ1箇所だけ知っています。
高田馬場(早稲田大学そば)と長野県松代大本営跡にそれぞれあります。
どちらも小さいですが、まじめな展示で熱意を感じます。
けれど、あくまでこれらの施設は民間の有志で成立・運営されており、政府が反省と謝罪の弁を表明する施設として運営してるわけじゃないですし〜。
個人補償については、お金の問題だけをみて「国家補償は困難だから」で本当に片付けていいのか、といつも思います。
戦後補償裁判のなかで原告が求めるのは、金額的には1億〜2億当たり前の日本の交通死亡事故の民間賠償額よりはるかに小額(平頂山事件では家族全員が殺された原告ひとりにつき2000万円)ですし、しかも最も重要なのは金銭ではなく、事実認定や戦争犯罪の再発を防止するための教育現場での「記憶の共有」が求められていて、これがなぜ受け入れられないのか理解に苦しみます。
基本的には、アジア各国の政府に対しての補償じゃなく、個々人の被害に耳を傾け、失ったものを取り戻すことは出来なくても、尊厳の回復に何が必要なのか、それぞれの被害者の気持ちに沿った補償が成されるといいなーと思ってます。
残念ながら日本での裁判は敗訴になるケースが多いですが、京都地方裁判所の強制連行・強制労働京都大江山訴訟判決ように、国家無答責の法理を退ける判例も出てきたので、そのうち原告の真っ当な訴えが実現する日が来るかもしれません。
なので、いまのところ決まった範囲ってまだ確定してないんじゃないでしょうか?
- ジェームズ・ボンドさん からの返信 2011/10/01 22:39:23
- RE: 脱亜入欧
- ラインは、まだ関係者が生存していること、が基準の様に思います。
個人的にはともかく国家が表だって要求しないのは、それぞれスネに傷を持つからでしょう。
中国なんて文化大革命や天安門事件の犠牲者に謝罪と補償するなんてゴメンだろうし。
- きっちーさん からの返信 2011/10/04 21:01:40
- うん
- そうですね。
たしかに、まったく関係ない人が裁判おこすっていうのは、ちょっと想像できませんよね。
直接被害を受けた人以外だと、その人の配偶者や、お子さんとかお孫さんとか親兄妹とか、当事者とその家族・・まあ遠くない程度の親戚くらいですよね。
なんの裁判だかガツッと忘れましたが(汗)、養子に入って義理の親の裁判を続行させたっていうケースもありましたけど、そこまでやるのはかなりレアだと思うので。
国の認識や姿勢を裁判で問うのは、個人でなくてもまったくかまわないと思いますが。
やはり個人補償については、当事者および関係者でないと、訴えても勝てなさそうに思えます。
中国の法廷ってどんなシステムになってるのか不勉強で分からないんですが、庶民が訴訟を起こすのって、日本に限らず大変なことだろうな、と思います。
経済的な理由で理不尽な目にあっても泣き寝入りなんて、どこの国でもあってほしくないですが、なかなか難しいですよね。
そういう点で、あまり聞いたことのないようなマイナーな事件も含め、戦後補償の裁判を地道にやってる、少なくない数の弁護士さんたちは凄いなーと思います。
-
- pedaruさん 2011/09/14 05:54:09
- やりきれない思い
- きっちーさん はじめまして
七三一部隊のこと 170枚の写真を添えての、丁寧な記述を一気に読ませていただきました。 日本人として胸の塞がる思いでした。
私の甥が弁護士で、平頂山事件に取り組んでいます。日本人としての良心のぎりぎりの選択だと思います。私共も微力ながら応援しています。
私たちはせめて、事実に目を背けたり、無関心であってはいけないと思います。
たいへん有意義な旅行記をありがとうございました。
重い話題を、明るくユーモラスに表現している事に感心しました。
pedaru
- きっちーさん からの返信 2011/09/14 07:48:13
- ありがとうございます
- pedaruさんへ
書き込みをありがとうございます。
「そこまで誰も興味ないだろーなー」って毎回思うんですけど(汗)。
アジア圏の旅行が好きなもんで、行く先々で戦中後問題の根深さ向き合ってしまうと、やはり過去に起因はしていても、現代の問題でもあると考えざる得ません。
やや重めの戦跡関連の旅行記で、コメントとか読んでくださる方がいると、「ヨカッタ。文章ガタガタでも書いたかいがあったぞー」と感じます。
ちなみに、甥御さんスゴイですね!!
今回の旅行は、瀋陽故宮と平頂山事件がメインの旅行だったので、事前に本多勝一さんの古いルポのほかに、『平頂山事件とは何だったのか〜裁判が紡いだ日本と中国の市民のきずな〜』(平頂山事件訴訟弁護団)という本を読み、日本で開催された証言集会へも行ってきました。
『平頂山事件とは何だったのか』は、現地にも持っていって読み返しました。
本の中で、3人の原告の方の痛みと共に想起される、家族との思い出に涙が出ましたし、経済的・時間的な負担をおして原告の心に少しずつ近づき、「除斥」の壁に挑む弁護士さんたちの粘り強さに、手に汗握りました。
折れてしまいそうな理不尽さを正そうとする、原告と弁護団のあゆみは色んな意味で励まされるし、やっぱりスゴイと思います。
平頂山の虐殺現場も訪ねたので、前後しちゃいますが少し文章をアップしようと思います。(こちら→http://4travel.jp/traveler/need/album/10592911/)
長くなってしまってすみません。
読んだ本の関係者の方が読んでくださるなんて、ビックリするし、ちょっと感動しました。
ありがとうございました!
きっちー
きっちー
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