1990/08/14 - 1990/08/21
8522位(同エリア11181件中)
砂布巾さん
~音楽の都ウィーン、リンツ、音楽祭の町ザルツブルク、ベルヒテスガーデン、アイゼナッハ、ニュルンベルク、プラハ、空襲の町ドレスデン、虐殺の地アウシュビッツ、開戦の地グダニスク、ベルリン、ポツダムと音楽、独裁者ヒトラー、宗教改革家ルターにこだわった旅のハイライト
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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8月14日~16日 Wien~wandeln mit Niels.
ウィーン西駅到着は14日の8時15分。珍しく定刻だ。
ザルツブルクとインスブルックは卒業旅行の時に訪れていたが、ウィーンは初めて。小生にとって憧れの町でもあった。オーストリアは前述のように1938年にドイツに併合されていたので、ドイツとして敗戦を迎え、戦後は米英仏ソ4カ国の占領下からスタートした。冷戦下でドイツのように分断される恐れもあったが、1955年に中立国として独立を回復した。
早速寝場所の確保にかかる。ニールスもウィーンは初めてのせいか要領を得ない。‘Du bist Deutscher,nicht wahr?(お前ドイツ人だろ)’と言ったら、少しはにかんで笑った。最初に行ったYHは満室だったが、問い合わせてくれたYHに空室があったのですぐに向かう。 MayerhofgasseにあるこのYHは、中心部のシュテファンドームまで歩いても15分の1等地。珍しいことに浴槽付きのシャワーまである。値段もツイン 190Sと有難い値段だ。
初日は2人とも夜行列車疲れで昼寝を3時間もして町中を少し歩いた程度だったけど、2日目と3日目はシェーンブルン宮殿、 -
ベルヴェデーレ宮殿、
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(Klagenfurtのミニムンドゥスにあったヴェルベデーレ宮殿の模型)
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映画「第3の男」で有名なプラター遊園地などを見て回った。もっと町の雰囲気を味わいたかったけど、それもいいだろう。
町を歩く2人は互いにつつき合ったり‘Du bist Kind!(お前が子供だ!)’と言い合ったり、まるで仲の良い兄弟がじゃれている様だったかもしれない。 支出は遊園地(入場料は不要)で出費がかさんだのと、シュニッツェルを食べた3日目の夕食代を全部払ったので、3日間で 1,800S。1日を何とか 500Sで押さえようと思っていたので、少々予算オーバーだ。
初日に道路に飛び出したらタクシーに轢かれそうになる。異国で死ぬ訳にはいかない。 -
8月17日 Beethoven Heiligenstadt!
6時に起きて8時前にニールスを送ってウィーン西駅に行く。最初の予定では同じ列車でリンツへ行こうと思っていたが、3日間で自分の見たかった所に余り行かれなかったので、滞在を1日延ばす(シングルは 220S)ことにする。 -
最初はハイリゲンシュタット。今度こそベートーヴェンが耳の病気を苦に遺書を書いた町。地下鉄の終点から歩いてすぐの所にある。昔の面影を残し、いかにも由緒ありそうな町だ。
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公園の記念像のような気難しい顔をした彼が歩いていたのかな?と想像するだけで楽しくなってくる。作曲家として命の次に大事とも言える耳の病に冒され、後にはほとんど聞こえなくなったにも拘らず、不屈の闘志で、懐かしい「田園交響曲」、元気の出る「第7交響曲」、そして晩年の弦楽四重奏曲やピアノソナタなどの数々の名作を世に送り出した。独創性と行動力で近代日本の基礎を築いた織田信長と共に小生が最も尊敬する人でもある。
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ウィーンフィルの本拠地のムジークフェラインザールには入れなかったが、国立オペラ劇場にはツアーで入ることが出来た。
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夕方は国連機関が入っているドナウの中洲 UNO-Cityに行ってみた。同じ永世中立国でもオーストリアはスイスと異なり国連にも加盟しており、様々な国連機関も置かれている。残念ながら時間が遅いこともあって中には入れなかった。
それにしてもウィーンの美しさはどうだろう。公園も多く、その公園の中にはゆかりの政治家や芸術家の記念像がたくさんある。女帝マリア・テレジアの巨大な像は、啓蒙専制君主として名高い息子のヨーゼフ2世によって1888年に建立されたと書いてあった。 -
(王宮)
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作曲家ではモーツァルト、
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ヨハン・シュトラウス、
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ブラームス、
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ブルックナー、
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シューベルト、
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指揮者のロベルト・シュトルツ、
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などの像があった。町中を歩くとショパンやワーグナーゆかりの家があったりして、ここが芸術・文化の中心であったことを想起させる。
取り分け楽しいのが夜の本通りの町歩き。様々な音楽家達が思い思いの音楽を奏でている。そして方々から沸き起こる万雷の拍手。今日は音楽家達は殆どいなかったけど、4日の滞在中3日足を運んだ。 -
8月18日 Symphonie Nr.36 ‘Linz’
チェックアウトが12時だったし、72時間チケットを買っていたので、午前中は再び町中へ。ウィーンの地下鉄は時間によって編成が2通りに分かれる。そしてドアは自分で開けなければならず、冷房がないので少しムシ暑い。
目的地リンツに着いたのは15時。町の中央をドナウが流れ、ウィーンのような都会とはまた違った雰囲気がある。この地はモーツァルトが36番目の交響曲を僅か2日で書き上げた話が天才の天才たる所以を示す逸話として余りにも有名だ。そのモーツァルトゆかりの家は旧市街にあった。
ユニークだったのがここのYH。地下3階、地上2階の駐車場の屋上に5階、15階、20階建ての3棟のマンションが建っており、20階建ての一部がYHになっている。迷路のようで本当に分かり難く、受付を探し当てるまで30分も掛かった。ドナウの対岸の宮殿から眺めてみても、この異様な建物と、ドイツ・オーストリアにしては珍しく近代的な市役所(川沿いの建物)は町の景色にはそぐわない。
*リンツ交響曲 カルロス・クライバーの華麗な指揮で
https://www.youtube.com/watch?v=vPNDjiem27M&feature=em-subs_digest-vrecs -
昼食、夕食は立食スタンドで済ませて支出は 344S。昼食はリンツの駅で軽く食べたのだが、小生が財布を捜している間に若者がやって来て‘パンを1つ下さい。時間がないので早く’らしきことを言ったのに、おばさんは相手にしない。融通が利かないと言うべきか、それともあくまで筋を通すと言うべきか。
*YHが入っている建物 上の写真でも確認できますか -
8月19日 思い出深い、Salzburg YH
朝食は8時から。コーヒーは余り好きではないので紅茶をカップに入れミルクを注いだら、たちまちトキタマ汁。そうレモンティーだったのです。
ザルツブルクには11時到着。卒業旅行時の記憶をたどりながらYHへ向かう。卒業旅行で泊まったYHは初めて。その前回は、日本人女性とミラベル宮殿のコンサートを聴きに行ったり、間違えて2回も女性部屋の棟に行きそうになって怒られたり、零下50度!の真冬のソ連へ行って来たというとてつもない豪傑に出会ったりと様々な思い出がある。その豪傑の話がとても面白かったのが、今回のソ連行きの大きな要因の1つと言っても過言ではない。
午後は4年前に続いて町の中心部にあるモーツァルトの生家へ。自筆の楽譜や当時の家具もあるが、彼の髪の毛があったのが印象的。 -
(モーツァルト広場の像)
シリングの持ち合わせが少なくなってきたので夕食はYHで。鳥肉、ライス、ベジタブルにデザートで55S。一緒になったポルトガル人女性2人組があまり食べなかったので、2人分位食べたかもしれない。 -
(復元前の住家)
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8月20日 ザルツブルク音楽祭 Salzburger Festspiele
7月から8月に掛けては世界的に有名なザルツブルク音楽祭。期間中は毎日のようにどこかでコンサートが開かれている。1つで良いから参加したいと思って、20時半からのピアノ、ヴァイオリン、チェロによるコンサートに行く。値段は一番安かった 240S。曲目はモーツァルト、スメタナとベートーヴェン。会場は80人位しか入らない小じんまりとした所。その内日本人が20人位いた。演奏の前や合間にカメラをパチパチやっているのは大抵日本人。開始直前にカメラが巻き戻しを始めたのはヒンシュクもの。楽章の合間にも拍手をする観客のマナーももう1つ。ヴァイオリン奏者が呆れた顔をしていたのが印象的。 -
8月21日 雨男の汚名返上ならず~ベルヒテスガーデン Berchtesgaden
昨日の午前中は列車で1時間のBRDのベルヒテスガーデンへ行った。ワーグナーの熱烈な後援者でもあったバイエルン王ルードヴィッヒ2世ゆかりのケーニッヒ湖(王様の湖)とヒトラーの別荘のあったことで有名な所だ。1日で両方行けると思っていたのだが、クルーズ船で時間を取られたのと、コンサートで早目に帰らなければなかったので、結局湖しか行かれなかった。その湖は山々に囲まれ正に神秘の湖といった感じ。真中で演奏されたトランペットが山々にこだまする。 -
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今日はヒトラーの別荘ケールシュタインに行った。高度は1,834m。絶壁の岩山がそそり立つように聳えている。しかし残念なことに雨模様の天気でツークシュピーツと同様景色が殆ど見えない。俺は思う。ドイツで一番美しいのはここだと。だから今度もう一度天気の良い日にゆっくり行ってみたい。
バスでザルツブルクに帰って、YHで16時からビデオで放映されていた映画‘サウンド・オブ・ミュージック’を観る。この映画はナチスがオーストリアを併合した頃の話。トラップ大佐は、ナチスに反対する愛国者だった。高校2年生の時以来何回も観たけど、ザルツブルクの美しさと相俟って素晴らしい映画だ。
今日の夜行でDDRへ行き、明日はライプツィヒでバッハのお墓参りだ。来週月曜には帰って来ることになった。嬉しいことにベルリンフィルの切符を買うことができた。 1,340Sだから約¥20,000。今から興奮を隠し切れない小生。
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