2007/03/17 - 2007/03/17
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スキピオさん
【サン・シュルピス教会内のオベリスク】
《エジプトの巨大オベリスク。
輝くローズ・ラインはここから九十度上に向きを変え、オベリスクの表面をたどって約三十三フィートの高みまでのぼり、ピラミッド形の突端でようやく終わっていた。
ローズ・ライン。組織はキー・ストーンをそこにかくしたという》(『ダ・ヴィンチ・コード』上、p.194 角川文庫)
ルーヴル美術館の館長を殺害した狂信者シラスは手にかけた者たちの情報をもとに、このサン・シュルピス教会にやって来た。目的は、キリスト教そのものを根底からひっくり返すほどの秘密を封印しているキー・ストーンを手に入れること。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- 大韓航空
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-
【サン・シュルピス教会】
《サン・シュルピス教会は、パリの建造物のなかでもとりわけ数奇な歴史を持つと言われている。エジプトの女神イシスを祭る古代の寺院の跡に建てられたもので、建物の床面の形はノートル・ダム大聖堂とほぼ一致する》『ダ・ヴィンチ・コード』p161
この教会が「とりわけ数奇な歴史」を持つかどうかわからないが、1646年から工事が始まり1749年に完成した。17世紀の典型的なクラシック様式をもつ。両塔の高さは70メートル、長さ約140メートル、幅56メートル、確かに単なる教会にしては規模は大きい。
また、教会の前身がイシス女神を祭る寺院だったとは、考えにくい。もっとも、イシス女神はウェヌスなど豊穣の女神と同系列だから、キリスト教以前に何かあったかも知れない。それなら、たいていの聖地はそうなってしまう。
サン・シュルピスの歴史はキリスト教的には10世紀くらいまでさかのぼれば十分だろう。そのとき、以前の墓石を掘ったらしいので、墓場だったかも知れない。 -
【教会前庭の噴水】ルイ・ヴィスコンティ(1791-1853)作
このライオンの口から水を吐き出す噴水には、ルイ14世時代のもっとも有名な説教師の像が彫られている。ボシュエ(1627-1704)、フェヌロン(1651-1715)、フレシエ(1632-1710)、マシヨン(1663-1742)の四人だ。とりわけ「モーの鷹」の異名をとったボシュエの演説は文学作品とまでなるほど有名だ。
もちろん彼らは「シオン修道会」とは関係ない。もし彼らがアメリカ人にもっと知名度があったら、関連づけられたかも知れない。 -
【聖パウロ像】M. トマ作
聖パウロは、教会のポルタイユ(正面入り口)を飾る12使徒の一人だが、厳密に言うと使徒ではない。だから、最後の晩餐のときに彼の姿は見えない。
それもそのはず、彼はその当時(イエス処刑時)、ユダヤの立法を重んじるパリサイ派に属し、イエスたちを迫害する側にあったからだ。そんな彼が更なる迫害に手を貸そうとダマスカスに向かう途中、処刑された筈のイエスが光となって現れるとその奇跡に心打たれ、もっとも激烈なキリスト教徒となる。
激しい気性を表しているのか、罰を下すしるしとして剣を、使徒たちの中で唯一の知識人で福音書を著したしるしとして書か巻物を持つ。
皇帝ネロの時、ローマで殉教する。
教会の入り口を聖ペテロとともに飾る。 -
【聖ペテロ像】M. トマ作
12使徒のひとり、聖ペテロはいつも手に鍵を持つ。この鍵はイエスの信頼が最も厚いしるしとして、主から預かった天国の門の鍵だ。生前の行いによっては、彼は門を開けることを拒否する。
彼は、皇帝ネロの時に殉教する。その時、イエスと同様に十字架に掛けられそうになり、主と同じではもったいない、と言って、逆さ十字に掛けられた。カトリックは彼を初代教皇とし、総本山を彼の殉教の地、ローマにおいた(サン・ピエトロ大聖堂)。
聖ペテロは、フランス語で Saint Pierre と言う。だから、モンマルトルにあるサクレ・クールの隣の「サン・ピエール教会」を始め、サン・ピエール教会はたくさんある。おもしろいことに pierre とは、フランス語で「石」のことだ。
これは、12使徒の一人、一徹者のシモンをイエスが「岩(ペテロ)」と名付けたことによる(シモンという名の弟子が二人いたので)。もちろん、イタリア語では「ピエトロ」、英語では「ピーター」となる。
注:今年の春は修復中だったため、2004年の春に撮った写真です。 -
【神殿を追われるヘリオドロス】
堂内に入るとすぐ右手に、「天使の礼拝堂」がある。ここにウージェーヌ・ドラクロワは壁画を二枚、天井画を一枚描いた。
この絵は右手の壁画で、旧約聖書の一場面が描かれている。
エルサレムを占領したシリアのヘリオドロス(前175年没)は神殿の財宝を略奪しようとするが神に阻まれ、神殿から追われる。 -
【聖ミカエルと竜】ドラクロワ作
ご存知、聖ミカエルの竜退治。 -
【天使と闘うヤコブ】ドラクロワ作
《そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。・・・略・・・「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と闘って勝ったからだ」・・・略・・・こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである》創世記32
ヤコブはアブラハムの孫で、彼の12人の子供たちがイスラエル12氏族となる。 -
【ミサ中の堂内】
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【教会内】
普段はパイプ・オルガンのある二階部分には上がれないのだが、このとき(2006年夏)は許可されていた。
この右の翼廊から一本の線が床面を北へとよぎる。
《あれだ。
灰色の花崗岩の床に細長い真鍮片が埋め込まれ、金色の線が教会の床を斜めに横切っている。線に定規を思わせる目盛りが刻まれているいるのが見える。指時計(グノモン)といい、異教徒が作った日時計のようなものだと、シラスは教えられていた・・・略
ローズ・ライン。》(『ダ・ヴィンチ・コード』pp.193-4)
オプス・デイの高位聖職者の言葉を絶対視しているシラスはこのグノモンについても違った解釈を与えられている。というのは、この真鍮のラインは、異教徒の産物ではなく、18世紀にパリ天文台によって作られたもので、復活祭を決定するために春分の日を確認するためのものだ。 -
【オベリスクの台座部分とグノモン(指時計)】
南の翼廊から真北にのびるグノモンは北壁にあるオベリスクの台座にぶつかり、上に上がる。
《キー・ストーンはローズ・ラインの下に隠されている。
サン・シュルピス教会のオベリスクの根もとに。
・・・略・・・
・・・オベリスクに向かってひとつずつ叩く。ついにそのうちの一枚が奇妙な音を立てた。
この下は空洞になっている!》『ダ・ヴィンチ・コード』p.212
こうしてシラスは、この台座の根元を鉄製の燭台で叩き割り、一枚の石板を手に入れる。そこには《ヨブ 38 11》と書かれていた。
ヨブ記38章11節を開くと「ここまでは来てもよいが越えてはならない」とある。シラスは、己が手にかけた者たちにだまされたことを知り、愕然とする。 -
【オベリスクの台座・・・日時計についての説明】
《世界共通の本初子午線の基点としてグリニッジ天文台が公認される以前、フランス人にとってのゼロ度の経線パリのサン・シュルピス教会を通っていた。真鍮の標線はその事実を記念したものであり、一八八四年にグリニッジにその名誉を奪われたものの、元来のローズ・ラインとして今も残っている》『ダ・ヴィンチ・コード』p.196
こう書かれているが、フランスのゼロ度の経線は、すぐ隣のリュクサンブール宮殿・庭園を通り、パリ天文台を貫いている。
この真鍮のラインは、ローズ・ラインというよりも前にも書いたが、日時計なのだ。 -
【日時計の説明】
太陽が天頂にあるとき、南の翼廊にある窓のレンズを通して光線が堂内に入る。
夏至の時が一番右の地点に、冬至の時が左のオベリスクの台座に、春・秋分の時には真ん中の地点に光が達する。
かつて復活祭の日を決めることは教会の重大事だった。復活祭の日は春分の後の最初の満月の次ぎにくる日曜日だから、毎年、春分の日を確実に決定しなくてはならない。 -
【オベリスク】
小説では33フィートと表現されているこのオベリスクは、フランス風に言えば10メートルだ。人と比べるとその大きさも想像がつく。それにしてもアメリカの小説は長さや重さがメートル法でないので読みにくい。この小説はフランスが舞台なのだから、度量衡はすべてメートル法に換算して欲しかった。 -
【トリノの聖骸布の写真】
どういうわけか、あの有名な「トリノの聖骸布」の写真が展示されていた。 -
【教会内陣】
小説『ダ・ヴィンチ・コード』では、だまされたことを知ったシラスは、教会の二階に寝起きしてしたシスター・サンドリーヌに怒りを向ける。
《修道僧(シラス)の目の奥で、突然怒りの炎が燃え上がった。突進しながら、燭台を棍棒がわりにして殴りかかる。崩れ落ちる瞬間、シスター・サンドリーヌが最後に感じたのは、抗いようのない絶望感だった》『ダ・ヴィンチ・コード』p.250
この死ぬ瞬間のシスターの気持ちがどうしてわかるのだろうか。だれが、これを報告しているのだろうか。こういう小説の書き方はきわめて古い書き方で、作者は「神の視点」を持つと言われる。この技法は近代小説ではなくなったが、こういう大衆小説ではまだ平気で使われているようだ。 -
【聖水盤】ジャン=バチスト・ピガール作
この貝殻はヴェネチア共和国からフランソワ1世に贈られたもので、後ルイ15世からサン・シュルピス教会に寄贈された。この台座を作ったのが、モンマルトルのふもとのピガール広場の名で名高い彫刻家ピガール(1714-1785)だった。
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