2026/10/01 - 2026/10/01
308位(同エリア403件中)
ポールさん
この旅行記のスケジュール
2026/10/01
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イチャン・カラ
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ヌルッラバイ宮殿
この旅行記スケジュールを元に
ヒヴァ2日目の中編です。
旅の全体日程は以下のとおりです。
1日目:成田空港→タシュケント空港(タシュケント泊)
2日目:タシュケント空港→ウルゲンチ空港→ヒヴァ観光(ヒヴァ泊)
3日目:ヒヴァ観光(ヒヴァ泊)
4日目:ヒヴァ→ウルゲンチ空港→ブハラ空港→ブハラ観光(ブハラ泊)
5日目:ブハラ観光(ブハラ泊)
6日目:ブハラ観光→ブハラ駅→サマルカンド駅(サマルカンド泊)
7日目:サマルカンド観光(サマルカンド泊)
8日目:シャフリサブス観光(サマルカンド泊)
9日目:サマルカンド観光→サマルカンド駅→タシュケント中央駅(タシュケント泊)
10日目:タシュケント観光→タシュケント空港→(機中泊)
11日目:成田空港
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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シルガジ・ハン・マドラサ(Shirgazi Khan Madrasah)です。1718年から26年の間に建てられたもので、ヒヴァで3番目に古いマドラサです。
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平面図です。
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現在は「薬学博物館」として使用されています。
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中庭から、イスラム・ホージャ・マドラサのドームとミナレットが見えます。
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ジュマ・モスク(金曜モスク)、地域のイスラム教徒が金曜日の集団礼拝のために集まる主要モスクです。外観は、高さ約4.5mの土壁に囲まれているのみと極めて簡素で、アーチ型のポータル(正面入り口)、ドーム、広い中庭などは存在せず、高さ42mのミナレットがそびえ立つのみです。
しかし、ひとたび薄暗い堂内へ足を踏み入れると、そこには212本の精緻な彫刻が施された木柱が林立し、まるで「木の森」のような神秘的な空間が広がっています。 -
ミナレットは、非常にシンプルで素朴な佇まいが特徴で、焼きレンガ積みの堅牢な塔です。内部には上部のテラス(見張り台・呼びかけ所)へと続く狭い螺旋階段が設置されています。底部は直径約6.2mと太く、上部にいくにつれて徐々に細くなっていく円錐形の構造(テーパー構造)をしています。また、アクセントとして数本のトルコブルーのタイルの帯があり、建物に引き締まった印象を与えています。
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「多柱式(多数の柱を等間隔に並べて平らな屋根を支える建築様式)」は、アラビア半島や北アフリカの初期イスラム建築によく見られる形式ですが、ヒヴァの場合は、木材が極めて貴重な砂漠地帯において、あえて木柱を多用することで、オアシスの象徴である「森」を人工的に再現しようとした文化的背景が指摘されています。
10世紀に建てられたオリジナルのモスクは、その後のモンゴルの来襲や度重なる戦乱、風雨による老朽化によって次第に荒廃していき、現在のジュマ・モスクとミナレットは、1788年~1789年の大規模な再建工事によって形作られたものです。この再建の目的は、単に老朽化した建物を直すことだけではなく、44.78m×56.9mという広大な面積を持ち、一度に約5,000人もの信者を収容できる巨大な空間は、新体制の権威と政治的安定を内外に誇示するための象徴となりました。
過去のモスクが倒壊したり放棄されたりした際、貴重な木柱は廃棄されることなく、新たなモスクの建設時に再利用されました。過酷な砂漠環境において、木材、特に使用されているカラガチ(Karagach:非常に硬く耐久性に優れたニレ科の木材)やプラタナス、クルミなどは宝石のように貴重でした。古い時代の柱を意図的に組み込むことは、単なる資源の節約にとどまらず、「過去の信仰の歴史と聖性を新時代へ継承する」という深い精神的意義も持っていました。 -
ジュマ・モスクの平らな木造の天井は、212本の木製彫刻柱で支えられており、それらは3.15m×3.15mの厳密なグリッドに沿って整然と並べられています。柱の年代については、以下のことが判明しています。
・10~11世紀のもので、古都キャト (Kyat) の廃墟やバグバンリ・モスク (Bagbanly mos|que ) から移築された。4本。
・モンゴルの侵攻以前の10~12世紀のもの。21本。
・1316 年や1517 年といった具体的な年号が刻まれているもの。複数本。
・上記以外は、1788~89年のアブドゥッラフマーン・メフタール(Abdurahman Mehtar)らによる再建時以降に制作されたもの。 -
団体ツアーの皆さんが昼食中ですいている時間帯を狙って、12時頃に入場しました。人が写り込んでいない写真が撮り放題なのはいいのですが、事前情報、現地の説明板等がほとんどないので、どれが古い柱なのかなどよく分かりません。
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12時半頃から団体ツアーが入場し始めたので、ガイドさんが詳しく説明する部分に注目することにしました。しかし、ドイツ語やスペイン語(多分)のガイドが多く、説明内容は分かりません。英語ガイドの団体も来ましたが、ガイドさんにあまり近寄る訳にはいかないので、これもよく聞き取れません。一組だけ日本語のツアーも来ましたが、そのガイドは「ここには、いろいろな時代の柱が212本立っています」と言っただけで、あとは自由見学にしていました。他の言語のガイドが詳しく説明している(と思われる)のと比較して相当お粗末なようでした。日本言のようなマイナーな言語のガイドは、ただ話せるというだけで、歴史や文化に関する知識はあまり期待出来ないこともあるのでしょうね。皆がそうだとは思いませんが。
というわけで、25本あると言われる古い柱がどれかは分かりませんでしたが、そうではないかと思われる柱を撮影しておくことにしました。 -
東の明かり取り周辺やミフラーブの近くに古い円柱が多いとのことです。ガイドさんの多くはこの場所で最初の説明をしていました。
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この柱を英語ガイドの人が詳しく説明していました。
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帰国後に調べたところ、「仏陀の姿が刻まれている」としている資料がありました。イスラム教のモスクに仏陀とはとも思われますが、元々この柱が立っていたのは別の建物のようですし、最も古い時期の柱であれば、まだこの地方ではイスラム教の受容も過渡期だったので、仏陀の姿ということもあり得るかもしれません。
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イチャン・カラを西門から出て、ヌルッラバイ宮殿に向かいます。
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ヌルッラバイ宮殿敷地入口の門です。(別料金)
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ムハンマド・ラヒム・ハン2世(在位:1864~1910年)は、従来の伝統的で閉鎖的な宮殿とは一線を画す、ヨーロッパ様式を取り入れた、開放的で豪奢な離宮(夏の王宮)の建設を構想しました。しかし、当時イチャン・カラの内部は極度の過密状態で、新たな宮殿や広大な庭園を造営するためのスペースは残されていなかったため、ディシャン・カラの広大な敷地に新たな「夏の王宮」を建設することになりました。
選ばれた土地の所有者は、裕福な大商人「ヌルッラバイ」という人物でした。絶対君主制の国家において、王が民間の土地を強制的に収用することは容易でしたが、ハンはヌルッラバイに対し、適正な価格での土地の売却を丁重に打診しました。ヌルッラバイは、『ヌルッラバイ』という前を宮殿に冠することを条件に土地を譲り渡すことに同意しました。
宮殿の本格的な造営は1906年に開始されました。初期の工事は、ハンの私的居住区や護衛の控え室、中庭を囲む伝統的な空間の造営でしたが、1910年に息子のアスファンディヤル・ハンが即位すると、宮殿の造営計画はさらに壮大なものへと変貌を遂げました。彼は、外国の要人をもてなすための完全に西洋式の「公式応接間(迎賓館)」を別棟として建設するよう命じました。当時のヒヴァ・ハン国は財政が困窮しており、首席宰相イスラム・ホジャは強硬に反対しましたが、ハンはこれを押し切り、莫大な予算を投じて建設を強行、1912年に世界にも類を見ない東西ハイブリッドの宮殿が完成しました。
しかし、この絢爛豪華な宮殿でアスファンディヤル・ハンが栄華を極めた期間はごくわずかでした。1918年にアスファンディヤル・ハンは政争の果てに暗殺され、1920年にはソビエト赤軍の支援を受けた革命勢力によってヒヴァ・ハン国は完全に滅亡ました。王政の崩壊に伴い、ヌルッラバイ宮殿は没収されて国有財産になりました。
ソ連時代を通じて、政府の庁舎、教育施設、博物館等に転用される中で、老朽化が進行していきましたが、2017年、宮殿の全面的な大規模修復プロジェクトが実施され、建設当時の東西ハイブリッド様式の輝きが蘇りました。 -
ハレムなどのある中心建物の入口です。
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ハレムの中庭です。4人の正妻それぞれに対して、全く同じ規模の「中庭、アイヴァン、ハンの巡回用の寝室、使用人室」が割り当てられていました。
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公式応接間(迎賓館)です。宴会場、待合室、ハンの居室などがあり、外国からの使節や高官を驚嘆させるためだけに設計された、東西の様式が衝突し、融合する特異な空間です。
壁面は「ガンチ」と呼ばれる中央アジア特有の石膏を用いた立体的な彫刻細工で埋め尽くされています。通常のヒヴァのガンチ装飾は青と白を基調としますが、ここではロシア経由で流入したヨーロッパのアール・ヌーヴォー様式の影響を強く受け、赤や深緑、そして惜しみなく使われた金箔によって極彩色に彩られています。天井はヒヴァの熟練職人たちが精緻なガンチ細工を施し、その表面に薄い金箔を張り付けています。天井や壁面に、ロシアから招かれた画家たちにより「花」や「キューピッド」が油彩で描かれている部屋もあります。イスラム教では伝統的に偶像崇拝が禁じられており、人物や天使を建築装飾に描くことは極めて異例です。「イスラムの伝統的な幾何学模様・三日月」と「キリスト教圏の具象的なキューピッドの絵」が一つの部屋の天井に同居している光景は、この宮殿が過渡期に建てられたことを物語っています。
床面には、洗練されたヨーロッパ風の「パルケット(寄木細工)」が敷き詰められています。サンクトペテルブルクから運ばれた木材を使用し、当時ヒヴァに居住していたドイツ系の職人集団とサンクトペテルブルクから派遣された専門家が共同で施工しました。彼らが持ち込んだ高度な木工技術は、重厚な木製ドアや開閉式の巨大な窓枠の製造にも活かされ、高い気密性とともに宮殿に西欧のモダンな息吹とを吹き込みました。
主な部屋には、ロシア皇帝ニコライ2世から贈られた豪華絢爛なクリスタル・シャンデリアが吊るされています。これらを灯すための発電機がロシアから持ち込まれ、敷地内に設置されました。夜の闇に沈む中世都市ヒヴァの中で、この宮殿の巨大なガラス窓からのみ煌々と漏れ出るシャンデリアの眩い光は、単なる照明器具としての役割を超え、周囲の民衆や訪れた外交使節たちに対して「新しい西洋のテクノロジーを意のままに操る君主の圧倒的な権力と富」を見せつける、極めて強力な政治的プロパガンダの装置として機能しました。 -
テラスが、アイヴァン風になっています。
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以下、各室の用途については、情報が少なく不正確な部分もあります。
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①「待合室」、外庭から建物内へ入って最初の部屋です。天井には、ヒヴァの熟練職人(ウスタ)が手がけた緻密なガンチの立体彫刻が施されています。これに続く「大レセプションルーム」の圧倒的な金箔装飾をより引き立てるため、この部屋の天井はあえて金箔の量を抑え、清々しい純白の漆喰をベースに、淡いスカイブルーやピンクの油彩絵の具を繊細に塗り分けた、非常に上品で爽やかなデザインになっています。
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部屋の隅には、ロシアのサンクトペテルブルクの窯元から分解して運ばれ、現地で組み立てられた高級磁器製の暖炉が設置され、壁面には、ヨーロッパの宮廷建築でよく見られる「リボン」や、リボンから吊り下がった「花飾りの綱(ガーランド)」の優美なペイントが施された壁紙が貼られ、イスラム伝統の幾何学模様とは明らかに一線を画す、西洋ロココ調への強い憧れが示されています。
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窓辺には、天井の水色と調和する、深く美しいロイヤルブルーのカーテンがかけられています。
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②「大レセプションルーム」です。外国からの使節や国内の高官・大貴族たちを盛大にもてなすための部屋で、ハンの権威を強烈に印象付けるための圧倒的なスケール感と豪華な洋風意匠が特徴です。
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天井を彩るのは、ヒヴァ伝統の細密なガンチ細工の立体彫刻です。そこへロシアから招かれた絵師たちの手によって、優美な植物や花々のモチーフが油絵の具で鮮やかに塗り分けられています。装飾の随所には金箔があしらわれており、中央に吊り下げられた大型のクリスタル・シャンデリアの光を反射して、部屋全体が非常に華やかにきらめく設計になっています。
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壁面のガンチ細工です。
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床面には、最高級の寄木細工(パルケット)の床板が完璧な状態で保存されています。
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③奥の部分が独立した部屋のようになっているのは、単なる建築構造上の都合なのか、あるいはハンが座る特別なスペースとして意図されているのかよく分かりません。
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③の部分の天井です。
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④「八角形の間」、この建物で最も豪華に装飾された部屋です。ハンの私室・書斎ですが、「王座の間」として謁見なども行われていたかもしれません。八角形は、当時イギリスのマナーハウスなどで流行していた「スモーキングルーム(喫煙室・大人の社交私室)」を意識して取り入れられたと言われています。
壁面には、当時としては最高級品だった「ヴェネツィアン・グラス」の大型鏡が、等間隔に計8枚配置されています。等間隔に配置されているため、部屋の中央に立つとすべての鏡に自分の姿が映り込みます。さらに、対面する鏡同士が光を反射し合う「合わせ鏡」の効果によって、鏡の回廊が無限に奥へと続いているかのような、圧倒的な奥行きと開放感を生み出しています。 -
天井は、「本物の羽と本物の宝石をガンチ細工と融合させている」とのことです。
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壁面には、ヒヴァ伝統の細密なガンチ細工が施され、その上から金泥の塗装がされています。
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【説明板より】19世紀初頭、ヒヴァ・ハンに宛てられた書簡。イランおよびアフガニスタンとイギリスとの間の戦争の終結、ヘラートのアフガニスタンへの返還、そしてアフガニスタンのアミールであるドースト・ムハンマドの息子がヘラートの統治者に任命されたことについて記されている。
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⑤宮殿を訪れた賓客が、ハンとの公式な謁見や、祝宴を前に待機した部屋です。
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ここの天井は他の部屋と異なり、より幾何学的な区切りが強調された意匠を持っています。ヒヴァの職人たちの手によるガンチ細工が緻密な立体パターンとして天井を埋め尽くしています。そこに本物の金箔がふんだんにあしらわれています。
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大理石の暖炉は、イオニア式の円柱やギリシャ風のメアンデル模様(雷文)、精巧な鋳鉄製の格子で装飾されています。
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⑥ハンの居室です。
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天井の中央部分には、ヒヴァのガンチ細工の職人たちが、イスラム文化の象徴である「三日月(クレセント)」と「太陽」の複雑な幾何学模様のパターンを美しく描き出しています。それに対し、四方には、ロシアから招かれた画家たちによって、油絵の具で「4人のキューピッド(各辺に1人ずつ)」が描かれています。
イスラム教の建物に偶像である「天使(具象画)」が描かれるのはタブーでしたが、当時のアスファンディヤル・ハンや宰相イスラム・ホジャが、ロシア帝国(ヨーロッパ)との強固な結びつきと、新しい時代の最先端のモダンを王宮に表現しようという意志が表れています。 -
⑦ハンが寝室などとして使用した部屋です。
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天井を埋め尽くすのは、ガンチ細工の植物・幾何学文様で、ゴールド(金箔)、淡いクリーム色や薄いピンク、スカイブルーが絶妙なバランスで彩色されています。
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家具はドイツ製です。
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