2026/10/01 - 2026/10/01
307位(同エリア403件中)
ポールさん
この旅行記のスケジュール
2026/10/01
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デシャン・カラ
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イチャン・カラ
この旅行記スケジュールを元に
ヒヴァ2日目の前編です。
旅の全体日程は以下のとおりです。
1日目:成田空港→タシュケント空港(タシュケント泊)
2日目:タシュケント空港→ウルゲンチ空港→ヒヴァ観光(ヒヴァ泊)
3日目:ヒヴァ観光(ヒヴァ泊)
4日目:ヒヴァ→ウルゲンチ空港→ブハラ空港→ブハラ観光(ブハラ泊)
5日目:ブハラ観光(ブハラ泊)
6日目:ブハラ観光→ブハラ駅→サマルカンド駅(サマルカンド泊)
7日目:サマルカンド観光(サマルカンド泊)
8日目:シャフリサブス観光(サマルカンド泊)
9日目:サマルカンド観光→サマルカンド駅→タシュケント中央駅(タシュケント泊)
10日目:タシュケント観光→タシュケント空港→(機中泊)
11日目:成田空港
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ホテルの朝食会場は、眺めのよいオープンエアのテラスです。
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ヒヴァには、「イチャン・カラ(内城)」の外側に「デシャン・カラ(外城)」が築かれていました。イチャン・カラの南門の外にその一部が残されています。デシャン・カラは全長約6.25kmに及び(イチャン・カラは全長約2.2km)、周囲の部族や外敵からの略奪や攻撃から一般市民と街全体を守るために、アッラー・クリ・ハンの命により1839年に建設が始まり1842年に完成しました。イチャン・カラの内部が王族や特権階級の空間だったのに対し、イチャン・カラとデシャン・カラの間の空間は、商人、職人、農民たちが生活を営む場所であり、また賑やかなバザールが広がる商業の拠点でした。
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外側から見たデシャン・カラです。
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全体的にきれいに修復されていますが、一部修復前の状態を残してあります。
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イチャン・カラの南門と城壁です。中央アジアと西アジアの各都市に存在する内城のうち、無傷の状態で保たれているのはヒヴァのイチャン・カラのみであり、封建的・イスラーム的都市国家を知る上で一級の資料になっています。
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南門は「石の門(トシュ・ダルヴァザ)」と呼ばれ、東門周辺で商業が爆発的に発展していた1830年代から1840年代にかけて、アッラー・クリ・ハンによって建設されました。カスピ海方面からの敵やキャラバンを監視するため、門の内部に4つの部屋(チャンバー)を作り、衛兵や税関員が常駐できる構造となっています。ファサードの両脇には巨大な防衛塔がそびえ立ち、外部からの侵入者を威圧しました。
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南門からは、城壁に登ることができます(別料金)。門内の写真左側の部屋がチケット売場で、右側の部屋の中に登り口があります。
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北門からも城壁に登ることができますが、こちらの方がイチャン・カラ内部の眺望がよいようです。
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城壁の開口部から外を見ています。
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城壁に接してお墓が数多くあります。
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イスラム・ホージャ・マドラサとミナレット、1910年の竣工です。ヒヴァ・ハン国の宰相イスラム・ホジャ(Islam Khoja / 1872~1913年)は、私財を投じて、このマドラサとミナレットやヒヴァ初となる西洋式病院、郵便・電信局、薬局、綿花工場、さらには橋や道路などのインフラを次々と整備しました。
高さ56.6mのミナレットは、ヒヴァで最も高く、ブハラの「カラーン・ミナレット(高さ48m)」を凌ぎ、中央アジア全体でも屈指の高さです。市内最大の高さの塔と、市内で最も小さなメドレセを並置することで、強烈なコントラストが生み出されています。天を指差す巨大なミナレットが「未来への飛躍と近代化の野望」を象徴、足元の小さなマドラサは「イスラムの伝統と深い精神性への回帰」を意味しています。 -
このミナレットは、下から上に向かって徐々に細くなる先細りの形状をしており、また、塔の表面は無釉の素朴なレンガと、マヨリカタイルの帯が交互に配置された縞模様になっていますが、このタイルの帯の幅は塔の上部に行くほど狭くなっています。これらにより、地上から見上げた際に、実際の56.6mという数値以上に塔が高く、そして細くエレガントにそびえているように見えます。
頂上部には「ムカルナス」が施されたコーニス(軒蛇腹)とアーチ型のランタン(見張り台・アザーンを響かせる空間)が設けられています。 -
正面のピシュタクには、ミナレットとお揃いの精緻な青いタイル装飾が施されています。中世のイスラム建築様式を忠実に再現しつつ、建設された時代(20世紀初頭)の最新の建築技術も取り入れられています。
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二階の通路が半ドームの下に設けられています。
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マドラサの内部は現在「ヒヴァ応用美術館(Museum of Applied Arts)」になっていて、18世紀から20世紀にかけてのホラズム地方の精緻な木彫り細工、陶器、銅製の食器や硬貨、金属細工、ウズベクやトルクメンの伝統的な絨毯などが展示されています。
この部屋は、ドーム天井を持つモスクだったもので、マドラサで最も広い空間です。 -
ミフラーブは精巧なマヨリカタイルとガンチ細工で華やかに飾られています。
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説明板には、「13世紀の柱の一部」とあります。そうであれば、モンゴルの侵攻の前のものである可能性もありますが、3本ともそうなのか、どの建物にあったものか等は分かりません。
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説明板には、「Arabkhan mosqueにあった天井の一部、17世紀」とあります。
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説明板には、「Arabkhan mosqueにあった柱の一部、17世紀」とあります。
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説明板には、「両開き戸、19世紀」とあります。
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【説明板より】「ガンチコルリク」(漆喰彫刻)は、世界の建築史に足跡を残してきた古くからの芸術様式です。中央アジア、とりわけホラズム地方で生み出された作品は、その独特な芸術性、構成、そして巧みな技法によって際立っており、そこに施された精緻な文様には、ホラズムの人々ならではの個性が反映されています。
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中庭から、モスクのドームとミナレットが見えます。
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「パフラヴァン・マフムド廟(Pahlavan Mahmoud Mausoleum)」です(別料金)。パフラヴァン・マフムド(1247年~1322年)は職人の家庭に生まれ、彼自身も生涯を通じて毛皮職人(帽子職人)として働き生計を立てていましが、彼の名を不朽のものとしたのは、その並外れた「肉体的な強靭さ」と「精神的な深み」の融合です。
彼は「ペフラヴァン(Pahlavan=ペルシア語で『英雄』や『屈強な格闘家』を意味する称号)」の名の通り、中央アジアの伝統的なレスリング(クラッシュ)の無敗の王者でした。しかし、彼は単なる腕自慢の力士ではなく「スーフィズム(Sufism)」の深い実践者でした。スーフィズムとはイスラム教の神秘主義思想で、神の教えを形式的な律法として守るだけでなく、禁欲的な修行や詩、音楽、舞踏を通じて自我を滅却し、神との直接的な一体化を目指す信仰形態です。中央アジアでは、民衆の救済や共同体の結束を強める役割も果たしました。
また、マフムドはペルシア語による約300編のルバイヤート(四行詩)を残したとされています。彼の詩は、この世の無常、人間の偽善、そして愛と勇気を謳い上げ、形式主義的な宗教権威を痛烈に批判する哲学的なものでした。しかし残念ながら、彼の作品は廟の壁面に刻まれたものを除き現存していません。
彼の死後、その武勇と高潔な人格を慕う人々によって彼はヒヴァの守護聖人(ピール)とされ、彼の小さな墓は中央アジア全域から巡礼者が絶えない神聖な霊場になりました。その上に、最初のささやかなドームが架けられたのは1664年のことで、その後、巡礼者の増加に伴い、本格的な複合建築への拡張が始まりました。
1701年、シャフニヤズ・ハン(Shohniyoz Khan)によって、建物の南側に霊廟の入口門が築かれ、また、より本格的な泥煉瓦の廟が建設されました。
1719年、シェルガジ・ハン(Shergazi-khan)が、霊廟の南側に新たなマドラサを建設しました。
1810年、ムハンマド・ラヒム・ハン1世(Muhammad Rahim Khan I)は、正式にマフムドをヒヴァの守護聖人とし、複合建築の抜本的な大改修を開始しました。古い墓を包み込むように、高い二重ドームを持つ広大な建物が造られ、その中央大ホールはハナカとして使用されるとともに、巡礼者用礼拝堂(Ziyaratkhana、ジヤラート・ハーナ)も設けられました。
アッラー・クリ・ハンの時代の1825年に、東翼の拡張などを含む一連の主要建築群が完成しました。
1913年、イスファンディヤル・ハン(Isfandiyar Khan)の命により、中庭の西側に2階建てのコーラン読誦所であるコホリナ(兼モスク)、その向かいの東側にアイヴァン(夏用モスク)、モスクの隣に霊廟が建てられました。この霊廟はイスファンディヤル・ハンとその家族のために設計されたもので、彼の母と息子、そしてイスファンディヤル・ハン本人のための3つの石棺が安置されています。 -
門はタイルで装飾されておらず、シンプルで力強いレンガ造です。
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入口は美しく装飾されています。
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オリジナルの門扉が展示されています。イスラム教の信条とともに、「1701年に、シャーニヤズ・ハンにより大規模な改築が始まり、その後に複合施設が造られていった」という碑文が刻まれています。
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視覚障害者のための模型です。複合施設の全体像がよく分かります。
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平面図です。下のサイトから借用しています。
https://worldheritage.blog/uzbekistan/pahlavon-mahmud/ -
大ドームのある霊廟のピシュタクです。
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入口上部には透かし彫りの開口部があります。
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ムハンマド・ラヒム・ハン1世により増築されたハナカ(khanqah、イスラム神秘主義者の修道場)です。
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ドーム天井には、8本の稜の間に花瓶のような形のメダリオンがタイルで表されています。
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各装飾の間には、パフラヴァン・マフムドのルバイヤート(四行詩)が刻まれたタイルが貼られています。
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ハナカの正面にムハンマド・ラヒム・ハン1世の石棺が安置されています。彼は、ハナカの北壁に自らの霊廟のための場所を確保し、参拝者が最初に目にするのが自身の墓となるようにしました。
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石棺は壇の上に置かれ、壇にはマフムドの詩が刻まれています。
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墓室のまわりも繊細な紋様のタイルで覆われています。
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アブル・ガジ・ハーン(Abulghazi Khan、在位1643-1663)とその息子のアヌシャ・ハーン(Anusha Khan、在位1663-1687)の石棺は、ムハンマド・ラヒム・ハン1世の墓室近くの北側壁付近に並んで安置されています。
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美しいマヨルカタイルです。
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ムッラー(Mullah、イスラム教の礼拝指導者)が、巡礼者のためにコーランの祈りを詠唱しています。
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祈りの場への入口です。
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かなり脱落していますが、木製の扉には象牙、珊瑚などが象嵌されています。
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ムハンマド・ラヒム・ハン1世により、マフムドの石棺は、西側に位置する華麗に装飾された墓室に安置されました。その前にはハナカから続く広さ4×4mの祈りの場(Ziyaratkhana、ジヤラート・ハナ)が設けられています。
Ziyarat-khana(ジヤラート・ハナ)とは、イスラム世界、特に中央アジアなどで見られる「巡礼のための部屋」「巡礼所」「礼拝所」を意味する言葉で、聖地や聖人の廟の近くに設けられ、人々が祈りや瞑想、そして「ジヤラート(Ziyarat:聖地や聖人の墓参り)」を行うための特別な空間です。 -
天井はとても美しく、四隅にスキンチを用いて八角形を導いてから円形のドームを架けています。
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壁面には、金色の幾何学模様が細部に至るまで細密に施されています。
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祈りの場の奥に、パフラヴァン・マフムドの美しい石棺が安置されています。
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石棺は、宝石細工師の精密な彫刻と、釉薬陶器のモザイクが醸し出す優雅さを併せ持っていて非常に美しいです。この石棺の地下にマフムドが埋葬されています。
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入口上部にはパフラヴォン・マフムドのルバイヤート(四行詩)が掲げられています。
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ハナカの東側の回廊には、1825年に増築されたアッラー・クリ・ハン(Allah Quli Bahadur Khan、在位1825-1842)の墓室があります。この回廊は全体的に漆喰で覆われています。
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墓室はタイルで覆われています。
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この建物の右端が、イスファンディヤル・ハン(Isfandiyar Khan)の霊廟です。
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イスファンディヤル・ハンは、1913年にコーラン読誦所であるコホリナ(兼モスク)と、それに続いて彼と家族の霊廟を建てました。内部にはイスファンディヤル・ハンの母親(ダヴラト・ビカ/Davlat Bika)と息子(ティムール/Timur)、そして彼自身のための石棺が安置されていますが、イスファンディヤル・ハンの石棺に彼は入っておらず、空のままです。
それは、彼が1918年、ヒヴァの権力闘争に巻き込まれてイチャン・カラの外にあるヌルッラバイ宮殿で暗殺され、不名誉な死を遂げたことと神聖な城壁の外で命を落としたことから、当時もっとも神聖な場所であった城壁内のパフラヴァン・マフムド廟に、彼の遺体を運び込んで埋葬することが許されなかったからです。 -
天井には四隅にスキンチがあって、正方形から八角形を導いてから円形ドームが造られています。
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大ホールの内部にはムハンマド・ラヒム・ハン1世などの主要な君主が埋葬されていますが、この屋外の中庭にある墓石には、ハンの近親者や、国に大きく貢献した高官・貴族たちが眠っています。建物の内部にあるハーンたちの豪華なマジョリカタイル製の墓石とは異なり、屋外にあるものは風雨に耐えられるよう、素朴なレンガのテクスチャのまま美しく積まれています。
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中庭の東には、同じく1913年にイスファンディヤル・ハンにより建てられた夏用モスク(アイヴァン)があります。そばには井戸があり、この湧水を飲むと「男は強くなり、女は美人になる」などといわれ、巡礼者や地元の人々にとって神聖な場所の一部となっています。巡礼者は廟内で祈りを捧げる前に、この井戸の水で手や顔を洗い、身を清めます。
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ミフラーブです。
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ハナカのドームはターコイズブルー(青緑色)のタイルで覆われ、頂部にはきらめく金メッキの球体の飾りが取り付けられています。青くきらめくドームはヒヴァで一番大きく、青空に溶け込むようで美しく、ヒヴァで最も神聖な場所であるパフラヴァン・マフムドの墓を象徴しています。
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