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この旅行記は「島根 松江城」(https://4travel.jp/travelogue/12047523)の続きです。<br />今回から山陰旅行の本来の目的である、日本神話を辿る神社巡りの旅(https://4travel.jp/travelogue/12026902のご報告をしていきます。その第1回は出雲大社ですが、長くなりますので2回に分け、今回はその前半です。<br />神話では、大国主大神は自らが築いた国を天照大御神に譲ります(国譲り)が、その条件として要求したのが壮大なる神殿(出雲大社)の造営であり、竣功後はその御祭神となります。<br /> 大国主大神が縁結びの神であることは良く知られていますが、その他に「因幡の白兎(素兎)」で「だいこくさま」として登場し、うさぎを助けたことから、医療の神、ご慈悲の神、その他多くのご利益をもたらす神となっています。<br />出雲大社の境内の面積は約18 ha(東京ドームの約4倍)ですが、この中には拝殿・本殿・神楽殿や多くの社殿等が含まれることはもちろんですが、正門から拝殿に至る参道両側には森、東・西神苑等があり、境内の半分以上の広大な面積を有します。ここには池や川、銅像等がありますので、今回は正門から拝殿までとします。<br />「因幡の白兎」との関係で、境内には60羽以上のうさぎの石像がありますし、丁度桜のシーズンでしたので、これらも含めてのご報告です。<br /><br /> 大国主大神は多くの別名をもちますが。本報では出雲大社に敬意を表し、公式HPで使われている「大国主大神」と「だいこくさま」に統一します。<br />

出雲大社 I

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2025/04/08 - 2025/04/08

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bunbun

bunbunさん

この旅行記は「島根 松江城」(https://4travel.jp/travelogue/12047523)の続きです。
今回から山陰旅行の本来の目的である、日本神話を辿る神社巡りの旅(https://4travel.jp/travelogue/12026902のご報告をしていきます。その第1回は出雲大社ですが、長くなりますので2回に分け、今回はその前半です。
神話では、大国主大神は自らが築いた国を天照大御神に譲ります(国譲り)が、その条件として要求したのが壮大なる神殿(出雲大社)の造営であり、竣功後はその御祭神となります。
 大国主大神が縁結びの神であることは良く知られていますが、その他に「因幡の白兎(素兎)」で「だいこくさま」として登場し、うさぎを助けたことから、医療の神、ご慈悲の神、その他多くのご利益をもたらす神となっています。
出雲大社の境内の面積は約18 ha(東京ドームの約4倍)ですが、この中には拝殿・本殿・神楽殿や多くの社殿等が含まれることはもちろんですが、正門から拝殿に至る参道両側には森、東・西神苑等があり、境内の半分以上の広大な面積を有します。ここには池や川、銅像等がありますので、今回は正門から拝殿までとします。
「因幡の白兎」との関係で、境内には60羽以上のうさぎの石像がありますし、丁度桜のシーズンでしたので、これらも含めてのご報告です。

 大国主大神は多くの別名をもちますが。本報では出雲大社に敬意を表し、公式HPで使われている「大国主大神」と「だいこくさま」に統一します。

  • 8:40宿泊ホテル:夕景湖畔すいてんかくを出発です。

    8:40宿泊ホテル:夕景湖畔すいてんかくを出発です。

  • 宍道湖の北側の国道431号線を約1時間西に走り、稲佐の浜にやって来ました。<br />この浜で、旧暦10月10日に全国の八百万の神々をお迎えします。<br />

    宍道湖の北側の国道431号線を約1時間西に走り、稲佐の浜にやって来ました。
    この浜で、旧暦10月10日に全国の八百万の神々をお迎えします。

  • 弁天島。 

    弁天島。 

  • 弁天島の上にある、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト(日本書紀)、豊玉毘売命(トヨタマビメノミコト(古事記)等))を祀る沖御前(おきのごぜん)神社。豊玉姫命は海の神であり、神武天皇(初代天皇)の父方の祖母、母方の叔母です。

    弁天島の上にある、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト(日本書紀)、豊玉毘売命(トヨタマビメノミコト(古事記)等))を祀る沖御前(おきのごぜん)神社。豊玉姫命は海の神であり、神武天皇(初代天皇)の父方の祖母、母方の叔母です。

  • 浜の砂を掻き採ってビニール袋に詰めます。

    浜の砂を掻き採ってビニール袋に詰めます。

  • 出雲大社西側の駐車場に車をとめて、出雲大社に向かいます。

    出雲大社西側の駐車場に車をとめて、出雲大社に向かいます。

  • 国道431号線の歩道を500 m程歩きます。

    国道431号線の歩道を500 m程歩きます。

  • 北東方向。<br />春だねえ。桜が満開だ。<br />日の丸の立っているところが出雲大社神楽殿入口になります。<br />

    北東方向。
    春だねえ。桜が満開だ。
    日の丸の立っているところが出雲大社神楽殿入口になります。

  • すこし進んだ北東方向。<br />橋が架かる川は素鵞川です。<br />

    すこし進んだ北東方向。
    橋が架かる川は素鵞川です。

  • さらに進んだ北東方向。<br />右下の桜のなかに見える建物は野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)です。<br />「出雲大社摂社<br /> 野見宿禰神社<br />御祭神 野見宿禰令<br />由緒<br />野見宿禰令は、出雲國造(出雲大社宮司)の祖先神天穂日命の十三世の嫡孫で、第十三代出雲國造襲髄命にあたります。<br />「日本書紀」垂仁天皇七年七月七日の条には、当時、天下一の力士と評判であった当麻蹶速と御前相撲をとり見事に打ち勝ったことが記され、以来、 野見宿禰命は国技大相撲の元祖と称えられ、今日では相撲をはじめスポーツを志す人々に広く崇められています。<br />また、同三十二年には陵墓に建てる植輪を献策してその叡智が称えられるなど、文武両道の神様です。<br />祭日 四月一日 十月十七日」<br />―この後行った神社前の説明板より―<br />

    さらに進んだ北東方向。
    右下の桜のなかに見える建物は野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)です。
    「出雲大社摂社
     野見宿禰神社
    御祭神 野見宿禰令
    由緒
    野見宿禰令は、出雲國造(出雲大社宮司)の祖先神天穂日命の十三世の嫡孫で、第十三代出雲國造襲髄命にあたります。
    「日本書紀」垂仁天皇七年七月七日の条には、当時、天下一の力士と評判であった当麻蹶速と御前相撲をとり見事に打ち勝ったことが記され、以来、 野見宿禰命は国技大相撲の元祖と称えられ、今日では相撲をはじめスポーツを志す人々に広く崇められています。
    また、同三十二年には陵墓に建てる植輪を献策してその叡智が称えられるなど、文武両道の神様です。
    祭日 四月一日 十月十七日」
    ―この後行った神社前の説明板より―

  • 出雲大社の正門、参道入口となる二の鳥居(勢溜の大鳥居)にやってきました。<br />ちなみに一の鳥居はここから県道161号を南に550 m程下ったところにあります。 <br />

    出雲大社の正門、参道入口となる二の鳥居(勢溜の大鳥居)にやってきました。
    ちなみに一の鳥居はここから県道161号を南に550 m程下ったところにあります。 

  • 二の鳥居前の階段下から見た東北方向。<br />石灯籠、桜と遠方の緑の山の中に点在する桜。<br />

    二の鳥居前の階段下から見た東北方向。
    石灯籠、桜と遠方の緑の山の中に点在する桜。

  • 綺麗ですね。満開の桜と緑の中に点在する桜。 <br />おや、右下はうさぎさんかな?<br />

    綺麗ですね。満開の桜と緑の中に点在する桜。 
    おや、右下はうさぎさんかな?

  • 近づいてみる。<br />やっぱりうさぎさんだ。早速現れました。<br />かっわいーねー。たくさんいるぞ。<br />

    近づいてみる。
    やっぱりうさぎさんだ。早速現れました。
    かっわいーねー。たくさんいるぞ。

  • このうさぎさん達はランニンシャツにゼッケンを付けているようですから、徒競走でもしてるんですかねえ。

    このうさぎさん達はランニンシャツにゼッケンを付けているようですから、徒競走でもしてるんですかねえ。

  • このうさぎの石像は、2022年に(株)ケイショウさんより奉納されたもので、誘導棒を持って、皆様が安全にお参りできますようご案内しております。<br />―出雲大社公式HPより―<br />

    このうさぎの石像は、2022年に(株)ケイショウさんより奉納されたもので、誘導棒を持って、皆様が安全にお参りできますようご案内しております。
    ―出雲大社公式HPより―

  • このうさぎの石像は、2022年に山善商会有限会社さんから奉納されたもので、世界の平和と安寧を願い、前足を合わせてお祈りしております。<br />―出雲大社公式HPより―<br />

    このうさぎの石像は、2022年に山善商会有限会社さんから奉納されたもので、世界の平和と安寧を願い、前足を合わせてお祈りしております。
    ―出雲大社公式HPより―

  • このうさぎの石像は、2022年に(株)トレンドさんから奉納されたもので、「家族の幸せ」をイメージされており、子うさぎを優しく包み込む親うさぎの暖かさが感じられます。<br />―出雲大社公式HPより― <br /><br />子うさぎが四つ葉のクローバーが描かれたハートを大切そうに抱えていることから、「ハートのうさぎ石像」と呼ばれているようです。<br /><br />

    このうさぎの石像は、2022年に(株)トレンドさんから奉納されたもので、「家族の幸せ」をイメージされており、子うさぎを優しく包み込む親うさぎの暖かさが感じられます。
    ―出雲大社公式HPより― 

    子うさぎが四つ葉のクローバーが描かれたハートを大切そうに抱えていることから、「ハートのうさぎ石像」と呼ばれているようです。

  • 中央はおこわを蒸したセイロで、その左右は、しゃもじを持ったうさぎさんとお椀を持ったうさぎさんです。この石像は2023年12月に(株)わびすけさんより奉納されたものです。<br />―出雲大社公式HPより―<br />

    中央はおこわを蒸したセイロで、その左右は、しゃもじを持ったうさぎさんとお椀を持ったうさぎさんです。この石像は2023年12月に(株)わびすけさんより奉納されたものです。
    ―出雲大社公式HPより―

  • 緑の山を点々と彩るピンクの桜。<br />この方向に島根県立古代出雲歴史博物館があります。<br />この博物館内に後出の高さ48 mの出雲大社の古代本殿の復元模型、現在の本殿瑞垣内の模型、銅剣、銅鐸がありますが、現在は休館中で、リニューアルオープンは2026年10月です。残念。<br />

    緑の山を点々と彩るピンクの桜。
    この方向に島根県立古代出雲歴史博物館があります。
    この博物館内に後出の高さ48 mの出雲大社の古代本殿の復元模型、現在の本殿瑞垣内の模型、銅剣、銅鐸がありますが、現在は休館中で、リニューアルオープンは2026年10月です。残念。

  • 満開の桜。

    満開の桜。

  • 千家尊福(せんげたかとみ、1845年-1918年)の像。<br />以下に説明版を示します。<br />

    千家尊福(せんげたかとみ、1845年-1918年)の像。
    以下に説明版を示します。

  • 台座背面の説明版。<br />読み難いと思いますので、読み取った内容を以下に示します。<br />「尊福卿は出雲国造八十代の出雲大社大宮司として<br />神統の祭祀に仕え神道西部管長、出雲大社教初代管<br />長としては広く氏族信仰の基礎に培い、やがて元老<br />院議官、貴族院議員、埼玉静岡東京の府知事となり<br />更に司法大臣に親任せられて多年の政府界にも活躍せ<br />られ、その間にありて本町の教育文化の進展と交通<br />産業の開発に寄与せられたる事も少なからざるな<br />り。これ悉く大國主大神から授かりたる國民を愛撫<br />せられし神徳の弘布具現に他ならずと云うべきか。<br />爰に卿の赤誠と愛郷の精神を景仰追慕しその英姿<br />を永くとどめんとするものなり。<br />昭和三十八年五月七日<br />      大社町長 浦正伝治」<br /><br /> 国譲りの後、天照大御神がその功績を称えて大国主大神にお仕えするするように命じた御子神が天穂日命(あめのほひのみこと)。そしてその子孫が出雲國造(こくそう)、つまり千家宮司です。後でご説明する「平成の大遷宮」を担当した宮司は、第84代の千家尊祐(たかまさ、1943年-)で、彼は千家尊福の弟の曽孫です。<br />

    台座背面の説明版。
    読み難いと思いますので、読み取った内容を以下に示します。
    「尊福卿は出雲国造八十代の出雲大社大宮司として
    神統の祭祀に仕え神道西部管長、出雲大社教初代管
    長としては広く氏族信仰の基礎に培い、やがて元老
    院議官、貴族院議員、埼玉静岡東京の府知事となり
    更に司法大臣に親任せられて多年の政府界にも活躍せ
    られ、その間にありて本町の教育文化の進展と交通
    産業の開発に寄与せられたる事も少なからざるな
    り。これ悉く大國主大神から授かりたる國民を愛撫
    せられし神徳の弘布具現に他ならずと云うべきか。
    爰に卿の赤誠と愛郷の精神を景仰追慕しその英姿
    を永くとどめんとするものなり。
    昭和三十八年五月七日
          大社町長 浦正伝治」

     国譲りの後、天照大御神がその功績を称えて大国主大神にお仕えするするように命じた御子神が天穂日命(あめのほひのみこと)。そしてその子孫が出雲國造(こくそう)、つまり千家宮司です。後でご説明する「平成の大遷宮」を担当した宮司は、第84代の千家尊祐(たかまさ、1943年-)で、彼は千家尊福の弟の曽孫です。

  • 台座左背面の説明版。<br />草書で読みにくいと思いますので、以下に楷書体で示します。<br />「千家尊福卿作詞<br />一月一日<br />年乃始めの <br />ためしとて<br />終なき世の <br />目出度さを<br />松竹立て々 <br />門毎に<br />祝ふ今日こそ <br />たのしけれ」<br />この歌詞は知ってるぞ。昔歌ったことがある。<br />千家尊福は小学唱歌の作詞もしていたのか。<br />

    台座左背面の説明版。
    草書で読みにくいと思いますので、以下に楷書体で示します。
    「千家尊福卿作詞
    一月一日
    年乃始めの 
    ためしとて
    終なき世の 
    目出度さを
    松竹立て々 
    門毎に
    祝ふ今日こそ 
    たのしけれ」
    この歌詞は知ってるぞ。昔歌ったことがある。
    千家尊福は小学唱歌の作詞もしていたのか。

  • 台座の上の千家尊福の像。

    台座の上の千家尊福の像。

  • 東屋と満開の桜。

    東屋と満開の桜。

  • 大本神諭(おおもとしんゆ)。

    大本神諭(おおもとしんゆ)。

  • 大本教祖火の御用記念碑(おおもときょうそひのごようきねんひ)。<br />以下でご説明します。<br />

    大本教祖火の御用記念碑(おおもときょうそひのごようきねんひ)。
    以下でご説明します。

  • 碑の説明。<br />読み難いと思いますので、読み取った内容を以下に示します。<br />「大本神論   明治三十四年旧三月七日<br />出雲のご用を 出来さして<br />天も地も世界もならすぞよ<br />卋の立替えは 水の守護と<br />火の守護とで致すぞよ<br />右の神示を奉じ 大本教祖 出口なお 出口王仁三郎 出口すみ子は多数の信徒と共に一九0一年(明治三十四年)七月十二日 出雲大社に指で 上つ世よりの 火継ぎの神火を移し受けまつり なお御饌井の真清水 瑞垣内の清砂を戴きて 綾部の聖地に棒持した御神火は 百日百夜を大本の神前に献じ 眞清水は大本金明水の井戸に入れ。丹後元伊勢の水と合せて 舞鶴沖の沓島冠島の竜宮海にそそいで 全地の上の禊ぎと修しまつった<br />出雲火の御用の満七十年にあたり、奇しき神の仕組みの弥深きを畏み、ここに謹みて 出雲大社の大神の神徳をたたえまつりこの碑とし建てる<br />昭和四十六年七月十二日 大本三代教主 出口直日」<br /><br />これでは何のことかわかりませんねえ。<br />そこで、もう少しご説明を。<br />大体教(宗教法人名「大本」)は、神道系の新宗教です。1892年に出口なお(1837年-1918年)が京都府綾部で開いたとされますが、教祖は出口なおと、教団の基礎を築いた彼女の娘(出口すみ子、出口すみとも書く。(1983年―1952年))婿である出口王仁三郎(おにさぶろう、1987年-1948年)の2人とされます。最高神として「大天主太神」を祀り、世界の立て替え・立て直しと「みろくの世」(万民和楽の理想社会)の実現を説きます。<br />明治34年(1901年)4月26日(旧3月8日)、国祖 国常立尊の神示に従って、開祖出口なお等一行は丹後の元伊勢内宮・外宮に参拝、「世界を一つに致す経綸(しぐみ)の御用」のため、宮川(五十鈴川)のほとりにある産釜・産だらいの岩穴より、神代の昔から汲まれたことのないという、汲み取り禁制の「生粋の水晶のお水」をいただいて帰ました*)。<br /> その2ヶ月後、一行は出雲大社に天穂日命(あめのほひのみこと)の神代から伝わる「消えずの神火」を貰い受けることを目的に出雲大社を参拝しました。ここで神火と御饌井(みけい)の真清水、瑞垣内の清砂を貰い受けました。綾部に帰ると神火を点じて祭典を行い、その後は火番を置いて100日間灯され、神示に従って15本のろうそくに移して天に返されました。お砂は、開祖の命によって綾部の大本を中心に広範囲に撒布され、「宮屋敷とり」がなされました。お水は、神苑の井戸「金明水」に差し入れられた後、残りを金明水の水と合わせて、艮の金神(国常立尊)御隠退の地である根本霊場・沓島と冠島の間の龍宮海に注ぎ入れられました*)。<br /> 元伊勢の「水晶のお水」と、出雲の「消えずの火」。昔より汚されたことのない火と水とにより、乱れ果てた世を立替え立直す大潔斎の「型」を出されたのが、「元伊勢水の御用」と「出雲火の御用」でした*)。<br />*) 大本の公式HPより要点を抜粋編集。<br />

    碑の説明。
    読み難いと思いますので、読み取った内容を以下に示します。
    「大本神論   明治三十四年旧三月七日
    出雲のご用を 出来さして
    天も地も世界もならすぞよ
    卋の立替えは 水の守護と
    火の守護とで致すぞよ
    右の神示を奉じ 大本教祖 出口なお 出口王仁三郎 出口すみ子は多数の信徒と共に一九0一年(明治三十四年)七月十二日 出雲大社に指で 上つ世よりの 火継ぎの神火を移し受けまつり なお御饌井の真清水 瑞垣内の清砂を戴きて 綾部の聖地に棒持した御神火は 百日百夜を大本の神前に献じ 眞清水は大本金明水の井戸に入れ。丹後元伊勢の水と合せて 舞鶴沖の沓島冠島の竜宮海にそそいで 全地の上の禊ぎと修しまつった
    出雲火の御用の満七十年にあたり、奇しき神の仕組みの弥深きを畏み、ここに謹みて 出雲大社の大神の神徳をたたえまつりこの碑とし建てる
    昭和四十六年七月十二日 大本三代教主 出口直日」

    これでは何のことかわかりませんねえ。
    そこで、もう少しご説明を。
    大体教(宗教法人名「大本」)は、神道系の新宗教です。1892年に出口なお(1837年-1918年)が京都府綾部で開いたとされますが、教祖は出口なおと、教団の基礎を築いた彼女の娘(出口すみ子、出口すみとも書く。(1983年―1952年))婿である出口王仁三郎(おにさぶろう、1987年-1948年)の2人とされます。最高神として「大天主太神」を祀り、世界の立て替え・立て直しと「みろくの世」(万民和楽の理想社会)の実現を説きます。
    明治34年(1901年)4月26日(旧3月8日)、国祖 国常立尊の神示に従って、開祖出口なお等一行は丹後の元伊勢内宮・外宮に参拝、「世界を一つに致す経綸(しぐみ)の御用」のため、宮川(五十鈴川)のほとりにある産釜・産だらいの岩穴より、神代の昔から汲まれたことのないという、汲み取り禁制の「生粋の水晶のお水」をいただいて帰ました*)。
     その2ヶ月後、一行は出雲大社に天穂日命(あめのほひのみこと)の神代から伝わる「消えずの神火」を貰い受けることを目的に出雲大社を参拝しました。ここで神火と御饌井(みけい)の真清水、瑞垣内の清砂を貰い受けました。綾部に帰ると神火を点じて祭典を行い、その後は火番を置いて100日間灯され、神示に従って15本のろうそくに移して天に返されました。お砂は、開祖の命によって綾部の大本を中心に広範囲に撒布され、「宮屋敷とり」がなされました。お水は、神苑の井戸「金明水」に差し入れられた後、残りを金明水の水と合わせて、艮の金神(国常立尊)御隠退の地である根本霊場・沓島と冠島の間の龍宮海に注ぎ入れられました*)。
     元伊勢の「水晶のお水」と、出雲の「消えずの火」。昔より汚されたことのない火と水とにより、乱れ果てた世を立替え立直す大潔斎の「型」を出されたのが、「元伊勢水の御用」と「出雲火の御用」でした*)。
    *) 大本の公式HPより要点を抜粋編集。

  • 参道脇にあった出雲大社境内案内図。<br />まだこれしか進んでないのか。先は長いなあ。<br />

    参道脇にあった出雲大社境内案内図。
    まだこれしか進んでないのか。先は長いなあ。

  • 少し北に進んで見た参道。<br />神社にしては珍しく。この先はしばらく下り坂になっています。<br />一般的な神社では、山や丘に向かって上っていく参道が多いため、下りながら神域へ入っていく構造は、かなり印象的です。<br />下りになっている理由には諸説あります。<br />・下り坂を歩くとき、人は自然と少し足元を見ながら進みます。その姿が、神様の前に進むときの慎ましさや、謙虚な気持ちにつながるという説。<br />・神話では、大国主大神が天照大御神に国譲りをし、その見返りに宮殿(出雲大社)を建ててもらったとしていますが、大国主大神を丁重に祀りながらも、封じ込めるための下り参道だったという説。<br />等。<br />出雲大社のように、参道を下って神域へ向かう神社は「下り宮(くだりみや)」と呼ばれることがありますが、下り宮は全国でも以下のような神社しか存在しません。<br />・貴船神社(京都府)<br />・日御碕神社(島根県、今日出雲大社の後で行きます。)<br />・賀茂御祖神社(京都府の一部社殿)<br />

    少し北に進んで見た参道。
    神社にしては珍しく。この先はしばらく下り坂になっています。
    一般的な神社では、山や丘に向かって上っていく参道が多いため、下りながら神域へ入っていく構造は、かなり印象的です。
    下りになっている理由には諸説あります。
    ・下り坂を歩くとき、人は自然と少し足元を見ながら進みます。その姿が、神様の前に進むときの慎ましさや、謙虚な気持ちにつながるという説。
    ・神話では、大国主大神が天照大御神に国譲りをし、その見返りに宮殿(出雲大社)を建ててもらったとしていますが、大国主大神を丁重に祀りながらも、封じ込めるための下り参道だったという説。
    等。
    出雲大社のように、参道を下って神域へ向かう神社は「下り宮(くだりみや)」と呼ばれることがありますが、下り宮は全国でも以下のような神社しか存在しません。
    ・貴船神社(京都府)
    ・日御碕神社(島根県、今日出雲大社の後で行きます。)
    ・賀茂御祖神社(京都府の一部社殿)

  • 右(東)横にあった、<br />出雲大社末社 祓社です。<br />説明版を後で示します。<br />

    右(東)横にあった、
    出雲大社末社 祓社です。
    説明版を後で示します。

  • お参りをして心身を清めます。<br />出雲大社のお参りはすべで2礼4拍手1礼です。<br />「一般的には「2礼2拍手1礼」ですが、出雲大社の正式な参拝作法は「2礼4拍手1礼」となります。ご本殿以外のご社殿をお参りの際にも、この作法にてご参拝下さい。 4拍手をする理由ですが、当社で最も大きな祭典は5月14日の例祭(勅祭)で、この時には8拍手をいたします。数字の「8」は古くより無限の数を意味する数字で、8拍手は神様に対し限りない拍手をもってお讃えする作法です。ただし、8拍手は年に1度の例祭(勅祭)の時のみの作法としています。平素、日常的には半分の4拍手で神様をお讃えする4拍手の作法としていますが、お祈りお讃えするお心に差はありません。」<br />―出雲大社公式HPより―<br /><br />私見を言わせてもらえば、「8」は無限を表す数字ではありません。ひょっとしたら「∞」から来ているのではないかと邪推しますが、全く無関係です。<br />漢数字の「八」は末広がりで幸運な数字とされておりますが、その一方で「八方美人」、「八方塞がり」、出雲大社でも使われる「八百万の神」等は、「非常に大きな数」の意味で「八」を使っています。しかし「八」=「∞」は無理があります。したがって「数字の「八」は非常に大きな数を意味する数字で」としたほうが説得力があります。<br />

    お参りをして心身を清めます。
    出雲大社のお参りはすべで2礼4拍手1礼です。
    「一般的には「2礼2拍手1礼」ですが、出雲大社の正式な参拝作法は「2礼4拍手1礼」となります。ご本殿以外のご社殿をお参りの際にも、この作法にてご参拝下さい。 4拍手をする理由ですが、当社で最も大きな祭典は5月14日の例祭(勅祭)で、この時には8拍手をいたします。数字の「8」は古くより無限の数を意味する数字で、8拍手は神様に対し限りない拍手をもってお讃えする作法です。ただし、8拍手は年に1度の例祭(勅祭)の時のみの作法としています。平素、日常的には半分の4拍手で神様をお讃えする4拍手の作法としていますが、お祈りお讃えするお心に差はありません。」
    ―出雲大社公式HPより―

    私見を言わせてもらえば、「8」は無限を表す数字ではありません。ひょっとしたら「∞」から来ているのではないかと邪推しますが、全く無関係です。
    漢数字の「八」は末広がりで幸運な数字とされておりますが、その一方で「八方美人」、「八方塞がり」、出雲大社でも使われる「八百万の神」等は、「非常に大きな数」の意味で「八」を使っています。しかし「八」=「∞」は無理があります。したがって「数字の「八」は非常に大きな数を意味する数字で」としたほうが説得力があります。

  • 出雲大社末社 祓社 の説明板。

    出雲大社末社 祓社 の説明板。

  • 祓社北側から見た北東方向。<br />中央やや下は浄の池(きよめのいけ)です。<br />桜が綺麗ですねえ。<br />

    祓社北側から見た北東方向。
    中央やや下は浄の池(きよめのいけ)です。
    桜が綺麗ですねえ。

  • 浄の池に架かる橋の手前まで下りてきました。<br />ここでしばらくお花見です。<br />

    浄の池に架かる橋の手前まで下りてきました。
    ここでしばらくお花見です。

  • 橋の上から見た東方。

    橋の上から見た東方。

  • 橋の上から見た北北東。

    橋の上から見た北北東。

  • 橋を渡ると、東屋の手前にもうさぎさんの石像が。<br />左のうさぎさんは双眼鏡を、右のうさぎさんはデジカメを持っているいるから、観光(参拝)客をモチーフにしているんですかねえ。<br />

    橋を渡ると、東屋の手前にもうさぎさんの石像が。
    左のうさぎさんは双眼鏡を、右のうさぎさんはデジカメを持っているいるから、観光(参拝)客をモチーフにしているんですかねえ。

  • 東屋を通り越して振り返って見た南方。

    東屋を通り越して振り返って見た南方。

  • さらに北東に進んでみた北方の吉野川沿い。

    さらに北東に進んでみた北方の吉野川沿い。

  • 西に進んで、素鵞川沿いにあった看板。<br />ホタルもいるんだ。残念ながらホタルを見るのは季節的にも時間的にも無理ですね。<br />素鵞川と吉野川はそれぞれ出雲大社の西と東を流れ、この付近で合流して最後は堀川に注ぎます。<br />ちなみに素鵞川とこの後参拝する素鵞神社は同じ「素鵞」が使われていますが、素鵞神社については参拝時にご説明します。<br />

    西に進んで、素鵞川沿いにあった看板。
    ホタルもいるんだ。残念ながらホタルを見るのは季節的にも時間的にも無理ですね。
    素鵞川と吉野川はそれぞれ出雲大社の西と東を流れ、この付近で合流して最後は堀川に注ぎます。
    ちなみに素鵞川とこの後参拝する素鵞神社は同じ「素鵞」が使われていますが、素鵞神社については参拝時にご説明します。

  • 参道に戻るためにさらに西に進んだ北方。 <br />桜の他に赤や白、八重の椿も咲いています。<br />

    参道に戻るためにさらに西に進んだ北方。 
    桜の他に赤や白、八重の椿も咲いています。

  • 素鵞川添いをさらに西に進んだ北方。

    素鵞川添いをさらに西に進んだ北方。

  • さらに西に進んだ北方。<br />満開の桜が続きます。<br />

    さらに西に進んだ北方。
    満開の桜が続きます。

  • さらに西に進んで参道の祓橋(はらえのはし)が見えてきました。

    さらに西に進んで参道の祓橋(はらえのはし)が見えてきました。

  • 祓橋の手前(南)の参道中央から見た北方です。

    祓橋の手前(南)の参道中央から見た北方です。

  • 西方を見ると建物(左端)と銅像(中央)が見えます。<br />ちょっと行って見ますか。<br />

    西方を見ると建物(左端)と銅像(中央)が見えます。
    ちょっと行って見ますか。

  • 駐車場から出雲大社にくるときに見た野見宿禰神社の南東にある相撲場です。<br />この相撲場では2015年から毎年5月~6月、相撲を通して子ども達が相手に対する敬意(礼節)、立ちむかう勇気、勝負の楽しさと悔しさを感じてもらい、強く伸びやかな心身を育むことを目的として、出雲市内の小学生を対象に野見宿禰わんぱく相撲大会が開催されています。参加者は100人程度で、今年(2025年)は第11回となります。<br />―出雲大社公式HPの説明文を要約-<br />

    駐車場から出雲大社にくるときに見た野見宿禰神社の南東にある相撲場です。
    この相撲場では2015年から毎年5月~6月、相撲を通して子ども達が相手に対する敬意(礼節)、立ちむかう勇気、勝負の楽しさと悔しさを感じてもらい、強く伸びやかな心身を育むことを目的として、出雲市内の小学生を対象に野見宿禰わんぱく相撲大会が開催されています。参加者は100人程度で、今年(2025年)は第11回となります。
    ―出雲大社公式HPの説明文を要約-

  • 相撲場の北側にあった銅像「水辺を歩く」。<br />荒木文夫作<br />2002年(平成14年12月25日)<br /><br />荒木文夫(1932年~2020年)は島根県平田市出身の彫刻家で、<br />1955年 島根大学教育学部卒<br />1956年 第12回日展初入選<br />1984年 島根彫塑会会長<br />1986年 島根女子短期大学教授<br />1996年 平田本陣記念館館長<br />     第28回日展特選受賞<br />1998年 第30回日展特選受賞<br />の経歴を持ちます。<br />この後示す「ムスビの御神像」も彼の作品です<br />

    相撲場の北側にあった銅像「水辺を歩く」。
    荒木文夫作
    2002年(平成14年12月25日)

    荒木文夫(1932年~2020年)は島根県平田市出身の彫刻家で、
    1955年 島根大学教育学部卒
    1956年 第12回日展初入選
    1984年 島根彫塑会会長
    1986年 島根女子短期大学教授
    1996年 平田本陣記念館館長
         第28回日展特選受賞
    1998年 第30回日展特選受賞
    の経歴を持ちます。
    この後示す「ムスビの御神像」も彼の作品です

  • 相撲場の西にあった淡墨桜(うすずみざくら)。<br />以下に説明版を示します。<br />

    相撲場の西にあった淡墨桜(うすずみざくら)。
    以下に説明版を示します。

  • 淡墨桜の説明版。<br />岐阜県根尾村と書かれていますが、現在は岐阜県本巣市根尾板所です。根尾板所にある淡墨公園の淡墨桜は樹齢1500年以上のエドヒガン(多くの交配種の親種になっています。https://4travel.jp/travelogue/11232576)の古木で、三春滝桜(福島県)、山高神大桜(山梨県、https://4travel.jp/travelogue/11477464)と並び、日本三大桜のひとつに数えられます。<br />継体天皇(けいたいてんのう、450年頃~531年頃)は第26代天皇です。<br />

    淡墨桜の説明版。
    岐阜県根尾村と書かれていますが、現在は岐阜県本巣市根尾板所です。根尾板所にある淡墨公園の淡墨桜は樹齢1500年以上のエドヒガン(多くの交配種の親種になっています。https://4travel.jp/travelogue/11232576)の古木で、三春滝桜(福島県)、山高神大桜(山梨県、https://4travel.jp/travelogue/11477464)と並び、日本三大桜のひとつに数えられます。
    継体天皇(けいたいてんのう、450年頃~531年頃)は第26代天皇です。

  • 参道に戻って北に進み、素鵞川に架かる祓橋の上から見た素鵞川上流(西北西)方向。 <br />右下に彫刻が見えますが、後でご説明します。<br />

    参道に戻って北に進み、素鵞川に架かる祓橋の上から見た素鵞川上流(西北西)方向。 
    右下に彫刻が見えますが、後でご説明します。

  • 祓橋を渡って見た北方。<br />日本の名松100選に選ばれている見事な松並木が続きます。参道は中央と両側の三つに分けられ*)、中央は神様の通り道ということで、昔は神職や皇族の方以外は通行できませんでした。現在は松の根の保護のために中央は通行できないので、端を歩きます。<br />中央、松の陰に三の鳥居が見えます。<br />*) 出雲観光協会公式HPより。<br />

    祓橋を渡って見た北方。
    日本の名松100選に選ばれている見事な松並木が続きます。参道は中央と両側の三つに分けられ*)、中央は神様の通り道ということで、昔は神職や皇族の方以外は通行できませんでした。現在は松の根の保護のために中央は通行できないので、端を歩きます。
    中央、松の陰に三の鳥居が見えます。
    *) 出雲観光協会公式HPより。

  • 振り返って見た南方。<br />参道が下り坂になっていることが分かります。<br />

    振り返って見た南方。
    参道が下り坂になっていることが分かります。

  • 参道を通らずに左に進みました。<br />ここにもうさぎさんの石像があります。<br />この石造は2021年富士酒造合資会社代表社員 今岡一朗氏より奉納されたものです。「日本出雲は日本酒発祥の地であり出雲國風土記には、大国主大神様と共に国土開拓をなさいました久斬神(別名 少彦名命)様が、お米でお酒をつくった最初の神様と記されており、世界に誇れる日本酒を生みだされました事への神恩感謝としてご奉納されました。<br />この度のうさぎの石像は、一生懸命に日本酒を醸造しております。<br />―出雲大社公式HPより―<br />

    参道を通らずに左に進みました。
    ここにもうさぎさんの石像があります。
    この石造は2021年富士酒造合資会社代表社員 今岡一朗氏より奉納されたものです。「日本出雲は日本酒発祥の地であり出雲國風土記には、大国主大神様と共に国土開拓をなさいました久斬神(別名 少彦名命)様が、お米でお酒をつくった最初の神様と記されており、世界に誇れる日本酒を生みだされました事への神恩感謝としてご奉納されました。
    この度のうさぎの石像は、一生懸命に日本酒を醸造しております。
    ―出雲大社公式HPより―

  • その隣にまたうさぎさんの石像。<br />この石像は2021年、クリティカユニバーサルから奉納されたもので「しろ」という名前がついています。<br />アニメーション映画『神在月のこども』では、主人公の少女が、東京より出雲大社へと駆けていくお話のなかで、主人公を支え導く神の使いとして白兎「シロ」が登場します*)。<br /><br />このうさぎさんは首に大きな鈴をかけてますが、『神在月のこども』に登場した「シロ」そのままです。。<br />*) 出雲大社公式HPより。<br />

    その隣にまたうさぎさんの石像。
    この石像は2021年、クリティカユニバーサルから奉納されたもので「しろ」という名前がついています。
    アニメーション映画『神在月のこども』では、主人公の少女が、東京より出雲大社へと駆けていくお話のなかで、主人公を支え導く神の使いとして白兎「シロ」が登場します*)。

    このうさぎさんは首に大きな鈴をかけてますが、『神在月のこども』に登場した「シロ」そのままです。。
    *) 出雲大社公式HPより。

  • 北西に移動して、先程橋の上から見えた彫刻の前にやって来ました。<br />「神話の社<br /> 神話の中の動物達をとうしてはるかな時の流れ、日々の生活の中ですこしずつ変化する自然を感じ取る、そのような世界が生まれる社であり空間をテーマとします。<br /> 森のイメージを3本の石により象徴的に表現し、森を舞台に神話に登場する動物、とくにダイコクさまとゆかり深いウサギ・ヤマタノオロチ・イノシシ・ネズミ達が集い遊ぶ姿を抽象的に大理石に刻みました。<br /> 平成13年3月<br /> 製作者 瀧 徹」<br />―説明版より―<br />「ダイコクさま」は古事記の因幡の素兎の物語にでてくる大国主神(大国主大神、出雲大社の公式HPではこの名称が使われています。)で、出雲大社の御祭神です。「ダイコクさま」は、ヒンドゥー教のシヴァ神が「大黒天」として仏教に取り入れられ、8世紀に日本に伝えられましたが、音読みが大国と同じ「ダイコク」であったことから、弁才天⇒弁財天同様(https://4travel.jp/travelogue/11984235)神道の神である「大国主神」と習合し、大黒天(だいこくてん、ダイコクさま)として七福神の一柱になったことによります。<br />「ヤマタノオロチ」はこの後参拝する素鵞社(そがのやしろ)の御祭神である素戔嗚尊(すさのうのみこと)が退治した神話上の生き物であり、素戔嗚尊は大国主神の祖先になります。<br />「イノシシ」は大国主神である八十神たちが、大国主神を殺そうとイノシシと偽って焼けた大きな石を転がし落とした場面で出てきます。<br />「ネズミ」は、素戔嗚尊が放った矢を大国主神が拾いに行ったとき、周りに火を放たれて逃げ場を失いますが、ネズミに助けられます。この逸話から、ねずみは大国主神(のちに習合した大黒天)の神使とされました。<br />

    北西に移動して、先程橋の上から見えた彫刻の前にやって来ました。
    「神話の社
     神話の中の動物達をとうしてはるかな時の流れ、日々の生活の中ですこしずつ変化する自然を感じ取る、そのような世界が生まれる社であり空間をテーマとします。
     森のイメージを3本の石により象徴的に表現し、森を舞台に神話に登場する動物、とくにダイコクさまとゆかり深いウサギ・ヤマタノオロチ・イノシシ・ネズミ達が集い遊ぶ姿を抽象的に大理石に刻みました。
     平成13年3月
     製作者 瀧 徹」
    ―説明版より―
    「ダイコクさま」は古事記の因幡の素兎の物語にでてくる大国主神(大国主大神、出雲大社の公式HPではこの名称が使われています。)で、出雲大社の御祭神です。「ダイコクさま」は、ヒンドゥー教のシヴァ神が「大黒天」として仏教に取り入れられ、8世紀に日本に伝えられましたが、音読みが大国と同じ「ダイコク」であったことから、弁才天⇒弁財天同様(https://4travel.jp/travelogue/11984235)神道の神である「大国主神」と習合し、大黒天(だいこくてん、ダイコクさま)として七福神の一柱になったことによります。
    「ヤマタノオロチ」はこの後参拝する素鵞社(そがのやしろ)の御祭神である素戔嗚尊(すさのうのみこと)が退治した神話上の生き物であり、素戔嗚尊は大国主神の祖先になります。
    「イノシシ」は大国主神である八十神たちが、大国主神を殺そうとイノシシと偽って焼けた大きな石を転がし落とした場面で出てきます。
    「ネズミ」は、素戔嗚尊が放った矢を大国主神が拾いに行ったとき、周りに火を放たれて逃げ場を失いますが、ネズミに助けられます。この逸話から、ねずみは大国主神(のちに習合した大黒天)の神使とされました。

  • 北北西に進んで芝生に覆われた広場:西神苑に出ました。<br />ここにも満開の桜があります。<br />中央やや下に見えるのは….<br /><br />

    北北西に進んで芝生に覆われた広場:西神苑に出ました。
    ここにも満開の桜があります。
    中央やや下に見えるのは….

  • 近づいて見ると、これまたたくさんのうさぎさんの石像です。

    近づいて見ると、これまたたくさんのうさぎさんの石像です。

  • うさぎさんたちの中央に位置する高い台座のうさぎさん。<br />右がおとうさん、左がおかさん、その間の低い台座のうさぎさんは子供ですかね。<br />

    うさぎさんたちの中央に位置する高い台座のうさぎさん。
    右がおとうさん、左がおかさん、その間の低い台座のうさぎさんは子供ですかね。

  • 2つ上の写真の左側のうさぎさん達。<br />みんないろいろなポーズですね。<br />

    2つ上の写真の左側のうさぎさん達。
    みんないろいろなポーズですね。

  • 3つ上の写真の右側のうさぎさん達。

    3つ上の写真の右側のうさぎさん達。

  • 東方をみるとここにもうさぎさんの石像が。<br />右端のうさぎさんは目をとじて、右から2番目のうさぎさんは目を開いたままお祈りしています。その左のうさぎさんは銅鐸を抱えていますね。<br /><br />銅鐸は1996年、島根県雲南市加茂町の加茂岩倉遺跡から、一カ所の出土としてはこれまで全弥生時代中期から後期と思われる国最多の39個の銅鐸が出土しています。一方1984年-1985年に島根県出雲市斐川町の荒神谷(こうじんだに)遺跡から、それまで全国で出土していた約300本を上回る、弥生時代中期後半のものと思われる358本の銅剣が出土しています。これらの事実から、かつて出雲地方は強大な権力者に支配されていたことが推定され、大国主大神の神話が史実であることを示唆する結果になりました。<br />

    東方をみるとここにもうさぎさんの石像が。
    右端のうさぎさんは目をとじて、右から2番目のうさぎさんは目を開いたままお祈りしています。その左のうさぎさんは銅鐸を抱えていますね。

    銅鐸は1996年、島根県雲南市加茂町の加茂岩倉遺跡から、一カ所の出土としてはこれまで全弥生時代中期から後期と思われる国最多の39個の銅鐸が出土しています。一方1984年-1985年に島根県出雲市斐川町の荒神谷(こうじんだに)遺跡から、それまで全国で出土していた約300本を上回る、弥生時代中期後半のものと思われる358本の銅剣が出土しています。これらの事実から、かつて出雲地方は強大な権力者に支配されていたことが推定され、大国主大神の神話が史実であることを示唆する結果になりました。

  • 南南西方向。<br />桜が綺麗だ。<br />

    南南西方向。
    桜が綺麗だ。

  • 少し北に移動しました。<br />縁むすびの碑(いしぶみ)です。<br />説明は以下に示します。<br />

    少し北に移動しました。
    縁むすびの碑(いしぶみ)です。
    説明は以下に示します。

  • 縁むすびの碑の説明版。

    縁むすびの碑の説明版。

  • 縁むすびの碑の左下にあったうさぎさんの石像。<br />上の説明文に出てくる大国主大神と須勢理毘売神(すせりびめのかみ)を模して契りの盃を交わしているところですね。<br />

    縁むすびの碑の左下にあったうさぎさんの石像。
    上の説明文に出てくる大国主大神と須勢理毘売神(すせりびめのかみ)を模して契りの盃を交わしているところですね。

  • 東に進んで参道を横切り(良い子はこんなことをしてはいけません。)芝生が綺麗な東神苑にでました。<br />ここでは特設ステージが設けられ、日本舞踊、狂言、バレイ、和楽器バンド奉納公演、芸能人の奉納コンサート等いろいろなイベントが開催されているようです*)。<br />桜が綺麗だね。<br />*) 出雲大社公式HPより。<br />

    東に進んで参道を横切り(良い子はこんなことをしてはいけません。)芝生が綺麗な東神苑にでました。
    ここでは特設ステージが設けられ、日本舞踊、狂言、バレイ、和楽器バンド奉納公演、芸能人の奉納コンサート等いろいろなイベントが開催されているようです*)。
    桜が綺麗だね。
    *) 出雲大社公式HPより。

  • 北に進んで、桜。

    北に進んで、桜。

  • 北東に進んで、ここにもうさぎさんの石像がある。<br />このうさぎさん達は、以下に示す杵那築森(きなつのもり)の説明版にあるように、神殿造営に際して土地を杵で突き固めているようです。<br />

    北東に進んで、ここにもうさぎさんの石像がある。
    このうさぎさん達は、以下に示す杵那築森(きなつのもり)の説明版にあるように、神殿造営に際して土地を杵で突き固めているようです。

  • 杵那築森。<br />説明は以下に示します。<br />

    杵那築森。
    説明は以下に示します。

  • 杵那築森の説明版。

    杵那築森の説明版。

  • ムスビの御神像<br /><br />「幸魂 奇魂(さきみたま くしみたま)<br /><br />時に海を照して依り来る神あり<br />吾在るに由りての故に汝その國<br />造りの大業を建つるを得たり<br />吾は汝が幸魂奇魂となり<br />大國主神これ吾が幸魂奇魂なり<br />けりと知りぬ<br />古事記また日本書紀に述べるどころであります。出雲大社の御祭神大國主大神はこの幸魂奇魂の&quot;おかげ&quot;をいただいて神性を養われ「ムスビの大神」どなられました。生きし生けるものすべてが幸福になる「縁」を結ぶ&quot;えんむすびの神&quot;ど慕われるゆえんであります。<br />およそ人が人であるということは幸魂奇魂というムスビの&quot;みたま&quot;をわが身にいただいて霊止すなわち人として生かされているからであります。大神からがただいたこの&quot;いのち&quot;を感謝して大切に正しくこれを生かしきりましょう。<br /> 出雲大社ではこの御神教にちなんで<br />  さきみたま くしみたま<br />  まもりたまひ さきはへたまへ<br />と唱して御神縁を祈念いたします。<br /> この「ムスビの御神像」は大國主大神が有難く「幸魂奇魂」を拝戴される由縁を象徴しております。」<br />―説明版より―<br />ムスビの御神像は、大国主神が海の彼方から光が飛んで来るのに遭遇し、その光が御身に宿る幸魂・奇魂であることに気付き、神性を養われてムスビの大神になられたという逸話を再現した巨大な像です。<br />作者は先に示した銅像「水辺を歩く」と同じ荒木文夫で、1986年に作成・設置されました。<br />

    ムスビの御神像

    「幸魂 奇魂(さきみたま くしみたま)

    時に海を照して依り来る神あり
    吾在るに由りての故に汝その國
    造りの大業を建つるを得たり
    吾は汝が幸魂奇魂となり
    大國主神これ吾が幸魂奇魂なり
    けりと知りぬ
    古事記また日本書紀に述べるどころであります。出雲大社の御祭神大國主大神はこの幸魂奇魂の"おかげ"をいただいて神性を養われ「ムスビの大神」どなられました。生きし生けるものすべてが幸福になる「縁」を結ぶ"えんむすびの神"ど慕われるゆえんであります。
    およそ人が人であるということは幸魂奇魂というムスビの"みたま"をわが身にいただいて霊止すなわち人として生かされているからであります。大神からがただいたこの"いのち"を感謝して大切に正しくこれを生かしきりましょう。
     出雲大社ではこの御神教にちなんで
      さきみたま くしみたま
      まもりたまひ さきはへたまへ
    と唱して御神縁を祈念いたします。
     この「ムスビの御神像」は大國主大神が有難く「幸魂奇魂」を拝戴される由縁を象徴しております。」
    ―説明版より―
    ムスビの御神像は、大国主神が海の彼方から光が飛んで来るのに遭遇し、その光が御身に宿る幸魂・奇魂であることに気付き、神性を養われてムスビの大神になられたという逸話を再現した巨大な像です。
    作者は先に示した銅像「水辺を歩く」と同じ荒木文夫で、1986年に作成・設置されました。

  • 方向を変えてみたムスビの御神像。<br />波に乗り、海を照して依り来る神(左)と「幸魂奇魂」が有難くを拝戴する大國主大神(右)。 <br />

    方向を変えてみたムスビの御神像。
    波に乗り、海を照して依り来る神(左)と「幸魂奇魂」が有難くを拝戴する大國主大神(右)。 

  • 大國主大神。

    大國主大神。

  • 波に乗り、海を照して依り来る神。

    波に乗り、海を照して依り来る神。

  • ムスビの御神像の東側にある「会所」。<br />出雲大社は江戸時代中期(寛文・延享)に境内の大改修が行われていますが、その頃会所は今の神祜殿(しんこでん、現会所の北側)あたりに建っており、1943年に現在地に移築されました。この会所は、神職が神事前の身支度をしたり、大名や特別な貴人への接待、<br />連歌の催しに使われたりと、様々なことに使われたようです。<br /> 注目度の薄い建物ですが、江戸時代の大改修における際の数少ない遺構として、2004年に国の重要文化財に指定されています。<br />

    ムスビの御神像の東側にある「会所」。
    出雲大社は江戸時代中期(寛文・延享)に境内の大改修が行われていますが、その頃会所は今の神祜殿(しんこでん、現会所の北側)あたりに建っており、1943年に現在地に移築されました。この会所は、神職が神事前の身支度をしたり、大名や特別な貴人への接待、
    連歌の催しに使われたりと、様々なことに使われたようです。
     注目度の薄い建物ですが、江戸時代の大改修における際の数少ない遺構として、2004年に国の重要文化財に指定されています。

  • 参道を横切って西に進んだところにある勅使館。<br />出雲大社にお越しされた天皇の勅使をお迎えする建物です。<br />入口は唐破風、銅葺屋根で、伊東忠太(1867年―1954年)の設計です。<br />

    参道を横切って西に進んだところにある勅使館。
    出雲大社にお越しされた天皇の勅使をお迎えする建物です。
    入口は唐破風、銅葺屋根で、伊東忠太(1867年―1954年)の設計です。

  • 北に少し移動して、<br />御慈愛の御神像。<br />古事記に記されている「因幡の素兎」がモチーフとなった大国主大神とうさぎの青銅の像です。 <br />

    北に少し移動して、
    御慈愛の御神像。
    古事記に記されている「因幡の素兎」がモチーフとなった大国主大神とうさぎの青銅の像です。 

  • 御慈愛の御神像の左(南)にある、<br />童謡「だいこく様」の歌碑。<br />今の若い世代はどうかわかりませんが、私のような昭和世代は子供の頃よく歌いました。<br />この動揺は、作詞:石原和三郎、作曲:田村虎蔵で、1905(年明治38年)発表されたものです。<br />

    御慈愛の御神像の左(南)にある、
    童謡「だいこく様」の歌碑。
    今の若い世代はどうかわかりませんが、私のような昭和世代は子供の頃よく歌いました。
    この動揺は、作詞:石原和三郎、作曲:田村虎蔵で、1905(年明治38年)発表されたものです。

  • 御慈愛の御神像の右(北)にある、<br />上皇后美智子さま(当時・皇后陛下)が詠まれた御歌を刻んだ歌碑。<br />「皇后陛下御歌<br />出雲大社に詣でて<br /><br />国譲り 祀られましし 大神の 奇しき御業を 偲びて止まず」<br />2003年(平成15年)10月に島根県で開催された「全国豊かな海づくり大会」にご臨席のため来県され、出雲大社をご参拝された際に詠まれたものです。<br />

    御慈愛の御神像の右(北)にある、
    上皇后美智子さま(当時・皇后陛下)が詠まれた御歌を刻んだ歌碑。
    「皇后陛下御歌
    出雲大社に詣でて

    国譲り 祀られましし 大神の 奇しき御業を 偲びて止まず」
    2003年(平成15年)10月に島根県で開催された「全国豊かな海づくり大会」にご臨席のため来県され、出雲大社をご参拝された際に詠まれたものです。

  • 上皇后美智子さまの歌碑の右後方(北西)にある、<br />出雲大社 社務所。<br />

    上皇后美智子さまの歌碑の右後方(北西)にある、
    出雲大社 社務所。

  • 東に移動して、参道脇の見事なクロマツ。<br />作業員の方が手入れしています。こういう方々のお陰で美しい境内を見ることができます。感謝。<br />

    東に移動して、参道脇の見事なクロマツ。
    作業員の方が手入れしています。こういう方々のお陰で美しい境内を見ることができます。感謝。

  • 参道を北に進んだ左側にある手水舎。

    参道を北に進んだ左側にある手水舎。

  • 柄杓がないねえ。<br />ここで手と口を清めます。<br />

    柄杓がないねえ。
    ここで手と口を清めます。

  • 手水舎の北にある四の鳥居(銅鳥居)の前にやってきました。<br />この鳥居は青銅製で、1666年(寛文6年)に毛利元就の孫の孫にあたる毛利網広が寄進したもの*)で、国重要文化財に指定されています。<br />鳥居から先は、神域である「荒垣」内となります。<br />*) 出雲観光協会公式HPより。<br />

    手水舎の北にある四の鳥居(銅鳥居)の前にやってきました。
    この鳥居は青銅製で、1666年(寛文6年)に毛利元就の孫の孫にあたる毛利網広が寄進したもの*)で、国重要文化財に指定されています。
    鳥居から先は、神域である「荒垣」内となります。
    *) 出雲観光協会公式HPより。

  • 四の鳥居左(西)にあった「ご挨拶」板。<br />ここに書かれている「平成の大遷宮」ですが、出雲大社のご本殿は1744年に造営されてからおおよそ60年に一度遷宮が行われており、最近は2008年~2019年(平成20年~平成31年)に4回目が行われました。遷宮と言っても伊勢神宮が新たに建て替えるのとは異なり、修繕です。<br />

    四の鳥居左(西)にあった「ご挨拶」板。
    ここに書かれている「平成の大遷宮」ですが、出雲大社のご本殿は1744年に造営されてからおおよそ60年に一度遷宮が行われており、最近は2008年~2019年(平成20年~平成31年)に4回目が行われました。遷宮と言っても伊勢神宮が新たに建て替えるのとは異なり、修繕です。

  • 銅鳥居の前で軽く礼をして、荒垣内に入りました。<br />出雲大社拝殿です。<br /><br />今回はここまでにして、続きは後日ご報告します。<br />

    銅鳥居の前で軽く礼をして、荒垣内に入りました。
    出雲大社拝殿です。

    今回はここまでにして、続きは後日ご報告します。

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