2025/04/04 - 2025/04/04
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bunbunさん
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弁財天は後述するように、同じ発音の弁才天を書き換えた女神の呼称です。
弁才天の起源は紀元前1500年頃にまで遡ります。この頃アーリア人が北西からインドに侵入し、ドラヴィダ族等の先住民を征服します。自然現象の威力を神格化して崇拝していたアーリア人は、土着の神々を取り込んでバラモン教の経典であるリグ・ヴェーダを、自民族の言語であるサンスクリット語で完成させました。このリグ・ヴェーダのサラスヴァティー賛歌の中に、サラスヴァティー河を神格化した女神サラスヴァティーが登場しています。その後もバラモン教は土着神の取り込みによるヒンドゥー化が進み、4~5世紀のグプタ朝の時代に、現在のヒンドゥー教がほぼ確立します。
これに対し、紀元前6~5世紀には、インド大平原の北端に近い盆地(現在のネパール)において、バラモン教に対して懐疑的な思想を有した釈迦族の王子シッタールクが仏教を創始します。この教えはその後大乗仏教として1世紀頃中国に伝来しますが、本格的にその経典が漢訳され始めたのは3~4世紀であり、これが新羅を通して日本に公伝したのは6世紀中頃です。
サラスヴァティーは、仏教およびヒンドゥー教において、女神として取り入れられましたが、仏教においてはその経典の1つである『金光明最勝王経』が703年の唐の時代に「弁才天」と漢訳され、その姿は八臂(8本腕)像として説かれています。この弁才天は718年に日本には伝えられました。その当時日本の宗教は神道で、多神教であり、仏教の神々を受け入れやすい環境にあって、神道の神々と習合してその特質(もたらすご利益)は徐々に変化していきました。中世になると、弁才天はその財宝神としての側面が強調され、「才」の音が「財」に通じることから「弁財天」と書かれることも多くなりました。
井の頭弁財天は、天慶年間(938-946年)に関東源氏の祖・源経基が伝教大師(最澄)の789年(延暦8年)作という弁財天女像をこの地に安置したのが始まりで、その後1197年(建久8年)に源頼朝が東国の平安を祈願して宮社を建立したと伝えられています。宮社は1333年(元弘3年)、新田義貞が鎌倉を攻めた際に焼失して衰退していましたが、江戸時代に入った1636年(寛永1年)、3代将軍徳川家光によってようやく再興されました。1923年(大正12年)には関東大震災で焼失し、現在の宮社は1927年(昭和2年)に再建されたものです。
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井の頭池南西畔から北西方向に見た弁天橋です。
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弁天橋中程にやって来ました。
西に見た井の頭弁財天。
左上の大きな屋根の建物は大盛寺で、井の頭弁財天の本坊となります。
神仏分離令以前、弁財天は神道と仏教の両方で信仰されていたため、神社的な要素も感じられる場所であることもあってか、「井の頭恩賜公園の案内図」(https://4travel.jp/travelogue/11975358)や国土地理院の地図では、弁財天は神社の地図記号(?)が使われています。Googleマップでは寺院の地図記号「卍」が使われているものの、その説明に「神社」が使われており、混乱が見られますが見られますが、現在の井の頭弁財天は神社ではなく寺院です。 -
1つ上の写真の中央の井の頭弁財天をズームイン。
この弁財天は弁天島と呼ばれえる池の中の島にありますが、弁財天の起源が河を神格化した女神であることを考えると自然なことです。
ちなみに神道における宗像三女神の1柱である水の女神:市寸島比売命(市杵嶋姫命、イチキシマヒメ、イツキシマヒメ)は、神仏習合によって弁才天と同神とされ、市寸島比売命や弁才天は、神奈川県藤沢市江の島の江の島神社中津宮に、広島県廿日市市の厳島神社・大願寺に、滋賀県長浜市の都久夫須麻神社(竹生島神社)・宝厳寺にと、いずれも島の神社や寺に祀られています。 -
弁天橋の欄干にあった、「井の頭池の生きもの」の説明板。。
右の写真は井の頭弁財天前のかいぼりの様子です。
魚や水鳥については後で井の頭自然文化園(水生物園)に行きますので、その時に写真を示します。 -
取りあえず弁天橋の下にいたオオバン(クイナ科オオバン属)です。
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弁天橋を南に井の頭池畔まで引き返し、西に移動して井の頭弁財天入り口に来ました。
東を見上げるとツバキが綺麗に咲いています。 -
北に見た井の頭弁財天。
中央やや右の赤い建物が本堂である弁天堂、その左の緑の屋根の建物は「御供所」と呼ばれる寺務所です。
井の頭弁財天には、江戸時代の年号、商人の団体名や個人名が彫られた石橋、石階段、 石灯籠などがいろいろあります。これらは、彼らによって寄進されたものです。
手前左右に「日本橋」と書かれた石灯籠がありますが、これらは日本橋の商人達が寄進したものです。また中央参道を少し行ったところに赤い欄干が見えますが、これは井の頭弁財天がある弁天島に渡るための太鼓橋(後出)で、銭湯屋仲間が寄進したものです。 -
参道を進んで太鼓橋から見た弁天堂。
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浄香爐。
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手水舎。
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手水舎北側から見た東方。
下部中央の橋は、先ほど井の頭弁財天を眺めた弁天橋です。 -
弁天堂正面。
中に祀られているご本尊は、703年に唐で漢訳された「弁才天」の姿:八臂(8本腕)座像*)で、それぞれの手には刀や弓矢、矛などの武器を持っていとのことです。
このご本尊は非公開の秘仏で巳年の数日のみご開帳いたします。今年はたまたま巳年でしたので、帰ってから調べたところ、ご開帳は4月12日(土)、4月13日(日)の2日間でした。
私が行ったのは4月4日ですから、8日早かったようです。僅かの差で12年に1度の貴重な機会を逃しました。
*) 弁才天(弁財天)は、室町時代末期にそのメンバーが確定した七福神の1柱にもなっていますが、その姿は二臂(2本腕)で琵琶を奏する座像で、音楽・弁才・財福・知恵の女神です。
ちなみにヒンドゥー教のサラスヴァティーは四臂(4本腕)の女神で、2本の腕には数珠とヴェーダ、もう1組の腕にヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持って、白鳥またはクジャクの上、あるいは白い蓮華の上に座っています。 -
井の頭弁財天の北側に移動すると、銭洗い弁財天があります。
銭洗い弁財天は財をもたらす宇賀神(後出)と弁財天が神仏習合したもので、ここでお金を洗うと、財産が増えるご利益があるといわれています。
神仏分離後の代表的な神社としては、鎌倉市佐助の銭洗弁財天宇賀福神社があります。
外人さんが多いようです。 -
用意されたプラスチックのざるでお金を洗ってますね。
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私も財布の中にあった全コインをざるに入れて洗います。
少ないなあ。これでご利益ありますかねえ。 -
銭洗い弁財天、全景。
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この龍の口から水が出てきます。
この後、井の頭弁財天を反時計回りに戻ります。 -
七井不動尊(後出)入口脇にあった、聖観世音菩薩。
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聖観世音菩薩左手前、七井不動尊入口右にあった、鎮魂供養碑。
「聖観世音菩薩建立之由来」が書かれています。
「生命はびょうどうであります。しかし私達人間は、他の生命を犠牲にしなければ生きることが出来ません。このことに深く思いをいたした私ども有志は慈に観世音菩薩像を建立し人間のために命を断たれた動植物にたいし深甚なる鎮魂供養の誠を捧げるものであります。
合掌
平成六年五月十五日
三鷹食肉組合有志一同」 -
七井不動尊。
成り立ちについては、資料が見つからないのではっきりしたことはわかりません。
「七井」は七井橋(https://4travel.jp/travelogue/11975358 )の語源と同じと思います。不動尊ですから、ご本尊は不動明王です。
建立時期は、以下に示す1836年刊行の江戸名所図会に、この建物がありますからそれ以前ということになります。
小さくて分からないかも知れませんが、階段左の石像(多分不動明王と思われます)の頭上には小さい宇賀神像(後出)が乗っています。 -
ここで、この後行った井の頭自然文化園水生物館の入口脇にあった、1836年刊行の江戸名所図会4巻、井の頭弁才天社を示します。
この図会に見られる井の頭弁財天の建物や橋の位置は現在と同じですが、この後1923年の関東大震災で建物は焼失し、1927年に再建されていますので、建物の形状は現在と異なります。 -
宇賀神像。
宇賀神は、日本で中世以降財をもたらす福神として信仰され、銭洗い弁財天の所でも記載したように、弁財天に通ずる共通点があり、宇賀神は、弁才天との神仏習合の中で造作され案出された神、との説があります。
この場合、神名の「宇賀」は、日本神話に登場する宇迦之御魂神(うかのみたま)に由来するものと考えられています。
その姿は、人頭蛇身で蜷局を巻く形で表され、頭部も老翁や女性であったりと諸説あり、一様ではありません。
この像は、1764年に寄進されて弁天堂正面の高台に置かれていましたが、神仏分離により撤去されました。その後2013年(平成25年)に弁天堂横の現在の位置に移設されました。 -
宇賀神像、ズームイン。
この宇賀神像は、以下の井の頭池の「白蛇伝説」として知られています。
昔々、松原(現世田谷区)の長者夫婦が子供を授かることを願い、弁財天に祈りました。夫婦は首筋に三枚のウロコを持つ美しい娘を授かりましたが、娘は16歳の時に「私は池の主の化身です」と告白し、井の頭池に身を投げて白蛇に姿を変えました。
その後、悲しみに暮れる夫婦のもとに池の中から娘の声が届き、「私は弁天様と共に池から見守っています」と伝えられました。夫婦はその言葉を受け入れ、宇賀神像(人頭蛇身の像)を弁財天に寄進しました。
この伝説は、親子の絆や池の神秘性を象徴するものとして、多くの人々に語り継がれていますが、この宇賀神像の頭部は明らかに老翁で、若い女性ではありませんので、「白蛇伝説」とこの像に直接の関係があるかどうかはわかりません。 -
宇賀神像南西の橋から見た北方。
左端は七井不動尊、右端の緑の屋根は銭洗い弁財天です。 -
橋を渡り切って湖畔の道路を東に移動して見た北方。
左端は七井不動尊、中央やや左の緑の屋根は銭洗い弁財天、その右の赤い側面の建物は弁天堂、右端は御供所です。 -
東に少し移動して見た北方。
左は御供所、右の赤い欄干は太鼓橋です。 -
折り返して井の頭湖畔沿いを北に移動して見た北東方向。
右側赤い建物は弁天堂、左は七井不動尊です。 -
北に少し移動して見た西方。
コブシ(モクレン科、モクレン属)です。 -
北にまた少し移動して見た東南東方向。
手前の橋は弁天橋、その奥は狛江橋です。 -
井の頭湖畔を北北東北に少し移動して見た南南東方向。
弁天堂と、その手前の緑の屋根は銭洗い弁財天、右は七井不動尊です。 -
弁天堂、ズームイン。
これで井の頭弁財天に関するご報告は終わりです。
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