2026/08/25 - 2026/08/25
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あおしさん
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太宰治の「津軽」めぐりの3日目。
初日はクルマ、2日目はバスだったので、今日は太宰ゆかりのローカル鉄道・津軽鉄道で太宰のふるさと金木町に行きます。
その前に太宰の父の生家のある隣の木造の町とそこにある亀ヶ岡縄文遺跡へ。
この遺跡は、土偶で一番有名な「遮光器型土偶」が発見されたところです。
その後「ストーブ列車」で知られる津軽鉄道に乗って金木の町に行き、太宰治の生家・斜陽館を3度目、再々訪しました。
https://www.youtube.com/watch?v=ZeoJsmax3ZM
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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昨晩のうちに龍飛崎、蟹田から青森を経由して五所川原のホテル泊り。
今日は五所川原からスタートです。駅からはかなり遠いです。ホテルそのものは快適に過ごせました。 by あおしさんホテル サンルートパティオ五所川原 宿・ホテル
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まずはバスで五所川原駅から亀ヶ岡縄文遺跡へ行きます。
バスの本数が少なく、朝のバスじゃないと五所川原に戻ってこれません。
バスはこのあたりの地元のバス会社である弘南鉄道バスです。五所川原駅 駅
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バスを出ると津軽平野の水田が一面に広がります。
この水田のあった場所はかつては海だったところです。 -
五所川原駅から約1時間。
亀ヶ岡バス停で降りて、亀ヶ岡遺跡へ。
この遺跡は縄文時代晩期、おおむね3000年前ごろ、弥生時代の直前の縄文時代の文化の遺跡です。
ここからは遮光器土偶が出土したことで知られ、2021年世界遺産に指定されました。
「土偶」という言葉は、現在の「人形」と同じで、人形にも菊人形からリカちゃん人形、ウルトラマン人形など様々な人形があるのと同じく、土偶も様々なものがありますが、おそらく大半の日本人がイメージする土偶はこの遮光器土偶でしょう。遮光器土器の出土した縄文時代の遺跡 by あおしさん亀ケ岡遺跡 名所・史跡
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亀ヶ岡遺跡にはプレハブの資料館があり、ガイドさんがいろいろ説明や案内をしてくれます。
私のガイドさんは70歳くらいのおばあさんでした。 -
亀ヶ岡遺跡は一面の空地。
なんでもここは民家が多くある住宅街だったそうですが、世界遺産になったこともあり、公園として整備するためにすべての住んでいた人に立ち退いてもらい、民家も撤去したそうです。
現在は公園整備のための整備中だそうです。 -
亀ヶ岡縄文遺跡の隣には田小屋野貝塚遺跡があります。
この周辺は海だったことから、当時の人々は貝を食料としていたようで、ここに多く貝が捨てられ貝塚になったようです。
遺跡発掘後、遺跡保護のため再度埋め立てられており、一面はらっぱ。
何か所かに案内板があるだけです。亀ヶ岡遺跡に隣接する貝塚遺跡 by あおしさん田小屋野貝塚遺跡 名所・史跡
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田小屋野貝塚遺跡からは縄文時代の人骨がほぼ完全な形で発見されました。
日本の土地は酸性で、人骨も溶けてしまい、縄文時代の人骨が発見されるのはとても貴重なことだそうです。
亀ヶ岡遺跡と田小屋野貝塚を2時間ほど見て回り、12時のバスで戻ります。
このバスを逃すと、次は夕方までバスがありません。 -
五所川原行のバスですが、途中木造の町の中心でバスを降りました。
亀ヶ岡遺跡のある木造町は平成の大合併で周辺の町村と合併してつがる市になっています。
亀ヶ岡遺跡からの出土品はつがる市役所の隣にある縄文資料館「カルコ」に展示されています。
「カルコ」で復元された縄文時代の竪穴式住居。
展示コースの入り口になっています。亀ヶ岡遺跡から出土した品が展示されています。 by あおしさん縄文住居展示資料館「カルコ」 美術館・博物館
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遮光器土偶のレプリカ。
土偶の中ではもっとも有名な土偶でしょう。
ただ、不思議なことに縄文時代の土偶は5点ほどが国宝に指定されていますが、もっとも有名なこの土偶は国宝ではなく、重要文化財です。
国宝指定の要件はよくわかりませんね。
ホンモノは明治時代に発見した人が安く売ってしまい、その後民間人の間を転々として、現在は東京上野の国立博物館で展示されています。 -
「カルコ」を出た後、木造の町を歩きます。
「…木造は、また、コモヒの町である。コモヒといふのは、むかし銀座で午後の日差しが強くなれば、各商店がこぞつて店先に日よけの天幕を張つたらう、さうして、読者諸君は、その天幕の下を涼しさうな顔をして歩いたらう、さうして、これはまるで即席の長い廊下みたいだと思つたらう、つまり、あの長い廊下を、天幕なんかでなく、家々の軒を一間ほど前に延長させて頑丈に永久的に作つてあるのが、北国のコモヒだと思へば、たいして間違ひは無い。しかも之は、日ざしをよけるために作つたのではない。そんな、しやれたものではない。冬、雪が深く積つた時に、家と家との聯絡に便利なやうに、各々の軒をくつつけ、長い廊下を作つて置くのである。」
わずかに残るコモヒのあるお店を見つけました。 -
コモヒを横から見たところ。
雪が降っても歩道は快適に歩くことができます。
この書店は廃業しているようでしたので、このコモヒも早晩無くなるのでしょう。 -
木造の町は太宰の父、津島源右衛門の出身地です。
源右衛門は木造の町の松木家から婿養子として津島家の当主になりました。
明治45年に衆議院議員となり、以降鳩山家、小泉家と並び、明治時代以来4代にわたって衆議院議員を選出しています。
初代津島源右衛門は、小泉家初代、博徒出身で「入れ墨大臣」と呼ばれた小泉家初代の小泉又次郎の一期下でしたが、現在の津島淳衆議院議員も小泉家4代・小泉進次郎氏より1期したの当選6回で、太宰治の直系の孫になります。
当選6回だと大臣適齢期だし、文部科学大臣でもなったら、「太宰の孫」ってことでマスコミに話題になりそうです。
松木家はこのあたりで薬問屋を商っていたそうで、松木家のあったとされる場所に斜陽館そっくりの店舗がありました。
「津軽」でも、木造の松木家を訪問する話があります。
『この家の間取りは、金木の家の間取りとたいへん似てゐる。金木のいまの家は、私の父が金木に養子に来て間もなく自身の設計で大改築したものだといふ話を聞いてゐるが、何のことは無い、父は金木に来て自分の木造の生家と同じ間取りに作り直しただけの事なのだ。』
この家が太宰の訪ねた松木家かどうかは案内板なども無かったのでわかりませんでしたが。 -
町の中心部を歩いて、「津軽」にも登場する警察署などを通って、JR木造駅へ。
駅舎には巨大な遮光器土器のオブジェがありました。木造駅 駅
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木造駅前の街並み。
太宰も木造駅で降りて80年前のこの街並みを見たことでしょう。
当時の建物はどのくらい残っているかどうかわかりませんでしたが、手前の西洋風の建物は昭和レトロのような感じの歯科で、82年前も存在していたように思いました。
「…私は金木を出発して五所川原に着いたのは、午前十一時頃、五所川原駅で五能線に乗りかへ、十分経つか経たぬかのうちに、木造駅に着いた。ここは、まだ津軽平野の内である。私は、この町もちよつと見て置きたいと思つてゐたのだ。降りて見ると、古びた閑散な町である。人口四千余りで、金木町より少いやうだが、町の歴史は古いらしい。精米所の機械の音が、どつどつと、だるげに聞えて来る。どこかの軒下で、鳩が鳴いてゐる。ここは、私の父が生れた土地なのである。金木の私の家では代々、女ばかりで、たいてい婿養子を迎へてゐる。父はこの町のMといふ旧家の三男かであつたのを、私の家から迎へられて何代目かの当主になつたのである。この父は、私の十四の時に死んだのであるから、私はこの父の「人間」に就いては、ほとんど知らないと言はざるを得ない。…」。 -
木造駅は待合室に観光案内所もあり、wifiも使える快適な駅でした。
私のような観光客の利用はほとんどなさそうですけど・・・
JR五能線の列車で隣の五所川原駅へ戻ります。 -
五所川原駅で、太宰のふるさと・金木へ向かう津軽鉄道に乗り換えます。
単行デイーゼルカーでお客は4人しか乗っていませんでしたが、おばあさんのガイドさんが乗車して、いろいろガイド放送をしていました。
列車には「太宰列車」や「走れメロス」の看板が掲げられています。津軽五所川原駅 駅
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この津軽鉄道では、冬には機関車がストーブを積んだ客車列車を引っ張る「ストーブ列車」を走らせていることで知らています。
貧乏鉄道会社だったのでエアコンのある車両を製造することができず、戦前からのストーブを積んだ列車を動かしていたのが、現在では風情のある貴重な列車として観光の目玉になりました。津軽鉄道 ストーブ列車 乗り物
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ストーブ列車は今まで2回乗ったことがあります。
1度目は30年前、2度目は15年ほど前。
いずれも冬だったので、ストーブ列車が運行されていました。
座席のスペースの一部にストーブを1車両2か所積んでいます。
現在ではこのストーブの上で、するめを焼くことができます。 -
約20分で金木駅へ到着。
ここで列車交換。
上りの五所川原行は「走れメロス」号で2両編成。
ホームには団体ツアーのお客さんが50人ほど待っていました。
先程のおばあさんのガイドさんもこの列車に乗り換えていきました。金木駅 駅
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金木駅は津軽鉄道の中心駅であり、観光地の駅として太宰に関しての資料を展示する資料館を併設したきれいな駅舎になっています。
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30年前の金木駅。
駅舎の中には食堂もありました。
この駅のまま残しておいてくれた方が「津軽」の聖地巡りの観光客には喜ばれたような・・・ -
太宰治の生家、斜陽館。
現在は太宰の資料館になっています。
太宰の生家津島家は津軽の大地主で、「殿様」と呼ばれたほどの名家でした。
初代源右衛門は衆議院議員さらには貴族院議員になり、太宰の兄である2代目・津島文治は衆議院議員、青森県知事、参議院議員となりました。
3代津島雄二氏は太宰の長女の婿養子で、厚生大臣に2度就任。
竹下派→小渕派、橋本龍太郎元首相の橋本派を引き継いで、津島派を率いました。
現衆議院議員の4代津島淳氏は津島雄二氏の息子で、太宰の直系の孫になります。太宰治の生家です。旅館になった後、現在は記念館として一般開放されています by あおしさん太宰治記念館「斜陽館」 美術館・博物館
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30年前初めて斜陽館に来た時は、旅館でした。
「斜陽館」の名前は太宰の代表作「斜陽」から命名されています。
当時はボロボロの旅館で、食事提供のない安宿でした。
その後この旅館が廃業して、金木町が買い取って資料館になりました。 -
斜陽館の玄関。
津島家は手広くお米などの販売や、銀行業なども行っていました。
この店先にも多くの人で活気があったことでしょう。 -
玄関に接する大広間。
公式行事などに使われたそうです。
選挙のときは、この大広間に多くの支持者が集まり、にぎわったことでしょう。
もっとも太宰の「人間失格」では祝福に集まった支持者たちも裏では陰口を言ってやがると書かれていますが・・・ -
1階にある太宰治の生まれた部屋。
太宰はこの津島家の6男、11人兄弟姉妹の10番目の子として生まれています。
津島家の当主となった兄・文治とは11歳違いでした。
この部屋で子供時代は11歳上の女中「たけ」と過ごしていたそうです。 -
庭園も見事なものです。
当時の津島家の富豪ぶりを偲ばせます。 -
斜陽館に宿泊したとき、一番印象に残ったのが2階への階段。
手の込んだ木彫りがあるゴージャスな階段に津島家の富豪ぶりを感じたものです。 -
2階にある金襖の間。
この部屋は津島家の「貴賓室」として使われて、遠方からの政治家などがこの家に来るとこの部屋で接待されたとか。
また太宰が「津軽」でこの実家に戻ったときに、当主である兄・津島文治と次兄に挨拶した部屋として描かれています。
「私はジャンパー姿のままで二階に上って行った。金襖の一ばんいい日本間で兄たちは、ひっそりと酒を飲んでいた。
私はどたばたとはひり、『修治です。はじめて」と言って、まずお婿さん(兄文治の長女の婿)に挨拶して、それから長兄と次兄に、ごぶさたのお詫びをした。長兄も次兄も、あ、と言って、ちょっと首肯いたきりだった。我が家の流儀である」
名家では、父や兄に対しては太宰のような人でも恐縮しないといけなかったようです。 -
2階の奥にある当主の書斎。
太宰の兄、当主津島文治はこの部屋を書斎として使っていたそうです。
8畳の和室でさほど広くはありません。 -
やはり2階にある西洋風の応接室。
斜陽館は和洋折衷の建物でした。
外国人などはこの部屋で接待されたのでしょうか。 -
30年前、この斜陽館に宿泊したとき、私はこの部屋に宿泊したようです。
当時は畳が敷いてありました。
2階の奥の方の部屋だった、くらいしか覚えていないのですが、ほかの部屋はカーテンのない和室だし、当時の写真と比べると洋風のこの部屋だったようです。 -
斜陽館を見た後、太宰がこどものころ「たけ」によく連れていたれた雲祥寺へ。
金木にはほかに太宰ゆかりの場所があり、散策したあと、青森から東京に戻りました。太宰治ゆかりの寺。斜陽館からすぐ近くです by あおしさん雲祥院 寺・神社・教会
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旅行記グループ 太宰の「津軽」 聖地めぐり
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