2026/08/21 - 2026/08/22
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Mugieさん
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サラエボは、東西の文化の香りが残る美しい街でしたが、まずはその歴史を振り返りたいと思います。
(長文なので、歴史に興味のない方は、飛ばして本文に行ってもらえると嬉しいです!)
第二次世界大戦後、チトーは「6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、ひとつの国」をまとめ上げました。
多様性を抱えながら奇跡的に結びついたユーゴスラビアは、彼の死後、1990年代に民族紛争を生み、その悲劇は今も多くの人の記憶に残っています。
バルカン半島は古くからスラブ系民族が暮らす地域ですが、歴史の流れは複雑です。
ローマ帝国の東西分裂では東側がギリシャ正教の文化を受け継ぎ、西側に近い地域ではカトリックが広まりました。
さらにオスマン帝国の支配が及ぶとイスラム教へ改宗した人々が生まれ、街にはモスクの尖塔が立ち並ぶようになります。
オスマン帝国の力が衰退すると、ボスニア・ヘルツェゴビナはオーストリア=ハンガリー帝国の統治下に置かれますが、同時にスラブ民族を後押しするロシアの影響も受け、政治的な力学に翻弄されます。
クロアチア語、セルビア語、ボスニア語はもともと同じ言語であり、今でも互いに意思疎通ができるそうです。
クロアチア語はカトリック、セルビア語は正教、ボスニア語はイスラム教徒の標準語として、政治的・文化的アイデンティティの違いから区別されたようです。
この多層的な歴史を知らずに、美しい街並みだけを眺めていると、旧ユーゴの文化の多様性と、その傷跡に気が付かないかもしれません。
今ではすっかり平和になり、治安もとてもよいサラエボでしたが、街のあちこちに、過去の出来事を静かに伝える痕跡が残っていました。
<日程>
08/20 羽田から出発
08/21 イスタンブールでトランジット観光、サラエボに移動←ココ
08/22 サラエボ観光後、モスタルに移動
08/23 モスタル、クラヴィカの滝を観光
08/24 コトルに移動し、観光
08/25 コトル、青の洞窟など観光
08/26 ティラーナへ移動し、観光
08/27 ティラーナから日帰りでクルヤ観光
08/28 ベラトに移動し、観光
08/29 ジロカストラに移動し、観光
08/30 ジロカストラ観光
08/31 メテオラに移動
09/01 メテオラ観光
09/02 メテオラ観光後、アテネに移動
09/03 アテネ観光、夜の便でイスタンブールへ
09/04 羽田着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ガイドブックを見ていたら、サラエボにはボスニア・ヘルツェゴビナのバスターミナルとスルプスカ共和国のバスターミナルがあるので、間違えないようにとの注意書きがありました。
「スルプスカ…って何?」という疑問を紐解くところから、旅のルート作りが始まりました。
ボスニア・ヘルツェゴビナはボシュニャク人とクロアチア人が主体のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人中心のスルプスカ共和国の二つの構成体からなる連邦国家です。
どちらに帰属するか揉めて、結論を先延ばしにしたのがブルチコ行政区となります。
ボシュニャク人も初めて聞いた名前でしたが、イスラム教徒のことで、カトリック教徒はボスニア・ヘルツェゴビナに住んでるけどクロアチア人、同じくセルビア正教徒はセルビア人という分類になるようです。
そして、ボスニア・ヘルツェゴビナというのは歴史的に残っている地名で、北部がボスニア、南部がヘルツェゴビナで国名には民族も宗教も関係ないそうです。
ほんと、ややこしいですよね。 -
イスタンブールからサラエボに向かいます。
サラエボの空港は首都とは思えないくらい小さくて、入管職員はパスポートにハンコを押すのが仕事だと思ってるのか、誰にも質問することなく、すいすいと入国手続きが終わりました。
空港では現地通貨の兌換マルク(KM)をキャッシングしましたが、ATM手数料が高くて、思わず操作の手が止まりました。
最初の機械は13KM。次は20KM。その次は17KMの料金がかかります。
次々とATMをホッピングしていたら「お困りですか?」と声をかけられてしまいました。
親切な人に「一番手数料が安いのを探してます」とも言えず、苦笑いです。
金融市場では1KMは95円位なのですが、手数料が高かったので、実質は1KMを100円として旅行記の中で換算しています。 -
空港からホテルまではタクシーを使いました。
領事館かなんかの情報では、空港からのタクシーはカードが使えるとありましたが、メーターはないし、現金交渉のみでした…
運転手からは25ユーロ(約5,000円)と言われたけど、30兌換マルク(約3,000円)が相場らしいので、交渉の末、20ユーロ(約4,000円)で手を打ちました。
ボスニア・ヘルツェゴビナではユーロも使えるので、羽田空港で両替してきてよかったです。
ただし、この時のレートは1ユーロ、194.71円です。
ちなみに旅行の直前にソニーバンクとWiseカードで買ったユーロは181円位でした。
両替手数料もATM使用料もばかにならないですね。
タクシーに話を戻すと、この日はイベントがあったようで、市街地は渋滞していました。
すると、タクシーの運転手は、「この道をまっすぐ歩けばホテルに着く」と言って私を途中でおろそうとします。
確かにGoogleマップで見たら、ショートカットで行けそうでした。
でも、人通りの多い、めっちゃぼっこぼっこの石畳だったので、「歩きたくない」と居座りました。
なんか憎めない感じのおじいちゃんだったんですけどね…
ちょっと狡い感じで、疲れました。 -
今日の宿はHotel Sana、一泊20,909円でした。
ヨーロッパはだいたいBooking.comの方が安いのですが、ここだけはAgodaの方が安かったです。
ベッドの上はガラス張りという、微妙な内装ですが、ライトの照明がモダンでかっこよかったです。
ただ、一応4つ星ホテルなのに、無料のお水がない…
仕方なく外に買いに行くことにして、フロントのお兄ちゃんにお店の場所を聞いたら、「水道水が飲めるので買う必要ない」と言われてびっくり。
でも、Googleに聞いたらサラエボの設備は新しいけど、旅行者は飲まない方がいいと言います。
ちょっと悩んだけど、おなかは弱くないので、飲んでみたら大丈夫でした。
臭みも全くない、おいしい水道水でした。 -
イチオシ
せっかくなので、夜の街を軽くお散歩します。
ホテルの前はバシュチャルシヤと呼ばれる旧市街です。
旧市街の中心、セビリ(水飲み場)から散策を開始しました。セビリ (水飲み場) モニュメント・記念碑
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オスマン帝国時代の街並みを今に残す旧市街では、レストランやおみやげ屋さんが並び、夜でも煌びやかです。
夜の9時は過ぎていたと思いますが、人が多く、治安もよさそうで安心しました。バシュチャルシヤ 散歩・街歩き
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昔の街並みがとてもきれいなうえに、お店が賑やかで、まるでお祭りみたいです。
バシュチャルシヤ 散歩・街歩き
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トルコ風というのか、ボスニア風というのかよくわかりませんが、コーヒーの器がきれいです。
バシュチャルシヤ 散歩・街歩き
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ロクムやバクラヴァなどトルコのお菓子がショーウィンドウに並んできれいです。
バシュチャルシヤ 散歩・街歩き
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トルコ式の長ーく伸びるアイス屋さんもあります。
ボスニア・ヘルツェゴビナはヨーロッパの国だと思ってましたが、トルコとおんなじだな、というのがこの夜の印象でした。
羽田から夜出発して、イスタンブールでトランジット観光して、サラエボまで長い一日でしたが、楽しい夜の散策でした。バシュチャルシヤ 散歩・街歩き
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8/22
翌朝の朝食。
ブティックホテルなので、ビュッフェの品ぞろえはそれほど多くはありませんでしたが、びっくりするほど、おいしい朝食でした。
ボスニア・ヘルツェゴビナは料理がおいしい国なのかと期待が高まります。 -
旧市街のシンボル、セビリ(水飲み場)から観光をスタートします。
-
この辺りはすごいハトの数で、かわいいと言えるレベルではなく、朝からフンを浴びないように気をつけました。
-
この日の午後にはモスタル行きのバスに乗らなければならないので、効率的に回ろうと、行きたいところをGoogleマップでピン留めしてきましたが、オスマン時代の旧市街は道が狭くて、現在地を正しく把握してくれません。
しばらく格闘した後、地図は機能しないとあきらめ、適当に回ることにしました。
屋根にドームがある建物は、昔絹織物を取り引きしていたブルサ・ベジスタンです。バシュチャルシヤ 散歩・街歩き
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サラエボの第一猫ちゃん、発見。
バシュチャルシヤ 散歩・街歩き
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ガジ・フスレヴ・ベゴヴァ・ジャミーヤ。
ガイドブックには中を見学できると書いてあるのですが、入口がよくわかりませんでした。
お祈りしている方と観光客でにぎわっていました。ガジフースレフベイモスク 寺院・教会
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ガジ・フレスヴ=ベグ ベジスタン。
ここはオスマン時代の屋根付きの市場です。 -
中に入るとおみやげ屋さんがずらっと並んでいます。
どんな素敵な民芸品が売ってるのかと思ったら、 -
見覚えのあるロゴの入ったブランドっぽいバッグや、
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どこか既視感のあるキャラクターたちが並んでいて、期待していたのとは違う商品が売っていました。
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ガジ・フレスヴ=ベグ ベジスタンを抜けて大きな通りを歩いていたら…
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突然、ヨーロッパな街並みに変わりました。
さっきまで皆さん、カフェでコーヒー飲んで甘いお菓子を食べていたのに、こちらでは朝からビールや白ワインを飲んでおしゃべりしています。 -
Googleマップで名前を見て驚きましたが、生神女誕生大聖堂(しょうしんじょたんじょうだいせいどう)です。
聖母マリアの教会でしょうね。
セルビア正教会の教会ですが、淡い黄色の外観はハプスブルクっぽいと思いました。生神女誕生大聖堂 寺院・教会
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ロープが張ってあり、中には入れませんでしたが、立派なイコノスタス(聖障/ついたてのこと)を遠目に見ることはできました。
生神女誕生大聖堂 寺院・教会
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続いてたどり着いたのが、イエスの聖心大聖堂。
街の真ん中にあって、威風堂々としています。
しかしここも民族紛争中のサラエボ包囲でセルビア人に攻撃されて甚大な被害を被ったそうです。イエスの聖心大聖堂 寺院・教会
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入場料はありませんが、寄付という形で2KM(約200円)を箱に入れます。
ステンドグラスや赤と白の大理石がとてもきれいです。イエスの聖心大聖堂 寺院・教会
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ここでオーストラリア人に話しかけられて、しばらく立ち話をしました。
レンタカーでバルカン半島を回っているそうです。
ひとり旅だとずっと孤独なので、すれ違う旅行者と話す時間はいい気分転換になります。
旅行前から予想はしていましたが、イスタンブールを出てからアテネに着くまで日本人には全く会いませんでした。イエスの聖心大聖堂 寺院・教会
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この日のサラエボの気温は30℃。
歩き回ると暑いけど、日陰に入ると落ち着きます。
きれいな建物を眺めながら、休憩しましたが、調べてみたら市場だったようです。
中に入ってみればよかったです。 -
この辺りも人通りが多くて、にぎやかできれいな街並みでした。
こちら側にいると、ヨーロッパに来たなぁと感じます。 -
「永遠の炎」は残念ながら、メンテナンス中でした。
サラエボは第二次世界大戦期、ナチス・ドイツの支援を受けたクロアチア独立国の支配下に置かれ、ユダヤ人コミュニティも迫害を受けたそうです。
永遠の炎は戦争犠牲者を悼むために設置された記念碑で、「この街が経験した痛みを忘れない」という誓いが込められています。永遠の炎 モニュメント・記念碑
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続いて、第一次世界大戦の発端となった、サラエボ事件の現場に向かいます。
歴史の教科書で習ったと思いますが、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が、セルビア系の青年に銃撃、暗殺された事件です。 -
事件の現場付近のラテン橋が見えてきました。
ラテン橋 建造物
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ラテン橋を通っていた時に、皇太子夫妻が射殺されたと書かれているものが多かったので、うのみにしていましたが、ご指摘いただいて調べたところ、実際はラテン橋のすぐ北側でした。
それにしても、こんなのどかな景色の場所が、世界大戦の発端になったのかと、感慨深いものがあります。ラテン橋 建造物
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歩いて暑くなったので、橋を渡ったところの木陰で一休み。
川を渡るとこちらは明らかにイスラム教徒たちの街。 -
川の対岸はヨーロッパ風の街並みです。
ラテン橋 建造物
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サラエボ事件の際に、皇太子夫妻が乗っていた車のレプリカが展示されています。
そして、まさにこの場所が実際に銃撃が起きた地点だそうです。
市庁舎を出た皇太子夫妻は、先導車が道を間違えたためバックしようと停車。
偶然停止したその場所は、ちょうど実行犯プリンツィプが待ち構えていた位置でした。
プリンツィプは車の踏み板に飛び乗り、至近距離から夫妻に向けて銃を放ちました。
あまりにも不運としか言いようがありません。
少し歩いただけでも、歴史の大きなうねりがこの街に刻まれていることを強く感じます。 -
この建物は、1894年オーストリア=ハンガリー帝国統治時代にサラエボの行政の中心として建設された市庁舎です。
当時のオスマン帝国の影響を反映したネオ・ムーア様式です。
入場料は10KM(約1,000円)でした。サラエボ シティ ホール 史跡・遺跡
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この旧市庁舎が本当にきれいで、天井までアーチが続くホールは圧巻の迫力でした。
サラエボ シティ ホール 史跡・遺跡
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イチオシ
階段も壮麗で、まるで宮殿のような美しさです。
サラエボ シティ ホール 史跡・遺跡
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イチオシ
ここは思った以上に映えスポットで、自撮りに夢中になっている人たちがちらほらいました。
私もいっぱい動画を撮ってしまいました。サラエボ シティ ホール 史跡・遺跡
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ここは、サラエボ事件で亡くなったオーストリア皇太子夫妻が、暗殺直前に市庁舎で過ごしていた場面を再現した展示だそうです。
皇太子夫妻はここに到着する前、すでに車に爆弾を投げつけられていました。
爆弾はオープンカーの幌に当たって跳ね返り、後続車の下で爆発。
そのときの負傷者を見舞うため、夫妻は病院へ向かいます。
しかし、その移動の途中で銃撃に遭い、悲劇が起きてしまいました。サラエボ シティ ホール 史跡・遺跡
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館内を進むと議事堂の展示がありました。
レトロな木製の机が並び、その重厚な雰囲気が当時の政治の緊張感を静かに伝えてきます。サラエボ シティ ホール 史跡・遺跡
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さらに進むと。地下へ降りる階段がありました。
市庁舎はサラエボ包囲の際、セルビア人勢力による激しい爆撃で甚大な被害を受けたそうです。
地下には、その痛ましい記憶を伝える展示が並び、当時の状況を静かに語りかけてきました。
美しい市庁舎でしたが、その華やかさとは裏腹に、サラエボ事件、サラエボ包囲と悲しい歴史の記録を辿りました。サラエボ シティ ホール 史跡・遺跡
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お昼は旧市街のいかにも観光客相手のお店を避けて、地元の人にも人気だというSedefに来ました。
入口がわかりにくくて、あきらめかけましたが、ビルの間の小道を入ったところにありました。Sedef Sarajevo その他の料理
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注文したのは、名物のチェヴァピです。
バルカンのケバブサンドみたいな感じですが、薄くスライスしたお肉ではなく、細長い肉団子が入っているのが特徴です。
炭火焼でおいしかったですが、量が多くて、半分くらいでもうおなかいっぱいでした。Sedef Sarajevo その他の料理
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残すのはもったいないなぁと思っていたら、近くのテーブルで持ち帰りにしているのを見かけ、頼んだら私の残り物を包んでくれました。
持ち帰り文化のある国でよかったです。
チェヴァピが18KM(約1,800円)、ビールが6KM(約600円)でした。
観光客御用達のお店ではありませんでしたが、けっこう高いと思いました。Sedef Sarajevo その他の料理
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食後、ようやくこの路上に描かれた線を見つけました。
ここは「Meeting of Cultures」と呼ばれるポイントで、東と西の文化が交わる場所です。 -
境界線の東側はオスマン帝国時代の影響を受けたトルコ風の街並み。
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西側はオーストリア=ハンガリー統治時代の影響を受けたヨーロッパ風の街並みが広がっています。
街が突然変わる様子がおもしろくて、動画を撮ったので、よかったら見てください。
https://www.instagram.com/reel/DdGdSAVKVQv/?utm_source=ig_web_copy_link&stkn=MzRlODBiNWFlZA== -
ガジ・フスレヴ=ベグ博物館は建物と中庭がきれいでしたが、中をのぞいたら殺風景な感じだったので入りませんでした。
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あとはおみやげ屋さんをのぞきながらホテルに帰ります。
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絨毯が並んでいるのは細い路地。
郷愁がわきます。 -
いろんな味がるのですが、ここでは胡桃の入ったロクムをおみやげに買いました。
ゆべしのようでおいしかったです。
ホテル以外で唯一クレジットカードが使えたのが、このおみやげ屋さんでした。 -
最後にホテルの隣にあった大天使ミカエル・ガブリエル教会に入りました。
入場料は5KM(約500円)でした。
博物館も併設しています。 -
中は写真撮影が禁止でしたが、17世紀に作られたという木彫りのイコノスタシス(聖障)とイコン(聖像画)がとても立派でした。
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ホテルでタクシーを呼んでもらい、バスターミナルに来ました。
運転手さんは陽気で英語も上手で、「(これから行く)モスタルは気温が40度もあって暑いよ。地元の人はみんな川か滝に入って涼むんだよ」と教えてくれました。
バスターミナルに到着すると、おもむろに電卓を出して「19」と打ちました。
たいした距離は載ってないのに、思ったよりも高いと思いましたが、話が弾んだ手前、20KM(約2,000円)渡して「お釣りは取っておいて」と言ってしまいました…
現金がどんどん減っていくのですが、もうあの高額なATM使用料は払いたくありません。 -
モスタル行きのバスは、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の方のバスターミナルです。
ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロでは、おそらく旧ユーゴのシステムだったのではないかと思いますが、バスターミナルに入場するために、入場料を支払わなければなりません。
また、サラエボでは、ネットで買ったチケットも印刷しなければなりません。
これを忘れると、別途印刷代が取られるようです。
窓口で紙のチケットを見せたら、1KM(約100円)請求されて、レシートを2枚もらいました。
1枚は入場用のQRコード、もう一枚は運転手に見せる証明書のようでした。 -
バスターミナルは電光掲示板もなく、バスの前に置いてある行先を書いたボードが頼りです。
それから、荷物を預けるのに確か2KM(約200円)かかりました。
ユーロで払うこともできます。
荷物の預入料がかかるのはモンテネグロも同じです。 -
トイレは有料ですが、あまり使いたくない感じです。
バスは基本ぼろくて、車内にトイレはついてないか、あっても使用できないことが多いようです。 -
イチオシ
サラエボからモスタルに行くには、右側に座ると川がずっと見えて景色がきれいでした。
が、途中からエアコンが効かなくなり、ちょっと蒸し暑かったです。
たまたまエアコンの調子が悪いのかと思ったら、この後も蒸し暑いバスが続くので、Googleに聞いてみたら、バルカン半島では、そもそもエアコンの設定温度が高い、バスの車体が古い、あるいは運転手がガソリン代を節約したいなどの理由でエアコンはあまり効かないのがデフォルトのようです。
ハンディ扇風機をバスの車内で使うとは思っても見ませんでした(笑)
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この旅行記へのコメント (8)
-
- 西のマーガレットさん 2026/09/22 13:09:15
- いつも興味深く読ませて頂いています。ありがとうございます。
- こんにちは。いつも旅の参考にさせて頂いています。また、時々私の旅ブログにもお越し頂きありがとうございます。
私達夫婦も、数年前に訪れて美しい街並みに魅せられました。しかし、バルカン半島の歴史は島国日本のそれとは異なり、聞くのも辛いものがありました。私たちはガイドさんについて歩いたのですが、彼女のご主人の話も複雑な民族紛争に翻弄された生活のようでした。
さて、間違っていたらごめんなさい。私たちはガイドさんから、サラエボ事件の現場はラテン橋上ではなくて、橋の北側の道路に少し入ったところ、夫妻が乗っていた車のレプリカが置いてあるところの道路上と聞きました。いろんな説があるのかもしれませんが。
サラエボもモスタルもとても素敵なところでしたね。旅の続き、楽しみに読ませて頂きますね。これからもよろしくお願いします。
- Mugieさん からの返信 2026/09/22 17:25:17
- RE: いつも興味深く読ませて頂いています。ありがとうございます。
- 西のマーガレットさん
こんにちは!
いつも素敵な旅行記をありがとうございます。
旅行先が同じだったり、私の行きたいところなので、興味深く読ませていただいています。
サラエボ事件ですが、多くのものに「ラテン橋を通っているときに狙撃された」と書いてあったので、うのみにしていましたが、調べてみたら、ガイドさんの説明が正しいようです。
市庁舎から出て、ラテン橋付近を右折し、道を間違えたのでバックしようと停車したら、たまたま実行犯のプリンツィプが待機していたところだったそうです。
まさにレプリカのおいてあるところですね。
さらに、皇太子夫妻は至近距離から撃たれており、狙撃でもなかったということに驚きました。
ご指摘ありがとうございます。勉強になりました。
島国で民族的にまとまりのある日本に住んでいると、大陸の歴史は複雑で苛烈だと思いました。
モスタルのガイドさんが、「ボスニア・ヘルツェゴヴィナは宗教熱心な国ではない」と言ったとき、「なんで隣人同士であんなに争ったの?」と謎が深まりました。
部外者にはわからない歴史や背景があるのでしょう。
モスタルはまだ旅の序盤なので、最後のギリシャまで旅行記を書き続けられるのか、我ながら心配ですが、今後ともよろしくお願いします。
-
- 働きマンさん 2026/09/15 22:33:29
- バルカン半島♪
- ムギーさん♪
こんばんは!
今熱いバルカン半島に到着ですね♪
それにしてもセルビアの水道水飲めるんですね!?
驚きです!
世界でも数が少ないと聞いていたので!
それだけでもセルビアに行ってみたくなります♪(笑)
それにやっぱりサラエボ事件についていろんな展示が残っているんですね?
車なんて・・・ほんと、再現性が高くて驚きます。
あの事件からの世界大戦ですものね?
とはいえ、あんな事件があったとは思えないほど綺麗な街並み!
お天気がすごく良いのも街並みが映えますね!
最後に・・・ムギーさん、バスで移動ですか!?
すごーい!!
海外のバス移動ってレベル高くないですか!?
しかもエアコンないんですね?
セルビアって暑いのかな?・・・今年のヨーロッパは猛暑だって言ってましたしね。。。
無事にモスタルに到着しますように♪
働きマン
- Mugieさん からの返信 2026/09/16 10:39:53
- RE: バルカン半島♪
- 働きマンさん、こんにちは!
今回行ったのはボスニア・ヘルツェゴビナです。
旧ユーゴの国は混乱しちゃいますよね(笑)
水道水が飲める国で検索すると出てこないのですが、首都のサラエボは飲めるそうです。
ホテルのフロントの人が6年くらい飲んでると言っていたので、飲めるようになったのは、比較的最近みたいです。
フランスの水道水はちょっと雑味を感じましたが、ここのは無味無臭でおいしかったです。
サラエボ事件で射撃されたときの車のオリジナルはウィーンの博物館にあり、サラエボにあるのはレプリカだそうです。
でも、その時の様子がきちんと再現されていて、興味深かったです。
他の人の旅行記を参考に読んでいましたが、バスについては入場料や荷物の預け入れについての記載はたくさんありましたが、誰もエアコンに触れていなかったので、想定外でした…
「そういえば…」と昔ギリシャのサモス島でサウナみたいに暑いバスに乗ったのを思い出しました。
次回あの辺に行くときは、夏はやめようと思いました(笑)
-
- 白い華さん 2026/09/15 12:55:53
- もうすぐ『バルカン半島! 周遊ツアー』に、出発・・です。
- 今日は。
いつも、遊び!に 来てくれて「有難う御座います」。
長編!『大西洋クルーズ (13日間)旅行記』も、
やっと、最終地点!『バルセロナ & 帰路へ』が 見えて・・来て、
ホッ!と しています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何しろ「10月初め」から、
私も、夫婦・・での『バルカン半島! 周遊ツアー』に 出掛ける。ので。
mugieさん。が、たまたま、タイムリー・・に、
私が「これから・・行く」
『個人・・の バルカン半島! 周遊旅行』に 行ってくれて、
「超ラッキー!!!」。(♪)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
複雑過ぎる・・「この辺り!の 人種。宗教。文化の 違い」と
「もう、面倒!な 気分」で 考える・・のを 停止。
まぁ~「旅行記作り!の 時、改めて・・勉強しよう」と 思っていました。が
この「旅行記! 表紙」が、
とっても、解り易くて、「また、何度・・も 訪問。勉強してみたい」と 思うのでした。
改めて、有難う御座います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『サラエボ』も、もちろん・・寄ります。が
あの「1線」・・を 介して
「トルコ風。西洋風」と「全く、違う・・文化」が 広がっている。
って、面白い!ですね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今回は、小さな 旅行会社!の 主催・・に 乗っかって。の
長め「14日間」の ツアー!です。
「アドリア海 & イオニア海・・の 海辺!の リゾート」が あったり、
「お山・・の 観光用!列車」に 乗ってみたり。と、内容が「盛沢山」。
でも、「ホテル 部屋・・には、湯沸かし!ポットも 無い」と 聞きます。し
とにかく「物価は 安い」が
なんでも・・が『ボロい。遅れている』と 聞いています。ので
あまり、期待せず。で「落胆!しないよう」に しますね。
(耐性力!は あり)(苦笑)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
mugieさん。は、最終的には『ギリシャ』に、行かれたんですね。
「素晴らしい~! 写真。編集。素敵な 出来栄え・・の 動画」も、拝見し、
「mugieさん! らしいなぁ~」と 感心・・しました。
いつも、素敵な「写真 & 文章」で
「次なる! 旅人」を 助けてくれる・・旅行記。に、
改めて、感謝!です。
これからもよろしくお願いします。
- Mugieさん からの返信 2026/09/15 18:16:57
- RE: もうすぐ『バルカン半島! 周遊ツアー』に、出発・・です。
- 白い華さん、こんにちは!
10月にバルカン半島に行かれるんですね。
ツアーだと効率よく回れるので、いいですねー
バスがボロくて、暑いのにエアコンが効かないのがつらかったですが、ツアーならきっとちゃんとした車両でしょうね。
私の場合、部屋にポットがなかったのはサラエボだけでしたが、今回ギリシャも含めてどこのホテルにもティッシュがありませんでした。
バルカン人はティッシュで鼻をかんだり、汚れを拭いたりしないのかな…と不思議に思いました。
ポケットティッシュは多めに持っていった方がいいかもしれません(笑)
動画も見ていただいて、ありがとうございます!
最近は動画を作るのが楽しいのですが、海外の景色は人気がなくてちょっと寂しいです。
バルカン半島の民族、宗教問題は複雑で、私も頭の中を整理するのに時間がかかりました。
でも、大枠を理解したことで、トルコとヨーロッパ風の街並みが混在する理由が理解できたように思います。
ぜひ、バルカン半島の旅を楽しんできてください!
-
- frau.himmelさん 2026/09/14 23:20:17
- バルカン半島の歴史
- ムギーさんこんばんは。
コメントは久しぶりです。
バルカン半島にいらっしゃったのですね。
ムギーさんのように本格的ではないですが、私もバルカンをちょこっと掠った旅をしたものですから、興味深く拝見しています。
ほんとうにあちらの歴史って複雑で難しいですね。ちょこっと掠っただけ、と言いながらも、旅行記はそう言うわけにはいきませんので、私も少し勉強しました。
そしたらムギーさんの旅行記の歴史に関する前書きが、意外とスーーっと入っていきました。嬉しくてついコメントしてしまいました。
齢をとって理解が追いつかないながらも、まずは勉強ですね。
ただ困ったことに少し理解を深め、ムギーさん、その他の方々のバルカン半島の旅行記を拝見していると、行きたくなってしまうことです。
もう少し若ければ、もちょっと前だったら行けたのにと、悔しがっています。
ムギーさん、いいですね~。退職なさったそうでこれからいろんな国に行けますね。
お身体にはお気を付けくださいね。
himmel
- Mugieさん からの返信 2026/09/15 10:06:15
- RE: バルカン半島の歴史
- himmelさん、こんにちは!
バルカン半島の歴史は複雑ですよね。
旅行前に「アイダよ、何処へ?」というスレブレニツァの虐殺を題材にした映画を見たのですが、セルビア人とムスリム(ボシュニャク人)が普通に会話をしていて、さらにクロアチア語も同じ言葉と知ったときは、言語や民族の定義がよくわからなくなりました。
旅行中バスの中でずっとGoogleに質問しながら、ようやく頭の中が整理できました。
苦労してたどり着いた答えなので、himmelさんからコメントいただき、私もうれしいです。
copilotにも検証してもらったので、大筋としてはあっていると思います。
私はずっとhimmelさんはゲルマン圏が大好きなんだと思っていたので、訪問国を増やそうとのスロベニアとクロアチアに行かれたというくだりはびっくりしました(笑)
今回私が行ったところも治安はとてもよかったです。
ただ、バルカン半島は鉄道がほとんどなくて、移動はバス。
山がちで移動に時間がかかるのと、ぼろいバスが多いので、思ってた以上に疲れました。
旅に行くには体力も大切ですね。
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旅行記グループ バルカン半島周遊ひとり旅2026
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