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七星山の観光の次は芙蓉鎮の観光。<br />芙蓉鎮は張家界市と鳳凰古城の中間にある少数民族が住む村で、主に土家(トチャ)族が暮らしていた。<br />元の名は王村古鎮と呼んでいたが、映画「芙蓉鎮」の舞台になったため映画公開後に「芙蓉鎮」に改名されたと言う。<br />古鎮と言われる古い町で当時の面影をそのまま残した素敵な町だった。<br /><br /><9月16日の旅程><br /><br />張家界市ー七星山ー摘星台-1520天空の眼ー如意橋玻瑠桟道ー芙蓉鎮ー<br />鳳凰古城ー鳳凰古城の夜景見学ー鳳凰古城(泊)

おひとり様参加のツアーで行く張家界武陵源の旅 8 土家族の古鎮 芙蓉鎮(前編)

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2025/09/13 - 2025/09/19

379位(同エリア385件中)

ポポポ

ポポポさん

この旅行記のスケジュール

2025/09/16

  • ツアーバスで七星山から芙蓉鎮へ向かう

  • 現在芙蓉鎮の町中に入れるのは電動カートのみ

この旅行記スケジュールを元に

七星山の観光の次は芙蓉鎮の観光。
芙蓉鎮は張家界市と鳳凰古城の中間にある少数民族が住む村で、主に土家(トチャ)族が暮らしていた。
元の名は王村古鎮と呼んでいたが、映画「芙蓉鎮」の舞台になったため映画公開後に「芙蓉鎮」に改名されたと言う。
古鎮と言われる古い町で当時の面影をそのまま残した素敵な町だった。

<9月16日の旅程>

張家界市ー七星山ー摘星台-1520天空の眼ー如意橋玻瑠桟道ー芙蓉鎮ー
鳳凰古城ー鳳凰古城の夜景見学ー鳳凰古城(泊)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • 七星山から芙蓉鎮に行く途中のレストランで昼食。<br />店の名前は「景上河」だが、どこの町のレストランなのか全く分からない。<br />我々は現地ガイドが案内するレストランについて行くだけ。旅行会社の旅程表でも昼食後芙蓉鎮としか書かれておらず、全て現地ガイド任せらしい。

    七星山から芙蓉鎮に行く途中のレストランで昼食。
    店の名前は「景上河」だが、どこの町のレストランなのか全く分からない。
    我々は現地ガイドが案内するレストランについて行くだけ。旅行会社の旅程表でも昼食後芙蓉鎮としか書かれておらず、全て現地ガイド任せらしい。

  • 我々の宴席はレストランの2階。こじんまりした部屋で、我々のメンバーだけで一杯だった。

    我々の宴席はレストランの2階。こじんまりした部屋で、我々のメンバーだけで一杯だった。

  • 今日の昼食もトチャ族料理。席に着いた時には料理は5品しか出ていなかったが、中華料理はこんなものではない。<br />料理は後から後から出てくるのだが、皆が箸を付けると料理が崩れて見た目が汚くなるので写真は割愛した。

    今日の昼食もトチャ族料理。席に着いた時には料理は5品しか出ていなかったが、中華料理はこんなものではない。
    料理は後から後から出てくるのだが、皆が箸を付けると料理が崩れて見た目が汚くなるので写真は割愛した。

  • これは嘉宝果実。幹に直接実がなっている果実で美味しいらしい。<br />袁家界で写真を取り損ねたので、ここで実が生っている写真を写したもの。

    これは嘉宝果実。幹に直接実がなっている果実で美味しいらしい。
    袁家界で写真を取り損ねたので、ここで実が生っている写真を写したもの。

  • レストランを後にすると、ツアーバスの車窓からは張家界市周辺で見えた奇岩と同様の景色が連なって見えた。

    レストランを後にすると、ツアーバスの車窓からは張家界市周辺で見えた奇岩と同様の景色が連なって見えた。

  • まだ張家界市の中を走っているのかなと思いながら車窓を眺める。<br />その後車窓の景色が変わり山の中をバスで走ること約2時間、ようやく芙蓉鎮の入り口に到着した。

    まだ張家界市の中を走っているのかなと思いながら車窓を眺める。
    その後車窓の景色が変わり山の中をバスで走ること約2時間、ようやく芙蓉鎮の入り口に到着した。

  • 芙蓉鎮の入り口と書いたが、芙蓉鎮入口にあるチケット売り場がある建物と言った方が正しいと思う。写真のように大きな建物で芙蓉鎮のチケット売り場や観光案内所、土産物店、トイレなどがある芙蓉鎮インフォメーションセンターだと思う。<br />芙蓉鎮の町の中では公衆トイレが無いので、ここでトイレタイムとなった。<br />その間にガイドは我々のチケットを買いに行ってくれた。

    芙蓉鎮の入り口と書いたが、芙蓉鎮入口にあるチケット売り場がある建物と言った方が正しいと思う。写真のように大きな建物で芙蓉鎮のチケット売り場や観光案内所、土産物店、トイレなどがある芙蓉鎮インフォメーションセンターだと思う。
    芙蓉鎮の町の中では公衆トイレが無いので、ここでトイレタイムとなった。
    その間にガイドは我々のチケットを買いに行ってくれた。

  • 現在芙蓉鎮の町の中には外から自動車で入ることが禁じられている。<br />芙蓉鎮の中に入れるのは芙蓉鎮に居住している住民の車と、芙蓉鎮内部の旅館等の宿泊所や商店と取引のある営業車(主に食料品の配送車)に限られていて、バスやタクシーも入れない。<br />観光客はここで芙蓉鎮の入場チケットを購入し、電気カートに乗って町まで行のである。<br />

    現在芙蓉鎮の町の中には外から自動車で入ることが禁じられている。
    芙蓉鎮の中に入れるのは芙蓉鎮に居住している住民の車と、芙蓉鎮内部の旅館等の宿泊所や商店と取引のある営業車(主に食料品の配送車)に限られていて、バスやタクシーも入れない。
    観光客はここで芙蓉鎮の入場チケットを購入し、電気カートに乗って町まで行のである。

  • 建物を出たところが電動カート(電気自動車)の乗り場。<br />カート1台に10人乗りなので、2台に分かれて芙蓉鎮に向かった。

    建物を出たところが電動カート(電気自動車)の乗り場。
    カート1台に10人乗りなので、2台に分かれて芙蓉鎮に向かった。

  • 芙蓉鎮の町には写真の門からカートで入る。

    芙蓉鎮の町には写真の門からカートで入る。

  • 丁度門を潜って電動カートが到着したところ。<br />観光客は皆ここで降ろされる。

    丁度門を潜って電動カートが到着したところ。
    観光客は皆ここで降ろされる。

  • そしてこの石段が芙蓉鎮への観光客の入り口。<br />この石段を上り、左の大きな建物の手前から左に曲がり道なりに歩いて観光するのである。

    そしてこの石段が芙蓉鎮への観光客の入り口。
    この石段を上り、左の大きな建物の手前から左に曲がり道なりに歩いて観光するのである。

  • 丁度ここから左に折れて石畳の道を真っすぐ歩いて進む。

    丁度ここから左に折れて石畳の道を真っすぐ歩いて進む。

  • 石畳の両側には重厚な造りの商店が軒を連ねていた。<br />ここは湖南省の文化遺産にしてされている区域。日本で言えば重要文化財が軒をつらいる通り、あるいは伝統的建造物群保存地区といった所であろう。<br />非常に趣のある通りだった。<br />写真の建物は芙蓉鎮で古くから作られている米豆腐店の建物。

    石畳の両側には重厚な造りの商店が軒を連ねていた。
    ここは湖南省の文化遺産にしてされている区域。日本で言えば重要文化財が軒をつらいる通り、あるいは伝統的建造物群保存地区といった所であろう。
    非常に趣のある通りだった。
    写真の建物は芙蓉鎮で古くから作られている米豆腐店の建物。

  • その向かいにあったのが湖南省無形文化遺産「土家(トチャ)桃花美術館」。<br />美術館だが戸は閉まっていた。<br />この建物も富裕な商人の商家だそうで、ガイドが建物の彫刻や格式を示す構造など詳しく説明してくれたが、すでに認知症予備軍である私は何も覚えていない(笑)。

    その向かいにあったのが湖南省無形文化遺産「土家(トチャ)桃花美術館」。
    美術館だが戸は閉まっていた。
    この建物も富裕な商人の商家だそうで、ガイドが建物の彫刻や格式を示す構造など詳しく説明してくれたが、すでに認知症予備軍である私は何も覚えていない(笑)。

  • グーグル翻訳によると美術館と言う事になるのだが、日本で言う所の重要文化財の商家である。<br />ガイドの説明では商家の中でも特に富裕な商家の建物だそうだ。まず玄関の戸や窓に施された格子柄の飾り窓。

    グーグル翻訳によると美術館と言う事になるのだが、日本で言う所の重要文化財の商家である。
    ガイドの説明では商家の中でも特に富裕な商家の建物だそうだ。まず玄関の戸や窓に施された格子柄の飾り窓。

  • 格式の高い店しかこのような透かし彫りの装飾は無いのだそうだ。

    格式の高い店しかこのような透かし彫りの装飾は無いのだそうだ。

  • 軒の垂木には直角に交差するように2列に渡って彫刻が施された軒飾りとでもいうような物が取り付けられている。

    軒の垂木には直角に交差するように2列に渡って彫刻が施された軒飾りとでもいうような物が取り付けられている。

  • 屋根の垂木部分のアップ。<br />中国木造建築の独特造りのように見える。ここまでの装飾は一般の民家や商店にはほどこされていない。<br />

    屋根の垂木部分のアップ。
    中国木造建築の独特造りのように見える。ここまでの装飾は一般の民家や商店にはほどこされていない。

  • 同じ通りにある普通の商店の造りである。<br />先程の建物と比較してもらいたい。この店は茶店であるが造りが質素だと言う事が分かる。<br />店の戸は一枚戸で彫刻などは無い。軒には垂木が見えるだけの質素な造りだった。

    同じ通りにある普通の商店の造りである。
    先程の建物と比較してもらいたい。この店は茶店であるが造りが質素だと言う事が分かる。
    店の戸は一枚戸で彫刻などは無い。軒には垂木が見えるだけの質素な造りだった。

  • この店は入口の戸の彫刻が見事。この建物も商家だが、どんな商店かは覚えていない。<br />この店の入り口の戸は6枚。右の3枚は上部のガラス戸中央の意匠は「竹」、中段の装飾は「鹿に鈴」下部の三枚はいずれも花の意匠で左から蓮、菊、一番右はピンボケでどんな花なのか分からない。

    この店は入口の戸の彫刻が見事。この建物も商家だが、どんな商店かは覚えていない。
    この店の入り口の戸は6枚。右の3枚は上部のガラス戸中央の意匠は「竹」、中段の装飾は「鹿に鈴」下部の三枚はいずれも花の意匠で左から蓮、菊、一番右はピンボケでどんな花なのか分からない。

  • こちらは入口左側の3枚戸。<br />上段中央の装飾は2匹の鯉の飾りで中段の装飾は麒麟。

    こちらは入口左側の3枚戸。
    上段中央の装飾は2匹の鯉の飾りで中段の装飾は麒麟。

  • 下段の装飾は左が隋末から唐初期に活躍した勇将として名高い「秦叔宝」<br />「秦叔宝」は門神としても有名で、家の門にその姿を描いて魔除けとした。<br />右の武将は「尉遅敬徳(尉遅恭)」。秦叔宝同様隋末期から唐初期、大宗の配下として活躍した名将。<br />「秦叔宝」と共に門神として広く信仰されている。<br />2人が門神として魔除けや家を守る存在として信仰されるようになった理由は次のように言われている。<br />唐の大宗李世民は夜ごと悪霊や亡霊に悩まされていた。そこで秦叔宝と尉遅敬特に宮門を守らせると異変が収まった。その後は二人を毎晩門に立たせる変わりに二人の姿を門に描いて貼るようになったとされている。

    下段の装飾は左が隋末から唐初期に活躍した勇将として名高い「秦叔宝」
    「秦叔宝」は門神としても有名で、家の門にその姿を描いて魔除けとした。
    右の武将は「尉遅敬徳(尉遅恭)」。秦叔宝同様隋末期から唐初期、大宗の配下として活躍した名将。
    「秦叔宝」と共に門神として広く信仰されている。
    2人が門神として魔除けや家を守る存在として信仰されるようになった理由は次のように言われている。
    唐の大宗李世民は夜ごと悪霊や亡霊に悩まされていた。そこで秦叔宝と尉遅敬特に宮門を守らせると異変が収まった。その後は二人を毎晩門に立たせる変わりに二人の姿を門に描いて貼るようになったとされている。

  • 通りの両側には古い商店が軒を連ねているが、その中には芙蓉鎮独特の旅館もあった。<br />写真がその旅館「老院子」。

    通りの両側には古い商店が軒を連ねているが、その中には芙蓉鎮独特の旅館もあった。
    写真がその旅館「老院子」。

  • 看板掲げられた「老院子」とは古い中庭がある邸宅という意味で、中国スタイルの旅館「芙蓉鎮老院子客棧」のこと。<br />吊脚楼と呼ばれる少数民族に伝わる高床式の木造建築や明清時代の意匠を取り入れた彫刻が特徴だそうだ。

    看板掲げられた「老院子」とは古い中庭がある邸宅という意味で、中国スタイルの旅館「芙蓉鎮老院子客棧」のこと。
    吊脚楼と呼ばれる少数民族に伝わる高床式の木造建築や明清時代の意匠を取り入れた彫刻が特徴だそうだ。

  • 通りは四角い石で敷き詰められた石畳の道。<br />ヨーロッパの様に凸凹の石畳の道とは違い四角い平坦な石の上を歩くので、とても歩き易い石畳の道だった。<br />この様な通りを石板街と呼ぶが、道に整然と敷かれた石板からそう呼ばれたのであろう。

    通りは四角い石で敷き詰められた石畳の道。
    ヨーロッパの様に凸凹の石畳の道とは違い四角い平坦な石の上を歩くので、とても歩き易い石畳の道だった。
    この様な通りを石板街と呼ぶが、道に整然と敷かれた石板からそう呼ばれたのであろう。

  • 芙蓉鎮の民家。

    芙蓉鎮の民家。

  • ここは手打ち麺工房。<br />1包み10元と書かれているから安い。

    ここは手打ち麺工房。
    1包み10元と書かれているから安い。

  • この辺りは麺工房が並んでいた。<br />この麺は平たい、きし麺に似た麵だった。

    この辺りは麺工房が並んでいた。
    この麺は平たい、きし麺に似た麵だった。

  • この麺工房では丸い細麺が天日干しされていた。

    この麺工房では丸い細麺が天日干しされていた。

  • 石板街から路地に入ると民家が並ぶ。

    石板街から路地に入ると民家が並ぶ。

  • 再び石板街の様子。<br />芙蓉鎮の入り口付近には豪壮な商家が集まっていたが、石板街の中ほどからは普通の商家が建並んでいて、入口の戸を開けて商売を営んでいる様子が伺えた。<br />特にこの辺りからは下りの石段が多くなり、石板街は徐々に下り坂になって行った。

    再び石板街の様子。
    芙蓉鎮の入り口付近には豪壮な商家が集まっていたが、石板街の中ほどからは普通の商家が建並んでいて、入口の戸を開けて商売を営んでいる様子が伺えた。
    特にこの辺りからは下りの石段が多くなり、石板街は徐々に下り坂になって行った。

  • この店は燻製肉の販売店。<br />写真右の商品は「香腸(シャンチャン)」の真空パック詰め。豚肉を主原料にして醤油、砂糖、塩、中国酒、や各種スパイスで味付けして乾燥・塾生させたもの。<br />左は豚の燻製肉の真空パック詰め。

    この店は燻製肉の販売店。
    写真右の商品は「香腸(シャンチャン)」の真空パック詰め。豚肉を主原料にして醤油、砂糖、塩、中国酒、や各種スパイスで味付けして乾燥・塾生させたもの。
    左は豚の燻製肉の真空パック詰め。

  • 芙蓉鎮で一番良く目にしたのが「葛根粉(クズ粉)」。<br />漢方薬あるいは健康食品として使用される。日本では葛湯として知られている。<br />「梅干菜」とはからし菜の乾燥漬物の事。

    芙蓉鎮で一番良く目にしたのが「葛根粉(クズ粉)」。
    漢方薬あるいは健康食品として使用される。日本では葛湯として知られている。
    「梅干菜」とはからし菜の乾燥漬物の事。

  • この店も店頭で葛根粉を売っていた。<br />他に野草粉等漢方薬と思しき品が店頭に並べられていた。

    この店も店頭で葛根粉を売っていた。
    他に野草粉等漢方薬と思しき品が店頭に並べられていた。

  • この店は葛根粉の他に豚のサラミや燻製肉、干しタケノコや漢方薬の野生天麻、背後の棚には「野葱酸」の瓶詰、緑茶、飲料水と幅広い品揃えの店舗だった。<br />「野葱酸」とはノビルのような野生の葱の仲間を材料にした酸味のある漬物のこと。

    この店は葛根粉の他に豚のサラミや燻製肉、干しタケノコや漢方薬の野生天麻、背後の棚には「野葱酸」の瓶詰、緑茶、飲料水と幅広い品揃えの店舗だった。
    「野葱酸」とはノビルのような野生の葱の仲間を材料にした酸味のある漬物のこと。

  • 生薬や漢方薬などを販売する店を過ぎると、にぎやかな通りに出た。<br />この辺りは飲食店や旅館などが多い。<br />写真左の建物は旅館である。

    生薬や漢方薬などを販売する店を過ぎると、にぎやかな通りに出た。
    この辺りは飲食店や旅館などが多い。
    写真左の建物は旅館である。

  • 通り沿いにはトチャ族の郷土料理店が多くみられるようになった。<br />この店は芙蓉鎮で有名な米豆腐の店。看板には「劉暁慶米豆腐(リウ・シャオチン・ミードウフ)」と書かれている。<br />劉暁慶は映画「芙蓉鎮」のヒロイン、劇中で米豆腐を売る美しいヒロインを演じたことで、この町と料理が一躍中国中に有名になった。<br />当時撮影に使われた米豆腐の店舗は、そのまま「劉暁慶米豆腐店」として残っており、その店がここにあるとガイドが説明していた。<br />我々はこの店が映画のロケ地の「劉暁慶米豆腐店」と思っていたが、旅行記を進めるうちに他の資料で五里石板街の近くにあることが分かった。<br />そうするとこの米豆腐の店は「劉暁慶米豆腐」と名乗った看板を堂々と出しているが、本家本元の店と問題はないんだろうか?それとも支店なのか?<br />ガイドに聞けば分かったかもしれないが、今となってはどうしようもない。<br />現在も多くの観光客が訪れる人気スポットとなっているそうだが、残念ながら我々はツアーのため自由行動が無く、米豆腐を食べることはできなかった。<br />元々この町は「王村」と呼ばれていたが、映画の大ヒット後に「芙蓉鎮」へと改名」された。

    通り沿いにはトチャ族の郷土料理店が多くみられるようになった。
    この店は芙蓉鎮で有名な米豆腐の店。看板には「劉暁慶米豆腐(リウ・シャオチン・ミードウフ)」と書かれている。
    劉暁慶は映画「芙蓉鎮」のヒロイン、劇中で米豆腐を売る美しいヒロインを演じたことで、この町と料理が一躍中国中に有名になった。
    当時撮影に使われた米豆腐の店舗は、そのまま「劉暁慶米豆腐店」として残っており、その店がここにあるとガイドが説明していた。
    我々はこの店が映画のロケ地の「劉暁慶米豆腐店」と思っていたが、旅行記を進めるうちに他の資料で五里石板街の近くにあることが分かった。
    そうするとこの米豆腐の店は「劉暁慶米豆腐」と名乗った看板を堂々と出しているが、本家本元の店と問題はないんだろうか?それとも支店なのか?
    ガイドに聞けば分かったかもしれないが、今となってはどうしようもない。
    現在も多くの観光客が訪れる人気スポットとなっているそうだが、残念ながら我々はツアーのため自由行動が無く、米豆腐を食べることはできなかった。
    元々この町は「王村」と呼ばれていたが、映画の大ヒット後に「芙蓉鎮」へと改名」された。

  • 五里石板街の観光ポスターの写真である。<br />ガイドの説明によると我々が歩いて来た石畳の通りが石板街。旅行記を作成する前には我々が歩いた通りが五里石板街かと思っていたが、写真の通りは別にあり芙蓉鎮の観光スポットであることが分かった。<br />五里石板街はツアーでは歩いていないが、写真で見ると今もそのまま昔の風情を残した古い町であることが良く分かる。

    五里石板街の観光ポスターの写真である。
    ガイドの説明によると我々が歩いて来た石畳の通りが石板街。旅行記を作成する前には我々が歩いた通りが五里石板街かと思っていたが、写真の通りは別にあり芙蓉鎮の観光スポットであることが分かった。
    五里石板街はツアーでは歩いていないが、写真で見ると今もそのまま昔の風情を残した古い町であることが良く分かる。

  • 石板街を通り抜けると、とある場所にやって来た。<br />ここは町の中心に近い場所にある町の大広場。立派な楼門が我々を迎えてくれた。

    石板街を通り抜けると、とある場所にやって来た。
    ここは町の中心に近い場所にある町の大広場。立派な楼門が我々を迎えてくれた。

  • 大広場の入り口はこの楼門。楼門の奥に広場が見える。<br />まずは楼門を潜って広場の中へ。<br />

    大広場の入り口はこの楼門。楼門の奥に広場が見える。
    まずは楼門を潜って広場の中へ。

  • 広場は石板が敷き詰められたかなり広い広場だった。

    広場は石板が敷き詰められたかなり広い広場だった。

  • 広場を囲むように建っている建物。<br />手前の建物は茶館、その後ろの建物は旅館である。

    広場を囲むように建っている建物。
    手前の建物は茶館、その後ろの建物は旅館である。

  • 広場に面して建っているのは「擺手堂(はいしゅどう)」<br />擺手堂とはトチャ族が祖先を祀り、伝統的な民族舞踊である「擺手舞(手振りダンス)」を踊るための舞台。<br />近年では観光客相手にほぼ毎日芸能を披露しているそうだが、我々が訪れた時は踊り手はいなかった。

    広場に面して建っているのは「擺手堂(はいしゅどう)」
    擺手堂とはトチャ族が祖先を祀り、伝統的な民族舞踊である「擺手舞(手振りダンス)」を踊るための舞台。
    近年では観光客相手にほぼ毎日芸能を披露しているそうだが、我々が訪れた時は踊り手はいなかった。

  • 芙蓉鎮の楼門。

    芙蓉鎮の楼門。

  • 芙蓉鎮の楼門を通って広場から外に出る。

    芙蓉鎮の楼門を通って広場から外に出る。

  • ガイドから是非紹介したい場所があると言われて連れてこられたのがここ「銅柱園」。<br />説明文には「渓州の戦い」が終結した後、彭士愁と馬希範は境界の石碑として銅の柱を建て、それぞれの自治領土を区分した。これは中国古代の少数民族地域における自治の先駆けとなった。<br />1961年、「渓州銅柱」は国務院によって第一次全国重点文物保護単位に指定された。銅柱の前にある一連の像は、馬と彭が血をすすって誓いを立てた(同盟を結んだ)情景を再現している。<br />渓州の戦いとは五代十国時代の939年から940年にかけて湖南省で起きた楚(南楚)と地元の少数民族(主にトチャ族)との間の大規模な戦争である。<br />当時湖南一帯を支配していた楚の王馬希範と、渓州の少数民族を率いていた首領の彭士愁との間で激しい領土主権争いが起きた。<br />彭士愁の軍は一時、楚の都市へ猛攻を仕掛けたが、楚の軍隊に反撃され、最終的には山深い渓州へと退却した。<br />戦争は楚の優位で進んだが山岳地帯の戦いは楚に負担を強いたため、両者は和議を結ぶことで合意した。<br />両者は二度と争わないことを誓い、「血をすすって盟約を結ぶ」と言う儀式を行った。<br />その和平の証として、そして互いの統治領土の境界碑として建てられたのが案内板にある「渓州銅柱」である。<br />この戦いと和議の結果彭士愁は楚の官位を授かり、この地域での独自の自治権を認められた。<br />このことが後に元・明・清まで続く「土司制度」の先駆けとなったのである。<br />

    ガイドから是非紹介したい場所があると言われて連れてこられたのがここ「銅柱園」。
    説明文には「渓州の戦い」が終結した後、彭士愁と馬希範は境界の石碑として銅の柱を建て、それぞれの自治領土を区分した。これは中国古代の少数民族地域における自治の先駆けとなった。
    1961年、「渓州銅柱」は国務院によって第一次全国重点文物保護単位に指定された。銅柱の前にある一連の像は、馬と彭が血をすすって誓いを立てた(同盟を結んだ)情景を再現している。
    渓州の戦いとは五代十国時代の939年から940年にかけて湖南省で起きた楚(南楚)と地元の少数民族(主にトチャ族)との間の大規模な戦争である。
    当時湖南一帯を支配していた楚の王馬希範と、渓州の少数民族を率いていた首領の彭士愁との間で激しい領土主権争いが起きた。
    彭士愁の軍は一時、楚の都市へ猛攻を仕掛けたが、楚の軍隊に反撃され、最終的には山深い渓州へと退却した。
    戦争は楚の優位で進んだが山岳地帯の戦いは楚に負担を強いたため、両者は和議を結ぶことで合意した。
    両者は二度と争わないことを誓い、「血をすすって盟約を結ぶ」と言う儀式を行った。
    その和平の証として、そして互いの統治領土の境界碑として建てられたのが案内板にある「渓州銅柱」である。
    この戦いと和議の結果彭士愁は楚の官位を授かり、この地域での独自の自治権を認められた。
    このことが後に元・明・清まで続く「土司制度」の先駆けとなったのである。

  • 渓州銅柱を中央にして左に楚の馬希範と右にトチャ族の彭士愁が血をすすって同盟を結んだ場面を銅像で再現している。<br />なお中央の渓州銅柱はレプリカで、本物は芙蓉鎮の民俗風景博物館に保存されている。

    渓州銅柱を中央にして左に楚の馬希範と右にトチャ族の彭士愁が血をすすって同盟を結んだ場面を銅像で再現している。
    なお中央の渓州銅柱はレプリカで、本物は芙蓉鎮の民俗風景博物館に保存されている。

  • 銅像のアップ。

    銅像のアップ。

  • 次に訪れたのが土生橋。川に架かる橋で橋の欄干から眺める吊脚楼の景色が見事。<br />芙蓉鎮では芙蓉鎮瀑布や吊脚楼、石板街などの景色と共に観光スポットになっている。

    次に訪れたのが土生橋。川に架かる橋で橋の欄干から眺める吊脚楼の景色が見事。
    芙蓉鎮では芙蓉鎮瀑布や吊脚楼、石板街などの景色と共に観光スポットになっている。

  • 土生橋の通路部分。左右に欄干があり、芙蓉鎮の街並みの景色が望める。<br /><br />芙蓉鎮の前編はここで一旦区切り、後編を次にお送りします。<br />訪問下さりありがとうございました。<br />

    土生橋の通路部分。左右に欄干があり、芙蓉鎮の街並みの景色が望める。

    芙蓉鎮の前編はここで一旦区切り、後編を次にお送りします。
    訪問下さりありがとうございました。

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