2026/05/31 - 2026/06/04
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しにあの旅人さん
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堀辰雄は2回菖蒲池(しょうぶいけ)古墳を訪れています。
1回目は神西清と一緒に1939年(昭和14)年5月。多恵子宛に奈良に来ないかと絵葉書を出していますが、多恵子の都合がつかなかったようです。(筑摩8巻P205あたり)
2回目が1941年(昭和16年)12月でした。多恵子宛の葉書だと12月4日です。(書簡番号482)
2回の旅の経験をもとに書いたのが「大和路・信濃路」の一編「古墳」です。
それと「久米寺霊験記」となんの関係があるか。あとのお楽しみということで。聞くも涙の物語です。
参考書は以下の通り。
「大和路・信濃路」新潮文庫/平成22年第60刷
いつもは筑摩版の全集から引用しますが、今回はこの日持って行った文庫本です。
筑摩版堀辰雄全集/昭和53年
地図は別記なければグーグルマップです。
投稿日:2026/06/27
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー 新幹線 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
1回目の出発点は久米寺でした。それから軽、五條野を抜けて菖蒲池古墳にたどり着いています。
2回目も同じようなもの。剣池から雷の丘に出て、帰りにバスに間に合わなくて、夕暮れの菖蒲池古墳を覗いている。岡寺駅にたどり着いたときは月の光を背に浴びていた。
私たちは橿原神宮前駅のホテルからつまみ食いで、彼のコースをたどりました。
堀辰雄は結核でしたが、元気な時は80のじじいよりよっぽど健脚です。
当時の軽の村落は、
★今もまだその軽の村らしいものが残っております。その名を留めている現在の村は、藪の多い、見るかげもなく小さな部落になり果てていますが、それだけに一種のいい味があって、そこへ往ってみても決して裏切られるようなことはありません。★
(新潮文庫本P141神西清あて書簡)
柿本人麻呂の愛人が軽の里に住んでいました。ここいら辺りは飛鳥宮の貴族の愛人が住むところだったんだ。堀辰雄がイメージした軽の里はそういうところだったらしい。
一書に曰く
奈良に来ると、えっ、これは、あの人物の名前では?!と、思うことがしばしばです。
軽という地名で、思い出すのは、あの衣通郎女(そとおりひめ)ではないでしょうか。
衣服が透き通るほどの美しさで、同母兄との禁じられた恋で有名なお姫様です。
軽郎女。軽大郎女ともよばれています。
兄は木梨軽皇子。皇太子でした。
ともに允恭天皇の子どもですから、仁徳天皇と、あの磐之媛命の孫になります。
お~!なんというドラマティック!
おばあさんもおばあさんなら、孫も孫。
だいたい、衣通姫って。
光っていたのでしょうか。
かぐや姫は、輝いていたらしい。
オーラですかね。
雑踏の中でも、美女は、ぴかーっと一目でわかるそうですが。
衣を通してくっきり肉体がうかがえるってことらしい。
無意識に、ギリシャ風の布を巻き付けただけの姿を想像しておりましたが、古墳時代の服装って、結構ぼてぼて着込む感じですよ。
ロングスカートにチュニックですわ。
最近のファッションに、似ています。
デカ腹、大根あし隠しに良いのですが。
それでもわかる体形!すけて見えるし!
これは、相当のおっぱいぼんぼーん。おしりドーンだったのかしらね。
もっとも、ミロのビィーナスさんも、洋服着せたら、相当のデブらしいですけど。
軽皇子って名前、日本書紀に何回も出てきます。禁じられた恋をする人ばかりではありません。
孝徳天皇(中大兄皇子の叔父)と文武天皇(天武天皇の孫、ということは、持統天皇の孫であり、天智天皇のひ孫)も軽皇子です。
ということは、孝徳天皇と文武天皇はどういう関係か?
考えようと思ったけれど、ごちゃごちゃして、もう、知らんがな。
ただただ、軽という土地に生育したとか、領地にしたとかだと思いますわ。
軽は重要な土地だったらしいですな。
現在は、普通の住宅地でした。
By妻 -
堀辰雄は軽の村のどのあたりを通ったのだろう。考えられるのは軽寺跡あたりではないか。当時からあったのは間違いない。
-
軽寺跡。
-
創立年代は飛鳥時代後期とのこと。
彼好みです。 -
堀辰雄の時代では「法輪寺」というお寺でした。
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境内には「應神󠄀天皇軽島豊明宮跡(おうじんてんのう・かるしまの・とよあきらの・みやあと」という石碑がありました。15代天皇で、4世紀後半-5世紀初めに実在した大王であると推定されています。
-
ところで、奈良の古い村の道路はどうして側溝が深いのでしょう。これは法輪寺近くです。これなどまだいい方で、もっと古い村にいくと、この倍くらいの深さがあります。それが軽乗用車がぎりぎりという狭い道路にあるので、私たちには恐怖の側溝でした
-
軽寺あとをすぎるとしばらくして道路は新しくなり、両側には普通の都会郊外の家が並んでおりました。
この道をまっすぐ行くと石川池で、孝元天皇陵があります。劔池嶋上陵(つるぎのいけの・しまのえの・みささぎ)が正式命ですから、堀辰雄は剣池とよんでいます。
この天皇はいわゆる闕史八代の一人で実在しなかったというのが定説です。 -
というのは橿原では通用しなくて、街の中心部に「孝元天皇御陵 東五丁」という石碑が建っております。
この陵の北東が菖蒲池古墳です。五条野町を抜けて1.7kmくらい。 -
丁寧な案内があり、すぐ分かります。
-
苦手な階段もたいしたことありません。
-
やっと上り切った。
-
1辺30mの方墳です。築造は7世紀中ごろ。六角墳や八角墳ではないので、皇族のお墓ではないようです。
-
被葬者の記録はなく、だれのお墓とも特定されていません。
それで2009年から4年間丁寧な発掘が行われ、全容が明らかになりました。
堀辰雄が訪れたときは墳丘の中腹の石室が、金網が張ってあるものの、そのまま公開されていました。 -
現在はこの小屋の中にあります。
-
鍵がかかっていて、中は見られませんでした。
玄室には精巧な作りの石棺が縦に2基おかれているそうです。
堀辰雄がいうように玄室に石棺が二つあるのは珍しい。
最近葛城で古墳巡りの旅に凝っています。そのなかの古い古墳に、夫婦と思われる2人を合葬した古墳があります。夫は倭人、妻はおそらく百済からやってきた機織姫だそうです。機織の一群の女職人の長(おさ)ですから、文字通り機織姫。
4-5世紀くらいの葛城には渡来人が少なからず住んでいて、在来の倭人とまざって暮らしておりました。日本書紀には捕虜となっていますが、発掘によれば、彼らはどう見ても捕虜ではなく、招聘したハイレベルの工人と思われる、と葛城のいくつかの博物館の専門家は言っています。
それらを支配していたのが葛城氏。葛城氏は6世紀半ば雄略天皇に滅ぼされました。
しかしこういう埋葬の伝統を7世紀まで保った、葛城氏の支族の古墳じゃないか、例によってしにあ流の妄想です。
葛城の古墳の発掘、研究が進んだのは最近のことで、この時代の堀辰雄はその存在を知るすべもありません。
知っていたらなにかロマンティックな一言があったはずです。
弥生時代からやっと抜け出した古代、葛城の豪族と異国の機織姫の物語、書いてもらいたかったなあ。 -
西はふもとまで住宅地になっております。
一書に曰く
あやめいけ古墳なのか、しょうぶいけ古墳なのか。
堀辰雄は、あやめいけと読んでいます。
「にじょうざん」より「ふたかみやま」。「しょうぶいけ」より「あやめいけ」のほうが、やさしく、雅に感じますが、国土地理院が決めたんじゃしょうがない。
「古墳」には、五月に来たときは、甘樫の丘の辺りに桐の花が咲いていたと書いてあります。
桐の花は、大好きな花なので、観たかったです。
が、残念。もう終わったようで,緑一色でした。
最近は、季節が進むのが早いようです。
また、桐を見に来よう。
とか、ついつい思ってしまって、奈良から抜けられませんねえ。
By妻 -
木の間の丘。
この方向で小さい丘というと畝傍です。直線4㎞くらい。
「畝傍の松林の中を歩き回り・・・」と書いています。(P136) -
畝傍山なんて葛城の高地から見ると奈良盆地のおできみたいな感じです。歩き回るほどのものかと思っておりました。
この日くたびれてホテルについて、窓のカーテンなど開ける気にもならず寝てしまいました。
翌日カーテンを開けたら、 -
目の前が畝傍山!
近くで見ると思ったより大きい。 -
裾野もひろく、これなら「畝傍の松林の中を歩き回」ってもおかしくない。死火山だそうですが、納得です。標高198.8mの超ミニ大和富士。
-
一書に曰く
再び葛城山からの畝傍山。左肩にちょっと見えるのは耳成。
香久山は畝傍を愛しと、、、と天智天皇の歌にありますが、これがよく分からない歌で、昔わからなくて、今も分かりません。
畝傍って、星の王子様に出てくる、象を飲み込んだうわばみの絵みたいではないですか。
取り合うほどカッコいい山かな?!が、まず第一。
第二に、性別は?
女性二人が争っているのか、男性二人の争いなのか。
このあと、
うつせみも妻をあらそうらしき
とあるから、争ったのは、男達となるようにも思うんだけど、夫のこともつまと言ったらしいし。
分かったことは、一人でたくさんの嫁さん持っていた、この時代でも三角関係に悩んでいたってこと。
天智天皇も天武天皇も、奥さん方の嫉妬に苦しんでいたってことですわ。はっはっは。苦しめー!なやめー!
奥さん達 がんばれー!!
By妻 -
久米寺霊験記
▲▲▲▲▲▲
私たちは2026年2月にも久米寺には来ております。 -
そのときにちらっと見えた金色の仏像。
-
私はこういうのが好きではないのです。
今回By妻がどうしても久米寺にもう一度行きたいと言います。
最初は渋っておりましたが「絶対行く!」
それならばとやってきました。
一書に曰く
久米寺のキンキラキンの仏像が、by夫は、お気に召さない。
なーにを云うか。
仏像っていうのは、最初はみんなキンキラキンなのよね。
私らの孫の孫辺りが、ここにきて、この仏像を見て
う~ん、渋い。
とか言うのよ。
すべて時の流れですよ。
By妻 -
By妻は永いこと本堂で拝んでおりました。
私は飽きちゃって先に車へ。戻ってきたBy妻に「何を拝んできたの?」ときいたら、
「あなたの眼がよくなりますように、とお願いしてきた」
私は昨年から非回転性のめまいというのにとりつかれました。目が回るわけではないのに、歩くとマットレスの上を歩くみたいにフワフワするのです。
血圧その他健康測定数値は正常で、内科での6か月のお薬治療は効果なし。耳鼻咽喉科での三半規管検査も正常。眼科は「そもそも目が原因のめまいはない」
80を超えました。お医者で「加齢」または「自律神経失調症」と言われたら、「治らないのであきらめろ」だそうです。 -
久米寺は、聖徳太子の弟来目皇子の眼病を直したことで有名で、眼にご利益のあるお寺なのだそうです。
そういうことはつゆ知らず、By妻ちゃん、ごめんなさい。
久米寺さま、失礼しました。
ここから8㎞ほど南の壺阪寺の「壺阪霊験記」にちなみ「久米寺霊験記」とします。
なお非回転性めまいはつづいておりますが、By妻のおかげで治ると確信しております。 -
一書に曰く
来目王子の眼病って、どんな病気だったのでしょうね。
壺阪霊験記の壺阪寺もありまして、目の病気を治癒した話は、よくあります。
水道なんてなかった時代、もしも豊富で清らかな水がでたら。
その水で洗ったなら、目の病気、結膜炎とかトラコーマとか、ものもらいとかが、治ったのではないですかね。
昔は、衛生状態が悪かったでしょうから、源氏物語でも枕草子でも書いてはいないけれど、きっと皮膚病、眼病、蔓延していたと思う。
洗濯機もないし、洗濯も頻繁には、しなかっただろうし。
だからね。
君がため~とか恋の歌を歌いつつ、もぞもぞ南京虫に刺されて、かゆがっていたんじゃないかな。
ああ、それで香をたき込めたのか。
なるほど。
一方、現代には現代の病気がございまして。
毎日、清潔な衣類を着て、お風呂にも入って、食べ物にも困らず、なんで、病気になるのでしょう?
野良猫の平均寿命は、わずかに4年。家ネコだと、16~17年とか生きるらしいです。
人間も、昔は野良猫だった。
今や家ネコ時代、長生き時代です。
By妻
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 旅猫さん 2026/06/28 07:40:45
- 大和路
- しにあの旅人さん、おはようございます。
先日、『大和路・信濃路』を図書館で借りて来て読みました。
興味深かったです。
作家の書く紀行文は、結構好きです。
古本屋で見つけると、つい買ってしまいます。
古代の歴史は、発掘が進むにつれ、色々と分かってきて面白いですよね。
ただ、宮内庁所管の古墳群の発掘が出来ないのが残念です。
物凄い発見が出てくると思うので、歴史が大きく変わるのではないかと。
それが困るのでしょうけど(笑)
とりあえず、発掘できる場所を徹底的にやって欲しいものです。
古代の渡来人についても、色々ありそうですよね。
継体朝についても、さらなる解明をして欲しいものです。
旅猫
- しにあの旅人さん からの返信 2026/07/02 11:11:09
- Re: 大和路
- 「大和路・信濃路」は堀辰雄の作品でもひときわ味わい深いと思います。
筑摩の全集では「小品」という分類になっています。
「エッセイ」より長めだけれど創作ではない、ということのようです。
私は堀の妻、多恵子のファンです。「辛夷の花」や「浄瑠璃寺の春」には多恵子が直接出てくるので、特にお気に入りです。「十月」は多恵子宛の手紙がベースになっているので、登場人物のようなものです。
多恵子がモデルの小説は「巣立ち」という短編があるだけです。
モデルといえば、「風立ちぬ」の矢野綾子と混同されて、結婚後「堀節子様」という手紙をもらったこともあるし、「生きていたんですか!」と言われたこともあると本人が書いています。
宮内庁所管の古墳は、だいたい本物ではないようです。天智、天武持統陵は間違いなく本物ですから、そういうお墓も発掘しろとはいいませんが、6世紀くらいまでのほぼ真墓ではないと学者が言っている古墳は、ぜひ発掘してほしい。
とくに箸墓古墳の被葬者は本当に卑弥呼かどうか、はっきりさせてもらいたいものです。
葛城の渡来人については、ほじくっているところです。奈良の堀辰雄が終わったので、つぎは葛城シリーズを始める予定です。
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