2026/02/05 - 2026/02/14
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しにあの旅人さん
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堀辰雄夫妻は1943年(昭和18年)4月上旬浄瑠璃寺を訪れています。夫婦そろっての旅は珍しい。そのときの印象をもとに書かれたのが、「信濃路・大和路」の一編「浄瑠璃寺の春」です。この年7月婦人公論に発表されました。
この作品で大活躍しているのは馬酔木の花、お寺の娘さん。
私たちが行ったのは2月半ばでしたから、馬酔木には早いかと思いましたが、せめて最初の一房でも咲いていないか。
元気な娘さんは16,7才だったそうです。昭和18年で16だと昭和2年生まれ、母と同い年だ!
参考書は以下の通り。
「大和路・信濃路」新潮文庫/平成22年第60刷
いつもは筑摩版の全集から引用しますが、今回はこの日持って行った文庫本です。
「葉鶏頭」堀多恵子/ 麥書房/昭和45年
引用では僭越ながら敬称を略します。
地図は別記なければグーグルマップです。
投稿日:2026/06/15
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー 新幹線 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
このとき堀夫妻は奈良ホテルから歩いて浄瑠璃寺を往復しました。片道2時間あまりかかったそうです。奈良坂を越えました。現代の徒歩コースで8キロ以上あります。堀辰雄が一番元気なころで、多恵子が一緒ですから安心して出かけたでありましょう。
往復で4時間。
それを歩きとおした多恵子も健脚です。
和服が大好きな多恵子ですが、着物で4時間歩くのは大変。戦時中ですから、モンペかな。
1967年、多恵子は浄瑠璃寺を再訪しています。「葉鶏頭」で多恵子は、
★私は奈良ホテルからかなりの道のりを辰雄と二人で歩いて訪れたこの寺に、バスで来てしまったことをなんだか誰に対してということもなく、申し訳ないように感じた。★
(P147)
私たちは車で難なく来てしまいましたが、ここではもっと堀夫妻に申し訳ない気持ちでした。
一書に曰く、
堀夫妻は、元気だったのですね。
この時、堀辰雄はすでに発病しておりました。
あまり軽くない結核患者なのですが、よく歩いたものです。
若さというものは、恐ろしい!
おしゃべりしながら、たのしーく歩いたのでしょうか。
もしも難行苦行なら、途中で引き返すことだってできたはずです。
約束があっていくわけではないのですから。
疲れたね。大丈夫?なんて言葉も楽しく、歩いたのでしょうか。
一人だったらとても歩けない距離でも、二人であれやこれや、どうでもいいことやどうでもよくないことなぞ語り合いながら歩けば、思いがけない距離も歩けたのではないでしょうか。
By妻 -
これは県道752から浄瑠璃寺への分岐近くの風景です。昭和18年でもこんな感じだったのではないかと思います。
-
浄瑠璃寺の門前まで来ました。
-
★最初僕たちはその何の構えもない小さな門を寺の門だとは気づかずに危く其処を通り越しそうになった。★
(「大和路・信濃路」新潮文庫P147)
これかな。有名な古寺ですから、立派な門を予想していたようです。 -
仁王様もなにもない質素な門です。
門のかたわら、石段の近くに堀辰雄は馬酔木を見つけました。
門と同じくらいの高さの灌木だったそうです。
一書に曰く、
浄瑠璃寺は、個人のお宅かと思うような、というか一般的な仁王様が両脇に立って、石段にかぶさるような大木が続いて、、、とかのお寺ではないのです。
さりげなく、でもおしゃれに存在しております。
そういう浄瑠璃寺の様子は、まったく堀辰雄の文そのままなのです。
By妻 -
門の右側に生垣のように灌木が並んでいます。
葉は馬酔木だけれど、白い房の花のはず。これは違うかな。 -
やはり馬酔木だ! 3月-5月が花盛りだそうです。
咲き始め。今年の春は温かいのかな。
一書に曰く、
あせび、またはあしびと読みます。
小さな白い鈴のような形の花が房状に咲くのです。
ひとつひとつの花は、鈴蘭をちょっと思わせます。
鈴蘭には毒がありまして、牧場主には敵認定です。
馬酔木も、これを食べると馬が酔うというのですから、やっぱり毒なのでしょうね。
調べたら、毒とありました。酔うどころではなかったです。
ついでに花言葉は、犠牲、清純な心、献身、あなたと二人で旅をしましょう。だそうです。
多恵子夫人にぴったりです。
ついでに、by妻ちゃんにも。
By妻 -
門の近くに現在も馬酔木が植えられていますが、随分小さい。跡継ぎでしょう。河愛らしい小さな一房が咲いていました。
-
大きな木もありました。
-
樹高は5mになるものもあるそうです。これがそれくらい。
馬酔木が大好きな堀辰雄です。しかも花盛りの4月です。生垣のように並んでいたら気が付かないはずがない
この時は門の傍らに数本だけだったのかな。80年以上も前の話です。
多恵子は馬酔木を初めて見ました。
★「まあ、これがあなたの大好きな馬酔木の花?」妻もその灌木のそばによってきながら、その細かな白い花を仔細に見ていたが、しまいには、なんということもなしに、そのふっさりと垂れた一と塊を掌のうえにのせてみたりしていた。★
(P149)
堀辰雄は植物、とくに野草に詳しかったそうです。
多恵子は父親の仕事の関係で赤ちゃん時代から香港、10歳で帰国してからは杉並育ちで、草花は何も知りませんでした。今日でいう海外帰国子女でした。
結婚後夫の影響で植物に興味をもつようになりました。後年、辰雄の死後、友人から植物学の権威、武田久吉(たけだ・ひさよし、1883-1972)を紹介され、その指導で本格的に信濃追分に育つ野草の標本つくりを始めたことがありました。本人によれば、ものにならなかったそうです。
(葉鶏頭P138)
かろうじて咲いている馬酔木もあったので、同じポーズのBy妻の写真を撮ろうかとも思いました。あまりに見え見えな演出なのでやめました。 -
私たちがフランスで住んでいた家にも馬酔木を植えていましたので、花も葉っぱもよく知っています。
私も大好きです。植木屋で見つけてすぐ買いました。堀辰雄のこの作品が原因なのは当然です。
居間から庭におりる階段の右。いまでもはっきり覚えています。
フランス語でAndromède(アンドロメッド)といいます。ギリシャ神話のアンドロメダと同じつづりです。
日本原産です。学名はAndromeda japonica.
フランスに持ち込まれたときに、この美しい女神の名前を当てたのは、むべなるかな。
もうすこし季節があとなら、すばらしい馬酔木の生垣が見られたのに、残念。
どういうわけか、By妻はこの花の名を星座と同じと覚えたらしく、今でもカシオペヤといいます。違うちゅうに!
一書に曰く、
カシオペアと間違えるのではありません。カッサンドラです。星座つながりで間違えるのではなくて、ギリシャ神話つながりですよ。
アドロメダは、怪物のいけにえにされかけていたのを、メデゥーサを退治したペルセウスに助け出されて妻になる人。
カシオペアは、アンドロメダの継母です。
自分の美貌に絶対の自信を持っていたことが、このいけにえ騒動のもとになったっていう、や~な女。
一方、カッサンドラは、わたくしのごひいきのヒロインです。
カッサンドラは、全知全能、完全無欠、美青年の代表の、かのアポロンに恋されたのに、ふった女性です。ふったのです。
二回言っちゃいました。
ひっひっひ アポロン、ざまあみろ!であります。
が、悔しがったアポロンに、その予言を誰も信じないように呪われてしまいます。
くやしいのう。
もともとの予知能力も、アポロンから授けられたのですがね。
授けられたとたんに、やがて捨てられることがわかっちゃったので、ふるのですが。
堀辰雄は、この三人のうちのどのヒロインが、お好みでしたでしょうかね。
By妻 -
★阿弥陀堂へ僕たちを案内してくれたのは、寺僧ではなく、その娘らしい十六七のジャケット姿の少女だった。★
(P150)
前述のように、1967年多恵子は浄瑠璃寺を再訪しています。姪と一緒でした。
姪は当時の多恵子29歳より少し若かったそうです。どうしても連れて行ってくれと多恵子にせがみました。
(葉鶏頭P146)
「風立ちぬ」の作家が自分の伯母の夫。「信濃路・大和路」も読んでいたでしょう。そりゃ、せがむでしょう。
多恵子はその時の思い出を、思いだすままに話しながらお寺を歩きました。その姪御さん、辰雄と多恵子の思い出を両方聞けたわけで、贅沢な旅でした。 -
浄瑠璃寺は別名九体寺といわれ、阿弥陀堂に安置されている9体の阿弥陀如来像が有名ですが、堀辰雄はこの仏さまには、いつもと違ってあまり蘊蓄、感想を述べません。
もっぱら多恵子とお寺の娘の会話に聞き耳を立てています。
多恵子は仏さまをざっと見て、辰雄を残して寺の娘と外に出てしまいました。日当たりのいい縁先でおしゃべりを始めました。
裏庭の7本の柿。
九体寺の柿といって有名で、秋には買いに来る人が多く、娘が柿をもぐ係で忙しい。
庭の池の睡蓮がきれいなこと、などなど。
おしゃべりに夢中でしたが、
★
「ああ、そやそや、葱とりに往かにゃならんかった。」
「そうだったの、それは悪かったわね、はやく往ってらっしゃいよ。」
「まあ、あとでもええわ」
★
(P151)
のどかなものです。
多恵子は、仏様を黙ってみるのはあまり性に合わないみたい。
おとなしくしていられないタイプでした。
辰雄の古本屋めぐりには絶対に付き合わない。辰雄は入ったら出てこない。「まっぴらごめん」と言っています。お腹が痛くなるそうです。
夫に献身的に尽くす妻でしたが、ダメなものもありました。
この柿ですが、1967年に多恵子が姪と再訪したとき、
★浄瑠璃寺の門前には枝付きの柿を七つ八つ束ねて垣根の杭などにつるし、その下にお金を入れる空缶が結びつけてあるなどが目に止まった。★
(葉鶏頭P147)
柿をつるしたのは、もうこの娘さんではないでしょう。 -
境内の案内板です。
一部を書き起こします。
★浄瑠璃寺(九体寺)
この寺は平安時代後期(藤原期)の日本が生み出した浄土式伽藍がただ一つ完全に残されてきた寺である。即ち西方」極楽浄土の阿弥陀如来を西に、東方浄瑠璃浄土の薬師如来を東に、中央には宝池」を置いて美しい浄土を現出している。★ -
阿弥陀堂前の宝池。
-
小ぶりですが雨でした。
-
そのせいか、拝観者は私たちだけ。
-
私たちは池を独占して、ゆっくり一周しました。
-
池の対岸に見えるのが、
-
三重塔です。「東方浄瑠璃浄土の薬師如来」を安置しています。
-
少し雨脚が強まってきました。池に雨の輪が目立ちます。
昭和18年に戻ります。
阿弥陀仏を拝観し終わって堀辰雄が外に出ると、娘は葱のことなどすっかり忘れて、三重塔にも案内してくれました。 -
先に立って池のほとりを塔に向かう後ろから、多恵子と娘がついてきます。娘は多恵子相手に猛烈にしゃべっております。
「実によくしゃべるやつだなあ」と堀辰雄は思いましたが、おしゃべりは一人ではできません。多恵子もおしゃべりが大好きなはず。しかもよく通る声でした。
後年信濃追分の家で辰雄が療養中、街道で多恵子が油屋のおかみとおしゃべりする声がよく聞こえたそうです。50mは離れています。
辰雄が塔に行き着いても、二人は石段の下でおしゃべりしておりました。 -
私が写真を撮っているあたりですかね。
-
その内容というのが、
この辺では魚などめったにたべない。蕨みたいなものばかり食べている。でも筍は柔らかくておいしい。などなど・・・
★どうも二人ともいい気持ちそうに、話しに夢中になって僕のことなんぞ忘れてしまっているかのようだ。★
この日は春めいた日差しがいっぱいの日でした。
辰雄はのんびりと塔の下で、池の向こうの阿弥陀堂を眺めていたのです。
一書に曰く、
ここでは仏さまのことは出てこないで、馬酔木とお寺の娘さんと多恵子さんのおしゃべりばかり書き留めてあります。
そのおしゃべりは、率直な素朴なもので、見栄も衒いもない、素直なこころのままのさえずりなのですが。堀辰雄は、それをわざわざ書き留めているのです。
By妻 -
By妻は夢中になって写真をとっております。
今回はこの3倍くらいの写真がありますが、このくらいにしておきましょう。 -
今回の主人公はお寺の娘さんでした。
娘さんは昭和2年生まれ、母と同じです。母は16,7歳のとき、戦時中の東京近辺に住んでおりました。空襲の猛火にも追われて、楽しくない娘時代を送りました。2015年(平成27年)に他界しました。
東京と奈良では、同じ時代でも別世界です。
阿弥陀堂を拝観したとき、寺のご婦人によると、この娘さんはその後大阪にお嫁に行き、最近亡くなったそうです。母よりもう少し長生きされました。 -
一書に曰く、
左が阿弥陀堂です。
靴を脱いで上がるので、履き替えるところで、もたもたしてしまいます。
そのわずかなときに、お寺の方に、by夫が話しかけました。
by夫は、人見知りが激しい人なので、知らない人に話しかけるなんて!雨が降るわ!
降っておりました。
靴は、木造りの素朴な下駄箱にしまうのですが、その上に、かわいらしいグッズが飾ってあって、それがまた手つくりっぽくて、家庭的な雰囲気を醸しております。
そのせいなんだろうな、by夫が、見知らぬ人に声をかけるなんて暴挙にでたのは。
by夫、一生懸命、「浄瑠璃寺の春」に出てきた娘さんについて聞きこんでおります。
お寺の方は
自分は、よくわからないのですが、、、
と、それでも、お相手くださいます。
しっとりと降る霧雨と、関西弁のイントネーションとが、この静かな九体寺に優しさをともします。
あ~、これなのですね。
このやさしさと、のどやかさ、素直さ。
堀辰雄が描いたそのままの景色が、今もありました。 -
堀夫妻は、ここにたどり着くまで、長々と歩いてきております。その最中しゃべったのは、どんなことだったでしょう。
話すつもりもないことを、ほろりとこぼすことも旅のつれづれゆえ。
おもいがけず現れた知らない多恵子を、辰雄は、新鮮に興味深く感じたことでしょう。
夫婦と言っても、もとは他人。
どんな家庭で、どのように育ったのか。
父は。母は。兄弟は。
友人は。どんな教育を受けたのか。
自分の物差しとは違う、別の価値観の環境。
語っても語っても語り切れない思い出の数々。
そして、それらが築き上げた多恵子という女性。
今、多恵子は、古寂びた、ここ浄瑠璃寺で、人柄の良い、率直な娘とのおしゃべりをしています。
明るく平和でありました。
堀辰雄は、多恵子の人柄に、感動し、心惹かれた時間だったことでしょう。
By妻
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