2026/04/02 - 2026/04/05
6177位(同エリア6508件中)
beachさん
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- 旅行記230冊
- クチコミ32件
- Q&A回答13件
- 513,399アクセス
- フォロワー307人
この旅行記のスケジュール
2026/04/02
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Rauhensteingasse 8(モーツァルト最期のアパート跡地)
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Café Frauenhuber(カフェ・フラウエンフーバー)
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Mozart-Denkmal(モーツァルト像)
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Johann Strauss-Denkmal(ヨハン・シュトラウス記念像)
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Beethoven-Denkmal(ベートーヴェン像)
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Wiener Staatsoper(ウィーン国立歌劇場)
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Wiener Musikverein(ウィーン楽友協会)
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電車での移動
Zentralfriedhof 2.Tor 着(トラム71番)
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Wiener Zentralfriedhof(ウィーン中央墓地)
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車での移動
住所:Probusgasse 6, 1190 Wien 着(車で20分)
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Beethoven Museum(ベートーヴェン博物館・ハイリゲンシュタット)
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この旅行記スケジュールを元に
2026年のイースター休暇は、オーストリア・チェコのロードトリップに決定。
ウィーンからチェコのチェスキークルムロフを経由してミュンヘンに帰ってくる、のんびり気まま旅です。
---Reiseplan---
■4/2 ウィーン(市内)
■4/3 ウィーン(ハイリゲンシュタット)
□4/4 チェスキークルムロフ
□4/5 ミュンヘン
▼HOTEL(一泊 / 2名)
Wien泊「Holiday Inn Vienna City by IHG」:EUR 92.00
Český Krumlov泊「Guest House Olšakovský」:EUR 71.00
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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■Donnerstag, 2, / Freitag, 3, April 2026
Guten Tag!今年のイースター休暇は、オーストリア、チェコ横断のロードトリップに行ってきました。
今回は『ウィーン音楽散歩編』になります。音楽の都ウィーンの市内から近郊まで、魅力あふれるスポットをいくつかご紹介します。
後半は、ベートーヴェンにフォーカスした記事になります。 -
<音楽散歩のポイント>
●市内観光:市内に点在する音楽の足跡を辿る
●ウィーン中央墓地:偉大な作曲家たちが眠る聖地
●ハイリゲンシュタット:ベートーヴェンが遺書を綴った地 -
<ウィーンが "音楽の都" と言われる理由>
ずばり、歴史的に偉大な作曲家が集まり、今も音楽文化が生活に根付いている芸術都市だからです。
モーツァルトやベートーヴェン、シューベルトなどが活動し、宮廷音楽やオペラ文化が発展しました。世界的に有名なウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地でもあり、世界中から音楽ファンや演奏家が訪れます。 -
●市内観光:市内に点在する音楽の足跡を辿る
Steinway &Sons(スタインウェイ&サンズ)
先ずは市内観光から。街歩きをしていると、楽器店や楽譜店が自然に目に入り、音楽が日常に溶け込んだウィーンの雰囲気を感じることができますよ。
スタインウェイ&サンズは、1853年にアメリカでドイツ人ピアノ製作者ハインリッヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェークによって設立された、世界トップシェアを誇るピアノメーカーのひとつ。 -
Bösendorfer(ベーゼンドルファー)
ベーゼンドルファーは、1828年にウィーンでフォルテピアノ製作家のイグナーツ・ベーゼンドルファーが、師であるヨーゼフ・ブロートマンの工房を継いで創業したピアノメーカー。スタインウェイと並ぶ世界最高峰のピアノブランドのひとつ。
2023年には、ウィーン近郊の工場で火災が発生し、一部建物や歴史的アーカイブが被害を受けるというショッキングな出来事がありました。 -
Rauhensteingasse(ラウヘンシュタインガッセ)
モーツァルトが1791年12月5日に死去したアパートの跡地(住所:Rauhensteingasse 8, 1010 Wien)。
当時の建物は現存しておらず、現在はイマーシブ(没入型)ミュージアム「MYTHOS MOZART」になっています。 -
建物に設置された記念プレート。
An dieser Stelle stand bis 1849 das Haus in welchem Mozart am 5. Dezember 1791 gestorben ist.
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1849年までこの場所には、1791年12月5日にモーツァルトが亡くなった家が建っていました。 -
Café Frauenhuber(カフェ・フラウエンフーバー)
モーツァルトが死去したアパートの跡地のすぐ近くにあるのが、1824年創業のウィーン最古のカフェのひとつ「カフェ・フラウエンフーバー」。
モーツァルトやベートーヴェンが演奏会を開いた場所としても知られています。フラウエンフーバー カフェ
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建物に設置された記念プレート。
1788 gründete hier der Leibkoch der Kaiserin Maria Theresia, Franz Jahn ein Nobelrestaurant, eine sogenannte Traiteurie, wo berühmte Konzerte stattfanden.
Wolfgang Amadeus Mozart führte hier 1788 ein Pastorale von Händel und Ludwig van Beethoven 1797 ein Quintett für vier Bläser und Pianoforte auf.
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1788年、女帝マリア・テレジアの専属料理人であったフランツ・ヤーンが、ここに高級レストラン「Traiteurie」を創業し、そこでは有名なコンサートが開催されました。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは1788年にここでヘンデルの『パストラーレ』を、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは1797年に『ピアノと4つの管楽器のための五重奏曲』を演奏しました。 -
ウィーンの定番「Melange(メランジェ)」:6.90EUR
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Mozart-Denkmal(モーツァルト像)
Burggarten(王宮庭園)に設置されているモーツァルト像。説明するまでもなく、オーストリアが生んだ天才のひとりですね。
2026年はモーツァルト生誕270年にあたり、出生地のザルツブルクはもちろん、ウィーンでも特別演奏会や記念イベントが開催されます。モーツァルト記念像 建造物
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Mozartkugel(モーツァルトクーゲル)
モツファンの方は、お土産にモーツァルトクーゲルもお忘れなく!パッケージを見るだけで気分が上がっちゃいますね。 -
Wiener Stadtpark(ウィーン市立公園)
1862年に開園したウィーン初の市民公園。現在も市民の憩いの場となっている自然あふれる歴史ある公園です。市立公園 広場・公園
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この公園には、有名なヨハン・シュトラウス像を始め、シューベルトやブルックナーの記念像が設置されています。
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Johann Strauss-Denkmal(ヨハン・シュトラウス記念像)
ウィーンの「ワルツ王」ことヨハン・シュトラウス2世 。
19世紀の社交界や舞踏会で華やかな旋律を響かせ、ウィーンの街に優雅な彩りを添えました。代表曲は「美しく青きドナウ」など。ちなみにウィンナ・ワルツのリズムは、2拍目を少し前に出す独特の3拍子が特徴的です。
ウィーンの舞踏会文化は、ユネスコの無形文化遺産にも登録されています。ヨハン シュトラウス像 モニュメント・記念碑
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Beethoven-Denkmal(ベートーヴェン像)
市立公園近くのベートーヴェン広場には、1880年に建てられたベートーヴェン先生。
ドイツのボンで生まれ、22歳でウィーンに移り住み、その後生涯の大半をウィーンで過ごしました。
後ほど訪れるハイリゲンシュタットでは、難聴に苦しみながらも音楽家として生きる決意を綴った「ハイリゲンシュタットの遺書」を残しています。ベートーヴェン広場 広場・公園
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★Herbert von Karajan(ヘルベルト・フォン・カラヤン)
足元にも注目です。ウィーンの街中の道路に埋め込まれている星型のプレートは「音楽の道(Musikmeile)」と呼ばれ、ゆかりのある作曲家や音楽家の名前が刻まれています。
世界的に有名なオーストリア出身の指揮者カラヤンは、ウィーン国立歌劇場の音楽監督も務め、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とも密接な関係があり、多くの名演を残しています。
私自身も、CDでよく聴いていた指揮者のひとりです。 -
★ Johann Strauss II. (Sohn)(ヨハン・シュトラウス2世)
ウィーンといえばヨハン・シュトラウス2世。父ヨハン・シュトラウス1世とともに、この街のイメージを形づくってきた存在です。
有名なウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ニューイヤーコンサートでも、彼のワルツやポルカが毎年演奏され、ウィーンの新年を華やかに彩っています。 -
Franz Schubert(フランツ・シューベルト)
シューベルトは生まれも育ちもウィーンで、生涯のほとんどをこの街で過ごした正真正銘のウィーンっ子作曲家。
「歌曲の王」として知られ、ウィーンの音楽文化を支えた重要な存在です。「野ばら」など日本人にも親しまれる楽曲も多く残しています。 -
★Johannes Brahms(ヨハネス・ブラームス)
ドイツ出身のブラームスですが、ウィーンを拠点に活動し、生涯の大半をこの地で過ごした作曲家。
ウィーンでは指揮者やピアニストとしても活躍し、多くの代表作を生み出しました。また、ウィーン・フィルとも深い関わりを持ち、作品が初演されるなど音楽界の中心人物のひとりでした。
ほんの一部のプレートの紹介ですが、こうして一人ひとりの生涯やエピソードに思いを巡らせながら街歩きできるのも、ウィーンならではの魅力です。 -
Wiener Staatsoper(ウィーン国立歌劇場)
19世紀に建てられた歴史主義様式の壮麗な建築で、ルネサンス様式を基調とした華やかな外観を持ち、ウィーンを代表する文化建築のひとつです。ウィーン国立歌劇場 劇場・ホール・ショー
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Wiener Musikverein(ウィーン楽友協会)
1870年に建設された「Wiener Musikverein」は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地として知られる音楽ホールで、元旦のニューイヤー・コンサートでも世界的に有名です。ウィーン楽友協会 劇場・ホール・ショー
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●ウィーン中央墓地:偉大な作曲家たちが眠る聖地へ
オペラ座の前からウィーン中央墓地へ向かいます。
訪れるのは今回で2度目。忘れもしない1度目は21年前。ツアーで訪れた自由時間を使って、当時はスマホもなく、地図も持たず、「行きたい」という思いだけで、添乗員さんにトラムの乗り方だけを教わって出発しました。
巻き添えは毎度おなじみの母(笑)ひとつ手前の駅で降りてしまい、広い墓地を彷徨いながら必死に探した、という思い出深い場所です(笑) -
オペラ座の前の停留所「Oper, Karlsplatz」からトラム71番に乗って、ウィーン中央墓地に向かいます。
<参考(18駅乗車・27分)>
Oper, Karlsplatz 発
Zentralfriedhof 2.Tor 着
※Zentralfriedhof 停留所には「1.Tor」「2.Tor」があり、音楽家が眠るエリアに行くためには「2.Tor」で降ります。
前回のミスは「1.Tor」で降りたこと…。 -
Zentralfriedhof 2.Tor(ツェントラールフリードホーフ・ツヴァイテ・トーア)
トラムを降りる際には、座席横にある「STOP」ボタンを押すか、ドア付近のボタンをタッチします。 -
Wiener Zentralfriedhof(ウィーン中央墓地)
音楽家たちが眠る区画へ続く第2門。周辺には献花用のお花屋さんが並んでいます。中央墓地 モニュメント・記念碑
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ウィーン中央墓地は、約300万以上の埋葬があるとも言われ、世界有数の規模を誇る巨大墓地。
広大な敷地の中には一般市民の墓に加え、ベートーヴェンやブラームス、シューベルト、ヨハン・シュトラウス2世など多くの偉大な音楽家の墓もあり、「音楽家の聖地」としても知られています。 -
21年前、この広大な墓地で彷徨いながら、時間ギリギリの中でなんとか目的のエリアにたどり着けたのは、今でも「偉大な先生たちのお導き」だったのだと思っています。ほんとに…(苦笑)
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Karl-Borromäus-Kirche(カール・ボロメウス教会)
墓地といっても、敷地内は自然にあふれ、静かで公園のような雰囲気の中に、厳かで神聖な空気が漂っています。 -
第2門から徒歩5分、「MUSIKER」の案内板が出てきたら、音楽家たちが眠る「音楽家の名誉墓碑」エリアです。今回は驚くほどスムーズに到着。
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第32A区と第32C区には、多くの作曲家たちが眠っており、まるで音楽史をたどるような空間となっています。
-
特にクラシック音楽を愛する人にとっては、まさに聖地のような場所です。
私は数々の作曲家の墓地を巡る自称 "墓マイラー" 。楽曲そのものはもちろん、その人物の人生や背景にも強く興味があり、こうしてお墓を訪ねることで敬意を表するとともに、その足跡に思いを馳せています。 -
W. A. Mozart Grabdenkmal(1756-1791)
中央に鎮座するのは「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト記念碑」。
モーツァルトは、ウィーン郊外の聖マルクス霊園に葬られたと伝えられていますが、その正確な埋葬場所は今なお不明とされています。死因についても諸説あり、確定的な結論には至っていません。
天才音楽家の最期は、後世における偉大な評価とは対照的に、質素なものであったと伝えられています。
わずか35年という短い生涯の中で、計り知れない音楽的遺産を残し、この世を去りました。 -
Ludwig van Beethoven(1770-1827)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのお墓。
長きにわたり、ベートーヴェンの難聴や死因は「鉛中毒」とされてきました。しかし近年の頭髪分析やDNA研究により、実際にはB型肝炎による肝障害が原因であった可能性が高いと考えられています。
ベートーヴェンは闘病の末、1827年3月26日、ウィーンのシュヴァルツシュパニエルハウスの自室にて56年の生涯を閉じました。
葬儀は荘厳な雰囲気の中で執り行われ、多くの市民が参列し、その死を深く悼む大規模なものとなりました。参列者の中にはシューベルトの姿もあり、棺を担ぐ「担ぎ手(棺持ち)」の一人を務めました。
その後、遺骸はヴェーリング墓地に埋葬され、1888年に現在の場所へと改葬されています。 -
Franz Schubert(1797-1828)
フランツ・シューベルトのお墓。
31歳の若さで亡くなり、死因は一般的に腸チフスとされていますが、梅毒やその治療に使われた水銀中毒の可能性も指摘されています。
晩年は体調を大きく崩しながらも作曲を続けており、死の直前まで音楽を書いていました。
憧れだったベートーヴェンの隣に、今も静かに眠っています。 -
Johann Strauss (Sohn)(1825-1899)
ヨハン・シュトラウス2世のお墓。
1899年6月3日に73歳で肺炎によりその生涯を閉じました。
最期の時期はすでに第一線の舞台活動からは退いていましたが、作曲家としての名声は確立しており、その死はウィーン音楽界に大きな衝撃を与えました。
葬儀には多くの市民や音楽関係者が参列し、「ワルツ王」の死を惜しんだと伝えられています。 -
Johannes Brahms(1833-1897)
ヨハネス・ブラームスのお墓。
1897年4月3日に63歳で肝臓がんによりその生涯を閉じました。
1896年5月に最愛の友人であり理解者であったクララ・シューマンが亡くなったことが大きなショックとなり、急速に体調を崩しました。
葬儀はウィーン市と楽友協会によって盛大に行われ、その棺はかつて親交のあったシューベルトやベートーヴェンの近くに埋葬されました。生涯独身を通し、最期までクララ・シューマンへの思慕を抱き続けた人生でした。 -
Franz von Suppè(1819-1895)
フランツ・フォン・スッペのお墓。
「ウィーン・オペレッタの父」と称されたフランツ・フォン・スッペは、1895年に心不全によりその生涯を閉じました。
ウィーン喜歌劇の発展に大きく貢献した作曲家として、死後もその作品は広く親しまれています。 -
Nannette Streicher(1769-1833)
ナンネッテ・シュトライヒャーの墓。
18~19世紀に活躍したピアノ製作者・ピアニストです。
当時ウィーンでピアノ製造業者として大きな影響力を持っていました。また、ベートーヴェンとも親交があり、彼の晩年のピアノ選びや楽器の改良にも関わった人物としても知られています。 -
時を超えて彼らの旋律や人生に思いを馳せると、深い感動に包まれます。
「美しい」という表現が正しいのかは分かりませんが、故人への思いや人生が刻まれた墓石はどれも芸術的で、それぞれが確かな存在感を放っていました。 -
●ハイリゲンシュタット:ベートーヴェンが遺書を綴った地へ
ウィーン中心部から近郊のハイリゲンシュタットへ向かいます。
以前から行ってみたいと思っており、念願の訪問です。
巻き添えは友人(笑)といっても、私よりもどっぷり音楽に浸かっている現役音楽家なので、どちらかといえば私が同行者扱いかもしれません(笑) -
ハイリゲンシュタットは、ウィーンの中心部から北へ約6km。車で15~20分ほどの距離です。公共交通機関を使っても20~30分程度です。
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ハイリゲンシュタットは、ウィーン中心部からさほど離れていないにもかかわらず、豊かな自然に恵まれた静かなエリアです。
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31歳頃のベートーヴェンが難聴の療養のために滞在し、「ハイリゲンシュタットの遺書」を記した地としても知られ、その足跡に思いを馳せることができます。
また、ウィーン名物のホイリゲも楽しめる、歴史と自然、そして食文化が調和した魅力的な場所です。 -
●Beethoven Museum Heiligenstadt(ベートーヴェン博物館・ハイリゲンシュタット)
ベートーヴェンが難聴の苦悩を綴った「ハイリゲンシュタットの遺書」をしたためた家。現在は生涯や音楽に関する博物館になっています。
■開館時間
火曜日~日曜日:10:00-13:00, 14:00-17:00
※休館日 月曜日、12月25日、1月1日、1月5日
■入場料:大人 8EUR
<HP(ドイツ語・英語)>
https://www.wienmuseum.at/beethoven_museumベートーヴェン博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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BEETHOVEN-HAUS Heiligenftädter Feftament(ベートーヴェンハウス・ハイリゲンシュタットの遺書)
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<簡単解説>ベートーヴェンについて
◆本名:Ludwig van Beethoven ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年12月17日 - 1827年3月26日)
18世紀末から19世紀初めに活躍した、ドイツ・ボン出身の作曲家・ピアニスト・指揮者。「楽聖(音楽の聖人)」と称される人物。
◆代表作: 『交響曲第5番「運命」』、『交響曲第9番「合唱付き」』、『ピアノソナタ第14番「月光」』、『ヴァイオリン協奏曲ニ長調』など。
◆生涯:
ドイツのボンに生まれ、幼少期から音楽の才能を示した後、ウィーンへ移り住み作曲家・ピアニストとして活躍しました。
聴力を失いながらも、古典派の技法を超える革新的な作品を次々と生み出し、交響曲やピアノ曲、室内楽の分野で音楽史に不朽の足跡を残したことで知られています。
※写真:Beethoven-Haus Bonnにて
■ベートーヴェン(ボン生家博物館)の旅行記はこちらから
https://4travel.jp/travelogue/12032975 -
1802年の夏、ベートーヴェンは、当時有名な保養地だったハイリゲンシュタットで、進行する難聴と向き合いながら療養生活を送りました。ここで彼は「ハイリゲンシュタットの遺書」を記し、自らの運命と向き合う深い苦悩と決意を残しています。
現在は、彼の人生や音楽、そして当時の社会背景を伝える博物館として公開されており、静かな環境の中でベートーヴェンの内面に触れることができる特別な場所となっています。 -
庭付きの歴史的建物と小規模な展示スペース(6部屋)で構成されています。
小鳥のさえずりくらいしか聞こえない静かで穏やかな時間が流れる、療養という言葉が似合う空間です。 -
部屋ごとの展示構成はこちら。
1.「到着(ankommen)」
2.「療養(erholen)」
3.「作曲(komponieren)」
4.「生計(verdienen)」
5.「演奏(aufführen)」
6.「遺産(vermachen)」
2017年のリニューアルにより展示が大幅に拡充され、より深くベートーヴェンの人生と内面に触れられる博物館となりました。 -
1.「到着(ankommen)」
建物と歴史の紹介。現在の建物は1732年にパン屋として建てられました。記録によれば、ベートーヴェンは1802年夏、この建物の庭側の部屋に滞在していました。 -
ベートーヴェンの過去の展覧会のポスターや資料。
1927年には、ウィーン市庁舎内で「ベートーヴェン没後100周年記念展」が開催されました。 -
1792年、22歳のベートーヴェンは故郷ボンを離れ、その後の人生の舞台となるウィーンへと移り住みます。
その際、彼が携えていたトランクの中には何が収められていたのでしょうか・・・想像を掻き立てる展示です。
ベートーヴェンの書斎に置かれていたとされるブルータスの胸像も、そして"一時は"崇拝していたナポレオンも。 -
「レ・ミ・ソ・ラ・シ♭」の和音(冒頭の象徴的な音型)を鍵盤で押し続けると、ベートーヴェンの「幻想曲 ト短調 作品77」を聴くことができるという、ユニークな体験型展示です。
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2.「療養(erholen)」
ハイリゲンシュタットでの療養生活。当時31歳だったベートーヴェンは、仕事のプレッシャーや経済的不安、失恋、そして進行する難聴に苦しんでおり、医師の勧めでハイリゲンシュタットに滞在しました。 -
ベートーヴェンは、生涯で60~80回近く引っ越しをした「引っ越し魔」というのは有名な話。
当時の引っ越しの様子はというと・・・
『四頭立ての荷馬車が用意され、そこには家具はわずかしか積まれていませんでした。代わりに積み込まれていたのは、想像を超えるほど大量の楽譜の束でした。その荷はまるで塔のように高く積み上がり、ゆっくりと動き出していきます。
その光景の先を歩いていたのは、荷の持ち主であるベートーヴェン本人でした。彼は満足げに、徒歩で先に立ち進んでいったといいます。』(映画「不滅の恋」より)
何となく想像がつきます。さすが先生(笑) -
3.「作曲(komponieren)」
ベートーヴェンの創作過程についての紹介。彼は午前中に作曲し、午後は散歩しながら着想を得ていました。この時期の重要作品には「ピアノソナタ第17番《テンペスト》」があります。 -
《Ludwig van Beethoven beim Spaziergang in der Natur》Julius Schmid, ca.1901
ハイリゲンシュタットでの静養体験は、ベートーヴェンにとって「自然と向き合う時間」であり、それが後の「交響曲第6番《田園》」へとつながっていきました。 -
ベートーヴェンが晩年に使用していた、ウィーンのピアノ製作家ナネッテ・シュトライヒャー工房によるフォルテピアノ。
ボンの博物館で見た補聴器も印象的でしたが、この金属の箱型ドーム(プロンプターボックス)の付いたピアノも聴力を失いつつあったベートーヴェンの苦悩を象徴するものといえるでしょう。
弦の振動を反響させて音を増幅し、いわばスピーカーのような役割を果たしていました。 -
Hammerklavier mit fünf Pedalen, 1821
Fa. Nanette Streicher
Messing, Nussholz, Ahorn -
今では音楽の練習に欠かせないメトロノーム。
1817年頃、ドイツの発明家メルツェルが改良・普及させたメトロノームは、ベートーヴェンによって早い段階で作曲に取り入れられ、テンポ指定に活用されました。
難聴が進み、音を正確に聴き取ることが難しくなっていたベートーヴェンにとって、視覚的にテンポを確認できるメトロノームは、作曲において大きな助けとなったと考えられています。
(私はこのメトロノームに何度も容赦なく追い込まれましたが…笑 インテンポの難しさよ) -
ベートーヴェンには、膨大な「記憶の遺産」が残されています。
スケッチ帳や会話帳、手紙、日用品、さらには頭蓋骨の一部まで保存されており、死後すぐから今日まで、ベートーヴェンがどのように称賛され、語り継がれてきたかを示しています。
そして、最も大きな無形の遺産は音楽です。作品は世界中で演奏され、聴かれ、人類を代表する音楽家のひとりとして、今なお多くの人々に影響を与え続けています。 -
スケッチ帳には、作品の着想から完成に至るまでの創作過程が記されており、特に1802年のハイリゲンシュタット時代のスケッチ帳は重要な資料とされています。
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ベートーヴェンは、1818年に完全に聴力を失い、人と会話するために「会話帳」を使うようになりました。相手が文字を書き、ベートーヴェンが口頭で返答する形式で、ときには音楽のアイデアや重要なメモも書き込まれていました。
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《Heiligenstädter Testament, 6. und 10. Oktober 1802 Reproduktion》
「Heiligenstädter Testament(ハイリゲンシュタットの遺書)」は、ベートーヴェンが1802年10月6日と10日に書いた手紙で、彼の難聴と絶望、そして芸術への決意が綴られています。
私にとって、この出来事はベートーヴェンの伝記を初めて読んだ際、最も衝撃的で強く印象に残ったものの一つです。 -
■全文
「ハイリゲンシュタットの遺書」
https://www.project-archive.org/0/013.html
著者:ベートーヴェン(1770 - 1827)訳者:片山敏彦
題名:ハイリゲンシュタットの遺書
初出:1802年10月6日, 10日翻訳初出:1938年(岩波書店)
出典:『ベートーヴェンの生涯』 -
聴力の悪化によって人と関わることすら苦痛になり、孤独と絶望に追い込まれていた心情が綴られています。
彼は、自分が周囲から誤解されていることや社会から孤立していることへの苦しみを率直に記し、場合によっては自ら命を絶つことさえ考えていたことを明かしています。しかし同時に、まだ成し遂げるべき音楽的使命があることに気づき、芸術のために生き続ける決意を固めます。
この文書は、個人的な遺書であると同時に、苦悩を乗り越えて創作へ向かう転機を示す重要な証言となっています。
ただし、「遺書」と呼ばれていますが、実際には死後に書かれたものではなく、未送信の手紙であり、本人の死後に発見されたため「遺書」と呼ばれるようになりました。 -
31歳のベートーヴェン。音楽家にとっての難聴という障害は、あまりに過酷な運命です。
しかし皮肉なことに、彼は音楽(芸術)と運命を共にするがゆえに深い苦悩を抱えながらも、その音楽(芸術)そのものから生きる力を得ていくのです。 -
もともとは社交的な性格であり、癇癪持ちで気難しい人物というイメージはその一面にすぎなかったという事実も、胸が締めつけられるように感じられます。
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ハイリゲンシュタットの遺書は、ベートーヴェン自身の苦悩を記しただけでなく、読むすべての人に深い人間的葛藤と、それを乗り越えて生きる意志の強さを問いかける文書でもあります。
そして、芸術のため、愛するもののために生きることの尊さを静かに示してくれる、そんなベートーヴェンからのメッセージが込められているように感じられました。 -
とは、言いつつも、やっぱりどこか変わった性格は、音楽家あるあるですね。毎日のルーチンで1杯のコーヒーに必ず豆60粒を数えて使用したという逸話で有名です。
かなり強いこだわりや習慣を持っていたことは確かで、同じように「数をきっちり揃える」「毎回同じ手順を守る」といったエピソードは他にもいくつか語られています。 -
4.「生計(verdienen)」
彼の社会的立場と収入源について。彼は貴族の支援を受けながらも、独立した芸術家として活動しました。 -
《Ludwig van Beethoven》Josef Willibrord Mähler, um 1804-1805
34歳頃のベートーヴェン。全身を描いた唯一の本格的な作品。
神格化の象徴として、左手にはリラ。右奥にはアポロンを祀る神殿が描かれています。 -
5.「演奏(aufführen)」
当時の演奏文化の紹介。現在のようなコンサートホールは存在せず、貴族の邸宅やサロンで演奏が行われていました。 -
ベートーヴェンが住んでいたウィーンの住居(Schwarzspanierstraße 15)のドア。
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「Beethoven-Wohnung」(ベートーヴェンの住居)
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Haarlocke Ludwig van Beethovens(ベートーヴェンの髪の毛)
19世紀当時、亡くなった著名人の髪の毛を記念品として保存する習慣がありました。
ベートーヴェンの幼なじみシュテファン・フォン・ブロイニングの息子、ゲルハルト・フォン・ブロイニングは、遺体の見た目を損なわないよう一般公開の終わり頃まで待って髪をもらいに行ったものの、すでに何者かによってすべて切り取られていた、と語っています。
この遺髪は単なる記念品ではなく、近年ではベートーヴェンの健康状態や死因を解明するための重要な研究対象となっています。 -
Gehörknöchelcher(ベートーヴェンの耳小骨)
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6.「遺産(vermachen)」
晩年と死後の影響について。ベートーヴェンは1827年3月26日に亡くなり、約2万人が葬儀に参列しました。その最期は多くの人々に見送られるものとなり、長く続いた孤独や苦悩から解放されたようにも感じられます。 -
《Ludwig van Beethoven, Totenmaske 1827》
肝硬変で病床に伏していたベートーヴェンが、亡くなる直前に故郷ライン川地方のワインと共に、大好物だったチェリーコンポートを欲したと言い伝えられています。
ちなみに何気に置かれている木の台座は、ベートーヴェンが住んでいた部屋の床の一部。 -
最後に威厳に満ちた先生にご挨拶をしました。
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博物館のショップ。
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ベートーヴェングッズは、ボンの博物館の方が充実しています。ハイリゲンシュタットは正統派という感じでした。
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Wiener Zentralfriedhof / Grab von Beethoven @Wien, Österreich 2.4.2026
不屈の精神と芸術(音楽)とともに生きたベートーヴェン。彼の心に響く音楽は恐らくこの世で一番美しい音だったのではないでしょうか。
12月にボン、そして今回ウィーンとハイリゲンシュタットを訪れ、ベートーヴェンの足跡を辿る中で、改めてその偉大さに触れることができました。
同時に、音楽そのものの深さや豊かさも教えてもらい、やっぱり"先生"と呼びたくなる存在ですね。 -
音楽の都ウィーン。時を超えて響き続ける音楽。音楽家の足跡を辿ることで見えてくる、その歴史と背景。
その一つひとつに触れるたびに、音楽が単なる音ではなく、時代や人生そのものを映し出すものであることを、改めて感じさせられます。
そして、多くのことを"先生方"から教えていただきながら、飽くなき探求はまだまだ続いていきます。
それではまた。Tschüss : )
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