2025/12/26 - 2026/01/03
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Fúgāngrénさん
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アウランガーバード周辺の史蹟を周遊。本日の目玉は世界遺産エローラ石窟群。
Day 1 香港乗り継ぎムンバイ入国
https://4travel.jp/travelogue/12027493
Day 2 サーンチー、ボパール
https://4travel.jp/travelogue/12029301
Day 3 インドール、マーンドゥー、マヘーシュワル
https://4travel.jp/travelogue/12034991
Day 4 マヘーシュワル、オームカーレーシュワル、アスィールガル
https://4travel.jp/travelogue/12036864
Day 5 アジャンター石窟群
https://4travel.jp/travelogue/12045557
Day 6 ダウラターバード、エローラ、シルディ ← 今ここ
Day 7 ナーシク、ムンバイ
https://4travel.jp/travelogue/12049770
Day 8 ムンバイのヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの建造物群
https://4travel.jp/travelogue/12052012
Day 9 ムンバイ出国、香港乗り継ぎ
https://4travel.jp/travelogue/12054329
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Bibi Ka Maqbara
2025年12月31日(水)
アウランガーバード市内観光へ
白亜のドーム建築はタージマハルではなく、ビービー・カー・マクバラー(訳はTomb of the Lady「聖母の墓」)。
ムガル帝国第6代皇帝アウラングゼーブの妃の廟墓である。
ところで、アウランガーバード(Aurangabad)が2023年2月にチャトラパティ・サンバージーナガル(Chhatrapati Sambhajinagar)に改名したことをご存じだろうか。
旧名はアウラングゼーブ皇子がデカン総督に在任中の1653年、主都ファテーナガルを彼の名にちなみ「アウランガーバード」に改名したのが由来である。
サンバージーはムガル帝国に抗してマラーター王国を建国した英雄シヴァージーの長男で、第2代マラーター国王(チャトラパティ)となった人物である。
イスラーム王朝のムガル帝国によるインド支配の歴史を克服したいヒンドゥー・ナショナリズムの圧を受けての改名と考えられるが、370年続く市名を変えなくてもよかろうもん⋯てか、新名称が長すぎていっちょん覚えきらんとですけど! -
ドームの入口
壁面の彫刻が美しい -
The grave of Dilras Banu Begum
アウラングゼーブの妃ディルラース・バーヌー・ベーグムの墓 -
Daulatabad Fort
ダウラターバード城塞
標高200mの岩山の頂上を目指して坂を登る。
右手の塔は高さ63m。チャンド・ミナール(Chand Minar:月の塔)と呼ばれる。 -
頂上へ至る石段を登る。ガイドは登坂がきつそうなので中腹で待機してもらった。
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頂上からの景色
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ダウラターバード城塞遠景
独楽(こま)を逆さにしたような円錐形の花崗岩の岩山である。
神谷 武夫『インド建築案内』
(TOTO出版、1996年)より引用
アウランガーバードから約13㎞の地にあるダウラターバードは、かつてはデーヴァギリと呼ばれたヒンドゥの要塞であった。トゥグルク朝の第2代スルタン、ムハンマド・ブン・トゥグルクは1326年にデリーからここへ遷都し、ダウラターバード(富の町)と名付けた。高さ180mの天然の要害である城塞は、下部50mの高さを垂直に削られて、いっそう急峻になった。彼はこの足元に城下町を築き、デリーの全住民を移そうとしたのである。結局は失敗してデリーに戻るのであるが、ここには三重の城壁や門、宮殿址やモスクなどが残され、中世のイスラム都市の輪郭を伝えてくれる。 -
Khuldabad
アウラングゼーブの墓があるクルダーバード*を訪れた。
写真はスーフィー聖人ザイヌッディーン・シーラーズィー廟の入口。この奥にアウラングゼーブの墓がある。
*文献によっては、"Khuldabad" を「フルダーバード」と表している。 -
Tomb of Aurangzeb
アウラングゼーブの墓
1707年、アウラングゼーブ帝はデカン遠征中に88歳で没した。
荒 松雄『多重都市デリー』
(中公新書、1993年)より引用
アウラングゼーブが今で言うイスラム・ファンダメンタリスト(復原主義者)で、異教徒の弾圧に熱中したという説には、学者の間にも異論がある。ただ、彼が敬虔なムスリムだったことは疑いない。自らの死期が迫るのを悟った彼は、葬送の儀に余分な金は使わず、棺には粗末な白布を掛け、天蓋を広げたり楽士を並べるのはやめよと遺言したという。デカン高原の、彼の名にちなんだアウランガーバードからエローラの窟院へ行く途中に、フルダーバードという村がある。その地のスーフィー聖者の墓廟の一隅の露天の墓に、彼は眠っている。 -
Ellora caves
エローラ石窟群
立川 武蔵『世界歴史の旅 ヒンドゥーの聖地』
(山川出版社、2009年)より引用
エローラ石窟では仏教窟、ヒンドゥー窟およびジャイナ窟がほぼ一列に並ぶが、インドを代表する三つの宗教の窟院が隣り合って並んでいることがエローラ石窟の特徴である。 -
子ども達が見学に来ていた。
学校の遠足で世界遺産エローラ石窟群に行けるとは何とも羨ましい⋯ -
Kailasa temple (Cave 16)
第16窟 カイラーサ寺院
エローラ石窟群の最大の見どころ -
第16窟 カイラーサ寺院
立川 武蔵『世界歴史の旅 ヒンドゥーの聖地』
(山川出版社、2009年)より引用
『ラーマーヤナ』物語の浮彫り。エローラ第16窟「カイラーサ・ナータ寺院」の本堂外壁に彫られている。中央のパネルの上から3段目なかほどに馬車に乗せられて連れ去られるシーターが見られる。 -
第16窟 カイラーサ寺院
境内に立つスタンバ(Stambha:記念柱)は高さ17m -
第16窟 カイラーサ寺院
以前は寺院の後方の高台に登って上から見下ろすことができたが、観光客が転落する事故が発生したため、現在は高台に登るルートが閉鎖されている。
神谷 武夫『インド建築案内』
(TOTO出版、1996年)より引用
インドの数ある建築遺産の中でも最も傑出したもののひとつで、壮大な寺院でありながら、石を積んで建てたのではなく岩山を彫刻して造ったのだということに、訪れる人は深い驚きを禁じえない。玄武岩の山を上から幅45m、奥行85mにわたって掘り下げ、そこに高さ32mの寺院と諸堂、スタンバ(記念柱)、象の彫刻などを彫り出し、寺院の中はさらに刳り抜いて柱や梁を彫り残しながらマンダパや聖室の内部空間を作り上げているのである。 -
Jain Caves at Ellora
ジャイナ石窟寺院群
メインの石窟寺院群から離れた場所にある。
カートに乗って往復。 -
石窟群のゲート近くにあるレストランで昼食
和洋中ならぬ「印洋中」のメニューあり。
インド中華のメニューに興味が湧いて撮影。
メニュー左上の American chopsuey(アメリカン・チャプスイ)とは、油で揚げたパリパリの麺に餡をかけたインド風餡かけ焼きそばのこと。 -
Veg. Hakka Noodles
ベジ・ハッカヌードルをオーダーすると、野菜のソース焼きそば(肉なし)が出てきた。
「ハッカ」とはハーブのハッカ(薄荷)ではなく、広東語の「客家」が語源だそうだ。 -
エローラ石窟群の近くにあるヒンドゥー寺院を訪れると、ここでも参拝者の大行列ができていた。
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Grishneshwar Jyotirlinga
グリシュネーシュワル寺院
入場待ち多数のため外から拝観。
インドの12か所で祀られているジョーティルリンガ(Jyotirlinga)のうちの一つ。シヴァ神信仰の重要な聖地なので参拝者が多い。 -
Shirdi シルディ
ここは聖者サイババが宗教活動を行い、没して埋葬された聖地。
サイババといえば、日本ではサティヤ・サイババの方が知名度が高いが、ここで尊崇されているのは初代サイババで、主にシルディ村を拠点に活動したのでシルディ・サイババとも呼ばれている。サティヤ・サイババは南インドのアンドラ・プラデシュ州ブッタパルティを拠点に活動した宗教家で、シルディ・サイババの生まれ変わりを名乗っていた。
Shirdi Sai Baba シルディ・サイババ
(生年不明、1918年没)
Sathya Sai Baba サティヤ・サイババ
(1926年生、2011年没) -
メインゲートのイルミネーション
シルディはサイババの遺徳を慕って多くの参拝者が訪れる宗教都市である。 -
ライトアップされたサイババ寺院ことサマディ・マンディル(Samadhi Mandir)。参道は日本の初詣のような賑わい。特別な祭日ではなく、これが日常のようだ。
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サイババ関連のグッズが並ぶ店先
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イベントステージ
サイババを讃える賛歌が詠唱されていた。
私に同行しているインド人の日本語ガイドはヒンドゥー教を信仰しており、シルディ・サイババも尊崇している。サイババは19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヒンドゥーやイスラームなどの宗教の垣根を越えた霊的指導者(spiritual master)としてシルディで活動した。 -
サマディ・マンディルへの入場待ち
サイババが埋葬された場所に礼拝所が建てられ、後にサマディ・マンディル(Samadhi Mandir:埋葬寺院)として信者にとって最も神聖な場所となった。
昼夜を問わずたくさんの参拝者が詰め掛けており、人数制限をかけて時間入れ替え制で入場を規制していた。
私はガイドと共に別の入口から入場。待機場所はエアコンが効き、内陣への入場を待つ参拝者たちのために列に沿って長椅子が設置されていた。 -
サマディ・マンディルの内陣の絵。右足を左膝の上に乗せて腰掛けたサイババの坐像が安置されている。
待機場所で一時間以上待たされて内陣へ入場。参拝のお作法はガイドに習い、敬意を払ってサイババ像の御前に花輪をささげた。外国人の入場は規制されていない。スマホやカメラは持込み禁止なので寺院内の画像はないが、サイババ信仰の熱量に圧倒された。 -
サイババ寺院参拝の授与品
お菓子と聖灰。
S.S.S.T. とは、
Shree Saibaba Sansthan Trust
(直訳:聖者サイババ信託協会)の略称 -
袋を開封すると揚げ菓子が入っていた。
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サイババ寺院の近くにあるホテルに宿泊。
今日は大晦日。ゆく年くる年。
新年もよい旅ができますように。
< Hotel Golde View 泊 >
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