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観光最終日。ムンバイ観光の定番エレファンタ島はパスして、働くダッバーワーラーを見に行く。<br /><br />Day 1 香港乗り継ぎムンバイ入国<br />https://4travel.jp/travelogue/12027493<br />Day 2 サーンチー、ボパール<br />https://4travel.jp/travelogue/12029301<br />Day 3 インドール、マーンドゥー、マヘーシュワル<br />https://4travel.jp/travelogue/12034991<br />Day 4 マヘーシュワル、オームカーレーシュワル、アスィールガル<br />https://4travel.jp/travelogue/12036864<br />Day 5 アジャンター石窟群<br />https://4travel.jp/travelogue/12045557<br />Day 6 ダウラターバード、エローラ、シルディ<br />https://4travel.jp/travelogue/12047447<br />Day 7 ナーシク、ムンバイ<br />https://4travel.jp/travelogue/12049770<br />Day 8 ムンバイのヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの建造物群 ← 今ここ<br /><br />Day 9 ムンバイ出国、香港乗り継ぎ<br />https://4travel.jp/travelogue/12054329

Day 8 ムンバイのヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの建造物群

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2025/12/26 - 2026/01/03

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Fúgāngrénさん

観光最終日。ムンバイ観光の定番エレファンタ島はパスして、働くダッバーワーラーを見に行く。

Day 1 香港乗り継ぎムンバイ入国
https://4travel.jp/travelogue/12027493
Day 2 サーンチー、ボパール
https://4travel.jp/travelogue/12029301
Day 3 インドール、マーンドゥー、マヘーシュワル
https://4travel.jp/travelogue/12034991
Day 4 マヘーシュワル、オームカーレーシュワル、アスィールガル
https://4travel.jp/travelogue/12036864
Day 5 アジャンター石窟群
https://4travel.jp/travelogue/12045557
Day 6 ダウラターバード、エローラ、シルディ
https://4travel.jp/travelogue/12047447
Day 7 ナーシク、ムンバイ
https://4travel.jp/travelogue/12049770
Day 8 ムンバイのヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの建造物群 ← 今ここ

Day 9 ムンバイ出国、香港乗り継ぎ
https://4travel.jp/travelogue/12054329

  • Gateway of India インド門<br />2026年1月2日(金)<br />朝の散歩でホテル前のインド門へ<br /><br />神谷 武夫『インド建築案内』<br />(TOTO出版、1996年)より引用<br />港町ムンバイ(ボンベイ)の入口でありシンボルであるのは、1911年に英国王ジョージ5世とメアリ王妃の来印を記念して建造されたインド門である。ボンベイ市の顧問建築家であったウィテットは、中世のグジャラート地方におけるヒンドゥとイスラムが混合した様式をもとに、高さ26mの”凱旋門”を設計した。

    Gateway of India インド門
    2026年1月2日(金)
    朝の散歩でホテル前のインド門へ

    神谷 武夫『インド建築案内』
    (TOTO出版、1996年)より引用
    港町ムンバイ(ボンベイ)の入口でありシンボルであるのは、1911年に英国王ジョージ5世とメアリ王妃の来印を記念して建造されたインド門である。ボンベイ市の顧問建築家であったウィテットは、中世のグジャラート地方におけるヒンドゥとイスラムが混合した様式をもとに、高さ26mの”凱旋門”を設計した。

    インド門 (ムンバイ) 建造物

  •  &quot;Erected to commemorate the landing in India of their Imperial Majesties King George V and Queen Mary on the Second of December MCMXI&quot;<br /><br />門の碑文には「1911年12月2日にインドに上陸したジョージ5世陛下とメアリー王妃を記念して建立」と記されている。門が完成したのは国王夫妻が訪印した13年後の1924年である。<br /><br />国王夫妻はボンベイからインドに上陸した後、1911年12月12日にデリーで挙行されたダルバール(Delhi Durbar, 1911)においてインド皇帝に即位したことを宣言した。

    "Erected to commemorate the landing in India of their Imperial Majesties King George V and Queen Mary on the Second of December MCMXI"

    門の碑文には「1911年12月2日にインドに上陸したジョージ5世陛下とメアリー王妃を記念して建立」と記されている。門が完成したのは国王夫妻が訪印した13年後の1924年である。

    国王夫妻はボンベイからインドに上陸した後、1911年12月12日にデリーで挙行されたダルバール(Delhi Durbar, 1911)においてインド皇帝に即位したことを宣言した。

  • The Somerset Light Infantry, the last British troops to leave India, Bombay, 1948<br /><br />1947年にインドが独立すると、インドに駐屯するイギリス軍は本国へ帰還することとなった。1948年2月28日、インドから撤収する最後のイギリス軍部隊、サマセット軽歩兵連隊(Somerset Light Infantry)第1大隊が、軍旗を先頭に陸側から海に向かって行進してインド門をくぐり、兵員輸送船*に乗船してインドを去るセレモニーは、イギリスによる統治の終焉を示した。<br /><br />*インド撤収の殿軍となったサマセット軽歩兵連隊が乗船した兵員輸送船 Empress of Australia(エンプレス・オブ・オーストラリア)は、戦前は民間の貨客船として運航し、日本と数奇な関わりがある。1923年9月1日、横浜港から出港する直前に関東大震災が発生。船長の英断により港に留まり避難民を収容して神戸に輸送するなど被災者の救援活動に貢献した。1939年に第二次世界大戦が勃発すると、イギリス軍に徴用されて兵員輸送船に改装され、戦中から戦後にかけて世界各地で兵員輸送に従事した。

    The Somerset Light Infantry, the last British troops to leave India, Bombay, 1948

    1947年にインドが独立すると、インドに駐屯するイギリス軍は本国へ帰還することとなった。1948年2月28日、インドから撤収する最後のイギリス軍部隊、サマセット軽歩兵連隊(Somerset Light Infantry)第1大隊が、軍旗を先頭に陸側から海に向かって行進してインド門をくぐり、兵員輸送船*に乗船してインドを去るセレモニーは、イギリスによる統治の終焉を示した。

    *インド撤収の殿軍となったサマセット軽歩兵連隊が乗船した兵員輸送船 Empress of Australia(エンプレス・オブ・オーストラリア)は、戦前は民間の貨客船として運航し、日本と数奇な関わりがある。1923年9月1日、横浜港から出港する直前に関東大震災が発生。船長の英断により港に留まり避難民を収容して神戸に輸送するなど被災者の救援活動に貢献した。1939年に第二次世界大戦が勃発すると、イギリス軍に徴用されて兵員輸送船に改装され、戦中から戦後にかけて世界各地で兵員輸送に従事した。

  • Statue of Shivaji<br />チャトラパティ・シヴァージーの騎馬像<br /><br />1961年、インド門に正対する場所にあったジョージ5世の像に代わって、インドの国民的英雄シヴァージーの像が設置された。イギリスによる植民地支配の歴史を克服しようとするナショナリズムの現れなのだろう。旧ヴィクトリア・ターミナス駅やサンタクルズ空港も改名によりシヴァージーの名が冠せられている。<br /><br />山川 世界史小辞典<br />(山川出版社、2011年改訂新版)より引用<br />シヴァージー<br />Shivaji Bhonsle 1627~80(在位1674~80) インドのマラーター王国の建国者。デカン高原西部のマラーター・カーストの出身で,父はデカンのムスリム政権ビージャプル王国に仕える武将だった。デカンのムスリム諸政権とムガル帝国の反目に乗じて勢力を伸ばし,ムガル帝国と戦った。マラーター農民を軍事的に組織し,軽騎兵隊を用いた機動的な戦法で周辺の勢力を打ち破り,重装備のムガル軍を翻弄した。1666年,アウラングゼーブ帝の捕虜となるが,脱出。有力なマラーターの家系を糾合し,74年,クシャトリヤとして即位儀礼を行った。シヴァージーの王国には,マラーターに加えて,顧問などとしてバラモンが,軍人としてムスリムが加わっていた。後世,マラーターの英雄として崇拝され,ナショナリズムのシンボルの一つとなった。

    Statue of Shivaji
    チャトラパティ・シヴァージーの騎馬像

    1961年、インド門に正対する場所にあったジョージ5世の像に代わって、インドの国民的英雄シヴァージーの像が設置された。イギリスによる植民地支配の歴史を克服しようとするナショナリズムの現れなのだろう。旧ヴィクトリア・ターミナス駅やサンタクルズ空港も改名によりシヴァージーの名が冠せられている。

    山川 世界史小辞典
    (山川出版社、2011年改訂新版)より引用
    シヴァージー
    Shivaji Bhonsle 1627~80(在位1674~80) インドのマラーター王国の建国者。デカン高原西部のマラーター・カーストの出身で,父はデカンのムスリム政権ビージャプル王国に仕える武将だった。デカンのムスリム諸政権とムガル帝国の反目に乗じて勢力を伸ばし,ムガル帝国と戦った。マラーター農民を軍事的に組織し,軽騎兵隊を用いた機動的な戦法で周辺の勢力を打ち破り,重装備のムガル軍を翻弄した。1666年,アウラングゼーブ帝の捕虜となるが,脱出。有力なマラーターの家系を糾合し,74年,クシャトリヤとして即位儀礼を行った。シヴァージーの王国には,マラーターに加えて,顧問などとしてバラモンが,軍人としてムスリムが加わっていた。後世,マラーターの英雄として崇拝され,ナショナリズムのシンボルの一つとなった。

  • The Taj Mahal Palace, Mumbai<br />タージ・マハル・パレス<br />1903年開業のインドを代表する高級ホテル。<br />2008年に発生したムンバイ同時多発テロ(2008 Mumbai attacks)ではテロ組織による攻撃対象の一つとなり、31人の死者を出した。<br /><br />神谷 武夫『インド建築案内』<br />(TOTO出版、1996年)より引用<br />ターター財閥の創始者であるJ.N.ターターによって建てられたこのホテルは、英領インド帝国における最高級ホテルであった。現在は背後に高層の新館が建てられているが、本館の地位は揺るぎない。中央ドームはイタリア風であるが、その四隅に小ドームを添えているのはインド風である。

    The Taj Mahal Palace, Mumbai
    タージ・マハル・パレス
    1903年開業のインドを代表する高級ホテル。
    2008年に発生したムンバイ同時多発テロ(2008 Mumbai attacks)ではテロ組織による攻撃対象の一つとなり、31人の死者を出した。

    神谷 武夫『インド建築案内』
    (TOTO出版、1996年)より引用
    ターター財閥の創始者であるJ.N.ターターによって建てられたこのホテルは、英領インド帝国における最高級ホテルであった。現在は背後に高層の新館が建てられているが、本館の地位は揺るぎない。中央ドームはイタリア風であるが、その四隅に小ドームを添えているのはインド風である。

    ザ タージ マハル パレス ホテル

  • 中央ドームの下は吹き抜けになっている。

    中央ドームの下は吹き抜けになっている。

  • 吹き抜けのいちばん底(地上階)<br />階段と回廊を廻って上層階へ昇ることができる。

    吹き抜けのいちばん底(地上階)
    階段と回廊を廻って上層階へ昇ることができる。

  • Jamsetji Tata(1839~1904)<br /><br />ジャムシェトジー・ヌッセルヴァーンジー・タタ(Jamshetji Nusserwanji Tata)の胸像。<br />インドの実業家でタタ財閥の創始者、このホテルの創業者である。<br /><br />水島 司『一冊でわかるインド史』<br />(河出書房新社、2021年)より引用<br /> 商業の発達にともない、インド人の企業経営者も育っていきました。西部のグジャラート州を地盤としていたターター一族は貿易商会を1868年に設立すると、のちに綿紡績をはじめ、海運や鉄鋼など多くの業種に進出し、20世紀に入るとインド屈指の大財閥に発展します。ターター一族をはじめ、新興の企業経営者にはかねてより商業従事者が多いパールシー教徒が少なくありませんでした。

    Jamsetji Tata(1839~1904)

    ジャムシェトジー・ヌッセルヴァーンジー・タタ(Jamshetji Nusserwanji Tata)の胸像。
    インドの実業家でタタ財閥の創始者、このホテルの創業者である。

    水島 司『一冊でわかるインド史』
    (河出書房新社、2021年)より引用
     商業の発達にともない、インド人の企業経営者も育っていきました。西部のグジャラート州を地盤としていたターター一族は貿易商会を1868年に設立すると、のちに綿紡績をはじめ、海運や鉄鋼など多くの業種に進出し、20世紀に入るとインド屈指の大財閥に発展します。ターター一族をはじめ、新興の企業経営者にはかねてより商業従事者が多いパールシー教徒が少なくありませんでした。

  • Buffet breakfast at Sea Lounge<br />海を望むティーサロン「シー・ラウンジ」で朝食<br /><br /><br />

    Buffet breakfast at Sea Lounge
    海を望むティーサロン「シー・ラウンジ」で朝食


  • マサラ・オムレツを作ってもらった。<br />盛りつけの彩りが美しい。<br />紅茶はダージリン。

    マサラ・オムレツを作ってもらった。
    盛りつけの彩りが美しい。
    紅茶はダージリン。

  • 中庭のプール

    中庭のプール

  • ホテルを訪れた著名人の写真<br />パレス棟とタワー棟をつなぐ廊下の壁に展示されている。

    ホテルを訪れた著名人の写真
    パレス棟とタワー棟をつなぐ廊下の壁に展示されている。

  • タワー棟のロビーに響くシタールの音色

    タワー棟のロビーに響くシタールの音色

  • Haji Ali Dargah ハッジ・アリー廟<br />海岸から500m沖の小島に建つ白い建物は、15世紀中頃に没したスーフィー聖者ハッジ・アリーを祀る廟。満潮時を除き、堤防の上を歩いて島へ渡ることができる。

    Haji Ali Dargah ハッジ・アリー廟
    海岸から500m沖の小島に建つ白い建物は、15世紀中頃に没したスーフィー聖者ハッジ・アリーを祀る廟。満潮時を除き、堤防の上を歩いて島へ渡ることができる。

    ハジ アリ モスク 寺院・教会

  • ハッジ・アリー廟から望むアラビア海

    ハッジ・アリー廟から望むアラビア海

  • Dhobi Ghat ドービー・ガート<br />マハーラクシュミー駅の傍にある屋外洗濯場。<br />陸橋に設置された展望台から撮影。

    Dhobi Ghat ドービー・ガート
    マハーラクシュミー駅の傍にある屋外洗濯場。
    陸橋に設置された展望台から撮影。

    ドービー ガート 建造物

  • ガイドに引率されて作業場の中へ<br />洗濯物を石に打ちつけて洗っていると思いきや、大型の洗濯機を使用していた。

    ガイドに引率されて作業場の中へ
    洗濯物を石に打ちつけて洗っていると思いきや、大型の洗濯機を使用していた。

  • 天日干しされる洗濯物<br />前方の上に見える白い傘の屋根は陸橋の展望台。あそこから見られているのか。<br /><br />中に入った感想は、荒んだスラム街ではなく、洗濯職人が働く作業場の集合体といったところだ。それでも旅行者が立ち入って無遠慮にカメラを向けたり、お仕事の邪魔をするのは憚られるので、ガイドを伴って入るのがよいだろう。

    天日干しされる洗濯物
    前方の上に見える白い傘の屋根は陸橋の展望台。あそこから見られているのか。

    中に入った感想は、荒んだスラム街ではなく、洗濯職人が働く作業場の集合体といったところだ。それでも旅行者が立ち入って無遠慮にカメラを向けたり、お仕事の邪魔をするのは憚られるので、ガイドを伴って入るのがよいだろう。

  • Mahalaxmi railway station<br />マハーラクシュミー駅の駅名標<br />ドービー・ガートの最寄り駅。

    Mahalaxmi railway station
    マハーラクシュミー駅の駅名標
    ドービー・ガートの最寄り駅。

  • Mumbai Suburban Railway<br />ムンバイ近郊鉄道<br /><br />インドの車窓から<br />今日はムンバイ市内を走ります。

    Mumbai Suburban Railway
    ムンバイ近郊鉄道

    インドの車窓から
    今日はムンバイ市内を走ります。

  • 車内の天井から下がるたくさんのつり革<br />朝のラッシュ時は激混みするそうだ(ネットの画像検索で出てくるインドの満員電車のアレ)。

    車内の天井から下がるたくさんのつり革
    朝のラッシュ時は激混みするそうだ(ネットの画像検索で出てくるインドの満員電車のアレ)。

  • Churchgate railway station<br />終点のチャーチゲート駅で下車<br />近郊鉄道は庶民の交通手段。マハーラクシュミーからチャーチゲートまで、運賃は私とガイドの大人2人で10ルピー(約20円)。

    Churchgate railway station
    終点のチャーチゲート駅で下車
    近郊鉄道は庶民の交通手段。マハーラクシュミーからチャーチゲートまで、運賃は私とガイドの大人2人で10ルピー(約20円)。

  • Western Railway Headquarters building<br />ウェスタン・レールウェイ本社ビル<br /><br />チャーチゲート駅の近くにあるインド・サラセン様式の建築。<br />世界遺産に登録された建造物群*の一つ<br />*Victorian Gothic and Art Deco Ensembles of Mumbai<br />ムンバイのヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの建造物群

    Western Railway Headquarters building
    ウェスタン・レールウェイ本社ビル

    チャーチゲート駅の近くにあるインド・サラセン様式の建築。
    世界遺産に登録された建造物群*の一つ
    *Victorian Gothic and Art Deco Ensembles of Mumbai
    ムンバイのヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの建造物群

  • Western Railway Heritage Gallery<br />1階のヘリテージ・ギャラリーで、ウェスタン・レールウェイ(西部鉄道)の歴史資料を展示している。入場無料でビジターに開放されているので、門衛の詰所で見学を申し出て入場しよう(身分証の確認と来館者名簿への記帳が必要)。

    Western Railway Heritage Gallery
    1階のヘリテージ・ギャラリーで、ウェスタン・レールウェイ(西部鉄道)の歴史資料を展示している。入場無料でビジターに開放されているので、門衛の詰所で見学を申し出て入場しよう(身分証の確認と来館者名簿への記帳が必要)。

  • 125 years of Western Railway Headquarters Building<br />ウェスタン・レールウェイ本社ビル 125周年のパネル<br />1899年に竣工し、2024年に125周年を迎えた歴史的建造物である。

    125 years of Western Railway Headquarters Building
    ウェスタン・レールウェイ本社ビル 125周年のパネル
    1899年に竣工し、2024年に125周年を迎えた歴史的建造物である。

  • Dabbawalla ダッバーワーラー<br />ウェスタン・レールウェイ本社ビル前の歩道で、ダッバーワーラーが弁当箱を仕分けしている。<br /><br />各家庭で作られた弁当を集荷し、職場で働く家族へ届ける配送システムは、ハーバード大学など名門大学のビジネススクールでケーススタディとして取り上げられたことがある。<br />●ダッバーワーラーによる弁当配達の流れ<br />① 各家庭から弁当を集荷する<br />② 鉄道で最寄り駅まで運ぶ<br />③ 集まった弁当箱を配送エリアごとに仕分ける(物流センター的な役割)←今ここ<br />④ 鉄道で配送エリアへ運ぶ<br />⑤ 職場へ届ける<br />⑥ 昼食後に空の弁当箱を回収し、配送ルートを逆走して各家庭へ返却する

    Dabbawalla ダッバーワーラー
    ウェスタン・レールウェイ本社ビル前の歩道で、ダッバーワーラーが弁当箱を仕分けしている。

    各家庭で作られた弁当を集荷し、職場で働く家族へ届ける配送システムは、ハーバード大学など名門大学のビジネススクールでケーススタディとして取り上げられたことがある。
    ●ダッバーワーラーによる弁当配達の流れ
    ① 各家庭から弁当を集荷する
    ② 鉄道で最寄り駅まで運ぶ
    ③ 集まった弁当箱を配送エリアごとに仕分ける(物流センター的な役割)←今ここ
    ④ 鉄道で配送エリアへ運ぶ
    ⑤ 職場へ届ける
    ⑥ 昼食後に空の弁当箱を回収し、配送ルートを逆走して各家庭へ返却する

  • ムンバイ警察が作成するカレンダーの写真にしたいとのことで、女性警察官と外国人旅行者がダッバーワーラーと交流する姿を撮影していた。

    ムンバイ警察が作成するカレンダーの写真にしたいとのことで、女性警察官と外国人旅行者がダッバーワーラーと交流する姿を撮影していた。

  • ウェスタン・レールウェイ本社ビル前の歩道は、働くダッバーワーラーを見ることができる観光名所となっている。集荷の時間を見計らってチャーチゲート駅へ行こう。

    ウェスタン・レールウェイ本社ビル前の歩道は、働くダッバーワーラーを見ることができる観光名所となっている。集荷の時間を見計らってチャーチゲート駅へ行こう。

  • Britannia &amp; Co. Restaurant<br />パールシー料理店ブリタニアで昼食<br /><br />レトロな佇まいの店内。壁にはイラン、インド、イギリスの国旗が掲げられている。<br /><br />小林 真樹『食べ歩くインド 南・西編』<br />(旅行人、2020年)より引用<br />インドとイランの間には現在パキスタンがあるので少し遠い国のように感じられるが、そもそもパキスタンとインドが分離独立するまでは地続きの隣国だったわけで、太古より距離的にも文化的にもあらゆる点で最も近い国の一つだったことは間違いない。長い年月をかけて、宗教的圧迫や経済的な理由で断続的にインド亜大陸にやってきた彼らは「ペルシアから来た人たち」の意味でパールシーと呼ばれた。このパールシーの中からは、のちにインド随一の大財閥を築くタタなど優れた人材をも輩出し、インド社会に影響を与えている。彼らのもたらした料理文化はパールシー料理と呼ばれる。

    Britannia & Co. Restaurant
    パールシー料理店ブリタニアで昼食

    レトロな佇まいの店内。壁にはイラン、インド、イギリスの国旗が掲げられている。

    小林 真樹『食べ歩くインド 南・西編』
    (旅行人、2020年)より引用
    インドとイランの間には現在パキスタンがあるので少し遠い国のように感じられるが、そもそもパキスタンとインドが分離独立するまでは地続きの隣国だったわけで、太古より距離的にも文化的にもあらゆる点で最も近い国の一つだったことは間違いない。長い年月をかけて、宗教的圧迫や経済的な理由で断続的にインド亜大陸にやってきた彼らは「ペルシアから来た人たち」の意味でパールシーと呼ばれた。このパールシーの中からは、のちにインド随一の大財閥を築くタタなど優れた人材をも輩出し、インド社会に影響を与えている。彼らのもたらした料理文化はパールシー料理と呼ばれる。

  • Berry prawn pulao<br />干しベリーとエビのプラーオ<br />この店の代表メニュー<br /><br />小林 真樹『食べ歩くインド 南・西編』<br />(旅行人、2020年)より引用<br />ムンバイには、イラーニー・カフェとやや曖昧ながら一線を画すパールシー料理店が存在する。その違いはメニューにあり、イラーニー・カフェはその名のとおりカフェ・メニューが主体であるのに対して、パールシー料理店は当然パールシー料理がメインになっている。イラーニー・カフェは初期の段階では工場労働者向けのパンやチャーエを主体としたが、パールシー料理店はクリスマスや誕生日といったパーティーを祝うイギリス人、ノウルーズ(ゾロアスター教の新年祭)を祝うパールシー、インド人クリスチャンやユダヤ人といった国際的な人々が顧客になっていった。

    Berry prawn pulao
    干しベリーとエビのプラーオ
    この店の代表メニュー

    小林 真樹『食べ歩くインド 南・西編』
    (旅行人、2020年)より引用
    ムンバイには、イラーニー・カフェとやや曖昧ながら一線を画すパールシー料理店が存在する。その違いはメニューにあり、イラーニー・カフェはその名のとおりカフェ・メニューが主体であるのに対して、パールシー料理店は当然パールシー料理がメインになっている。イラーニー・カフェは初期の段階では工場労働者向けのパンやチャーエを主体としたが、パールシー料理店はクリスマスや誕生日といったパーティーを祝うイギリス人、ノウルーズ(ゾロアスター教の新年祭)を祝うパールシー、インド人クリスチャンやユダヤ人といった国際的な人々が顧客になっていった。

  • St. John The Evangelist Church<br />(Afghan War Memorial Church)<br />聖ヨハネ使徒福音記者教会<br />(アフガン戦争記念教会)<br /><br />第一次アフガン戦争(1839-1842年)の戦没者を追悼するため、1858年に竣工した アングリカン・チャーチ(聖公会)の聖堂。

    St. John The Evangelist Church
    (Afghan War Memorial Church)
    聖ヨハネ使徒福音記者教会
    (アフガン戦争記念教会)

    第一次アフガン戦争(1839-1842年)の戦没者を追悼するため、1858年に竣工した アングリカン・チャーチ(聖公会)の聖堂。

  • 美しいステンドグラス

    美しいステンドグラス

  • 聖堂内にアフガン戦争のパネル解説があった<br /><br />松村 赳、富田 虎男 編著『英米史辞典』<br />(研究社、2000年)より引用<br />Afghan War〘英〙アフガン戦争<br />19世紀から20世紀にかけて、3度にわたり戦われたイギリス・アフガニスタン間の戦争。ロシアの中央アジアへの進出に脅威を感じたイギリスが、インド保全のため、アフガニスタンでの親英政権の樹立を策したのが原因。<br />[第1次]1839–42年。イギリスは、アフガニスタン支配者ドースト・ムハンマドの非協力的態度を口実に、1839年、2万余の軍隊をインドから侵入させ、カンダハル、ガズニ、首都カーブルなどを占領し、ドースト・ムハンマドを捕らえた。そのあと、親英的なシャー・シュジャーを政権の座に据え、これを補佐するイギリス人2人を代理人として常駐させ、守備隊をカーブルに残して、本隊はインドに引き揚げた。しかし、ドースト・ムハンマドがアフガニスタンの民衆に好まれていたのに対し、シャー・シュジャーは不評で、41年11月、ドースト・ムハンマドの子アクバル・ハーンを指導者にカーブルでシャー・シュジャーと彼を支持するイギリスへの反対運動が起こった。イギリスの代理人2人は殺害され、エルフィンストン少将のカーブル守備隊4500人と避難民12,000人は包囲された末、42年1月、降伏した。彼らは帰還を許されてインドへ向かったが、ハイバル峠付近でアクバル軍に襲撃され、ほとんど全滅した。42年4月、イギリスは懲罰の軍を起こし、9月、カーブルに突入してアクバル軍を撃ち破り、捕虜を解放した。しかし、アフガニスタン人の抵抗の強さを知ったイギリスは政策を改め、ドースト・ムハンマドを復位させて撤兵した。

    聖堂内にアフガン戦争のパネル解説があった

    松村 赳、富田 虎男 編著『英米史辞典』
    (研究社、2000年)より引用
    Afghan War〘英〙アフガン戦争
    19世紀から20世紀にかけて、3度にわたり戦われたイギリス・アフガニスタン間の戦争。ロシアの中央アジアへの進出に脅威を感じたイギリスが、インド保全のため、アフガニスタンでの親英政権の樹立を策したのが原因。
    [第1次]1839–42年。イギリスは、アフガニスタン支配者ドースト・ムハンマドの非協力的態度を口実に、1839年、2万余の軍隊をインドから侵入させ、カンダハル、ガズニ、首都カーブルなどを占領し、ドースト・ムハンマドを捕らえた。そのあと、親英的なシャー・シュジャーを政権の座に据え、これを補佐するイギリス人2人を代理人として常駐させ、守備隊をカーブルに残して、本隊はインドに引き揚げた。しかし、ドースト・ムハンマドがアフガニスタンの民衆に好まれていたのに対し、シャー・シュジャーは不評で、41年11月、ドースト・ムハンマドの子アクバル・ハーンを指導者にカーブルでシャー・シュジャーと彼を支持するイギリスへの反対運動が起こった。イギリスの代理人2人は殺害され、エルフィンストン少将のカーブル守備隊4500人と避難民12,000人は包囲された末、42年1月、降伏した。彼らは帰還を許されてインドへ向かったが、ハイバル峠付近でアクバル軍に襲撃され、ほとんど全滅した。42年4月、イギリスは懲罰の軍を起こし、9月、カーブルに突入してアクバル軍を撃ち破り、捕虜を解放した。しかし、アフガニスタン人の抵抗の強さを知ったイギリスは政策を改め、ドースト・ムハンマドを復位させて撤兵した。

  • The Last Stand of the 44th Foot<br />at Gandamak, 1842<br />第一次アフガン戦争におけるガンダマクの戦い(1842年1月13日)で、イギリス陸軍歩兵第44(イースト・エセックス)聯隊の兵士たちによる最後の抵抗を描いた戦争画。<br /><br />恵谷 治『アフガン山岳戦従軍記』<br />(小学館文庫、2001年)より引用<br />カブールを出て一週間後の1月13日、第44歩兵連隊の生き残った50名ほどの一団が、ガンダマク村近くにたどり着いた。彼らの武器は20挺の小銃(マスケット)と50発ほどの弾薬だけだった。部族兵に包囲されほぼ全滅したが、ただひとり生き残った将校のスーター大尉は、連隊旗を腕に巻きつけて守り抜いた。第44連隊のガンダマクの戦いは、悲劇の中の美談(エピソード)として、今なお語り継がれている。

    The Last Stand of the 44th Foot
    at Gandamak, 1842
    第一次アフガン戦争におけるガンダマクの戦い(1842年1月13日)で、イギリス陸軍歩兵第44(イースト・エセックス)聯隊の兵士たちによる最後の抵抗を描いた戦争画。

    恵谷 治『アフガン山岳戦従軍記』
    (小学館文庫、2001年)より引用
    カブールを出て一週間後の1月13日、第44歩兵連隊の生き残った50名ほどの一団が、ガンダマク村近くにたどり着いた。彼らの武器は20挺の小銃(マスケット)と50発ほどの弾薬だけだった。部族兵に包囲されほぼ全滅したが、ただひとり生き残った将校のスーター大尉は、連隊旗を腕に巻きつけて守り抜いた。第44連隊のガンダマクの戦いは、悲劇の中の美談(エピソード)として、今なお語り継がれている。

  • The Remnants of an Army, <br />Jellalabad, January 13, 1842<br /><br />カーブルからの撤退(1842 retreat from Kabul)で九死に一生を得たウィリアム・ブライドン軍医が、ジャララバードのイギリス軍駐屯地に単騎でたどり着いたシーンを描いた戦争画。<br /><br />恵谷 治『アフガン山岳戦従軍記』<br />(小学館文庫、2001年)より引用<br />スーター大尉の一団に先行していた12人は、スカルプ川沿いのファテハバード村に着いたところで、部族兵に次々と殺され、奇跡的に生き残ったひとりの軍医が、ついにジャララバードの駐屯地にたどり着き悲劇の報告者になったのである。傷つき憔悴しきったブライドン軍医が、単騎ジャララバードの兵営に到着する直前の姿を描いた女流画家エリザベス・バトラーの「単騎の残兵(ザ・レムナンツ・オブ・アン・アーミー)」はあまりにも有名で、今なおイギリス人の涙を誘うものである。

    The Remnants of an Army,
    Jellalabad, January 13, 1842

    カーブルからの撤退(1842 retreat from Kabul)で九死に一生を得たウィリアム・ブライドン軍医が、ジャララバードのイギリス軍駐屯地に単騎でたどり着いたシーンを描いた戦争画。

    恵谷 治『アフガン山岳戦従軍記』
    (小学館文庫、2001年)より引用
    スーター大尉の一団に先行していた12人は、スカルプ川沿いのファテハバード村に着いたところで、部族兵に次々と殺され、奇跡的に生き残ったひとりの軍医が、ついにジャララバードの駐屯地にたどり着き悲劇の報告者になったのである。傷つき憔悴しきったブライドン軍医が、単騎ジャララバードの兵営に到着する直前の姿を描いた女流画家エリザベス・バトラーの「単騎の残兵(ザ・レムナンツ・オブ・アン・アーミー)」はあまりにも有名で、今なおイギリス人の涙を誘うものである。

  • 1946 Naval Uprising Memorial<br />1946年 海軍蜂起メモリアル<br />mutiny(反乱)ではなく uprising(蜂起)とする用語にインド側の歴史観が読み取れる。ここを訪れる予定はなかったが、車窓から見えたので車を停めて立ち寄り。門扉が施錠されて中に入れなかったのが残念。

    1946 Naval Uprising Memorial
    1946年 海軍蜂起メモリアル
    mutiny(反乱)ではなく uprising(蜂起)とする用語にインド側の歴史観が読み取れる。ここを訪れる予定はなかったが、車窓から見えたので車を停めて立ち寄り。門扉が施錠されて中に入れなかったのが残念。

  • インド人水兵による反英の蜂起を顕彰している。<br />舵輪を回す水兵の像は、イギリスの植民地支配から脱却して独立へ舵を切ることを表現しているのだろうか。<br /><br />山川 世界史小辞典<br />(山川出版社、2011年改訂新版)より引用<br />インド海軍の反乱<br />RIN (Royal Indian Navy) Mutiny<br />1946年2月,インド海軍の水兵が起こした反乱。きっかけはボンベイの水兵のストライキだった。彼らは海軍中央ストライキ委員会を選出し,食事の改善,賃金の人種差別の撤廃,政治犯の釈放,インド軍のインドネシアからの撤退などの要求を掲げた。憲兵隊との戦闘が始まると,ボンベイ市民が水兵に連帯し,反乱は78隻の艦艇と2万人の水兵に広がった。しかし国民会議派やムスリム連盟の支持を得ることができず,降伏した。イギリスにインドからの撤退を決意させる大きな原因になったといわれる。

    インド人水兵による反英の蜂起を顕彰している。
    舵輪を回す水兵の像は、イギリスの植民地支配から脱却して独立へ舵を切ることを表現しているのだろうか。

    山川 世界史小辞典
    (山川出版社、2011年改訂新版)より引用
    インド海軍の反乱
    RIN (Royal Indian Navy) Mutiny
    1946年2月,インド海軍の水兵が起こした反乱。きっかけはボンベイの水兵のストライキだった。彼らは海軍中央ストライキ委員会を選出し,食事の改善,賃金の人種差別の撤廃,政治犯の釈放,インド軍のインドネシアからの撤退などの要求を掲げた。憲兵隊との戦闘が始まると,ボンベイ市民が水兵に連帯し,反乱は78隻の艦艇と2万人の水兵に広がった。しかし国民会議派やムスリム連盟の支持を得ることができず,降伏した。イギリスにインドからの撤退を決意させる大きな原因になったといわれる。

  • インド人水兵の反乱を報じる当時の新聞記事<br />記念碑の横でパネル展示されている。<br /><br />本田 毅彦『インドの八月十五日』<br />(創元社、2024年)より引用<br /> イギリス側は、反乱を鎮圧するのに十分な兵力を展開して反乱兵たちを威嚇した。他方、国民会議派からは「ガンディーの片腕」「鉄の男」とも呼ばれたヴァッラバーイー・パーテルがボンベイに派遣され、訴追はされないことを反乱水兵たちの代表に約束する代わりに降伏を求めた。ジンナーもムスリム連盟を代表して同じ要求を行った。反乱水兵たちは投降し、476名が逮捕され、軍事裁判の結果、英領インド海軍から追放された。<br /> 英領インド帝国側は、短期間に続けて二度も軍の統制に関して屈辱的な妥協を余儀なくされた。それは、英領インド帝国の持続可能性に関するイギリス側の自信を失わせるのに十分な事態だった。

    インド人水兵の反乱を報じる当時の新聞記事
    記念碑の横でパネル展示されている。

    本田 毅彦『インドの八月十五日』
    (創元社、2024年)より引用
     イギリス側は、反乱を鎮圧するのに十分な兵力を展開して反乱兵たちを威嚇した。他方、国民会議派からは「ガンディーの片腕」「鉄の男」とも呼ばれたヴァッラバーイー・パーテルがボンベイに派遣され、訴追はされないことを反乱水兵たちの代表に約束する代わりに降伏を求めた。ジンナーもムスリム連盟を代表して同じ要求を行った。反乱水兵たちは投降し、476名が逮捕され、軍事裁判の結果、英領インド海軍から追放された。
     英領インド帝国側は、短期間に続けて二度も軍の統制に関して屈辱的な妥協を余儀なくされた。それは、英領インド帝国の持続可能性に関するイギリス側の自信を失わせるのに十分な事態だった。

  • University Library &amp; Rajabai Clock Tower<br />ムンバイ大学図書館とラジャバイ時計塔<br /><br />世界遺産に登録された建造物群*の一つ<br />*Victorian Gothic and Art Deco Ensembles of Mumbai<br />ムンバイのヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの建造物群

    University Library & Rajabai Clock Tower
    ムンバイ大学図書館とラジャバイ時計塔

    世界遺産に登録された建造物群*の一つ
    *Victorian Gothic and Art Deco Ensembles of Mumbai
    ムンバイのヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの建造物群

    ラジャバイ時計塔 建造物

  • Bombay High Court<br />ボンベイ高等裁判所<br /><br />1878年竣工<br />世界遺産に登録された建造物群の一つ。<br />1995年に市名がボンベイからムンバイに改められたが、高等裁判所の名称は「ボンベイ」を維持している。

    Bombay High Court
    ボンベイ高等裁判所

    1878年竣工
    世界遺産に登録された建造物群の一つ。
    1995年に市名がボンベイからムンバイに改められたが、高等裁判所の名称は「ボンベイ」を維持している。

    ボンベイ高等裁判所 建造物

  • Flora fountain<br />フローラ噴水<br />ローマ神話の女神フローラを表現した噴水。1864年に完成。

    Flora fountain
    フローラ噴水
    ローマ神話の女神フローラを表現した噴水。1864年に完成。

    フローラ噴水 史跡・遺跡

  • Oriental Building, Mumbai<br />オリエンタル・ビルディング<br />フローラ噴水の向かいに建つ1885年竣工のビル。<br />意外なことに世界遺産に登録の建造物ではない。

    Oriental Building, Mumbai
    オリエンタル・ビルディング
    フローラ噴水の向かいに建つ1885年竣工のビル。
    意外なことに世界遺産に登録の建造物ではない。

  • Maharashtra Police Headquarters<br />(formerly Royal Alfred Sailors&#39; Home)<br />マハーラーシュトラ警察本部<br />前身はアルフレッド王子(ヴィクトリア女王の次男)がボンベイを訪れた1870年に礎石が置かれ、1876年に竣工した船員保養所。世界遺産に登録された建造物群の一つ。

    Maharashtra Police Headquarters
    (formerly Royal Alfred Sailors' Home)
    マハーラーシュトラ警察本部
    前身はアルフレッド王子(ヴィクトリア女王の次男)がボンベイを訪れた1870年に礎石が置かれ、1876年に竣工した船員保養所。世界遺産に登録された建造物群の一つ。

  • Chhatrapati Shivaji Maharaj Vastu Sangrahalaya<br />(CSMVS Museum)<br />チャトラパティ・シヴァージー・マハーラージ・ヴァッツ・サングラハラヤ<br />旧名はプリンス・オブ・ウェールズ博物館。1998年にマラーター王国の建国者シヴァージーにちなんで改名された。<br />&quot;Vastu Sangrahalaya&quot; はヒンディー語で博物館を意味する。<br />世界遺産に登録された建造物群の一つ。

    Chhatrapati Shivaji Maharaj Vastu Sangrahalaya
    (CSMVS Museum)
    チャトラパティ・シヴァージー・マハーラージ・ヴァッツ・サングラハラヤ
    旧名はプリンス・オブ・ウェールズ博物館。1998年にマラーター王国の建国者シヴァージーにちなんで改名された。
    "Vastu Sangrahalaya" はヒンディー語で博物館を意味する。
    世界遺産に登録された建造物群の一つ。

    チャトラパティ シバジ マハラジ バストゥ サングラハラヤ (旧プリンス オブ ウェールズ博物館) 博物館・美術館・ギャラリー

  • Elphinstone College<br />エルフィンストーン・カレッジ<br />インド人が学ぶ高等教育機関として1835年に設立された。<br />世界遺産に登録された建造物群の一つ。

    Elphinstone College
    エルフィンストーン・カレッジ
    インド人が学ぶ高等教育機関として1835年に設立された。
    世界遺産に登録された建造物群の一つ。

  • (Left)David Sassoon Library<br />(Right)Army &amp; Navy Building<br /><br />左のデイヴィッド・サスーン図書館は1870年竣工。当初はムンバイの造幣局と造船所で働くヨーロッパ人工員の教習所(Mechanics&#39; Institution)として使用され、1938年に現在の名称に改名された。<br />右の陸海軍ビルは1891年竣工。イギリス陸海軍の協同組合のボンベイ支部として、会員(軍人とその家族)向けの購買事業を行っていた。<br />いずれも世界遺産に登録された建造物群である。

    (Left)David Sassoon Library
    (Right)Army & Navy Building

    左のデイヴィッド・サスーン図書館は1870年竣工。当初はムンバイの造幣局と造船所で働くヨーロッパ人工員の教習所(Mechanics' Institution)として使用され、1938年に現在の名称に改名された。
    右の陸海軍ビルは1891年竣工。イギリス陸海軍の協同組合のボンベイ支部として、会員(軍人とその家族)向けの購買事業を行っていた。
    いずれも世界遺産に登録された建造物群である。

  • 道路を横断中、中央分離帯に &quot; I Love Indian Navy &quot; の文字が⋯

    道路を横断中、中央分離帯に " I Love Indian Navy " の文字が⋯

  • Vikrant Memorial at Regal Circle, Mumbai<br />インド海軍初の航空母艦 INS Vikranto(ヴィクラント)の模型<br />INS (Indian Naval Ship) はインド海軍の艦船接頭辞(Ship prefix)<br /><br />イギリスで建造が中断していたマジェスティック級航空母艦 をインドが購入し、インド海軍空母ヴィクラントとして1961年に竣工。同年ボンベイで就役した。1971年の第三次印パ戦争ではベンガル湾で活動し、艦載機がパキスタン軍の艦艇を攻撃した。1997年に除籍。<br />現在稼働中の二代目ヴィクラントは、インド初の国産空母として2022年に就役した。

    Vikrant Memorial at Regal Circle, Mumbai
    インド海軍初の航空母艦 INS Vikranto(ヴィクラント)の模型
    INS (Indian Naval Ship) はインド海軍の艦船接頭辞(Ship prefix)

    イギリスで建造が中断していたマジェスティック級航空母艦 をインドが購入し、インド海軍空母ヴィクラントとして1961年に竣工。同年ボンベイで就役した。1971年の第三次印パ戦争ではベンガル湾で活動し、艦載機がパキスタン軍の艦艇を攻撃した。1997年に除籍。
    現在稼働中の二代目ヴィクラントは、インド初の国産空母として2022年に就役した。

  • Chhatrapati Shivaji Maharaj Terminus (CSMT)<br />formerly Victoria Terminus<br />チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス<br />駅コード:CSMT<br />旧名:ヴィクトリア・ターミナス<br /><br />インドとイギリスの建築様式が融合した鉄道駅舎として2004年に世界遺産に登録された。先の画像でいくつか紹介した世界遺産「ムンバイのヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの建造物群」には含まれない。

    Chhatrapati Shivaji Maharaj Terminus (CSMT)
    formerly Victoria Terminus
    チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス
    駅コード:CSMT
    旧名:ヴィクトリア・ターミナス

    インドとイギリスの建築様式が融合した鉄道駅舎として2004年に世界遺産に登録された。先の画像でいくつか紹介した世界遺産「ムンバイのヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの建造物群」には含まれない。

    チャトラパティ シヴァージー ターミナス駅 (旧ヴィクトリア ターミナス駅) 現代・近代建築

  • Heritage Walk in CSMT<br />駅舎内にあるミュージアムの場所を探していると、警備員に通せんぼされた。こんな時は頼りになるガイドの出番。警備員に尋ねたところ、どうやら見学ツアーに参加すれば中に入れるらしい。ツアーの集合場所は駅の向かいにるマクドナルドの前。行くと参加者とおぼしき人々が集まっていた。ツアー代金の支払いは電子マネーのみ。ガイドのスマホで払ってもらった。

    Heritage Walk in CSMT
    駅舎内にあるミュージアムの場所を探していると、警備員に通せんぼされた。こんな時は頼りになるガイドの出番。警備員に尋ねたところ、どうやら見学ツアーに参加すれば中に入れるらしい。ツアーの集合場所は駅の向かいにるマクドナルドの前。行くと参加者とおぼしき人々が集まっていた。ツアー代金の支払いは電子マネーのみ。ガイドのスマホで払ってもらった。

  • ツアーガイド(オレンジ色のシャツの人)が、警備員に入場を申告。今度は関所を通過できた。

    ツアーガイド(オレンジ色のシャツの人)が、警備員に入場を申告。今度は関所を通過できた。

  • ツアーガイドの解説に耳を傾ける。

    ツアーガイドの解説に耳を傾ける。

  • Some old Carriage &amp; Wagon Builder Plates<br /><br />駅舎内の Railway Heritage Museum に展示されている車両製造メーカーのプレート。<br />四角いプレートと右下隅の丸いプレートに &quot;KAWASAKI&quot; の文字あり。川崎重工の神戸工場で1954年に製造されたことが刻印されている。

    Some old Carriage & Wagon Builder Plates

    駅舎内の Railway Heritage Museum に展示されている車両製造メーカーのプレート。
    四角いプレートと右下隅の丸いプレートに "KAWASAKI" の文字あり。川崎重工の神戸工場で1954年に製造されたことが刻印されている。

  • 日本の新幹線のパネル展示<br /><br />モディ首相がかつて知事を務めたグジャラート州のアーメダバードとムンバイを結ぶ高速鉄道の建設が進行中であり、日本の新幹線システムの導入が予定されている。

    日本の新幹線のパネル展示

    モディ首相がかつて知事を務めたグジャラート州のアーメダバードとムンバイを結ぶ高速鉄道の建設が進行中であり、日本の新幹線システムの導入が予定されている。

  • Series E5 Shinkansen Model<br />新幹線E5系の模型<br />(展示品の説明文)<br />Japanese high speed bullet train shinkansen series E5 future train with Max. operating speed 320kmph, Mumbai to Ahmedabad traveling time approx. 2hours, number of stations 12, length 505 km.<br />(意訳)<br />日本製の高速鉄道新幹線E5系は将来、ムンバイ・アーメダバード間を、営業最高速度時速320kmで走行し、12駅505kmの距離を約2時間で結びます。

    Series E5 Shinkansen Model
    新幹線E5系の模型
    (展示品の説明文)
    Japanese high speed bullet train shinkansen series E5 future train with Max. operating speed 320kmph, Mumbai to Ahmedabad traveling time approx. 2hours, number of stations 12, length 505 km.
    (意訳)
    日本製の高速鉄道新幹線E5系は将来、ムンバイ・アーメダバード間を、営業最高速度時速320kmで走行し、12駅505kmの距離を約2時間で結びます。

  • courtyard 駅舎前の中庭<br />ここもツアーに参加しないと立ち入れない。<br /><br />神谷 武夫『インド建築案内』<br />(TOTO出版、1996年)より引用<br />ムンバイ(ボンベイ)には2つの終着駅があり、ともの大英帝国の威信を表現するような大プロジェクトであった。どちらもスティーヴンスの設計であるが、ヴィクトリア終着駅はスコットのラジャバイ・タワーと同じように、インドの伝統と関係なくヨーロッパ風にデザインされた。この設計を始めた時、彼はまだ30歳の若さであったが、完成までの10年近くの間に、これをインドで最も壮大なヴィクトリア・ゴチックの作品まで高めたのである。

    courtyard 駅舎前の中庭
    ここもツアーに参加しないと立ち入れない。

    神谷 武夫『インド建築案内』
    (TOTO出版、1996年)より引用
    ムンバイ(ボンベイ)には2つの終着駅があり、ともの大英帝国の威信を表現するような大プロジェクトであった。どちらもスティーヴンスの設計であるが、ヴィクトリア終着駅はスコットのラジャバイ・タワーと同じように、インドの伝統と関係なくヨーロッパ風にデザインされた。この設計を始めた時、彼はまだ30歳の若さであったが、完成までの10年近くの間に、これをインドで最も壮大なヴィクトリア・ゴチックの作品まで高めたのである。

  • Missing statue<br />時計の文字盤の下に半円柱の空洞がある。かつてそこにはヴィクトリア女王の大理石の像が立っていたが、インド独立後、1950年代に撤去され空席になっている。撤去された像は1980年代まで公園の芝生の上に放置されていたが、その後行方不明になっている。

    Missing statue
    時計の文字盤の下に半円柱の空洞がある。かつてそこにはヴィクトリア女王の大理石の像が立っていたが、インド独立後、1950年代に撤去され空席になっている。撤去された像は1980年代まで公園の芝生の上に放置されていたが、その後行方不明になっている。

  • 中央ドームの天井を見上げる。<br />この駅舎建築は外部も内部も壮麗な美しさだ。

    中央ドームの天井を見上げる。
    この駅舎建築は外部も内部も壮麗な美しさだ。

  • 上の階から見た駅舎内のコンコース

    上の階から見た駅舎内のコンコース

  • Municipal Corporation Building, Mumbai<br />駅舎のバルコニーから市庁舎(1893年竣工)を望む<br /><br />神谷 武夫『インド建築案内』<br />(TOTO出版、1996年)より引用<br />19世紀のちょうど後半を生きたスティーヴンスは、英国のバースで教育を受けたあと19歳でインドに渡り、めきめきと頭角を現した。2つの終着駅を実現させる間に設計した行政庁舎はVT駅の向かいに位置している。2辺を道路に挟まれた三角形の敷地条件を生かして左右対称のモニュメンタルなデザインとし、VT駅を対峙させている。この作品と次のチャーチゲート駅では、各部の頂部にドーム屋根を載せて”インド・サラセン風”とした。

    Municipal Corporation Building, Mumbai
    駅舎のバルコニーから市庁舎(1893年竣工)を望む

    神谷 武夫『インド建築案内』
    (TOTO出版、1996年)より引用
    19世紀のちょうど後半を生きたスティーヴンスは、英国のバースで教育を受けたあと19歳でインドに渡り、めきめきと頭角を現した。2つの終着駅を実現させる間に設計した行政庁舎はVT駅の向かいに位置している。2辺を道路に挟まれた三角形の敷地条件を生かして左右対称のモニュメンタルなデザインとし、VT駅を対峙させている。この作品と次のチャーチゲート駅では、各部の頂部にドーム屋根を載せて”インド・サラセン風”とした。

  • Noor Mohammadi Hotel<br />ヌール・モハンマディ・ホテル<br /><br />あらかじめリクエストしたムスリム食堂で夕食。<br />食堂を「ホテル」と称するのはインド英語の用法。

    Noor Mohammadi Hotel
    ヌール・モハンマディ・ホテル

    あらかじめリクエストしたムスリム食堂で夕食。
    食堂を「ホテル」と称するのはインド英語の用法。

  • 1923年創業の老舗ムスリム食堂。<br />100年を超えるの店の歴史が壁に描かれている。<br /><br />小林 真樹『食べ歩くインド 南・西編』<br />(旅行人、2020年)より引用<br />特にジュマー・マスジド辺りからムハンマド・アリー・ロードを北上した一帯はカオスに満ち溢れていて、物好きな散歩者にとって格好の探訪場所であることは間違いない。こうした一角を進んでいくと、夜も煌々と灯りのともる1923年創業のヌール・モハンマディ・ホテルにたどり着く。

    1923年創業の老舗ムスリム食堂。
    100年を超えるの店の歴史が壁に描かれている。

    小林 真樹『食べ歩くインド 南・西編』
    (旅行人、2020年)より引用
    特にジュマー・マスジド辺りからムハンマド・アリー・ロードを北上した一帯はカオスに満ち溢れていて、物好きな散歩者にとって格好の探訪場所であることは間違いない。こうした一角を進んでいくと、夜も煌々と灯りのともる1923年創業のヌール・モハンマディ・ホテルにたどり着く。

  • Buff(水牛)料理のメニュー<br /><br />小林 真樹『食べ歩くインド 南・西編』<br />(旅行人、2020年)より引用<br />ビーフ(水牛)の骨髄がたっぷりとかかったナッリ・ニハーリーや、脳みそとニハーリーが皿の上でミックスされた「王の一皿」という名のシャーヒー・プレート、ビーフのヤクニ・プラーオなど肉尽くしのメニューが味わえる。周囲に配慮して「No  Beef(ビーフありません)」という看板を掲げたムスリム店も多い中、この経営姿勢は嬉しい。

    Buff(水牛)料理のメニュー

    小林 真樹『食べ歩くインド 南・西編』
    (旅行人、2020年)より引用
    ビーフ(水牛)の骨髄がたっぷりとかかったナッリ・ニハーリーや、脳みそとニハーリーが皿の上でミックスされた「王の一皿」という名のシャーヒー・プレート、ビーフのヤクニ・プラーオなど肉尽くしのメニューが味わえる。周囲に配慮して「No Beef(ビーフありません)」という看板を掲げたムスリム店も多い中、この経営姿勢は嬉しい。

  • Yakhni Pulao<br />水牛を使ったヤクニ・プラーオ<br />味付けが塩辛かった。<br />イスラームの戒律に従いドリンクメニューに酒はない。

    Yakhni Pulao
    水牛を使ったヤクニ・プラーオ
    味付けが塩辛かった。
    イスラームの戒律に従いドリンクメニューに酒はない。

  • Minara Masjid, Mumbai<br />夕食後、車は喧騒の街を通り抜けて空港へ向かう。<br />緑のイルミネーションが点灯する建物は、イスラームの礼拝堂ミナラ・マスジド(Minara Masjid)<br /><br />小林 真樹『食べ歩くインド 南・西編』<br />(旅行人、2020年)より引用<br />ムンバイにおけるムスリム文化の歴史は意外と古い。現在でも多くの観光客を集めるハジ・アリ霊廟はムガル帝国成立前の1400年代に既に建設されている。また市内最大のジュマー・マスジドをはじめ市内には現在約90のマスジドが存在し、それぞれの周辺には大小様々なバザールが広がっている。

    Minara Masjid, Mumbai
    夕食後、車は喧騒の街を通り抜けて空港へ向かう。
    緑のイルミネーションが点灯する建物は、イスラームの礼拝堂ミナラ・マスジド(Minara Masjid)

    小林 真樹『食べ歩くインド 南・西編』
    (旅行人、2020年)より引用
    ムンバイにおけるムスリム文化の歴史は意外と古い。現在でも多くの観光客を集めるハジ・アリ霊廟はムガル帝国成立前の1400年代に既に建設されている。また市内最大のジュマー・マスジドをはじめ市内には現在約90のマスジドが存在し、それぞれの周辺には大小様々なバザールが広がっている。

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