2025/12/26 - 2026/01/03
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Fúgāngrénさん
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今日から観光スタート。飛行機でムンバイからボパールに移動してガイドと合流。サーンチーの仏教遺跡群を拝観。ボパールで宮殿ホテルに宿泊。
Day 1 香港乗り継ぎムンバイ入国
https://4travel.jp/travelogue/12027493
Day 2 サーンチー、ボパール ← 今ここ
Day 3 インドール、マーンドゥー、マヘーシュワル
https://4travel.jp/travelogue/12034991
Day 4 マヘーシュワル、オームカーレーシュワル、アスィールガル
https://4travel.jp/travelogue/12036864
Day 5 アジャンター石窟群
https://4travel.jp/travelogue/12045557
Day 6 ダウラターバード、エローラ、シルディ
https://4travel.jp/travelogue/12047447
Day 7 ナーシク、ムンバイ
https://4travel.jp/travelogue/12049770
Day 8 ムンバイのヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの建造物群
https://4travel.jp/travelogue/12052012
Day 9 ムンバイ出国、香港乗り継ぎ
https://4travel.jp/travelogue/12054329
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2025年12月27日(土)
朝食後、ホテルをチェックアウト。
ホテルのロビーにあったマラーティー語の新聞。ムンバイはマハーラーシュトラ州の州都。同州ではマラーティー語が公用語である。 -
Inter-terminal coache
国際線ターミナル(T2)の1階外に、国内線ターミナル(T1)行きのシャトルバスの乗り場がある。大型のスーツケースをカートに満載した人々が長い列を作っていた。バスの床下トランクが満杯になり、このバスには乗れないなと諦めていたところ、男が私に声をかけてきた。タクシーの客引きかと身構えたが、どうやらバス停の案内係のようだ。私の小荷物(機内持込みサイズのスーツケース)を見て、列の順番を飛ばしてバスに乗るよう促した。トランクは満杯だが座席に空きがあったのだ。コンパクトなスーツケースは座席上の荷物棚に収納。乗車できてラッキーだった。 -
T1側のバス乗り場の標識
T1とT2は約4km離れている。空港の公式サイトによると、ターミナル間を走る無料のシャトルバスは25分間隔で運行されている。しかしここはインド。バスの定時運行はあてにならず、満席やトランクの満載で乗車できないことがあるので、時間に余裕がない方や荷物が多い方は、タクシーかメトロ(Aqua Line 3:2025年10月に全線開通)でターミナル間を移動した方がよい。私のように夜T2に到着して、翌朝T1から出発するのであれば、T2内のNiranta又はT1近くのTaj Santacruzに泊まるのもありだろう。 -
IndiGoのカウンターに並ぶ長い列
私は預け荷物なしで、オンラインチェックイン済みなので並ばなかった。 -
インディゴ(IndiGo)6E 5172便
ムンバイ(BOM)09:40 発
ボパール(BHO)11:00 着 -
6E 5172
エアバス A321 neo
LCCなのでドリンクや機内食(要予約)は有料。1時間20分の飛行中、ドリンクは買わずに我慢。 -
安全のしおり
イラストがカワイイ
ボパール空港*に到着してガイドと合流。昨年のブンデールカンドの旅でお世話になった、インド人ガイドのSさん。日本語が堪能でインドの歴史に詳しい(←ここ大事)。旅行会社にリクエストしてデリーから出張してもらった。今日から7日間よろしくお願いします。専用車に乗ってサーンチーへ移動。
*ボパール空港(BHO)の正式名称はラージャ・ボージャ空港(Raja Bhoj Airport)。ボージャ王はインド中西部マールワー地方を支配するパラマーラ(Paramara)朝の君主で、11世紀初頭に即位。ボパールを首都として王国を治めた。 -
Buddhist Monuments at Sanchi
サーンチーの仏教遺跡群
世界文化遺産に登録(1989年)
ストゥーパの北面に立つトラナ(門)
頂部の半円弧は象牙や猿の尻尾ではなく、半分欠けた法輪である。柱頭には背中合わせの象、柱にはブッダの前世の物語であるジャータカの説話が彫刻されている。 -
ストゥーパの基壇に登ると、トラナ上部の裏側を近くから見ることができる。手塚治虫「ブッダ」1巻の冒頭で、このアングルから見たトラナが描かれている。
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The Eastern gateway at Sanchi
有名な彫刻がある東トラナへ廻る -
Yakshi, Eastern Gateway, Sanchi Stupa
東トラナの柱頭脇にある有名なヤクシーの像
ヤクシーはインド土着の女神で、森や樹木の精霊だったが、仏教に採り入れられて、正法を守護する神としてストゥーパの周りなどに表された。 -
東トラナの柱に架かる三本の横梁
二段目の横梁の彫刻は
「出家踰城(しゅっけゆじょう)」
王子として育ったシッダールタ太子(のちのブッダ)が、出家をするためにカピラヴァストゥの城を出ていく場面である。 -
東トラナの門柱に彫られたレリーフ
神谷 武夫『インド建築案内』
(TOTO出版、1996年)より引用
さらに貴重なのはストゥーパの前面に立つトラナ(門)にほどこされたレリーフの彫刻群である。それらの牧歌的な造形は古代仏教美術の精華であり、また当時の風俗や都市、城郭や住居の様子を伝えてくれる重要な歴史資料でもある。 -
菩提樹と金剛宝座に礼拝する人々
神谷 武夫『インド建築案内』
(TOTO出版、1996年)より引用
紀元前にはまだ仏像はつくられていなかったので、仏教徒はブッダを表すシンボル(菩提樹、法輪、仏足石など)やストゥーパを礼拝の対象(チャイティヤ)としていた。 -
ブッダに会うために馬車に乗って王舎城の城門を出るビンビサーラ王
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ブッダの生母摩耶夫人と白い象
摩耶夫人が白い象が胎内に入る夢を見て懐妊した説話。そして生まれた子がシッダールタ太子(のちのブッダ)である。 -
State Museum Bhopal
ボパールに戻って州立博物館へ
古美術品をただ陳列しているだけで見応えに欠ける。展示方法にもう一工夫ほしいところだ。 -
Skhalitvasana(11世紀 Jabalpur 出土)
天女アプサラ(Apsara)の舞踊のポーズを型取った赤砂岩の彫刻 -
マディヤ・プラデシュ州の地域には、イギリス統治時代にインドール、ボパールの有力な藩王国があり、当時の古い写真が展示されていた。
Tukoji Rao Holkar Ⅱ of Indore and his attendant
1877年撮影
トゥコージー・ラーオ・ホールカル2世
インドール藩王国君主(在位1844-1886)
1857年のインド大反乱では反乱軍に与せず、イギリス側についた。 -
Nawab Sultan Jehan Begum
ボパール藩王国の女性君主
スルタン・ジェハーン・ベーグム
ボパール藩王国は4代続けて女性君主が統治したユニークな歴史を持つ。
The Begums of Bhopal ボパールの女性君主
Qudsia Begum (在位 1819 - 1837)
Sikander Jehan Begum(1844 - 1868)
Nawab Shah Jehan Begum(1868 - 1901)
Nawab Sultan Jehan Begum*(1901 - 1926)
*画像の人物。4代続いた最後の女性君主で名君として称えられている。
ナワーブ(Nawab)はムスリムの君主(太守)の称号で、ベーグム(Begum)はムスリムの高貴な女性につける敬称。ナワーブとベーグムの組み合わせは、ムスリムの女性君主を表す。
ちなみに「マハーラージャ(Maharaja)」の称号は、君主の宗教がヒンドゥー教もしくはシーク教であることを表す。インド旅行の記事で「このホテルはかつてマハラジャが住んでいた宮殿で⋯」みたいな記述を見かけるが、宮殿を所有していた君主がムスリムの場合、マハラジャの称号はあり得ない(特にボパールやハイデラバードの場合は!)。君主の宗教を調べると、藩王国の由来とインド独立後の廃藩の顛末、インドの近現代史が見えてきて興味深い。 -
Hamidullah Khan
ハミドゥッラー・カーン
在位 1926–1949(1894生–1960没)
スルタン・ジェハーン・ベーグムの長男
ボパール藩王国最後の君主
英印円卓会議(The Round Table Conference サイモン委員会の報告を受けて、将来のインドの地位を論議するために、イギリス政府がロンドンに召集した会議)の第一回会議(1930年11月~1931年1月)に、藩王国代表団の一員として参加。
1947年のインド・パキスタン分離独立に際し、両国に属さない独立国家となることを模索したが、1949年にインド連邦に併合された。 -
The Statue of Mother and Child
博物館を出て車を走らせ、ある像を見に行った。
1984年に発生したボパール化学工場事故の悲劇を伝える母と子の像が道路脇に立っている。
名所旧跡だけでなく負の歴史も見つめたい想いがあり、ダークツーリズムとして訪れた。
Remember Bhopal Museum も訪れたかったが、残念ながら2023年1月に閉館していた。世界最悪の産業事故が発生してから40年余り。国や州政府など公的機関が率先して悲劇の記憶を伝承する取組みをすべきと思うが、先ほど訪れた州立博物館ではパネル展示すらしていなかった。
ボパール化学工場事故
The 1984 Bhopal gas tragedy
1984年12月3日未明、マディヤ・プラデシュ州ボパールの中心部に位置していた、アメリカの大手化学企業ユニオン・カーバイド社の子会社であるユニオン・カーバイド・インディア社において、殺虫剤を製造する際に使用されるイソシアン酸メチル(MIC)の貯蔵タンクから約55トンのMICがガス状となって漏れ出し、数十万人が被災したという大惨事を引き起こした化学工場事故である。原因はMIC の貯蔵タンクにつながった配管から水が流入して発熱反応が起こり、タンク内の温度が上昇したためと捜査当局は発表した。政府が発表した統計によると、約5千2百人の死者を出し、数千人が身体に障害を負ったという。 -
ホテルに荷物を置いて夕食へ
Bhopal Express
ボパール・エクスプレス
鉄道の車両を改造したレストラン -
旅行計画でボパールに面白そうなレストランを見つけたので、事前にリクエストしてガイドに案内してもらった。
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店内に掲げられている藩王国時代の写真
(上の写真)
1909年11月12日、インド副王兼総督ミントー伯爵を駅で出迎えるボパール藩王国の女性君主スルタン・ジェハーン・ベーグム。総督の名前に覚えがあり調べたところ、インド担当大臣モーリーと組んで、1909年にインド統治法を改正(イギリス議会で可決)して、モーリー・ミントー改革を推進した人物である。
(下の写真)
総督が到着する前のボパール駅。儀仗兵が整列している。
ちなみに2022年に公開され大ヒットしたインド映画『RRR』に登場する悪虐非道の総督夫妻は架空の人物である。 -
ビールで乾杯
キングフィッシャー・ウルトラ(Kingfisher Ultra)がとても美味しい。
笠井 亮平『インドの食卓
そこに「カレー」はない』
(ハヤカワ新書、2023年)より引用
これまでインドのビールといえば、キングフィッシャーが代表的なブランドだった(ちなみに Kingfisher とは「カワセミ」を意味し、ブランドのロゴマークにも採用されている)。アルコール大手のユナイテッド・ブリュワリーズ(UB)が、かつて1857年に自社が作っていたブランドを1978年に復活させたものだ。キングフィッシャーのプレミアムラガーはアルコール度数5%で、すっきりとした味わいのビールだ。日本のインド料理店でも輸入物のキングフィッシャーを出す店が少なくない。他にもアルコール度数の高い「キングフィッシャー・ストロング」や「キングフィッシャー・ウルトラ」などがある。 -
MURGH RIHANA DECCAN QUEEN(A universal favorite bar-be-cue chicken simmered in rich tomato & cream gravy:Awadh style)
アワド風トマトクリームチキンカレー
やっぱカレーにはバスマティでしょ。
"Deccan Queen" は料理名ではなく有名な急行列車の愛称。 -
本日の宿
Jehan Numa Palace
建物のルーツは、君主Sultan Jehan Begumの次男で、藩王国軍総帥のObaidullah Khan将軍が、1890年に建てた執務室兼邸宅。インド独立による廃藩後はインド政府に貸し出され、公務員宿舎や国土地理院の庁舎として使用された。インド政府から将軍の孫たち(兄弟)に返還された時、建物は朽ちて敷地は荒廃していたが、相続した兄弟たちの努力によりリフォームされ、1983年にヘリテージホテルとして開業した。 -
ホテルのレセプション
刀剣や君主の肖像画のディスプレイが、
ボパール藩王国の栄華を伝える。
ボパール藩王国(Bhopal State)
君主の称号:ナワーブ(Nawab)
君主の宗教:イスラーム(Islam)
礼砲(Gun Salute):19発 -
ホテルの中庭
建物の渡り廊下をくぐって敷地内を廻る乗馬用の小径も整備されている。 -
The Jehan Numa Museum
ホテルの中庭を囲む回廊の壁面に藩王国時代の写真や肖像画が展示されており、大変興味深く鑑賞した。パンフレットか図録にまとめてほしいところだ。 -
General Obaidullah Khan
(1878-1924)
オバイドゥッラー・カーン将軍
Nawab Sultan Jehan Begum の次男
ボパール藩王国軍総帥
この宮殿の最初の所有者(1890年竣工) -
Bhopal Victoria(Imperial Service)Lancers Cap Badge
ボパール・ヴィクトリア槍騎兵聯隊の徽章
クロスした騎兵槍(Lance)の上にヴィクトリア女王の王冠を配している。"CI"はCentral India(インド中央州)のイニシャルか?
有力な藩王国の君主は自国の騎兵部隊や歩兵部隊を保有しており、第一次世界大戦ではイギリス軍の一翼を担って同盟国軍と戦った。 -
Glimpses of Lord Minto at Railway Station, Bhopal 1909
ボパール駅で閲兵するインド副王兼総督ミントー伯爵
松村 赳、富田 虎男 編著『英米史辞典』
(研究社、2000年)より引用
Morley–Minto Reforms
〘英〙モーリー・ミントー改革
1909年、イギリスのインド支配において、初めて指名ではなく選出によるインド人の参加を認めた統治改善策。1905年のベンガル分割令以来高まった民族運動の勢いを弱めるための譲歩であった。時のインド相モーリーとインド副王(総督)ミントー伯の協力により実行され、具体的には、同年のインド法とその施行細則を内容とした、中央・地方の立法参事会にヒンドゥー教徒・イスラム教徒それぞれから選ばれたインド人が委員として参加することが認められ、参事会の権限も拡大された。また、副王の行政参事会には1名、ロンドンのインド相参事会にも2名のインド人が任命された。立法府に行政府を解任する権利がなかった点で責任政体ではなかったものの、初めて代議制が認められ、自治への第一歩が与えられた。しかし、自治の範囲は限られており、インド人の要求を満足させるにはいたらなかった。 -
Nawab Sultan Jehan Begum at Delhi Durbar 1911
1911年12月12日にデリーで挙行されたダルバール(インド皇帝の戴冠式)でイギリス国王兼インド皇帝ジョージ5世とメアリー王妃への忠誠表明を行うボパール藩王国君主スルタン・ジェハーン・ベーグム。
本田 毅彦『インドの八月十五日』
(創元社、2024年)より引用
1911年12月12日に行われたダーバーにおいて藩王たちは、とりわけ彼らがイギリス国王兼インド皇帝夫妻に対して忠誠の誓いを行う際には、儀礼上の規則(プロトコール)を厳密に守ることが求められた。しかしバローダ藩王国のマハラジャが、国王兼皇帝夫妻の面前でその規則に従わなかったために、スキャンダルを生じされることになった。 -
Nawab Sultan Jehan Begum with Prince of Wales at Sadar Manzil, Bhopal
1922年撮影
インド行啓でボパールを訪れたイギリスのエドワード皇太子をエスコートするボパール藩王国の女性君主スルタン・ジェハーン・ベーグム(写真中央、日傘の下の人物)。ムスリムの女性が着用するパルダ (Purdah)で顔を覆っている。
エドワード皇太子は、イギリス国王ジョージ5世の長男。1936年1月20日にエドワード8世として即位したが、離婚歴があるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの交際問題により325日で退位した。 -
Prince of Wales at the Durbar in Sadar Manzil, Bhopal
1922年2月24日撮影
イギリスのエドワード皇太子が、ボパール藩王国の宮殿ザダール・マンジルのダルバール・ホールで、藩王国の君主スルタン・ジェハーン・ベーグムと並んで座っている。 -
Viceroy Lord and Lady Mountbatten
インド副王兼総督夫妻
マウントバッテン卿とエドウィナ夫人
1947年、イギリスはインドの独立に際し、王族のマウントバッテン卿を、英領インド帝国の幕を引く最後のインド副王兼総督に任命した。
本田 毅彦『インドの八月十五日』
(創元社、2024年)より引用
英領インド帝国に数百という数で存在し、帝国を支えてきた諸藩王国は、国際法上はそれぞれが主権国家であり、英領インド帝国が解体した後には独立国家となる権利を保持していた。しかしそれは、単一の主権国家の樹立を求める国民会議派とムスリム連盟双方の指導者たちにとって、悪夢のシナリオだった。結果的に、ジャム・カシミール藩王国やハイデラバード藩王国など少数の例外を除いてほぼすべてが、インドないしパキスタンのいずれかに属することを選択した。こうした、信じがたいほどに従順な集団的決断は、マウントバッテンによる藩王たちの説得と、パテール、ジンナーからの諸藩王国政府に対する威嚇が効果を発揮した結果だった。とりわけ藩王たちと諸藩王国政府が、ナイーブにも「それぞれの自治領において藩王たちの権力は尊重されるはずだ」とのマウントバッテンの口約束を信じたことが大きかった。逆に言えば、ここでもマウントバッテンは、帝国の二つの後継国家の指導者たちに恩義を売ることに成功したのだった。 -
2017年公開の映画『英国総督 最後の家』
(原題:Viceroy's House)のチラシ
映画を鑑賞してパンフレットを購入した。
マウントバッテン卿の演者は『ダウントン・アビー』でグランサム伯爵を演じた俳優ヒュー・ボネヴィル(Hugh Bonneville)
パンフレットより引用
『英国総督 最後の家』は、1947年8月、イギリスによる植民地支配から解放されるまでの約6ヶ月間の激動のインドを描く。主権譲渡のため任命された新総督のマウントバッテン卿、その妻と娘は、デリーの壮麗なる総督官邸にやって来る。500人もの使用人を抱え、大広間が34部屋、迎賓室も34部屋、食堂は10部屋で、映写室も備えた大邸宅だ。 第二次世界大戦によって国力が疲弊したイギリスは、約200年にわたる植民地支配を終えることにしたが、当時インドでは宗教対立による暴動が多発していた。少数派のムスリムと多数派であるヒンドゥー教徒らの争いだ。新総督は、独立後に統一インドを望む国民会議派と、分離してパキスタンを建国したいムスリム連盟、どちらの案を採用するか決める重責がのしかかっているが、それぞれの意見を聴くたび、混迷は深まるのだった。 -
614号室に宿泊
サービスでアップグレードしてくれた。
<Jehan Numa Palace, Bhopal 泊>
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