2026/02/16 - 2026/02/18
41位(同エリア133件中)
赤い彗星さん
この旅行記スケジュールを元に
長崎旅行2日目。
今回長崎に旅行するきっかけとなった目的地・池島に向かいます。
以前、福岡や熊本の世界遺産の炭鉱史跡を巡った際に存在を知り、
興味を持っていましたが、昨年知人が池島を訪問してツアー参加。
色々話を聞いているうちにぜひ行ってみたいと昨秋航空便を予約し、
今年に入ってから、ツアー予約可能なタイミングで申し込みを行いました。
(飛行機予約後に施設老朽化やガイド高齢化に伴い2027年3月で炭鉱施設の閉鎖が決定。)
ツアー時間が午後からだったので、世界遺産の教会などが残る外海の出津集落に寄り道してから、瀬戸港フェリーターミナルに向かいます。
人工島でもある軍艦島は風雨や潮にさらされて崩れ落ちつつありますが、軍艦島の数倍の広さを誇る池島は、有人でもあり植物が元々自生している島であることから、風雨や潮の影響で建物が朽ちていきつつも、建物が崩壊する前にそのまま森に還りつつありました。
- 旅行の満足度
- 5.0
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池島へのフェリー発着場所の瀬戸港最寄りのバス停:NTT大瀬戸に向かう途中の車窓から。遠くに本日の訪問先・池島が見えています。
カーブと登り降りの連続ではありますが、リアス式海岸沿いを走るバスからの車窓風景は素晴らしいものでした。 -
瀬戸港フェリーターミナルには、池島と瀬戸港間で運行されているフェリーが停泊していました。
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港ということで結構な深さがあるのですが、底が見えるくらいの透明度の高さです。
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瀬戸港フェリーターミナル。
まだ新しい建物でチケット売り場やトイレ・ベンチなどがあります。 -
港近くのレストランが営業中だったので、池島上陸前に腹ごしらえします。
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お店には私一人でした。一般住宅をレストランに改築したのかなと思いましたが、入口や廊下などの造りを見ると元旅館なのかもしれません。
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時間の掛かるチキン南蛮を頼んでしまったため、時間的な余裕が無くなり大急ぎで完食。大ぶりで柔らかくジューシーな鶏肉は個数も多く、小皿も付いているので食べ応えがあるうえに、コーヒーやジュースなどもフリードリンクで1,700円でした。
非常に美味しかっただけに、ゆっくりと味わいたかった。 -
大急ぎでフェリーターミナルに戻り、チケット(500円)を購入して少し待っていると乗船が始まりました。池島まで約28分の船旅です。
季節的に風は冷たかったのですが、波もほぼ無く、雲一つない天気だったので、デッキで風景を眺めながら池島に向かいました。写真は、瀬戸港前の松島。 -
池島が近づいてきました。
大枠の形が、軍艦島に見えないこともない。
有人島ではありますが、池島炭鉱が閉山してから急速に人口が減り続け、近い将来無人島になってしまう可能性も高くなっています。 -
港の駐車場には、池島ウォークマップが立てられています。
いつのものか分かりませんが、インフラ維持を行うことが難しくなりつつある状況なので、行けない場所や歩けない場所なども含まれているかもしれません。 -
ターミナルから炭鉱までは、ガイドさんに導かれ歩きで移動です。
フェリーターミナルには、乗ってきたフェリーが停泊中。1日に数往復しています。 -
山の中腹に石炭を水槽で比重により選別した選炭工場跡(円形の建物)などの建物が並んでいます。
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定置網などで使われていた浮きを加工したアート作品が飾られていました。
くまモンも長崎の離島まで出張してくれています。
かつては彩色などもされていて、観光客を歓迎するものだったと思われますが、時と共に風化が進み、ホラー具合が増しつつあります。
笑ってはいるけど、やはり目玉って大事だなと感じるアートです。 -
池島炭鉱で産出した石炭を基に運用されていた火力発電所跡。
かつては九州側から電力を得ていたそうですが、台風などで送電が止まることも多かったそうです。そうなると坑道からの水の排出や空気の入れ替えに影響が出て、働いている多くの鉱夫の命に関わってしまうことから、自前で発電所を持つことになったそうです。
発電所の排熱を利用し、海水を真水に変える設備も備えられていました。 -
かつて石炭を運んでいたトロッコ。
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掩体壕のような形状のドーム内に人員輸送用トロッコが停車中。
このトロッコに乗って炭鉱まで移動です。 -
ゴットン、ゴットン大きく揺られながら、炭鉱に向かっています。
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トロッコを降りるとガイドさんに続いて、炭坑内見学が始まります。
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坑道には、坑内排気用の太い風管が設置されています。
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池島炭鉱は2001年に閉山しましたが、2003年から炭鉱見学ツアーが開始されたそうで、閉山直後の当時だと、現在よりリアルな坑道を見ることが出来たのかもしれないですね。(開始当時は、トロッコは使用されていなかったそうです。)
2027年3月で炭鉱施設見学終了が決定した炭鉱で栄えた島 by 赤い彗星さん池島炭鉱 名所・史跡
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坑道を真っ直ぐに掘り進むための測量方法が、立体的に現わされています。
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見学コースの中でも当時のまま残されていると思われる天井部分。
鉄骨アームで天井を支えている隙間は、木材で補強されていました。 -
石炭の鉱脈を掘り進み、掘り出した石炭を後方へ送ることが出来た掘削機器。アームの先のドリル部分は、栄螺の殻のように小さな突起(実際は大きいけど)が付いています。摩耗したら、簡単に突起を交換できる仕様になっていました。
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最初に池島炭鉱閉鎖の話が出た時に、産出される石炭の品質をアピールするために東京に持っていった大きな石炭の塊。
結果、すぐの閉鎖は無くなったそうですが、石炭から石油への移行や安価な輸入石炭には敵わず、閉山が決まってしまいました。 -
鉱員の緊急避難用の空気供給設備。
色々な理由で坑道内の酸素減少などが起こった際に出坑が間に合わない場合は、ビニール袋で体を覆ってその中に空気を供給できる設備です。 -
坑道の先に外から光が差し込んでいることが分かる斜坑。
何度の傾斜だと思うと聞かれて、自信を持って30度と答えましたが、実際は17~18度の傾斜でした。体が斜めになっていることから、私も含めて錯覚を起こし、30~35度と答える人が多いそうです。 -
見学コースは、事故などが起こらないように天井や壁面などが整備されているのは分かりましたが、配管など使用されない設備はそのままになっていました。
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すでに何に使用されていた機材か分からないくらい錆びていますが、恐らくバッテリーとかの動力系かな。見た目は錆びた金庫にしか見えないけど。
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岩盤爆破時のダイナマイトの配列模型。
電動工具で穴を空け、そこにダイナマイトを並べて押し込み、発破していたそうです。 -
トロッコに再度乗車し、元来た道を戻ります。
炭鉱ツアー後のオプションツアー担当のガイドさんが、トロッコのバッテリー整備をしているらしく、年々バッテリーの持ちが悪くなっているそうで、施設が閉鎖されるまであと1年頑張ってくれればとお話されていました。 -
再度トロッコに乗って、乗車口に戻ります。
炭鉱入口横の配管も外れたり折れたりしていて、約20年前まで使用されていたとは思えない状況です。海に面しているので、金属は塩害の影響が大きいんでしょうね。 -
三池炭鉱三川坑跡などでも見かけたような建物と配管の配置。
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石炭の船積用設備なども形を留めています。
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今はどうなっているか分かりませんが、約15年前に軍艦島で見たのと同じベルトコンベアーの支柱が並んでいます。
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炭鉱ツアーのみ申し込みの見学者は、事務所で解散。
オプション申込メンバーは、車に乗って山上の団地に向かいます。
こちらは先ほど別角度で見た発電所跡の車窓風景。先ほどの角度だと建物が維持されている感じでしたが、見る方向が変わるとすでに崩壊しつつあることが分かります。 -
山上の団地に到着です。
炭鉱で働く人や家族用住宅として、池島では約50棟の団地が建てられました。 -
団地の建物内は立ち入り禁止区域ですが、オプションツアー参加者は3号棟に入場させてもらえます。
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少し先の棟は、すでに屋上まで緑に覆われてしまっています。
池島は2001年に閉山しましたが、閉山直後から誰も住まなくなったわけではないため、日当りの違いが緑に包まれる速度に大きな違いを生んでいるように思われます。 -
3号棟は、恐らく見学者用に整備してくれているので蔦が見当たりません。
あまり日の当たらない面という影響もあると思います。 -
同じ造りの団地が何棟も並んでいるのですが、左右で同じ建物とは思えないくらい外観が違ってしまっています。
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団地の室内には、当時の生活の様子が再現されていました。
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室内には、昭和30~40年代に使用されていた生活用具なども展示されています。部屋の構成は、2Kでまだ汲み取り式も多かった時代に水洗トイレ付きの風呂無しで家賃700円だったそうです。
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台所は、今でも同じような感じのアパートなども多いのではないでしょうか。
軍艦島の一般住宅は6畳一間だったそうで、池島の方が住環境は条件が良くなっています。軍艦島は、長崎港から直接向かえる島という事で立地条件が良い場所でしたが、池島は長崎市や佐世保市からも距離があり、立地条件が不利であったことから、労働者を集めるために住環境を充実させていたそうです。 -
団地の屋上に案内してもらいました。
炭鉱の最盛期には、池島では約8,000人近くの人が住んでいました。
昭和時代は、このような長方形の団地が至る所にありましたね。 -
平成13年(2001)に九州最後の炭鉱となっていた池島炭鉱が閉山しましたが、約25年でこのようになってしまうんですね。
街自体が埋もれてしまいつつあるように見えます。 -
池島では、YouTuberなどによる建物侵入などの迷惑行為が増えているそうです。島内にはまだ多くの方が暮らしていますので、迷惑をかけないように見学させてもらうようにしましょう。
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廃ホテルや廃病院など、建物単体が廃墟化している場所は全国に存在すると思いますが、人のいなくなった数十棟もの団地が森に還りつつある場所は、全国を探してもなかなかないのではと思います。(建物の数の多さで知っているのは、東北の松尾鉱山跡の廃団地群ぐらい。)
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島の最も高い場所に建つ団地群は、幹部用の炭鉱住宅として使用されていました。
一般従業員の団地よりも部屋が多く、風呂も付いています。現在も数名の方が、住んでいるそうです。 -
第一立坑跡。第二立坑の利用が始まってからは、鉱夫の昇降には使用されなくなり、空気坑として利用されていました。
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屋上から見た斜坑跡。
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平地になっている場所には、炭鉱関連施設が建っていたそうですが、取り壊してしまって今は更地になりつつあります。ショベルカーが盛んにアームを動かして作業中でした。
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建物に通じる道路も分からなくなり、草に埋もれつつある複数の建物。
島内は、島を出る人たちが連れていけなかった猫が繁殖し、猫だらけというくらい至る所で猫を見かけるのですが、実は隣の松島から泳いで渡ってきて繁殖した猪も人口(約80人)以上いるらしく、島内には猪用の罠も仕掛けられています。
80Kgの猪を捕えたこともあるそうで、島内を散策する人は、猪や罠に不用意に近づかないように注意が必要です。 -
2023年3月に閉店となった、池島唯一の食堂「かあちゃんの店」があった場所。
施設の老朽化に伴い建物も壊されて、現在は更地になっています。
80代になっても食堂を守り続けた女性のニュースを見た記憶があります。 -
8階建て炭鉱住宅の裏面。
地形の高低差を利用し、裏からは5~8階、表からは1~4階を利用し、エレベーターを使わずに生活出来るように設計されていました。 -
8階建て炭鉱住宅の一部だけ、外装が塗り替えられています。
建造された時期に大きな違いがあるのではなく、炭鉱住宅の外装リフォームを実施している最中に炭鉱の閉山が決まってしまい、リフォームが終わった棟と未完の棟で見た目が大きく変わっている状況になったそうです。 -
炭鉱住宅間を結んでいた屋上通路。
鉄製の通路全体が錆びていて、床板も抜け落ちています。
ちょっとした負荷がかかっただけで、通路自体が抜け落ちてしまうでしょうね。 -
森林道路のような風景ですが、8階建て炭鉱住宅と上段の団地群の間を通っている生活道路の一つでした。現在は殆ど利用する人がいないため、森林化しつつあります。
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8階建て炭鉱住宅の道路を挟んだ向かい側の団地。
壁一面が蔦に覆われており、何が建っているのか分からない状態になりつつあります。 -
池島近くに浮かぶ無人島の蟇島。
池島の地下だけではなく、周辺海域や蟇島の地底にも坑道が張り巡らされており、蟇島には坑道の空気孔が設けらていました。
この辺りの島の周囲は、かなり潮が速いらしく、素潜りに出かけてそのまま行方不明になってしまう方もいたそうです。 -
立ち入り禁止区域となっている第2立坑の見学に向かいます。
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1981年に建造された第2立坑は、島内でも比較的に新しい建物で閉山まで使用されていた施設のため、蔦には覆われていますが当時の外観を留めています。だからこそ立ち入り禁止区域とは云え、安全面も考慮する必要があるツアー見学に組み込まれていると思われます。
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第2立坑と手前の「慈海の像」が写った写真が、当時の社報の表紙に使用されていたそうです。「慈海の像」の作成者は、長崎平和祈念像の作成者のお弟子さんということです。
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立坑の入昇坑に利用していたエレベーター用の設備。
金属部分は流石に錆びてしまっており、風化が進みつつあります。 -
坑道から戻った鉱夫が利用していた風呂場。
軍艦島にあった風呂場と比較すると数倍の面積があるように思います。
閉め切った建物内なので、未だにきれいな状態で残されています。 -
風呂場裏の元ボイラー室。
外気や横殴りの雨が吹き込む場所なので、こちらは荒れ果てていますね。 -
第2立坑見学を終え、車に戻ります。
立ち入り禁止区域で普段人が通る場所ではありませんが、冬場でこの状況だと夏場とかは、両側から草木がせり出しているのではと思います。 -
人類滅亡後の世界とかで出てきそうな風景。
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先ほど裏側から見た8階建て炭鉱住宅の表側。
1Fに銭湯がある棟があったそうですが、銭湯の上階は湯気などで湿気が多くて、暮らすのが大変だったそうです。 -
8階建て炭鉱住宅は、他の団地よりも高層なだけではなく、建物のデザイン面も工夫されているように思えます。階段部をせり出して、居住空間を広く取っているのかな。
コンクリートの色彩が軍艦島を彷彿させます。現在はしっかりと建物が残されていますが、これから年数が経つほどに崩れていくのでしょうね。
その頃には、島に住む人もいなくなり、島に渡る方法も無くなっているのかもしれません。 -
裏から見て、唯一外装リフォームが終わっていた棟。
外観だけなら、今でも利用できそうな建物です。
港近くの現在も数十人の方が暮らしている集合住宅も、同じクリーム色の塗装でした。 -
島内に残る現役の学校。小・中学生が1人ずつ在校しています。
中学からは専門教科となるため、先生が10人以上と学生よりも多くなっているそうです。運動場の横には大きな体育館があるのですが、雨漏りなどで長い間使用されておらず、車窓から見ていても崩落が始まりつつあるのが分かりました。
炭鉱最盛期には、600人以上の学生が在籍していたこともあるそうで、校舎も体育館も規模が大きく立派な建物でした。 -
かつては飲み屋が並んで賑わっていた通り。
現在は、島内で食料を調達することは出来ません。 -
現在も利用可能な簡易郵便局。但し、ATMはありません。
島内でお金を使える場所は殆どなく、郵便、自動販売機、銭湯、フェリーぐらいしか残されていません。 -
池島港のフェリーターミナル。チケット売り場と待合所があります。
ここでツアーは終了・解散です。オプションツアーを案内してくれたガイドさんの話では、島内にガソリンスタンドがなく、燃料補給の度にガソリン代+フェリー往復代が必要となるため、車を維持するのも大変だそうです。 -
帰りは渡し舟の時間に間に合い、フェリーではなくこちらの船で神浦港に向かいます。フェリーターミナルではチケットを売っておらず、桟橋に止まっている船まで来て、直接チケット購入(370円)です。波が高い日は欠航ですが、当日はほぼ波もなく15分で神浦港に到着しました。※ツアー終了予定が、16:45。新栄丸出発時間も16:45。フェリーターミナルに16:40に着いたので間に合いました。
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行きの瀬戸港より、少し長崎市寄りの神浦港に無事到着。
フェリーは、池島~瀬戸港間を約28分。新栄丸は、池島~神浦港を約15分。
長崎市からバスで池島に向かう場合は、本数は少ないですが、時間さえ合えばこちらを利用した方が近くて速いです。(ただ波次第で欠航。)
フェリーで瀬戸港に戻る想定をしていましたが、結果的に2つ前のバスに乗れ、約1.5時間早く長崎市街に戻ることが出来ました。
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