2026/02/03 - 2026/02/06
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chemireさん
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城郭復元により、菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓、河北門、玉泉院丸庭園、いもり堀などが相次いで完成した金沢城公園を見学。
金沢城は1546年(天文15)の金沢御堂建立に始まり、1583年(天正11)の前田利家の入城により加賀藩百万石の居城として発展。1631年(寛永8)の大火後、3代藩主利常により現在の縄張りが定められ、明治維新まで約300年、前田家14代の居城でした。
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2月4日(水)
11:43
金谷出丸跡から鼠多門橋を渡り金沢城公園へ。
石垣の上に2階建ての櫓を備えた江戸前期創建の鼠多門は、明治17年(1884)に焼失してしまいましたが、2020年7月に鼠多門橋とともに復元されました。 -
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橋はしっかりと除雪されていたけど、中央に残った雪にも足跡がいくつもありました。誰も踏んでない雪に足跡を付けたくなっちゃう気持ちわかります。
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鼠多門焼失後に大部分が撤去された石垣も、戸室石で積まれ復元。
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カラフルな石と海鼠壁が印象的です。
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11:46
番所跡 -
鼠多門
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ねずみ色の黒っぽい海鼠壁は全国でも珍しいそう。
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雪だるま発見。あれ?耳がある。
ってよく見たら、鼻の部分が溶けかかっていたけどネズミの顔をしています。ここは鼠多門。これ作った方のセンス最高! -
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12:04
玉泉院丸庭園
織田信長の四女で2代加賀藩主の前田利長の正室であった玉泉院(永姫)の屋敷跡に、3代藩主の利常が作庭した池泉回遊式庭園。金沢城公園 玉泉院丸庭園 名所・史跡
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井戸
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玉泉庵の前で見つけた菰巻き。
玉泉庵は往時には存在せず、近年、休憩所として江戸時代に露地役所(庭の整備管理に関する役所)があった場所に造られた建物。抹茶と季節ごとのオリジナル上生菓子がいただけるそうです。 -
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庭園には古絵図や発掘調査に基づいた石川県内産のマツを主とした植栽が配置され、池には大小3つの中島があり木橋・石橋・土橋を合わせて5つの橋で結ばれていますという説明通りの風景なんですが、雪に覆われて入ることができません。
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雪をかぶった唐傘がキノコみたいで可愛い。
傘型の休憩施設は兼六園に2つ、二の丸と玉泉院丸に1つずつあったことが記録に残されているそうです。 -
いもり堀(2010年に復元)へのルートは能登半島地震による石垣被災のため通行禁止。迂回して遠回りをするのは大変なので、
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二の丸広場方面へと向かうことにしました。
いもり堀へと進んでいたら、城壁の間に置かれた金沢城で使用されている3つの石垣の展示・説明板が見られたみたい。 -
金沢城の石垣めぐり
石垣の博物館と言われる金沢城には、いろんな石垣を見学できるルートがあるけど、 -
今回は雪のため見られるものが制限されてます。いつか出直しが必要だな。
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雪に隠れ多くは見つけられなかったけど、刻印がありました。
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いもり坂と薪の丸
いもり坂は明治以降に作られた道路で、この出入り口は江戸時代にはなかったもの。石垣に設けられた階段を上り玉泉院丸庭園へと続くルートですが、積雪のためこちらも入れず雑木林を見上げるだけに。 -
いもり坂の途中右手にある薪の丸石垣は、表面の縁取りだけをきれいに揃えて、内側を粗いままにしておく金場取り残し積み。
創建 寛永頃(1624~1644)
改修 寛文頃(1661~1673)
薪の丸の由来は、加賀藩3代藩主前田利常の正室である珠姫(第2代将軍・秀忠とお江の方の娘)が、本丸に居住していた頃に薪を置いていた場所だったことから。 -
さらに、いもり坂を登って進んだ先にあったのは、
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たぶん空堀。
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石垣の保持には排水が大事。
突き出した石樋が特徴的だった高知城で水吐けの大切さを学んでから、石垣に設けられた樋によく目が行くようになりました。
2024/08 高知城を訪ねた旅
https://4travel.jp/travelogue/11920404 -
庭園を見下ろしました。右に見えるのは鼠多門。
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色紙短冊積石垣
色紙状の石やV宇形の石樋が組み込まれた金沢城内で最も意匠的な石垣。 -
縦長に3本組み込まれていた石で滝を表現。これは、三尊石と呼ばれる石で滝を組む際の定石で、三尊石は三尊仏を模し滝を仏の姿に見立てたものなのだそうです。勉強になりました。
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三尊石で滝を表現しただけではなく、実際に水が流れていたそうで、石垣の下部を約2m理め戻したため現在見ることはできませんが、発掘調査では滝壺の石組みが発見され、V字形の石樋から落水する落差9mに及ぶ石垣の滝だったことが判明しています。
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本来なら石垣は上りにくく造るもの。段差を設け踊り場みたいになっている石垣は、防御性を度外視しています。美観優先なんですね。
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12:49
松坂門跡 -
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12:51
金沢御堂。築城以前にあった真宗寺院。
天文15年(1546)加賀一向一揆の中核の石川郡衆は、金沢に坊舎を建立。金沢御堂当時の史料には「加州金沢坊舎」、「加州御坊」などと記され、やがて御山と呼ばれるようになりました。
その後、本願寺と織田信長の対立が激しさを増す中、天正8年(1580)に織田方の武将柴田勝家の軍勢に攻められ陥落し、1583年(天正11)賤ヶ岳の戦い後に前田利家の入城へとつながります。 -
本丸と二の丸間を隔てる空堀に架かる極楽橋。
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橋の奥に見えたのは、二の丸御殿建築用の素屋根。
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三十間長屋
安政5年(1858)再建
国の重要文化財
本丸北西附段にある2層2階建ての多聞櫓。幅3間、現在の長さは26間半(約48m)の2階建の土蔵。 -
金沢城では長屋と呼んでいますが、一般的には多聞櫓。そういえば、鼠多聞じゃなくて鼠多門。このこだわりが面白い。
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金沢城には全部で14の長屋があったと伝わりますが、明治14年(1881)に起きた火災から、この三十間長屋と石川門、鶴丸倉庫だけが消失を免れています。
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13:00
鉄門。創建不明。寛永の大火(1631年)以降、二の丸から本丸に入る正門となりました。 -
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鉄門は本丸から降りてくる曲がりくねった道に繋がっているのですが、雪道を迂回しながら歩くのも大変なので、ちょっと進んで折り返し。石垣の様子をしばらく眺めてから二の丸を進みます。
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13:06
橋爪門・石川門見学の旅行記へつづく。
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