2026/02/03 - 2026/02/06
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chemireさん
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河北門・石川門を見学後、特別名勝兼六園へ。
兼六園は何度か訪れたことがあるけれど、こんなに積雪の多いのは初めてで、以前とは違った美しさを堪能しました(雪景色が嬉しくて沢山撮ったので、同じような写真が多いです)。
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2月4日(水)
14:20
橋爪門を出て三の丸を進むと石川門が現れましたが、通り過ぎて先に河北門へ。 -
石川門
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逆光でうまく撮れなかったけど、三の丸広場は一面が雪で美しい。
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河北門(復元)
金沢城三の丸の正門で、橋爪門、石川門とともに三御門と呼ばれ、御殿に至る要所を固めていました。
宝暦の大火(1759年)の後、安永元年(1772)に再建されましたが、明治期に撤去。
写真は、城の内側から見た櫓門の二の門。
江戸時代は弓奉行の管理下にあり、弓などの武具が収納されていたと推定されています。 -
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ニの門を出て、すぐ右にあったのは高麗門形式の一の門 。土塀の内側には隠し狭間が設けられています。
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振り返って見たニの門。
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一の門の傍にあるニラミ櫓台。創建は17世紀前半とみられ、宝暦の大火(1759年)で焼失したあとは再建されませんでした。
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一の門を抜け、
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坂を少し下りてから、振り返って石垣の様子を観察。
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矢穴や刻印探し。
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石垣をしばらく見てから、坂の途中で折り返して一の門を再びくぐりました。
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外階段を上って二の門入口へ。スロープも設けられています。
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内部は無料公開されていたけど、靴を脱ぐのが大変だったので入口から内部を覗いただけ。
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河北門越しの金沢城公園。
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スロープを下りながら見た二の門。
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14:36
石川門・兼六園方面へ。 -
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14:39
三の丸と兼六園の間に設けられているのは重要文化財の石川門。どなたかの旅行記に、門の形が似ていてどの門だか分からなくなる書いてあったけど、激しく同意。アルバムで撮影時間とか場所を確認しないと分からなくなっちゃいます。 -
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石川門石垣
石垣が左右で積み方が異なります。右側は「切石積み」、左側は「粗加工石積み」の技法となっています。同じ場所で違う積み方をした珍しい例で、明和2年(1765)の改修時のものと考えられています。
文化年間に書かれた文書には、「左右違い分けて積むのはおかしい」などと記されており、石垣の積み方にもいろいろなこだわりや思いがあったことがうかがえます。
創建 慶長(1596~1614)頃
改修 寛永8年(1631)頃・明和2年(1765)・文化2~4年(1805~1807)
現状 主に明和2年頃の姿を留めています。 -
枡形虎口 の石垣。一目で石の積み方の違いが分かります。他のお城でも時代により石積みが異なる様子を見たことがあるけれど、斜めの線が見えます程度だったし、角を境にここまでハッキリと違うのは面白いです。
石川門 名所・史跡
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二の門をくぐり、左に90度曲がったところにある一の門。
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石川門
一の門(高麗門)、二の門(櫓門)、続櫓と2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門。石川門という名前の由来は、石川郡の方向を向いていたことから。白門とも呼ばれています。 -
石川櫓は、期間限定で内部見学できる日があるみたい。
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現在は石川門が金沢城の正門のようになっていますが、藩政期の頃は搦手門と位置付けられていました。
五十間櫓を見ていた時もそうだったけど、やっぱり石川門一の門から入って城内を巡った方が、頭の中を整理しやすかったかな。 -
14:50
石川橋 -
1911年に埋め立てられた「百間堀」。市内有数の幹線道路として名を残しています。
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14:54
兼六園
延宝4年(1676)5代藩主・綱紀が作事所を再び城内へ戻して自己の別荘を建て、その周りを庭園化したのが作庭の始期だといわれるそうです。
何度も訪れていたけど、ここまで雪が積もっているのは初めて。ワクワクしながら桂坂を上り園内に入ります。 -
リーフレット
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桂坂口=ことじ灯籠=唐崎の松=根上松=花見橋=梅林=栄螺山=瓢池=噴水=桂坂口が一般的なルート(約60分)のよう。
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ことじ灯籠と虹橋
この灯籠は琴の糸を支える琴柱の形をしていることから、ことじ灯籠と呼ばれている。手前の橋は虹橋。別名を琴橋ともいう。 -
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池に映りこむ姿も素敵。
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こちらも素敵。
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唐崎松
13代藩主 斎泰が、琵琶湖の松の名所唐崎から種を取り寄せ育てた。 -
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15:05
眺望台 -
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兼六園と命名されたのは、1822年(文政5年)頃。 宋時代の書物「洛陽名園記」に、それぞれ相反する六つの景観(六勝)を兼ね備えているのは湖園だけであると記され、ここ兼六園もまさにそうであるという理由で名付けられたそうです。
大火での一部焼失後に造営・拡張・整備を繰り返し、万延元年(1860)には蓮池庭との間にあった門と塀を取り壊して一大庭園となり、文久3年(1863)には現在の成巽閣が造営され、ほぼ現在の庭の形となりました。 -
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霞ヶ池
兼六園の中央に位置する園内最大の池。神仙島を表す蓬莱島が置かれ、徽軫灯籠、唐崎松など名勝が配され回遊しながら景色を楽しむことができます。 -
鶴が首を伸ばし翼を広げ今にも飛び立ちそうな唐崎松の対の姿「鶴亀」は、長寿で縁起のよい生き物として表されています。
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巨大な亀頭を表す石を据えた蓬莱島。
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雁行橋
一枚一枚が、亀の甲の形をしているので別名竜甲橋ともいう。11枚の赤戸室石で雁が列をなして飛んでいる姿につくられており、かりがね橋とも呼ばれる。
雪に覆われて、その一枚一枚が見えません。 -
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以前に訪れたのは暖かい時期で、池に泳ぐ鯉をしばらく見ていたことを思い出しました。季節によってこんなにも表情が変わるものなんですね。雪景色を見られてよかった。
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栄螺山
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瓢池・翠滝(ひさごいけ・みどりたき)
池周辺はかつて蓮池庭と呼ばれ、兼六園の作庭はここからはじまったと伝わるそうです。 -
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高さ6.6m、幅1.6mの翠滝。蓮池庭の復興に努めた11代藩主 治脩(はるなが)は滝音が気に入るまで何度も作り直させたと言われています。
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伯牙断琴の手水鉢
表面には中国の琴の名手「伯牙」が
友人の死を悲しんで琴の弦を断ったという故事が浮き彫りにされている。 -
竹根石手水鉢
この手水鉢は竹の化石のようにみえるため、この名があるが、椰子類の茎と根の化石で、学術上極めて珍しい。 -
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夕顏亭
安永三年(1774)に建てられた茶室。袖壁に夕顔(瓢箪の古語)の透彫りがあるので、夕顔亭という。
藩政時代は「滝見の御亭」とも呼ばれていた。 -
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百間堀
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15:42
桂坂まで戻らず、茶店通りを覗いてから真弓坂・広坂を通り園外へ。 -
15:46
兼六園から百万石通りを挟んで隣接する石浦神社を参拝。石浦神社 寺・神社・教会
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台座はあるけれど、狛犬が地面に近い所に鎮座しているのは珍しいかな。
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2200年前に下石浦村(現・長町)に社祠を建てたのが由来。金沢最古のお宮です。
御祭神
大物主命(大国主命)
大山咋大神(山王)
菊理媛大神
天照皇大神
参拝後に御朱印をいただきました。 -
公式キャラクター きまちゃん
神の使いの犬とウサギをモチーフに烏帽子を被った姿で、「なにごとも丸くきまる」というご神徳が由来。 -
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16:01
燈籠や提灯に火が灯ったので、辺りが完全に暗くなる前にホテルまで歩いて帰ることにしました。 -
22:58
かなり時間が飛びますが、兼六園から香林坊方面へ歩いて戻り、片町を彷徨って見つけた居酒屋さんで飲んでからお店を出た時の写真です。
水曜日は市場がお休みで魚が手に入らないと仰っていらしたけど、お任せの刺身が美味しかったです。他もお任せで和物、焼き油揚、牛すじ煮込みと、生ビール、地酒3種を各一合。お会計は8,500円くらいだったかな。ママさんとカウンターにいらした常連さんともたくさんお話しさせていただいて、4時間くらいの長居。美味しい&楽しい時間を過ごしました。 -
酔い醒ましに、片町をちょっとぶらぶら。
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香林坊の明かり。
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長町
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せせらぎ通り商店街のマスコットキャラクター発見。
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加賀水引がイメージされた金沢らしい素敵なマンホール蓋。青色は流れる水、黄色は金沢の伝統工芸の金沢箔、重なる線は街中に張り巡らされた下水道のネットワークを表しているそう。
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消雪。地元にはないマンホールです。
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23:40
やっとホテルへ。東横イン金沢兼六園香林坊に1泊。
遅くなっちゃたので、すぐにシャワーを浴びて寝ることにします。 -
ホテルは香林坊のバス停の目の前。金沢駅からは離れているけれど、名前の通り香林坊や兼六園を訪ねるには便利な場所でした。
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