2026/02/01 - 2026/02/05
126位(同エリア172件中)
公共交通トラベラーkenさん
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2026年2月1日(日)~5日(木)の4泊5日で広島県の旅行に行ってきました。今回は酒づくりのまち西条の散策から、瀬戸内航路の「風待ち・潮待ち」の港として繁栄した御手洗の重伝建地区、軍港のまち呉と海軍兵学校のあった江田島、タコと城跡のまち三原、ノスタルジーをコンデンスミルクみたいに濃縮した尾道の観光、最後に瀬戸内の塩づくりで築き上げた竹原の古い町並みを練り歩きます。全体的にレトロな街並み観光が多いですが、それぞれ個性的な歴史と独特の景観が残っていて非常に楽しめる行程になりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
朝、まだ日が昇る前の港。
とても静かです。 -
車もほとんど走っていません。船の行き来もほとんどないようです。
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朝食です。メインディッシュは左上の大きなミカンです。これだけでお腹いっぱいになります。宿の名前「オレンジハウス」の由来はこれだったようです。
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大きな荷物を宿にあずかってもらってチェックアウト。
ここから御手洗方面まで歩いて向かいます。宿の隣に東風崎神社という鳥居が建っていて、階段がはるか上まで続いています。海沿いの崖の上に神社があるようです。 -
ちょっと上ってみましたが、社殿が見えてこないので、途中であきらめて下におりました。
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下に降りて、大長北堀の周囲を歩きます。かなりの年季の入った家屋が散見される細い路地を進みます。
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北堀の奥まで来ました。近隣住民のための商店が開店準備をしていました。
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さらに奥に進む路地を行きます。歩いているだけで面白い。
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宇津神社にやってきました。孝霊天皇の御代(BC115年)に創建と言われ、災難除けの神として、多くの戦国武将が戦勝祈願に訪れ、武具を献じているそうです。
宇津神社 寺・神社・教会
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狛犬はいつの時代のものでしょうか、表情などの彫刻が細かくてかなり良いものです。
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馬の像も2頭います。
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樹齢1200年以上と言われる御神木・ホルトの木。
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本殿の中央の向拝の上にところに龍の彫刻があります。
頭の部分が外に大きく飛び出ています。このような形は日本国内に例がない唯一のものなんだそうです。この神社を見ただけで、このあたりが昔、大変繁栄していたということがわかります。 -
神社の裏側の住宅街はかなりレトロな雰囲気を残しています。写真右側の家は飛弾家住というミカン農家で、町屋の様式を取り入れた,江戸時代後期の農家建築物として貴重なんだそうで、主屋は国登録有形文化財に指定されているらしい。案内看板も何もなかったので、スルーしてしまいました。
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宇津神社境内には弓道場もあります。ここでは平安時代から「百手神事」(大長弓祭り、1月最終土曜日)が行われています。元々は平家追討の命を受けた守護が競射したのが始まりとされ、水軍が元服を祝う行事として伝わっているそうです。
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港から続く鄙びた路地の先に、こんなに古い歴史を持つ立派な神社があるとは驚きです。
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観光客が大挙してお賽銭を入れていくような場所ではないと思われるので、今でも地元の人々たちが大事に守っている神社なのでしょう。
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正面の参道から出てきました。きれいに掃き清められていて気持ちの良い神社でした。
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鳥居の前は広場になっていました。
博物館の野外展示かと思うような看板が並んでいます。 -
観光地にありがちなレトロな雰囲気を狙った商店のディスプレイ看板とは格が違います。
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見どころが多すぎて、なかなか御手洗地区にたどり着きません。
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海沿いの道を10分くらい歩いて、御手洗地区の入り口に到着。御手洗休憩所やみたらい散策絵図などがあります。休憩所はまだオープン前だったので、公衆トイレだけ借りて、町並み散策スタートです。
御手洗休憩所 名所・史跡
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御手洗は江戸時代に瀬戸内海の航路の潮待ちや風待ちの港町として栄えた港です。北前船などの廻船のほか、幕府の船や参勤交代の船、オランダ・中国などの外国人や琉球国王の船も寄港するようになります。それらの船との交易の中で御手洗に豪商が誕生し、文化も成熟していきます。とくに俳諧が盛んだったそうです。
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また御手洗の港町には若胡子屋、藤屋、堺屋、扇屋(あるいは海老屋)の4軒の待合茶屋による花街が存在したそうです。明和5年(1768年)には、御手洗の全人口543人のうち、94人が若胡屋、藤屋、海老屋の遊女でした。蒲刈に籍がある遊女を含めると、120~130人もの遊女がいたと推定されているそうです。
御手洗の遊女屋は町の経済・文化の発展にも大きく寄与していたとのことです。 -
旧柴屋住宅を見学します。ここは大長村庄屋役及び御手洗町年寄役を代々勤めた高橋家(屋号柴屋)の別宅の一部です。建築年次は文化3(1806)年で,伊能忠敬が大崎島の測量をした際に宿舎にしたと伝っています。入場無料です。
旧柴屋住宅 名所・史跡
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中庭に、伊能忠敬測量絵図館というものがありました。
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文化3(1806)年2月30日~3月2日にかけて,伊能忠敬が御手洗柴屋種次宅に宿泊し,大崎下島の海岸線の測量を行っています。この図はその様子を描いた絵図です。
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こちらは浦島測量之図
伊能忠敬が全国測量図を作成した様子を描いた実写図は,全国でこの2点だけだろうといわれているそうです。 -
こちらは案内看板によると金子家住宅という屋敷らしい。この屋敷で幕末に「御手洗条約」と呼ばれる約定が結ばれたそうです。
旧金子家住宅 名所・史跡
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御手洗天満神社の鳥居が見えてきました。
御手洗天満神社 寺・神社・教会
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なかなかきれいな神社です。
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少し梅の花が咲いています。境内の周囲にはミカン畑もあり、数種類のミカンがたわわに実っていました。
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境内の裏手にある菅公の井戸。
菅原道真公が大宰府に左遷される途中この島に上陸し、ここの井戸水で手を洗ったという伝承があり、御手洗(みたらい)の町の名前の由来とも言われています。またこの井戸水で墨をすって書初めをすると字が上手になるという言い伝えもあるそうです。 -
なんだかいい感じの廃墟がありました。味わい深い趣があります。
境内にはそのほかにも、日本人で始めて自転車による世界一周旅行をした「中村春吉」さんの記念碑もありました。 -
通ると願いがかなう「可能門」。
こういうのをくぐるときは大体「ずっと旅を続けられますように。」と願うことにしているのですが、わざわざお願いしなくてもすでに叶っているので、今後は「ずっと旅を続けさせていただいてありがとうございます。」にしようと思います。
スピリチュアル界隈の住人が言いそうなセリフです。 -
若胡子屋跡。御手洗にあった茶屋の一つです。残念ながら改修工事中で外観をみることもできませんでした。
若胡子屋跡 名所・史跡
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路地がカーブしています。こういう道が楽しい。
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平野理容院。サントリー オランジーナのCMに登場するらしいのですが、全然覚えていません。
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新光時計店。
新光時計店 名所・史跡
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レトロな外観が素敵なお店ですが、口コミなどを調べてみると、このお店のご主人は時計の名医として全国に知られる方なんだとか。
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乙女座という劇場に入ります。
江戸みなとまち展示館 乙女座 美術館・博物館
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ここは1937 (昭和12) 年、当時の御手洗町長が町民の文化向上に貢献するためにと、私財を投じて建てた劇場です。
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映画・芝居・大道芸の興業や、青年会の社交場に利用されたり、映画が斜陽になった後は、地元の特産品であるみかんの選果場に転用されたりしてきました。その後長く空き家となっていましたが、2002 年3月に創業当時そのままに復元されました。
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大変きれいに復元されています。現在は拝観建物として一般公開されるかたわら、大衆演劇や能、舞踊、漫才などの公演、無声映画の上映など、様々なイベントに活用されているとのこと。
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町民のために私財を投じてこんな立派な劇場を建てるというのがすごいです。
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乙女座の裏側、海に面した通りに、江戸みなとまち展示館があります。
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御手洗の歴史に関する展示があります。これは「おちょろ船」の模型。
御手洗の茶屋商売は店で客をとったり。揚屋や料理屋から遊女が呼ばれるのが基本でしたが、それに加えて「おちょろ船」で停泊船を廻る「沖稼ぎ」というのもあったそうです。港町ならでは、という感じです。 -
恵美須神社。港の近くにはよくある神社ですね。
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鳥居は海に面しています。船に乗って海から参拝に来ることを想定しているのでしょう、鳥居の先には雁木がありました。
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越智医院跡
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大正時代に建造された洋館です。現在はゲストハウスとして利用されているようです。
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その隣にあるのは薩摩藩船宿跡 脇屋。薩摩藩指定の船宿で、大久保利通ら幕末の志士達も立ち寄ったそうです。
薩摩藩船宿跡 脇屋 お土産屋・直売所・特産品
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御手洗七卿落遺跡 竹原屋
御手洗七卿落遺跡 名所・史跡
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日本史の授業で聞いたことがあるような単語が出てきました。
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鞆田家住宅「鞆幸」。明治初年ごろの建築だと考えられているそうです。
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「重伝建を考える会」制作の案内看板が掲げられています。今気づきましたが、私のPCは「じゅうでんけん」を一発で「重伝建」に変換してくれました。この単語は一般用語として認識されているのでしょうか。
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こちらは鞆田邸洋館という建物らしい。
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大東寺に入ります。御手洗にあった「登光寺」と「隆法寺」という2つの浄土真宗の寺院が1942 (昭和17) 年に合併した際、時の大東亜戦争に因んで寺号が付けられたそうです。
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山門の上の瓦。恵比須様と大黒様ですね。
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こちらは鍾馗様でしょうか。
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境内に立派なクスノキが生えていました。
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大東寺の奥にいかつい石垣があります。満舟寺というお寺です。外周の巨大な石垣は、豊臣秀吉が四国攻略の際に加藤清正に築造させた城跡だという伝承があり、市の文化財に指定されています。
満舟寺の石垣 名所・史跡
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満舟寺の縁起によると、平清盛が草庵を建て、行基作の十一面観音を安置したのが始まりであるということです。
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「満舟寺」と書かれた立派な額が掲げてあります。こちらは琉球(沖縄)使節の中山楽師梁光地という方が揮毫されたものなんだそうです。
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港の雁木のような階段が面白い。
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境内の隅に亀趺墓というものがありました。
亀趺墓とは、亀の形をした台座(亀趺)の上に墓石を乗せた形式の墓で、1500年以上の歴史を持つ中国由来の様式です。日本では江戸時代に伝わり、大名家の墓や、大久保利通のような歴史的著名人の墓に見られる貴重で格式高い形式です。 -
大名家以外の墓に亀趺墓を用いた例は全国的に極めて少なく貴重な者なんだそうです。
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荒神社が境内の一番奥にありました。
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荒神信仰は、西日本、特に瀬戸内海沿岸地方で盛んだったようである、とウィキペディアに書いてありました。
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荒神社の鳥居から下に続く階段。下に見える民家がかなり魅力的な匂いを放っていますが、とりあえず先ほどの石垣の方から下りて先に進みます。
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グーグルマップには豊ふるさと学園とあって、口コミによると宿泊施設になっているようなのですが、そんな風には思えない古い建物が1軒だけ、旧御手洗小学校 グラウンドの隅に建っていました。このグラウンドから山に登る道が続いていて、おいらん公園、火の車の塔、歴史の見える丘公園と観光スポットが存在するようですが、坂道がきつそうだったのでパスします。
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若本屋跡(元大洲藩・宇和島藩船宿跡)。カフェの営業をしているようですが、この日はお休みだったようです。
船宿カフェ若長 グルメ・レストラン
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海辺にはネコが似合います。
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住吉神社に入ります。
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千砂子波止と高燈籠。江戸時代後期に芸州藩(広島藩)により築かれた防波堤と、高燈籠。
千砂子波止 名所・史跡
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海岸線から1本中の路地に入りました。ピンクのかわいらしい洋風木造建築がありました。
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御手洗地区の入り口に戻ってきました。御手洗休憩所が開いていたので入ってみます。汚い自転車が展示されています。おそらく日本人で始めて自転車による世界一周旅行をした「中村春吉」さんの自転車なのではないかと思われます。
御手洗休憩所 名所・史跡
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休憩所の隣に弁天社があります。江戸みなとまち展示館で見た解説によると、この辺りには昔「しほ入池」という小さな池があったそうです。
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大長港の方に戻ってきました。豊市民センター みかんメッセージ館という施設があるので、バスの時間まで見学したいと思います。
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大崎下島では江戸時代から明治初期にかけてカタチモモという桃の栽培が盛んでしたが、大きくて甘い桃の登場で小さくてかたいカタチモモは売れなくなっていきました。それに代わる作物として早生みかん(青江早生)の栽培が始まります。昭和40年代には大長地区の山々の頂上まで開墾され、一面ミカン畑になっていたようです。
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収穫したミカンを運搬する農船、大長丸。
最盛期の昭和40年ころには大長地区だけでこのような木造農船が400隻以上あり、北堀・南堀を埋め尽くしていたそうです。 -
農船旗。大漁旗は知っていますが、これは初めて見ました。
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旗のデザインはやはりミカンが多いです。
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「みかん蔵」の解説パネル。10月~12月に収穫する早生温州ミカンを最需要期の12月~2月まで貯蔵・熟成するための蔵なんだそうです。さっき御手洗天満神社の裏で見た謎の巨大廃墟はおそらくこの「みかん蔵」だったのではないかと思われます。
やはり旅行先では地元の資料館が役に立ちます。 -
御手洗からバスで広駅まで戻ってきました。
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少し遅めのお昼ご飯を広駅周辺で済ませてしまいます。かつ庵という「安・早・旨」的なお店があったので入ります。
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思った通り、「安・早・旨」でした。
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いや、思っていた以上に「安・早・旨」でした。
グルメ旅行に全く興味のない私達夫婦にとって、旅先のチェーン店はとても頼りになる存在です。
かつ庵というお店は初めて入りましたが、おそらく海外に出店したら10倍くらいの値段でも繁盛しそうなお店でした。 -
JRで呉駅に移動してきました。今日はもう少し歩きます。ホテルに荷物を預けて、呉駅の北西、両城山という小高い山の方に向かいます。
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地図を見ると両城の100階段とか、200段階段とか、恐ろしい地名が出てきます。
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港エリアを離れると途端に急な坂道や階段が多くなる呉らしい風景です。
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そして地図をみてもどこを進んだらいいのかよくわからない複雑に入り組んだ路地です。ちょっと間違えただけでもこの急こう配ですから、体力の消耗が激しくなります。
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呉市立両城中学校。ここに3年間通ったら足腰が丈夫になりますね。
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中学校の脇を抜けてさらに階段を上ります。
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呉の港を一望できます。
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両城山観音寺にやってきました。
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ご本尊不動明王尊が祀られたお寺です。
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ちょっと殺風景な感じもしますが、山の上のお寺なのでかえって雰囲気があって良いと思います。
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小さな石仏がたくさん並んでいます。
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小さな鐘楼の周りにはもう少し古そうな石仏が並んでいます。
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山の岩肌をくりぬいた洞窟があります。入ってみましょう。
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アトラクション的な楽しさがありますね。
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中に入ると小さな池があって、岩をくりぬいた祠にお不動様がいらっしゃいます。
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上部は丸く穴が開いています。
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ここでは滝行を経験することができるみたいです。かなり面白いお寺だと思います。帰りがけに本堂の扉が開いて、中から住職さんが出てこられたので、ついでに本堂の中も少し見させていただきました。大変気さくな感じのご住職さんでした。
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山を下って呉の町に戻ってきました。
大和ミュージアムサテライトというのがありました。フェリー乗り場の近くにある大和ミュージアムは現在閉館中で、こちらで臨時開館しているみたいです。 -
旧呉海軍下士官兵集会所(青山クラブ)。
1903(明治36)年に下士官や水兵の厚生施設「呉海軍下士卒集合所」として開設された建物です。呉を舞台にしたアニメ映画「この世界の片隅に」のパネルが外壁に飾ってあります。 -
美術館通りの坂道を上ります。
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入船山記念館 正門にやってきました。
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前回呉を訪れたのが2018年7月でした。その時はここが閉まっていて見ることができなかったのが心残りでした。今回7年と半年振りくらいの再訪でやっと入ることができました。
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旧呉鎮守府司令長官官舎を中心に、郷土館、歴史民俗資料館等の施設が集まっています。
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歴史民俗資料館は残念ながら閉館日でしたので、メインの旧呉鎮守府司令長官官舎に入ります。
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あまりゴテゴテした装飾のない、すっきりとした内装です。
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ただ、よく見ると壁紙に金唐紙を使用していたり、かなり気合が入っています。
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司令長官の住まいですから、かなり高級な素材を使っていたのでしょう。
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客室。
ここも金唐紙が美しい。 -
客室に続いてあるのが食堂。こちらも大変しゃれています。この続きの建物はいきなり和室になります。やはり当時の人々は日常生活の場は畳が良かったのでしょう。
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美術館通りを下ってホテルの方に戻ります。
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正面に見えるゆめタウンで総菜や弁当を買ってホテルで食べましょう。
ゆめタウン呉 ショッピングモール
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ゆめタウンで買った夕食。
かき飯、かしわむすび、炭火で焼いた焼き鳥、瀬戸内レモン果汁入りアジの南蛮漬け、サーモンのポテサラチーズ焼、レンジで簡単魚屋のまかない汁。
どれも非常に美味しい。今まで食べたスーパーの総菜の中でもおそらくトップクラスに美味しい。ここはおすすめです。 -
デザートのおはぎとチョコレートプリンと伊予かん。どれも大変美味しかったです。
本日は御手洗と呉の街歩きでかなり充実した観光ができました。疲れたので早く寝ます。
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