2026/02/05 - 2026/02/05
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norio2boさん
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ゴッホ美術館その2です
最初の写真は
「アルルの寝室」(1888年10月制作)を見る人たち
ゴッホ(1853~1890)は「アルルの寝室」を3枚描いています
2年間に及ぶ「喧騒のパリ生活」から日本のようだとゴッホが夢想し移住を決めたアルルで描かれた作品です
ゴーギャン(1858~1892)がアルルへやって来て二人の共同生活が始まったのは10月末です
ゴッホはゴーギャンを歓迎するために「アルルの寝室」と「ひまわり」を描いて友好ムードでスタートするのですが、、、、
基本的に性格が合わないふたり
そして、絵は目の前の現実中心に描くべきとするゴッホ、想像をベースに画面を自由に構成すべきだというゴーギャン、二人の絵画に対する真摯な意見対立は「耳切り取り事件」に展開し共同生活は僅か90日間12月末で破綻してしまいます
この事件以降幻覚や被害妄想による発作を繰り返すようになったゴッホはサンレミ精神病院で診療、入院、退院を繰り返す生活となりました
1890年7月拳銃事故により死亡
ゴッホが生涯で残した作品は油絵が960点、水彩画1100点、そのうち自画像40点
そして生前に買い上げられた作品はたったの1枚「赤い葡萄畑」1888(今ではモスクワのプーシキン美術館に収蔵)
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「アルルの寝室」
1枚目はこのゴッホ美術館蔵1888年10月
2枚目は米国のシカゴ美術館1889年9月(一枚目を模写した作品)
3枚目パリのオルセー美術館(旧松方コレクション、ゴッホは母親のために模写した)1889年
どれが一番か?と考えるのはゴッホファンの楽しみかも知れません
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その1をご覧になっていない方へ
https://4travel.jp/travelogue/12032354
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膨大な枚数のゴッホ作品があります
悩んでいる時の作品や上手くいかなかった作品や輝いている作品や驚かされる作品や
少しだけ深くゴッホを知る事が出来た気がしています
ゴッホファンならアムステルダムまで行かれる事を強くおすすめしたいと思います
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ゴッホ美術館からトラムで中央駅前のホテルまで戻りました
車窓風景を動画で記録しました
旅行記の最後に載せています
ご覧ください
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.0
-
次の部屋のテーマは
「ゴッホの開花期」
2年間のパリ滞在中印象派の画家たちと作品に接触し触発されたゴッホは自己の大きな成長、変革を実現していきます
これまでの「暗く沈んだ色彩」から「明るい色彩」を覚えて行きました
パリを離れ南フランスのアルルに移ったゴッホは田園地帯の明るい光ときらめく色彩のなかでその成果を開花させて行きます
アルルでゴッホの才能は頂点に達していますゴッホ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
「グラスにいけられた花咲くアーモンドの小枝」 1888年
キャンバスに油彩 -
パリに出て来て印象派の画家達と彼らの作品から影響を受けて明るい色使いになっています
左上に赤絵具でVincentのサイン
目の前の現実を描くゴッホの流儀からすると中央部分を横切る赤い線は実際の壁面にあったのでしょう
テーブルの木目とガラスの花入の影はまだ稚拙です -
サインと同じ赤絵具で横線が描かれている
花びら部分に表現に苦労が見えます -
「ピンクの果樹園」 1888年
キャンバスに油彩
描いている画家ゴッホの描きたい気持ちが伝わってくるようなおおらかな油彩スケッチ
サインは見当たらなかった -
右側に展示されている果樹園の絵
花が咲いていない
アルルでゴッホはたった1ヶ月の間に果樹園を14枚も描いています
彼は果樹園の絵がよく売れることを期待していたのです
弟のテオに宛てた手紙にはこう書いています「ご存知の通り果樹園の主題は皆を元気づけてくれるものです」 -
「収穫」1888年
オーディオガイドを聞きながら作品に見入る女性 -
「収穫」どこまでも広がるアルルの真っ平らな平原
1888年に喧騒のパリから太陽に恵まれた南仏アルルへ引っ越しています
田園都市アルルの空気感は日本に似ているはずとゴッホは思い込んでいました
そしてそのアルルでジャポニズムの印象派の画家たちと共同生活を夢見るようになっていったのです
「収穫」の色彩の選択は心踊るようです
描いている画家ゴッホの気持ちが伝わってきますね -
喧騒のパリからアルルへの引っ越しは新しい世界の始まりだったのです
35歳のゴッホはようやく心の安静を取り戻していたのです -
「小麦畑」
これも同じく1888年に描かれています
キャンバスに油彩 -
「アルルの寝室」1888
壁面のパネルには
ゴッホから弟のテオ宛の手紙が引用されています -
「アルルの寝室」
人気作品の前は人が滞留しています
オーディオガイドを聞きながら鑑賞する人達 -
「アルルの寝室」と右にある説明パネル
ゴッホは色彩とスタイルで感情を表現する技術をこの時期磨き上げています
寝室の表現に用いられた明るい色彩は「完全な安らぎ」を表現するためであり
この絵を見る人達にも安らぎや慰めを与えることができるとゴッホは本気で考えていました -
「アルルの寝室」
全体の写真です
3枚のアルルの寝室の中で一番最初に最初に描いたのがこのアムステルダムにある作品です
主題はアルルのゴッホの寝室です
ゴーギャンの部屋は左側のドアの奥にありました
今ではオルセー美術館の人気作品となっている
あれは日本の実業家松方幸次郎のコレクションでした
日本の敗戦によりフランス政府の所有物となっていた莫大な松方コレクションですが1951年の日本独立を機に返還活動が始まります
フランス政府は莫大な松方コレクションを収蔵出来る規模の美術館を日本政府が建設することを条件に返還を認めます
そしてそのためにつくられた美術館が上野にある国立西洋美術館なのです
コルビジェの設計で作られています
松方コレクションのうち「アルルの寝室」は何故だか返却されていないのです
旅行記書いています
https://4travel.jp/travelogue/11507331 -
「ズアーブ兵」1888
-
「ゴーギャンの肘掛け椅子」1888
座面の上には書籍と2本の蝋燭が置かれています
蝋燭に火がついているのはなぜでしょう? -
ゴッホの色彩のパネル
ゴッホの独特な色彩表現について解説しています
補色は「ズアーブ兵」で
混色は「ひまわり」で解説している
オランダ時代から色彩に注目したゴッホは色彩理論に関する書籍を読みその応用を探求しています
パリ時代では印象派を中心とする画家たちの作品を目にしてどうやって効果的な色彩効果を出すか学んでいます
補色の組み合わせによるコントラストを生み出すことに成功したのです
視覚的に力強い効果を演出するだけではなく作品に感情的な深みを与えることに成功しています
「色彩はそれ自体が何かを表現している」とゴッホは考えました -
ゴッホが使っていた毛糸玉が入った箱
貴重な絵の具を無駄にしないようにゴッホは事前にこの各色の毛糸玉を組み合わせて色彩構成を検討していた -
木箱と毛糸玉のアップ
-
タッチパネルでゴッホの色彩構成の秘密を知ることが出来る
手前のタッチパネルでは「ひまわり」の各部分を移動し拡大して見ることが出来る
説明文も出てきて3種類のクロームイエローが効果的に使われているのが観察できます -
顕微鏡での確認
顕微鏡で拡大された画像がモニターに映し出され詳細なゴッホの工夫が確認できる仕組み -
フロアー案内
3階 ゴッホとその後
2階 ゴッホの友人と家族
1階 ゴッホとフェイストゥフェイス -
版画の展示
ゴッホに作品ではありませんがヨーロッパのアーティストの版画が展示されていました
19世紀後半ヨーロッパで版画の人気が出たのは日本の浮世絵の影響があった
1854年安政元年開国した日本から日本文化がヨーロッパに輸出され熱狂的に迎えられた
浮世絵はアーティストの手に渡り色彩豊かな版画制作にインスピレーションを与えることになる -
浮世絵の平坦な表現や鋭い境界線などの浮世絵の表現様式が版画だけではなく油絵の世界でも取り入れられるようになった
ゴッホによる日本の浮世絵の模写はその代表的な事例と言える -
ゴッホの年史パネルの展示
アルルへ移住した1888年から亡くなる1890年の部分
パリからアルルへ移住したのはそこに日本に近い気候があると信じたからでした
弟テオ宛にこう書いています
「たとえ物価が高くても南仏に滞在したいわけは次の通りである
日本の絵が大好きでその影響を受けそれは全ての印象派画家たちにも共通なのに日本へ行こうとはしないーー つまり、日本に似ている南仏に。結論として新しい芸術の将来は南仏にあるようだ
しかし、一人でいるのはまずい
2、3人で互いに助け合った方が安く生活できる
君が当地にしばらく滞在できると嬉しい君はそれをすぐ感じ取りものの見方が変わってもっと日本的な目でものを見たり色彩も違って感じるようになる
長い間滞在するとすれば確かに自分の性格も変わってしまうだろう
日本人は素描をするのが速い非常に速いまるで稲妻のようだそれは神経が細かく感覚が素直なためだ」 -
1888年10月ゴーギャンは黄色い家へ引越してきます
余りにも違うふたりの性格や絵の描き方についての意見は対立し衝突します
「ゴッホとは混乱なしに一緒に暮らすことは出来ない」とゴーギャンは書いています
緊張は高まり12月23日の夜口論の末にゴーギャンは黄色い家を出ていってしまいます
完全に錯乱してしまったゴッホは左耳を切り落とします
その精神的崩壊はその後再発することになる幻覚と精神錯乱を起こす発作の最初の症状でした -
ゴッホの症状について正確な病名は不明です
本人は「精神錯乱、神経症そして狂気」と書いています
当初は回復を期待したのですが数ヶ月を経てサンレミ精神病院へ入院する事を自分で決めています
不安と絶望が深まる中で「絵を描くことの精神的治癒力」を信じて制作を続けました
1890年部分のパネル記述
ゴッホは病院を出てパリ近郊のオーヴェルシュルオワーズに移住した
ガシェ医師がゴッホの主治医となり治療を行った
ガシェ医師の指導は何よりもまず絵を描かせることだった -
「黄色い家の通り」1888
-
正面から撮影「黄色い家の通り」
この家で絵描きたちが生活し制作出来ることをゴッホは夢みた
結局やって来たのはゴーギャンひとりだけだった -
「ひまわりを描くゴッホ」ゴーギャン作 1888年
この絵をゴーギャンが描いたのは12月でひまわりの開花期は終わっていた
ゴッホが自分のひまわりの絵を模写しているところをゴーギャンは描いている
ゴーギャンは想像力に基づいて制作することを主張しゴッホは自然を直接観察して描くことを主張した
この違いについてしばしば激論になった
ゴーギャンが絵を完成させた数日後にゴッホは耳を切り落とし事件を起こしている
彼は弟のテオにこの絵について手紙を書いている
「私の顔はだいぶ明るくなったが、確かにあの頃の私はひどく疲れていて電気が走っているような状態だった」 -
ゴッホと友人と家族のコーナー
弟テオからの手紙「親愛なる兄へ」が読み上げられた音声を聞くことができる
ゴッホからの手紙「愛するヴィンセントから」も聞ける -
旧館の内部空間
3階から見下ろした景色 -
「逆境に立ち向う絵画」の展示
サンレミ精神病院に入院したゴッホは意気消沈し、時々発作を起こした
デッサン、素描、油彩を描くことは病院内での生活の規律となっていたし、他の患者たちが落ち込み苦しむような孤独からは逃げることが出来た -
右側の作品「糸杉と二人の女性」1890
病院外での制作は認められない場合は自分の部屋から景色を描いた
ゴッホは書いている
「鉄格子のはまった窓から麦畑が見える、その上空に朝には輝かしい太陽が昇る」
ある時には病院の荒れ果てた中庭を散策しいくつかの題材を見つけている
またある時にはドラクロアのような画家の石版画を題材に模写を描いたこともあった
またある時は見事な花の静物画を描いた -
1890年(亡くなる年)に描かれた3点
右側は「白い薔薇」 -
女性が見つめている作品は「下草の風景」1889
サンレミ精神病院の庭を描いた作品です
画面の角度を見ると椅子に座って描いたと思われます
1889年の夏は発作の周期は落ち着いて来て屋外で時間は少しづつ戻っていたようです
病院の庭なら安全に絵を描くことが出来ました
オリーブ園やアイリスと並んでこの下草も重大な主題でした -
「アイリス」1890 (黄色い壺に入ったアイリス)
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「アイリス」全景
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「アイリス」中央部分
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「Pietà (after Delacroix)」ピエタ ドアクロアの模写 1889 年
ドラクロワのリトグラフを「ピエタ」を制作しています
単なる模写ではなくゴッホはドラクロワの亡きキリストを悼む聖母マリアという主題と構図を自分のものにしています -
聖母マリアとイエスの顔の部分のアップです
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「聖パウロ病院の庭」1889 (落ち葉)
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「刈り取り人のいる小麦畑」1889
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「刈り取り人のいる小麦畑」刈り取り人の拡大部分
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ミレーの作品の模写3枚
手前の作品「刈り取り人」1889 -
ミレーの3作品
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「精神病院の庭」1889
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「うさぎ」
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「アーモンドの花」1890
新しく生まれたテオの息子ために描いたアーモンドの花
生まれた子供についてテオはゴッホにこんな手紙を書いています
「以前お伝えした通り貴方の名前からとろうと思っています
彼が貴方のように意思が強くて勇敢な人になれますように願っています」
ゴッホは青空を背景にアーモンドの花を何日もかけて没頭して描きました -
「アーモモンドの花」
ゴッホからテオ宛の返信
「花咲く枝を描いたこの絵は私がこれまでの中で最も根気強く仕上げた最高の作品です」
「アーモンドの花」はテオと妻のジョーにとって最も大切な宝物の一つになりました -
「ヒヤシンスの球根が入った籠」1887
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ゴッホは500点以上の日本の浮世絵を収集しています
西洋の絵画にはない浮世絵の様式をゴッホは自分の作品に融合させようと考えたのです
1888年のアルルにいた時期に作品の構図は浮世絵のように平坦で色彩は鮮やかでくっきりと輪郭線で構成され装飾的になっていきます
写真は
江戸時代の浮世絵師の歌川広重(1797~1858)の名所江戸百景の「大橋あたけの夕立」をゴッホが模写した作品「Brige in the Rain」1887
浮世絵を模写することでゴッホは浮世絵師の心と技術を追体験しようとしたのです -
広重の「大橋あたけの夕立」の画面右下に赤枠に墨文字で「広重画」と縦書きにサインがあリます
写真のようにゴッホは三文字でそれなりにサインも模写しています -
右下には
同じく「名所江戸百景」文字の模写です -
歌川広重が名所江戸百景52枚を描いたのは1857年
その30年後に浮世絵に魅せられた西洋の画家ゴッホが模写していました
作品を模写することは作者の創造の秘密を知る一番効果的な手段なのです
写真はゴッホの模写の中央部分です
雨を斜めの直線で表現する手法は新鮮なものです
江戸浜町から深川にかかる大橋の上で大雨の中を傘や菅笠で急いで歩く6人
人数も正確に模写しています
隅田川の水面が右下がりに描かれ奥に雨で霞む深川の街並みの表現や材木を並べた筏(いかだ)を操る人の姿の構図もゴッホにとって新鮮だったに違いないと思います -
この作品も浮世絵を模写した作品
「花魁(おいらん)渓斎英泉による」1987
渓斎英泉の浮世絵「雲龍打掛の花魁」
パリのロダン美術館にはゴッホの絵が3枚ありロダンが自ら購入した作品です
ゴッホが存命中にロダンが3枚もゴッホ作品を購入してくれていたならゴッホの人生も変わっていたのにと思います
3枚のうちのひとつに「タンギー爺さん」1887 がありますが背景が日本の浮世絵で埋め尽くされています
タンギー爺さんはモンマルトルにあった絵の具屋さんです
ゴッホの他にセザンヌも安く場合によっては無料で画材を貰っていました
この花魁の模写の絵はアルルに来る前年1887年の作品です -
ミュージアムカフェはアットホームな作り
テーブルが3卓なのでいつも満席状態です -
出入り口は黒川紀章が設計した新館
からです
黒川の美術館デザインの特徴は外壁の曲面構成だと思う
ゴッホ美術館新館も外壁は曲面になっているのですがガラス製造技術が低いのか綺麗な曲面にはなっていません
残念ですね
六本木の新国立美術館の外壁の仕上がりを見て欲しいです
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出口の女性にコンセルトヘボウへの道順を聞きました(日曜の昼の部のチケット取っています)
「公園を抜けてまっすぐすぐにあるよ」と教えてもらいましたゴッホ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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ムゼーウム広場を抜けて
確かに真っ直ぐ
正面にもう見えていますミュージアム広場 広場・公園
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道路の向こう側にコンセルトヘボウを発見
コンセルトヘボウ 建造物
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親切な方向指示があった
左側方向がアムステルダム国立美術館アムステルダム国立美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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コンセルトヘボウ
コンセルトヘボウ 建造物
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建物の左脇にあるカフェヴィオッタ
ミュージアム広場 広場・公園
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建物の裏道をぐるっと回ってトラムの駅まで
ホテルアナマリーの前を通りましたAnnemarie Hotel ホテル
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ゴッホ美術館の最寄り駅はトラムのミュージアム広場(Museumplein)からトラムで中央駅まで戻ります
ゴッホ美術館を訪ねられた満足感と少し疲れてアムステルダムの車窓を見ていました
https://youtu.be/A9lH8QeqW1c?si=esD9_zxl9QXQoqlG
乗車と同じですが降りるときのビザタッチも忘れないように
あと、乗り口と降り口は違いますので気をつけてください
車内は安全安心でしたミュージアム広場 広場・公園
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アムステルダム中央駅
この左側に宿泊しているホテルがありますアムステルダム中央駅 駅
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ホテルのカフェです
チェックインの時に頂いたウェルカムドリンクで一休み
満足の1日でしたイビス アムステルダム センター ホテル
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2026年2月アムステルダムからの手紙
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Annemarie Hotel
3.08 -
イビス アムステルダム センター
3.83
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