2025/12/19 - 2025/12/19
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azuraさん
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この旅行記スケジュールを元に
平日の休日に運転の練習を兼ねて、ランチを食べにドライブw
帰りに叔父の様子を見に行きました。
そしたら、急遽「ドライブでも行こか」となり、舞鶴までお出掛けすることになりました。
引揚記念館は、赤レンガ倉庫に臨時開催だった時に行った事がありますが、本来のこの場所へ来るのは初めてでした。
スタッフの方が、丁寧にガイドして下さり、有意義な時間を過ごすことができました。
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平日のお休みは、時間があれば運転の練習を少ししております。
金曜日だったので、「かあちゃん市」と呼ばれる朝市と、地元のおばちゃんたちがされてるレストラン「鬼和味」のランチを楽しみに出かけてきました。 -
いつもプチスイーツも付いているのですが、これもおばちゃんたちの手作りなんだとか。。美味w
今回は、いつも通らない道を運転することも課題にしていたので、ついでに叔父の家にも寄り道しました。
「休みか? そしたらどこか行こか」と叔父に誘われ、用事を済ましていったん帰宅。
叔父が自宅まで迎えに来てくれて、それから舞鶴へ行くことになりました。 -
向かった先は、舞鶴引揚記念館。
舞鶴引揚記念館 美術館・博物館
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戦後80年・ユネスコ世界記憶遺産登録10周年の企画展が開催されていました。
(引揚記念館の所蔵品の内、570点が世界記憶遺産として登録されているそうです) -
近づいてみると、これ、折り鶴でした。
すごい。。 -
舞鶴港に到着したばかりの人々かな。。
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赤紙と呼ばれた「招集令状」
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「千人針」
色々な人に玉止めをしてもらったんだね。
「砲弾に当たらないように」と祈りを込めて。。 -
世界遺産に登録されている「白樺日記」
白樺の樹皮裏に日々の日記を書き溜めたもの。
帰還する際に、靴の中に入れたりして、ソビエト軍の監視を逃れて持ち帰ったものだそう(なので世界遺産) -
こんな風にして、戦地に送り出されたんだね。
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日本人が抑留された分布図
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モスクワに近い所まで連れて行かれたんだね。
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ちば てつやさんも、シベリアから帰還された方でしたね。
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日ソ中立条約を破棄され、終戦後もソビエトは攻撃を続けたんだよね。
この辺りまで、スタッフの方が丁寧にガイドして下さったので、よくわかりました。 -
抑留小屋内を再現したコーナー
上にいるのは、体の弱っている人だそうです。
温かな空気は上に上がるからだそう。。
厳しい環境の中で、皆で協力して生活していたんですね。。 -
こんな服で、シベリアの寒さに耐えられるのかな。。
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抑留小屋を再現したコーナー
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アウシュヴィッツ を思い出したけど、作り物のせいか断然こちらがマシに見えました。。
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でも、この小屋も日本人が作った筈だからそのせいもあるかも。。
そう思えたのは、ウズベキスタンだったか…そこが新日なのは、抑留者達が建てた建物(コンサートホールだった記憶)だけが、大地震の際に無事残り、日本人の勤勉さの象徴となっていると聞いた記憶。。これを思い出したから。。 -
「クロ」
シベリアの収容所で抑留者たちが食べ物を分け与え、可愛がった犬。
最後の引揚船「興安丸」に乗船が許されず、港に残されたクロは船を追いかけ凍った海に飛び込み、船員に助けられ舞鶴へ。
舞鶴で引き取られたクロは「メル」という雄犬と結ばれ子犬を産んで幸せに食らいたそうです。ということで、クロは雌犬やったんや… -
「抑留者救済の父・大木 英一さん」
終戦後自身の息子がシベリアに強制連行されたことを知り、50万人もの署名を集めた大木さん。
戦後の日本でのそのような活動は、反社会的とみなされ拘留される恐れもあったそうですが、自分は死んでも息子を助けたいとその一心で活動されたそうです。
大勢の人々の賛同を得たその署名は、GHQやソビエト大使館へと渡され、抑留者の早期解放につながったそうです。
大木さんは、息子さんの解放後もその活動を続け「抑留者救済の父」と呼ばれるようになったそう。。 -
「岸壁の母」
戦地からの息子の帰還を待つ母の物語。
中村珠緒さんの映画は知らなかったけど、二葉百合子さんの歌は知ってる。
昨夏、職場で二葉百合子さんの話になった際、私より年下の同僚は二葉百合子さんも、岸壁の母も知らなかったのには驚いた!(アラフィフの人も) -
「岸壁の妻」
母がいたなら、妻もいたよね。。
紙一枚で亡くなったと伝えられても信じられない。。 -
「DDT」
体についたノミやシラミを駆除するため、「DDT(粉末状の薬品)」による消毒が引揚者たちにされたそうです。
この後、入浴という手順だったそうですが、とても人に向けて噴射するような代物ではなかったとのこと。。
叔父も所謂団塊の世代なのですが、噴射された記憶はないけど「DDT」は知ってると言ってました。 -
引揚当時の舞鶴湾を再現した模型
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引揚桟橋には、沢山の人がいます。
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特別展IIとして、世界記録遺産に登録されている、普段は見る事ができない絵画も展示されていました。
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戦後30年を経て描かれた羽根田光雄氏の絵は、イラストのタッチが優しいですが
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描かれている内容や添書きを読むと、当時の苦労がひしひしと。。
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安田清一氏の絵は、抑留中に描かれたものだけあって、どれもとてもリアルでした。
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私が時々行っていた居酒屋「クラスノ」の初代ご主人が抑留されていたという『クラスノヤルスク』を探していたら、「お知り合いの方ですか?」と、記念館のスタッフさんが、クラスノヤルスクの抑留者達がどんな仕事をさせられていたかを即座に調べてくれました。(スタッフさんのお父様も抑留されていたそうです)
クラスノヤルスクは、炭鉱や建設の仕事がメインの重労働だったと。。 -
「平和の鐘」
戦争で無念の死を遂げられた方も、戦争では生き残ったのに、抑留先から戻って来れなかった方もおられると思います。
その方々を思うと、遺憾としか言いようがありませんが…
はなから、こんな経験をする事なく暮らせていることが良いに決まっていますが…
戦争、重労働の末に戻って来られた方々がおられて本当に良かった。。
今も、あちこちで戦火があがりそうな…実際あがってる地域もありますが。。
戦争のない、平和な世界が来ることを祈るばかりです。
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