2025/04/29 - 2025/04/29
9位(同エリア633件中)
旅猫さん
4月29日は、大潮である。しかも、行楽日和。そこで、以前から観に行こうと思っていた鎌倉の和賀江嶋を訪れることにした。とは言え、休日の鎌倉の異常な混雑は身に染みているので、逗子側から向かうことにし、小坪周辺の史跡などを併せて訪ねることにする。
(2025.05.23 投稿)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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逗子駅に降り立ったのは、10時前。その駅舎も駅前も、以前訪れた時とほとんど変わっていないようだ。三浦半島の西の玄関口らしい、地方色の濃い佇まいである。
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駅前から、9時51分発の鎌倉駅行のバスに乗車。座席がちょうど埋まるくらいの混み具合である。市街地の渋滞を抜けると、道が狭くなり、行き違いが多くなる。そのため、小坪バス停には、少し遅れて着いた。
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バス停から、小坪の中心を歩いて行く。その先に、行列が出来ている店が見える。パン屋のようだ。客層などから、何かで紹介されたのだろう。
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そちらへ向かわず、路地裏へと入る。この辺りは、猫道のような細い道が、迷路のように入り組んでいる。手持ちの地図にも載っていないため、適当に歩いて行く。まるで、民家の庭先を歩いているようであった。
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民家への入口かと思うような階段もいくつかあったが、それも道の一部であった。そんな階段の脇に、懐かしい木製の電柱が残されていた。
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路地裏から、少し広い道に出た。とは言え、自動車が通れるような道ではない。その片隅に、大きな井戸があった。小さな祠も置かれ、かつては集落の重要な水源だったのだろう。
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その道は、坂となっていて、富士見坂と呼ばれているようだ。かつては富士山が望めたのだろう。小坪集落は、海に山が迫っているため、街は山の斜面に造られている。そのため、坂と階段が多く、道もとても細い。
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歩いていると、長くて急な石段があった。天照大神社とある。集落の鎮守なら挨拶をしていきたいが、あまりにも急なので、とりあえず、先に進むことにした。
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それにしても、細い道が入り組んでいる。長崎や尾道、先日訪れた雑賀崎に比べれば範囲は狭いが、こちらのほうが鄙びている。
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そんな細い道を登り切ると、突然別世界となった。地図を見ると、披露山と言う高級住宅街のようだ。調べてみると、県内一の高級住宅街で、住人には、俳優や音楽家などの著名人が多いようである。
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その脇から、薄暗い細道が続いている。そこが、目指す大崎公園の入口であった。その入口で、軽トラックが停まり、数人の男女が集まっている。何事かと思えば、右側に脱輪していたのだ。公園管理の方の車で、居合わせたのは、たまたま通りかかった人ばかり。微力ながら、私も車を押すのを手伝い、何とか救出できた。
大崎公園 公園・植物園
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さらに進むと、右手に開けた場所があった。そこからは、遠く江の島と稲村ヶ崎が見えている。雲が多いため、残念ながら富士山は望めなかった。眼下には、かつて、鷺浦と呼ばれた風光明媚な弓なりの砂浜があり、鎌倉時代には、頼朝や御家人たちが遊覧に訪れた場所でもある。逗子八景のひとつ『小坪の帰帆』として知られる景勝地であったが、現在は埋め立てられ、景色に似合わない逗子マリーナの建物群が景観を乱している。
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公園内を歩いていると、兎の像があった。よく見ると、泉鏡花の文学碑であった。「秋の雲 尾上のすすき 見ゆるなり」と刻まれている。大崎公園に自生する薄を詠んだ句だそうだ。泉鏡花は、明治39年から明治41年まで、逗子に住んでいたそうである。
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公園の突端に出た。そこは展望台となっていた。
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東側を望むと、遠くに葉山の鐙摺港が見える。
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南側には海が広がり、漁船やヨットが見える。そのずっと先には、微かに大島も見えていた。
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展望台から来た道を戻ると、大きな樹に出会った。枝を拡げた姿が、何とも言えず美しい。木陰に入って佇んでいると、樹に抱かれているような気持になる。
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大崎公園を出ると、目の前に、披露山庭園住宅と呼ばれた超高級住宅街が広がっている。バブル期には、日本のビバリーヒルズとも呼ばれたようである。披露山の名の由来は、かつて源頼朝が、手柄のあったものを披露するため、御家人たちを集めた場所だったと云われている。富士山や逗子の海を望む景勝の地であったそうだが、今は大崎公園にその面影を残すだけである。
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往きに登って来た細い道を辿って降りて行く。途中で見かけた天照大神社の石段下で悩んだ挙句、頑張って登ってみることにする。石段はかなり急で、息も絶え絶えになりながら、何とか登り切る。すると、思いのほか立派な社殿があった。由緒書を読むと、やはり村の鎮守であった。室町時代初期には鎮座していたことが、わかっているそうである。
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小坪集落にお邪魔する挨拶をした後、石段を下りる。上から見下ろすと、少々怖いほどである。これで周囲が開けていたら、かなり恐怖である。
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無事に石段を下り切り、さらに降りて行く。すると、民家の玄関脇に、古いコンクリート製のごみ箱が置かれていた。
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小坪海岸に出た。かつての鷺浦であるが、その面影はまったく無い。観光客で賑わう海鮮料理の店などがあり、車も多い。その交差点の角に、『子之神社』と言う小さな社があった。小坪村の鎮守のひとつのようだ。
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すぐ近くからは、小坪漁港が望めた。漁港の奥にある大きな建物が無ければ、ここが鎌倉からほど近い場所とは思えない風景である。なお、小坪漁港は、逗子市唯一の漁港でもある。
小坪漁港 名所・史跡
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小坪漁港から、無粋な逗子マリーナの前を歩いて行く。途中で少し山寄りに入ると、路地裏に小さな寺が佇んでいた。海前寺である。その名のとおり、かつては美しい鷺浦を望む場所であったが、今は、海も埋め立てられてしまい、目の前に逗子マリーナがあるため、海は見えない。
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裏手の墓地には、首塚と呼ばれる場所があった。そこには、崩れた古い五輪塔がたくさん置かれている。海前寺の背後には、三浦氏の城であった住吉城があり、後北条氏との間で激しい戦があった場所である。そのため、この首塚は、戦で亡くなった者たちを供養するために建てられたもののようである。
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海前寺の周辺も、風情のある集落となっていた。マリーナのある埋立地と違い、穏やかで優しい日差しの中に佇んでいた。
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時計を見ると、11時半を回っていた、そろそろ大潮の時間なので、近くの小坪飯島公園に出てみる。すると、西側に開けた場所に、石だらけの海岸が見えた。それが、和賀江嶋である。
和賀江嶋 名所・史跡
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和賀江嶋は、鎌倉時代の貞永元年(1232)、勧進上人往阿弥陀仏が幕府の許可を受けて築いた島である。現存する日本最古の築港遺跡であるが、満潮時には海に沈むため、干潮時にしか観ることは出来ない。しかも、上陸できるのは、大潮の時だけとなっている。
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この日は、滅多にない日中に大潮となったため、晴天の下、見事な景色を見せている。これまで、早朝や夕方、夜であったり、平日や天気の悪い日であったりしたのだが、ようやく出会うことが出来た。
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しばらく景色を堪能した後、周辺の史跡を訪ねる。近くには、鎌倉十井のひとつである『六角の井』がある。名は六角であるが、実際には八角形である。六角分が鎌倉で、二角分が小坪であるため、そう呼ばれているそうだ。以前は屋根があり観ることが出来たのだが、台風で倒壊し、今はブルーシートで覆われていた。
六角の井 名所・史跡
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山側へと入り少し登ると、左手に正覚寺が見えてくる。石段を登り境内へ入ると、墓地の奥にさらに石段があった。
正覚寺 寺・神社・教会
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摩耗して滑りやすい石段を登ると、小さな社が立っていた。住吉神社である。この社が立つ山が、かつての住吉城の跡である。鎌倉幕府の重臣であった三浦氏の後裔とされる三浦同寸の弟道香の居城である。北条早雲に攻められて落城。三浦道香は、延命寺で自刃している。
三浦道香の居城跡 by 旅猫さん住吉神社(神奈川県逗子市) 寺・神社・教会
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社の奥には、洞窟のようなものがある。住吉城の抜け道で、小坪まで繋がっているそうだが、今は通り抜け出来ないそうである。と言うより、真っ暗で、さすがに入る勇気は無い。
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住吉神社を後にして、和賀江嶋に向かう。実際に浜に降りてみると、足元には漬物石のような丸い石がたくさん落ちている。島を作るために使った石なのだろう。
和賀江嶋 名所・史跡
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和賀江嶋により、材木座海岸は外海から守られる感じとなり、船を係留することが出来るようになった。ちょうど漁船が停泊していたが、このような感じだったのだろう。
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水が引いた後に、ウニが残されている。よく見ると、そこかしこにいる。水も無く、日差しが当たるこのような場所で、大丈夫なのだろうか。
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和賀江嶋の突端まで来た。海が荒れていれば、ここまで来ることは出系ないので、運が良い。海の向こうには、由比ヶ浜から稲村ヶ崎へと続く山並みが見えている。
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振り返ると、住吉城址が見えている。海側から全体を観ることが出来ることは、滅多にない。自然豊かな城跡のように見えるが、近年、巨大な高級マンションや豪邸などが建てられ、遺構も破壊されてしまった。
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潮が満ち始めたので、戻ることにする。足元の石には、たくさんの海藻が付いている。
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島の中心辺りに、古い石柱が立っていた。摩耗しているため、何が刻んであったのかはわからない。
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いつもは水没している場所からの眺めは、貴重であった。それにしても、かなりの人出である。大潮を知り、磯遊びを楽しみに来たのだろう。海月や蛸、海鼠など、海の生物が間近で観られ、子供も大人も楽しそうだ。
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和賀江嶋の石積みを抜けると、材木座海岸の砂浜となる。波紋が残り、砂丘の風紋のようで綺麗である。
材木座海岸 自然・景勝地
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海岸沿いにある飯島バス停の手前から山側に少し入ると、整然と並んだ多くの大きな宝篋印塔が現れた。これは、徳川家の譜代家臣である内藤家の墓地である。かつては霊巌寺にあったが、光明寺に移されたものである。入口にいた方に尋ねると、墓地内を案内してくれた。この墓地には、磐城平藩主であった五代と、延岡藩の七代、分家である湯長谷藩十二代の合わせて二十四人の藩主とその妻たちの墓がある。
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これほどの規模で大名の墓地が残っているのは、大変珍しいことなのだそうだ。その中で最も目立っているのが、平藩二代藩主忠興の正室の宝篋印塔である。墓地内で最も良い場所に立ち、高さが3mを超えるほどの大きさである。正室は、酒井家次の娘だが、これほどの扱いを受ける身分とは思えない。管理人の話だと、武田信玄の孫娘とのことであった。それであれば、納得できる。
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管理人の方が最後に案内してくれたのは、分家である湯長谷藩四代藩主内藤政醇の墓碑であった。彼は、映画にもなった脚本『超高速!参勤交代』の主人公とのこと。これまで興味が無かったのだが、急に映画を観たくなった。内藤家と言えば、内藤新宿で知られる高遠藩が著名だが、昨年亡くなられた十八代当主内藤頼誼氏とは、新宿のバーでよくご一緒させていただいた。懐かしい思い出である。
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内藤家墓地から、坂を登って行く。途中、短い隧道を抜ける。
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その先にある鎌倉市立第一中学校の北側に、光明寺の御廟所がある。そこには、開山の良忠上人をはじめ歴代住職の墓が立ち並んでいる。良忠上人は、浄土宗において、法然、聖光に次ぐ第三祖とされる高僧である。
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その廟所の一角に、光明寺の開基である鎌倉幕府第四代執権北条経時の墓もあった。その宝篋印塔は、鎌倉幕府の実権を握っていた得宗家の墓とは思えないほど小さい。刻まれている法名は、『蓮華寺殿安楽大禅定門』。これは、創建時は蓮華寺と言う寺であったからである。場所も、かつては長谷のほうにあったそうだ。
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御廟所のすぐ先には、簡素な展望所がある。そこからは、稲村ヶ崎が望めた。雲が無ければ、富士山も見えるそうである。
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飯島バス停に戻ると、ちょうど逗子駅行のバスが出てしまった。仕方が無いので、鎌倉駅行の時刻を確認すると、12時57分なのですぐに来る。少し遅れてやって来たバスに乗り、鎌倉駅へと向かう。駅が近付くと、人で溢れ返っている。早めに退散しないと巻き込まれるので、すぐの列車に乗り、鎌倉を離れた。大潮の和賀江嶋を訪れる小さな旅。天気も良く、素晴らしい景色に出会えた。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- Tripにこちゃんさん 2025/10/10 03:48:18
- こんにちは。
- 旅猫さま
いつも見て頂き、ありがとうございます。
懐かしい風景だったので、思わず書かせてもらいました。
もう10年以上前に、神奈川に住んでいました。
仕事の関係で、この辺りも度々訪れていました。
以前は仕事に追われて、じっくり周りを見ることはありませんでした。
いまこうして、旅猫さまの写真を通してみると、不思議な感じです。
旅行記、ありがとうございました。
- 旅猫さん からの返信 2025/10/11 08:18:31
- RE: こんにちは。
- Tripにこちゃんさん、こんにちは。
いつもありがとうございます!
神奈川にお住まいの頃があったのですね。
仕事に追われていたり、地元だったりすると、結構近場の風景を観に行かないこともありますよね。
いつでも観られると思ってしまったり。
この辺りは、鎌倉に近いのに、とても風情があり、しかも静かなのが良かったです。
旅猫
-
- ポテのお散歩さん 2025/06/01 00:26:05
- 逗子
- 旅猫さん こんばんは。
伊豆半島から房総半島にかけては東京・横浜に近いので
どの港も混雑している様な印象ですが
逗子や葉山などは静かなのですね。
そういえば、旅猫さんが歩かれる鎌倉も静かで落ち着いた佇まいでした。
祖父母の家には地下水の汲み上げポンプがあり、その地下水で
手や顔を洗ったり、スイカを冷やしていました。
時々古い路地にポンプが残っていますが
今も使えるのか、その水を飲んでいいのか、わかりません。
井戸や祠がある場所は、人が集まる公共の場所であり
井戸端会議は重要なコミニュケーションの場でもありましたね。
逗子という地名は子供の頃から知っているので、都会的な港を想像していましたが
昔からの漁村で見られる細い石階段の坂道が残っているのですね。
そうそう、有名な俳優さんや音楽家さんが住んでいらっしゃるので
地名を知っていたのかも知れません。
4月に訪れられたそうですが、良いお天気で海と空と新緑が綺麗です。
穏やかな景色の中で、鎌倉時代に生きた方々の痕跡が残っているのが
印象的でした(*^-^*)
ポテ
- 旅猫さん からの返信 2025/06/03 18:42:32
- RE: 逗子
- ポテさん、こんにちは。
いつもありがとうございます。
週末、佐渡を訪れていたので遅くなりました。
逗子や葉山は、どちらかと言うとマリーナが多く、港の感じはありません。
その中で、この小坪だけが唯一の漁港として存在しています。
かつては、逗子八景の一つとして景勝地でしたが、今はマリーナが出来てしまたっため、往時の風情はまったくありません。
ただ、小坪漁港の所だけが、鎌倉の近くにあるとは思えない雰囲気があります。
ちなみに、逗子・葉山は、若い人たちに人気があります。
汲み上げ式のポンプですか。
今となっては懐かしいですね。
最近は、残っていても枯れているか、飲めないかですよね。
井戸端会議と言う言葉は、死語になりました。。。
私が歩いた小坪地区は、逗子でも最も鎌倉に近い集落です。
それなのに、非常に鄙びた感じが一部にあります。
埋め立てが進み、海側はかなり開けています。
裏手の披露山も超高級住宅街で、整い過ぎて面白味がありません。
歴史の痕跡も多く残り、なかなか魅力的な場所です。
隣は、もう鎌倉の材木座海岸で、観光客で溢れていましたが。
旅猫
-
- しにあの旅人さん 2025/05/27 16:29:26
- 懐かしい
- お久しぶりです。
70年ほど前、逗子に住んでいたことがありました。披露山から歩いて30分くらいだったと思います。
いままで「しろやま」だと思っていました。
文字で読んだことはありませんでした。
現在の高級住宅地などは当然ありません。
戦争中の高射砲の陣地があったそうで、子どもは近付いてはいけないと言われていました。
小坪という地名、なんとなく覚えています。トンネルを抜けると鎌倉でした。写真のトンネルかどうかは分かりません。
大崎公園展望台などもなし。小坪マリーナもなし。反対方向の岩礁の海岸に不如帰の碑というのがあります。徳富蘆花の「不如帰」の文学記念碑です。
当時と同じなのはこれだけですね。鎌倉と逗子を結ぶ海岸の道もなかったので、ガキどもは逗子の海岸から岩礁を渡ってこの辺りまで遊びに来ました。
たしか大崎公園のある小さな岬を磯つたいには、鎌倉へ回れなかったのではないかな。
切り立っ岩壁だったような記憶があります。
ウニが懐かしい。これを踏んで針が足に刺さり痛い思いをしました。
それでも海岸で遊び続けていたので、当時の私の足の裏は頑丈にできていたようです。
思いがけず70年前を思い出した楽しい旅行記でした。
- 旅猫さん からの返信 2025/05/27 17:53:15
- RE: 懐かしい
- しにあの旅人さん、こんにちは。
こちらこそ、ご無沙汰しています。
逗子のお住いの頃があったのですね!
今回、初めて披露山を知りました。
その麓の小坪は、小さな漁村で、かつては風光明媚な土地だったようです。
漁港は残っていて、なかなか風情がありました。
でも、その隣は逗子マリーナがあり、かつての逗子八景とは思えない景観です。
徳富蘆花の文学記念碑があるのですね。
逗子側は、バスの便が無く、次回に回しました。
大崎公園の下は断崖絶壁で、磯伝いには渡れないようです。
今は、岬の下を隧道が通り、車では簡単に通れます。
ウニは、昔から変わらないようですね。
刺さったというのはびっくりです(笑)。
かつてのその土地の景色を知っている人の話を聴くのは好きです。
戦後から、急速に変わってしまったこの国の姿。
記憶だけでも残したいものです。
旅猫
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