2024/12/28 - 2025/01/04
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Fúgāngrénさん
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初めてのインド旅行は2014年9月のこと。ジャイプルからアグラへ至る行程で、近くまで来たのに寄らなかった場所がある。旅行会社が企画したパッケージツアーに参加したので、カスタマイズする余地はほぼ無かったのだが、インドにどハマりした後から振り返ると「あの時、近くまで来たのに…」と後悔しきりなのだ。今日はその心残りを回収し昇華するための一日である。
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2024年12月30日(月)
Breakfast buffet in 1911 Restaurant
at The Imperial New Delhi
朝食はホテル内のレストラン1911で
"1911" は、1911年にデリーで挙行されたインド皇帝即位式典(The Delhi Durbar of 1911)に由来すると思われる。この式典にはイギリス国王ジョージ5世が臨席し、イギリス領インド帝国の皇帝(Emperor of India)に即位したことを宣言した。ジ インペリアル ニューデリー ホテル
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Egg Royal エッグ・ロイヤル
Contains Salmon
黄色いのは卵の黄身。エッグベネディクトに似ているが、ハムではなくスモークサーモンがのっている。 -
Mix Parantha ミックス・パランタ
チャパティにバターオイルを折り込んで焼いたインドの全粒粉パン -
Uttapam ウッタパム
南インドの軽食。韓国のチジミに似ている。 -
Samosa サモサ
マッシュポテトやグリーンピースなどの具材を包んだインド風の揚げ餃子。日本のインド料理店でも定番のスナック -
Aloo Bhaji アールーバージ
ジャガイモのドライカレー -
Poori プーリー
インドの揚げパン -
Pongal ポンガル
お米と緑豆をミルクで煮込んだ南インドのお粥 -
今日の朝食はインド料理をメインにアレンジ。Tiptree(チップトリー)のジャムの小瓶が並び、紅茶がティーポットでサーブされるところが英国風。
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Rifle Regiments
Published by William Jones & Company
236, Regent St. London
朝食会場を出たところに掛けられていた絵が目にとまった。
このクロモリトグラフは、イギリス陸海軍の軍服のオーダーメイドを手掛ける William Jones 社の広告。黒い軍服を着たライフル聯隊の将校たちが描かれている。この絵を見てイギリスのTVドラマ Sharpe(炎の英雄シャープ)を思い出した。
クリミア戦争(1853~1856)の頃まで、イギリス陸軍の戦列歩兵は赤い軍服を着用して前線で戦っていた。一方、ライフル聯隊の兵士は軽歩兵として狙撃や斥候、散兵の任務につくため、目立ちにくい黒または暗緑色の軍服だった。「炎の英雄シャープ」の時代設定は1813年頃のイベリア半島。半島戦争でフランス軍と戦う第95ライフル聯隊のリチャード・シャープ中尉は暗緑色の軍服を着ていた。
広告の制作時期は1886年で、描かれている将校たちの所属聯隊は、Cap badge(帽章)の形から推定して次のとおり。
後列右(騎乗)
King's Royal Rifle Corps
後列左(騎乗)
Rifle Brigade (The Prince Consort's Own)
前列左から二人目(タータンのパンツを着用)
Cameronians (Scottish Rifles) -
Teen Murti Haifa Memorial
三人の兵士(Teen Murti)の記念碑が表すインドとイスラエルの歴史的なつながり
ホテルをチェックアウトして専用車で出発。ニューデリーの Teen Murti Marg にあるラウンドアバウト Teen Murti Haifa Chowk へ。この環状交差点の中央島に建つ記念碑は、第一次世界大戦中、宗主国イギリスに協力してパレスチナ戦域でオスマン帝国軍と戦った 15th (Imperial Service) Cavalry Brigade(英領インド帝国騎兵第15旅団)を顕彰したもの。三体のブロンズ像は、1918年のハイファの戦い(Battle of Haifa: 23 Sep 1918)で戦功を挙げた槍騎兵聯隊(*)のインド人兵士を模したものである。
* ジョードプル、ハイデラバード、マイソールの各藩王国の君主が所有する槍騎兵聯隊(Jodhpur Lancers, Hyderabad Lancers, Mysore Lancers)
2018年1月14日にイスラエルのネタニヤフ首相がここを訪れて記念碑に献花し、ハイファ(現在はイスラエル領)をオスマン帝国から解放したインド人兵士に敬意を表した。
ネタニヤフ首相の訪問を機に、Teen Murti Chowk(三人の兵士広場)は、Teen Murti Haifa Chowk(三人の兵士ハイファ広場)に改名された。 -
昨日訪れた、レッド・フォート内の
Yaad-e-Jallian Museum の展示より
イギリス陸軍のヘルメットを掲げて馬上から会釈するインド人兵士たち。インド各地の藩王国の君主が所有する騎兵隊を集めて、大英帝国のために枢軸国と戦う騎兵旅団が編成された。
第一次世界大戦では150万人のインド兵が戦争に駆り出され、戦死者は3万6千人にのぼった。 -
Risala - Indian Cuisine Restaurant
Umaid Bhawan Palace, Jodhpur
ジョードプルの宮殿ホテル Umaid Bhawan Palace に宿泊した際に(2015年9月20日)食事をとったレストランで、ジョードプル槍騎兵聯隊の存在を知った。
以下、当時の旅行記を再掲。
↓↓↓
第一次世界大戦中、ジョードプル槍騎兵聯隊は、英領インド帝国騎兵第15旅団の編成部隊としてパレスチナ戦域へ出征。1918年のハイファの戦いで、オスマン帝国軍に勝利したことを顕彰して、ダイニングルームは"Risala(騎兵)"と名付けられた。
ラージャスターンの三大宮殿ホテルに泊まる(2015年9月)
https://4travel.jp/travelogue/11936444Umaid Bhawan Palace, Jodhpur ホテル
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デリーからアルワルまでハイウェイを快適に走る。初めてインドを旅した2014年、デリーからジャイプルまで車で移動したが、工事中で未舗装区間もあり悪路の走行に難儀した。当時と比べると隔世の感がある。
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サービスエリアに立ち寄りトイレ休憩。清潔なトイレが整備されており、マクドナルドやサブウェイの店舗もあった。
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Delhi → Alwar(約180㎞)
ラージャスターン州アルワルへ到着
Alwar City Palace(Vinay Vilas Mahal)
シティ・パレスは、アルワルのマハラジャ、バクタワル・シング(Bakhtawar Singh)により1793年に建てられた宮殿。現在は地方政府の庁舎として利用されている。上層階に博物館があるが、あいにく月曜日は休館日である。
アルワル藩王国(Alwar state)
君主の称号:マハーラージャ(Maharaja)
君主の宗教:ヒンドゥー(Hindu)
礼砲(Gun Salute):15発シティ パレス (アルワール) 城・宮殿
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Government Museum, Alwar
博物館は月曜休館のはずだが、なぜかオープンしていたので入館。マハラジャが収集した細密画や工芸品、武具などが展示されている。
Elephant Carriage of Maharaja of Alwar
写真は四頭の象が曳くマハラジャ専用車のスケールモデル。1870年代に実在した二階建ての貴賓車で、二頭または四頭の象が牽引する当時の写真が遺されている。 -
Katar and Jamadhar
インドの短剣カタール(Katar)。
ジャマダハル(Jamadhar)とも呼ばれる。 -
Camel Gun
ラクダ銃のコレクション。
ラクダのコブの上に据え付けて撃つ大型の銃。 -
宮殿の裏手にあるサガール(人工池)
チャトリ(東屋)が等間隔に並び、建物と周囲の山が水面に映る美しい風景。 -
Moosi Maharani Ki Chhatri
人工池の傍に建つ「ムーシ王妃のチャトリ」
1815年に薨去した君主バクタワル・シングを偲び、後継ぎの息子が建てた二階建てのチャトリ。未亡人となった側室のムーシはサティ(寡婦殉死)を行って王妃に列せられた。彼女の名に因んで「ムーシ王妃のチャトリ」と呼ばれている。 -
上階のチャトリの内部
壁に細かい彫刻が施されている。 -
チャトリの丸屋根の内側
壁画が細かく描き込まれている。 -
アルワルからアブハネリ村へ移動
Alwar → Abhaneri(約76㎞)
インド最大の階段井戸チャンド・バオリ(Chand Baori)
ジャイプルとアグラを結ぶ幹線道路を途中で外れ、北へ10㎞移動した場所にある。初めてのインド旅行(2014年)で参加したパッケージツアーの行程にここは含まれていなかった。チャンド バーオリー 史跡・遺跡
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13層の逆ピラミッド型で、三方に積まれた階段は全部で3500段を数えるとか。等間隔に並ぶ階段が幾何学模様をなしている。まるでエッシャーの絵のようだ。
9世紀にこの地を支配したチャンダ王(Raja Chanda)により階段井戸(バオリ)が造られたという伝承を元に「チャンド・バオリ」と名付けられた。 -
チャンド・バオリから次の目的地へ車で移動。昼食の店をガイドに任せると、典型的な外国人観光客相手のレストラン Rajasthani Midway に案内された。
インド観光の定番、ゴールデン・トライアングル(デリー、ジャイプル、アグラを結ぶ三角形)のルート沿いにこの手の店はよくある。併設の土産物売り場には陳腐な工芸品(私は買わない)が並び、トイレに行くと手を拭くための紙タオルを持った老女がいる(ハンカチ使うからチップはやらん)例のアレだ。
昼食は Special Rajasthani Vegetable Thali を食べた。味はフツー。食べ過ぎかカレーの油が腸を刺激したのか、食後しばらくしてお腹を下してしまった。 -
Abhaneri → Fatehpur Sikri(約124㎞)
ファテープル・シークリー再訪
初めてのインド旅行で、世界遺産ファテープル・シークリーの宮廷地区を訪れたが、モスク地区には寄らなかった。当時は予備知識がなかったので、何の疑問も待たずに次の目的地へ移動した。今回の旅では宮廷地区には寄らず、ヒラン・ミナールとモスク地区を訪れることとした。
写真は菜の花畑に囲まれたヒラン・ミナール
ファテ―プル・シークリーを初めて訪れた旅行記
↓↓↓
初めてのインド ゴールデントライアングルとバラナシ(2014年9月)
https://4travel.jp/travelogue/11936159ファテープル・シークリー 史跡・遺跡
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Hiran Minar ヒラン・ミナール
モスク地区の裏手にある坂を下った場所に建っている。目立たない場所にあり、一般的なパッケージツアーで訪れることはないだろう。
ヒラン・ミナールは「鹿のミナレット」の意味だが、モスクに付随するミナレット(尖塔)ではなく、望楼または灯台として使われていたなど諸説あり。円柱の側面から突き出ているのは象牙に模した石材。アクバル帝がこの都にいた頃は本物の象牙を突き立てていたとのこと。 -
Buland Darwaza
金曜モスクのブランド・ダルワーザ(凱旋門)
フランシス・ロビンソン(著)、小名康之(監修)
『ムガル皇帝歴代誌』
( 創元社、2009年)より引用
この門はアクバルがグジャラート地方での戦いに勝利したことを祝して、1573年に再建された。階段式の基壇に、グジャラート地方の方角、つまり南向きに建っているこの門は、高さ53メートルあまりに達する。 -
Jama Masjid 金曜モスク
宮廷地区は入場料が要るが、
モスク地区は入場無料である。 -
Tomb of Salim Chishti
サリーム・チシュティー廟
フランシス・ロビンソン(著)、小名康之(監修)
『ムガル皇帝歴代誌』
( 創元社、2009年)より引用
このモスクの中央には、聖者サリーム・チシュティー(1572年没)の聖廟がある。スーフィーの長老チシュティーはアクバルが待ち望んだ嫡子の誕生を予言した人物で、1569年に彼の住まいで嫡子サリーム皇子は産声をあげた。こうして、ムガル皇帝はインドのもっとも人気のあるスーフィー教団との関係を確立した。 -
サリーム・チシュティー廟の壁には美しい透かし彫りが施されている。
吉田 博(1876-1950)が1931年に制作した木版画「フワテプールシクリ」を図録で見て、私は首をかしげた。ファテ―プル・シークリーで見たのは赤砂岩の建築ばかりだった。作品にはレース編みのように精巧な透かし彫りの壁が描かれているけど、こんな所あったっけ?
そこでようやく気が付いた。2014年のインド旅行で私が訪れたのは「宮廷地区」で、モスク地区はスルーしていたのだ。このような美しい建築装飾を見逃していたとは…
宮原 辰夫『ムガル建築の魅力』
(春風社、2019年)より引用
サリーム・チシュティーの聖廟(ダルガー)はアフマダーバードにあるシャー・アーラムの墓の建築様式を採り入れながら、庇の部分や格子の組子の間隔を広げている点においては、ムハンマド・ガウスの聖廟にも影響を受けているといえる。屋根に飾られた小さなドームや小塔(チャトリー)はすべて取り除かれ、格子の組子の間隔も大きく取られ、そこに嵌められた石の幾何学模様のスクリーンもシンプルで、聖廟の中でも極めて洗練された素晴らしい建物である。 -
Fatehpur Sikri → Bharatpur(約22㎞)
ファテ―プル・シークリーから
バラトプルへ移動。
本日の宿は Laxmi Vilas Palace
かつてバラトプル藩王国のロイヤルファミリーが居住していた宮殿ホテルである。 -
ライトアップされた Laxmi Vilas Palace
バラトプル藩王国(Bharatpur state)
君主の称号:マハーラージャ(Maharaja)
君主の宗教:ヒンドゥー(Hindu)
礼砲(Gun Salute):17発 -
ダイニングルームのシャンデリア
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併設されたバーのカウンター
レトロな感じ。 -
Suraj Mal スラージ・マル
バラトプル王国のマハラジャ(在位 1755-1763)。ムガル帝国の衰退期にジャート族の指導者として勢力を拡張した名君。1763年にアフガン勢力との戦いで戦死した。 -
Raja Raghunath Singh(1887-1943)
バラトプル藩王国のマハラジャの弟、ラグナート・シングとその家族が居住する宮殿として、1887年に Laxmi Vilas Palace が建てられた。1994年より宮殿ホテルとして営業を開始。 -
ここでも絵解き
イギリス軍と戦うバラトプルの騎兵
第二次マラーター戦争(1803-1805)のバラトプル包囲戦(Siege of Bharatpur, 1805)で、バラトプル王国軍はイギリス東インド会社軍を撃退。マラーター同盟軍がイギリス軍に勝利した数少ない事例となった。 -
私が泊まった部屋は Classic room
部屋の設備が全体的に古い。
ホテルのグレードはラグジュアリーではなく、
「建物がレトロな中級ホテル」である。
<Laxmi Vilas Palace 泊>
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