2024/12/28 - 2025/01/04
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Fúgāngrénさん
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2022年9月、懇意にしていたインド専門の旅行会社V社から廃業のメールが届いた。そうか…コロナ禍の荒波を乗り越えられなかったか。旅行の手配でメールをやり取りしたKさん、お世話になりました。デリー在住のガイドさん達、どうかご無事でありますように。このような形でお別れするのが残念でならない。コロナ禍のバカヤロー。V社がいないインドなんて…行きつけの店が突然閉店したかのような喪失感で、私のインド旅行熱は冷めてしまった。
パンデミックが収束し、海外旅行を再開。2023年9月に中国遼寧を旅行。2024年の年末は奇跡の9連休。どこに行こうかとWebサイトを検索していると、あれ?V社が事業再開している…!? インド旅行熱再燃。さっそくメールで連絡をとった。主な目的地は、インド旅行歴5回にしてなぜか未訪問のカジュラホにした。
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2024年12月28日(土)
福岡空港国際線ターミナル
今回のインド渡航は仁川国際空港(ICN)乗り継ぎ。
仁川で乗り継ぐ便は、12時05分発のエア・インディア313便デリー行き。福岡→仁川のフライトは一日8便あるが、朝出発して乗り継ぎに間に合う便がチェジュ航空だった。乗り継ぎ時間は1時間35分。仁川着が遅延して乗り遅れたらアウト。どうか間に合いますように。福岡空港 空港
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チェジュ航空1402便、福岡発ソウル(仁川)行き
ボーイング B737-800
オレンジ色の尾翼が目を引く。
Jeju Air (7C) 1402
FUK 8:55 → ICN 10:30
Boeing 737-800 -
LCCに乗るのは初めて。シートピッチ狭っ!
座席に座ると前列シートに膝がついた。
安全のしおりを写したのは何かを暗示しているのか。この便に搭乗した翌日(2024年12月29日)、韓国の務安(ムアン)国際空港でチェジュ航空2216便事故が発生。179人が亡くなる大惨事のニュースをインドで聞いて驚いた。 -
仁川国際空港に到着して、出発便のモニターでAI 313便の搭乗口を確認。乗り継ぎ保安検査を通過して、Gate31があるT1へシャトルトレインで移動。トランジットカウンターを探してターミナル内を右往左往したが、結局は搭乗口にあるカウンターでチェックインすればよかった。そもそもオンラインチェックインしていれば、カウンターを探す必要もなかったのだ。
シャトルトレインに乗ってT1へ移動したので、私の頭の中で「T2からT1へ移動した」と誤認してしまった。本当はコンコース(搭乗棟)からT1へ移動していたのだ。T1でもT2でもない「コンコース」の存在は、復路のターミナル間移動の迷走を引き起こす伏線となる。仁川国際空港 (ICN) 空港
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エア・インディア AI 313便
ソウル(仁川)発、デリー行きに搭乗
Air India (AI) 313
ICN 12:05 → DEL 17:20
Boeing 787-8 Dreamliner
日本発のエア・インディアは成田発(現在は羽田発)デリー行きの AI 357便があるが、土曜発がないので仁川発の AI 313便に乗ることにした。 -
エア・インディア313便、仁川 → デリー
エコノミークラスの機内食
Veg or Non-Veg? でベジを選択。
スパイスの辛味が後から効いてきた。
インド旅行6回目にして初めてエア・インディア(AI)に乗った。感想は残念ながら低評価。
【往路】座席モニターが故障して初期画面から遷移しない。
【復路】天井のパネルから結露の水滴が滴下して雨漏り状態に。
【総合評価】B787-8 Dreamliner は決して古い機材ではないのに、客室内の設備のメンテナンスが雑すぎる。国営企業から民営化したのでサービス向上に努めてほしい。次からは積極的にAIを選ばないだろう。 -
デリーからの入国は2015年9月以来3回目。これまでは渡航の度に、大阪のインド総領事館に郵送で申請してステッカービザを取得していたが、今回は5年間有効の e-Tourist Visa を事前取得。パスポートとVisa申請時に印刷した2種類の書類を提示して、入国審査を無事に通過。
到着ロビーでガイドと合流。前回2019年1月の南インド・ケララの旅でお世話になった日本語ガイドのSさんと6年ぶりに再会。お元気でしたか? 専用車に乗ってニューデリーの Janpath にあるホテルへ移動。インディラ ガンディー国際空港 (DEL) 空港
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The IMPERIAL New Delhi にチェックイン。
2連泊の滞在。
イギリス統治時代の1936年に開業した老舗ヘリテージホテル。ラグジュアリーな雰囲気にテンション爆上がり。年末年始のハイシーズンのため、宿泊料は結構お高めでした。ジ インペリアル ニューデリー ホテル
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Heritage Room - King Bed
客室内はこんな感じ -
Washstand
大理石の洗面台 -
Bathtub
シャワーカーテンの丈が短いので、シャワーのお湯がバスタブの外に出ないように気を遣った。 -
Biryani Blues, Connaught Place
夕食を食べにホテルから一人で外出。
歩いてコンノート・プレイスへ。
ビリヤニを食べたくてこの店に入店。コンノート プレイス 広場・公園
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Mutton Dum Biryani (Boneless)
骨なしマトンのビリヤニを食べた。炊きあがったお米(バスマティ)はパラパラとほぐれて、口に入れるとフワッとした食感。これが本物のビリヤニだよ!
日本のインネパでビリヤニを注文すると、油ベタベタのカレー炒飯が出てきて心底がっかりさせられる。例えるなら、釜めしを注文したら釜の中身が炒飯だった…みたいな感じだ。
ハイデラバードの旅行記で述べたが、再度言わせてもらいたい。ビリヤニは炊き込みご飯です!
ハイデラバードの旅(2016年12月)
https://4travel.jp/travelogue/11943585 -
南インド料理店 Saravana Bhavan は超人気店。入店待ちの行列ができていた。
サラワナ バナン (ジャンパト通り店) インド料理
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ホテルに戻って館内を散策。
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イギリス王室やインド総督の肖像画、大英帝国時代のリトグラフが廊下の壁に所狭しと掲げられており、さながらアートギャラリーのようである。
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19世紀のインドやアフガニスタンで戦うイギリス軍の勇姿や、イギリス統治時代のインドを描いた帝国主義的な絵画が多い。なんたってインペリアル(帝国)ホテルですから。
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絵画の絵解き(その1)
Charge of the 16th (Queen's Own) Lancers at the Battle of Aliwal
第一次シク戦争(1845~1846)で、1846年1月28日にイギリス軍とシク王国軍が戦ったアリーワールの戦いを描いたリトグラフ。突撃するイギリス軍の騎兵は槍騎兵第16聯隊。この聯隊はその後の再編・統合を経て、イギリス陸軍 The Queen's Royal Lancers として存続。現代は馬ではなく装甲偵察車に乗って偵察任務を担っている。
ちなみに三菱自動車の名車「ランサー」は、槍騎兵(そうきへい)を意味する英語 "Lancer" が車名の由来である。 -
絵画の絵解き(その2)
Afghanistan, General Roberts' Victory over Ayoub Khan, Sept. 1
Flight of the Enemy and Pursuit by British Cavalry as seen from Baba Wali
第二次アフガン戦争(1878~1880)のカンダハールの戦い(1880年9月1日)で勝利したイギリス軍を描いたリトグラフ。敗走したアイユーブ・ハーン率いるアフガン軍を追撃するイギリス騎兵部隊を、ババ・ワリ峠から遠望している。
ちなみにこの戦闘の約一か月前(1880年7月27日)のマイワンドの戦い(Battle of Maiwand)で、イギリス軍はアイユーブ・ハーン率いるアフガン軍に惨敗を喫している。シャーロック・ホームズに登場するワトソン博士は、バークシャー歩兵第66聯隊(66th (Berkshire) Regiment of Foot)に軍医として従軍中、マイワンドの戦で負傷した設定になっている。 -
先程の絵画の左上隅に、スコットランドの伝統衣装キルトを着用した軍人が描かれており、"92nd Highlanders" のキャプションあり。
これは第二次アフガン戦争に出征した歩兵第92聯隊ゴードン・ハイランダーズ(Gordon Highlanders )を描いたものである。同聯隊はスコットランド北部のハイランド地方で編成され、ワーテルローの戦い(1815年)や第二次アフガン戦争、ボーア戦争などで戦歴を重ねた勇猛な歩兵部隊として名を馳せている。
柘植 久慶の著書「名将たちの決断」で取り上げられた将軍たちの中で、一兵卒からのたたき上げで少将まで昇進したスコットランド人、ヘクター・マクドナルド(Hector MacDonald)が印象深い。彼は歩兵第92聯隊ゴードン・ハイランダーズに志願入隊して下士官に昇進し、曹長として第二次アフガン戦争に出征。戦場での勇敢な行為に対し、ヴィクトリア十字章(Victoria Cross)か、将校への任官か二者択一の選択肢を提示された。ここでマクドナルド曹長は勲章ではなく将校への任官を選択し、上流階級への壁を乗り越えたエピソードが紹介されている。 -
Patiala Peg
ホテル内のバー「パティアラ・ペグ」へ
このホテルを選んだ理由は、ヘリテージホテルであること、そしてこのバーでウィスキー飲むためである。「パティアラ・ペグ」の名前の由来は次のような伝承がある(諸説あり)。
馬術競技テント・ペギング(Tent Pegging)の親善試合に招かれたアイルランド人の選手団が、インド北西部パンジャーブ地方のパティアラ藩王国を訪れた。マハラジャのブーピンダル・スィン(在位1900-38年)は、彼らを試合前夜のレセプションでもてなし、ウィスキーをダブルで提供して杯を重ねた。アイルランド人チームの選手は二日酔いのため翌日の試合で実力を発揮できず、地元チームに敗北。アイルランド人たちが苦情を言うと、マハラジャは平然と応えた『パティアラの1ペグは他と比べて多いのだよ。In Patiala our pegs are larger. 』。以後、ダブル・ペグでウィスキーを飲むことを「パティアラ・ペグ」と言うようになった。 -
Missed !
A Bengal Lancer at the Game of Tentpegging
パティアラ・ペグを象徴する絵画。馬術競技テント・ペギング(tent pegging)で馬を駆るベンガルの槍騎兵。 -
バーのカウンター
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シングルモルトのスコッチウイスキー、グレンモーレンジィ(Glenmorangie)をダブルで。ストレートで飲もうか迷ったがソーダ割りにした。
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Peg Measure Jigger
ウィスキーのメジャーカップ。ハンドル付き。
上のカップでダブル(60ml)を量れるのだろう。
ホテル内のギフトショップでも売っていた。 -
部屋に戻る前にもう一枚絵解き
'The late Afghan War; death of Major Wigram Battye in the Battle of Futtehabad', 1879
第二次アフガン戦争におけるフッテハバードの戦い(1879年4月2日)を描いたリトグラフ。敵対的な部族との戦闘でイギリス軍の騎兵が突撃し、ウィグラム・バッティ少佐が銃撃されたシーンが描かれている。戦闘はイギリス軍が勝利した。
これより約40年前の第一次アフガン戦争(1838~1842)では、反英闘争の激化によりイギリス軍はカーブルから撤退(1842 retreat from Kabul)。逃避行中の英印兵、軍属、民間人の一団1万6千人が、冬季の峠越えとアフガン兵の追撃でほぼ全滅する惨敗を喫した。この惨劇を描いた The Last Stand of the 44th Regiment at Gundamuck, 1842(歩兵第44聯隊最後の抵抗 1842年ガンダマク)や The remnants of an Army(単騎の残兵)などの絵画があるが、そのような負け戦の絵画がこのホテル内に飾られることはまず無いであろう。
他にも興味を引く絵画はいくつもあったが、キリがないので部屋に戻って就寝。
<The Imperial New Delhi 泊>
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