2018/02/09 - 2018/02/14
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2018年2月フランスへ行こう6日間の旅12回目 パリとお別れ帰国(惜しまれつつ?最終回)編
2018年2月9日から2月14日の予定でフランスを旅行しています。
2回目の海外旅行になります。6日間の日程のうち5日目と6日目です。
2018年2月 9日 1日目 地方空港から羽田空港まで
羽田空港からパリ空港
バスでロワシーのホテルまで
2018年2月10日 2日目 バスで移動
午前 シャルトル大聖堂
午後 シャンボール城
バスでトゥールのホテルまで
2018年2月11日 3日目 トゥールからバスで移動
モンサンミッシェル
モンサンミッシェル近くのホテルで一泊
2018年2月12日 4日目 モンサンミッシェルからバスで移動
パリ市内観光
ルーブル美術館
そのあとパリで一泊
2018年2月13日 5日目 バスでオプションツアー
(私たちはヴェルサイユ宮殿に行きます。)
パリ空港から羽田空港まで
2018年2月14日 6日目 帰国
羽田空港から地方空港
バスで帰宅
今日は2018年2月13日 5日目で午前中にヴェルサイユ宮殿を見学してきました。
午後はパリ市内でランチタイムの後、街歩きです。
07:00 いつもより遅い目覚め
08:30 ホテル前からバスでヴェルサイユに向けて出発しました。
10:00~ ヴェルサイユ宮殿見学(約1時間)
11:00 ヴェルサイユからパリへ
12:30 昼食はノートルダム大聖堂近くのレストランで食事
13:30 バスでオペラ座前下車
14:30 オペラ駅よりホテルに向けて乗車
(ホテルに着いて、荷物出し、帰国の準備)
15:45 ドゴール空港に向けて出発
19:00~夜便パリ発羽田行きの飛行機で帰国
6日目は飛行機のなかで迎えます。
表紙は[オペラ座ガルニエ(ガルニエ宮)]です。
このオペラハウスは 、1989年にバスティーユ・オペラ座(ここが新パリ・オペラ座と呼ばれる )がオープンしたことにより、現在では、建築家の名前にちなんで「オペラ・ガルニエ」または「ガルニエ宮」と呼ばれています。
オペラ座ガルニエ(ガルニエ宮)国立劇場は パリ9区のオペラ広場、オペラ通りの北端、多くの道路が交わるサークル交差点の島?の中にあり、360度あらゆる角度から見ることが出来ます。
(オペラ座と呼んでも何の問題もありゃしません。)ありゃしません?花菱アチャコか。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
オプションツアー「ヴェルサイユ宮殿観光(昼食付)」は一人18,000円でホテル出発、オペラ座解散日本語ガイド付きで、オペラ座からホテルまでは各自で戻れという過酷なものです。(普通です。)
ヴェルサイユ宮殿からの帰りですが、どのようにパリにもどっているのやら。
私は方向音痴でもあります。
(しばらく車窓からの風景になります。) -
エッフェル塔ご機嫌斜めですね。
(あんたが変なことをいうから。)
真っすぐにしておきました。 -
体型がどっしりして、文鎮にもってこいといっただけです。
ミラボー橋を過ぎると、ジャベル駅
(下に地下鉄ジャベル=アンドレ・シトロエン駅)
ミラボータワーが見える。 -
鉄道橋がある。
(昨日これに乗ったでしょうが。)
ええ?7年も前の出来事のような。 -
アレクサンドル3世橋[Pont Alexandre III]
1900年のパリ万国博覧会に合わせて建設、開通したこの橋は、ロシア皇帝 アレクサンドル3世(1845-1894)にちなんで名付けられました。
(エッフェル塔を通り過ぎたのを気付いていないでしょ。)
ホテルの前を通り過ぎたことに気が付いていないでしょう。 -
ここからサン=ジェルマン大通りに入っていきます。
各通りの角の建物はいつも、いびつなる。 -
進入禁止?交通妨害看板が出てる。
(交通標識や。これは撮影角度による錯覚。) -
建物がくっ付いている。
-
どれもくっ付いている。(ほっといて。)
-
パリのグラン・エスト地域会館[Maison de la Région Grand Est - Sarre]
セクシーですな。(どこがや?) -
通りごとに、進入禁止、または一方通行の看板。
(交通標識や)
これではバスはどこにもいけん。 -
聖トマス・アクィナス教会[Église Saint-Thomas-d'Aquin]
聖トマス・アクィナス教会は1584年に完成しましたが、ファサードはドミニコ会の修道士クロード・ナヴァンによるもので、1765年から1769年の間に建設されました。教会のファサードは、イタリアのバロック建築、特にローマのイエズス会の教会であるジェズ教会のファサードに触発されています。古典建築のスタイルに従って、下層階にはドーリア式の柱があり、上層階にはイオニア式の柱があります。ファサードの両側は湾曲した翼でファサードに接続され、角にはオベリスクがあり、上層階の控え壁として機能するものです。
何を言っているか分かる?(わからん。) -
聖ヴォロディミール大聖堂[フランス語: Cathédrale Saint-Volodymyr-le-Grand、ウクライナ語: Собор святого Володимира Великого(ウラジミール・ル・グラン・ド・パリ)]
2012年から ボリス・グジアク司教が教区司教を務めるウクライナ カトリック聖公庁の大聖堂です。
(教会のように見えないね。)
西からファサードを見ると、それらしく見える。 -
サン・ジェルマン・デ・プレ教会[Église de Saint-Germain-des-Prés]
パリのサンジェルマンデプレ地区にあるカトリックの教区教会です。もともとは、フランク王クローヴィスの息子キルデベルト1世によって558年に設立されたベネディクト会修道院の教会でした。 -
修道院はヴァイキングによって破壊されたものの、再建され、8世紀に6世紀の司教サンジェルマンにちなんで改名されました。
-
パリで現存する最古の教会と考えられています。
-
Caroll 婦人服店・ブティック
-
au vieux compeur スポーツ用品店
-
横断歩道を渡ると、
-
コレージュ・ド・フランス[Collège de France]
マルスロ=ベルトラン広場にある国立の特別高等教育機関
ここでバスを下ります。
(お疲れさまでした。) -
バスを降りて、しばらく歩いて昼食会場に向かっています。
オーパブ通り[rue du haut pave]
左に見えているのは、A. Lacroix Pâtissierお菓子やさんの喫茶カフェ店 -
あれはノートルダム大聖堂[Cathédrale Notre-Dame de Paris]ではないか。
-
モンテベロ通りで曲がると、
-
ル・モンテベロ [Le Montebello]レストラン
ここが昼食会場です。
何を食べましたっけ?
(7年前のことをいうと、鬼が泣くよ。) -
ノートルダム大聖堂[Cathédrale Notre-Dame de Paris]
シテ(中州)島に位置し、聖母マリアに捧げられたパリ大司教区のカトリック大聖堂です。
モーリス・ド・シュリー司教の指導の下で建設が始まり、1163年から14世紀半ばまでの約2世紀にわたって建設されました 。大聖堂には初期ゴシック様式とレイヨナン(輝くの意)ゴシック様式の特徴がいくつか残っています。巨大なバラ窓、上層部クリアストーリーの窓の増加、翼廊の重要性の削減、身廊と側廊の連絡を充実させるための地上階の開口部の大型化がありました。
尖塔は1250年頃に翼廊交差部の屋根に建てられましたが、梁は曲がりゆっくり変形しました。落雷による火災もあり、倒壊の恐れもあったので18世紀には解体されました。 -
フランス革命後、大聖堂は1845年から1867年にかけて、建築家ウジェーヌ・ヴィオレ・ル・デュックの指揮の下、新しい尖塔を含む新しい要素やモチーフを取り入れた、時には物議を醸す大規模な修復工事がありました。デュックは鉛250トンで覆われた、オーク材500トンを使った木造の尖塔を再建しましたが、2019年4月15日火災が発生し木造屋根と尖塔を焼失しました。石のヴォールトは強力ですが、防水性能は無いので屋根を軽い材料で作る必要があるのです。5年の歳月をかけ、2025年12月に再建されましたので胸をなでおろしております。(分かるけど話が長い。)
-
パブリックドメインの平面図です。立面では翼廊が見えるのに、平面図で表現されていないのは床から1mの位置で見るものだからです。上部3の位置で見れば翼廊がくっきり見えます。ガウディの作品は平面図では無理、3Dグラフか模型で見ないと分かりません。
(何の話?遅れるよ。)
※ パリのノートルダム大聖堂の平面図。ウジェーヌ・ヴィオレ・ル・デュック著『11世紀から16世紀まで のフランス建築辞典』 (1856年)
修復工事中のノートルダム大聖堂の南ファサード、Hippolyte Bayard (1847) -
横断歩道があるのに、渡らずに、
ざわわ ざわわ ざわわ 通り過ぎるだけ。
ざわ、ざわ えー、少し曲がれんかい。
(曲がったことは大嫌い。)? -
そちらにまがるのかい。
(バスに乗らないと。)
ラグランジュ通りを進みます。
aux cadeaux de notre-dame (聖母マリアの贈り物に)というショップが角にあります。 -
しばらくは一緒に街歩きをしましょう。
Chez Wang 中華調理店
la fourmi ailee フランス料理店 -
le dante カフェ
左に曲がれば studio glande 映画館 -
Les Mots 学校
-
ダント通りの
aaapoum bapoum コミック書店 -
【少し遠いやないかい!】
-
すいません。交通標識がいっぱいあって、バスレーンで無いと駐停車できず、バスが入れないのです。
-
私たちは往復したんですよ。
バスが待機しているので
乗ります。乗ります。
右 sorbonne ソルボンヌ大学、図書館、本部
左 コレージュ・ド・フランス -
これからまた車窓です。
リュクサンブール美術館 [Musée du Luxembourg] -
The Kooples 衣料品店
東を見ればサン=シュルピス教会 ( Église Saint-Sulpice)が見えたはず。
(要は半分しか見えていないことね。)
人生半分が見えたら大成功。普通はもっと見えていない。(?) -
Emporio Armani Caffé 角はアルマーニカフェレストラン
MONOPRIX スーパーマーケット -
Louis Vuitton (ルイヴィトンよ、ルイヴィトン)
あっそう。反対側は サン・ジェルマン・デ・プレ広場
西ファサードがみえたはず。 -
国立高等美術学校[École Nationale Supérieure des Beaux-Arts]の正門
-
交通妨害看板が出とる。
これではバスはどこにもいけん。
(ちがあ―う。向こうの車線は進入禁止、右折しなさいの標識や。) -
ルーブルへの橋をバスが渡れるんですか。
(橋の幅は広いんですよ。手前の車線で渡ってるやろ。) -
バスが中に入れるんですか?
(入ってるやろ。ルーブルだと、急に弱気になるね。)
あ、ガラスのピラミッドや。
(大きいのが1つ、小さいのが3つあるよ。) -
(あれがカルーゼル凱旋門)
なんですか?
(この記念碑は、1806年から1810年の間にチュイルリー宮殿の前に建てられ、宮殿への壮大な入り口、つまり宮殿の中庭とカルーゼル広場を隔てる門として機能していたため、記念碑の名前の由来となった。
カルーゼル凱旋門はナポレオン1世の命により1805年の征服における彼の軍隊の勝利を祝うために建てられました。シャルル・ペルシエとピエール・フォンテーヌによって設計されたこの門は、1805年の作戦とウルムの降伏を描いています。)
カルーゼル広場とは?
(この広場の名前は、1662年6月6日息子であるフランス王太子 ルイの誕生を記念して、ルイ14世が5時から10時までここで行った軍隊の騎馬ショー「グラン・カルーゼル」に由来しています。)
(逆ピラミッドはあちらの方にあるよ。) -
通り抜けられるんですか?
(通り抜けられんかったらわたしら泣くよ。) -
こういうことだったのやねん。
有難うございました。 -
ベンリュクスBenluxは香水専門店
-
ここからはオペラ座へ一直線。
クレディ・ミュチュエル[Crédit Mutuel] 銀行 -
モノプリオペラ店[MONOPRIX)スーパーマーケット
-
これがオペラ座
(オペラ通りだもんね。) -
(なんでややこしく撮るの?)
建物は1か所定点で見るものではありません。
動きながらぐるぐると、何かないかとみるものです。 -
そこには新しい発見があるのです。
どこかに間違っているところはないかとか。 -
(おかしい。そんなわけないわ。)
-
(バスから下りるよ)
ここで恐ろしいことに気が付いた。添乗員さんはオプションツアーに参加していないグループのために働くので、ここで合流することになっているのだと。 -
ギャラリー・ラファイエット[Galeries Lafayette]
1912年にオープンしたギャラリー・ラファイエットは、パリの老舗デパートです。
バスから下りると、いつの間にか、デパートの地下にいた。目の前が明るくなった。 -
バターのショーケースの前に添乗員さん。
あの、私たちトイレをすませて集合場所で待ってます。 -
『私忙しいので、ガイドさん案内してあげて。』
(大丈夫行けますから。)
【各階にトイレは無いので、そこまで案内しますよ。】 -
トイレの前でガイドさんとお別れになりました。
(有難うございます。)
親切なガイドさんで迷子にならず助かりました。 -
(ほら1階。)違いますよ。
地上階から見て1番目の階だから2階です。地上階に下りましょう。
(体と頭の向きがおかしんですけど。)
横顔が出来ないんで、そろそろ3D に変えようかな。 -
(あ。添乗員さんだ。)
黙りなさい。わからないようにそっと進むのじゃ。 -
係の人がお見送りのため、立ってくれている。三越みたい。
(不審者のチエックのためよ。)
わたしら不審者か?(分かる。) -
(とにかく、集合場所に急ぎましょう。)
-
ユニクロですよ。ユニクロ。(黙りなさい。)
-
オペラ座をこんなに近くで見られるとは。
-
オペラ座ガルニエ(ガルニエ宮)
この建物は、 19世紀後半の折衷的な建築と歴史主義のスタイルを特に代表する記念碑です。建築コンペで選ばれた建築家シャルル・ガルニエの設計に基づいて、ナポレオン3世時、オスマン総督によりパリの大改造の一環として建設され、 1870年の戦争で中断されたが、1873年にル・ペルティエ・オペラ座が火災で焼失した後の、1875年1月5日第三共和制下で共和国大統領マク・マホンによって建設が再開され、建物は1877年に落成した。 -
外観からネオバロックと言われていますが、基礎から違います。建設当時は推定2000トンの浸透水の地下水に悩まされました。「グランジュ・バトリエール」という名の水路地底湖の伝説から『オペラ座の怪人』が生まれましたが,オペラ座の地下に広がる広大な水路の空間は洞窟ではありません。コンクリートケーソンのピットに水をためて地下水の浮力に対抗しています。消防用水にもなります。
※添付は選んでバブリックドメインを使っています。 -
あらゆるところに鉄と鋳鉄を使用しています。特定の柱、すべての石積みの床、すべてのフレームなどの構造部分は金属で作られています。長スパンの梁は、リベットで組み立てられた金属片で作られており、この建設方法は19世紀後半に本格的に開発されました 。
※添付はバブリックドメインです。 -
(遅れるよ。添乗員さんより早く集合場所にいないと。)
そうだね。
-
オペラ座前で恒例の記念写真を撮った後、オペラ駅からメトロ乗ってホテルへ帰ります。
シャルル・ミッシェル(Charles Michels)駅をおりて、
ホテルに向かって進みます。 -
ここ歩いたっけ。
(昨日の夜、歩いたやろ。) -
リノワ通り
ホテルの部屋から見たところ、こうなってたの。 -
ここ通っていいの?
-
すごいことになってるね。
バスがすでに待機中。 -
(やっと、ホテルに戻れた。)
ホテルのロビーって、こんな感じなんだ。 -
どした?
(帰ったらまたややこしい生活に戻ることに。)
大変だけど頑張ろう。
遅れないように荷物を出そう。 -
(ホテルから空港までは省略。絶対長いから。)
やれやれ、パリ空港での出国の手続きが終わりました。 -
空港の天井丸い。
-
(カルティエよ、カルティエ)[Cartier]
なにか変なものを見た。 -
帰国は夜便になりましたね。
(なにか変なものをみた。)
気のせいでっす。すったもんだですいませんでした。これでやっと終わらせることが出来ました。
(有難うございました。これで最終回です。)
さて、次回は装いも新たにドイツ、オーストリア編です。期待してお待ちください。
(ええ。まだやるの。)
ひとりでも見てくださる方がいらっしゃたら、命を懸けて続けたいと思っています。よろしくお願い申し上げます。
(よろしくお願い申し上げます。)
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