2018/02/09 - 2018/02/14
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2018年2月フランスへ行こう6日間の旅8回目(モン サン ミッシェル 後編)
2018年2月9日から2月14日の予定でフランスを旅行しています。
2回目の海外旅行になります。6日間のうち3日目です。
今回はモン サン ミッシェル最終回 修道院編2-2です。
聖ミカエル(サンミッシエル)について思いあたることがあります。
翌年ドイツ旅行をしましたが、同じ旅行会社の同じ添乗員になったのも不思議。ミュンヘンでのこと、聖ペーター教会(Peterskirche、聖ペトロ、サンピエトロと同じ)で見学後、短い自由時間があったのでカフェに入ろうと、西に向かって歩きましたが見つかりません。あきらめて戻ろうとしたとき、聖ミヒャエル教会(ドイツ語: Michaelerkirche聖ミカエル教会)にたどり着きました。カフェに入りましたが、側面は工事中で、カフェ側から見えないうえ、添乗員とばったり会ってしまいました。これから先の手配を一人になってしたいんでしょう、邪魔にならないように早々に切り上げて集合場所に戻りました。(もっと近くにフラウエン(聖母マリア)大聖堂とカフェがあったのに)
その翌年ローマではサンタンジェロ城近くにバスが通ったのに、結局迂回して別の橋から昼飯会場に入ることに。(降ろしてくれればサンタンジェロ橋から会場に行けた。)コンチアツアィオーネ通りの存在をすっかり忘れ、狭い通りを抜けて巨大なサンピエトロ大聖堂がわつと見えたというイメージだったのに、ビデオをみてこんなに広い通りだったのかと改めて感じました。
(それは大天使様とは無関係)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
聖ミカエル大天使様「オベール司教に対して理不尽ではないか、各国に大天使ミカエルに捧げられた教会があるのに、イギリス戦はともかく対イタリア、対ドイツではどうなります。ペストは退治できたのならコロナはどうだったんですか。」とか言っていたせいか、数年前2つパソコンが壊れたあと、去年3番目に古いXPS8700パソコンが電源が入らなくなりました。(それはあんたのせい)今回はシステムか電源が問題なのか分かりません。カバーを開けるとケーブルがいっぱい。ドライブは持ち出せても、アプリは移行出来ません。ネットを見るとややこしい解決策が出ていますが、実行は無理です。その時マリア様の声が。(ボタン電池を取り替えてみたら。)不思議なことに、復活しました。(それわたしの声や)どおりで荒々しい怒った声だと思った。その後も起動が遅くなったり、ブルースクリーンになるのでデータを移動しょうとドライブをみていたところ、長い間分からなくなっていたモン サン ミッシェル修道院の映像が、同年日付のなかの「新しいフォルダー」で見つかりました。これは新しいと誤解するでしょう。ウインドウで「何かのフォルダー」と出るようにしてください。(名前はその時にかえるのだ。長々と無駄話はやめろ。)
-
回廊から修道院付属教会を見ているところですが、はっと目が覚めました。
(今まで寝てたのね。)
そうです。7年間忘れていたフライングバットレスを今思い出しました。 -
コンパクトカメラ写真でも四倍に拡大するとかすかに判別できます。
よかった。よかった。(どうでもよかった)
ゴシック建築の3要素を全部見られたのに?
(今更何をいっているのさ。気まぐれ男の執着心なんか知るもんか。どうせ役に立たないことだもの。)
プティグランが,1894年ネオ・ゴシック様式の尖塔建設に着手、1897年大天使像を付けて尖塔は完成した。打ち出し細工をした銅像は軽さと耐久性から選ばれたものでしたが、たびたび雷に打たれ1982年の激しい雷雨で 危険な状態になったので、1987年ヘリコプターで像を下ろし、全面的な修復をしたうえ金めっきをし直して同年10月4日に元の位置に戻されました。
(その時の模型が展示されていました。)
大天使像を避雷針に使うのはいいけど、避雷針は雷を呼び込むので、導体を使って地面に流す設置装置がいるんだけど工事していますよね。
(付属教会でみたあの紐が導体なんじゃない。)違う。死ぬよ。多分躯体にとってある。 -
明るくし過ぎてフライングバットレスを見落としていたようです。
前回の写真に写ってました。奥さん、あれがフライングバットレス。
(あつ、そうですか。) -
前回の修道院の回廊 [Cloître] クロワトル
から再開します。
19世紀コロワイエが13世紀の回廊を改修しました。濃い青・赤・黄色の釉薬瓦の不思議な屋根にしましたが、不評で1962年フロワドヴォが赤紫色の列柱と調和のとれた緑を基調とする結晶片岩のスレートに吹き替えました。
(前回、キャブチャ写真が暗いので自動で写真を明るくしたところ、屋根の色目が変わりましたがグリーンです。前回分も入れ替えていきますが、すいませんでした。) -
回廊は中庭側は開放されていますが、外側は閉じています。
風が強いので、軒先を補強するためでしょうか、
2列に並べられた小さな柱が、わずかにずらせた形で組まれ、それが常に変化する視覚効果を作りだしています。
煙突が2本ありますが、移動するたびに、1本に見えたり、消えたりします。
北側はガラス窓、西側は3つのアーチ開口がありますが、ガラスで塞いでいます。 -
「この回廊をたどって建物間を移動することができるとともに、祈祷や瞑想の場を提供していました。」
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この回廊は、13世紀の初頭に建てられたラ・メルヴェイユと呼ばれる建物の最上階にあります。合同の食事室、教会にむかう巡回の道(chemin de ronde)への扉、古文書保管室に面しています。(古い共同寝室の扉でしょうか?)また、食事室を経由して厨房他、階段を使って、さまざまな場所に行けます。
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西側、3つの開口のうち真ん中が尖頭アーチの扉開口で、両端は丸アーチの腰窓開口です。いずれもガラスで塞がっています。
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中庭は防水工事を施したあと、薬草の庭が作られ、23種類の植物(アブサン、アイリス、ハッカ、パセリ等)が、色の特殊性、開花時期、高さに従って配置を工夫して植えられますが、冬はどうでしょう。
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食堂側に、螺旋階段塔と煙突が2本見えます。
祈祷や瞑想は教会や、食堂ですれば、ここで息抜きができます。太陽と土と水があれば、なにもいらないことに気付いてほしいのです。
祈祷の場と言わず、ドックラン(parcours de quai プラットフォーム走路)とでも言ってもらえたら、犬ではなく人間ですけど、2,3回走り回ったんですけど。 -
設計にあたっては、木構造や漆喰塗りを使うことで荷重の軽減をはかりました。アーチ型開口部の外観は精巧です。
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三角小間の彫刻 tympan(タンパン)アーチとまぐさに挟まれた部分
装飾に合わせて、明るい白が特徴のカーン産石灰岩で作られた回廊のアーケードは、その隅柱に、葉飾り、葉装飾、ブドウの枝模様が巧妙に彫られており、草木の繁茂とキリスト教の象徴と調和しています。 -
隅柱の割形と花形装飾は、赤とグリーンで強調されています。
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「斜めに配置された巧妙な柱構造が、漆喰塗りヴォールトの推力をを支え、アーチの安定性を確保しています。
5の目型に配置した2連の柱列を使用してアーチ部分を少なくし、実際の高さ以上にすらりとした印象を与えています。」
直下の写字の間の柱の位置とずれているので、細い柱を2列にして均等に荷重が分散するようにしているようです。 -
回廊の天井は先がとがった板張りヴォールトです。
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食堂の入口です。
Refectoire(レフエクトワール)食堂 -
印象的な光に彩られたこの食堂で、修道士が食事を取っていました。
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一人の修道士が南壁に設けられた教壇から読唱を行うなか、沈黙の内に食事が進められました。
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天井は板張りヴォールトの丸天井になっています。
防水性能はないので、屋根が必要ですが、そのままでは屋根を支えることはできません。母屋、垂木を組み合わせて屋根構造を構成しています。
補強タイトフレームも効いているようです。 -
この食事室の側壁には狭いスリット窓が作られていますが、窓の方立が柱として、屋根を支えています。
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スリット窓も方立(柱)も細身に見える様に装飾されています。
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先が長いので、出口に向かって進みます。
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食堂の出口に順路を示す看板があります。
SUIT DE LA VISIT (NEXT) 次
パブリックドメイン平面にわかる範囲で順路を入れました。 -
階段をおりて、ポーチにでて、
cuisine(キュイズィーヌ)厨房の下をくぐります。 -
(あれはなに)
なんでしょうか。忘れようとして思い出せない。私は良く知りませんので、専門家に聞きましょう。
(まあ一言どうぞ)
何故オベール司教に執拗に礼拝堂を作れと迫ったのか、ミステリーです。ノルマンディ一公?か、大工さんにいえば話は早い。モンテ・サンタンジェロの伝説ではシポントゥムの町を異教徒の侵略者から守るから礼拝所を作れと言われたから、張り切って作ったんでしょう。モンサンミッシェルの伝説では執拗に礼拝堂を作れというだけで、頭に穴をあけられたから礼拝堂を作ったという伝説では理不尽ではないでしょうか。(そんなことで泣くな。伝説なんだから) -
賓客の間(迎賓の間)です。
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食事室の 真下に位置します。
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暖炉が2基あります。
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この部屋は王や貴族たちを迎えるために使われました。
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天井を見ましょう。
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ゴシック様式の特徴である交差リブが、
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シャルトルでは、暗くて高い位置なのでよくわかりませんでしたが。近い位置でよく見えます。
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賓客の間はここから入ったんですか。
(じゃ、どこからはいったの。) -
次の太柱の礼拝堂に進みます。
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階段を上がるんですか。
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一旦外にでました。
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また入口が見えます。太柱の地下礼拝堂です。
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(階段で上がったところが、地下なんでしょうか。2階の賓客の間からきたから2階よね。)
岩より上にあるから2階か、岩は地盤なのか、傾斜しているし、平均地盤面と地盤面の関係が難しい。大階段の下にあるときはなんとしょう?
(やかましいですね。) -
暗い。言うほど2階か?
天井に修道院付属教会内陣のガラスの入った開口穴が見えます。 -
この礼拝堂は修道院付属教会のゴシック様式の内陣を支えるために 15世紀の中頃に作られました。
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キャブチャ写真も真っ暗。暗いから分からないまま進みます。
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ここはまだ、柱が太くて、交差リブになっている。
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ここはサンマルタンの地下礼拝堂ですか。
(わたしに聞くな)
ロマネスク様式の礼拝室は、西暦1000年を超えた頃に修道院付属教会のトランセプト・南側の基礎として建てられました。全長9メートルにおよぶ印象的なヴォールトが配されています。 -
いつの間にか、大車輪の間に出ました。
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修道士の納骨堂であった巨大な車輪の間に通じていました。
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車輪は、修道院が監獄とされたことを受け、囚人の食事を運ぶために1818年に設置されました。
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ここにあるのは中世期に建築現場で用いられていた車輪のレプリカです。
-
窓開口か。
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ここもサンマルタンの地下礼拝堂につながっているから、地下です。
(言うほど地下か?)
外からみると、円滑に食料を運ぶための台車用のスロープがありましたね。 -
大階段の下に位置するから、
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地下なんでしょうか。
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サンテティエンヌ礼拝堂に向かって進みます。
-
サンテティエンヌ礼拝堂は、19世紀初頭に崩壊した診療の間と修道士の納骨堂の中間に位置します。
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ここで、亡くなった修道士の埋葬に先がけて遺体を処理して装束を着せ、通夜が行われていました。
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サンテティエンヌ礼拝堂はフランス読みですが、日本語では聖エティエンヌ(聖ステファノ)、ウィーンのシンボルともいえるサン・シュテファン大聖堂のシュテファンです。キリスト教における最初の殉教者です。
ピエタ像がありますが、頭部が破損しています。 -
南北をつなぐ階段です。
階段途中にノートルダム・スー・テール礼拝堂に入る扉が見えました。
ノートルダム・スー・テール(地下の聖母マリア礼拝堂)ノートルダムは 「我らの貴婦人」、聖母マリア様を指します。
(言うほど地下か)
公式ガイドは、地下です。 -
階段をたどっていくと、修道士の遊歩道に出ることができます。
-
口マネスク様式の修道院に属していた二重身廊式の細長い空間に、リブヴォールト式の天井ですね。
-
(修道士の遊歩道はなんで遊歩道なんですか?)
回廊の方が遊歩できる?(ね。) -
この革新的な建築は、12世紀中期に誕生するゴシック様式を示唆しています。
-
上にも開口がありますね。
-
(修道士の遊歩道は地下になるの?)
いうほど、「ゆうほどう」ですね。 -
修道士の遊歩道の天井を見ながら歩いていると、
-
写字の間の入口に着きました。
(ここは2階ですね。)
メルヴェイユ棟の2階です。 -
写字の間
再びラメルヴェイユ内に設けられた間に戻ります。 -
回廊を支えるために建てられたゴシック様式の大広間です。
-
この大広間で、修道士が写本を行ったり、写本を研究したりしていました。
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写字の間の天井と窓1
-
写字の間の天井と窓2
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今日、200を数える中世期の修道院の写本がアヴランシュに移管されています。
-
ガイドさんの説明をきいていますが、イヤホンで聞こえるだけで、ビデオには音が残っていません、
-
次の見学コースと言っても、何がある?
-
最後の螺旋階段を下りていきます。
-
誘導灯が見えてきました。
-
(ここはどこ)
修道院の書店・売店ですね。 -
柱も天井も白く、天井が交差ヴォールト形式で装飾リブを付けていないので、すっきり見えますね。
-
『ごめん。チラシ配るの忘れてた。』
(ぎゃ)
良いんですよ。美人ガイドさんなら。
(何だと) -
『さあ、出ましょう。』
添乗員さんが呼んでますよ。
最後は、司祭の間(施しの間)15で、迎賓の間の下に作られています。ここでは修道僧たちは貧しい人たちやあらゆる境遇の巡礼者たちを迎え入れていました。 -
(いやじゃ、もう一度見る。)
だめですよ。もう時間がない。
ここが最後の見学場所となるツアーが後年あるようです。これだと奥の扉から西側に出られます。
かって食料を保存する貯蔵庫として用いられ、今は姿を消した大車輪が配されていました。現在は、修道院の書店・売店が配されています。 -
(疲れた。ここに入る?)
コーヒーください。
(日本語かい。)
『閉店です』
日本語かい。
この後どう帰ったか記録がないのでわかりません。
(お疲れのところ見ていただいて有難うございました。今晩はゆっくりお休みください。)
ごゆっくりお休みください。次回はパリに行きますので、さらに疲れると思います。
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