2018/02/09 - 2018/02/14
304位(同エリア384件中)
noriyosiさん
- noriyosiさんTOP
- 旅行記43冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 12,694アクセス
- フォロワー3人
2018年2月フランスへ行こう6日間の旅3(2.5)回目
2018年2月9日から2月14日の予定でフランスを旅行しています。
2回目の海外旅行になります。日程はこんな感じです。
2018年2月 9日 1日目 地方空港から羽田空港まで
羽田空港からパリ空港
バスでロワシーのホテルまで
2018年2月10日 2日目 バスで移動
午前 シャルトル大聖堂
午後 シャンボールシャトウ
バスでトゥールのホテルまで
2018年2月11日 3日目 トゥールからバスで移動
モンサンミッシェル
モンサンミッシェル近くのホテルで一泊
2018年2月12日 4日目 モンサンミッシェルからバスで移動
パリ市内観光
ルーブル美術館
そのあとパリで一泊
2018年2月13日 5日目 バスでオプションツアー
(私たちはヴェルサイユ宮殿に行きます。)
パリ空港から羽田空港まで
2018年2月14日 6日目 帰国
羽田空港から地方空港
バスで帰宅
正味4日間のフランス旅行記です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
今日は2018年2月10日(まだ2日目!)忙しくて更新できませんでした。
午前中シャルトル大聖堂を訪問しました。
午後はシャンボールシャトウです。この後アンポワーズ城館にも近くまで寄りますが、入場せずに下車観光になります。
ツアー旅行のため、入場しない下車観光が多いですが、ここは入場観光になっておりますので楽しみにしておりました。
(意地を張らずにシャンボール城でどうです。)
そうしますけど。
ここが中世の城であれば『敵からの防御を意図した構造物が無いので時代錯誤』
『煙突や階段塔がたくさんある要塞化された中世の城の様式は時代遅れ』とか
『イタリアのルネッサンス建築から借用した、開いた窓、ロッジア、最上部の広大な屋外エリアなど、建築の一部の要素は、寒くて湿気の多いフランス北部ではあまり実用的ではない』とか言えるでしょうが、
お城のようなシャンボール城は軍事施設ではなく、ブロワ城に付属する狩猟の際の短期宿泊施設でした。ここに住む気はなかったので居城でもありません。
美しく装飾化された煙突や階段塔、ルネサンス風の外観は当時としても最先端で現代でも魅力的な建物です。お堀や川、庭園が整備されたのはルイ14世からでした。
(曲がっているよ。) -
アンポワーズ城は1492年シャルル7世から度重なる改修を始め、フランボワイアン様式にコルトナがルネサンス風の装飾を加えました。内部の広間はゴシック様式が残っています。
シャルル8世は1498年、低い戸口にうっかり頭をぶつけ、それが元でこの城で亡くなりました。(前に聞いた)
近くにあるサン・ユベール教会堂の方が突塔などを見るとフランボワイアン様式ぽいです。(ぽい。)
1515年アンボワーズ城近くのクロ・リュセにレオナルド・ダ・ヴィンチを呼びよせました。
フランソワ1世は1514年20歳のとき又15歳の従妹のクロードと結婚した。生まれ育ったアンポワーズ城に住みましたが、愛妻がこの城を嫌がったので愛妻のためブロア城に移し居城にしました。10年間の結婚生活で7人の子女に恵まれましたが、度重なる出産と愛人問題で次第に衰弱して1524年にブロア城で他界しました。
(こらフランソワ、いかんじゃろうが!)いかんです。奥さんをもっと大切にしょう。夫人が亡くなってからはブロア城には寄らなくなりました。1525年のパヴィアの戦いで敗れ捕虜になったのは何かの因縁でしょうか?
ブロアの偉い人、アンリ2世夫人のカトリーヌ・ド・メディシスもブロア城で亡くなっています。 -
かって12世紀要塞だったルーヴル城をフランソワ1世が王宮にすると宣言して、ルーヴル城のドンジョン(地下に遺構が残っている)を壊し、ルーヴル宮殿として改築しました。が、なんとルイ14世が、ヴェルサイユ城(元は狩猟小屋)をヴェルサイユ宮殿にしたので、ルーヴル宮殿は美術品のコレクションを収容する施設になりました。フランス革命のあと、ルーブル美術館に正式になるのは1793年です。(何の話?)
ヴェルサイユは、フランスではPalais de Versaillesもchâteau de Versaillesも使いますが、日本ではヴェルサイユ宮殿1本です。お城はどこにいったん。(お城じゃなくなったから。)シャンボールシャトウはどうなん。
(意地を張らずにシャンポール城。早くヴェルサイユに行こう。)
すいませんでした。シャンポール城は500年の間に色々ありました。ルイ14世が使ったことも、元帥邸になったこともありました。いつか木造の塔屋が燃えた位で、戦時中は比較的安全なので、各地の美術館から美術品を集めて保管場所として使いました。
ここを攻撃するのも、守る拠点とするのも敵、味方とも効率がわるい。普通はパリは燃えているかになります。
(話が長い。いくよ。)行ってらっしゃい。これ、待ってくだしゃれ。 -
(駐車場から歩いてきました。観光用の付帯建物が見えますね。)
法律上、シャンボール城の周囲50m以内に許可なくして建物は立てられません。
すこし離れたここには、ホテルレストラン、ワインハウス、レセプションホール、有料トイレなどあります。 -
(このあたりは観光シーズンには賑わいますね。)
この辺りはカフェテラスになります。
入場者数は姫路城は150万、ここは城下町でも無いのに75~110万も訪れます。 -
シャンボール城が見えてきました。庭園の正面から撮れないので、パブリックドメイン ジャック・アンドルーエ・デュ・セルソーの銅版画(1576年)を付けました。実際のファサードとは少し異なりますが、改修によるものかどうなんでしょう。どこが違うか楽しんで見てね。
(楽しいか)円搭に名称がついているようです。左から
Tour de la Chapelle(礼拝堂チャペル)
Tour Dieudonné (ルイ14世Louis-Dieudonnéにちなんだ搭か、奇跡の子の意?)
Tour François Ier(フランソワ1世の塔)
Tour Robert de Parme (パルマ公ロベールの塔はシャンボール伯の甥で、シャンボール城の財産を相続された方の名が付いています)
フランソワ1世はTour François Ierには宿泊せず、Tour Robertに引っ込んでしまいました。先妻を亡くされたあと、1530年和解のしるしとしてカール5世の姉と再婚されたのが影響しているのでしょうか。 -
西南奥の村の教会も見えますか。
(曲がってる。)
5年後に水平維持ができるGOPRO10で撮りますのでそれまでお待ちください。(まてんやろ。)
アクションカメラは音も拾ってくれるので、つまらない会話も再現できます。写真だけではどこで撮ったものかもわからなくなります。
(自分の小遣いで買いなさいよ。)
西の円搭は礼拝堂チャペル(Tour de la Chapelle)です。外から見るとここだけ突塔に十字架を設置しているのでチャペルと分かります。アンリ2世が手掛けました。
アンリ2世は1559年6月30日、和解のためアンリ2世の娘エリザベートとスペイン王フェリペ2世の結婚を祝う宴の一環で行われたモンゴムリ伯爵との馬上槍試合がもとで事故死します。 -
ミシェル・ド・ノートルダム Michel de Nostredame(ノストラダムスはラテン語綴読みです)は医者、占星術師です。ノストラダムスの予言集のなかのアンリ2世の事故死を予言したとされる予言詩です。
百詩篇第1巻35番
Le lion jeune le vieux surmontera,
En champ bellique par sigulier duelle:
Dans cage d'or les yeux lui crèvera:
Deux classes une, puis mourir, mort cruelle.
若きライオンは老いたるに打ち勝つだろう、
一騎討ちによる戦いの野で。
黄金のカゴの中の両目を、「彼」は引き裂くであろう。
二艦隊の一方、そして死す、酷き死。
ノストラダムスは予言集出版2~3か月後1555年に、アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシス夫人に謁見しています。予言しているなら、事件が起きる前にひとこと言ってあげればいいのに、何を予言したか気づいていないようで、カトリーヌ宛ての献辞では、1559年を世界的な平和(la paix universelle)」の年としています。
事件前にはアンリ2世は年上のカール5世に戦場の一騎で勝つと読んで謁見は成功しているようですが、フランソワ1世もアンリ2世もカール5世には敵わず、いずれも和解の方策をとっています。
このころ既にカール5世からフェリペ2世にスペイン王を譲位していました。ライオンは獅子の紋章をあらわすというなら、獅子の紋章で有名なハプスブルク家の若いスペイン王フェリペ2世が一騎討ちで年が上のアンリ2世を負かしたという解釈が無いのが不思議なくらいですが、史実ではモンゴムリ伯爵なので、消えていったのでしょう。
凡人の私はサーカスなどのキャンプで2頭のライオンがおりの中で争って1頭が亡くなるという予言かと。(違うよ。)
『若いライオンは老いたライオンに勝つ。
決闘のあと戦いの場所で
金ぴかの檻の中で彼の目は破裂する。
2 つが1つになり、その後、死、残酷な死。』 -
事件が起きた直後はこれが予言が的中した詩とされた。
百詩篇第3巻55番
En l'an qu'un oeil en France regnera,
La court sera à un bien facheux trouble:
Le grand de Blois son ami tuera,
Le regne mis en mal & doute double.
フランスに隻眼が君臨するであろう年に
宮廷は非常に悩まされる困難に遭うだろう。
ブロワの大物が友を殺すだろう。
王国は悪くなり、疑念は二倍に。
当時のある詩人がgrandを grain(穀物の粒)と読み替えると、モンゴムリ伯爵Gabriel de Lorgesとorge(オオムギ)と名前まで通じるから予言が的中したというのを聞いて、ノストラダムスはあなたの解釈は素晴らしい。あなたは真の友人です。と褒めたそうです。
これがモンゴムリ伯爵がアンリ2世を事故死させた予言になるのか?どう読んでもノストラダムスは、その後のモンゴムリ伯爵とヴァロワ朝の運命を描いているとしか私には思えません。
意訳すると、
『アンリ2世は君臨する年に、片目になり
宮廷は非常に残念なトラブルに見舞われる。
ブロワの偉い人が(事件の前は)友だった人を殺す。
その後は危険と疑惑が2倍の治世となる。』
ブロワの偉い人、カトリーヌ・ド・メディシス夫人はモンゴムリ伯爵を憎みました。
モンゴムリ伯爵ガブリエル・ド・ロルジュ(Gabriel de Lorges, Comte de Montgommery )は宮廷から逃亡し、プロテスタント支持に転向し、ユグノーとして、王国と全面対決しました。
1572年8月24日、カトリックによるユグノーの大量虐殺が起こり、ユグノー戦争は再開されたが国王軍の侵攻にあい、ついに投降し、1574年6月26日パリ市庁舎前のグレーヴ広場で処刑されました。
その後のことですが、アンリ3世は暗殺され、ヴァロワ朝最後のフランス王となります。後を継いだアンリ4世はカトリックとユグノー(プロテスタント)の融和を図りようやく戦争を終結させブルボン朝が開かれることになりましたが、1610年狂信的なカトリック信者に暗殺されました。
(アンリ4世はプロテスタントになったりカトリックに改宗したりメチャクチャ。訳分からんから詳しくは歴史書を読んでください。) -
最後にひとつ。
百詩篇第10巻72番
不吉な予言と言われたmois, eurで韻をとる綺麗な4行詩ですが、bonheurボヌールとは幸せなことですよね。
Lan mil neuf cens nonante neuf sept mois (nonanteは古語で90)
Du ciel viendra un grand Roy d'effrayeur (viendraはvenir(来る)の活用形。)
Resusciter le grand Roy d'Angolmois,
Ayant apres Mars regner par bonheur (Marsは戦争の神、火星)
1999年7の月のこと、
空から恐るべき偉大な王が来て、
アンゴルモアの偉大な王を蘇えらせ、
幸いに君臨する、マルス神に続いて、
本当に頭のいい人は
フランス語の文献をわざわざ英語からの重訳で日本語に訳したがるのだが、
フランスの歴史を知ると、アンゴルモアの偉大な王がフランソワ1世を指すとわかる。
凡人の私が仏和辞典を一語一語引いて意訳すると、
『1999年7の月、空に恐るべき力を持った彗星が現れ、
フランソワ1世の生まれ代わりが誕生する、
マルス(軍神)の加護のもと幸運にも君臨するだろう。』
まだ20歳台ですが、そろそろ頭角を現すことでしょう。
(違うよ。)違うんですか。
それなら、1999年2月3日と12月26日にヴェルサイユ宮殿の庭園が空からの大型の暴風により大被害を受けました。樹が1万本ほどなぎ倒されたのです。
1999年7の月とは中間の月を表したか?後で見たヴェルサイユ宮殿の庭園は不思議な力で綺麗に復旧しておりました。
(違うでしょうが。)予言とはそういうものです。ノストラダムスは優れた医者で民間食事療法のジャム論で人気をはくし、社交術にたけていたようでフランス王家に取り入りました。
1564年には、摂政として政治を担うカトリーヌ・ド・メディシスに当時14歳の国王シャルル9世の「常任侍医兼顧問」に任命された2年後、病気により62歳で没しました。 -
南翼棟入口porte royale(王の門)から入ります。2016年6月シャンボール一帯が水につかりました。イメージをボカシ入れでいれましたのでどうぞ。(シャンボールが幻想的に見えたようです。)
川と堀がある北と東側は水没しましたが、設計地盤を上げていたおかげでしょうか、実際は西と南側は免れました。四周堀にして、跳ね橋で渡るようにしておけば完璧に水没して幻想的に見えたのに残念ですね。 (やかましいですね。)
(シャンボール城は左右対称です。)
ほぼ対称に見えますが、対称性が一部欠落しています。部屋の用途、構成が違うためです。
(シャンボール城は広大な敷地の中にあり、実写版の美女と野獣の城のモデルになりました。)
なんとなく違うような。映画担当者はイメージしたと言っているだけです。内部もロココ調で階段も全く違って見えます。
(そっくりでしょうが。)
シャンボール城がルネサンス様式の水平強調に対し、ディズニーのアニメ版は山城、実写版も、オーストラリアの実写版もアシンメトリー(完全非対称)の中世風の垂直高さ強調のお城で、ディズニーランドの『ビースト・キャッスル』は中世風変節複合様式、つまりかって存在しない新様式ですか。
(そんなこと言っていいのかな。それでいいじゃん。)よかったですが、現地でみると色々な発見があります。
敷地のシャンボール公園は85%が森林保全区域、禁猟区で運営費確保のための伐採しかできません。地方道、池、川、遺構があって宅地に相当するのは5%で、シャンボール城が森の中ではなく、森からはずれた庭園の先にあっても、お城でなくても、左右対称でなくても、ルイ14世のときから部屋数が減っても、77の階段のうち中二階に上がる階段は使われなくても、煙突が380本なくて、暖炉が282基あっても集合煙突になっているので煙突が少くてもシャンボール城の価値が変わるわけでもありません。旅行サイトや評論には写真等が頻繁に載って楽しいし芸術的な記載は役に立ちますが、鵜呑みにしないで穿った的確な記載になっているか、現地で落ち着いて静かに見てね。時たまテレビのCMでみる夕暮れのシャンボール城は感極まるものがあります。
(ぽか。ぼか。)痛い。(行くよ。) -
国立のシャンボール城ミュージアムになって、翼棟にレストランやらショップやらトイレが出来ました。姫路城の千姫の間をショップにしたような感じですが、外部に建物を建てるのは事実上不可なのに、内部改造はいいのでしょうか。
(いかんかい。)便利でした。はい。
エントランスの2重ガラスドアから入ります。北面に木製の搬出入用の扉、東面にショップ出口のガラスドアが見えます。退出時はショップを通り抜けてここからエントランスに出ました。 -
(行くぞ)行けるの。
セキュリティチエックはありませんでした。(通路にセンサーが付いてあったのか、省略したんでしょう。) -
中庭に出ました。いよいよ入場です。
正面はフランス語でdonjon(ドンジョン)です。古いガイドブックでは主塔になっていました。
とある日本の城の英文パンフレットで天守閣にdonjonと当てたら、めったに使わない言葉であるし、ここには悲惨な歴史があったのかと言われ、(castle) main towerに変更したそうです。
donjonはフランスでは古いけれど普通の言葉ですが、英語圏ではほぼ死語です。英語のdonjonはフランスからの外来語ですが、発音しにくいようで、dungeon(ダンジョン)と言い換えられました。keepもあわせてて古臭い語感があるようです。そこには地下牢も、処刑場に斧もありました。(怖い)
そもそもdonjonは天守閣ではありません。ここは館主が変わっても歴代の居住区がありました。日本の城主も普通下の本丸御殿に住んでいましたから、本丸か主棟が正確ではないでしょうか。ここの主塔は中央階段塔です。(フランス語の天守閣はgurande tour、物見櫓はtour de guet)
近世の命名ですが、奥に見えるのは
ベリー公爵夫人カロリーヌの塔(Tour Caroline de Berry)
マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン・シシルことベリー公爵夫人はアンリ5世の母です。 -
アンリ5世の塔(Tour HenriⅤ)
シャンボール伯アンリ・ダルトワはフランス・ブルボン家最後の王位継承候補、王政復古が実現すればアンリ5世となられた人物です。特異な出生のため奇跡の子といわれました。
一度は王政復古になったものの、再び1830年、七月革命によりブルボン王家はフランスから追われました。 -
1階 玄関ホールです。天井は直天で木造の梁と根太は表しのままです。
二重らせん階段は8本の石柱と4方から壁から出た石梁で支えられています。光の筒の様に見えます。 -
中央の2重螺旋階段で一気に3階まで上がります。
「中央の階段は上がる人と下がる人がすれ違うことなく行き交うことができる。」
芸術的でミステリアスな不思議な表記ですが、2つの別々の階段を使うわけですから、中央の北側の階段から上り下りする人は、南側の階段から上り下りする人とは合わずに行き交うことができます。
(身もふたもないじゃろが。)身もふたもありませんでした。
階段の周りをぐるぐる回りましたが、階段区画が全くありません。日本では3階に居室のあるシャンボール城ミュージアムは耐火建築物となるべきでしょうが、フランスでは当時はそんな法律がなかったので遡及しなくてもいいのでしょう。いわば十字型の階段ホールが目の前に広がり、そこに暖炉が設置されているのです。3階の階段ホールの天井は石のヴォールトですが、1,2階の天井は木組み下地に上部の床側は石貼でした。階段室型ではなく、ホールに劇場がある居室型ホールで火気使用室、竪穴区画が無く、この階段は煙の通り道になる。素人ながらこのことがむしろ不思議な気持ちで通路にでました。 -
(3階ホール東)
気を取り直して3階主棟南の扉を開けて通路に出ます。
何を思ったのか、外気にふれると頭が冷えて2方向避難避難型の開放廊下とバルコニーの関係が頭に浮かびました。 -
(通路からの東翼棟と遠景)
「趣味の世界ですがバルコニーとベランダの違い」
英balcony、仏balconともイタリア語balconeが起源で原義は角材・梁です。2階から上にあります。
英仏伊ともverandaはヒンディー語の柱廊で、1階にあり屋根が付いています。
日本語のマンション、共同住宅における説明でどちらも2階からあり、屋根がないからバルコニー、屋根があるからベランダ、というのは住宅産業系用語です。グーグル翻訳にかけるとどちらもbalconyとなるはずです。彰国社の建築大辞典一版にはバルコニーだけで、ベランダの記載はありません。
建令第126条第1項、消防法施行令、消防庁告示にもバルコニーその他これに類するもの(以下「バルコニー等」という。)でベランダがこれに含まれるというスタンスでベランダの語句は出てきません。 -
(南東円塔と通路)
-
外部からみた開放廊下と塔の関係です。
-
円搭側は部屋が2層になっています。その床組みは木下地です。
-
さらに進むと通路は部屋の扉で行き止まり、左側は小らせん階段でしょうか。
左の扉からはいりますか。
(あかんよ。) -
狩猟の間前室1
天井が低いのは上に・・・(奥へ行くよ。) -
狩猟の間前室2
-
狩猟の間前室3
展示ケースを見ないの?
天井低いね。 -
(狩猟の間1)
天井が石のヴォールトでなく、木組みに塗装しているのが分かります? -
(狩猟の間2)
窓に内戸ついているの分かります?風が強いからでしょうか? -
(狩猟の間3)
タペストリを壁につけて…(見たらわかる。)
怒ってます?(うん)
壁につけているけど燃えたら? -
3階ホール ヴォールトの間南
展示の間にいきますか。 -
寒風を防ぐための扉か。 Fの字とフルードリスのついた木製扉を押して通路に出ます。
(ゆりの紋章は実はアイリスです。)
『fleur-de-lis』フルール・ド・リスの話を少ししていいですか。
『fleur-de-lis』の紋章は伝説ではクロヴィス王まで遡ります。(古くはflour de lys リス川の花、または百合の花。ガリア地方に咲いていた伝説の花が何か興味があります。) -
フランク王国は狩猟民族から興りましたので、ドゴールはフルール・ド・リスは三つの刃を持つ槍を花に似せた図案であると考えました。
(ゆりかアイリスかといえばアイリスでしょう。)
兎に角、伝説では国を治めるのにカトリックに改宗が必要と考えてマリア様の象徴である百合を紋章の名前にいれましたが、絵ですけど見てください。
ゆりかアイリスかといえば、三つの刃を持つ槍を花に似せた図案でしょうか。
(わたしに聞くな。アイリスでしょうが!)
パブリックドメイン クロヴィス王の絵
シャルル5世の絵(ほぼ肖像画)
パブリックドメインが無いのでケベック州の旗を代用フルール・ド・リス
パブリックドメイン ポンペイの壁画: イクシオンの懲罰
玉座に座るヘラ(ユノ)の後ろにいるのがイリス神(アイリスさん)です。パチバチ
結婚相手の父を殺し、主神ゼウスの妻を誘惑しようとする、不届き者のイクシオンは燃えさかる車輪に縛り付けられ、空中を絶え間なく回転し続けることとなった。 -
アイリスのまとめ(フリーイラスト写真の皆様有難うございます。)
左赤系はジャーマンアイリス、黄白はダッチアイリス、上中央はカキツバタ、花ショウブ、あやめ、シャガ、イチハツですが、いずれがあやめかカキツバタか分かりますか。
(うん。シャガかイチハツもわかる。)え、なんでわかったの。すごい。私が間違っているかもしれないのに。(ぽか、ぽか)アイリスは原種から園芸種に変っているけど。
ランダムハウス英和辞典2版で『fleur-de-lis』を引いて不思議なことに気付きました。
1.フラ・ダ・リはひもで束ねられたゆり(イチハツ)の三枚花弁に似た紋章。フランス王家の紋章
2.イチハツ
5~6世紀からの話をしているのに、10世紀も時間を超越したような記載です。
それはどちらも中国原産で、シャガは日本では室町時代に入ってきたのを18世紀ヨーロッパ人が持ち帰りIris japonica(日本のアイリス)と、イチハツは屋根にあるのを見てIris tectorum アイリス テクトラム(別名:ジャパニーズルーフアイリス)と名付けたのです。
『ユリとアイリスの混同は驚くには当たらない。植物学上の分類はシェイクスピアまでの時代にはそれほど正確ではなかった。ためらうことなく「ユリ科」にアイリスだけでなく、ラッパズイセン、チューリップ、ヒメヒオウギ、さらには蘭まで含めた。神話のiris神がアイリスという植物の名で現れるのは14~15世紀初めです。アイリスがユリ科と離れてアイリス科になったのは、その後19世紀になってからです。』
チューリップはゆりの仲間ですが、ヒメヒオウギはあやめの仲間ですね。
カキツバタを青の楕円に入れてみました。
(いれてみるな)
なんとなくハエに見えませんか。
(みえん)
あなたは正常です。
カキツバタのイラストに名前を入れました。内花被片(花弁)、花柱は雌しべが巨大化したもので後ろに雄しべが隠れています。外花被片はがくといわれ、それぞれ3枚あります。
フランスの『fleur-de-lis』の紋章のパブリックドメインが無いので、ケベック州の旗を代用しますが、アイリスには見えません。
ゆりを立てて見てみるとどうです、似てませんか。
(なんでややこしくするの。あやめ振興促進会に言いつけるぞ。)
私が私設促進会の会員兼小使いであなたは会長なんですが。
(兎に角、ゆりの紋章は実はアイリスです。)有難う、勉強になりました。
「フイレンツエの百合」も付けました。これは雄しべが見えていますがアイリス、あやめ系とも花柱(雌しべ)の裏に隠れていて見えないはず、雄しべの見えるゆりでは・・いえ何でもありません。。 -
(南庭園と遠景)
『ゆりのはなし』
(ラテン語起源の言葉は多い。ラテン語・ファリスク語群に属するインド・ヨーロッパ語族の言語で、紀元前には既にイタリアのラツィオ(ラテン語ではLătĭum )で話されていました。現在でも、世界で唯一の国家であるバチカン市国の公用語となっています。)
lily(英)lis(仏)とも百合です。もとになったラテン語のLiliumはjrj ḥrrt(エジプト do,make+flower)で、紀元前から見られます。日本では古事記にサイ(佐葦)とあります。狭井河(佐韋河)と呼ぶのは佐葦がこの河辺に咲いていたからです。(神武天皇の皇后となった伊須気余理比売命がお住まいの地です。)ゆりになったのは万葉仮名にあらわれる由利,由里等でゆれるから、漢字表示の百合は鱗片(根)がいくつも重なりあっているからです。 -
(工事中のようです)
『アイリスのはなし』イリスは虹の女神
花のアイリスはイリス神にちなんでつけられました。イリス神は虹を渡って地上におりてくる女神様です。
アイリスはギリシャ語が起源(曲がっているが原義)今は花の名前と虹彩、絞等が残り虹は古詩語に残るだけです。現代語の虹は rainbow(英)arc-en-ciel(仏)いずれも弓の形から。虹のギリシャ語も ουράνιο τόξο(空の弓)
神話によるとゼウス(ジュピター)に言い寄られてアイリスが困っているのをヘラ(ジュノ)が助けてくれました。(ヘラとは)ゼウスの奥さんです。ヘラクレスが義母のヘラの母乳を飲んだとき、力が強かったのでヘラが突き放したところ母乳が飛び散って天の川になりましたとさ。
イリス神はヘラが冥界からオリンポスに戻るとき、香水で清めるのが役目です。常にヘラの玉座の近くにおり、使者として命令を受ける準備をしています。ゼウスの使者としても働きました。
イリス神は美人です。派遣先で襲われそうになりますが、脚神速で、素早く逃げ帰ります。大抵襲ったものは後ろ盾がいるので悲惨な目にあわされます。
(何の話じゃ。) -
(通路をすすむと部屋の扉にたどりつきます。)
イリスはホメロスのイーリアスにも登場します。なんとトロイアの戦いに参戦しています。
第十一歌
ヂュウス(ゼウスのこと)使者イーリスをヘクトールに遣はし、アガメムノーンの勇戰の間は進む勿れ、其負傷して退く時に追撃せよと命ず。
プリアモス王うみいでし英武の將を見出しつ、
脚神速のイーリスは即ち向ひて陳じ曰ふ、
『プリアミデース・ヘクトール、聰明神に似たる者、
聞け、天王クロニオーンわれを遣はし、かく宣んす、
アガメムノーン、敵の王、先陣中に戰ひて、
トロイア軍勢打ち破る――これを汝の見る中は、
身を退けて加はらず、たゞ衆人に令下し、
混戰、猛に敵軍に向ひて奮ひ起たしめよ、
されど敵王槍を受け、或は飛箭に傷きて、
戰車に其身乘せんとき、神は汝に勇力を
與へて敵を討たしめむ、かくして汝漕座善き
アカイア船に近よらむ、日は沈むべし、夜は寄せむ』
トロイア軍は強敵です。アカイア(ギリシャ)軍はたびたび劣勢となってはや10年。この物語はそこから始まりますが、読めるものなら、著作権フリーの青空文庫を読んでください。 -
(展示の間前室)
やはり天井は低く木下地です。 -
(展示の間)
ここは天井は高いですが、木の梁と根太が見えます。
展示品は年ごとに変わるようです。 -
(次の部屋に行こう。)
-
3階ホール ヴォールトの間
螺旋階段は半周先行する北側の階段が上、南側の階段はそれを追いかける感じです。石のヴォールトは格天井になっていてサラマンダーとFの紋章が入っています。
(なかなか終わらんけどどうなっているの?)
書き残したことがあったので、生きているうちに入れないと2度と入らないので、骨身を削って無理筋で入れました。見てくれた方有難うございました。
(いいことをすればいいことが起こります。本当に有難うございました。)?まだ続くよ。次回お楽しみに。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
noriyosiさんの関連旅行記
ロワールの古城周辺(フランス) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
40