2023/01/27 - 2023/01/27
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ちふゆさん
2023年1月27日(金)夕方の6時過ぎ、新京極通を三条通から南に下がり、突き当りの四条通の1本北側の錦小路まで進むと、錦小路の突き当りに錦天満宮がある。錦小路については前に以下に書いた。
https://4travel.jp/travelogue/11814858
錦天満宮は京の台所として知られる錦市場の東の端にあり、学業に加え商売繁盛も御利益に謳われており、錦の天神さんとして親しまれている。主祭神はもちろん菅原道真公。
平安時代の1003年、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸であった菅原院の跡地にあった歓喜寺を、光源氏の実在モデル源融(みなもとのとおる)の旧邸・六条河原院の跡地に移築し、その鎮守社として創建されたのに始まる。菅原院は現在の京都御苑の下立売御門の向かいで、今は菅原院天満宮神社が建っている。
鎌倉時代の1299年に時宗六条派本寺の善導寺を迎え、六条道場・歓喜光寺と改称した。その際、天満宮はそのまま鎮守社とした。また、後伏見天皇より天満宮の神号の宸翰を授与された。
応仁の乱の後、寺・宮ともに高辻烏丸に移転したが、1587年に秀吉の命により歓喜光寺とともに現在地に移転、錦小路の突き当りにあることから錦天満宮と呼ばれるようになった。この頃の錦天満宮境内は1400余坪の広さがあったとされる。
1872年(明治5年)の神仏分離令によって歓喜光寺と分離される。歓喜光寺はその後の1907年(明治40年)に東山にあった法国寺と合併し、その所在地である東山に移転し、この地には錦天満宮だけとなった。なお、歓喜光寺はさらに1975年に現在地の山科区大宅に移転している。
新京極通に面した入口から境内に入るが、梅のマークが入った奉納提灯が沢山飾られていて、特に夜は灯が入って美しい。表側からだと見え難いが、内側から見るとここにも石の鳥居があるのが分かる。
鳥居と先の門の間にはブロンズの狛犬が置かれている(下の写真1)。門を抜けた右手には撫で牛と呼ばれる臥牛(下の写真2)。その奥の錦の水は地下35mから湧き出す霊水。京の名水の一つに数えられ、周辺の飲食店関係者を中心に水を汲みに来る人が絶えない。水温は、年中一定で17.8度に保たれている。花が飾られ花手水になっていた。
正面の社殿は1889年(明治22年)に焼失し、翌年再建されたもの。境内も狭くなり、かつての社殿よりも質素になっている。木造、一間社造、銅板葺の本殿と、向唐門形式の向拝を備えた拝殿からなる。拝殿は約2間x4間の規模で、神事・祭事を執り行うための空間を確保している。
拝殿の手前側には高い教養と優雅な美貌の随神さまが安置されている。左が若相、右が老相。また、奥には木製の狛犬も置かれている。
社殿の左前には人が近づくと神楽が鳴り出して獅子舞が踊り始め、コインを入れると獅子がおみくじを運んでくれくれるからくりみくじが、右手の社務所の前にはボタンを押すと拍子木の音が鳴り響き紙芝居が始まるロボットかみしばいがある。
社殿の左側にも奉納提灯や酒樽が置かれた手水舎があり、そこから奥へ塩竃神社、日乃出稲荷神社、白太夫神社、七社之宮が続く。塩竃神社は源融公を祭神とし、歓喜光寺が成立した際に創建された。かつては境内にあった千鳥ケ池の中之島に鎮座していた。
日乃出稲荷神社の祭神は倉稲魂命、白太夫神社の祭神は渡會春彦。七社之宮は八幡神社、床浦神社、竃神社、市杵島神社、熊野神社、恵美須神社、事比良神社で構成されている。社殿の北西角にある白梅は冬至梅で、冬至の頃から花が開く早咲きの白梅。もう咲いていた。
この日は寄らなかったのだが、錦小路の寺町通からの表参道に石の鳥居が建っているが、鳥居上部の笠木が両サイドのビルに突き刺さっている。1935年(昭和10年)に建てられたのだが、当時は周辺にはビルもなかったので問題はなかった。
しかし、その後道幅が鳥居上部の笠木を考慮せずに作られていたため、ビル化の際に問題となり、苦肉の策として笠木の分だけビルの壁を切り抜いた。ビルの中から笠木の端を見ることが出来るそうで、「ブラタモリ」などの番組でも取り上げられており、ちょっと有名。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.28023786063931385&type=1&l=223fe1adec
錦天満宮から新京極通を少し下がったところにロンドンヤと云う店がある。レトロなフォントとオレンジ色の看板が目印で、店頭から見える製造機械で、生産の工程が見える店。1947年創業なので、私も学生時代から知ってるわ。でも、食べたことないような気が・・・。
ロンドン焼は一口サイズのカステラ饅頭に白こしあんが入ったもの。創業当時はハイカラな響きだった「ロンドン」を名前にした。私には新京極と云えば、ほぼ50年間、この店のイメージがあるなあ・・・
新京極通が四条通に突き当たるすぐ手前の西側に染殿院の東門がある。鷹峯にある金蓮寺の境外塔頭で、安産祈願の寺として有名。染殿地蔵院とも呼ばれる。
平安時代の808年に空海によって創建された小堂に始まる。その約50年後、なかなか子供が出来なかった文徳天皇の后がこのお堂で17日の願掛けをしたところ、無事懐妊、後の清和天皇を出産した。后は染殿皇后と呼ばれていたことから、ご本尊の地蔵菩薩は染殿地蔵と呼ばれるようになり、またお堂は染殿院と呼ばれるようになった。
10世紀末、この一帯は、2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」に登場した65代花山天皇、66代一条天皇、67代三条天皇の叔(伯)父の為平親王の屋敷となり、染殿院は為平親王の御願寺とばり、為平親王は染殿式部卿と呼ばれるようになった。
元は真言宗だったが、室町時代初期にはどこの宗派にも属していなかった。しかし、1388年、足利義満により時宗の金蓮寺に寄進され、金蓮寺の塔頭となった。
間口の狭い東門を抜けると本堂があるが、幕末1864年の禁門の変で焼失した後に建てられた仮堂。なお、四条通とも出入りできるが和菓子屋の店内を横断する形となっている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.27973423702300955&type=1&l=223fe1adec
四条通に出ると向かい側に八坂神社御旅所がある。毎年7月17日の神幸祭に八坂神社からの神輿が渡御し、24日の還幸祭まで留まる場所。元々は烏丸仏光寺下ルの大政所御旅所と烏丸竹屋町下ルの少将井御旅所の2ヶ所だったが、1591年に秀吉の命によりここにまとめられた。
向かって右の西御殿(下の写真3)に中御座(素戔嗚尊:すさのおのみこと)と東御座(櫛稲田姫:くしいなだひめのみこと)、反対側の東御殿(下の写真4)に西御座(八柱御子命:やはしらのみこがみ)が並べられ、灯明・神饌が供えられている。西御殿は1901(明治34年)、東御殿は江戸後期の1837年の建立。西御殿の横には素戔嗚尊荒魂(すさのをのみことあらみたま)を祀った冠者殿社もある(下の写真5)。明治時代初期の建立。
6時半前、四条大橋の西詰南側の東華菜館に到着。戦後すぐに開店した北京料理店。ビル自体はヴォーリズ建築事務所による設計で、1926年竣工。この時は西洋料理店「矢尾政」が新しいビアレストランとしてオープンした。しかし、戦争で洋食レストランの存続は厳しくなり、オーナーの浅井安次郎氏が中国人の友人の于永善氏に託し、彼が戦後にオープンした。
この店のエレベータは1924年OTIS製で京都府内最古。神戸市の商船三井ビル、松尾ビルのものと共に日本に現存する最古級のエレベータ。店員が操作する手動式で、L字状に2箇所の出入口を有している。
久し振りに再会した先輩と楽しく夕食を戴いた。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8905902729479672&type=1&l=223fe1adec
以上
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