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2023年1月27日(金)6時頃、新京極通を北の三条通から南に向かうと、誓願寺前のろっくんプラザで、少し西にずれるが、この通りは明治に入ってから造られた通りなので、前述した遠見遮断ではない。寺の立ち退きの都合かな?<br /><br />ろっくんプラザから少し南に進んだ東側(南に向かって左手)にあるのが誠心院(せいしんいん)。戦前は「じょうしんいん」と呼ばれていた。正式には華嶽山(かがくざん)東北寺(とうぼくじ)誠心院と号する真言宗泉涌寺派の寺で、通称和泉式部寺。和泉式部が初代住職で、法名の誠心院智貞専意法尼に因んで誠心院との名が付いた。<br /><br />寺伝によれば、関白藤原道長が和泉式部のために、法成寺東北院に建立したお堂(小御堂)が起こりとある。当初は御所の東側にあったが、鎌倉時代に一条小川の誓願寺の南に移転し、さらに秀吉の命を受けた山口甚介秀康により天正年間(1573~91)にこの地に移された。<br /><br />和泉式部は、平安時代中期の代表的な女流歌人で、才色兼備で知られ、代々の勅撰集におさめられている和歌は247首に及んでいる。寛弘年間の末(1008~11年頃)、一条天皇の中宮で、道長の娘であった藤原彰子に女房として出仕していた。恋多き女として有名でもある。<br /><br />幕末の1864年の禁門の変で大きな被害を受け、1872年(明治5年)から始まった新京極通の整備で寺地を公収され、通りを隔てて境内地は二分された。1910年(明治43年)の火事で蔵を残してすべてが焼失し、1919年(大正8年)に本堂が再建された。<br /><br />新京極通に面する山門から境内に入る。1997年の再建。門の右手にある鈴成り輪(ぐるま)は和泉式部の古い灯篭の竿と台座を使った魔尼車で、お経が書いてある車を、お願い事をしながら手のひらでグルグルと回す。一回廻せば経典を一回読誦した功徳が得られる。知恵授け・恋授けのご利益があると云われる。<br /><br />山門を抜けると右手の壁には和泉式部縁起絵巻。寺に伝わる和泉式部縁起絵巻(江戸時代製作、上下2巻)の絵画部分をパネル形式にしたもので、2007年製作。和泉式部が女人往生を遂げるまでの上巻7場面と、謡曲「誓願寺」の題材ともなった一遍上人へのお告げと、式部が来迎の歌舞の菩薩と共にお迎えに来る様子の下巻6場面が描かれており、それぞれ主題、解説が記載されている。<br /><br />山門を抜けた正面が1919年再建の本堂。小御堂(こみどう)と呼ばれ、堂内には和泉式部が仕えた中宮彰子から賜わったとされる本尊の阿弥陀如来像や和泉式部、藤原道長のそれぞれの像が安置されている。<br /><br />本堂の右手には神変大菩薩石像。幕末の大火で消失した木像を再興した石像。下記の「百親音巡拝」成満を記念して建立された。「神変さん、水かけの行者さん」として親しまれ、役行者像に水をかけ祈念する。<br /><br />本堂の左側には式部千願観音像と百八観音石像。近年造られたもので、天正年間に建立された「阿弥陀如来と二十五菩薩石像」を再建し、「百親音巡拝」成満を記念して造られた。和泉式部を偲び、式部千願観音と命名された。式部千願観音は合祀タイプの永代供養墓で、その背面に立ち並ぶ百八観音は、分骨できる単葬タイプ。<br /><br />本堂の裏側に和泉式部の墓といわれる宝篋印塔(ほうきょういんとう)。塔身正面にのみ阿弥陀三尊の梵字が標されている珍しいもの。鎌倉末期の1313年に改修建立されたもので、高さ約4m、幅約2.4mある。<br /><br />後方には二十五菩薩が並ぶ。和泉式部が女人往生を遂げたことに由来するもので、この地に移転された際に、山口甚介により建立された。阿弥陀如来を中心に、両脇に観音菩薩・勢至菩薩など左右に25体の菩薩が並んでおり、石仏の二十五菩薩は珍しい。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.28023742940602364&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />誠心院を出て、少し南に進むと左手(東側)に永福寺。正式には浄瑠璃山林秀院永福寺と云う浄土宗西山深草派の寺院。ご本尊は薬師如来(蛸薬師)で、通称蛸薬師堂と呼ばれる。拝観は4時半までなので、中には入れなかった。<br /><br />平安時代末期の1181年に林秀と云う僧が、夢枕に現れた薬師如来の指示に従って掘り出した薬師如来の石仏を本尊として二条室町に創建した。室町時代の1441年には後花園天皇の勅願寺となった。1590年に秀吉の命によりこの地に移転。明治に入って行われた新京極通の新設により寺地が狭まり、現在に至る。<br /><br />二条室町の時代、この寺の僧が病身の母の求めで蛸を買ったが見とがめられ、進退につまった僧が日頃信仰する薬師如来に祈念したところ、蛸が光を放ちながら法華経八巻に変化した。その後法華経八巻はまた蛸の姿に戻り、永福寺門前の池に潜っていった。<br /><br />そして、その蛸が放った瑠璃光を僧の母が浴びたところ、病気はたちまち回復した。それ以来、永福寺は霊験あらたかな蛸薬師堂と呼ばれ、その本尊は蛸薬師如来、親しみを込めて「蛸薬師さん」と称された。このことから移転後、この寺を参拝する東西の参道を蛸薬師通と呼ぶようになった。<br /><br />その蛸薬師通を新京極通から少し東に入った南側にあるのが、安養寺。正式には八葉山	華台院安養寺と云う浄土宗西山禅林寺派の寺院。本尊の阿弥陀如来立像が8枚の蓮華を逆さまに置いた上に立っていることから倒蓮華寺(さかれんげじ)と呼ばれている。閉まってたので中には入ってない。<br /><br />由緒はきわめて古く、平安時代の1018年に現在の奈良県當麻(たいま)に建てた蓮台院が起こり。その後安養寺と改名した。鎌倉時代の天永年間(1110年~13年)に京都に移転。天正年間(1580年頃)、秀吉の命によりこの地に移された。<br /><br />倒蓮華の由来は、本尊を造った際に蓮座がどうしても壊れるので、蓮華を逆さにしたところ無事完成したとのこと。これは女人は業が深く、心の蓮華はさかさまとなっていて極楽往生できないので、これを救済するため、わざと蓮華を逆さにしたのだと云う。この伝説から特に女性の信仰が深い。<br /><br />蛸薬師新京極から少し南に進んだ左手(東側)にあるのが善長寺。徳川家康上洛の折りの定宿だった。室町時代の永正年間(1504年~21年)の初めに綾小路室町善長寺町に創建され、1591年にに秀吉の命で現在地に移転した。移転前に境内社として大原神社があったが、この神社は今も残っており、祇園祭の綾傘鉾の会所になっている。<br /><br />地蔵堂に祀られている立江地蔵は徳島にある立江寺の地蔵の分身として祀られている。鎮護国家、無病息災、延命の守護仏として深く信仰され、瘡神といわれる大原大明神の直作であるところから、「くさ」の神さん、「くさがみさん」と呼ばれている。門が閉まってたので地蔵堂も見てない。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.27973423702300955&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />錦天満宮に向かうが、続く

京都 中京 新京極 誠心院(Seishin-in,Shinkyogoku,Nakagyo,Kyoto,Kyoto,Japan)

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2023/01/27 - 2023/01/27

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ちふゆ

ちふゆさん

2023年1月27日(金)6時頃、新京極通を北の三条通から南に向かうと、誓願寺前のろっくんプラザで、少し西にずれるが、この通りは明治に入ってから造られた通りなので、前述した遠見遮断ではない。寺の立ち退きの都合かな?

ろっくんプラザから少し南に進んだ東側(南に向かって左手)にあるのが誠心院(せいしんいん)。戦前は「じょうしんいん」と呼ばれていた。正式には華嶽山(かがくざん)東北寺(とうぼくじ)誠心院と号する真言宗泉涌寺派の寺で、通称和泉式部寺。和泉式部が初代住職で、法名の誠心院智貞専意法尼に因んで誠心院との名が付いた。

寺伝によれば、関白藤原道長が和泉式部のために、法成寺東北院に建立したお堂(小御堂)が起こりとある。当初は御所の東側にあったが、鎌倉時代に一条小川の誓願寺の南に移転し、さらに秀吉の命を受けた山口甚介秀康により天正年間(1573~91)にこの地に移された。

和泉式部は、平安時代中期の代表的な女流歌人で、才色兼備で知られ、代々の勅撰集におさめられている和歌は247首に及んでいる。寛弘年間の末(1008~11年頃)、一条天皇の中宮で、道長の娘であった藤原彰子に女房として出仕していた。恋多き女として有名でもある。

幕末の1864年の禁門の変で大きな被害を受け、1872年(明治5年)から始まった新京極通の整備で寺地を公収され、通りを隔てて境内地は二分された。1910年(明治43年)の火事で蔵を残してすべてが焼失し、1919年(大正8年)に本堂が再建された。

新京極通に面する山門から境内に入る。1997年の再建。門の右手にある鈴成り輪(ぐるま)は和泉式部の古い灯篭の竿と台座を使った魔尼車で、お経が書いてある車を、お願い事をしながら手のひらでグルグルと回す。一回廻せば経典を一回読誦した功徳が得られる。知恵授け・恋授けのご利益があると云われる。

山門を抜けると右手の壁には和泉式部縁起絵巻。寺に伝わる和泉式部縁起絵巻(江戸時代製作、上下2巻)の絵画部分をパネル形式にしたもので、2007年製作。和泉式部が女人往生を遂げるまでの上巻7場面と、謡曲「誓願寺」の題材ともなった一遍上人へのお告げと、式部が来迎の歌舞の菩薩と共にお迎えに来る様子の下巻6場面が描かれており、それぞれ主題、解説が記載されている。

山門を抜けた正面が1919年再建の本堂。小御堂(こみどう)と呼ばれ、堂内には和泉式部が仕えた中宮彰子から賜わったとされる本尊の阿弥陀如来像や和泉式部、藤原道長のそれぞれの像が安置されている。

本堂の右手には神変大菩薩石像。幕末の大火で消失した木像を再興した石像。下記の「百親音巡拝」成満を記念して建立された。「神変さん、水かけの行者さん」として親しまれ、役行者像に水をかけ祈念する。

本堂の左側には式部千願観音像と百八観音石像。近年造られたもので、天正年間に建立された「阿弥陀如来と二十五菩薩石像」を再建し、「百親音巡拝」成満を記念して造られた。和泉式部を偲び、式部千願観音と命名された。式部千願観音は合祀タイプの永代供養墓で、その背面に立ち並ぶ百八観音は、分骨できる単葬タイプ。

本堂の裏側に和泉式部の墓といわれる宝篋印塔(ほうきょういんとう)。塔身正面にのみ阿弥陀三尊の梵字が標されている珍しいもの。鎌倉末期の1313年に改修建立されたもので、高さ約4m、幅約2.4mある。

後方には二十五菩薩が並ぶ。和泉式部が女人往生を遂げたことに由来するもので、この地に移転された際に、山口甚介により建立された。阿弥陀如来を中心に、両脇に観音菩薩・勢至菩薩など左右に25体の菩薩が並んでおり、石仏の二十五菩薩は珍しい。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.28023742940602364&type=1&l=223fe1adec

誠心院を出て、少し南に進むと左手(東側)に永福寺。正式には浄瑠璃山林秀院永福寺と云う浄土宗西山深草派の寺院。ご本尊は薬師如来(蛸薬師)で、通称蛸薬師堂と呼ばれる。拝観は4時半までなので、中には入れなかった。

平安時代末期の1181年に林秀と云う僧が、夢枕に現れた薬師如来の指示に従って掘り出した薬師如来の石仏を本尊として二条室町に創建した。室町時代の1441年には後花園天皇の勅願寺となった。1590年に秀吉の命によりこの地に移転。明治に入って行われた新京極通の新設により寺地が狭まり、現在に至る。

二条室町の時代、この寺の僧が病身の母の求めで蛸を買ったが見とがめられ、進退につまった僧が日頃信仰する薬師如来に祈念したところ、蛸が光を放ちながら法華経八巻に変化した。その後法華経八巻はまた蛸の姿に戻り、永福寺門前の池に潜っていった。

そして、その蛸が放った瑠璃光を僧の母が浴びたところ、病気はたちまち回復した。それ以来、永福寺は霊験あらたかな蛸薬師堂と呼ばれ、その本尊は蛸薬師如来、親しみを込めて「蛸薬師さん」と称された。このことから移転後、この寺を参拝する東西の参道を蛸薬師通と呼ぶようになった。

その蛸薬師通を新京極通から少し東に入った南側にあるのが、安養寺。正式には八葉山 華台院安養寺と云う浄土宗西山禅林寺派の寺院。本尊の阿弥陀如来立像が8枚の蓮華を逆さまに置いた上に立っていることから倒蓮華寺(さかれんげじ)と呼ばれている。閉まってたので中には入ってない。

由緒はきわめて古く、平安時代の1018年に現在の奈良県當麻(たいま)に建てた蓮台院が起こり。その後安養寺と改名した。鎌倉時代の天永年間(1110年~13年)に京都に移転。天正年間(1580年頃)、秀吉の命によりこの地に移された。

倒蓮華の由来は、本尊を造った際に蓮座がどうしても壊れるので、蓮華を逆さにしたところ無事完成したとのこと。これは女人は業が深く、心の蓮華はさかさまとなっていて極楽往生できないので、これを救済するため、わざと蓮華を逆さにしたのだと云う。この伝説から特に女性の信仰が深い。

蛸薬師新京極から少し南に進んだ左手(東側)にあるのが善長寺。徳川家康上洛の折りの定宿だった。室町時代の永正年間(1504年~21年)の初めに綾小路室町善長寺町に創建され、1591年にに秀吉の命で現在地に移転した。移転前に境内社として大原神社があったが、この神社は今も残っており、祇園祭の綾傘鉾の会所になっている。

地蔵堂に祀られている立江地蔵は徳島にある立江寺の地蔵の分身として祀られている。鎮護国家、無病息災、延命の守護仏として深く信仰され、瘡神といわれる大原大明神の直作であるところから、「くさ」の神さん、「くさがみさん」と呼ばれている。門が閉まってたので地蔵堂も見てない。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.27973423702300955&type=1&l=223fe1adec


錦天満宮に向かうが、続く

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