二条・烏丸・河原町旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2023年1月27日(金)夕方の5時頃、京都国際マンガミュージアムを出て、御池通の1本北の押小路通を東に歩く。600mほど先の1894年(明治27年)創業の京都玉の湯(下の写真1)がある交差点を少し北に上がる。<br /><br />この通りは御幸町(ごこまち)通。五条通から丸太町通までの南北の通りで、平安時代には存在せず、秀吉による天正の地割で新設された通り。秀吉が大阪(あるいは伏見)から御所に参内する時に使ったことから名付けられたと云う説がある。<br /><br />交差点から100mほど北の右手(東側)にあるのが京都御幸町教会(下の写真2)。全国に1000を超える洋館を建てたW.M.ヴォーリズ(William Merrell Vories)の設計で、1913年(大正2年)に竣工したもの。京都市指定有形文化財。<br /><br />尖頭アーチの窓、バットレスという控壁など、ゴシック建築の特徴が見られる。レンガは基本的にイギリス積みだが、窓の輪郭部分は芋目地と呼ばれる珍しい積み方。全体として荘厳なカトリック教会とは異なるプロテスタントらしい教会。<br /><br />折り返して南に下がり、御池通を渡って、御幸町通の1本東の寺町通に進む。寺町通は南の五条通と北の鞍馬口通を結ぶ全長約4.6kmの通り。寺町三条を境に南は北より少し西にずれている。平安京の東京極大路にあたる。<br /><br />元々は名前の通り平安京の東端の大路だったが、京都御所の移転により、現在は京都御苑の東を限る通りとなっている。秀吉による京都改造によって通りの東側に寺院が集められたことから寺町通になった。寺町三条のずれは、かつてその南一帯が誓願寺の境内だったことによる。<br /><br />かつては南北方向の主要な通りの一つで、今出川通から二条通にかけては路面電車が走っていたが、1920年代に河原町通が拡幅され、市電のルートもそちらに移った。現在は丸太町通から二条通までは、古美術店や画廊、古書店などが並ぶ。御池通から三条通までは、寺町専門店街で、新京極通と平行する三条通から四条通までは寺町京極商店街。いずれもアーケード街。四条通から高辻通に掛けては、我々の世代には京都の電気街だったが、2021年に全て無くなったそうだ。昔はいろんなもん買ったのになあ・・・<br /><br />御池通から三条通までの約200mほどの寺町専門店街は、東側に移転させられた本能寺、天性寺、矢田寺が並ぶことから仏教書・額縁・美術工芸品などを専門的に取り扱う店が並ぶようになり、1972年に振興組合が創立されたアーケード街。<br /><br />本能寺(下の写真3)は室町時代の1415年創建の、あの有名な本能寺なのだが、この地に移転させられたのは秀吉の命で、1591年のこと。本能寺の変の際には六角西洞院辺りにあった。天性寺(下の写真4)は安土桃山時代の1577年創建。1587年に豊臣秀吉により現在地に移転した。矢田寺(下の写真5)は平安時代初期の創建で、1579年に現在地に移転。これも秀吉の命による。<br /><br />三条通から寺町京極に進まず、新京極通に進む。三条通と四条通の間、約550mほどの短い通りだが、京都でも有数の繁華街。1872年(明治5年)に後に2代目の京都府知事となった京都府参事槇村正直によって造られた比較的新しい通り。通りの名は上述の東京極大路に由来して、東京極大路があったエリアの新たな通りを意味している。<br /><br />寺町通(寺町京極)の東に集まる寺院の境内が、縁日の舞台として利用されるようになり、人が多く集まったため、各寺院の境内を整理し、寺町通のすぐ東側に新しく道路を造ったのが始まり。明治の中頃には見世物小屋や芝居小屋が建ち並び、現在の繁華街の原型ができた。<br /><br />かつては修学旅行の中高生の行き来の絶えない観光客向けの通りで、地元民が利用することは少なかったが、現在は土産物店の他、飲食店、ファッション洋品店が混在し、地元の若者も増えた。<br /><br />三条通から新京極通に入ると15mほどの間に1.5mほど下がる坂がある。1589年に秀吉の命により新たに京の玄関口として三条大橋を改修した際、三条通も整備したが、当時は鴨川の右岸(西側)は鴨川の河川敷で低くなっていたため、盛り土して造られた通りの両側に斜面が生まれた。この坂はその名残で、たらたら坂と呼ばれる。面白いのは新京極通と東側の寺町通、北の三条通、南の四条通の四辺形で、坂はこの部分だけ。不思議だね。<br /><br />たらたら坂のすぐ先の東側にはMOVIX京都。かつては新京極通およびその近辺には多くの映画館があり、私も学生時代からシネコンが出来るまではよく通った。MOVIX京都があるところには京都松竹座に京都ロキシー。南に下がると京都ピカデリーや美松映劇、少し中に入ると京極東宝や河原町通りの宝塚劇場、スカラ座に三条通の東宝公楽など。いまは全部なくなってこのMOVIX京都だけになった。<br /><br />MOVIX京都から少し南に進むと、六角通とクロスするが、この六角通、寺町通に突き当たると少し南にずれてさらに西に続いている。これは遠見遮断と呼ばれ、敵が攻め込んできたときに先を見通せなくするためのもので、実は碁盤目と云われる京都の町にもたくさんある。ちなみに六角通の六角は通りの西、東洞院通と烏丸通の間にある六角堂に由来している。<br /><br />そして、その少し南にずれた西からの六角通は新京極通で誓願寺に突き当る。この誓願寺、前述したように寺町通を西にずらず要因となった寺で1591年に秀吉の命により、この地に移されたのだが、表門が寺町六角にあり、北門は三条通りに面する大寺院で、6500坪の広さを持っていた。<br /><br />しかし、江戸中期の1788年、後期の1846年、幕末の1864年と三度大火に遇い、明治維新とそれに続く廃仏毀釈、そして前述したように槇村京都府参事の主導による新京極通整備で、4800余坪の土地を没収され、現在の敷地に縮小された。<br /><br />元々は飛鳥時代の667年に天智天皇の勅願により奈良に創建された。鎌倉初期に京都の一条小川(現在の清明神社の東の元誓願寺通小川辺り)に移転。平安時代には清少納言や和泉式部が帰依し、女人往生の寺とも云われた。その後、上述のように秀吉により現在地に移転。<br /><br />秀吉の側室だった淀君の従妹で、彼女も秀吉の側室だった京極竜子とその生家の京極氏から広い敷地が与えられ、江戸中期には塔頭18ヵ寺の他、三重塔まで存在し、境内には芝居小屋、見せ物小屋が立ち並んでいた。<br /><br />ご本尊の阿弥陀如来坐像は元々は石清水八幡宮にあり、八幡神の本地仏として安置されていたもので、明治維新後の神仏分離によって誓願寺に移されてた。現在の本堂は1964年に鉄筋コンクリート造で再建されたもの。境内自由参拝可能だが、5時まででこの日は閉まっていた。<br /><br />誓願寺前はろっくんプラザと呼ばれる広場になっている。1989年に開場された新京極六角公園。私がこの辺りをウロチョロしていた頃には自転車やバイクなどが沢山止められてゴチャゴチャした一角だったが、買い物客の憩いの場として石が並べられ、ベンチや水場、緑が整備され、様々なライブやイベントが行われている。華舞台も設置され、数々のイベントが開催されている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.27973423702300955&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />誠心院に向かうが、続く

京都 中京 新京極通(Shinkyogoku street,Nakagyo,Kyoto,Kyoto,Japan)

3いいね!

2023/01/27 - 2023/01/27

3654位(同エリア4360件中)

旅行記グループ 新京極

0

5

ちふゆ

ちふゆさん

2023年1月27日(金)夕方の5時頃、京都国際マンガミュージアムを出て、御池通の1本北の押小路通を東に歩く。600mほど先の1894年(明治27年)創業の京都玉の湯(下の写真1)がある交差点を少し北に上がる。

この通りは御幸町(ごこまち)通。五条通から丸太町通までの南北の通りで、平安時代には存在せず、秀吉による天正の地割で新設された通り。秀吉が大阪(あるいは伏見)から御所に参内する時に使ったことから名付けられたと云う説がある。

交差点から100mほど北の右手(東側)にあるのが京都御幸町教会(下の写真2)。全国に1000を超える洋館を建てたW.M.ヴォーリズ(William Merrell Vories)の設計で、1913年(大正2年)に竣工したもの。京都市指定有形文化財。

尖頭アーチの窓、バットレスという控壁など、ゴシック建築の特徴が見られる。レンガは基本的にイギリス積みだが、窓の輪郭部分は芋目地と呼ばれる珍しい積み方。全体として荘厳なカトリック教会とは異なるプロテスタントらしい教会。

折り返して南に下がり、御池通を渡って、御幸町通の1本東の寺町通に進む。寺町通は南の五条通と北の鞍馬口通を結ぶ全長約4.6kmの通り。寺町三条を境に南は北より少し西にずれている。平安京の東京極大路にあたる。

元々は名前の通り平安京の東端の大路だったが、京都御所の移転により、現在は京都御苑の東を限る通りとなっている。秀吉による京都改造によって通りの東側に寺院が集められたことから寺町通になった。寺町三条のずれは、かつてその南一帯が誓願寺の境内だったことによる。

かつては南北方向の主要な通りの一つで、今出川通から二条通にかけては路面電車が走っていたが、1920年代に河原町通が拡幅され、市電のルートもそちらに移った。現在は丸太町通から二条通までは、古美術店や画廊、古書店などが並ぶ。御池通から三条通までは、寺町専門店街で、新京極通と平行する三条通から四条通までは寺町京極商店街。いずれもアーケード街。四条通から高辻通に掛けては、我々の世代には京都の電気街だったが、2021年に全て無くなったそうだ。昔はいろんなもん買ったのになあ・・・

御池通から三条通までの約200mほどの寺町専門店街は、東側に移転させられた本能寺、天性寺、矢田寺が並ぶことから仏教書・額縁・美術工芸品などを専門的に取り扱う店が並ぶようになり、1972年に振興組合が創立されたアーケード街。

本能寺(下の写真3)は室町時代の1415年創建の、あの有名な本能寺なのだが、この地に移転させられたのは秀吉の命で、1591年のこと。本能寺の変の際には六角西洞院辺りにあった。天性寺(下の写真4)は安土桃山時代の1577年創建。1587年に豊臣秀吉により現在地に移転した。矢田寺(下の写真5)は平安時代初期の創建で、1579年に現在地に移転。これも秀吉の命による。

三条通から寺町京極に進まず、新京極通に進む。三条通と四条通の間、約550mほどの短い通りだが、京都でも有数の繁華街。1872年(明治5年)に後に2代目の京都府知事となった京都府参事槇村正直によって造られた比較的新しい通り。通りの名は上述の東京極大路に由来して、東京極大路があったエリアの新たな通りを意味している。

寺町通(寺町京極)の東に集まる寺院の境内が、縁日の舞台として利用されるようになり、人が多く集まったため、各寺院の境内を整理し、寺町通のすぐ東側に新しく道路を造ったのが始まり。明治の中頃には見世物小屋や芝居小屋が建ち並び、現在の繁華街の原型ができた。

かつては修学旅行の中高生の行き来の絶えない観光客向けの通りで、地元民が利用することは少なかったが、現在は土産物店の他、飲食店、ファッション洋品店が混在し、地元の若者も増えた。

三条通から新京極通に入ると15mほどの間に1.5mほど下がる坂がある。1589年に秀吉の命により新たに京の玄関口として三条大橋を改修した際、三条通も整備したが、当時は鴨川の右岸(西側)は鴨川の河川敷で低くなっていたため、盛り土して造られた通りの両側に斜面が生まれた。この坂はその名残で、たらたら坂と呼ばれる。面白いのは新京極通と東側の寺町通、北の三条通、南の四条通の四辺形で、坂はこの部分だけ。不思議だね。

たらたら坂のすぐ先の東側にはMOVIX京都。かつては新京極通およびその近辺には多くの映画館があり、私も学生時代からシネコンが出来るまではよく通った。MOVIX京都があるところには京都松竹座に京都ロキシー。南に下がると京都ピカデリーや美松映劇、少し中に入ると京極東宝や河原町通りの宝塚劇場、スカラ座に三条通の東宝公楽など。いまは全部なくなってこのMOVIX京都だけになった。

MOVIX京都から少し南に進むと、六角通とクロスするが、この六角通、寺町通に突き当たると少し南にずれてさらに西に続いている。これは遠見遮断と呼ばれ、敵が攻め込んできたときに先を見通せなくするためのもので、実は碁盤目と云われる京都の町にもたくさんある。ちなみに六角通の六角は通りの西、東洞院通と烏丸通の間にある六角堂に由来している。

そして、その少し南にずれた西からの六角通は新京極通で誓願寺に突き当る。この誓願寺、前述したように寺町通を西にずらず要因となった寺で1591年に秀吉の命により、この地に移されたのだが、表門が寺町六角にあり、北門は三条通りに面する大寺院で、6500坪の広さを持っていた。

しかし、江戸中期の1788年、後期の1846年、幕末の1864年と三度大火に遇い、明治維新とそれに続く廃仏毀釈、そして前述したように槇村京都府参事の主導による新京極通整備で、4800余坪の土地を没収され、現在の敷地に縮小された。

元々は飛鳥時代の667年に天智天皇の勅願により奈良に創建された。鎌倉初期に京都の一条小川(現在の清明神社の東の元誓願寺通小川辺り)に移転。平安時代には清少納言や和泉式部が帰依し、女人往生の寺とも云われた。その後、上述のように秀吉により現在地に移転。

秀吉の側室だった淀君の従妹で、彼女も秀吉の側室だった京極竜子とその生家の京極氏から広い敷地が与えられ、江戸中期には塔頭18ヵ寺の他、三重塔まで存在し、境内には芝居小屋、見せ物小屋が立ち並んでいた。

ご本尊の阿弥陀如来坐像は元々は石清水八幡宮にあり、八幡神の本地仏として安置されていたもので、明治維新後の神仏分離によって誓願寺に移されてた。現在の本堂は1964年に鉄筋コンクリート造で再建されたもの。境内自由参拝可能だが、5時まででこの日は閉まっていた。

誓願寺前はろっくんプラザと呼ばれる広場になっている。1989年に開場された新京極六角公園。私がこの辺りをウロチョロしていた頃には自転車やバイクなどが沢山止められてゴチャゴチャした一角だったが、買い物客の憩いの場として石が並べられ、ベンチや水場、緑が整備され、様々なライブやイベントが行われている。華舞台も設置され、数々のイベントが開催されている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.27973423702300955&type=1&l=223fe1adec


誠心院に向かうが、続く

  • &lt;写真1 京都玉の湯

    <写真1 京都玉の湯

  • 写真2 京都御幸町教会

    写真2 京都御幸町教会

  • 写真3 本能寺

    写真3 本能寺

  • 写真4 天性寺

    写真4 天性寺

  • 写真5 矢田寺

    写真5 矢田寺

3いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP