2024/11/21 - 2024/11/23
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ポポポさん
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京都旅行はかれこれ40数年ぶり。若い頃は関西の支店に勤務していたので毎年京都の観光地を訪れていた。
関西地区の支店から他県に転勤して以降京都へは足がすっかり遠のいてしまった。
その間一緒に勤務した後輩から誘いを受け、比叡山と醍醐寺を訪れたのは30代初めの頃。以後京都を訪れることは無くなった。
鞍馬寺は20代の時に2回訪れたことがあり、京都の寺でも思い出の地である。
関西勤務時代に何度か訪れたいと思っていたがなかなか機会に恵まれずそのままになっていたところ、この度格安で鞍馬寺と貴船神社をめぐるツアーがあったので参加した。
50年ぶりに訪れる鞍馬寺はとても印象に残る寺だったが若い頃の印象がどのように違っているのか楽しみでもある。
<旅程>
11月21日 JR小倉駅ー新門司港ー阪九フェリーに乗船(泊)-
11月22日 泉大津港ー観光バスで京都へー叡山電鉄宝ケ池駅ーモミジのトンネルー叡山鉄道鞍馬駅ー鞍馬寺ー由岐神社ー本殿金堂ー六芒星ー木の根峠ー奥の院魔王殿ー貴船神社奥宮ー貴船神社ー貴船口バス駐車場ー泉大津港ー阪九フェリー乗船(泊)ー
11月23日 新門司港ーJR小倉駅(解散)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 船 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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今回の旅の始まりはJR小倉駅。
新門司港からフェリーに乗船して翌朝大阪の泉大津に上陸し京都を観光するというツアーに参加した。
フェリーに乗って大阪まで行くという旅行は今回が初めてである。
昼間フェリーに乗った事は何度もあるが夜フェリーに乗るのは初めてであり、熟睡できるかどうか不安な旅の始まりだった。小倉駅 (福岡県) 駅
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こちらは小倉駅新幹線の改札口。
在来線は鹿児島本線や日豊本線、本州下関からの乗り入れがあるため改札口には乗降客が多いが、新幹線口は割りと閑散としている。小倉駅 (福岡県) 駅
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小倉駅北口にあるキャプテンハーロックの像。
松本零士の作品のキャラクターである。松本零士は福岡県久留米市の生まれ、戦後小学3年生から高校3年生までを小倉で過ごしているので小倉との結びつきが強い。
その縁で小倉にできた「北九州市マンガミュージアム」の開館を記念して今年8月に設置された。小倉駅 (福岡県) 駅
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ブロンズ像はキャプテンハーロックの他に銀河鉄道999のキャラクター、メーテルと鉄郎もいる。
小倉駅 (福岡県) 駅
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小倉駅の集合場所は小倉駅北口の歩道橋の下にあるフェリー行きのバス乗り場。
JR博多駅からやって来たグループとここで合流し、新門司港まで送迎バスに乗車して行く手はずになっていた。 -
送迎バス乗り場の向かい側にはリーガロイヤルホテルが見えるので、集合場所は分かりやすかった。
添乗員の点呼を受けて旅程表やフェリーの船室案内図を貰って送迎バスで新門司港に向かった。リーガロイヤルホテル小倉 宿・ホテル
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新門司港阪九フェリー新門司第二ターミナルに到着。
写真の船が本日乗船する阪九フェリーの「ひびき」。阪九フェリー 乗り物
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新門司第二ターミナルビル内部の様子。
ターミナルビルに入ると3階まで上がりそこからフェリーに乗り込んだ。
乗り込んだ先はフェリーの5階だった。
フェリーの客室は5階から7階まで。一般乗客の客室は6階と7階だった。新門司港フェリーターミナル 乗り物
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7階の展望室からフェリーの上甲板に出ることができる。
写真はその様子を写したもの。阪九フェリー (泉大津~新門司) 乗り物
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阪九フェリーと新門司港の景色。
阪九フェリー (泉大津~新門司) 乗り物
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フェリーの上甲板と新門司港。
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後ろのフェリーは名門大洋フェリー。
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フェリーの乗車を待つコンテナ。
阪九フェリー 乗り物
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ここは5階のロビー。
ロビーの向かい側には売店があり、明日の早朝焼きたてのパンを注文できる。
私は注文しなかったが、パンのみの注文の他にパン2個とスープのスープセットもあった。
この焼きたてのパンは人気だそうで、注文書を記入する人が絶えなかった。阪九フェリー ひびき/いずみ 乗り物
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フェリーの客室は5階から7階。
5階はドライバー用の宿泊室、一般客のスタンダードの和室(大部屋)、デラックス洋室。
6階は一般客のスタンダード洋室、デラックス和室、和洋室(共に定員2~3名)と展望ルームにレストラン
7階はスイート(定員2名)とデラックスシングル(洋室)展望デッキ、大浴場
だった。
我々はスタンダード洋室の2段ベッドで定員18名の部屋に10人が宿泊した。
写真ではTVがある階が5階で、その上に6階、7階と続く。上階へは階段の他にエレベーターがある。
TVがある所がエレべーター。
WIFIは使えるが2時間が限度。スイートの利用者のみ時間が無制限だった。
私の場合は通信が暗号化されていないため危険との理由でセキュリティが働き、強制的に通信が切られたため全く使用出来なかった。阪九フェリー ひびき/いずみ 乗り物
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6階のレストラン。
レストランのスペースはかなり大きかった。 -
レストランのメニュー。
朝夕共通のメニューのうちご飯、味噌汁、貝汁は大小がありこの料金の差は30円、大の方がかなりボリュームがあるので食欲旺盛な方は大を注文した方がお得。
最初にトレーを持ち、自分の好みの料理を棚から取って最後に精算する方式だった。
料理の中に料理長お勧めの料理というのがある。注文して調理するそうで料理によっては20分近くかかるものがあるので、私は出来合いの料理を注文した。
最初の日はおむすびや弁当を買い込んでいたのでレストランには行かなかったが、翌日は利用した。 -
お勧めは料理長おすすめ料理。
写真でも美味しそうだが時間がかかりすぎるのが難点。 -
6階船室。
通路の左右が寝室で、我々が宿泊した部屋は2段ベッドがある部屋だった。 -
船室は洋室のスタンダード。2段ベッドの下側だったが、上段のベッドは使用者がいなかったので気を遣う必要がなかった。
2段ベッドは天井までの高さが低いため着替え等には窮屈である。
レストランも大浴場も17時30分から利用できる。食事の後スマホが使えないので早めに風呂に入って20時には床に就いたが、日頃こんな早く寝ることが無いのでなかなか寝付けなかった。
22時には全館消灯でお風呂も売店・レストランも閉まり、展望室は施錠されて入れなくなった。
翌朝は5時起床のため、22時には強制的に寝かせられるようだ。
客室からトイレ・洗面所への移動は可能。船室の通路は明かりが灯っているので不自由さは無い。
ではおやすみなさい。明日は5時起きだが、実際は4時に目が覚めてしまった。阪九フェリー ひびき/いずみ 乗り物
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11月22日早朝、おはようございます。
今朝は4時に目が覚め、洗面・髭剃り・歯磨き・身支度を終えてレストランで朝食。
和定食(焼魚)セットに冷奴の大を追加した。
この時は味噌汁・貝汁に大があることは知らなかった。 -
朝6時、予定通り大阪府の泉大津港に到着した。
フェリーの5階にある乗降口から下船する。写真下の階が5階ですでに乗客が出口に集まっていた。泉大津港フェリーターミナル 名所・史跡
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泉大津港に到着後大川バス(泉大津市の観光バス会社と思われる)に乗車し、京都を目指した。
泉大津港フェリーターミナル 名所・史跡
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高速道路で京都に向かったが大阪市内では朝の渋滞に遭遇、叡山鉄道の乗車が遅れる懸念があったものの、余裕のあるスケジュールだったので電車には余裕で間に合った。
途中京田辺パーキングで登山ガイド2名と合流。
そのうちSさんという登山ガイドさんは歴史に非常に詳しく、観光ガイドも兼ねて色々案内してもらった。 -
観光バスは大阪を過ぎて京都市内へ。
京都市内では鴨川沿いの桜の葉がようやく色付きかける程度でほとんど紅葉していなかった。
今年は何処も例年より1週間程度紅葉が遅れているという事だったが京都は1週間どころじゃなく、12月に入らないと紅葉しないのではないかと思われた。
写真は京都5条の大橋。牛若丸が弁慶と出会った場所である。五条大橋 名所・史跡
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写真は鴨川。鴨川の上流は中津川と雲ケ畑川が出合橋で合流して鴨川となるそうだ。
さらに貴船川と鞍馬川が別の流れとして鴨川に合流している。鴨川 自然・景勝地
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バスは叡山電鉄宝ケ池駅近くで停車。ここでバスを降りて叡山電鉄に乗って鞍馬に向かう。
叡山電鉄は鞍馬寺に向かう鞍馬線と比叡山に行く叡山線の2本がある。
我々が乗車するのは鞍馬線の電車、乗車ホームの向かい側が叡山線のホームだった。叡山電鉄 乗り物
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叡山電鉄鞍馬線宝ケ池駅。
叡山電鉄は比叡山や鞍馬といった山間部の観光路線としてのイメージが強いが、沿線には京都大学、京都芸術大学、京都精華大学、京都産業大学などがあり生活路線でもある。
鞍馬線の市原駅から二ノ瀬駅間はもみじのトンネルとして知られている。例年なら車窓から深紅に染まったモミジが見れるのだが、京都市内のモミジの色付きが非常に鈍いので今年は紅葉は望むべくも無さそうだ。叡山電鉄 乗り物
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電車がやって来たがこれは叡山線のようだ。
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次にやって来たのが鞍馬線の鞍馬行。
観光列車では無く普通の乗り合い電車だった。叡山電鉄 乗り物
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市原駅を過ぎると電車の両側にはもみじの木が林立する。
もみじのトンネルとはこの事か。但しほとんど紅葉していない。
山岳ガイドの話では今年の紅葉は異常、全く予測もできない状態とのこと。例年であればすでに紅葉しているはずだが、もみじのトンネルに限らず今年の京都のもみじはいつが見頃か予想もできないと話していた。
叡山電鉄のもみじのトンネルも期待できそうもない言っていたがその通りだった。もみじのトンネル 名所・史跡
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もみじのトンネルは色付き始めた場所もあったが、大半は色付き前の緑のモミジだった。
もみじのトンネル 名所・史跡
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叡山電鉄鞍馬線の終着駅である鞍馬駅に到着。
ここから鞍馬寺の観光が始まる。駅舎は鞍馬寺にふさわしい破風がある寺院建築風の建物だった。鞍馬駅 駅
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鞍馬駅の駅舎前広場には天狗伝説の鞍馬山らしく大天狗のお面が飾られていた。
鞍馬駅 駅
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鞍馬駅前広場横のもみじは色付いていた。
鞍馬は叡山電鉄沿いのもみじのトンネルよりもさらに北で標高も高いことから、紅葉が進んでいるらしい。
これなら鞍馬山の紅葉は期待が持てそうだ。 -
鞍馬駅周辺の紅葉の様子。
色付き具合にはむらがあるものの、京都市内に比べれば紅葉していた。 -
鞍馬駅前の道を左折してまっすぐ進めば鞍馬寺の入り口。
階段を上がった所に見えるのが仁王門。
鞍馬寺は宝亀元年(770年)鑑真和上の高弟鑑禎(がんちょう)上人が草庵を結び毘沙門天を安置したのが始りである。
寺伝(鞍馬蓋寺縁起)によれば鑑禎はある夜夢のお告げにより山城国の北に霊山があることを告げられた。霊山を訪ねて出かけた鑑禎は白馬に導かれて山に登って行った。
ある日鑑禎が山に入って夜を明かそうとしていた時、女鬼に襲われた。鑑禎上人は大きな木のうろに逃げ隠れていたところ、木が鬼を押し潰した。
翌朝倒れた木を見てみると、木は毘沙門天のお姿をされていた。その毘沙門天を祀ったのが鞍馬寺の始まりである。
時代は下って京に平安京が移ってきて延暦19年(796年)、東寺の造営に当たっていた藤原伊勢人は自分が信仰する観音菩薩を祀る寺を建てたいと考えていた。
そうしたある夜夢でお告げを聞いた。そのお告げに従い白馬の後を追って鞍馬山に登ると鑑禎上人が建てた草庵があり毘沙門天が祀られていた。
いぶかしがる伊勢人であったがその日の夜に再びお告げの夢を見た。
「毘沙門天も観音菩薩も共に衆生救済の仏で根本は同じものである」とのお告げを聞き伽藍を整えお堂の中には毘沙門天を祀って鞍馬寺を創建した。お堂には後に自らが造った千手観音菩薩祀ったという。
鞍馬寺のご本尊は毘沙門天と千手観音と護法魔王尊の三体である。鞍馬寺 寺・神社・教会
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鞍馬寺のご本尊は先ほど述べた毘沙門天と千手観世音菩薩の他に護法魔王尊(サナト・クマーラ)が安置されている。
サナト・クマーラはヒンズー教の神で650万年前に金星から地球に降り立った神。
地球の霊王にして力の象徴。永遠に年を取ることの無い存在で年齢は16歳のままだと言う。
毘沙門天は光の象徴にして「太陽の精霊」、千手観世音菩薩は愛の象徴にして「月輪の精霊」、そして魔王尊は力の象徴にして「大地の霊王」。
これら三体は三位一体となって「尊天」と称す。「尊天」とは「すべての生命を生かし存在させる宇宙エネルギー」である。
尊天のパワーが特に多い場所が鞍馬寺であり、そのパワーに包まれる道場が鞍馬寺であるとするのが鞍馬弘教である。
このような寺は日本全国回ってもどこにもない。ましてや魔王尊をご本尊として祀っている寺など他には無い。
何故魔王が本尊になったのか?なぜヒンズー教の神が祀られたのか?
このことについては鞍馬寺の縁起にも伝説でさえ語られていない。いつだれが、どんな意図をもって祀られたのか全く分からないし、記述も無いのである。
元々鞍馬山は古くから修験道などで聖なる山として崇められてきた。山全体がご神体で霊域であるという山岳宗教の霊山だった。そのため山全体が魔王尊の姿として崇められてきたとする説もあるが、はっきりとは分からない。
分からないからこそ神秘性がある。さらに宇宙のパワーを授けられる場所だとすれば妙味も沸く。
かくして鞍馬寺は京都のパワースポットとしてとても有名な寺なんだそうだ
さらに鞍馬寺は源義経が幼いころ預けられた寺であり、鞍馬山に住むとい大天狗から武芸を教わったとされる場所でもあり天狗伝説でも有名である。鞍馬寺 寺・神社・教会
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私が初めて鞍馬寺を訪れたのは大学4年の11月の事。
その後社会人になって26歳の時にもう一度訪れた寺である。この寺は最初訪れた時の印象がとても衝撃的だった。
それまで奈良や京都の寺をいくつも訪れていたが、この寺ほど思い出に残った寺は無い。
今でもその時の記憶がありありと思い起こされるが、あれから50年経った鞍馬寺はどのように変わっているのか、それとも若い頃の記憶のままに佇んでいるのかワクワクしながら仁王門前の石段を上って行った。
まずこの仁王門、50年前に訪れた時はもっと鮮やかな色だったように記憶している。
月日が経って色あせたのだろう。
仁王門を潜る時に愛山費と呼ばれる入山料が必要になる。鞍馬山は山自体が信仰の対象になっていて、その山を守るために使われる。
我々観光客に一番身近なのは登山道の整備である。鞍馬寺 寺・神社・教会
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仁王門を潜ると石造りの階段の参道が続く。
参道の両側には奉納された朱色の灯篭が参拝者を迎えてくれた。鞍馬寺 寺・神社・教会
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石段と並行してなだらかな未舗装の参道が続いていたが、本来の参道は石段の道だそうだ。
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石段を登り続けて行くと石段の左に普明殿ケーブル山門駅が見えて来た。
この建物は普明殿と言い、中には智慧の光を象徴する毘沙門天像が安置されている。
鞍馬山の中に敷設されたケーブルの駅で鉄道事業法により許可を受けた鉄道では唯一宗教法人が営業しているケーブルで、山内にある多宝塔駅まで2分で登ることができる。なおこのケーブルを利用すれば九十九折の参道を歩かなくても済む。
足の不自由な方や高齢者の方々には便利な乗り物である。
多宝塔駅からは平坦な道を進み、最後の石段を登りきった所に本殿金堂がある。
我々のツアーの中でもこのケーブルを利用して先に登られた方がいた。
九十九折の参道とは本堂の最後の上りの石段と合流する。鞍馬山ケーブルカー 乗り物
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右側の石段の参道沿いには由岐神社に到着するまで放生池、吉鞍稲荷社、魔王の滝、鬼一法眼社があるが写真を写したのは魔王の滝のみだった。
写真は魔王の滝。魔王の滝と呼ばれているが上部の祠に祀られているのは観世音菩薩。
上から落ちる水が滝水のように水量のある水ではない為、オランダの小便小僧の様だと巷では言われているそうだ。
(これガイドさんの話)
ここには方性池と呼ばれる小さな池がありそこには龍が住んでいるそうだが、私が50年前に見た龍神が住む池はここにあるような小さな池ではなかった。
私が当時訪れた池は山中にある大きな池(沼)だった。この池は昔から竜神が住むと言われていて、霊山である鞍馬山の中でも霊力の高い場所(現在ではパワースポットと呼ばれる場所)だと当時教えて頂いた。
正式な鞍馬寺の参道から右に外れて山道を登ったところにその池(竜神池)はあったのだが、今回訪れてみてその竜神池に向かう山道が見つからなかった。見つからなかったというか無くなっていたという方が正しい表現だと思う。
50年の間に鞍馬山の参道も様変わりしていたのだ。
ここで私が50年前に参加した鞍馬山(鞍馬寺)参拝ツアーについて触れておきたい。その方が読んでいただく皆さんの理解を得やすいと思う。
それは全国的に有名なある神社の末社の神官さんが毎年主催されている仏道修行のツアーだった。
この神社は神道と修験道をも含めた○○〇教と呼ばれる宗教団体で、信者さんを対象に年に数回仏道修行のツアーを催行していた。
私が初めてツアーに参加したのは大学4年生の11月のこと。事の発端は母がそのツアーに参加したいと願い出た事だった。
母が先生(信者さんは神官さんの事を先生と呼んでいた)に「息子が来年社会人になる」と言うことを伝えた時、新社会人になる息子さんがお有りなら、是非今回のツアーに参加させなさい。
神仏の大いなるご加護と御光とご恩徳を頂き、新しい門出が素晴らしい福となるように神仏からお陰を頂くべきですと勧められたそうだ。
そう言う訳で母に勧められてツアーに参加したが、私は仏道修行に参加するという意識は低く、秋の京都旅行を楽しみたいと言う物見遊山の気分で一杯だった。
その日の出立は上下の白衣に白鉢巻、左手に数珠に右手は金剛杖、足は白靴下に白脚絆、靴は白地下足袋で全員白装束だったためとても目立った団体だったと思う。 -
さて、ここから本来の旅行記に戻る。
参道の階段を上って行くと見えてきたのが由岐神社。鞍馬の火祭で有名な神社だ。
由岐神社は元々宮中に祀られていた由岐大明神を天慶3年(940年)9月9日に朱雀天皇の詔により鞍馬山に遷宮し、鞍馬寺の鎮守社として都の北方鎮護を仰せつかった。
主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、大国主命のことである
少彦名命(すくなひこのみこと)
国譲りと国造りの神で医術、商売繁盛・縁結びの神、事業の守護神である。
正面鳥居の後ろに見えるのが拝殿。慶長12年(1607年)豊臣秀頼により再建された割拝殿という桃山時代の代表的な建築物で重要文化財に指定されている。
割拝殿とは中央に通路があり左右に拝殿がある形式の建物。由岐神社 寺・神社・教会
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神社の御由緒
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由岐神社の入り口
左手水舎、中央は鳥居とその奥に拝殿、本殿は拝殿の通路を通ってさらにその先の石段を上る。由岐神社 寺・神社・教会
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由岐神社の標識
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割拝殿の中央にある石段を上って本殿に進む。
拝殿の奥には紅葉し始めたモミジが見えるが、まだ本格的な紅葉ではなかった。 -
拝殿を過ぎるとまた石段、その右の大杉は「樹齢800年の御神木の大杉」。
ご神木の根元にある祠が大杉社。
石段を上り詰めた先に本殿の屋根が見えた。 -
本殿は慶長12年(1607年)に豊臣秀頼により再建されたが、老朽化のため令和5年に改築された。
新しい白木の社殿は歴史を感じさせる周囲の風景から逸脱した不協和音のように感じさせられた。
由岐神社を過ぎると九十九折参道は曲がりくねった山道に入る。由岐神社 寺・神社・教会
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九十九折の参道に入ってすぐ左手に見えてきたのが義経公供養塔。
昭和15年に建てられた供養塔で比較的新しい物。
牛若丸(義経公の幼名)が預けられた東光坊阿闍梨の僧房跡。牛若丸が遮那王と名乗り、ここで10年間昼は学問、夜は武芸に励んでいた時の住まい。 -
義経公供養塔の説明板
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愛と光と力の像、「いのち」のモニュメント。
鞍馬山の尊天(大宇宙の生命・エネルギー・真理)を現した像。
像の下は広がる大海原は一切を平等に潤う慈悲の心を、金属の輪は曇りなき真智の光明を、中央に屹立する山は大地の力強い活力を表しているそうだ。 -
像「いのち」の案内板
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この辺りから参道は石段に変わった。奇妙なことだが、私が50年前に歩いた参道と今歩いている参道とは全く別の道のように歩きながら感じた。
50年前、44年前の参道は九十九折の下半分がコンクリートで舗装された道で上半分が未舗装の山道、本坊に近い部分が石段だった。
今回参道を歩いてみて、その変わり様に驚いた。と言うかキツネにつままれたような感じだった。
しかも50年前、44年前の参道にはコンクリート舗装の上り坂の左側には義経公の息継ぎの水場があったのに、その水場が無い。
竜神池のへと続く道も見当たらない。
今歩いている道が本当の参道であれば、50年前、44年前に歩いた参道は一体何だったのだろうか?
私が歩いた道は参道から外れて竜神池に続く道を歩き、そして再び参道に合流して本堂に到着した。
今歩いている道は以前訪れた時には歩いていなかったのではないのか。この参道の他に別の参道があって、以前はその別参道を歩いて本堂に着いたのではないかと言う思いが私の頭の中を駆け巡っていた。
ともかく本堂まで行けばこの疑問が晴れるのではないか、参道の途中で竜神池に繋がる横道が見つかるのではないかと思い直して、参道の左右に目を配りながら本堂を目指した。 -
石段を上って行くと右側にコンクリート舗装の参道が現れた。
これが竜神池に続く道かと思ったが、参道沿いに建てられていた案内板には「ケーブル多宝塔駅行き」と表示されていた。
この道はケーブルで上って来た参拝者が通る道で、ここはその道と本殿金堂に向かう道とが合流する場所だったのだ。
ひょっとしてと思ったものの竜宮池に通じる道は見つからなかった。 -
引き続き本殿金堂に向かう参道の石段を上る。
右の建物は転法輪堂と洗心亭。2階建ての建物で、1階が参拝者の為の無料休憩所の洗心亭、2階が阿弥陀如来座像が安置されている転法輪堂。 -
石段を上り詰めたところから写した洗心堂・転法輪堂と紅葉。
モミジの色付き具合は今一つだった。 -
同じ場所からもう1枚。
この辺りの参道は石段と敷石で埋められていた。ここから本堂まではもう一息。 -
この石段を上った先に本殿金堂がある。
結局ここまで来たものの竜神池に行く道は見つけることができず、参道の左側にあった義経公の息継ぎの水場も見つけられなかった。
参道自体が50年前と全く変わっていて、今回訪れた鞍馬寺と鞍馬山は50年前に訪れた
鞍馬寺とは別物のように感じられて仕方なかった。 -
本殿金堂に到着した。
金堂の中には本尊の尊天(毘沙門天王・千手観世音菩薩・護法魔王尊の三位一体の本尊)が祀られている。
本尊の前にあるのが金剛床六芒星。この六芒星が宇宙に繋がっていて、この六芒星の上で宇宙エネルギーのパワーに包まれることができるとする鞍馬弘教の根本道場である。
その教えは尊天信仰と呼ばれる。
尊天信仰は宇宙の大霊であり大光明・大活動体である「尊天」を本尊と仰いで信じ、「尊天」の心を我が心として生きていく教え。
「尊天」とはこの世に存在する全てを生み出している宇宙生命・宇宙エネルギーである。真理そのもので神仏の区別を越えて一つの形に固定されず、しかも本質を保ちつつ、神羅万象、日月星辰、あらゆる神あらつる仏の相(すがた)となって顕現する。
そのお働きは愛と光と力となって現れ、それぞれが月、太陽、大地の三つの気(エネルギー)に表されて、愛は月輪の精霊で千手観世音菩薩、光は太陽の精霊で毘沙門天王、力は大地の霊王で護法魔王尊の姿にして、この三位を一体にして「尊天」と称するそうである。(鞍馬寺HP教えより抜粋)
尊天の御三体は秘仏の為見られないが、60年に一度丙寅の年に御開帳される。
ちなみに次に開帳されるのは2046年である。
この年まで生きていることは不可能だろうから、残念ながら秘仏はもう見れないと思う。鞍馬寺 寺・神社・教会
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本殿金堂の中央に毘沙門天王像、向かって左に千手観世音菩薩像、右に護法魔王尊像が安置されている。
各像は秘仏の為安置された大きな逗子の扉は閉められ、その前に御簾が下ろされていた。
本堂の入り口は向かって右側から、右側から入ってお参りし、左側から出るようになっていた。本堂内部の写真撮影は禁止。
私が最初訪れた時は正面から本堂内部に入ることができた。秘仏が60年に一度しか見れないということは山岳ガイドから聞いたのだが、50年前に訪れた時は確かに黄金の眩いばかりの尊天(千手観世音菩薩像と毘沙門天王像)を見た記憶がある。
私が訪れた年が丁度60年目に当たっていたのかと2046年を起算して遡ってみたが60年前ではなかった。
私は44年前にも仏道修行の同じツアーでここを訪れているので、そちらの方かと逆算してみたが、60年前に開帳された年ではなかった。
では一体あの仏像はなんだったのか?我々のツアーだけではなく、一般参拝者や観光客も来ていたのでその時の本堂内の様子は今でもハッキリ覚えている。
あの時本堂に居た我々と一般の参拝者たちだけが、尊天様からお姿を見せて頂いたとでも言うのであろうか?
今でも不思議で仕方がない。これを読まれた皆様は単なる妄想ではないかと思われるだろうが、まだ22歳で記憶力が衰える年ではない。初めての観光地でもありその当時の様子はありありと憶えているのだ。
妻は貴方の妄想じゃないかと笑っていたが・・・。 -
金剛床。境内随一のパワースポットで、宇宙のエネルギー「尊天の波動」が果てしなく広がる星曼荼羅を模しているそうだ。
中央に六芒星がありその中に正三角形がある。この三角形は尊天の御三体を表しているそうだ。
六芒星の中に入って三角形を踏まないように立ち、両手を天空に突き上げて全宇宙のパワーを呼び込むように祈るのだそうだ。祈ることで人間が尊天と一体化し、尊天のエネルギーを感じとれる。
私も両手を高くつきあげて「尊天様、私に全宇宙のパワーを与えたまえ」と祈ったが果たしてパワーが宿ったかどうかは分からない。
鞍馬寺に詣でる前と詣でた後で何か変わった事でもあったかな?良き事よりも、ついてない事の方が多いように思う。私は尊天様に嫌われたのかな?
さて、この金剛床と六芒星の事は今回のツアーで初めて知った。前回と前々回に訪れた時には本堂内で尊天様に般若心経をあげて拝礼はしたが、六芒星での開運はしなかった。
我々を引率して下さった先生は金剛床と六芒星のことは十分ご存じだったはずである。ではなぜ六芒星の上で宇宙エネルギーを頂く行いをしなかったのか?
答えはこの後にあった。
我々は大人数の団体だったので一人一人が六芒星の上で宇宙エネルギーを浴びれば時間がかかりすぎてこの後の予定に支障をきたす恐れがあったが、それ以上に鞍馬山には霊力の強い深淵な場所があったのだ。
なお尊天様の御真言は「すべては尊天にてまします」とお唱えする。
この御真言は今でもしっかり覚えている。 -
本堂がある場所から眺めた紅葉。
今年は夏が長かったので紅葉は今一つ。例年なら紅葉が真っ盛りだろうに。
残念な気もするが自然相手なので仕方が無い。過去2回訪れた時は京都は紅葉の真っ盛りでとても美しかったな。 -
本殿金堂がある場所の真向かいに見えるのは比叡山。ガイドが何やら塔のような物が見える所が延暦寺と言っていたが、私には場所が分からなかった。
結界で囲まれたこの一角は翔雲壹と呼ばれる場所。
結界の中央に板石が置かれているが、これは本殿後方より出土したもので平安時代から鞍馬寺に伝えられた如法写経会の経巻を治めた経塚の蓋石。
板石の下からは経塚の遺物200余点が発掘され、全て国宝に指定されている。 -
翔雲壹や経塚の蓋石説明板
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翔雲壹から眺めた比叡山。
比叡山 自然・景勝地
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翔雲壹付近の紅葉。
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結界が張られた翔雲壹と比叡山。
本殿金堂の境内から眺めた眺望はダイナミックで素晴らしかった。 -
再びカメラを金剛床と本殿金堂側に向けて宇宙エネルギーが感じ取れる金剛床の全景を写した。
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本殿金堂の左右には阿吽の狛犬ならぬ阿吽の虎がいた。
阿吽の虎は本尊毘沙門天のお使いである神獣。毘沙門天の出現が寅の月、寅の日、寅の刻だったことから、この寺では狛犬では無く阿吽の虎だそうだ。
こちらは阿形の虎。 -
こちらは吽形の虎。
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境内にある八角灯篭。
東大寺の八角灯篭は国宝だが、こちらの灯篭は指定なし。造られた年代が新しいのかも。
次の旅行記は鞍馬寺その2、奥の院木の根や義経堂など源義経にまつわる場所を御伝えします。
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秋の京都 鞍馬と貴船を歩く
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