2024/12/29 - 2024/12/29
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morisukeさん
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オッサンネコです。
かつて比叡山には、観光地としての夢に満ちていた時代がありました。
空中ケーブルで山を駆け上がり、山上レジャー施設でまったり遊ぶ。
そんな理想郷みたいな未来図が、本気で描かれていた時代があったのです。
今ではそんな夢のような風景も時代の流れと共に消え去り、
昔と変わらない静かな山がそこにあるだけ。
しかし、かつて人々を魅了したその“痕跡”は今でも確かに存在するのです。
その名前「叡山空中ケーブル跡」と云ふ。
廃を極めし我が同胞たちは語る。
それは夢の終わりだけが静かに鎮座する、忘れられたレジャーの遺構だと。
否──それはかつての賑わい置き去りにしたまま、時が止まった聖域なのだと。
そんなノスタルジーに浸れる遺構を間近に見られるのであれば…
行かねばならぬでしょう。
果たして、比叡山一帯に興ったリゾート計画の夢の跡とはどの様なものなのか。
その時の記録です。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
-
どうもどうも、オッサンネコことモリネコです。
早朝に五条楽園跡地で遊郭建築を見てヒャッハーした後のお話。
次は出町柳で叡山電車に乗り換えて、終点の八瀬比叡山口を目指します。
今日は京都側からケーブルカーとロープウェーを乗り継いで、
所謂”比叡越え”のルートで大津まで行ってみたいと思います♪
たまたま乗り込んだのが観光列車「ひえい」だったのですが…
めちゃくちゃオサレやのぅ ( ゚Д゚) -
終点の八瀬比叡山口で下車します。
車両の正面の輪っかは”神秘的な雰囲気”を表しているそうな。
神秘的 ( ゚Д゚)? 比叡山だからか?
さて終点の八瀬比叡口ですが、駅舎のゴージャス感がハンパねぇ…。
これにはちゃんと理由がありまして。
それは今よりもずっと昔のこと…
叡山電鉄の前身である京都電燈(京福電鉄)は、
比叡山一帯を日本有数の総合リゾート地にする絵図面を描いてました。
おそらく箱根がそのイメージに近いのかと。
京都電燈と言う会社の本業は、電気を供給する電力会社だったのですが、
鉄道・軌道・バス・観光施設まで持つ複合インフラ企業なのでした。
その昔、まだまだ電気が一般家庭まで普及しきれていない時代。
要は、電力会社が電気をじゃんじゃん使ってもらうために、
鉄道運営や観光地開発などの経営モデルを複数展開していたのざんす。
その総合リゾートの玄関口なんだから、駅舎の見た目大事だよね。
昔からあるような鄙びたローカル駅舎じゃ雰囲気が出ないよね。
そんな思惑が、夢を引き継いだ京福電鉄のリゾート構想を加速させ、
高級リゾートのゲートにふさわしい華やかな駅舎が建てられたのです。
それがこの八瀬比叡山口。
広く開放的な構内は、確かにリゾート感が出てますねぇ (σ゚∀゚)σ -
八瀬駅の駅舎。
ケーブル駅とは直結していないので、5分ほど歩いて移動になります。
八瀬の先には有名な猫猫寺があるのですが… 今回はグッと堪えて…。 -
叡山ケーブル八瀬駅。
既にケーブルカーがホームにスタンバイしとりますね。
案内してくれるのは、アテンダントの八瀬かえで嬢。
最近は外国人のお客様も多いので、
多言語での案内ができるよう勉強中…ですって。
がんばれぃ ( ゚Д゚)…。
料金は片道600円也。乗車までの間に無くさないように大事にキープ…。 -
さて、比叡山を一大観光地にしようという野望を掲げた京都電燈。
その野望の中身はと言うと…
・山頂にはホテル、スキー場、運動場、遊園施設 (`∀´*)ウェーイ
・山麓にも保養所、遊歩道、河川沿いのオサレなお茶屋…
・山頂まではケーブルカーとロープウェーで簡単アクセス…
・何なら延暦寺参拝も観光行程に組み入れちゃおう
要は、京都市内からアクセス可能な山上観光という魅力を前面に出して、
比叡山 = 高級リゾート地のイメージを確立しようとしたわけですな。
その事業がうまくいったのかを評価するのは難しいのですが、
実は比叡山中腹にこのリゾート構想の夢の跡が残されているそうな。
単に”比叡山を越える”だけでは面白みにかけるので、
今日はその夢の跡を2箇所、たどってみたいと思いまふ (σ゚∀゚)σ -
さて、まずは一つ目。
かつての叡山ホテル跡、別名称「叡山パラダイス跡」を目指します。
地図はお馴染みの国土地理院から拝借。
いつもお世話になっております (´∀`о)
ケーブル比叡駅を出たら、そのまま京都一周トレイルの山道へ。
薄暗い山道をてくてく進んでいくと無線中継所が見えてくるので、
その分岐を山頂方面へと進めばOKです (`∀´*)
地図で言うと赤い丸で囲ったところ、そこが目指すポイント。 -
実際の道はこんな感じ。
木々に覆われた薄暗い道が続きますが、踏み跡はしっかりしています。
道に迷うことはないので、勢いのままズンズン進みましょう (*´з`) -
分岐を山頂方面に進んでいくと、
後ろから颯爽と駆け抜けていく欧米人ファミリーに追い越されました。
さて、目的の叡山ホテル跡ですが、実はこのトレイルのすぐ脇にあります。
左手に妙に平らな空間が広がっている場所が目印。
膝丈ほどの草地をかき分けて進んでみると、
その奥でかつてのパラダイスの痕跡が静かに姿を現します ?( ゚Д゚)フワッ -
それがこれ。
森の中に当然開けた場所。コンクリで固められた地面…。
んあ? ヘリポートか… ( ゚Д゚) ………。
の割には不自然な円形… そして円の縁を囲むのはタイヤ…。
おおぅ… こいつぁローラースケート場の跡地ですな。
遡ること昭和30年代~50年代の日本において、
ローラースケート場は遊園地の鉄板アトラクションのひとつでした。
これがあるという事は…
ここが比叡山山頂遊園地跡(叡山パラダイス跡)で間違いなさそう。 -
叡山ホテル跡
営業期間は1937~1943年。
わずか6年で閉業しているのは、戦争の影響によるものでしょう。
ここで比叡山リゾート計画を年表にまとめてみると、
フェーズ:比叡山リゾート構想の黎明期
・1925年 京都電燈が叡山鋼索線(今の叡山ケーブル)を開業
・1926年 京都電燈の鉄道部門が分離独立 京福電鉄の誕生
・1928年 京福電鉄が叡山空中ケーブルを開業
・1930年代前半 避暑地・観光地としての基盤整備
・1937年 叡山ホテル開業
トドのつまり…
叡山ホテルは大資本を投じた山上リゾート構想の中核であったのです。
ここまでは完全に京福の構想通り、当時の資料を読み解いても、
叡山ホテルはその中でも最も格式が高い建物だった事が伺えます。
この斜面から下に降りられる様なので、慎重に核心に迫ります (´∀`о) -
あ… コカコーラの空き瓶を発見。
ちゃんと栓抜きが瓶の上に乗っているということは…
同業者の仕業ですな… (# `Д´ ) -
これが叡山ホテルの全容。
正しくは、叡山ホテルの基礎部(人口地盤)。
おおぅ…なんか異世界感が半端ねぇ (゚ロ゚;三;゚ロ゚)!!
言わずもがな、比叡山中腹にホテルを建てるなんて平地はないので…
平地がないならつくっちゃおう、その斬新な解決策がコレ。
巨大なコンクリートの人工地盤を先に作って、その上にホテルを乗せる。
当時ホテルは木造建だったので、今は跡形もなく撤去されており、
コンクリの基礎だけが、置き去りにされた夢の熱量を伝えているのです。 -
叡山ホテル跡の内部。
散らばっている廃材は叡山パラダイス時代のものになります。
叡山ホテル時代に使われていたものは、基礎以外はないかと思います。
余談ですが、叡山ホテルの開業は1937年。
ちょうど日中戦争(支那事変)が起きた年と同じですね。
この当時、国民の誰もが戦争は短期間で終わると信じていました。
翌年には国家総動員法が発令され、社会は戦時体制に移行し始めますが、
まだレジャーは完全に規制されていない状態だったと言われてます。
しかし時代は1941年12月の太平洋戦争開戦へ。
何とか繋ぎ止めてきた日本のレジャーは完全に崩壊する事になります。 -
今度は戦後の比叡山リゾート計画を年表にまとめてみると、
フェーズ:山頂レジャーの最盛期
・1945年 比叡山の観光施設はほぼ壊滅 めったくそな状態 (*´д`)
京福電鉄も復興で手一杯で、リゾートなんて言ってられない状態
・1956年 新ルートで叡山ロープウェイ再開
ようやく山頂への観光ルートが復活 (`∀´*)ウェーイ
・1959年 比叡山山頂遊園地が開業
当時の流行に乗り、山上の行楽地化に舵を取る
・1960年代後半 叡山パラダイスの誕生
”叡山パラダイス”を遊園地全体の愛称として使用
廃墟界隈ではキラーワードになっている「叡山パラダイス」
その正体は特別催事をパッケージングしたブランド名であり、
山頂遊園地の規模が一番充実していた時代でもありました。
トドのつまり…
遊園地に呼び込む施策「叡山パラダイス」が全盛期の時代。
夏期には縁日・屋台が立ち並び、納涼営業も行われていたとな。
この納涼の看板は、叡山パラダイスの残り火の様なものでしょうか。
もはや燻る火もないので、完全に燃え尽きちまってますが…。 -
叡山ホテルの跡地はそのまま遊園地の一部として使われました。
この凸型の窓は一体何に使用していたのでしょうか?
当時の状況を想像して楽しむのも、廃墟ならではのオツなもの (*´艸`)ウヒヒ -
凸型の窓の裏側に書かれてある観光案内板(路線図)。
本社が亀岡市追分町谷筋…と読めるので、京都交通の路線図ですな。
この部屋は案内所か売店、観光インフォメーションに当たるのかな。
西大路五條の”條”の字が今と違うトコロがミソで、
ここから推察される時代は1960年~1970年になるのでしやう。
私が全然生まれる前のコト… なんかすごいなぁと思ふ (*´~`* ) -
イチオシ
通路の間口から見える森が美しすぎる… 。・゚・(ノД`)・゚・。
叡山ホテル跡の基礎も残されている部分はわずかのみ。
コンクリート施工なので、まだまだ朽ちることはないと思いますが、
ぜひ後世に残すべき遺産として、保存されて欲しいと願うばかり。 -
叡山ホテル跡の斜面には、遊園地時代の残骸が今も残されています。
こいつぁ…遊園地の飛行機ですな。
少なくとも回るアトラクション系ではないと思うのですが…
果たして真相は如何に (*´艸`)ヒッヒッヒ -
これも遊園地時代の名残?ですかな。
令和の時代、完全に絶滅してしまった回転遊具ですな。
モリネコが小学生だった時分、この回転遊具がそこかしこにありました。
えぇ回しましたよ。ウヒャウヒャ言いながら (*ノ∀`)ノ アヒャヒャ
今じゃジャングルジムだって危険だと言われて撤去されるご時世。
我らの時代は怪我がつきもの、でも懲りずによく外で遊んだ世代でした。 -
イチオシ
すごいのあったぁ キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!
ツェッペリンのかき氷機
今Amazonのオークションでは30,000円程度のプレミア感。
もちろん現在は中古しか手に入りませぬ。
叡山パラダイスの屋台とかでかき氷が売られていたんでしょうね。
板氷しか置けない硬派なやつでござんす `∀´)ウシシ
叡山パラダイス跡の探索はこの辺までにして、
次はもうひとつの廃墟「叡山空中ケーブル跡」に向かいます。 -
叡山空中ケーブル跡の場所ですが…
これは国土地理院の地図上でははっきりと建物が残っています。
ロープウェー比叡駅からトレイルを北にたどった所に、
建物がふたつあるのが、かつてのロープウェー駅の遺構になります。 -
トレイルの途中にはこんな倒木があったり。
まぁ登山を嗜むのであれば、この程度の倒木は普通にあるレベル。
気にせずずんずん道を進みましょう (*ФωФ)ノ ゴーゴー
落ち葉に埋もれた道をザクザク歩くこと10分少々…
道が合っているのか不安になり始めた頃に見えたものが… -
叡山空中ケーブル跡
キタキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!
1928年に京福電鉄が開業した初代ロープウェーの跡地になります。
落ち葉の中に埋もれたコンクリートの遺構…
あゝふつくしい (ノД`)・゚・。 -
施設跡にお邪魔します。
屋根はなく、コンクリートの基礎だけが今もしっかり残っています。
この施設は機械室だったのかな?
開業当時、ロープウェーは空を飛ぶ乗り物として大々的に報じられ、
若い世代や家族連れでごった返していたそうな。
そんな栄華も束の間… 間も無く日本は戦争の時代に突入し、
徐々にレジャーは規制され、1944年に閉業の道をたどります。
戦時下では「鉄材供出」の国策が絶対の時代、
鉄材を多く使用していたロープウェーは解体される流れとなりました。
現在のロープウェーは1956年に新ルートで建設された2代目ですが、
ここで疑問が一つ…
初代のロープウェーはナゼこんな離れた場所に建設したのか…( ゚Д゚)? -
廃墟の小さな部屋に掛かる錆びついたハシゴ。
やばい。エモい。 -
機械室を逆側から。
オレンジ色の色藻が良いアジを出してますなぁ。
この見た目、完全にラピュタですやん。
さて当時、ロープウェーとケーブルカーが直結していなかった理由。
それは山上にある延暦寺の宗教境界が影響したからだと言われてます。
当時は、延暦寺の宗教観が半端なく強かった時世。
京福電鉄も元々ロープウェーとケーブルカーを繋げる予定だったのですが、
現在の山頂駅は延暦寺の聖域の核心部に踏み込む形になるため、
京福電鉄も泣く泣く断念した、というのがコトの経緯になります。 -
下から仰ぎ見た天井部分。
錆びついた鉄骨が建物を未だに支えている。
あゝふつくしい ・゚・(ノД`)・゚・。 -
イチオシ
ここが改札口だったのでしょう。
鉄材の供与を免れた支柱だけが物悲しく今の時代も残されています。
やばい。これまた…エモい。 -
さて、もうひとつの疑問が…
なんで現在のロープウェーはケーブルカーと近接する事ができたのか?
コレは単純に戦後の観光振興政策で土地利用規制が緩和された所以です。
延暦寺側も、厳格な宗教観より開けた宗教(観光)へと価値観が変容し、
戦前では不可能だった場所が許可された事も大きな理由になります。
ケーブルカーから山道を歩いて10分…は不便極まりないよなぁ。 -
改札と思われる建物の奥に残された2本のコンクリートライン。
おそらく、ここがロープウェーの乗り場だったのかと。
初代叡山ロープウェーの開業は1928年(昭和3年)。
当時 “空を飛ぶ乗り物” なんて、まだ夢物語の領域だったはず。
かつての人々が夢を見た痕跡の上に、私はいま立っている。 -
叡山ロープウェーまで戻ってきました。
あら、ここにも八瀬かえで嬢がいらっしゃる…。
どうやら彼女はロープウェーの方も兼任されているみたいです。
となりのケロちゃんが全くもって謎ですが (ノ∀`)ブハッ -
ここから山頂駅までびゅーんと移動して、比叡越えのルートを辿ります。
料金はおひとり様片道400円なり。意外とリーズナブルだぞ…。
斜面に沿って地面を登っていくケーブルカーとは違い、
谷を一気に飛び越えていくロープウェーはやはり異質な乗り物である。 -
比叡山頂駅からはそのまま大比叡を越える最短ルートもあるのですが、
今回は古くから参拝者が歩いた延暦寺経由の旧道に入ります。
しばらくは鬱蒼とした森の中を進むことになりますが、
やがて視界が開け、広場のような場所(見晴らし広場)に到着します。 -
本日はあいにくの曇天模様のため眺望は全くダメでした ( ゚д゚) …
ただ、さすがは延暦寺に続く古くからの参詣路。
道沿いには歴史の重みを感じさせる石像が連続して並んでます。 -
ここからは整備された山道を延暦寺方面に向かって進みます。
ホント雪が積もってなくてよかった~ (*ノ∀`)ノ -
この石碑が見えてきたら滋賀県の県境はもう少しです。
「国家鎮護」は仏教用語で、天台宗では極めて重要なキーワード。
その意味は、仏法によって国家を守り、災厄を鎮め平和を保つことで、
延暦寺の宗教的権威が及ぶ境界線の象徴ではないかと思います。 -
滋賀県に入りました ( ゚∀゚)b
ここから延暦寺諸堂まではもう少し距離がありますが、
ポツンと離れた場所にある格式高そうなお堂がお出迎え。
山王院堂。
比叡山初期の重要な堂宇であったと記録には残っていますが、
延暦寺の伽藍再編により主要エリアが別方向に移ったため、
昔の位置のまま、現在の伽藍からは外れた場所に残っています。 -
法華総持院東塔と阿弥陀堂。
延暦寺は単なる山岳修行寺に非らず。
過去も現在も、僧侶たちの教育と修行の中心であり続けている一方、
民間に仏教信仰を広く支える救済・往生の場でもあるのです。
要は、東塔が延暦寺の根幹的な寺院運営の象徴であるのに対して、
阿弥陀堂は信仰・救済という社会的役割に重きを置いているのですな。 -
阿弥陀堂を側面側から眺めてみる。
延暦寺は山一帯にまたがる大寺院で、そのエリアはとにかく広大。
主に、東塔・西塔・横川の三つのエリアに分かれているのですが、
各エリア間を歩くだけで2~3時間は掛かります (*´艸`)ヒッヒッヒ
全エリアを結んだ事はないので、いつかやってみたいと思ふ今日この頃。 -
イチオシ
ケーブル駅近くの展望台から見た琵琶湖と大津の眺望。
湖の輪郭をなぞるようにつくられたハコニワの様な湖上の街並み。
個人的にはいつ来ても胸に残る大津の象徴的風景だと思いまふ。
ここから坂本ケーブルで山を下れば比叡越えもいよいよ終盤。
京都から比叡山を越えて滋賀に入る。
延暦寺の厳格な空気を抜け、大津へと風景が解けていくこの越境ルート。
千年変わらぬ信仰の山と、観光地化を夢見た近代の痕跡が同居していて、
比叡山の歴史の余韻がふっと肩に触れてくるような道程でした (`∀´*)
この話、もう少し続きます。
それではまた~。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- pacorinさん 2025/12/13 21:44:38
- 比叡山 VS 愛宕山
- モリネコさん、こんばんは
この旅行記の表紙を見て、「あれ?」と思ったのですが、そっくりなお話が愛宕山にもあったからだと気付きました。10年以上前に愛宕山のケーブル駅跡を探しに行く旅行記(https://4travel.jp/travelogue/10827539)を書いたのですが、リゾート計画から廃墟になるまでの道のりが大変似ていると感じました。愛宕山と比叡山のけんかの話は有名ですが、リゾート化計画でも競争していたのかな?( *´艸`)
わたしも廃墟になんとなく心惹かれるタイプなのですが、モリネコさんの“かつての熱狂の残響”という言葉がしっくりきました。
ちなみに、わたしも小学校の夏休み、比叡山山頂遊園地のお化け屋敷に何度か行った思い出があります。怖かったですよね~今年の夏、大丸京都店で「甦る!!令和の比叡山お化け屋敷」という催しをやっていたのも気になりました(行ってないけど)。
続きも楽しみにしていますね。
pacorin
- morisukeさん からの返信 2025/12/16 01:31:55
- RE: 比叡山 VS 愛宕山
- pacorin さん
こんばんは。
コメントありがとうございます (´∀`о)
愛宕山ケーブル跡の存在は知っていたのですが、実際に現地を訪れたことはなくて、興味深く拝見させて頂きました♪ 愛宕山と比叡山の歩んだ道はよく似ているのですが、デベロッパーは同じ京都電燈ですね(笑) ただ戦後に明暗が別れた理由、比叡山は観光以前に巨大な宗教インフラであった一方、愛宕山は「火伏せ信仰」という明確な目的はあるものの、参拝の大衆化という点では比叡山ほどの“装置”を持てなかったんだと思います。まぁどちらも半世紀過ぎてリゾート化は完全に頓挫しているので、ケンカは引き分けが妥当でしょう (´~`*)
同じ廃墟好きとして、比叡山のことを知っていただけたのも嬉しい限りです。廃墟に残された「かつての熱狂の残響」を辿る感覚は、場所が違っても共通している気がします。比叡山遊園地のお化け屋敷も懐かしいですね。あの頃のちょっと本気で怖かった感じは、今でも妙に記憶に残っています。当時は怪談やホラーの媒体は限られていたので、噂話や人伝てに聞いた話が妙に現実味を帯びていて、想像力だけで何倍にも膨らんでいた気がします。
こうして当時の記憶や記録が重なり合うのも、廃墟を辿る楽しさの一つですね (`∀´*)
またぜひいろいろ教えてくださいまし。今後ともよろしくお願いします。
Mori Neko
-
- くわさん 2025/12/06 07:52:41
- これは素晴らしい
- オッサンネコさん、こんにちは。
私は京都生まれ京都育ちで、学校の遠足や町内の日帰り旅行で比叡山には度々訪れています。夏になるとお化け屋敷が営業して回転展望塔や昆虫博など懐かしい思い出があります。
社会人になってからも会社の登山部のメンバーと麓から歩いて登ったりもしました。
子供ができてからも、子供を連れて比叡山のスキー場に何度か行きました。
そんな何度も訪れた比叡山に空中ケーブルがあったとは。
地図で確認するとどうやら登山で登った時近くを歩いているはずなのですが全く気にも留まりませんでした。
地図でその空中ケーブル駅と山頂を結ぶと元スキー場があったところを通過していたようですね。そこからなら尾根伝いにケーブルの柱を建てられるので、宗教的な理由と土木建築的な理由でそんなところに駅を造ったのではとも思えます。
先日、アメリカのルート66を走ってきたのですが、地元の人には悪いのですが、廃墟とか廃村にはノスタルジーを感じてしまいます。
続きの旅行記を楽しみにしています。
くわ
- morisukeさん からの返信 2025/12/08 01:12:33
- RE: これは素晴らしい
- くわさん
こんばんはー。思い出がこもったコメントありがとうございます♪
比叡山が多くの人の「思い出の山」であることを改めて感じました。私は滋賀県大津市の生まれで、子どもの頃から比叡山を遠くに眺めながら育ちました。昭和60年代の子どもの頃の遊園地といえば、比叡山山頂遊園地と琵琶湖パークがまさに二大巨頭でした。ちなみに比叡山山頂遊園地のお化け屋敷は「ホンモノが出るらしい」という噂が小学校でも流れていて、ビビりながら無理やり入ったのを今でも覚えています(笑)。
滋賀県の人は、比叡山は行っても京都の方には下りないので、私も今回のケーブル跡がある事は最近になって知りました。どうやら昔のケーブル山頂駅は、今の山頂駅とは全く別のとこにあった様なので、気づかないのが当たり前なのかもしれないです。宗教的な配置と土木建築的な条件の折り合いで、これまたかなりアクセスの悪い場所にあった様なのですが、今ではその道も廃道になっているみたいです (*´~`*)
ルート66のお話もとても共感しました。衰退や廃の風景って、単なる寂しさではなく“かつての熱狂の残響”があるからこそ心を揺さぶるのだと思います。私は残念ながらアメリカを訪れたことはないのですが、写真や映像で見るルート66の景色は、どこかゴールドラッシュの栄光と重なり、言いようの無いノスタルジーを感じてしまいます。いつか私も実際に見てみたいのですが、果たして実現することやら (ΦωΦ)フフフ
今後ともよろしくお願いします。
Mori Neko
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