2024/11/21 - 2024/11/23
783位(同エリア2198件中)
ポポポさん
この旅行記スケジュールを元に
本殿金堂を後にして我々は奥の院へ。
石段の上り坂を上り木の根道から木の根峠へ、そこから下り坂を降りて義経堂、魔王殿へ。
鞍馬寺後半は登山旅行の様でもあった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
鞍馬寺観光の続きです。
本殿金堂で尊天様に参拝し、全員が金剛床で宇宙エネルギーと一体になる祈りが終わるといよいよ奥の院木の根の道へ出発。
奥の院の入り口は本殿金堂の向かって左にある朱塗りの建物光明心殿とその左横にある本坊の間の道を進んだ所にある。
奥の院入り口と表示されているのですぐに入口は分かるが、入口の写真は団体行動故に先を急ぐため写せなかった。
奥の院はいわば鞍馬寺の鎮守の森、寺の結界の中にあった。鞍馬寺 寺・神社・教会
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本堂金堂までは石段の勾配も割と緩やかであったが、奥の院の勾配は急で石段の高さも高くなり山登りの如くなりにけりと言う様になってきた。
奥の院の最初の建物は与謝野晶子の書斎冬柏亭だが先頭集団のスピードが速く写真を撮る間がなかった。
次にあった建物は鞍馬山の博物館である霊宝殿。この時点で先頭集団に追いついていたので写真を撮る余裕ができていた。鞍馬山霊宝殿 美術館・博物館
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霊宝殿入口。入場料は200円とこの手の博物館にしては非常に安い。
1階は鞍馬山自然科学博物館、2階は鞍馬寺の寺宝展示と与謝野鉄幹・晶子夫婦の展示室、3階は仏像奉安室。ここに国宝の毘沙門天三尊像が展示されている。鞍馬山霊宝殿 美術館・博物館
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国宝毘沙門天三尊像の写真。中に入って見る時間が無いため、この写真で見たことにした。
霊宝殿を過ぎるとさらにさらに傾斜が険しい登り坂、石段が作られているのだが段差が大きいので中高年には登り難い。
登山ガイドが先導してゆっくり登っているものの、個々人の登坂能力が異なるため先頭集団との距離が益々離れていく。
山道は2人が並んで登れるほどの道幅はあるが、スティックを使用している中高年者が多いので容易に前に進めない。
そういうことで木の根峠に差し掛かるまではガイドの説明が聞けないのはもちろんの事、写真を撮ると追い越されるのでほとんど写真も撮れなかった。 -
登山道の分かれ道にはこのように道しるべが設けられているので、道に迷うことは無い。
以前登った時はここまで登山道は整備されていなかった。さらに言えば上り坂に石段は無かったので今よりもずっと上り易かった。 -
鞍馬山の登山道には写真のような石段が設けられ、手すりも取り付けられているので安全対策は万全のようだが、実際に登ってみると足や膝に負担がかかる。
これが下り坂ならなおさらだ。
滑る危険は少ないが下り坂の石段は膝に大きな負荷がかかってしまう。
石段の左端には雨水が流れるように石敷の道が作られていた。この道を上る方が石段よりはずっと楽だった。 -
先頭集団がある場所で後続部隊を待ってくれていた。
ここは義経公の背比べ石。
鞍馬寺では遮那王と名乗った義経公が山を下りて奥州平泉の藤原秀衡を頼って行く時に名残を惜しんで背を比べた石。
石の高さは1.2m、とても背丈の低い石だ。義経公ってこんなに小さかったの?
って疑問が沸く。
牛若丸が鞍馬山の覚日和尚に預けられたのが数え歳で11歳の時、それから鞍馬で10年間武芸の修行に明け暮れて下山したのが21歳の時。
義経公は小男で、京の五条の大橋では武蔵坊弁慶と立ち合ったが欄干をと飛び交う身軽な義経にはかなわなかったという。
また壇ノ浦の戦いでは能登守教経(平教経)に追い立てられ八艘飛びで逃れた話は特に有名な話。
軽量で身軽でなければこの離れ業はできないので身長は低かったのだろうが甲冑から推測すると147センチ前後ではないかと推測されている。
ではこの背比べ石は本物なのか?
どう考えてもこの石は低すぎる。あくまでも逸話・伝説の類で話を元に後世の者がこのくらいだろうとここに立ち上げて伝えたのではないだろうか。 -
背比べ石の石碑
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背比べ石の説明板
さて、ここまで来たのに「義経公の息継ぎの水」に出会わない。
過去2回訪れた時には石敷の上り坂の参道の右側にあったのでそちらばかり注視していたが結局見つからなかった。
後日鞍馬寺のHPで確認するとこの背比べ石の手前にある屏風坂の地蔵堂の下にあると表示されていた。
さらに旅行者の方がアップだれたyoutubu動画でその所在と今の様子が確認できた。
息継ぎの水の様子は過去訪れた時に見た息継ぎの水とは全く違っていた。
そもそも「義経公息継ぎの水」とは義経公が天狗に兵法を習うために深夜抜け出して一人に参道下の住まいから奥の院の道に急ぐ途中で、息継ぎの為に湧水を飲んだ場所とされている。
私が見た息継ぎの水は上り坂の参道の左側にあり、山中の清らかな水が湧き出る場所で、周囲は緑の苔やシダで覆われた深遠な場所だった。その水場の側に説明板があったのを覚えている。
当時は参拝者が水を飲めるように竹製の台座がしつらえてあり、その上に柄杓が2本から3本置かれていた。
当時の水場と現在の水場の決定的な違いは水場の設置場所である。
私が訪れた時は上り坂の参道の左側にあった。もし奥の院から鞍馬寺に戻る途中(現在の場所)で見たのなら、参道は下り坂になっていたはずである。
この44年の間に水が枯れたか何かの原因でお寺が「息継ぎの水場」を現在の場所に移したのだろうか?
今はそうとしか考えられないのだが。 -
背比べ石まで来たら、ここからは大杉権現の方向に向かって進むと木の根道から木の根峠に出る。
我々は大杉権現の方へ。 -
これより木の根道。
土が固いため木の根が地中に入り込めずに地表から浮き出て根を伸ばした状態になっている。
山岳ガイドからは木の根は生きているので根を踏まないように歩くよう注意された。木の根道 自然・景勝地
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木の根道を進んで行く。
ここは思い出の場所。この奥に鞍馬山で最も霊力の高い場所があると50年前、44年前に教えられた場所があるのだ。
今はどうなっているだろうか?木の根道 自然・景勝地
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ここは木の根峠の木の根道。
50年前、44年前はここは周囲を杉の大木が生い茂り、昼なお暗い場所だった。
杉の大木群に丸く囲まれた中に円形の平地があって、そこが思い出の場所というか神仏の光に触れた場所というか、神仏の存在を感じた場所だった。
杉の大木に囲まれた円形の場所は結界が張られた中の様で、初めて参加した仏道素人の私にも明らかに波動が違うと感じた場所だった。
しかし44年過ぎた今はその面影が無い。周りを囲んでいた杉の大木が少なすぎるのだ。
今は杉の間から日が差し込む明るい木の根道になっていた。
目的の場所は大杉権現社の隣だったので大杉権現社を探そう。木の根道 自然・景勝地
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大杉権現社の標識があったがお社が無い。
標識の奥に結界を張る綱が張られていたが、ここが大杉権現社なのか?
ガイドに聞くと2018年の台風で杉の大木が次々に倒れたとのこと。大杉権現社の御神木まで倒れたと言う。
写真奥に黒く横たわっているのが御神木の哀れな姿。
辺り一面櫛の歯が抜けるように杉の大木が無くなっていて、明かりが差し込んでいる。
恐ろしいことに50年前、44年年前の姿が一変していた。昼なお暗い杉林は今はもう無い。大杉権現社 寺・神社・教会
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大杉権現社の哀れな姿。残っているのは手水舎と蝋燭を建てる所のみ。
以前ここは杉が立ち並び深遠な印象を受けたものだが、今はその面影は無い。
静謐な波動は全く感じなかった。
以前は最も霊力が強いと言われた霊域は今はもう無くなったようだ。そのため金剛床の六芒星がパワーが強い所と言われているのだろうか。大杉権現社 寺・神社・教会
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大杉権現社の社殿があった場所。台風でお社は全壊したそうだ。
今は「魔王大僧正、太郎坊大権現、大杉大権現」の碑と1基の狛犬、一対の花立があるだけだった。
結界の奥は進入禁止。この部分に大杉権現社の社殿があった。大杉権現社 寺・神社・教会
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社殿があった場所は今や草が生えているのみ。右奥の黒い影が台風で倒れた大杉権現社の御神木。
大杉権現社 寺・神社・教会
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倒れた大杉権現社の御神木。
杉の丸太はいくつもの裂け目があり、哀れな姿となっていた。大杉権現社 寺・神社・教会
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この辺りは大杉権現社の隣、50年前、44年前の霊域はこの辺りだったろうか?
いや全く違う。杉林のサークルの中は平地だったし、周囲に沢山の杉の木があった。
写真の大木も台風で倒れたのだろう、切り株だけが残っていた。 -
さすればこの辺りか?ここも大杉大権現社に近い場所だが。
雰囲気は似ているが中央の平地にこのような大木はなかったと思う。 -
ここが最も霊域に似つかわしい場所かな。
周囲に杉の大木があれば霊域に似てなくもない。木の根道 自然・景勝地
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ここは大杉権現社から離れてはいるが一番雰囲気が似ているかもしれない。
50年前に訪れた時は周囲の杉林が密集していて、サークルの端に高床式の祠が建っていた。
50年前の当日はこの祠の前で儀式が始まった。
大祓の後に祝詞奏上、先生が九字を切られて何か祠に語り掛けられ、その後般若心経三巻全員で唱和する。その他先生がお経を唱えられたがこの辺りは詳しく覚えていない。その後祠の中に5本の蝋燭を立てられ火を灯された。
その後初めて仏道修行ツアーに参加した男性5人が呼ばれて祠の前に出た。
先生が一言挨拶「この5名の方は今回初めて仏道修行に参加された方々です。中には予定があったにもかかわらず、私がたってとお勧めして参加された方(私の事です)もいらっしゃいます。本日は尊天様のご恩徳を頂いて新たな年で大いに発展繁栄なされますようお祈り致します。」このようなお言葉を頂きました。
そして5人は前に出て先生からそれぞれ蝋燭を頂くとともにお言葉を頂きました。
私には「あなたは蝋燭の芯になりなさい。そして蝋燭に火を灯して多くの人を明るく照らしなさい。そのような人になりなさい。」と言われました。
その時何か鞭うたれたような衝撃が走り目から涙が溢れて止まらなくなりました。
手の甲には溶けた蠟がポタポタ落ちてくるのですが熱くも何ともありません。
時間にしてほんの数分程度の出来事だったとお思いますが、とても感銘を受けた瞬間でした。
その後蠟燭の火を消して、蝋燭の使い道を指導されました。
「今日一日の終わりに蝋燭に火を灯して生かしていただいたことを神仏に感謝しなさい。一日を振り返って今日は何をなしたか反省しなさい。そして明日は何をなすのか神仏にお誓いなさい。これを毎日続けて下さい。この蠟燭が無くなったら市販の蝋燭でいいから火を灯して毎日神仏に感謝を捧げなさいと教えられました。
それからは毎日蝋燭に火を灯してお祈りしていましたが、就職して勤務年数が増えるに従って祈りの時間を忘れるようになり、今ではすっかりおろそかになりました。
私の人生で毎日神仏に拝礼して、生かされている事への感謝と反省を行っていたのは20代まででしたね。
それ以降日々の勤務に追われ、いつの間にかおろそかになってしまいました。
今回鞍馬寺に参拝して旅行記を書き起こすにつれてその時の記憶が蘇ってきました。
今もう一度今は無き先生のお言葉に従い、日々感謝と反省を行いたいと思います。
さて「蝋燭の芯になれ、蝋燭に火を灯せ」の本当の意味が分かったのは40歳を過ぎてからでした。
「真意は心の中に法灯を灯せと言うことだと気が付きました。」
もはや忘れかけた大事な記憶を呼び起こすきっかけとなったのが今回の鞍馬寺ツアーだった。 -
木の根峠で昼食。
倒れた大杉を二つに割ったベンチに腰かけて食べた。 -
お弁当はお寿司弁当。
この弁当は美味しかった。お勧めですよ。
昼食が終わると木の根峠から貴船西門を目指して下山した。 -
貴船への下山コースは写真のような下り坂の石段。
このような道がずっと続くので膝に応える。鞍馬山 自然・景勝地
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不動堂を経て義経堂に到着。
鞍馬寺 義経堂 名所・史跡
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写真は義経堂。
奥州平泉で非業の死を遂げた義経公の御霊は、鞍馬山戻って安らかに鎮まっていると伝えられ、遮那王尊として祀られている。
そしてこの周囲が牛若丸が天狗に兵法を習った「僧正ガ谷」である。鞍馬寺 義経堂 名所・史跡
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この辺りが牛若丸が兵法を習った「僧正ガ谷」
「僧正ガ谷」を越えて次は魔王殿へ。
魔王殿も鞍馬寺のパワースポットと言われている。50年前、義経堂には来たことを覚えているが、魔王殿まで来たかどうか記憶が定かではない。
木の根峠の霊力と波動がすごかったので、魔王殿までは行かなかったのかもしれない。鞍馬山 自然・景勝地
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僧正ガ谷を越えて山道を下ると、2018年の台風の爪痕が生々しい場所に来た。
大杉が次から次へと倒れていて台風の災害の凄まじさを見せつけられた。 -
ここにも杉の巨木が横たわる。
このような個所がここかしこにあるので驚いた。 -
参道の左側は台風で掘り起こされた巨木の根がごろごろしていた。
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奥の院魔王殿に到着。
奥の院魔王殿 寺・神社・教会
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ここが魔王殿。鞍馬寺の本殿金剛床と同じくパワーが強いと言われている場所。
ここは太古の昔、護法魔王尊が降臨した磐座・磐境として崇拝されてきた。奥の院魔王殿 寺・神社・教会
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これから左に降りれば貴船神社の西門。
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ここからの下りも石段が続く。
写真は撮っていないが貴船から鞍馬山を抜けて鞍馬寺に向かう外国人観光客がやけに多かった。
大多数が登山姿ではなく普段着姿、中にはスカートの女性もいて汗だくで登って
いた。
貴船からの山道は傾斜が鞍馬口から登るよりも急なので、貴船鞍馬間の縦走を考えている人は鞍馬口から登る方がいい。鞍馬山 自然・景勝地
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道幅は木の根峠付近の山道より横幅が狭い。
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ようやく貴船神社の西門を通って貴船に到着した。
ここで鞍馬山・鞍馬神社の旅行記は終わるが、50年ぶりに訪れた鞍馬寺は参道などの様子が以前より大きく変わっていた。
まず参道の様子が全く違う。石段が増えているのはその間に参道を修復して石段に変えたと考えられるが、それにしても変わりすぎていた。
特に義経公の息継ぎの水は場所さえも違っていた。
さらに霊力が強いと言われていた竜神池は地図にもない。木の根峠の木の根道は台風の影響と思われるが、その姿が一変していた。
冷静に考えると今の鞍馬山、鞍馬寺、参道などが正しい姿なのだと思う。では50年前の鞍馬寺や参道はどう解釈すればいいのか?
私の私見だが当時の山や寺の波動や霊力は、とてつもなく今よりは強かったのではないか。
特に我々を引率して下さった先生は霊能力者として知られていたので神仏に通じることができたのだろう。
そう考えると私たちが見た鞍馬山・鞍馬寺は、神仏が我々に見せて下さった景色だったのではないかと思う。
次は貴船神社です。訪問ありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ももであさん 2025/02/07 18:39:46
- 25分の1
- ポポポさん こんばんは
時間の経過とともに、自然の影響や人々の手による修復が行われることで、良くも悪くも、思い出の地の姿は変わっていくものですね。ましてや50年の時を隔てればその変わり様は凄まじかったことでしょう。どこか一抹の寂しさは否めませんね。
でも1250年の時を経ても現在の鞍馬寺が、過去と同じく多くの人々に愛され、訪れる人々にさまざまな感動を与えていることは確かです。過去の風景と現在の姿を比較しながら、その歴史や変遷を感じることも、旅行の楽しみの一つなのでしょう。
そして、かつての強い波動や霊力を感じられた体験は、まさに貴重なものであったと思います。霊能力者の先生に引率されて訪れた当時の鞍馬山・鞍馬寺の景色は、特別な意味を持っていたことでしょう。
何より1250年のうちの50年をご存じのポポポさんに驚きです。
- ポポポさん からの返信 2025/03/10 15:53:48
- RE: 25分の1
- ももであさん、 こんにちは。
メッセージに気付くのが遅れ、返信が遅くなって申し訳ありません。
> 時間の経過とともに、自然の影響や人々の手による修復が行われることで、良くも悪くも、思い出の地の姿は変わっていくものですね。ましてや50年の時を隔てればその変わり様は凄まじかったことでしょう。どこか一抹の寂しさは否めませんね。
確かに鞍馬山、鞍馬寺の変貌には驚きました。現在の鞍馬寺の参道が正しいはずなのに、以前訪れた時と様子が一変していたため 別世界に来たのか、それとも50年前の鞍馬寺は別次元の物だったのかと思うほどでした。
それほど50年前に訪れた鞍馬寺が印象深かったのでしょう。特に木の根道と義経公の息継ぎの水の変わり様には驚きました。
その事を妻に話すと「あなた、キツネか何かにバカされたんじゃないの」と笑って信じてくれませんでした(笑)
> でも1250年の時を経ても現在の鞍馬寺が、過去と同じく多くの人々に愛され、訪れる人々にさまざまな感動を与えていることは確かです。過去の風景と現在の姿を比較しながら、その歴史や変遷を感じることも、旅行の楽しみの一つなのでしょう。
そうですね、新鮮な鞍馬寺観光でした。
> そして、かつての強い波動や霊力を感じられた体験は、まさに貴重なものであったと思います。霊能力者の先生に引率されて訪れた当時の鞍馬山・鞍馬寺の景色は、特別な意味を持っていたことでしょう。
今回の旅行ではあの感動や波動は感じられませんでした。でもあの時の感動は忘れられません。今回訪れてみて、50年前の感動や忘れかけていた事が呼び起こされたのは収穫だったと思います。
当時の自分を振り返り、心新たに残りの人生を歩みたいと思う今日この頃です。
> 何より1250年のうちの50年をご存じのポポポさんに驚きです。
振り返ってみれば人生って不思議な事が多いですね。普段は気が付きませんが、時折何かの力によって気付かされることがあります。それに気付くか気づかないかでその人の進路や将来の姿、未来が大きく変わるようです。
これを「気付き」と言うのでしょうが、良い「気付き」を頂き良い人生を送りたいものですね。
ありがとうございました。
ももであ様
ポポポ
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