2024/11/04 - 2024/11/04
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2024/11/04
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今日から残り二泊三日。ここからはレンタカーで大隅を回ります。まず初日は鹿児島の郊外から姶良市域を回って、最後は霧島の宿に入るというコース。ただ、例によって、姶良市域というだけでは雲をつかむような感覚。姶良、蒲生、加治木に今は霧島市に編入された国分、隼人とか。多様な地域性がありますから、やっぱり旧町名で認識しないと理解は難しいですね。しかし、いずれにしても、鹿児島から霧島神宮の間のエリア。以前、霧島神宮の周辺は高千穂河原も含めてチョロっと回ったことがあったので、せめて大隅国の中ではそれなりに土地勘があるように思っていたエリアでしたが、事前の調べで結局ほとんど初めてのコースだったということが分かってきて、鹿児島ってそんなに不案内だったかなあとちょっと愕然となったり。そういう意味では、ここをうまくこなしていい流れを作りたいところですけどね。
まあ、それはそれとして、改めて大隅国のこと。島津家と大隅国の関係も含めて、もう少し補足しておきたいと思います。鹿児島は島津家。関ヶ原の戦いからの長い臥薪嘗胆の時代を経て、幕末には雄藩へ。西郷隆盛以下、最強の軍事力を以って明治維新の扉を開いた大功は明らかで、薩長土肥の筆頭。鹿児島=薩摩藩という認識が一般的ですよね。しかし、その薩摩藩は西半分の薩摩国と東半分の大隅国の二国から成り立っているというのが正しい姿。鹿児島市は鹿児島の中央にあって薩摩国の範囲ですが、その鹿児島市の東側からはすぐに大隅国です。ちなみに、おはら節の「花は霧島 煙草は国分 燃えて上がるは オハラハー 桜島」に歌われた霧島、国分、桜島は実は全部大隅国の範囲。大隅国には鹿児島を彩る代表的な場所が多くあって、そういう意味でも決して脇役的な存在ではありません。もう少し続けると、もともと薩摩国の中心は川内だったし、大隅国の中心は国分。それが両方合わせた中心が鹿児島市となったのは島津家がここを拠点としたことが始まりです。
つまり、前回の旅行記と少し重なりますが、島津家が室町幕府より薩摩国、大隅国、日向国の守護と認められたのは島津氏第5代当主、島津貞久の時。島津貞久は死去に先立ち、正平18年(1363年)、薩摩守護職を三男の師久に、大隅守護職を四男の氏久に譲ることとします。前者が総州家、後者が奥州家です。その後、総州家では内紛が勃発。奥州家が島津を再び統一することで薩摩国と大隅国は一体化。総州家の拠点は伝統的な地、川内でしたが、奥州家は鹿児島市の近郊が拠点。鹿児島市が薩摩国、大隅国の中心となるのはこの辺りからなのですね。ただ、島津の統一に成功した奥州家も安定せず、奥州家の分家、相州家に権力は移っていき、島津氏の中興の祖と言われる第15代当主、島津貴久が登場。そして、貴久の子、義久、義弘らの四兄弟がさらに九州制覇に向かうというのが大きな時代の動きです。ここでもう一度大隅国に戻ると、大隅国を継承した奥州家ですが、実質的な勢力範囲は限られていたようで、そこから地元の豪族、肝付氏や日向国守護の畠山氏との争いを経て大隅国を統一。その勢いがその後の島津氏の隆盛につながったとも言われていて、あまり目立ってはいないかもしれませんが、島津氏にとっての大隅国の重要性はそんなに捨てたものではない。信長が美濃を攻略して勢いを得たような感じかもしれませんね。
以上、大隅国が大よそ、そういう歴史的な背景や豊かな地域性がある場所だということを頭に置きながら、ここから巡っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
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鹿児島市を出発して、鹿児島県立吉野公園へ。鹿児島市のすぐ郊外のはずでしたが、けっこう道が難しい。仙厳園の手前のところから山側の道に入るのですが、その別れのところが分かりにくいです。
ちょっとがっかりしました by たびたびさん吉野公園 公園・植物園
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さて、公園は都市公園100選の一つであり、入り口から進むと雄大な桜島を借景とする広場があって、それがウリなんだと思いますが、朝はまともに逆光となってしまって、すっきりとしたきれいさではないですね。期待していただけにちょっとがっかり。
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奥に進むとなだらかな芝生の丘陵。
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よく整備がされていて、
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ここからなんとか桜島の借景が撮れました。
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あとは、芝生のグラウンドに
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美しい日本庭園風の一角もありました。
やっぱりそれなりのスケールもあるし、県立公園だけのことはあると思います。 -
吉野公園から、今度は寺山公園です。
ちょっとした駐車場があって、風景にも気骨がある by たびたびさん寺山公園 公園・植物園
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そこから先に進みますと
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大崎鼻展望台という展望台が現れました。
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イチオシ
寺山公園はここからの眺めがウリですね。
これは「風景にも気骨がある」と司馬遼太郎が絶賛したという眺め。
眼前の桜島から -
錦江湾を
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一望できるのですが、崖の上から見ているという臨場感も凄いですね。
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なお、開聞岳も見えると書いてありましたが、そこまではよく分かりませんでした。
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鹿児島市を過ぎて、ここから姶良市蒲生町に入ります。
蒲生町物産館くすくす館は、蒲生八幡神社の門前、蒲生町の市街中心部の大通り沿いにある産直の施設。地元の野菜が並んでいました by たびたびさん姶良市蒲生町物産館くすくす館 お土産屋・直売所・特産品
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道の駅ほどではないですが、駐車場もしっかりしているので立ち寄りやすいでしょう。
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冬瓜、かぼちゃ、白菜、キャベツ、なすなど地元の野菜。さつまいもも並んでいました。
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これが蒲生八幡神社。蒲生の大クスで知られる神社です。
蒲生の大クスで知られる神社 by たびたびさん蒲生八幡神社 (鹿児島県姶良郡) 寺・神社・教会
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市街奥の高台に悠然と位置していて、大鳥居のところから緩やかな坂道を上がっていきます。
もともとは、藤原氏北家、教通流の出とされる蒲生氏の初代、舜清が保安4年(1123年)に大隅国へ下向して創建。蒲生氏は早々に島津氏に敗れて他地に退去しますが、その後、島津義弘により再建されて復興。多くの銅鏡を有する神社でもあるようです。この入り口にも見事なクスがそびえていますが、大クスはこれではありません。 -
蒲生の大クスは、蒲生八幡神社の本殿に向かって左斜め前にあって
樹齢は1600年 by たびたびさん蒲生の大クス 名所・史跡
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これなんですね~
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樹齢は1600年。根周り33.5m、高さ約30mは日本で一番大きな楠なのだとか。
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イチオシ
老木ですが、近くで見ても樹勢はまだまだ強い。枝もしっかり張っているし、葉も青々としています。
ただ、このクラスになるとそれぞれがそれぞれ。來宮神社(https://4travel.jp/dm_shisetsu_tips/10327121)、武雄の大楠(https://4travel.jp/dm_shisetsu_tips/14820023)、宇美八幡宮(https://4travel.jp/dm_shisetsu_tips/15122218)もインパクトは十分でした。 -
門前町の方に戻って、これは蒲生観光交流センター。駐車場もそれなりに広いです。
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焼き物や人形など伝統工芸品を置いたショップの方は
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雰囲気があるし、
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奥にある観光案内のパネル展示とかも本格的。
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ちょっとしたガイダンス施設的なところもあって、意外になかなか楽しめました。
蒲生郷歴史年表にある比志島美濃守国守というのは、島津家の部将。島津氏の第15代当主、島津貴久が応じた大隅合戦。蒲生氏との攻防で功があった人物です。島津貴久は、既に薩摩統一を果たしていますが、こうした国人衆との戦いはまだ続いていたということですね。 -
武家屋敷通りは、蒲生観光交流センターのところから。
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石畳の道が続いていて、両側には石垣や生け垣のお屋敷。
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途中に、蒲生交流センター別館というのがあって、
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中に入ると敷地内にはかつての家屋と悠々とした平庭。
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けっこうシンプルな武家屋敷です。
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なお、大通りの方には薩摩藩蒲生麓、御仮屋門というのが残っていて、これもチェックポイントの一つです。
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蒲生中央公園は、蒲生市街の端っこ。蒲生川の河畔にある公園。
広々した芝生の多目的広場にはしっかりした複合型遊具も複数あって、想像以上に充実した内容ですね。子供連れの姿がありましたが、ここならとても安心だと思います。 -
さらに、標高160mの竜ヶ山の山頂。国道から脇道に入って、ちょっとおっかなびっくりでしたが、たどり着いた先には城山公園。ここは、蒲生城跡でもあり、既に触れましたが、これがかつてこの地を治めた蒲生氏の居城があった場所です。
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辺りは周囲を見渡せる公園となっていて、約200本の桜。花見にはちょうどいい感じになっています。
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展望所からは蒲生の市街を眼下に眺めることができました。まあまあの眺め。地元の人の評判が良かったのも納得です。
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イチオシ
蒲生の市街を離れて、これは山田の凱旋門。
明治37・38年の日露戦争に山田村から出征した人たちの無事帰還を記念して、明治39年に建設された凱旋門。石造りの門は、今でもがっちりとして堂々たる構え。中央のアーチ部に凱旋門と文字が彫られているのもかっこいいと思います。 -
そのすぐ近くでは、山田の里かかし祭り。
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地元のイベントだと思いますが、
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思い思いの作品が
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並んでいて、
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けっこう楽しい。
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稲の収穫も終わって
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一年間お疲れ様的なところもあるんじゃないかと思います。
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私もちょっと気分が変わって、ほのぼのした気持ちになりました。
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ここから海岸部に出まして、これはなぎさミュージアム。
霧島錦江湾国立公園の海岸部、重富海岸の松林の中に建つ錦江湾のあれこれを紹介するこじんまりとした施設です。錦江湾のあれこれを紹介する施設 by たびたびさん重富海岸自然ふれあい館 なぎさミュージアム 美術館・博物館
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錦江湾のゆりかご重富干潟、のぞいてみよう!干潟の世界とか水槽の展示では、干潟の生き物を観察したり、単なるビーチというだけではない重富海岸の意味を解説していました。
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また、近隣の観光スポットのパネルも、なにげに参考になりました。
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海岸の方に下りて、海岸の方から見た建物。
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そして、これが重富海水浴場です。
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イチオシ
砂浜に数百mも続くという涼し気な松林が美しいし、
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正面の干潟越しに北側から見る桜島もグッド。
ここが霧島錦江湾国立公園の代表的なスポットの一つというのも頷けます。
なお、山田、重富ともうひとつの帖佐が旧姶良町の中心。国人衆のひとり、平山氏が平山城を構え支配していましたが、比較的早い時期に島津氏が攻略。江戸期は、山田、重富、帖佐に外城を作り、盤石の体制を築いたとされる地域です。 -
続いては、加治木の市街に入りまして
これは椋鳩十文学記念館。 -
椋鳩十は、鹿児島県立加治木高等学校の国語教師や県立図書館長を務める傍ら、創作活動を行った動物文学の代表作家。加治木は、椋鳩十が動物文学を書き始めた原点なのだそうです。
館内では作品を紹介する展示品やビデオがありまして、拝見しましたが、戦時中の世の中の空気とかを背景にした作品とかちょっと特殊な感じがしなくもないかな。作品の背景をリアルに伝えるために避けて通れなかったものだとは思いますが、その分、作品の普遍性が狭くなったような気もしないではない。微妙なところかと思いました。 -
加治木郷土館は、加治木島津家の屋敷があった場所であり、西南戦争の際には鹿児島県の仮県庁が置かれた場所でもあるよう。加治木島津家の関係のほか、西郷南洲の遺墨や東郷元帥書などの資料があって、ちょっと重々しい雰囲気も。源氏物語の企画展をやっていて、意外にけっこう見応えがありました。
少し話を戻すと、加治木は蒲生氏と同じく、国人衆のひとり、加治木氏が支配していた地域。島津氏が平定した後も支配が安定しなかったようで、加治木島津家はその押さえとしての役割があったのだと思います。 -
黒川岬展望公園は、錦江湾越しに桜島を眺める加治木八景のひとつに整備された公園。確かに雰囲気はありますね。
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「浪のおりかくる錦は磯山の梢にさらす花の色かな」の歌碑があって、これは島津家久の歌。錦江湾の名前の由来になったと言われているようです。ちなみに、島津家久は、島津義久、義弘らを兄とする島津貴久の四男。沖田畷の戦いの総大将。龍造寺隆信を討ち取るという抜群の働きもしています。加治木島津家は、その家久の三男、忠朗を祖とするという関係です。
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同じく加治木のエリアですが、山の方に移って、今度は龍門滝へ。
駐車場からしばらく上って行ったところに展望所があって、滝はそこから眺めました。日本の滝百選にも選ばれたのは納得です by たびたびさん龍門滝 自然・景勝地
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高さ46m、幅43mと雄大な滝ですが、黒い岩肌に白く糸を引くように流れ落ちる水の美しさが印象的。
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イチオシ
古くから名所として知られ、日本の滝百選にも選ばれたのは納得です。滝つぼの方に下りていけますが、展望所からでも十分かなとは思います。
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そのすぐそばにあるのは龍門滝温泉。山あいに建つきれいな建物はすぐに分かります。
建物の奥に龍門寺滝が位置するというロケーションなので、ガラス張りの浴室からは龍門滝の姿が望めるという具合。令和2年にリニューアル。温泉はかけ流しになったということです。 -
もう少しこの辺りをチェックします。
龍門司坂は、苔むした石畳がいかにも古道といった雰囲気の坂道。 -
今は一部が残っているだけですが、木田の高井田から毛上に通ずる道の全体は100年もかけて造られたのだとか。
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イチオシ
西南の役の際は、西郷隆盛率いる薩軍はこの坂道を通って熊本へ向かったという道。歴史の道百選にも選定されています。
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そして、ここで一番楽しみにしていたのは、やっぱり龍門司焼。白薩摩は沈壽官窯ですけど、黒薩摩は龍門司焼ですからね。
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龍門司焼の中心となる龍門司焼企業組合がこれ。
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龍門司焼の製作現場でもあり、
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組合に所属している窯の作品を集めた総合展示場でもあるという施設。
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まさに黒薩摩、龍門司焼の総本山といったところでしょう。
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こうして一堂に作品を拝見しましたが、龍門司焼といっても意外に様々。
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カラフルな色使いの者もあるし、
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地味だと思っていた黒と青の配色とかも実はとても美しいとか。
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新たな発見がたくさんあって、
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やっぱり来た甲斐がありましたね。
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イチオシ
ここを見ずして龍門司焼は語れないかなと思います。
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指宿の長太郎窯もよかったんですが、改めて、黒薩摩の凄さを実感しました。
沈壽官もいいけど、龍門寺焼も負けていない。この堂々とした力強さは、ちゃんと美しさも備えていて、唐津焼や小鹿田焼、小石原焼や小代焼とも明らかに違うタイプ。さすがというしかないものだと思います。
この皿なんか、これでパスタとか食べたら最高ですね~ -
また少し移動して。
金山橋と板井手の滝は、金山橋の下を抜いて眺める板井手の滝の姿が定番なんですが、金山橋から下流にしばらく歩いた場所がビューポイント。ちょっと遠そうだったので、別々に。
金山橋はがっちりした石橋だし、 -
板井手の滝も雰囲気がある。確かに組み合わせは悪くないなと思います。
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加治木には、かじきまんじゅうのお店は複数あるようですが、車の通り沿いで目立っていたざおう堂で立ち寄ってみました。
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ふっくら柔らかな生地にほどよい甘さの餡子。まだほかほかで、どうかするとあんまんみたいで、やさしい味わいがなんともいいですね。かるかんのように芋は使ってない。地元の名物のようです。
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加治木から、いよいよ国分・隼人に入ります。
霧島市立隼人塚史跡館は、国指定史跡、隼人塚のそばにあるガイダンス施設です。 -
敷地の中に隼人塚があって、まずはそちらへ。
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イチオシ
隼人塚は、高さ2m、広さ約50㎡のちょっとした丘の上に、五重石塔3基と四天王石像4体が建っています。
熊襲の祟りを鎮めるために和銅元年(708年)に作ったという説や、養老4年(720年)に隼人の反乱の犠牲者を慰霊するために作ったという説などがあるよう。いずれにしても死者に向けたものという説。この雰囲気からすると納得ですね。 -
霧島市立隼人塚史跡館の方では、石塔の構造や四天王石像の特徴とかをパネル解説したり、
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鹿児島神宮や止上神社の紹介も。
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展示室は一つなのでざっと拝見すればいいのですが、じっくりみるとかなり細かく説明があるので、それなりに時間がかかるかもしれません。
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国分には京セラの工場があって、いわば京セラの街なんだそうですが、ホテル京セラもそれに相応しい純白のゴージャスな外観が素晴らしいですね。
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新館と本館を結ぶ三階の通路の方に縄文遺跡ミュージアムがあるので、それを拝見しました。
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地元に上野原縄文遺跡があるので、その関係から作られたのだと思いますが、全国の主要な遺跡を数多く紹介していて、予想外に素晴らしい。
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三内丸山遺跡は誰でも知っている超有名な遺跡だし
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大湯環状列石も謎めいた遺蹟。
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菜畑遺跡もあまり知られていないかもしれませんが、縄文時代と弥生時代のちょうど境目の遺跡としてかなり重要。私は、以前、フォートラに登録申請しましたが却下されてしまいました。理解がないなあと今でも残念に思っています。
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天降川は、国見岳を源として、鹿児島神宮を経由し隼人町から錦江湾に注ぐ二級河川。天降川の名前は、水源が天孫天降の地とされる霧島山にあることから。隼人町の辺りでは川の上流に霧島山を遠望して、平野の中をゆったりと流れていました。
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この辺りからは、国分らしい歴史のあるスポット。
祓戸神社は、明治維新の前までは守公神社と呼ばれ、国府の守護神で大隅国の総社と見なされている神社。つまり、総社がここにあるということは国府もこの辺りにあったということ。 -
大隅国の国府がこの辺りにあったのであり、だから国分の地名にも。赤い鳥居が立派です。
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大隅国分寺跡は、霧島市国分中央の市街地の中。
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イチオシ
立派な石柱と背後には平地があって、層塔、仁王像が保存されています。出土した古瓦からも国分寺跡であることは確実視されていて、国分尼寺跡や大隅国府跡と推定される場所もあるようです。
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そのすぐ隣りには舞鶴城跡。舞鶴城は、国分城の別名。
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慶長9年(1604年)、豊臣秀吉により強制的に隠居させられ富隈城にいた島津義久が新しく移り住んだ城。義久は、慶長16年(1611年)にここで亡くなっていますが、その間に国分城下の町も整備。長さ200mの石垣や堀、二つの石橋が立派に城の面影を残しています。
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そこから城山公園へ。この公園は、国分平野から錦江湾越しの桜島を望む高台にある公園。車で上がりましたが、けっこうダイナミックに上がっていきますね。遊園地のようなエリアと
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展望塔が建っていて、意外に整備された公園ですが、
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やっぱりポイントはここからの眺め。
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展望塔の下の芝生の丘から眺めると気分がスカッとします。
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城山公園から少し下った場所にあるのは、国分郷土館。
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何気なく入ってみましたが、さすがは大隅国の国府があった国分の博物館。
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日向国から薩摩国と大隅国が分かれたところから説明が始まり、養老4年(720年)に発生した隼人による最後で最大の乱、万寿年間(1024-1028)からの島津荘の形成、宇治拾遺物語にある大隅国守桜島忠信の逸話、大隅国分寺跡や大隅国府跡の調査など。面白く拝見しました。その後の島津義久の国分城も含めた歴史があって、やっぱり国分または国分・隼人はこの辺りの中心。そのネームは姶良と並んでアイデンティティが強いような気がします。
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西郷隆盛の肖像画や
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国分のたばこの歴史も
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藩の許可を得た重富の商人吉井太次右衛門が江戸へ売り込むとかなるほどという内容です。
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そして、国分でも最も歴史ある鹿児島神宮は、大隅国一宮で、旧社格は官幣大社。
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主祭神は、天津日高彦火火出見尊(山幸彦)と豊玉比売命(山幸彦の后)で、和銅元年(708年)に現在地に遷座。
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また、ここが八幡宮の根本社だともいわれていて、かつて国分八幡と宇佐八幡とどちらが正統な八幡かを巡って争いが起きたとも伝わります。かつて大隅正八幡宮と呼ばれていたというのはそういうことのよう。
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ほか、鹿児島の地名発祥がこの神社という説もあるようで、山幸彦がわたつみの国に行く際の船が籠山(かごやま)で作られたからとのこと。ちょっと驚きですけどね。
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また、一段高い場所に拝殿・本殿、
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一段低いところから拝殿につながる形で勅使殿が建つ並びも独特。
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薩摩国、大隅国も元は日向国。日向国は神話の故郷だし、鹿児島の神社は実は正当なルーツを持つということが少なくないですよね。
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川内の新田神社もそうでしたが、この神社もたぶん亜流ではない。
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全国的な知名度はイマイチですが、いろんな研究の余地もある神社なのではないかと思います。
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この辺りから、急に日が暮れて。。
もう晩飯にします。どったんばっ炭は、日当山温泉郷の端っこ。大通りから少し入った場所なので、初めての人だと分かりにくいかもしれません。 -
イチオシ
ただ、けっこう人気の店らしく、声をかけた地元の方のお勧めで訪ねてみました。炭火焼がウリのようでしたが、注文したお造りの盛り合わせとかもとても美味。やっぱり人気のお店だけのことはあるなと感じました。
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晩飯の後は、日当山温泉郷でひと風呂浴びましょう。ここは、薩摩の奥座敷として栄えてきた県内で最も古いと言われている温泉。西郷隆盛も頻繁に訪れたということです。
一直線のメインストリート沿いには、ポツンポツンと公衆浴場、家族湯等の温泉施設がいくかありまして、日帰り温泉の富士の湯に立ち寄ります。 -
ロビーは町の銭湯みたいですが、お風呂は広々としたけっこうな規模。地元の常連さんも多いようで、けっこうお勧めです。
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最後にもうひと踏ん張りで、今夜の宿に到着。
今夜の宿、みちや荘は、霧島温泉郷の幹線223号線沿い。鹿児島空港側からだと一番手前辺りになります。すぐに場所が分かるかなあと心配していましたが、本当に道のすぐ脇で分かりやすい場所でした。 -
登山客が多いようで、この日もそんな感じですね。
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ここでももう一回温泉に浸かります。
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朝ごはんはボリュームがあるし、風呂の温泉はかけ流し。
ここでは特別なことはないと思いますが、普通にゆっくりできるリーズナブルな宿だと思います。
さて、明日は、霧島温泉郷の周辺を回って、最後は志布志泊の予定です。
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この旅行記へのコメント (4)
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- Tripにこちゃんさん 2025/11/06 19:28:07
- こんばんは。
- たびたびさま
いつも見て頂き、ありがとうございます。
さくらさくら温泉や龍門司焼など、興味がある場所の紹介が沢山あり、楽しく読ませて
頂きました。
旅行はたびたびさまのように、綿密に下調べをするべきだと感じました。
主人は縄文遺跡が大好きです。
三内丸山遺跡や大湯環状列石は、見学しました。
ホテル京セラにミュージアムがあるのも、是非行ってみたいです。
- たびたびさん からの返信 2025/11/16 22:59:47
- RE: こんばんは。
- 縄文遺跡は、私も大好きです。特に縄文時代から弥生時代への移行のところに注目していて、日本人のルーツを考える時にもとても重要だと思っています。関連する旅行記ではその辺りもできるだけ詳しく書いているつもりですので、また気が付いたら読んでみてください。
たびたび
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- toroppeさん 2025/10/23 10:16:47
- ありがとうございます😊
- たびたびさん、こんにちは
我が家国分、鹿児島神宮などもしっかり回っていただき、ありがとうございます。
ざおう堂の加治木まんじゅうは、揚げたバージョンが美味しいんですよ。国分城山公園では桜島と反対側に行けば、霧島連山が綺麗にみえます。
またのお越しをお待ちしております。
- たびたびさん からの返信 2025/10/24 20:50:58
- RE: ありがとうございます😊
- なるほどですね!
地元の方ならではの情報ありがとうございました。
それと、旅行記を整理していて、平山城と加治木城はやっぱり行くべきだったような気がしました。
まあ、この辺りは言い出すとキリがないんですけどね。
とりあえず、今の目標は今月中に鹿児島の旅行記をあと2本あげること。月に5本をノルマにしているんですが、ちょっとそれではたまる一方。なんとかしたいんですが、なかなかそれが難しい。いつもギリギリのところでやってます!
今後ともよろしくです。
たびたび
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