長崎市旅行記(ブログ) 一覧に戻る
「浦上天主堂」<br />幕府のキリスト教弾圧に耐え続け、資金難の苦労を乗り越え1914年に東洋一を誇るレンガ造りのロマネスク様式大聖堂としてようやく浦上の信者たちが建てた天主堂。そのわずか20年後の1945年、長崎の原爆により浦上教会は無惨にも少しの堂壁を残し壊滅、アンジェラスの鐘も鐘楼もろとも崩れ落ちました。<br /> 1945年8月9日 爆心地に近いカトリック浦上小教区では当時所属していた信徒約12,000人のうち約8,500人が亡くなったとされ、信仰の拠点である浦上天主堂も倒壊した。<br />広島の原爆ドームのように、被爆したそのままの姿で保存するべきという意見もあったそうですが、信仰の場所を取り戻したいという願いもあり、在りし日の姿に似せて再建されました。現在の建物は原爆投下から約14年後の1959年にコンクリートで再建されたのち、1980年にレンガタイルで改装し、当時の姿に似せて復元されました。<br /><br /> 教会内に「被爆したマリア像」(木製)のレプリカが「平和」と書かれた木箱に収納、展示されており、しばらく見ていると修学旅行に来ていた小学生がすれ違うたびに元気に挨拶してくれて、いい教育してますネ!

『浦上天主堂』悲劇に耐え続けたカトリック教会

125いいね!

2024/09/24 - 2024/09/24

100位(同エリア4063件中)

旅行記グループ 魅惑の長崎

4

28

harusu

harusuさん

「浦上天主堂」
幕府のキリスト教弾圧に耐え続け、資金難の苦労を乗り越え1914年に東洋一を誇るレンガ造りのロマネスク様式大聖堂としてようやく浦上の信者たちが建てた天主堂。そのわずか20年後の1945年、長崎の原爆により浦上教会は無惨にも少しの堂壁を残し壊滅、アンジェラスの鐘も鐘楼もろとも崩れ落ちました。
 1945年8月9日 爆心地に近いカトリック浦上小教区では当時所属していた信徒約12,000人のうち約8,500人が亡くなったとされ、信仰の拠点である浦上天主堂も倒壊した。
広島の原爆ドームのように、被爆したそのままの姿で保存するべきという意見もあったそうですが、信仰の場所を取り戻したいという願いもあり、在りし日の姿に似せて再建されました。現在の建物は原爆投下から約14年後の1959年にコンクリートで再建されたのち、1980年にレンガタイルで改装し、当時の姿に似せて復元されました。

 教会内に「被爆したマリア像」(木製)のレプリカが「平和」と書かれた木箱に収納、展示されており、しばらく見ていると修学旅行に来ていた小学生がすれ違うたびに元気に挨拶してくれて、いい教育してますネ!

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通手段
ジェットスター
旅行の手配内容
個別手配
  • 浦上天主堂下交差点 タクシーでこの坂の入口で降ろされちゃいました(&gt;_&lt;)

    浦上天主堂下交差点 タクシーでこの坂の入口で降ろされちゃいました(>_<)

  • 経年劣化で重力を十分に感じながら、きつい坂を登って入口まで来ました。

    経年劣化で重力を十分に感じながら、きつい坂を登って入口まで来ました。

  • 周囲には被爆遺構の石像などが配され、今も原爆の爆風に耐えたもう一方のアンジェラスの鐘が時を告げています。

    周囲には被爆遺構の石像などが配され、今も原爆の爆風に耐えたもう一方のアンジェラスの鐘が時を告げています。

  • 「信仰の礎碑」<br />住民全てがキリシタンだった浦上村は浦上地区でも多くの殉教者が出た。

    「信仰の礎碑」
    住民全てがキリシタンだった浦上村は浦上地区でも多くの殉教者が出た。

  • 「浦上天主公教信徒誌」  1945年(昭和20年)に長崎への原爆投下によって破壊されたが、1959年(昭和34年)に再建された。1962年(昭和37年)以降、カトリック長崎大司教区の司教座聖堂となっており、所属信徒数は約7千人で、建物・信徒数とも日本有数規模のカトリック教会である。

    「浦上天主公教信徒誌」  1945年(昭和20年)に長崎への原爆投下によって破壊されたが、1959年(昭和34年)に再建された。1962年(昭和37年)以降、カトリック長崎大司教区の司教座聖堂となっており、所属信徒数は約7千人で、建物・信徒数とも日本有数規模のカトリック教会である。

  • 浦上天主堂の歴史<br />浦上の潜伏キリシタンは、1790年の「1番崩れ」、1842年の「2番崩れ」、1856年の「3番崩れ」を経て、1865年の大浦天主堂における「信徒発見」で歴史的な役割を果たした。そして、1867年の「4番崩れ」によって1869年、3394名が全国20藩へ流配された。

    浦上天主堂の歴史
    浦上の潜伏キリシタンは、1790年の「1番崩れ」、1842年の「2番崩れ」、1856年の「3番崩れ」を経て、1865年の大浦天主堂における「信徒発見」で歴史的な役割を果たした。そして、1867年の「4番崩れ」によって1869年、3394名が全国20藩へ流配された。

  • 度重なる苦難を乗り越えた浦上信徒により築かれた教会で1873年(明治6年)にキリシタン弾圧は停止され帰村したが信徒たちがなにより欲しかったのは「神の家」魂のよりどころである天主堂であった。

    度重なる苦難を乗り越えた浦上信徒により築かれた教会で1873年(明治6年)にキリシタン弾圧は停止され帰村したが信徒たちがなにより欲しかったのは「神の家」魂のよりどころである天主堂であった。

  • 1895年(明治28年)にフレノ神父の設計により教会の建設が開始され、30年後の1925年(大正14年)、石とレンガ造りのロマネスク様式としては東洋一と称された大聖堂が完成。

    1895年(明治28年)にフレノ神父の設計により教会の建設が開始され、30年後の1925年(大正14年)、石とレンガ造りのロマネスク様式としては東洋一と称された大聖堂が完成。

  • 正面双塔は高さ26m、アンジェラスの鐘が備えられた立派なもので、信徒の誇りであり信仰の象徴となった。しかし1945年(昭和20年)8月9日に投下された長崎原爆の爆風により教会堂は一瞬で全壊、アンジェラスの鐘も崩れ落ちた。

    正面双塔は高さ26m、アンジェラスの鐘が備えられた立派なもので、信徒の誇りであり信仰の象徴となった。しかし1945年(昭和20年)8月9日に投下された長崎原爆の爆風により教会堂は一瞬で全壊、アンジェラスの鐘も崩れ落ちた。

  • その後、アンジェラスの鐘は瓦礫の中から発掘され、1959年(昭和34年)に鉄筋コンクリートの天主堂を再建。1980年(昭和55年)、教皇ヨハネ・パウロ二世の来日を機にレンガタイルに改装し、旧浦上天主堂の面影感じる美しい教会堂となった。

    その後、アンジェラスの鐘は瓦礫の中から発掘され、1959年(昭和34年)に鉄筋コンクリートの天主堂を再建。1980年(昭和55年)、教皇ヨハネ・パウロ二世の来日を機にレンガタイルに改装し、旧浦上天主堂の面影感じる美しい教会堂となった。

  • 教会内は、写真、動画の撮影は禁止されています。 聖堂内の 敬虔(けいけん)な信徒の姿は壮絶な迫害を受けながらも信仰を守り続けた先祖の遺志を受け継いだ荘厳な雰囲気です。

    教会内は、写真、動画の撮影は禁止されています。 聖堂内の 敬虔(けいけん)な信徒の姿は壮絶な迫害を受けながらも信仰を守り続けた先祖の遺志を受け継いだ荘厳な雰囲気です。

  • 教皇ヨハネ・パウロ二世像 私は栄光と悲劇の跡をとどめている歴所の町、ここ長崎を訪れ栄光を勝ち取り悲劇を乗り越えた人々の子孫であり後継者である皆さんにお話しできることを神に感謝します。

    教皇ヨハネ・パウロ二世像 私は栄光と悲劇の跡をとどめている歴所の町、ここ長崎を訪れ栄光を勝ち取り悲劇を乗り越えた人々の子孫であり後継者である皆さんにお話しできることを神に感謝します。

  • 日本の信徒発見150周年記念碑 2015年3月に「信徒発見」から150年を迎えた17日、長崎市の大浦天主堂で記念のミサが開かれた。数々の弾圧の中で信仰をつないできた先祖たちに、信徒や教会関係者ら約300人が祈りをささげた。

    日本の信徒発見150周年記念碑 2015年3月に「信徒発見」から150年を迎えた17日、長崎市の大浦天主堂で記念のミサが開かれた。数々の弾圧の中で信仰をつないできた先祖たちに、信徒や教会関係者ら約300人が祈りをささげた。

  • 「悲しみのマリア像」と呼ばれる石像。いわゆる「被爆マリア像」(木像)とは違う。指が欠けており、原爆の爪跡を残したまま、今もなお、浦上天主堂の正面左側に配置されている。

    「悲しみのマリア像」と呼ばれる石像。いわゆる「被爆マリア像」(木像)とは違う。指が欠けており、原爆の爪跡を残したまま、今もなお、浦上天主堂の正面左側に配置されている。

  • 正面右側には「使徒ヨハネ像」が設置されて鼻が欠けている。

    正面右側には「使徒ヨハネ像」が設置されて鼻が欠けている。

  • 原爆の痕跡は鐘楼の残骸だけではありません。頭部が焼け焦げた聖母マリアの木像もそのひとつで、実物は教会の手前にある小聖堂に保管されており、観光客は立ち入ることができませんが、教会の奥に置かれているレプリカを見ることができます。

    原爆の痕跡は鐘楼の残骸だけではありません。頭部が焼け焦げた聖母マリアの木像もそのひとつで、実物は教会の手前にある小聖堂に保管されており、観光客は立ち入ることができませんが、教会の奥に置かれているレプリカを見ることができます。

  • 旧浦上天主堂の遺構 天主堂左側階段にある首のない聖人像。像の御前に立つと真新しい天主堂の姿が背景として目に入り、原爆の痛々しさを感じると共に、復興への希望も感じる事ができます。

    旧浦上天主堂の遺構 天主堂左側階段にある首のない聖人像。像の御前に立つと真新しい天主堂の姿が背景として目に入り、原爆の痛々しさを感じると共に、復興への希望も感じる事ができます。

  • 2双の塔が美しい。爆風に耐えた鐘は瓦礫の中から発掘され右の塔に吊るされており今も変わらぬ音を響かせています。

    2双の塔が美しい。爆風に耐えた鐘は瓦礫の中から発掘され右の塔に吊るされており今も変わらぬ音を響かせています。

    浦上天主堂 寺・神社・教会

  • 早朝5時半、浦上天主堂の右手の鐘楼に吊るされたアンジェラスの鐘の音が6時のミサを告げる。<br />右が聖セシリア、中央がキリスト、顔のない左の像はだれか不明とのこと。

    早朝5時半、浦上天主堂の右手の鐘楼に吊るされたアンジェラスの鐘の音が6時のミサを告げる。
    右が聖セシリア、中央がキリスト、顔のない左の像はだれか不明とのこと。

  • 「原爆遺物展示室」<br />信徒会館に旧浦上天主堂(戦前時の復元)が展示されていました。東洋一といわれた旧浦上天主堂の精巧な模型なども展示されています。

    「原爆遺物展示室」
    信徒会館に旧浦上天主堂(戦前時の復元)が展示されていました。東洋一といわれた旧浦上天主堂の精巧な模型なども展示されています。

  • 浦上教会内の信徒会館1階には被爆マリア聖静座が設置されています。<br />毎年8月9日に行われているタイマツ行列で被爆マリアを載せて運ぶ祭壇

    浦上教会内の信徒会館1階には被爆マリア聖静座が設置されています。
    毎年8月9日に行われているタイマツ行列で被爆マリアを載せて運ぶ祭壇

  • 天主堂正面入口上部に掲げられた「十字架上のキリスト」

    天主堂正面入口上部に掲げられた「十字架上のキリスト」

  • 下部には信徒の家庭から寄贈された被爆した石像が展示されている。

    下部には信徒の家庭から寄贈された被爆した石像が展示されている。

  • 信者から提供された天使像やキリスト像

    信者から提供された天使像やキリスト像

  • 原爆の影響による聖体の照明台

    原爆の影響による聖体の照明台

  • 浦上天主堂旧鐘楼 爆風で落ちた鐘楼の残骸<br />この鐘楼は、直径5.5m、重さ50トン。約35m離れた土手まで吹き飛ばされた。原子爆弾の爆風の強大さを表わしています。

    浦上天主堂旧鐘楼 爆風で落ちた鐘楼の残骸
    この鐘楼は、直径5.5m、重さ50トン。約35m離れた土手まで吹き飛ばされた。原子爆弾の爆風の強大さを表わしています。

  • 原爆で崩れ落ちた左側の鐘楼の残骸 崩れ落ちた鐘楼が川の流れを塞いでしまいましたが、当時は、50トンもある鐘楼を動かすことができず、川の流れを変える工事を行ったのだそうです。

    原爆で崩れ落ちた左側の鐘楼の残骸 崩れ落ちた鐘楼が川の流れを塞いでしまいましたが、当時は、50トンもある鐘楼を動かすことができず、川の流れを変える工事を行ったのだそうです。

  • 東洋一の教会「浦上天主堂」<br />1867年(慶応3年)浦上4番崩れによるキリシタンの流配から戻った浦上の信徒達は旧浦上村の庄屋宅を購入し1880年(明治13年)補修して仮聖堂としました。<br />

    東洋一の教会「浦上天主堂」
    1867年(慶応3年)浦上4番崩れによるキリシタンの流配から戻った浦上の信徒達は旧浦上村の庄屋宅を購入し1880年(明治13年)補修して仮聖堂としました。

125いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (4)

開く

閉じる

  • harusuさん 2024/10/19 17:58:55
    反転画像に関して
    おくさん 早々にどうもデス!
    スマホはiPhoneでタブレットはipadを使用していますが、どちらも自撮りしても逆画面にはなりません。

    ★使用している機器の以下の環境を確認をお願いします。
    【自分撮りの写真が反転する場合の修正】
    自分撮り(前面カメラ)を反転画像として保存する機能はデフォルトでオンにされています。ただし、反転画像は文字が裏返えるなど、その他の不要な効果も生みだします。反転画像機能をオフにすることができます。
    以下の手順に従ってください:
    ①カメラアプリを開きます。
    ②前面カメラに切り替えるか、自分撮りモードを使用します。
    ③メニューアイコンをタップします。
    ④設定 > カメラオプションをタップします。
    ⑤ミラー自撮りを保存(またはミラー画像を保存)オプションをオフにします。
      または、iPhoneの場合は前面カメラを左右反転をOFFにする。
    一度、ご確認あれ。
  • おくさん 2024/10/19 05:59:40
    潜伏キリシタン
    こんにちは、昨年、長崎五島列島巡礼の帰りに寄りました。
    近くにある大司教館の友達を訪ねましたが生憎留守でしたが、隣の浦神天主堂がバザーをやってますよと教えてもらい、バザーで貰ったと言う饅頭とマドレーヌを数個貰いました。
    浦上4番崩れもそうですが、五島巡礼は余りに酷いキリシタン弾圧を肌で感じて怒りと悲しみでいっぱいの旅でした。

    harusu

    harusuさん からの返信 2024/10/19 14:23:47
    Re: 潜伏キリシタン
    おくさん 初めまして!\(^o^)/
    オオッ~、サンチャゴ巡礼も行かれたのですね! 
    五島列島には勿論行ってみたかったのですが、大人の都合で省エネ旅行しかできない身なので残念ながら時間も予算も難しい、第一に「頑強なヘタレ」なので出来れば徒歩は避ける状態で、浦上天主堂の坂にもビックリして「ゲッ」となりました。大浦天主堂やオランダ坂もそうでしたが、長崎は坂が多いですね。でも、登りきると海がみえるのが褒美で楽しみでした。

    カトリック長崎大司教館って、旧浦上天主堂 鐘楼に向かう坂の途中で見えたホテルのような建物ですね。
    おくさんが浦上天主堂で頂いた、饅頭3個と「マドレーム」は分かりませんが、大浦天主堂の「奇跡のカステラ」が甘すぎずにうまかった。
    秀吉の伴天連追放令でキリスト教もすでに人気だった「カステラ」も禁止された。1865年に大浦天主堂で「信仰告白」され、カステラ「五三焼」が生まれ二つの奇跡が誕生したそうです。大浦天主堂キリシタン博物館で100個限定で20個位残っていたので即、購入。

    PS:五島列島現地からの投稿6のトップ画像で「福江港ターミナル」はひょっとしたら裏返しのようで、構内配置と文字が逆ですが……。

    おく

    おくさん からの返信 2024/10/19 16:29:08
    Re: 潜伏キリシタン
    コメントありがとうございます。
    そうなんですよー、タブレットで撮ると鏡状態で撮れるのでいつも左右反対になってしまいます。
    通常は気がつかないですが、文字があると分かってしまいます。

    私のコメント、浦上が浦神になってましたね!
    ポカがあちこちにあります。( ´-`)

harusuさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP