南三陸・登米旅行記(ブログ) 一覧に戻る
夏の盛りを避け、9月は夏休みを利用しての四週連続の旅に出る。その最初は、暑さがようやく緩み始めたみちのく陸前への一泊二日の旅である。訪れたのは、城下町登米と農村集落である北境、そして石巻である。初日は、まず登米へと向かう。<br /><br />(2024.09.12投稿)

暑さ緩みし陸前へ【1】~城下町登米~

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2024/09/08 - 2024/09/08

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旅行記グループ 【陸奥国】陸前国

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旅猫

旅猫さん

夏の盛りを避け、9月は夏休みを利用しての四週連続の旅に出る。その最初は、暑さがようやく緩み始めたみちのく陸前への一泊二日の旅である。訪れたのは、城下町登米と農村集落である北境、そして石巻である。初日は、まず登米へと向かう。

(2024.09.12投稿)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
3.5
グルメ
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス 新幹線 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 大宮駅を7時37分に出る『やまびこ123号』に乗り、仙台駅へ向かう。日曜日だと言うのに、車内は空席が目立ち、仙台駅に着いた時、車内には僅か七人しかいなかった。

    大宮駅を7時37分に出る『やまびこ123号』に乗り、仙台駅へ向かう。日曜日だと言うのに、車内は空席が目立ち、仙台駅に着いた時、車内には僅か七人しかいなかった。

  • 駅の西口へ出ると、2009年に閉館した後も残っていた『仙台ホテル』の建物が無くなっている。向かいにあった『さくら野百貨店仙台店』も閉館となり、東北の首都の駅前としては、寂しい限りである。その旧百貨店の前から、9時35分発の登米へ向かう高速バスに乗り込んだ。

    駅の西口へ出ると、2009年に閉館した後も残っていた『仙台ホテル』の建物が無くなっている。向かいにあった『さくら野百貨店仙台店』も閉館となり、東北の首都の駅前としては、寂しい限りである。その旧百貨店の前から、9時35分発の登米へ向かう高速バスに乗り込んだ。

    高速バス (東北急行バス) 乗り物

  • 僅か5名の乗客を乗せたバスは、震災後に開通した三陸道を走り、1時間半でとよま明治村バス停に着いた。11時を過ぎた頃であったが、朝が早かったので、すぐ近くにあった『とよま観光物産センター遠山之里』内の食事処でお昼とした。注文したのは、中華そばとミニとりめしのセット。中華そばはいまひとつであったが、とりめしはそこそこ美味しかった。

    僅か5名の乗客を乗せたバスは、震災後に開通した三陸道を走り、1時間半でとよま明治村バス停に着いた。11時を過ぎた頃であったが、朝が早かったので、すぐ近くにあった『とよま観光物産センター遠山之里』内の食事処でお昼とした。注文したのは、中華そばとミニとりめしのセット。中華そばはいまひとつであったが、とりめしはそこそこ美味しかった。

    喰膳 蔵・ら~ グルメ・レストラン

  • 食後、まずは、すぐ東側にある寺池城址に向かう。寺池城は、鎌倉時代からこの地を治めた葛西氏が築いた城である。江戸時代には、登米伊達氏の居城となり、『登米要害』と呼ばれていた。現在は、一部が公園となり、二の丸跡には裁判所が立っていた。

    食後、まずは、すぐ東側にある寺池城址に向かう。寺池城は、鎌倉時代からこの地を治めた葛西氏が築いた城である。江戸時代には、登米伊達氏の居城となり、『登米要害』と呼ばれていた。現在は、一部が公園となり、二の丸跡には裁判所が立っていた。

    寺池館 名所・史跡

  • 本丸跡は、その裁判所の北側の高台にあったようだが、そこはかなり荒れ果て、草に覆われた中に、廃屋などが立っていた。

    本丸跡は、その裁判所の北側の高台にあったようだが、そこはかなり荒れ果て、草に覆われた中に、廃屋などが立っていた。

  • 城跡から、遠山之里の前を通り、今度は西側にある教育資料館に立ち寄った。そこは、旧登米高等尋常小学校であった場所で、明治21年に建てられた校舎が、ほぼそのまま残されていた。

    城跡から、遠山之里の前を通り、今度は西側にある教育資料館に立ち寄った。そこは、旧登米高等尋常小学校であった場所で、明治21年に建てられた校舎が、ほぼそのまま残されていた。

    教育資料館(旧登米高等尋常小学校校舎) 美術館・博物館

  • 中に入ると、当時の学校の姿が再現されている。教育関連の資料も展示され、なかなか興味深い。木の温もりを感じる教室は、現在の鉄筋コンクリート造りの校舎やパソコンを使った授業では得られない、豊かな感情を与えてくれそうである。

    中に入ると、当時の学校の姿が再現されている。教育関連の資料も展示され、なかなか興味深い。木の温もりを感じる教室は、現在の鉄筋コンクリート造りの校舎やパソコンを使った授業では得られない、豊かな感情を与えてくれそうである。

  • 校舎の窓硝子は、歪みのある建築当時のものが残っている。しかし、震災により、かなりの窓硝子が割れてしまったそうだ。今では造ることが出来ない硝子を通して観る景色は、揺らぐ時のようである。

    校舎の窓硝子は、歪みのある建築当時のものが残っている。しかし、震災により、かなりの窓硝子が割れてしまったそうだ。今では造ることが出来ない硝子を通して観る景色は、揺らぐ時のようである。

  • 二階の一角には、かつて瀬峰駅と登米駅を結んでいた仙北鉄道登米線に関する資料も展示されていた。1968年に廃線となった後も、登米駅の駅舎は2007年まで残っていたそうである。今は、その窓口の部分だけが保存されていた。

    二階の一角には、かつて瀬峰駅と登米駅を結んでいた仙北鉄道登米線に関する資料も展示されていた。1968年に廃線となった後も、登米駅の駅舎は2007年まで残っていたそうである。今は、その窓口の部分だけが保存されていた。

  • 教育資料館を後にして、武家屋敷街へと向かう。その入口に、『高倉勝子美術館』と言う施設があった。『遠山之里』で購入した六施設共通券で入館できるので、立ち寄ることにした。『高倉勝子』の作品は初見であったが、とても心に響く、懐かしさを感じる絵が多かった。

    教育資料館を後にして、武家屋敷街へと向かう。その入口に、『高倉勝子美術館』と言う施設があった。『遠山之里』で購入した六施設共通券で入館できるので、立ち寄ることにした。『高倉勝子』の作品は初見であったが、とても心に響く、懐かしさを感じる絵が多かった。

    高倉勝子美術館「桜小路」 美術館・博物館

  • 美術館の向かいには、冠木門を構えた建物が立っていた。旧水沢県庁庁舎である。水沢県は、現在の岩手県南部と宮城県北部を管轄していた県で、この建物は、明治4年に建てられたもの。県庁が明治8年に一関に移ったため、僅か4年ほどしか使われなかったそうだ。その後、小学校や裁判所として使われ、今は記念館として公開されている。

    美術館の向かいには、冠木門を構えた建物が立っていた。旧水沢県庁庁舎である。水沢県は、現在の岩手県南部と宮城県北部を管轄していた県で、この建物は、明治4年に建てられたもの。県庁が明治8年に一関に移ったため、僅か4年ほどしか使われなかったそうだ。その後、小学校や裁判所として使われ、今は記念館として公開されている。

    水沢県庁記念館(旧水沢県庁庁舎) 美術館・博物館

  • 記念館の前を通る前小路を歩いて行く。この辺りは、武家屋敷が建ち並んでいた場所で、今でもその風情が色濃く残っている。

    記念館の前を通る前小路を歩いて行く。この辺りは、武家屋敷が建ち並んでいた場所で、今でもその風情が色濃く残っている。

  • 美術館の並びに、立派な門を構えた清野家がある。その門を挟んで、元禄時代に植えられたと云う二本の枝垂桜があり、桜の季節にはとても美しいそうである。

    美術館の並びに、立派な門を構えた清野家がある。その門を挟んで、元禄時代に植えられたと云う二本の枝垂桜があり、桜の季節にはとても美しいそうである。

  • そのすぐ隣には、かつての武家屋敷が残されていた。ここは、紀州熊野で名の知れた鈴木家が住んでいた屋敷であったそうだ。今は無料休憩所として公開され、喫茶もあるようなので、後でゆっくり見学することにする。

    そのすぐ隣には、かつての武家屋敷が残されていた。ここは、紀州熊野で名の知れた鈴木家が住んでいた屋敷であったそうだ。今は無料休憩所として公開され、喫茶もあるようなので、後でゆっくり見学することにする。

    武家屋敷「春蘭亭」 名所・史跡

  • その向かいに、一見して武家屋敷の門とは趣の異なる門があった。何も表示は無かったが、地図には寺池城裏門とある。調べてみると、そこは熊谷家の邸宅で、その門は、寺池城の搦手門が移築されたものとされているそうだ。本当であれば、寺池城の貴重な遺構である。

    その向かいに、一見して武家屋敷の門とは趣の異なる門があった。何も表示は無かったが、地図には寺池城裏門とある。調べてみると、そこは熊谷家の邸宅で、その門は、寺池城の搦手門が移築されたものとされているそうだ。本当であれば、寺池城の貴重な遺構である。

  • 熊谷家の斜向かいに、洗練された外観の建物が立っていた。そこは、隈研吾氏の設計により令和元年に建てられた、登米伊達家に関する資料などを展示する『登米懐古館』であった。その落ち着いた色合いの黒い屋根は、登米原産の天然スレートである玄昌石が使われているそうである。

    熊谷家の斜向かいに、洗練された外観の建物が立っていた。そこは、隈研吾氏の設計により令和元年に建てられた、登米伊達家に関する資料などを展示する『登米懐古館』であった。その落ち着いた色合いの黒い屋根は、登米原産の天然スレートである玄昌石が使われているそうである。

    登米懐古館 美術館・博物館

  • 茅葺屋根の『とよまだんご』の店の前を過ぎると、四脚門が見えてくる。鈴木家の門であったそうだが、東日本大震災で被災し、土地と共に市に寄附されたそうである。

    茅葺屋根の『とよまだんご』の店の前を過ぎると、四脚門が見えてくる。鈴木家の門であったそうだが、東日本大震災で被災し、土地と共に市に寄附されたそうである。

  • 少し歩くと、長屋門らしきものがあった。かなり手が加えられているが、武家屋敷の門だということはわかる。登米伊達家の兵法指南役であった亀井氏の屋敷だそうである。

    少し歩くと、長屋門らしきものがあった。かなり手が加えられているが、武家屋敷の門だということはわかる。登米伊達家の兵法指南役であった亀井氏の屋敷だそうである。

  • さらに進むと、左手に『江崎醫院』の標識がある邸宅があった。ここも、かつては武家屋敷であったそうだ。門も残っていたそうだが、震災で倒壊してしまったそうである。敷地内には洋館も建っていた。

    さらに進むと、左手に『江崎醫院』の標識がある邸宅があった。ここも、かつては武家屋敷であったそうだ。門も残っていたそうだが、震災で倒壊してしまったそうである。敷地内には洋館も建っていた。

  • その奥に、立派な蔵を持った屋敷があった。廻船問屋を営んでいた商家のもので、明治19年(1886)に建てられたものだそうだ。見学が出来るようであったが、時間が掛かりそうなので、止めておく。

    その奥に、立派な蔵を持った屋敷があった。廻船問屋を営んでいた商家のもので、明治19年(1886)に建てられたものだそうだ。見学が出来るようであったが、時間が掛かりそうなので、止めておく。

  • その商家が建つ場所は、前小路が鉤の手に曲がっている場所であった。城下町らしい構造であるが、ここだけのようである。

    その商家が建つ場所は、前小路が鉤の手に曲がっている場所であった。城下町らしい構造であるが、ここだけのようである。

  • 鉤の手を抜けると、少し広い道に出た。その道沿いにも、かつては武家屋敷であったらしい屋敷が残っている。

    鉤の手を抜けると、少し広い道に出た。その道沿いにも、かつては武家屋敷であったらしい屋敷が残っている。

  • さらに南側の山裾を通る道へ出てみると、そこには寺や神社が建ち並んでいた。その中には、寺池城の城門を移築したと云う山門を持つ養雲寺と言う寺もあった。この寺は、登米伊達氏の菩提寺であったそうだ。

    さらに南側の山裾を通る道へ出てみると、そこには寺や神社が建ち並んでいた。その中には、寺池城の城門を移築したと云う山門を持つ養雲寺と言う寺もあった。この寺は、登米伊達氏の菩提寺であったそうだ。

  • 境内に、登米伊達氏累代の墓があるそうなので探してみると、かなり離れた場所に、半ば放置されたように残されていた。そこには、初代伊達宗直から七代伊達村倫までと、その奥方などが葬られていた。

    境内に、登米伊達氏累代の墓があるそうなので探してみると、かなり離れた場所に、半ば放置されたように残されていた。そこには、初代伊達宗直から七代伊達村倫までと、その奥方などが葬られていた。

  • 養雲寺から東へと道沿いに歩いて行くと、風情のある街並みがあった。

    養雲寺から東へと道沿いに歩いて行くと、風情のある街並みがあった。

  • その先に、海鼠壁を持つ土蔵造りの建物があった。味噌や醤油を醸造するヤマカノ醸造の工場であった。明治42年創業で、百年以上の歴史を持つ蔵である。

    その先に、海鼠壁を持つ土蔵造りの建物があった。味噌や醤油を醸造するヤマカノ醸造の工場であった。明治42年創業で、百年以上の歴史を持つ蔵である。

  • そのすぐ先に、紅色の門を持つ寺があった。その寺は、鎌倉時代から400年余りに渡りこの地を治めた葛西氏の菩提寺である龍源寺であった。葛西氏は、秩父平氏豊島氏の一族で、現在の東京都葛飾区にあった葛西城を本拠としていた。

    そのすぐ先に、紅色の門を持つ寺があった。その寺は、鎌倉時代から400年余りに渡りこの地を治めた葛西氏の菩提寺である龍源寺であった。葛西氏は、秩父平氏豊島氏の一族で、現在の東京都葛飾区にあった葛西城を本拠としていた。

  • 源頼朝の挙兵に呼応し活躍、奥州合戦での功により、奥州惣奉行に任じられて以来の名族であるが、その墓所は不明だそうである。今は、かつての家臣の末裔が昭和になってから建てた供養塔だけがある。

    源頼朝の挙兵に呼応し活躍、奥州合戦での功により、奥州惣奉行に任じられて以来の名族であるが、その墓所は不明だそうである。今は、かつての家臣の末裔が昭和になってから建てた供養塔だけがある。

  • 龍源寺から北側の道へと戻ると、すぐ左手に弁柄格子の町屋があった。道に対して、やや斜めに建てられている。これは、『武者隠し』と呼ばれる構造で、鋸状に町屋が並ぶため、兵を潜ませることが出来るようになっているのだ。このような構造も、建て替えが進むに従い、失われている。

    龍源寺から北側の道へと戻ると、すぐ左手に弁柄格子の町屋があった。道に対して、やや斜めに建てられている。これは、『武者隠し』と呼ばれる構造で、鋸状に町屋が並ぶため、兵を潜ませることが出来るようになっているのだ。このような構造も、建て替えが進むに従い、失われている。

  • その斜向かいに、いかにも明治と言う建物が建っていた。明治22年に竣工した旧登米警察署の庁舎であった。現在は、警察資料館となっていた。

    その斜向かいに、いかにも明治と言う建物が建っていた。明治22年に竣工した旧登米警察署の庁舎であった。現在は、警察資料館となっていた。

    警察資料館(旧登米警察署) 美術館・博物館

  • 中に入ると、旧式のパトカーや白バイが展示されていた。

    中に入ると、旧式のパトカーや白バイが展示されていた。

  • 奥には、当時の留置所が復元されている。その前に、実際に当時使われていた鉄格子が保存されていた。

    奥には、当時の留置所が復元されている。その前に、実際に当時使われていた鉄格子が保存されていた。

  • 建物の裏手に、『玄昌石の館』と言うものがあった。登米特産の天然スレートである玄昌石に関する資料が展示されている。日本女性の黒髪に例えられる美しい石であるが、今は安い新建材に押され、採掘されていないそうである。

    建物の裏手に、『玄昌石の館』と言うものがあった。登米特産の天然スレートである玄昌石に関する資料が展示されている。日本女性の黒髪に例えられる美しい石であるが、今は安い新建材に押され、採掘されていないそうである。

    玄昌石の館 名所・史跡

  • 警察資料館が建つ角から北へと走る道沿いには、看板建築の建物が残り、なかなか趣がある。高い建物も無く、人の住む町が実感できる。

    警察資料館が建つ角から北へと走る道沿いには、看板建築の建物が残り、なかなか趣がある。高い建物も無く、人の住む町が実感できる。

  • その通り沿いには、先ほど見たヤマカノ醸造の店舗もあった。こちらも蔵造りの建物である。残念ながら、土休日は休みであった。

    その通り沿いには、先ほど見たヤマカノ醸造の店舗もあった。こちらも蔵造りの建物である。残念ながら、土休日は休みであった。

    ヤマカノ醸造(株) 名所・史跡

  • 一本西側の前小路は武家屋敷街であり、こちらは洋風の看板建築が多く残っている。街歩き好きには、楽しめる街である。以前は、もっと多くの看板建築があったそうだが、やはり建て替えが進み、急速にその風情は失われつつある。

    一本西側の前小路は武家屋敷街であり、こちらは洋風の看板建築が多く残っている。街歩き好きには、楽しめる街である。以前は、もっと多くの看板建築があったそうだが、やはり建て替えが進み、急速にその風情は失われつつある。

  • バス通りまで戻って来た。その十字路を東へと曲がると、北上川に架かる登米大橋がある。橋の上からの景色も、なかなかであった。

    バス通りまで戻って来た。その十字路を東へと曲がると、北上川に架かる登米大橋がある。橋の上からの景色も、なかなかであった。

  • その西詰の堤防上に、石碑が建っていた。『芭蕉翁一宿之跡』とある。『奥の細道』の途次、ここ登米に宿をとったそうだ。その場所は、北上川の河川改修にともない、現在は堤防となってしまったそうである。

    その西詰の堤防上に、石碑が建っていた。『芭蕉翁一宿之跡』とある。『奥の細道』の途次、ここ登米に宿をとったそうだ。その場所は、北上川の河川改修にともない、現在は堤防となってしまったそうである。

    芭蕉翁一宿之跡 名所・史跡

    芭蕉は登米に立ち寄っていた。 by 旅猫さん
  • 十字路へと戻ると、その角に、古い店舗らしきものがある。大正時代に建てられた『海老喜商店』と言う味噌醤油や酒を醸す蔵の旧店舗だそうだ。江戸時代から続く老舗であるが、酒蔵は閉鎖されている。かつては賑わった登米も、明治以降は廃れ、皮肉にも多くの建造物が取り壊されず残された。おかげで、今は八棟が国の登録文化財となっている。

    十字路へと戻ると、その角に、古い店舗らしきものがある。大正時代に建てられた『海老喜商店』と言う味噌醤油や酒を醸す蔵の旧店舗だそうだ。江戸時代から続く老舗であるが、酒蔵は閉鎖されている。かつては賑わった登米も、明治以降は廃れ、皮肉にも多くの建造物が取り壊されず残された。おかげで、今は八棟が国の登録文化財となっている。

    海老喜商店 グルメ・レストラン

  • その内の一棟が資料館となっていたが、閉まっていた。新店舗は営業していたが、立ち寄るのを忘れてしまった。

    その内の一棟が資料館となっていたが、閉まっていた。新店舗は営業していたが、立ち寄るのを忘れてしまった。

    蔵の資料館 美術館・博物館

  • 十字路をさらに北へと進むと、その道沿いにも古い町屋が残されていた。蔵造りの建物は、江戸時代から続く呉服商である。その隣には、やはり江戸時代に小間物や荒物を扱った商家の建物があった。その建物は、蔀戸の構造を持つ商家らしい建物であった。

    十字路をさらに北へと進むと、その道沿いにも古い町屋が残されていた。蔵造りの建物は、江戸時代から続く呉服商である。その隣には、やはり江戸時代に小間物や荒物を扱った商家の建物があった。その建物は、蔀戸の構造を持つ商家らしい建物であった。

  • バスの時間まで小一時間あるので、後で寄ることにしていた武家屋敷の『春蘭亭』で休むことにした。中は座敷が三つあり、奥に囲炉裏のある土間がある。その座敷で休むことが出来るので、とりあえず、抹茶と和菓子をいただくことにした。

    バスの時間まで小一時間あるので、後で寄ることにしていた武家屋敷の『春蘭亭』で休むことにした。中は座敷が三つあり、奥に囲炉裏のある土間がある。その座敷で休むことが出来るので、とりあえず、抹茶と和菓子をいただくことにした。

    武家屋敷「春蘭亭」 名所・史跡

  • 庭に面した上座敷に落ち着き、しばし寛ぐ。冷房は無いが、風が入り気持ちが良い。蚊取り線香の煙も、ゆったりとした時間を醸し出していた。

    庭に面した上座敷に落ち着き、しばし寛ぐ。冷房は無いが、風が入り気持ちが良い。蚊取り線香の煙も、ゆったりとした時間を醸し出していた。

  • お品書きに、『春蘭茶』と言うものがある。気になったので、バニラアイスと共に追加で注文した。春蘭の花で淹れた茶であったが、好みではなかった。アイスの冷たさが、歩き疲れた体に心地よかった。

    お品書きに、『春蘭茶』と言うものがある。気になったので、バニラアイスと共に追加で注文した。春蘭の花で淹れた茶であったが、好みではなかった。アイスの冷たさが、歩き疲れた体に心地よかった。

  • 敷地が続いている懐古館の庭に、斑入りの薄が植えられていた。以前、烏山で観て以来、お気に入りの植物である。

    敷地が続いている懐古館の庭に、斑入りの薄が植えられていた。以前、烏山で観て以来、お気に入りの植物である。

  • バス停へ戻り、仙台駅行の高速バスを待つ。しばらくしてやって来た15時22分発のバスには、一人しか乗っていなかった。ここから私ともう一人が乗り込み、三人だけの乗客を乗せたバスは、一路仙台駅へと向かった。

    バス停へ戻り、仙台駅行の高速バスを待つ。しばらくしてやって来た15時22分発のバスには、一人しか乗っていなかった。ここから私ともう一人が乗り込み、三人だけの乗客を乗せたバスは、一路仙台駅へと向かった。

  • 今宵の宿は、駅西口にある『ホテルユニサイト仙台』である。二十年以上前に、出張で利用して以来、何度か使っている宿だ。古いビジネスホテルだが、何故か安心できるのである。

    今宵の宿は、駅西口にある『ホテルユニサイト仙台』である。二十年以上前に、出張で利用して以来、何度か使っている宿だ。古いビジネスホテルだが、何故か安心できるのである。

    ホテルユニサイト仙台 宿・ホテル

  • 荷物を置き、外へ出る。東北随一の都市である仙台は、日曜日の夜でも人が多い。そうなると、一人で入ることが出来る店はなかなか無い。とは言え、宿から離れたくもないので、近間で探す。すると、2,3分の場所に、『お一人様歓迎』と書かれた店を見つけたので、迷わず入ることにした。

    荷物を置き、外へ出る。東北随一の都市である仙台は、日曜日の夜でも人が多い。そうなると、一人で入ることが出来る店はなかなか無い。とは言え、宿から離れたくもないので、近間で探す。すると、2,3分の場所に、『お一人様歓迎』と書かれた店を見つけたので、迷わず入ることにした。

    二丁目酒場 総本店 グルメ・レストラン

  • 中へ入ると、まさに歓迎された。カウンター席に案内され、まずは、気仙沼の『蒼天伝 蔵の華 純米酒』をいただく。旅先では、地酒を味わうのが楽しみである。

    中へ入ると、まさに歓迎された。カウンター席に案内され、まずは、気仙沼の『蒼天伝 蔵の華 純米酒』をいただく。旅先では、地酒を味わうのが楽しみである。

  • つまみには、とりあえず、タコのから揚げとハムカツをもらう。

    つまみには、とりあえず、タコのから揚げとハムカツをもらう。

  • お酒は、続けて『伯楽星 特別純米』を注文。『愛宕の松』で知られる大崎の新澤醸造店のお酒である。新宿でもたまに呑んでいるが、やはり、旅先で呑むほうが良い。

    お酒は、続けて『伯楽星 特別純米』を注文。『愛宕の松』で知られる大崎の新澤醸造店のお酒である。新宿でもたまに呑んでいるが、やはり、旅先で呑むほうが良い。

  • 肴には、地元の金華鯖と笹かまを注文した。鯖は半身でやや小振りであったが、440円と破格の値段であった。と言うより、この店は全体的に値段が抑えめであった。

    肴には、地元の金華鯖と笹かまを注文した。鯖は半身でやや小振りであったが、440円と破格の値段であった。と言うより、この店は全体的に値段が抑えめであった。

  • お酒も、グラスだと量が少ないが安い。おかげで、銘柄も多めに楽しめるのだ。三杯目には、名の知れた『墨廼江 特別純米』を呑む。この酒も、馴染みの店でよく呑んでいる。

    お酒も、グラスだと量が少ないが安い。おかげで、銘柄も多めに楽しめるのだ。三杯目には、名の知れた『墨廼江 特別純米』を呑む。この酒も、馴染みの店でよく呑んでいる。

  • 締めは、一番有名とも言える『一ノ蔵 特別純米酒 辛口』とした。合わせたのは、とうもろこしのから揚げと、名物の三角揚げである。複数店舗を持つ店であったが、お酒も料理も悪くはなかった。仙台で迷ったときには、またこの店に来ようと思う。

    締めは、一番有名とも言える『一ノ蔵 特別純米酒 辛口』とした。合わせたのは、とうもろこしのから揚げと、名物の三角揚げである。複数店舗を持つ店であったが、お酒も料理も悪くはなかった。仙台で迷ったときには、またこの店に来ようと思う。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • hot chocolateさん 2024/09/26 23:28:58
    登米へ
    旅猫さま

    こんばんは。
    ご無沙汰しております。
    多忙と体調不良で、旅行記作成も滞っています。

    今年の夏は(も)、厳しい暑さでしたね。
    もう、旅どころではありませんでした。
    やっと秋らしくなり、ほっと一息です。

    「登米」という地名は、名前だけは知っていましたが、
    どこかは知りませんでした。
    明治時代の洋館と、武家屋敷がともに存在する
    素敵な所ですね。

    お酒好きの方なら、旅先で味わう地酒は、
    何ともいえず癒しになるでしょうね。
    私はアルコールがダメなので、そういう楽しみが
    ないのが残念です。

    hot choco

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/09/27 06:52:11
    RE: 登米へ
    hot chocoさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    こちらこそ、ご無沙汰しています。

    このところ、毎年夏が異常な暑さでうんざりですね。
    私も、夏旅はほとんどしていません。
    少し秋めいて来たので、ようやく旅を再開しました。
    9月は、4週連続でお出かけです。

    登米は、学生の頃から気になっていた場所でしたが、訪れるのに時が掛ってしまいました。
    でも、訪れてみて、もっと早く訪れればよかったと思うくらい、風情のある街でした。
    どこの街もそうですが、多くの建物が建て替えられてしまい、街並みとしては連続性が無くなってしまっていますね。

    旅では、その土地のお酒と食材を味わうのが楽しみです。
    ただ、昼から呑んでしまうこともあるのがやっかいです(笑)

    旅猫
  • 前日光さん 2024/09/25 17:29:17
    登米の建築とお酒
    こんにちは 旅猫さん、お久しぶりです。
    登米に行かれたのですね。
    行ったことのある人から、とても良い街だと聞いたことがあります。
    旅猫さんの旅行記を拝見したら、やはり風情のある町のようですね。

    旧登米高等尋常小学校と旧登米警察署の庁舎は、松江の城山公園にある「興雲閣」によく似ています。
    明治時代には、こういった洋風建築が流行ったのでしょうね。
    日本人の西洋への憧れの典型だったのかもしれません。

    お一人様歓迎のお店は良さそうですね!
    東北のお酒も、みんなおいしそうです。
    私が知っているのは「一ノ蔵」ぐらいですが、「伯楽星 特別純米」も飲んでみたいと思いました。

    前日光

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/09/25 20:58:24
    RE: 登米の建築とお酒
    前日光さん、こんばんは。

    お久しぶりです。
    登米、行ってきました!
    なかなか風情のある街でした。

    日本の各地に、明治時代だなと感じる建物は多いですよね。
    当時の流行だったのでしょう。
    それでも、日本の大工の意地と言うか、かなり和が混じっていたりもしますね。

    仙台駅近くなので、周りは真っ暗。
    仙台のチェーン店のような店でしたが、内容は良かったです。
    有名なお酒が多かったですが、悪くはなかったです。
    『伯楽星』は、都内でも飲めますが、美味しいですよ。
    『墨廼江』も、かなり有名どころですが、おすすめです。

    旅猫
  • pedaruさん 2024/09/13 05:53:35
    登米市
     旅猫さん おはようございます。

     暑さにもめげず、旅は我が人生なりとばかり、東奔西走何処へでもお出かけですね。まさに4トラベラーの鑑です。
     私はいつも旅猫さんに刺激を受けています。こんな旅がしたい、いつも気持ちは旅にあるのですが、腰が重い、尻が重い、間もなく暑さも緩むでしょう、今度こそは旅をしようと、いつも思うのです。

     石の巻に義姉がいますので、何度か訪れていますが、一度だけ登米に行ったことがあります。名まえも初めて聞くところだし、なにがあるのか、どんなところなのか、知らずについでに寄りました。
     警察署あとはよく覚えております。古くて味のある町だとは感じましたが、こんなに素敵な町だとは思いませんでした、青天の霹靂とは大げさかもしれませんが、旅猫さんの半分も見て置けばよかったなと思いました。
    やはり調べずに、ついでに寄っただけではだめですね。

    今でも思い出すのは、GPSもカーナビもない時代、紙の地図だけで車で行きましたが、一体ここはどこなのか、どう動いたらいいのか、途方に暮れたものでした。
     次を楽しみにしています。

     pedaru

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/09/13 07:55:00
    RE: 登米市
    pedaruさん、おはようございます。

    書き込みありがとうございます。
    旅が趣味のようなものなので、つい出かけてしまいます。
    とは言え、最近の夏の暑さは耐えられず、7月から8月はほぼお休みです(^^;
    おかげで、夏のボーナスはまったく使っていないので、これから旅三昧です。

    登米に行かれたことがあるのですね。
    初めて訪れましたが、なかなか趣のある良い街でした。
    今はスマホがありますが、実はほとんど使わず、今でも紙の地図を持ち歩いています。

    石巻に義理のお姉さまがいらっしゃるのですね。
    震災の時は大丈夫でしたでしょうか。
    今回、後半で石巻を訪れています。
    海の方は津波の影響で大きく変わってしまったようですが、駅に近い方は、震災前と大きく変わってはいないようですね。

    旅猫

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