2023/09/26 - 2023/09/29
10位(同エリア285件中)
orangeさん
- orangeさんTOP
- 旅行記241冊
- クチコミ214件
- Q&A回答4件
- 311,894アクセス
- フォロワー115人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
壱岐の島観光3日目です。調べたところ....対馬より小さいけれど壱岐の島は神社の数がびっくりするほど多いそうです。
日本最古の歴史書とされる古事記。その序章には夫婦神、伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の「国生み神話」があります。夫婦神は後に日本となる8つの島をつくったとされ、5番目に生まれたのがここ、伊伎嶋(壱岐島)です。古事記では天比登都柱(アメノヒトツバシラ)とも呼ばれています。「柱」とは天地を結ぶ交通路という意味。つまり壱岐島は、天と地を繋ぐ架け橋の役割を担っていたと考えられています。このように、神様ととても縁の深い場所である壱岐。法人登録されたものだけでも150を超える数の神社が、島のいたるところに点在しています。山奥にひっそりと建つものや、海のそばに建つもの。数々の神社は、この島に住む人たちにとって日々の暮らしの一部であり、心のよりどころとなっています。とりわけ、各地区を見守る氏神様が祀られた42の神社は、地域の人々に愛され、守り継がれてきました。そんな島の神社を巡れば、神秘の空気に触れて清々しい気持ちになるでしょう。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス JALグループ ANAグループ 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
約40分、素晴らしい遊覧観光を終えて船は港に戻って来ました。
-
目を凝らして見れば湾岸はびっしりと人家で埋まっています。
-
勝本港 龍に島遊覧船乗船場に着きました。
-
「辰の島」遊覧で見たあの「マンモス岩」が描かれた壱岐観光バスに乗車して、
市内周遊定期観光バス 乗り物
-
停まったのはランチタイムのお食事処「海神」。
海神 グルメ・レストラン
-
「海神」壱岐名物「雲丹どん」のランチを賞味します。
-
量は少ないですが食べ応えのある美味しい食事でした。
-
壁には勝本町の売り一本釣の「まぐろ」のポスター。
-
昔の勝本港の写真も展示されていました。
-
積み上げられた石垣。。。悪天候時の波の荒さを感じます。
-
徒歩で訪れた聖母宮(しょうもぐう)は、長崎県壱岐市勝本町勝本浦に鎮座する神社。『延喜式神名帳』に載せる壱岐島壱岐郡の名神大社、「中津神社」の有力論社ですが、現在その社名の別神社(中津神社)が存在しているそうです。
西門より入ります。聖母宮 寺・神社・教会
-
立派な手水鉢です。パラオから寄進された巨大なシャコガイの手水鉢だそうです。
境内には神功皇后伝説の馬蹄石、文永の役元軍上陸の碑があります。文禄の役時に、加藤清正は表門とお社まわりの石垣を寄進。肥前鍋島直茂は裏門を寄進、家紋が彫刻されています。、 -
「本殿」
息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと。神功皇后)と足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと。仲哀天皇)と、上筒男尊(うわつつのおのみこと)、仲筒男尊(なかつつのおのみこと)、底筒男尊(そこつつのおのみこと)の住吉三神(住吉大神)を祭神とする。 -
神功皇后が三韓征伐の折に行宮とされたそうです。
勝本町一帯を守護し、神功皇后を祀る創建1300年以上の歴史深い神社。
「勝本」の地名は、もとは神功皇后が名付けた「風本(かざもと)」に由来しているといわれています。 -
観客は靴を脱いで思い思いに着座し待機します。
息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと。神功皇后)と足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと。仲哀天皇)と、上筒男尊(うわつつのおのみこと)、仲筒男尊(なかつつのおのみこと)、底筒男尊(そこつつのおのみこと)の住吉三神(住吉大神)を祭神とする。と紹介されました。 -
奉納額
1738(元文3)年に寄進された額。晋献御寶前として次のような文が書かれています。「天下和順 日月清明 風雨以晴 災厲不起 国豊民安 兵才無用 徳崇興仁 務修禮譲」。国家の平和を祈願し奉納されたものであることが分かります。 -
大勢の神官が続々と入室し片隅で衣装を着替え始めました。
-
さて神楽開始の御挨拶
-
解説が始まります。
-
「壱岐神楽」を鑑賞しました。
楽師が揃い 笛の音が太鼓の響きと相まって室内が厳かな調べに満ちてゆきます。 -
神主さんが全身を柔らかくしならせて器用に杯を支持しつつ疊の上で何度も何度もでんぐり返りで回転する様は迫力に満ちて誠に圧巻でした。
-
この神社の重要遺物の数々…
上段 本殿と手水鉢....パラオから贈られたシャコガイの殻で炊きています。
下段 聖母宮と祭神の御姿扁額 小龍 拝殿内の龍の額絵 -
観光を終えて神社の後ろに赤煉瓦の合わると赤煉瓦の珍しい稲荷神社があります。
秀吉が挑戦出兵の風待ちの間に積ませた石垣。 -
「聖母宮」
「勝本」の地名は、もとは神功皇后が名付けた「風本(かざもと)」に由来しているといわれています。また神功皇后伝説の馬蹄石、文永の役元軍上陸の碑があります。文禄の役時に、加藤清正は表門とお社まわりの石垣を寄進。肥前鍋島直茂は裏門を寄進、家紋が彫刻されています。聖母宮 寺・神社・教会
-
次に訪れたのは....数ある壱岐の神社の中でも参拝客が多く訪れる「小島神社」
普段は海に浮かぶ島にあり、干潮時の前後、数時間だけ海から参道が現れて歩いて参拝することができます。 -
壱岐「小島神社」
太陽と月の引力によって神様に会える神秘のパワースポットは、自然が創り出す神秘的な砂浜の参道写真が撮影できる場所としても注目を集めています。小島神社 寺・神社・教会
-
弥生時代には一支国の王都・原の辻(現在の原の辻遺跡)を訪れる古代船が往来した玄関口だった内海湾(うちめわん)。その内海湾に浮かぶ、幻想的な佇まいの小島神社。貝殻がびっしりとぅっ着いた岩の道を歩くのは足元の弱い私たちには至難の業でした。
-
弥生時代には一支国の王都・原の辻(現在の原の辻遺跡)を訪れる古代船が往来した玄関口だった内海湾(うちめわん)。その内海湾に浮かぶ、幻想的な佇まいの小島神社。
月の引力により潮が引いた時のわずかな時間だけ、海に向かって一直線に参道が現れ、歩いて参拝することができます。
創建400年の歴史を持つ神社がある島全体が神域とされており、小枝一本持ち出すことが許されない慣習があります。昔から変わらない風景が残る神域となっています。 -
創建400年の歴史を持つ神社で主祭神は、天照大神の弟神である須佐之男命(すさのおのみこと)、その母神である伊邪那美命(いざなみのみこと)などをお祀りし、恋愛成就や縁結び、商売繁盛、開運にご神徳があります。
-
ゆっくりと登ること5分、頂上のお社に到着。お賽銭箱や記帳箱がある、こじんまりとしたお社です。小さなベンチがあるので、疲れたらここでひと休み。
お社からの景色は、波一つない静かな内海湾が広がっており、カキ・真珠の養殖施設が見えます。 -
帰りは行きに通らなかった側の道を通って戻り、島を一周します。ただ、こちらのルートは段差が大きかったり、潮だまりが多かったりと多少歩きにくくなっているので、足に自信のない私たちは来た道を戻ったほうが良いかもしれません。
-
全行程30分から45分ほどあれば、十分ゆっくり参拝できます。
-
さすがに疲れました。
-
潮風に傾いた松の木を横目にしてバスが次に向かうのは。。。
-
引退した海女さんの家が並んでいる一画「海女の里」でした。
-
現在地です。
-
「はらほげ地蔵」さん。
ちなみに「はらほげ地蔵」の名前の由来は荒波で「お地蔵さんの腹が丸くえぐられているため」とされています。はらほげ地蔵 名所・史跡
-
“海女の里“として知られる八幡浦の海中に祀られている「はらほげ地蔵」。満潮になると胸まで海に浸かるお地蔵さん、その姿には哀愁が漂います。6体あるお地蔵さんは六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)における苦しみや悩みから救ってくれると言われ、 地元では遭難した海女さんや鯨の供養のために祀られていると伝わります。
-
厳しい海女さんの仕事の一端に触れく根に迫る思いでした。
-
島の東側の海 国定公園「左京鼻」にやって来ました。
左京鼻 自然・景勝地
-
約1kmの断崖絶壁が続く、島随一の絶景スポット!. 東海岸に位置する八幡半島のほぼ先端にある「左京鼻」。
-
アクセス: 芦辺港から車で約15分
電話番号: 0920-48-1130 (壱岐市観光課)
住所: 〒811-5326 長崎県壱岐市芦辺町諸吉本村触1512番地
駐車場: あり -
壱岐を代表する景勝地のひとつで、およそ1km続く断崖絶壁の光景は圧巻で す。.
-
赤い鳥居の「左京鼻龍神」
-
約1kmの断崖絶壁が続く、島随一の絶景スポット!. 東海岸に位置する八幡半島のほぼ先端にある「左京鼻」。. 壱岐を代表する景勝地のひとつで、およそ1km続く断崖絶壁の光景は圧巻で …
アクセス: 芦辺港から車で約15分
電話番号: 0920-48-1130 (壱岐市観光課)
住所: 〒811-5326 長崎県壱岐市芦辺町諸吉本村触1512番地
駐車場: あり -
海中から突き出る細い柱が連ねたような奇岩は「観音柱」と呼ばれ、伝承によれば島が流されてしまわないように造った8本の柱の1つと言われています。玄武岩が柱状節理状になっており、その上に雪化粧をしたように美しく見えますが、実は海鵜のフンによるもの。これも自然が作り出した造形美です。
-
江戸時代前期に旱魃(かんばつ)が続き、陰陽師の後藤左京らが、この場所で雨乞いを行うと大雨が振りだし、村人たちが救われたという伝記が残っています
-
山地から下って、
-
海岸線に出ました。
-
車中から黒ずんいて判然としない石碑が見えました。
-
「黒崎砲台島」入口
壱岐の人気観光地である猿岩の近くの小高い丘にある東洋一と言われた巨大な「黒崎砲台跡」。黒崎砲台跡 名所・史跡
-
黒崎砲台の要塞砲には戦艦土佐あるいは赤城の主砲が据えられ、昭和3年から6年の年月をかけて昭和8年に完成。対馬海峡を通過する艦船を攻撃するために設置されたと言われています。
口径41cmのカノン砲2門を備えた砲台で、砲身の長さ18m、弾丸の重さ1t、最大射程距離35kmで、「東洋一」の射程距離と破壊力を誇っていました。
ただ、1度だけ試射が行われたのみで、実戦で使用されることなく終戦後に解体されました。現在は跡地のみが残る戦争遺産となっています。 -
壱岐の人気観光地である猿岩の近くの小高い丘にある東洋一と言われた巨大な「黒崎砲台跡」。
第一次世界大戦後の大正11年にワシントン会議が開催され、その結果、軍縮を目的に米英日の主力艦の所有率は「5:5:3」と決められ、計画中あるいは建造中の艦は直ちにキャンセルあるいは廃棄することになりました。
日本では当時建造中の戦艦「土佐」「赤城」などが沈められました。
黒崎砲台の要塞砲には戦艦土佐あるいは赤城の主砲が据えられ、昭和3年から6年の年月をかけて昭和8年に完成。対馬海峡を通過する艦船を攻撃するために設置されたと言われています。黒崎砲台跡 名所・史跡
-
「御猿のかご屋」を冷やかしてとくには買わず....
-
「猿岩」あっち向いてホイ !!
猿岩 自然・景勝地
-
ホテルにご帰館です。
-
若い方もさすがにお疲れの様子。
-
ただいま~
壱岐リトリート 海里村上 by温故知新 宿・ホテル
-
今日もうっとりする日没が見られました。
18:12から隠れはじめて、 -
2分おきに撮影して・・・
-
-
18:17 最期の光芒まで数分間の三セット・ショーでした。
-
さて デイナータイムです。
パンtバターに続いて。。。 -
真鯛の燻製
-
地鶏のコンフィ ヒラメのポアレ等が盛られた一皿。
-
栄螺のパン粉焼、黒鮑のバター焼き
-
ポタージュスープ
-
壱岐牛ロースト
-
槍烏賊と古代米リゾット
-
コーヒープリンと紅茶
-
プリンが予想外に美味しかった!
-
就寝前のひと風呂を浴びました。洗面台も独り占めです。
-
この時間空いています。
-
最終の夜のお風呂に感慨深く浸りました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
orangeさんの関連旅行記
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
対馬(長崎) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
74