2024/03/12 - 2024/03/20
926位(同エリア3873件中)
広島れもんさん
- 広島れもんさんTOP
- 旅行記38冊
- クチコミ7件
- Q&A回答0件
- 35,340アクセス
- フォロワー15人
今日は朝いちばんにサン・マルコ美術館へ行きフラ・アンジェリコの絵を見て、その後アカデミア美術館、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会へも行き、そのまま電車でコルトーナへ向かいます。
スケジュールを決める時にいちばん大事なのは行きたい美術館が何曜日に開いているかとそこへのアクセスができるかなのですが、イタリアのローカルの電車やバスは日曜日になると極端に本数が少なくなることがあり、コルトーナの駅から旧市街へ向かうバスが日曜は運行していないことがわかり土曜に行くことにしました。
コルトーナへはもちろんフラ・アンジェリコの”受胎告知”をはじめとする絵が主な目的ですが、もうひとつ行きたいレストランがありそれも楽しみでした。
*横長の写真はクリックすれば大きく鮮明に見えます
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日は7時過ぎにはホテルを出ようと思っていたので、前日の朝食会場で作ったサンドイッチとゆで卵に昨日の残りのサラダと洋梨が今日の朝食です。
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外に出たら雨でした。大降りではないけど地面も濡れていてドゥオーモが映るくらいです。実はドゥオーモ広場を歩いていたらなんとフィレンツェカードがストラップからちぎれて落ちてしまったんです。誰もいなかったので落ちた音に気づいて拾うことができましたが、もし人混みの中でそれももっと前に落ちていたらと思うとぞっとしました。
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ドゥオーモ左手にある門は”マンドルラの門”と呼ばれていて、上部にナンニ・ディ・バンコの”聖母被昇天”の浮彫があります。聖母マリアがアーモンド型の光に包まれて昇天する場面が描かれているためそう名付けられたそうです。
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”サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場”
ドゥオーモからセルヴィ通りをまっすぐ進んで”フェルディナンド1世の騎馬像”のある広場に着きました。反対にフェルディナンド1世の後ろ側に立つと、ドゥオーモのクーポラが見えるんです。今日は雨でうっすらとしか見えなかったけど、なかなかいいポジションです。
この広場はルネサンス様式のアーチが続く美しい広場で、東側に捨て子養育院、北側にサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会、そして西側には”マリアの下僕信心会”の建物に囲まれています。 -
”捨て子養育院”
捨て子を受け入れる病院の設立を委託された絹織物商会がブルネレスキに設計を依頼し1443年に開設されたヨーロッパ最古の孤児院で、広場に面した柱廊アーチの間にはアンドレア・デッラ・ロッビアによる”ブッティ・イン・ファッシュ”(おくるみに包まれた赤ちゃん天使)のメダイオンが並んでいます。
この養育院のイタリア語表記 ”Hospital of Innocents” の Innocenti は”無垢な”、”罪のない”という意味で孤児を表しているのだそうですが、メダイオンの赤ちゃんはちょっと痛々しい感じでした。また入ってすぐの回廊や2階の美術館は9:30開館と遅いため行くのをあきらめました・・・。 -
広場に2つある噴水は、”背中合わせの半魚人の噴水”で17世紀のもの。マニエリスムの時代は想像上の不思議な生き物を形にしていたそうです。
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ロッジアの左手に残っている当時の赤ちゃんポストで、1875年までは使われていたそうです。
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”マリアの下僕信心会”の建物もシンプルで素敵です。
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”サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会”
13世紀に創設された教会で15世紀にミケロッツォによって再建されました。この教会の名前は”最も聖なるお告げ(受胎告知)”を意味していて、フィレンツェのマリア信仰の中心的教会となっているそうです。教会のファサードのフレスコ画はポントルモによるもの、入り口の扉の上部にはギルランダイオの兄による”受胎告知”のモザイクもあります。 -
キオストロ・ディ・ヴォ―ティ(奉納の回廊)はかつて信者たちが教会のシンボルである聖母マリアに捧げた奉献物を保管していた場所で、マニエリスムを代表する画家たちの”マリアの生涯”を描いたフレスコ画が並んでいました。
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”羊飼いの礼拝” バルドヴィネッティ
メルヘンのようなやさしい絵。 -
”聖母被昇天” ロッソ・フィオレンティーノ
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”マリアのエリザベツ訪問” ポントルモ
”聖母被昇天”の左側の壁にある絵。ポントルモとロッソ・フィオレンティーノはサルトの工房にいて、マニエリスムという新しい時代の絵画を生み出しました。 -
”マリアの誕生” アンドレア・デル・サルト
サルトは盛期ルネサンスに活躍した聖母を美しく描く屈指の画家でしたが、ポントルモの”マリアのエリザベツ訪問”に嫉妬して工房を追い出したそうです。この絵も素敵なのに・・・。
回廊をぐるっと絵が取り囲んでいて薄くて見えにくい絵もありましたが、よく残っていると思いました。 -
内部はバロック装飾で、格間天井のきらびやかさが堂内を包んでいます。
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入ってすぐ左にある ”受胎告知の礼拝堂”
ミケロッツォ作の小さな神殿の形をした礼拝堂”テンピエット”の壁には人の手ではなく奇跡によって描かれた”受胎告知”の絵があり、朝早くからお祈りをささげる信者さんの姿がありました。なんでも何度も描こうとしたが描けなくて、眠っている間に出来上がっていたのだとか!?クリックすると大きく見えるので奇跡の絵をご覧ください。 -
左身廊 ”三位一体と聖人たち” カスターニョ
上部に父と子・聖霊の短縮された図柄を描いています。 -
左身廊 ペルジーノ ”聖母被昇天” 裏
この絵はこれから行くアカデミア美術館のフィリピーノ・リッピの”十字架降架”と表裏をなしていて、主祭壇を飾っていたそうです。きっとバロックに改修した時に外されたのでしょう・・・。 -
中央祭壇以上にクーポラがきらびやか。左手はトリブーナでマニエリスム期の画家の絵があるようです。
この他右翼廊にはポントルモなどが眠る”サン・ルカ礼拝堂”があるようでしたが、普段は見れないようでした。また教会の翼廊の赤いカーテンの先の扉を出ると”死者の回廊”があり、出てすぐ上の部分にサルトの”袋の聖母”があったようなのですが、すっかり忘れていました・・・。 -
”サン・マルコ教会”
14世紀に創建され一時は荒れ果てていた旧修道院と教会を、1438年コジモ・デ・メディチの依頼でミケロッツォが再建に着手し1443年に完成したもので、フィレンツェにおけるドミニコ会の拠点となった修道院です。現在の教会内部は16~17世紀にバロックで改修されたもので、美術館になっている修道院は右手の建物です。雨空ですが18世紀末につくられた教会のファサードは端正で美しく、入口の上部には聖マルコのシンボルである有翼のライオン像、そしてその上にはリボン状の可愛い彫刻も見えました。(教会が開くのが10時と遅く、中には入っていません)
実はこの前にここから西へ行ったところにある”旧サンタ・アッポローニア修道院”にカスターニョの”最後の晩餐”を見に行ったのですが、開くのが8:30とありあきらめて戻りました・・・。 -
入り口付近から見た修道院の中庭”聖アントニーノの回廊”。2階には僧坊の窓が並んでいます。フラ・アンジェリコの板絵を展示している巡礼宿泊所はこのすぐ右手で、回廊を回ったところには参事会員の部屋、その手前奥に小食堂がありました。
”サン・マルコ美術館”はこの修道院にいた修道士フラ・アンジェリコと弟子のベノッツオ・ゴッツォリが修道院の創建当時に残したフレスコ画、並びにフィレンツェ市内の他の美術館や教会にあった彼の作品を集めて展示してあります。フラ・アンジェリコは名前の通り天使のようにやさしい性格で、実際に祈りを捧げながら絵を描き時には涙したこともあったそうです。
また2014年までは修道僧が居住していたそうですが、同じドミニコ会のノヴェッラ教会に移ったそうです。 -
聖アントニーノの回廊 入口対面の壁 ”十字架に祈る聖ドミニコ” 1442年
聖アントニーノはフィレンツェ生まれで若い頃ドミニコ会に入り熱心に各地で活動してきましたが、フィレンツェに戻るとこの修道院の創立に尽くし初代の院長になりました。同じように創立に関わったフラ・アンジェリコはこの絵を聖アントニーノに捧げたのではないでしょうか?かなり大きな絵で迫力がありました。 -
参事会員の部屋 ”キリストの磔刑とこれに臨む諸聖人” 1442年
右側には悲しみに暮れる諸聖人たちが並び、左側には倒れそうな聖母マリアとこれを支えようとしているマグダラのマリアなどがいます。
この部屋にたどり着いたのは実は、着いてすぐおトイレを探していたからなんです。回廊周辺にあるとなんとなく聞いたことがあって、偶然この部屋を見つけたのでびっくりでした。(おトイレはこの部屋の手前のドアから入った小食堂の奥にありました) -
イチオシ
巡礼宿泊所があった場所にフラ・アンジェリコの祭壇画などが集められています。
”サン・ピア・マッジョーレの多翼祭壇画” 1428~29年
国際ゴシックの名残のある祭壇画。 -
”最後の審判” 1432~35年
サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会の依頼によって描かれた多翼祭壇画の上部パネル。 -
”リナイオーリの多翼祭壇画” 1432~35年
リネン商の組合が注文した260×330の最も大きい板絵で、中央に聖母子と囲むように奏楽の天使が配され左には洗礼者ヨハネ右には福音記者ヨハネ、扉の外側には左には聖マルコ、右には聖ペテロが描かれているそうです。大理石のエディコーラ(入れ物)の中に金色の背景で描くという条件が付けられ、まわりの大理石の額縁はギベルティが作ったもの。ギベルティが先に祭壇を作りその後でフラ・アンジェリコが祭壇画を製作したそうです。 -
リナイオーリの裾絵
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人に動きがあるところがいいですね。
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こちらは火を消しているのでしょうか?
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”アンナレーナの祭壇画” 1437~40年
左手2番目と3番目にメディチ家の守護聖人聖コスマと聖ダミアーノが描かれていることから、メディチ家の注文によるものです。聖母子はもちろん聖人の優し表情が印象的な絵です。聖コスマと聖ダミアーノは旧聖具室でも出てきましたが、アラビア生まれの双子のお医者さんでした。 -
アンナレーナの裾絵、ピンクや赤を効果的に使っていてメルヘンのような絵です。
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6枚が残っています。
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”ボスコ・アイ・フラーティの祭壇画” 1450~52年
コジモ・デ・メディチが出身地であるフィレンツェの北にあるムジェッロ地方に別荘を建てるために広大な土地を所有し、そこにあったボスコ・アイ・フラーティ教会の改築をミケロッツォに依頼してフラ・アンジェリコが祭壇画を描いたもの。フラ・アンジェリコ自身もムジェッロ地方の出身だそうです。フラ・アンジェリコ晩年の作品。
この他”キリストの十字架降架”も見たような気がするのですが、ネームプレートしか残っていなくてデジカメのデータを整理するときに消してしまったかもしれません。 -
”飾り戸棚”
これも可愛い絵でした。 -
これは何でしょう?
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フラ・アンジェリコの肖像画。ウィキペディアにあるものより若い頃のようです。
この他にもいくつかの祭壇画があったと思いますが、息をのんで鑑賞していたため写真に残していないものもありました・・・。出口にいらっしゃった方に2階への行き方を聞いて階段を探し上ったのですが、記憶が飛んでいます。たぶん旧食堂の手前にある階段だったと思います。 -
イチオシ
”受胎告知” 1442年
階段を上がり角を曲がると見えてくるのが突き当りの壁一面に描かれているこの”受胎告知”です。話には聞いていたものの言葉にならない・・・。美しさとか通り越してそこにほんとうに大天使ミカエルと聖母マリアがいるような神聖な気持ちにさせてくれる絵でした。
ヤマザキマリさんの独断美術館によればこの当時の絵は装飾絵画としてキリスト教の教えを伝えるもので、この絵は見た瞬間に敬虔な気持ちになるという効果を圧迫感なく訴えかけているそうです。そして被写体と色彩、遠近法のすべてが調和がとれている絵で、フラアンジェリコの性格もわかるようだとおっしゃっていました。ほんとうにやさしい方でないと描けないと思いました。 -
”キリストの磔刑を崇拝する聖ドミニコ” 1442年
この絵は廊下の壁に描かれていましたが、2階は修道僧が眠り祈りを捧げる小さな部屋が並んでいて、その1つ1つの部屋に祈りのためのフレスコ画が描かれていました。当時絵は文字のかわりにキリスト教の教えを伝えるものだったのです。 -
1室 ”我に触れるな” 1440~41年
復活したイエスは追おうとしたしたマグダラのマリアに”私はまだ父(神)のもとに上がっていないのだからすがりつくのはやめなさい”と諭したシーン。その後マリアは弟子たちの元に行きイエスに告げられたことを話したのです。 -
3室 ”受胎告知” 1440~41年
小部屋にあった小さな”受胎告知”。 -
6室 ”キリストの変容” 1440~41年
絶対的な神となったキリストに対し驚きとともに見上げる聖母と弟子たち。 -
6室の斜め前の壁 ”マエスタ” 1439年頃
僧坊に描かれているフレスコ画は彼の工房の弟子によるものもあるそうですが、この絵は本人が描いたもの。左側に窓がありその光を受けて背景の柱に影ができていることから”影の聖母”とも呼ばれています。またそれまでの多翼祭壇画と違い、この絵は聖母子と聖人たちをひとつの場面に描いている”聖会話”で、当時としては画期的なものだったそうです。 -
”キリストの復活と墓場の女たち” 1440~41年
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役人が寝ているので復活のシーンでしょうか?
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”マギの礼拝” 1440~43年
階段を上がって右側のいちばん奥にあるコジモ・デ・メディチの専用僧坊にある壁絵でベノッツオ・ゴッツオリと共作したもの。登場人物の服装は1439年の宗教会議の際に目にしたものだそうです。
コジモの時代にこの修道院はフラ・アンジェリコの壁画によって類まれな芸術作品になりましたが、ロレンツォ豪華王の晩年にはここにやってきた修道士サヴォナローラによってメディチ家は追放されてしまったのです・・・。サヴォナローラの居室も残っているようでしたが、あえて行きませんでした。 -
フラ・アンジェリコが依頼で描いた祭壇画は依頼人の裕福度を示すように金箔や貴重なラピスラズリなどをふんだんに使ったものが多かったのに対し、祈りの場であるサン・マルコ修道院で描いたのは修道士たちが心穏やかに神のもとで過ごせるようとの願いが込められた絵でした。
”受胎告知”を胸にとどめようともう一度拝みながら見ました。 -
イチオシ
”最後の晩餐” ギルランダイオ 1479~80年
1階の小食堂はブックショップとなっていて、そこの壁一面にこの絵がありました。想像していたものより大きくてびっくり!そしてここは朝いちばんにおトイレを借りるときに通った部屋で、実はこの絵は見ていました。(順番ではないので見ないようにしましたが)ブックショップの方たち、普通になごやかにおしゃべりをされていたのもびっくりでした。
ギルランダイオはオンニサンティ教会の修道院の食堂にも同じ”最後の晩餐”を描いていますが、この絵はその後に描かれたもので縮小版だそうです・・・。クジャクやキジ、オレンジの木が描かれまるで南国のような背景が描かれた”最後の晩餐”ですが、私には懇親会のように映りました。 -
サン・マルコ美術館からアカデミア美術館までは5分もかかりません。フィレンツェカードを購入する際に9時から10時までの予約を取っていただいていたので、チケットを買うために並んでいる人が20人くらいいましたがすんなり入れました。これがシーズン中だともっと混むと思うので、ここは8:15の開館時間に入場するのがいいと思います。
ここはコジモ1世が1563年に設立した芸術家のアカデミーが始まりで、その後美術学校である現在のアカデミアが誕生しました。そして1873年にヴェッキオ宮殿前に置かれていたダヴィデ像が保存のために移され、1882年に美術館がオープンしました。
入ってすぐの”コロッソの大広間”、中央にあるのはランツィのロッジアにあるジャン・ボローニャ作”サビーニの女たちの略奪”の大理石彫刻の石膏モデルで部屋を圧倒していました。私は2016年のツアーで来た時は何都市も巡ったため基本的な知識しかなく、ここではダヴィデしか見ていなかったので楽しみにしていました。 -
このように壁で仕切られているので鑑賞しやすいです。
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フィリピーノ・リッピ ”受胎告知”
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フィリピーノ・リッピ ”十字架降架”
朝いちばんに訪れたサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会の中央祭壇の表側に飾られていたもの。はしごをかけて一生懸命降ろそうとしています・・・。この絵はフィリピーノの死後ペルジーノによって完成されたそうです。 -
ペルジーノ ”聖母被昇天”
フィレンツェの西のヴァッロンブローザの修道院の主祭壇にあったもの。 -
ボッティチェッリ ”海の聖母”
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ボッティチェッリ ”聖母子と洗礼者ヨハネと2天使”
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人もそこそこいましたが混んでるほどではなかったです。
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広間を出たところにあったフラ・バルトロメオの ”イサク”。
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”奴隷のギャラリー”
ユリウス2世が自身の墓碑のためにミケランジェロに制作を依頼。ミケランジェロは墓碑の墓石部分の装飾彫刻として奴隷シリーズの制作を始めたものの、ユリウス2世の構想が壮大すぎて中止され墓碑は規模を縮小しサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会へ置かれましたが、奴隷シリーズのうち4体は未完のままボーボリ公園内のブオンタレンティの洞窟に置かれ1908年にここに移されました。
これは”若い奴隷”、奴隷シリーズは1513~16年の作品です。 -
”目覚めた奴隷”
4作の中で最も輪郭がはっきりしていない作品。 -
”髭の奴隷”
右手と右腕の一部だけが未完の、最も完成している作品。ダヴィデがそこに見えているので気になって仕方ありません。
反対側には”アトラス”と奴隷シリーズではありませんが”聖マタイ”もありました。ユリウス2世の霊廟のために制作された奴隷シリーズ6体のうち、かなり完成した形に近い”抵抗する奴隷”と”瀕死の奴隷”はミケランジェロが以前病気になった時にお世話になったロベルト・ストロッツィという方に贈ったのですが、フランスに亡命中だったことから当時のフランス国王に献上しルーブルに飾られることになったそうです。 -
”パレストリーナのピエタ” 1555年
ローマ東側のパレストリーナで発見され1939年にアカデミアに運ばれたもので、ミケランジェロのピエタの中の1点で80才の頃の作品。 -
イチオシ
”ダヴィデのトリブーナ”
ダヴィデ像を飾るために作られたトリブーナで、ダヴィデがあたかも君臨しているようです。
ダヴィデ像はフィレンツェ共和国からの依頼で、1501年から04年にかけて26才のミケランジェロによって制作されました。ダヴィデは旧約聖書にある羊飼いから身をおこした古代イスラエルの王でペリシテ軍のゴリアテを石ひとつでやっつけたことから、敵を打ち倒す英雄としてフィレンツェのシンボルとなり1504年9月8日にヴェッキオ宮殿前で公開されました。その後ミケランジェロ生誕400年にあたる1873年に保存のためアカデミア美術館に移されました。 -
ダヴィデ像は下半身に比べて頭や上半身がやや大きめに作られていて遠目に見ると大きく見えるそうですが、これは下から見上げた時に均整がとれて見えるように計算して作られているのだそうです。この女性は顔のアップを撮っているのでしょうね。
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手に握った石も見えますが、ダヴィデは後姿がほんとうにカッコいい!どこから見ても完璧な姿に、若い男の子たちが何人も見入っていました。
日本に帰ってから”ボクらの時代”という番組を見ていたら、マキシマムザホルモンのナラさんが生田斗真に初めて会った時”ダヴィデだ!”と思ったと話していました。ほんとに似ているかも。帰ってからでよかったです(笑) -
トリブーナのすぐ先にある ”ジョットの部屋”にはジョット派の画家の絵がありました。
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タッデオ・ガッディ ”聖母子”
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サンタ・クローチェ教会 聖具室の戸棚扉 タッデオ・ガッディ 1335~40年
ゴシック特有の四つ葉型枠の中に”キリストの物語”と”聖フランチェスコの物語”が施されています。 -
ルネット部分には”キリストの昇天”と”受胎告知”。
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イチオシ
オルカーニャ ”聖霊降誕”
”聖霊降誕”は私の好きなモチーフで、オルカーニャの絵が見れてよかった!オルカーニャはオルサンミケーレのタベルナーコロを作った方です。 -
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会は1219年にフィレンツェへたどり着いたドミニコ会の修道士たちがもともここにあった小さな教会を修道院にしたのが始まりで、1246年に大きな教会に改築するための工事が始まり14世紀半ばにゴシック様式で完成しました。その後ペストの流行が終わりフィレンツェに活気が戻りルネサンスが花開いてその盛りを迎えた1460年頃、ルッチェライ家によりアルベルティにファサードの改築が依頼されたのです。
教会へは9:51に着きました。電車の時間が11:14なので余裕があります。 -
フィレンツェに着いた日のノヴェッラ教会。ファサードの模様もくっきり見えます。
アルベルティが請け負った時ファサードの上部は未完だったそうです。そのため彼は古いゴシックスタイルの後方部分を中央のバラ窓の左右に付けられた装飾で完全に隠し、既存のゴシックの下層部に合うよう新旧部分に同一の幾何学性を用い、未完の上部を白と緑とピンクの大理石を使って完成させました。ファサードの下部と上部をつなぐ模様として風を受けて大きく膨らんだ帆を表すルッチェライ家の紋章(幅の細い方)を使ったほか、ポルタイユのフレスコ画もアルベルティが描きました。 -
堂内は天井に向かって伸びる典型的なゴシック様式で側廊には12の祭壇と翼廊には主祭壇を含む7つの礼拝堂がある大きな教会です。
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イチオシ
教会中央主祭壇寄り ジョット ”十字架像” 1290年頃
クローチェ教会のチマブーエの十字架像からヒントをもらったというこの作品は、それまでのビザンチンの様式から抜け出し生きていた人間としての重力をもって体の線を描いたもので当時では画期的でした。ラピスラズリの十字架に血がしたたっているのもリアルです。ジョットが23才の頃の作品だそうです。 -
バラ窓 ボナイウーティ ”聖母戴冠” 1365~67年
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その下 ボッティチェッリ ”幼児礼拝” 1476~78年
ちょうどイエスが馬小屋でうまれたシーンで、そばには洗礼者ヨハネがいます。 -
左側廊第3祭壇 マザッチョ ”聖三位一体” 1427年頃
マザッチョは友人のブルネレスキから遠近法を学びこの作品に取り入れましたが、それまでの平面的な表現と違って本物の礼拝堂があるかのような錯覚を見る人に与え、当時としては画期的な作品でした。この写真は一部で下に横たわる骸骨が描かれているのですが、その骸骨はアダムのものでアダムの墓から生えた木が磔刑に使われたというメッセージも込められているそうです。またこの絵は教会内の障壁を取り除く工事の際ヴァザーリが他の祭壇画でおおって保護していて、1861年の修復の際に発見されたそうです。
修復中で2ユーロで足場に上ったのですが、この絵は鑑賞者が見上げた時に絵が最も立体的に見えるように描かれているので近くから見るとキリストの頭の上の鳩がくっきり見えるくらいで(父なる神の顔などとても拝めません)あまり意味がないと思いました。 -
中央礼拝堂と隣のストロッツィ礼拝堂
時間的に余裕があるためか全体の写真も撮っていました。 -
イチオシ
中央 ”トルナブオーニ礼拝堂” ギルランダイオ
中央はジャン・ボローニャのブロンズの十字架像。左右の壁面には”聖母マリアの生涯”と”聖ヨハネの生涯”が1400年代のフィレンツェの上流階級の出来事として描かれていて、トルナブオーニ家の人々が描き込まれているそうです。 -
左壁面 ”聖母マリアの生涯”
はっきり写っていませんが、ステンドグラスもギルランダイオの下絵によるもの。 -
右壁面の”洗礼者ヨハネ伝”の方が主題がわかりやすかったです。上から2番目には”ヨハネの説教”と”キリストの洗礼”があります。
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右下から ”聖ザカリアへの天使の出現”
ある時ザカリアが神殿に入りお香を焚いていたところ大天使ガブリエルが現れ、あなたの妻エリザベツが男の子を産むことを告げ、その子にヨハネと名付けるように命じたというシーン。 -
左下 ”マリアのエリザベツ訪問”
マリアはいとこのエリサベツが身ごもって6か月になることを受胎告知の折に告げられエリサベトを訪ねて行ったところ、マリアの懐妊の知らせを聞いたお腹の子が躍りその子はマリアの胎内の子が救世主となることを予言したというシーン。 -
右中 ”洗礼者の誕生”
よく見るとヨハネがぐるぐる巻きになっています。 -
左中 ”ヨハネの命名”
この上に”ヨハネの説教”と”キリストの洗礼”が続きます。 -
いちばん上 ”ヘロデの饗宴”
ヘロデ王は異母兄弟の離婚した妻へロディアを妻として迎えたところ、”兄弟の妻を自分の妻にするのはよくない”と洗礼者ヨハネが言っていると聞きつけヨハネを投獄してしまいます。それでも納得がいかないへロディアはヨハネを葬ろうと企てていたところ、ヘロデ王の祝宴に呼ばれたへロディアの娘サロメが素晴らしい踊りを披露しそれに感動した王は”好きなものを求めよ”と言ってしまったのです。サロメは母に相談し母が”ヨハネの首だ”と言ったため王に告げ、王はヨハネの首を斬首したというお話のまだ踊りの部分ですね・・・。聞くだけで気分の悪くなるような話です・・・。 -
大祭壇もきれい。
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主祭壇右 ”フィリッポ・ストロッツィの礼拝堂” フィリピーノ・リッピ 1502年
ステンドグラスもリッピのデザインで、中央にあるフィリッポ・ストロッツィのお墓はマイアーノによるもの。 -
右壁面 ”使徒聖フィリポ伝”
この絵は”ヒエラポリスの神殿からドラゴンを追い出す聖フィリポ”だそうです。この絵の構図はローマのミネルヴァ教会にあるリッピの絵に似ていますね。 -
”聖フィリポの磔”
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左壁面 ”福音記者ヨハネ伝”
この絵は”ドルシアナを蘇生する福音記者ヨハネ”だそう。 -
主祭壇左 ”ゴンディ礼拝堂” 1503年
サンガッロが装飾したこの礼拝堂にはブルネレスキ唯一の木製の磔刑像がありました。この十字架像はクローチェ教会のドナテッロの作品を見た後制作したもので、こちらは息を吐いた瞬間だそうです。 -
左翼廊 マントヴァのストロッツィ礼拝堂 オルカーニャ ”玉座のキリストと諸聖人”
オルカーニャは本名をアンドレア・ディ・チオーネといい、ヤコポとナルドの2人の弟も画家でした。礼拝堂の壁画はナルドによる”最後の審判”で左に天国、右に地獄が描かれているそうですが正面しか見てませんでした・・・。 -
聖具室はブックショップになっていましたが豪華な装飾です。
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同じ部屋にジョヴァンニ・デッラ・ロッビア作の洗礼盤もありました。
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教会の左奥から出ると”キオストロ・ヴェルデ”、緑の回廊です。壁画に使われる顔料が緑土を多く含んでいたため、全体が緑がかっています。この回廊はパウロ・ウッチェロにより装飾され、遠近法を使った”ノアの洪水”も残っているそうですが探していません・・・。
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緑の回廊沿い ”スペイン人の礼拝堂” 1365~67年
ドミニコ会地方参事会の集会室に描かれたドミニコ会の栄光を讃美する壁画。16世紀にスペイン出身のドミニコ会修道士たちが使用したことから”スペイン人礼拝堂”と呼ばれるようになったそうです。礼拝堂には一面にアンドレア・ボナイウートのフレスコ画がきれいに残っていました。 -
中央の壁 ”磔刑”
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左の壁 ”聖トマス・アクイナスの勝利”
ドミニコ会の福音活動をしながらアリストテレスの研究と聖書研究においてたくさんの著書を表した、中世のもっとも偉大な哲学者で神学者。彼の教義が現在においてもキリスト教思想の中心を占めているそうです。 -
イチオシ
右の壁”ドミニコ会の伝道と勝利”の壁画にはまだ計画のみだったドゥオーモが描かれています。
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”キオストロ・グランデ”
上には15世紀に造られた教皇のための宿泊場所があるそうです。1439年から42年と1458年にこの教会で東方教会とローマ・カトリックの教義の一部を統一するための宗教会議が開かれましたが、それは来客を迎える宿舎を備えた修道院だったからだそうです。
別の話ですが杏さんと渡辺謙さんがフィレンツェで開かれたメンズプレタポルテの見本市にブルネロ クチネリさんに招待されたというYouTubeを見ていたら、たぶんこの回廊がディナー会場になっていました。緑の回廊より壁画がしっかり残っていて素敵でしたよ。 -
ノヴェッラ教会の裏手にある美術館入口はサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に隣接していてそこから出たら早く駅へ向かえると思ったのですが、美術館入口から入る観光客が多すぎて前へ進めない状態であきらめてもう一度緑の回廊へ戻ってしまいました。
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11:14発の電車まで少し時間があったので駅のカフェでカプチーノをテイクアウトしました。午前中3か所と言っても中身の濃いところばかりだったので疲れてしまって・・・。イタリアのコーヒーはほんとうに美味しくてどこでも手軽に飲めるので、イタリアの旅では必須なのです。
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このカフェはGoogleの評価は低かったですがほとんどが接客に関するもので、お客さんの多さから仕方のない部分もあると思います。カプチーノはエキナカといえどもなかなか美味しかった!甘いもの、サンドイッチ類もたくさん揃えてありました。
駅で時間があるかわからなかったので、トレニタニアの切符は事前にネットで購入していましたが、コルトーナへ行く電車はなんとローマ行きでした!コルトーナ、アッシジと通ってローマまで、たぶん4時間近くかかると思います。 -
11:14に出発してコルトーナの最寄り駅 Camucio Cortona へは12:34着。それから丘の上のコルトーナまでは Autoline Toscana のバスで行くのですが、駅前のバス停で待っていると35分をだいぶ過ぎてバスがやってきました。降りる人は1人、乗るのも私だけです。
アッシジほどではありませんが丘の上をめざしてバスは上って行き、あっという間にメルカート広場に着きました。メルカートはなく広い駐車場といった場所で降りてからこの石の門から市内へ向かいました。(バスのチケットは駅前のバールでも売っているようでしたが、乗り継ぎ時間が短かったので初日のタバッキでまとめ買いをしておいたもの。バスの時間はAutoline Toscanaの中でアレッツォを選びSU4で検索できます) -
コルトーナはトラズィメーノ湖の北にあり谷を見下ろす高台に位置する街で、13世紀の城壁に囲まれた旧市街には美しい中世やルネサンス期の建物が多く残っています。
まっすぐ市内中心部へ向かう坂はかなりの急こう配でした・・・。 -
が、美術館への近道の表示があったんです。ここはほとんど坂ではなかったので助かりました。
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コルトーナの街の西の端にあるドゥオーモに着きました。
初期キリスト教の教会が11世紀に教区教会となり、13世紀に再建。その後司教座教会にふさわしいように増築され現在の大きさになり、司教座が移されたそうです。 -
そしてその向かいがフラ・アンジェリコの”受胎告知”がある司教区美術館で、かつてここにはジェズ教会がありました。冬季は金曜から日曜の3日間しか開いていなくて、日曜はバスがないため土曜のこの日に訪れるしかなかったのです。(3月28日からは毎日開いているようです)
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4室 ”羊飼いの礼拝” ルカ・シニョレッリ
この街はなんとルカ・シニョレッリが生まれた街でもあったので、ルカ・シニョレッリの部屋があり彼の作品がたくさん展示してありました。ルカ・シニョレッリといえばオルビエートのサン・ブリツィオ礼拝堂が頭に浮かんできて私は最後の審判の絵自体が好きではないのでいいイメージは持っていなかったのですが、ここにある彼の絵はコルトーナの街の教会に飾られていたものでとてもやさしい絵でびっくりしました。
幼児イエスはすでに首が据わっています。 -
”十字架降架”
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”使徒たちの聖体拝領”
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”聖母子と諸聖人”
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3室 フラ・アンジェリコ "受胎告知” 1430年頃
もともとサン・ドメニコ聖堂のために描かれた祭壇画でその後ジェズ教会に移されたもの。国際ゴシックの影響が残りながらルネサンスの遠近法も取り入れています。フラ・アンジェリコは150㎝以上の”受胎告知”の板絵を3点残していますが、この作品は豪華な祭壇枠に収まり下段にはプレデッラもついています。
この作品は夜の場面が描かれていて、2人が交わす言葉が金色で記されています。天使の言葉は左から右の2行、聖母マリアの言葉はその間にあり上下逆さまに右から左へ書かれているそうです。それはこの言葉が上におられる神に向けられていることを示しているそうです。また建物の外、丘にはアダムとイブの楽園追放が描かれています。
この絵に描かれている聖母マリアはまだ幼く表情も柔らかで、純真な姿が印象に残りました。 -
イチオシ
裾絵は聖母マリアの生涯と聖ドミニコの物語で、聖母の結婚、聖母のエリザベツ訪問、東方3博士の礼拝、神殿奉献、聖母の死など。聖母のエリザベツ訪問の背景にはコルトーナから見えるトラジメーノ湖が描かれていて、これはイタリア絵画で初めて実際の景色が描かれたものだったそうです。私は受胎告知の方に圧倒されて裾絵まで見ていなかったので、行かれたらぜひご覧になって下さい。
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フラ・アンジェリコ ”コルトーナの祭壇画” 1436~37年
フラ・アンジェリコはフィエーゾレにあるドミニコ修道会に入信し1408年から1418年にかけてコルトーナのドミニコ会修道院に滞在し助手として制作にかかわったこともあったそうですが、1418年からサン・マルコ修道院に移る1436年まではフィエゾーレのサン・ドミニコ修道院に在籍し、フィレンツェの注文主のためにたくさんの祭壇画を描いたそうです。 -
こちらの裾絵は撮っていました。
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聖ドミニコの生涯でしょうか?
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裾絵3組の間に聖人を描いています。
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ピエトロ・ロレンツェッティ ”磔刑図”
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何かの一部でしょうか?修道士たちの修行の様子が描かれているようです。
展示されている作品も多くはなく小さな美術館でしたが、コルトーナの街のように落ち着いた美術館でした。 -
教会の西の城壁の向こうにはのどかな田園風景が広がっています。雨は上がったのでわりと遠くまで見えました。
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予約しているレストランへ向かうため美術館から狭い路地(たぶんカザーリ通り)に入ったところ、なんとチーズ屋さんの車が止まっているではありませんか!こういうお店のチーズは美味しいに決まっているので、直径15㎝くらいのセミハードタイプのペコリーノチーズを味見させてもらって半分を3等分して真空包装(バキューム)にしてもらいました。たくさんのチーズが並んでいて私のような素人ではどれが美味しいかわからないので、すすめられたものが美味しければそれを買うことにしています。
1つ4ユーロくらいだったこのチーズ、ショーケースの右側に並んでいる熟成していないタイプのものでクセがなくものすごく美味しかったんです!CONADで買ったものとは比べものにならないくらい。そのままサンドイッチにしても(私はトーストしたパンにハムなどとはさんで温かいうちに手で押すというホットサンドですが)、パンにのせて溶けるまでトーストしてもどちらも美味しかった!丸ごと買って6分割してもらってもよかったくらいでした。 -
バキュームを待っている間にもジェノベーゼソースとか欲しいものがたくさん並んでいて困りました。
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”Osteria del Teatro"
コルトーナの街でどうしても行きたかったレストラン、何かの雑誌にハリウッドスターも訪れたことがあるとあり、メニューも独創的でミシュランも取ったことがあるとか。ただお昼の営業が2時半までとあり(ラストオーダーかも)、1時にコルトーナの旧市街について美術館へ行くと遅くなるのでメールで問合せしたところ予約を受け付けてくださったのです。 -
予約していることを伝えると入ってすぐ右の小さな部屋に通されました。先客が2組います。
HPや口コミでメニューを見ましたがどんなお料理か想像しにくいものもあり、前菜はキアニーナ牛とPinzimonio(帰って調べたら野菜スティックでした)、プリモはメニューが切れてしまっていますがラビオリにしました。 -
最初に運ばれてきたものを見てびっくり!そういえはHPで見たことがあるような。ガラス瓶の中にはエクストラバージンオリーブオイルの中にカットしたレアな牛肉とオリーブや赤いペッパーが入っていて、その横に生け花みたいに盛り付けた野菜が並びまるで絵のようです。そして給仕の女性の方が長~いミルでお皿の上に岩塩を挽いてくださったのです!どうやって食べるか全くわからず、”バーニャカウダ?”と聞いたら首を振って、野菜はオイルにつけてもいいしお塩で食べてもいいと。
ひとくち食べてびっくり!こんな味は初めてです。レアと言っても低温調理されているお肉はやわらかくてさすがキアニーナ牛だけあってしっかりした味。長く伸びたセロリをとってオイルにつけたりお塩をつけてかじっていると、後ろでもぽりぽりと音がするではありませんか!振り向くと30代くらいのご夫婦のうち男性が同じものを食べてらっしゃいました(笑)。 -
イチオシ
いくら食べても減らない、魔法のガラス瓶のよう。ついていたパンもひとつは揚げたスナックのようなパンで塩味がして美味しい。お肉をいただきながら野菜をかじり、パンもほとんど食べてしまったのでした。(お水の瓶の横にあるのが岩塩のミルですね)
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プリモはリコッタチーズのラビオリにはお豆のソースがかかって黒キャベツのソテーがのったもの、やさしい味です。ただ部屋が少し寒くて途中からお料理が冷めてしまったのが残念でした。
奥にいらしたのは若い男性2人と女性の3人組で、途中にビステッカが運ばれてきたんですよ!鉄板の上でジュージューと音をたて美味しそうな匂いも漂って来てうらやましかったです。(隣の席だったら一口もらっていたかも)
また席を立つ時後ろの席の方に挨拶に行ったんですが、なんと奥さまが臨月のようで大きなお腹をかかえて座ってらして、赤ちゃんが産まれたらしばらくはこういうお店に来れないのでご主人が連れて来られたのだと思いました。お祝を伝えてお腹が丸かったので”Not boy?”と聞くと"Yes, girl" という返事で、日本でも同じと言ったらすごく笑っていらっしゃいました。 -
お会計を待つ間にお店の奥の方が見えました。私が通された部屋はガジュアルな雰囲気でしたが、奥は重厚な造りになっていてお客様の声もしていました。
かなり前ですがコルトーナを舞台にした映画がありその時に出演されていたハリウッドスターの方たちが来られていたようですが、私のような旅行中のものでも気兼ねなく入れるお店でサービスしてくださった女性の方も愛嬌があってにこにこされていて、映画のように素敵なトスカーナの休日になりました。 -
お店の前はかなりの坂になっていて先に行けばサン・フランチェスコ修道院やサンタ・キアーラ教会もあるのですが、いい絵を見たので満足して元来た道の方へ向かいました。
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下から自転車で上がってくる人がいました。”ユーロヴェロ90000㎞”という番組でイタリアを自転車で走る番組を見たことがありますが、坂道は絶好のトレーニングになりますね!
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”シニョレッリ劇場”
ルネサンス様式の柱廊の後ろ側に劇場がありました。 -
”エトルリア博物館”
13世紀に建ったプレトリオ宮で、現在は博物館になっています。またプレトリオ宮の右の壁面にはフィレンツェ政府の高官の紋章がかすかに残っていました。 -
他にも中世の面影が残っている建物が結構ありました。
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レプッブリカ広場 ”市庁舎”
この街のいちばん象徴的な建物で、現在も市庁舎として使われているそうです。 -
中心部から長い長い坂を下って、メルカート広場のバス停に着きました。帰りのバスは1人。
日本では地方の過疎路線を廃止する動きがありますが、イタリアではどんなに小さな町でも文化遺産を持っていることが多く、こうやってバスが走ってくれているのはほんとうにうれしいことでした。 -
帰りは学生さんたちも乗ってきてけっこうにぎやかでした。
フィレンツェへの帰り道にサンジョヴァンニ・ヴァルダーノという街で下車すればもう一枚の”受胎告知”を見ることができたのですが、もうコルトーナの”受胎告知”だけで満足で下車しませんでした。 -
今度来ることがあればもう少しゆっくり歩いてみたいと思った街でした。
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フィレンツェについて駅前からトラムに乗って ”COOP” へやってきました。ここに来たいちばんの理由はヴェネチアのCOOPで見つけてはまったカントゥッチを買うためです(笑)安い上にIGTのマークがついている推奨品でほんとうに美味しかったんです。
入口の近くには野菜コーナーがあり旬のアーティチョークやアスパラにワレット豆もありました。その奥の果物なんかも見ていたらなんとその奥に総菜コーナーがあるではありませんか!この日はお昼に美味しいものを食べたのでホテルの近くにあるピザ屋さんにでも行こうと思っていたのですが、がぜん元気になりました(笑) -
夕刻ですごく混んでいたのでこの一角しか写せませんでしたが、下のトレイ右はバッカラのフリットと左はシーフードのから揚げ。値段は1㎏でのものですが、バッカラは高いのによく売れています。この左にアランチーノ(ライスコロッケ)があったんです、それもビアンカが。私はトマト味のアランチーニは味が飽きるのであまり好きではないので、白のアランチーニがあるなんてびっくりでした。そしてシーフードの奥にある黄色いのが揚げたポレンタ。その右には付け合わせ野菜のソティがありほとんど残っていなかったのですがちょうど作り立てができてきて、そのふたつ隣にはアーティチョークのフリットともう思ってもいないような私の好きなものばかり。
順番が来てお店のお姉さんはアジア人の私にちょっとひいていましたが、旅行中だから1人分下さいと言って、いちいち大好きとかいうので最後には笑ってくれました。揚げポレンタなんか熱々なんです、それを2つしか買わないのに小さな紙袋に入れてくれて満面の笑みで受け取りました。 -
お菓子売り場もとても広くて通路を行ったり来たりして念願のカントゥッチを見つけました!輸入小麦を使う日本ではパンやお菓子も軒並み値上がりしていますが1年前とほとんど変わらないお値段で、カントゥッチ専門店のものより容量も多く値段も半額と信じられないような安さ。かなりかさばるので3つしか買わなかったけど、最終日にまた買いに来たのでした。
帰ってから食べ比べてみましたが、専門店のものはグラニュー糖がまぶしてあり甘すぎる上になんと底のほうにかけらがたくさん入っていてがっかりでした。それに比べCOOPのカントゥッチはIGTだけありほんとうに美味しい!差し上げた方も家族であっという間に食べてしまった、どこに行ったら買えるの?と聞かれたくらいでした。イタリアではスーパーはCONADが多いですがCOOPもたまにあるし、フィレンツェでは駅からトラムで簡単に行けるので超おすすめです! -
そして今日の晩ご飯、ポレンタ以外はこういった容器に入っていて上にラップでふたがしてあります。アランチーノは真ん中にミートソース状のものがはさんでありしつこくなく美味しい。ポレンタもアーティチョークのフリットも美味しくて、野菜のソテーも野菜不足を解消するくらいいただき大満足の夕食でした。(全部は食べれそうになかったので翌日分に残しましたが)
私は旅行中も家計簿をつけていてレシートも素敵なものやスーパーのものはノートに貼っているんですが、それによるとアランチーノ2.27ユーロ、カーチョフィ・フリット1.67ユーロ、コントルノ1.51ユーロにポレンタ・フリット0.62ユーロでした!野菜が多くヘルシーな上にお安い、まったく知らずに行ったのに惣菜コーナーを見つけるなんてよっぽど食い意地が張ってるんですね(笑)
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