2024/03/12 - 2024/03/20
79位(同エリア442件中)
広島れもんさん
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- 旅行記38冊
- クチコミ7件
- Q&A回答0件
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昨年秋に計画していた旅ではシエナは1泊の予定でしたがやむを得ない理由で中止になってしまったので、今回はフィレンツェから日帰りでの観光となりました。そのため立ち寄りたかった美術館、教会など全部は回れませんでしたが、お天気にも恵まれ素敵な1日となりました。
*横長の写真はクリックすると大きく鮮明に見えます
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日は日曜日で出発が遅いので、荷物の片付けなどした後定時に朝食会場へ行きました。美味しかったチーズケーキを探したのですが今日もありません・・・。この前違うケーキをとって残してしまったためとるのはやめました。
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いつもと変わらないチョイス(笑)ただ今日のコルネットは緑色の縞模様で聞いたらピスタッキオって!でもかなり甘いコルネットでした・・・。
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”Frorence Bus Station”
以前にも書きましたがイタリアでは日曜日はバスの本数が減ることが多く、シエナ行きも例外ではありません。平日だと8時台に出て9時半頃にシエナに到着する快速のバスがあるのですが、今日は9:10発の10:25着で行くことにしました。ゆっくり出ようと思ったのは、日曜日のドゥオーモが13時からしか入れないという事情もあったからです。 -
シエナまでの往復チケットを窓口で購入、事前に練習していたため通じてほっ。ところがチケットが薄い紙なんです。どうやって打刻機に入れるのか右往左往していたら後ろに来られた方に、半分に折って入れるんだよとやってみせていただきました。こんなチケットもあるんだ、イタリアは手ごわい(笑)シエナまでは片道9.3ユーロ、1時間15分の旅です。
シエナと同じ時期に栄えたサン・ジミニャーノに行くためには途中のポッジボンシで乗り換えが必要になり、平日でも日帰りで2つの街に行くことは無理なのであきらめました。ジェラート世界一をとったジェラテリアがあり、行きたかったのですが・・・。 -
シエナのバスステーションがあるグラシム広場から南に下ったところにある”アルベルゴ・キウザレッリホテル”、去年の秋に泊る予定だったホテルは思った通り素敵なホテルでした。グラシム広場からは街のメインストリートを通ってカンポ広場へ行く方が多いと思いますが、この通りを行くとサン・ドメニコ教会に行けるだけでなく谷の向こうにあるシエナの街がよく見えるポイントがあると知ったからです。
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”サン・ドメニコ教会”
1226年聖ドメニコがシエナに来た翌年から建設を始め1265年に完成したれんが造りのゴシック様式の教会でその後荒廃していたものを50年ほど前に改修して現在の形になったもので、シエナの守護聖人聖カテリーナを祀っています。バスに乗っている間は霧は出ていなかったのに、ここに来て霧です・・・。 -
シンプルな堂内、内部は信者にも説教者にもいっさい障害があってはならないというドメニコ会の教えに従って単廊式になっているのだそうです。
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入ってすぐ右 ”ヴォルテの礼拝堂”
ちょうど学生さんたちのグループが説明を受けていらっしゃいました。聖カテリーナ本人を見て描いたというアンドレア・ヴァン二のフレスコ画を見たかったのですが・・・。 -
身廊右 ”聖カテリーナ礼拝堂”
シエナの守護聖人であるとともにイタリア全土の守護聖人でもある 聖女カテリーナ(1347-1380)が実際に祈ったという礼拝堂で、聖カテリーナの聖遺物が収められているという小壁籠の左右にソドマの”聖痕を受ける聖カテリーナ”、”聖カテリーナの法悦”がきれいに見られました。
聖女カテリーナは生涯を貧しい人や病める人のために捧げただけでなく、当時教皇庁のあったアヴィニョンに出向いて教皇グレゴリウス1世を説得し教皇庁をローマに移し戻すのに成功した人物で、1461年に列聖されました。また彼女は聖フランチェスコ同様聖痕を受け、アレクサンドリアの聖女カタリナ同様キリストと結婚する幻視を見たと信じられています。
”聖カテリーナの神秘の結婚”は絵の題材にもなっているエピソードですが、この街に現実にいらっしゃったんですね・・・。 -
主祭壇はダ・マイアーノによる大理石の祭壇。ステンドグラスに特徴があったみたいですが気が付きませんでした・・・。
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堂内に掲げられている旗はもしかしたらシエナの夏の風物詩 ”パリオ” のコントラーダの旗かもしれません。パリオは7月2日と8月16日にカンポ広場で開かれる町内対抗の競馬で、シエナの街は17のコントラーダに分かれているそうなんです。
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教会を出たところから向こうの丘を見ると、ドゥオーモはすっぽり霧に覆われていました・・・。
シエナは12世紀には自治都市として独立し、フィレンツェ同様金融業や商業で繁栄した街です。教皇派のグエルフィ党が優勢だったフィレンツェとは対照的にシエナの街の実権を握っていたのは皇帝派のギベリン党で、このふたつの街は強力なライバルとして互いを狙う宿敵でもあったのです。そして13世紀から14世紀にかけて街が最も栄えた時代には多くの公共建築や聖堂が建てられ、今日のシエナの街の外観はほぼ出来上がっていたそうです。
繁栄を極めたシエナの街も14世紀半ばのペストによる人口半減に加え、相次ぐ戦争や内乱で15世紀には衰退がはじまりました。15世紀後半には自治都市は崩壊し、16世紀の半ばにはメディチ家のトスカーナ公国に編入されたのです。(メディチ家礼拝堂にシエナの紋章がありました) -
ところが振り返ると教会は霧が晴れ、陽も当たっていたんです。
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教会から坂を下る間ずっと前を歩いていた3人組の女の子たちも、目的地は同じようでした。
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”フォンテブランダ”
水を供給するために建設された泉で、1081年に建てられシエナで最も古い泉。アーケードには3つの水トレーがあり、1つは人が飲むため、もう1つは動物用、もう1つは洗濯用だったそうです。
同じような丘の街オルビエートにはいくつか井戸が残っていましたが、シエナも地下の水路網や泉、水飲み場など水の確保に工夫を凝らしていたんですね。 -
谷底からは上り道になりましたが、そんなに急ではなく助かりました。中世にできたイタリアの都市ではこんな風に建物と建物をつないだものがよく見られますが、地震の際の倒壊防止の目的の他に増築の目的があったとは知りませんでした。
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振り返ると青空の中に教会が!とたんに元気になりました(笑)
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”商人のロッジア”
登ってきたフォンテブランダ通りを左折してチッタ通りを少し行った三叉路に建っている15世紀前半に建てられた建物で、商工会議所として使われていたもの。柱に飾られている4人の守護聖人は、宿敵フィレンツェの方向に顔を向けているそうです。 -
イチオシ
チッタ通りからカンポ広場へはいくつもの路地があり路地ごとに見える景色が違っているので、どこからがいいだろうとチェックしながらここまで歩いてきてコスタ・バルビエーリ通りから入ることにしました。広場へ下っているのがよくわかります。
市庁舎が置かれているプッブリコ宮の隣に建つマンジャの塔は高さが102mあり、14世紀半ばに建てられました。すらりとした姿と繊細な装飾でできた白い上部がとても美しい鐘楼で、上まで上がれるそうです。 -
”カンポ広場”
シエナは3つの丘の上に広がる街でカンポ広場はその中心にあり、丘と丘の間の傾斜地にあるため広場全体が緩やかにカーブした扇形の広場になっていて扇の付け根に向かって傾斜しています。また広場は時の9人政府をかたちどった9つの細長い3角形に分けられていて、下の写真でもわかるように線が引かれたようになっていました。
3月中旬にイタリアに行くのは初めてで寒い日もあるかとキルティングの上着にウールのパンツをはいていたのですが、どちらも紺でカメラ映りが良くなかったです(笑)実は広場に来る前に、ショーウインドに魅せられてチッタ通りにあるお店に入ったんです。そこで素敵な春物のコートを見つけて試着はしましたが荷物になるので午後来ますと言って出てしまったんです。こんなことなら買って着かえればよかった、けれど脱いだコートを預かってくれるか不安だったのです・・・。 -
広場を囲むように建物もカーブして建っています。
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こちらはプッブリコ宮の向かい側、赤い日よけのある建物の前にあるのが”ガイヤの泉”。
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”ガイヤの泉”
ガイヤはイタリア語で喜びを意味する言葉で、中世の時代に街の人々が地下水脈を整備してここまで水を引き広場に水が出た時に大喜びしたことからその名前が付いたもの。15世紀にヤコボ・デッラ・クエルチャにより装飾されましたが、現在はレプリカになっているそうです。そしてなんと口から水を出しているのはシエナのシンボルの狼なんだそうです!
007の”慰めの報酬”という映画の冒頭でシエナの地下にある水路をダニエル・クレイグが走ってカンポ広場のマンホールに出ていましたが、私はこの泉に出たのだと勘違いして覚えていて広場に来ていちばんにここに来てしまいました(笑)007シリーズはよくイタリアが舞台になるのですが、世界遺産のシエナの街の建物をかなり壊していました・・・。 -
”プッブリコ宮”
13世紀末から14世紀半ばにかけて建てられたシエナのゴシック様式の公共建築の代表ともいえる建築物で、石造りの最下層に2層3層はレンガ造りといった凝った造りで、窓のひとつひとつには白と黒2色のシエナの紋章、建物の中央にはフィレンツェの紋章も見られました。上部のギベリン狭間はヴェローナでもたくさん見かけたもの、建物の下部には馬をつなげるための金具も残っていました。
現在でも市庁舎として使われていてトスカーナの市庁舎の中でも最も優美な建物だそうですが、うなづける美しさでした。 -
マンジャの塔の真下にあるのは同じ14世紀半ばに造られた石造りの”広場の礼拝堂”ですが、市立美術館の入り口はこの右手の幕が下がっているところにありました。
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”ポデスタの中庭”
中世の建物の中庭はみんなよく似ていますが、窓の形が外部と同じですね。この奥に美術館の入り口がありました。
”市立美術館”はプッブリコ宮の2階にあり、内部は多くの美術品で装飾されていてこの街の栄華を物語っています。 -
”リソルジメントの間”
父から受け継いだイタリア統一戦争に終止符を打ち、初代イタリア国王になったヴィットリオ・エマヌエーレ2世の生涯を描いたフレスコ画で飾られていました。サルディーニャ王であった父カルロ・アルベルトはオーストリア帝国からの分離・イタリア人によるイタリアの統治を求めた戦いで反乱軍を支援し1848年に第1次イタリア統一戦争が始まりましたが、途中で失脚。跡を継いだヴィット―リオはその11年後の1859年に第2次統一運動を始め1861年に初代のイタリア国王に就任しました。(華々しい成果の陰には王国の宰相カブールや軍事家ガリバルディの活躍がありました)
イタリアに通うようになっていたるところに彼の名前の付いた通りやガレリアがあり、カブールやガリバルディ、そしてヴェネチアのマニンもまた名前が残った場所があり、英雄なんだなと思います。そしてイタリア統一運動も様々な場所で目にするので、これからもっと勉強しなくてはと思っています。 -
バリアの間 ”教皇アレクサンデル3世と皇帝フレデリック・バルバロッサのローマへの入城”
この部屋にはスピネッロ・アレティーノのフレスコ画がきれいに残っていました。シエナ出身の教皇と神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世がローマへ入った時の様子らしいですが、その頃の歴史は詳しくありません・・・。 -
同じバリアの間
下は ”フリードリヒ1世の教皇アレクサンデル3世への服従”
上は ”教皇アレクサンデル3世の戴冠” -
”礼拝堂”にある祭壇画はソドマによる”聖家族”がありました。
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寄せ木細工の聖歌隊席も綺麗な形で残っていました。
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”世界地図の間” シエナ共和国の評議会が開かれていた部屋
壁一面にシモーネ・マルティーニの”荘厳の聖母”が描かれていました。ウフィツイにあった”受胎告知”の作家です。シモーネ・マルティーニはドウッチョの”荘厳の聖母”が完成した数年後に市庁舎のためにこの絵を描いたそうです。 -
イチオシ
この絵は1315年から21年の間に描かれたもので、金色に輝く聖母子と聖人たちの構図はゴシック絵画の特徴でシモーネのデビュー作だそうです。天幕の下に聖人たちが勢ぞろいしていますね。
13世紀後半から14世紀の前半にかけてのシエナでは9人評議会という共和制により安定した政治が続き、大商人を中心とする上層市民が市制を担い画家たちの最大のパトロンでもありました。ドゥッチョ、シモーネ・マルティーニ、ロレンツェッティ兄弟などシエナ派と呼ばれる画家たちはこうして生まれ、宗教的で繊細な美術がはぐくまれたそうです。 -
その向かいの壁の上の”グイドリッチョ・ダ・フォリアーノの騎馬像”も彼の作品。
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イチオシ
シエナが行ったモンテマッシ城の包囲の成功を記念して描かれたものだそうですが、シエナからモンテマッシの街に向かってひとり悠々と歩いている姿に何とも言えない魅力がありました。グイドリッチョも馬も同じ鎧のようなものをつけていますがこの頃の流行だったのでしょうか?
この部屋の次の9人評議委員会の間には、アンブロージョ・ロレンツェッティの最高傑作と言われている”善き政府の寓意・善き政府の効果”、”悪しき政府の寓意・悪しき政府の効果”があり楽しみにしていたのですが、なんと修復中で公開されていませんでした・・・。
中世のシエナにはコムーネという都市自治組織があり、シエナ及び郊外の農村を統治していました。そのコムーネが9人の代表による評議委員会を作りシエナの実権を握っていたもので9人政府と呼ばれていましたが、この9人政府は1287年から1355年まで続きその間の経済的、芸術的発展は世界でも珍しいほどだったのだそうです。カンポ広場が9つに分かれている理由がここにあったのです。 -
回廊にはシエナのシンボル、”オオカミと双子”もいました。
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シモーネ・マルティーニの絵が見れて満足していますね(笑)。
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美術館から出たところ。ちょうど左手には広場の扇のかなめにあたる場所があり、雨水の排水溝があるのですが柵がしてありました。
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広場を出るときに振り返ってみたら、9つに分けた線が市庁舎の前に向かって集まっているのがよく見えました。
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ドゥオーモへの行き方はいろいろありますが、何かの番組で洗礼堂の方から入っていたのを見たので、ペッレグリーニ通りから行くことにしました。ほどなく洗礼堂へ到着、上にはドゥオーモの後陣のバラ窓が見えます。
この洗礼堂は、ドゥオーモの後陣を増築する計画を立てたものの敷地がなかったため新しく洗礼堂を作りその上に増築するという形で1325年に完成したもので、ロマネスク建築の美しい建物です。 -
美しい装飾の洗礼堂を横目で見ながら長い階段を上ってドゥオーモ広場へ向かいますが、敷地に高低差があるのがよくわかります。
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ようやく上までたどり着きました。この壁、実はドゥオーモの拡張工事のために作られたものなんです。
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広場から左手を見るとファッチャトーネ(大きな正面)と呼ばれる未完の新ファサードが見えました。この後あそこに上ります!
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まずはドゥオーモへ。オルビエートのドゥオーモと同じくらいかなと思っていたのですが、晴れているのもあってはるかに美しい!ロマネスクの鐘楼はは1264年に完成しましたが、教会堂と一体となって建設されているのもあまり見ない形です。また軽くするためか上に行くにつれ窓が多くなっています。
また旅行記を編集している時に気づいたんですが、ドゥオーモの正面右の茶色い柱の上にはシエナのシンボルの”オオカミと双子”がいたんです。大きく回り込んで正面に来ったため、まったく気づきませんでした・・・。 -
イチオシ
”ドゥオーモ”
1220年代からおよそ150年にわたって建設されたイタリアで最も美しいファサードを持つイタリアン・ゴシックの聖堂で、全体は白い大理石におおわれ側面は濃い緑の大理石を使って縞模様が施されています。ファサードの設計はジョヴァンニ・ピサーノで、1270年代に華麗で繊細な彫刻作品が彼とその工房によって作られました。上部の装飾が完成したのは1285年の事だったそうです。
このファサードの両脇には上まで届く塔があり動物が身を乗り出しているような装飾があるのですが、なんとガーゴイルと言って雨どいの役目をしているそうで PORTA DEL CIERO ツアーに行くと見ることができるとか・・・。でも実際はこの写真の左隅にあるようにとび出る感じでついていて、ちょっと苦手で見ないようにしていました。また一番右に半分写り込んでいるアーチの先に洗礼堂への階段があります。 -
まずはチケットを買いに。事前に調べたらサンタ・マリア・スカラ救済院にあるとかいろいろな情報が乱れていましたが,ドゥオーモの左手奥にありました。1泊する予定の時は PORTA DEL CIELO というドゥオーモの上の回廊を歩けるツアーを含むチケットにしようと思っていたのですが、集合時間が決まっているみたいで OPA SI PASS という付属美術館、洗礼堂も入れるチケットにしました。
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オフシーズンのため比較的空いていました。
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下段にある14人の預言者と使徒の彫刻はジョヴァンニ・ピサーノ自らが制作したものでしたが、現在はレプリカになっていて実物は付属美術館にあるそうです。また多色大理石を使った美しい入口装飾はピサーノの弟子によるものでロマネスク様式で造られています。
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いちばん上は”聖母被昇天”のモザイク、両横の”降誕”と”神殿奉献”と共に19世紀のヴェネチア製だそうです。
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聖堂の入場は13時からのため、最初に付属美術館へ。左手にあるのが入口ですが、美術館見学後上がるファッチャトーネの通路に人がいるのが写っていました!後でわかったんですがまん中の通路に加えいちばん上にも上がったんです!!
ドゥオーモ付属美術館は未完に終わった大聖堂の増築部分を利用して1870年に設立されました。1340年頃フィレンツェのドゥオーモに対抗するように今のドゥオーモが両翼になりこちら側に身廊が伸びる計画を立てたそうですが、ペストの流行などで人口も減り街の経済も疲弊したため計画は中止されたのでした。 -
1階 彫刻のギャラリー
ドゥオーモのファサードを飾っていたジョヴァンニ・ピサーノの彫刻が薄暗い部屋に並んでいました。奥には主祭壇の上を飾っていたバラ窓が・・・。 -
ドウッチョ・ディ・ブオニンセーニャ ”聖母の物語” バラ窓オリジナル 1288年
上から”聖母戴冠”、”聖母被昇天”、”聖母の死”。中央左右にいるのはシエナの4人の守護聖人だそうです。ステンドグラスの模様をこんなに間近に見たのは初めてですが、色使いがほんとうにきれいで当時からこんな技術を持っていたことにも驚きました。ドウッチョが下絵を描きガラス職人さんと協力して作り上げたイタリアでもっとも古いステンドグラスだそう、ため息が出ました。 -
シエナのシンボルである”オオカミと双子”の彫刻のオリジナルもありました。この子どもたちはローマを追われたレムスの2人の息子で、白と黒の馬に乗ってこの地にたどり着き新しい街を建国したのだそうです。そのため街の紋章も白と黒になっています。
ファサードは彫刻のラッシュで、雨どい用に作られたという動物もたくさんいるしその中にいたのかなあと思っていました・・・。 -
2階 ドウッチョ ”荘厳の聖母” 1308~11年
周囲を6人の聖人と20人の天使、そして足元にシエナの4人の守護聖人がいるこの絵は、マリア様の保護のもとフィレンツェに勝利したことを記念して制作されたもので、1311年に完成してドゥオーモへ運ばれる時街中の人が行進して運んだそうです。それくらい人々のよりどころとなる絵で、1506年まで主祭壇を飾っていました。
ところがその後分離解体され、裾絵や尖塔部分は売られたり無くなったものもあったそうです。 -
こちらが祭壇画の裏側、聖職者側で”キリストの受難”の26場面が描いてあります。
ドウッチョはシエナで活躍したゴシック期の画家でしたが、実際にはビザンチン絵画を基盤にしながら人物表現や空間認識においてゴシックからルネサンスへの橋渡しをした画家で、シモーネ・マルティーニやロレンツェッティ兄弟へも大きな影響を与えたことからシエナ派の祖と呼ばれています。 -
ドウッチョ ”クレヴォーレの聖母” 1283~84年
優しさにあふれたマリアの表情とマリアに手を伸ばしている幼子イエス、ドウッチョはこの時期にもう人間味あふれる絵を描き始めていました。 -
ピエトロ・ロレンツェッティ ”聖母マリアの誕生”
独特の色使いですね。 -
3階にあった”大きな目の聖母”は、イタロ・ビザンチンの代表作です。
この部屋の奥から計画されながら未完に終わった新ドゥオーモのファサード”ファッチャトーネ”の展望テラスへ、細いらせん状の階段で上がりました。階段はファッチャトーネの壁の中にあったようですが、上がっている際中はまったくわかりませんでした(笑)。 -
ドゥオーモを横から、それも鐘楼もクーポラも同じくらいの高さで見えて絶景です!じつはこのファッチャトーネ、アーチ部分の装飾は完成していたそうなんです。私はまわりの景色ばかりに気を取られ上を見ることなど考えていませんでしたので、行かれたらぜひアーチにも注目してください。
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反対側にはマンジャの塔とはるか先の丘陵地帯まで見えましたが、それだけではありませんでした!
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イチオシ
さらに上まで登れたんです!全く知らなかったのでびっくり、そして見えた景色がカンポ広場でした。こんな上からも9つに分かれているのもわかりますね。
ファッチャトーネへは人数と時間の制限があるようですが、私が行った時間帯は10人くらいしかおられず写真を撮るのも楽でした。それにみなさんこんな景色が見られるとは思ってなかったみたいで、大喜びで譲り合って撮っていました。 -
感嘆符ばかりで恥ずかしいですが、PORTA del CIERO で登るよりドゥオーモも見えてカンポ広場も見えて最高でした!
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13時を過ぎて大聖堂が開いている時間でしたが先に洗礼堂へ。ところが内部は改修中でこの左手の幕に覆われているところに洗礼盤があるのですが、近づくことさえできませんでした・・・。
15世紀になりシエナ出身のヤコボ・デッラ・クエルチャにより洗礼盤の制作が始まり、6角形の洗礼盤の浮彫り部分のブロンズパネルはクエルチャの他にドナテッロ、ギベルティなどフィレンツェの芸術家が手がけました。このブロンズパネルが素晴らしいそうなので、シエナのドゥオーモへ行かれたらぜひ洗礼堂へも足を運んでください。 -
誰の作品かわからないけれど多翼祭壇画がありました。
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13:40、やっと聖堂内へ。
ゴシック様式の聖堂にはいくつか入ったことがありますが、この高さに縞模様そして金を使った装飾は他では見たことがない豪華さでした。 -
そして次に目に入ったのが色大理石で装飾された象嵌模様の床で、14世紀後半から16世紀にかけておよそ40人の芸術家によって製作されたものだそうです。聖書を題材にしたもので聖堂全体で56個あるものの、”地球の歩き方”には夏季に期間限定で公開されるとあったので見れないだろうと思っていたのでびっくりでした。
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シエナのシンボルも描かれていました。
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たくさんありすぎてタイトルもわからないのですが、構図がきれいなものを撮ってみました。
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後陣のクーポラの周りに小さく見えるのは中央がキリストその右が初代ピエトロと続き、歴代教皇171人の胸像が身廊アーチをぐるりと回ってキリストの左まで続いているのだそうです。またクーポラの形が丸ではなく正12角形だそうです、珍しいですね。
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主祭壇とその前の柱に飾られている8体のブロンズの天使像はベッカフーミによるもので ”燭台の天使”と呼ばれています。そしてその上のステンドグラスは逆光で絵柄がわかりませんが、付属美術館にあったドゥッチョの”聖母の物語”のレプリカです。
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左翼廊 二コラ・ピサーノ ”説教壇” 1265~68年
二コラ・ピサーノが息子のジョヴァンニやアルノルフォ・ディ・カンビオとともに制作した大理石製の八角形の説教壇で、7枚のパネルには”キリストの生涯”が描かれています。説教壇は9本の柱で支えられていて、中央に1本残りの8本のうち4本はライオンが支えているという珍しい形をしていました。 -
推測なのですが、この時期は観光客も少ないので公開されていたのではないでしょうか?
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右翼廊 洗礼者ヨハネの礼拝堂 ドナテッロ ”洗礼者ヨハネ像”
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右翼廊 ベルニーニ ”誓約の礼拝堂”
ベルニーニらしいバロックの礼拝堂ですが、中央にあるのは13世紀の ”誓約の聖母”と呼ばれている板絵でした。 -
クーポラのてっぺんには夜空でしょうか、星が見えました。
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左身廊 ”ピッコロ―ミニ家の祭壇” 1501~04年
4人の聖人像は左上から聖ピウス、右上聖グレゴリオ、その下聖ペテロ、左下が聖パウロ。どれもミケランジェロの若い頃の作品ですが、この頃ってダヴィデ像を製作していた頃だと思うのですが・・・。 -
その手前 ”ピッコロ―ミニ家の図書館”
ピッコロ―ミニ家は中世から近代にかけて栄えたシエナの名門貴族で、1492~02年に後の法王ピウス3世の意向で伯父のピウス2世の蔵書を保存する目的で造られ、1502~07年にピントゥリッキオと助手によりフレスコ画で装飾された図書館です。入口上はピントゥリッキオによる”ピウス3世の戴冠”。 -
壁にはシエナ司教だったエネア・シルヴィオ・ピッコロ―ミニが法王になり亡くなるまでの”ピウス2世の生涯”が描かれています。こちらは入って右の壁。
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こちらが左側の壁。
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イチオシ
右の壁のいちばん左は26才のエネア・シルヴィオが1431年バーゼルの公会議に出かけるシーンで、途中で嵐にあったものの無事に到着できたことを虹を描いて表しています。エネア・シルヴィオはシエナ大学で学んだ人文主義者で詩人・歴史家としても高名で、神聖ローマ帝国の宰相としてバーゼルの公会議へ出席したそうです。
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スコットランドの宮廷に派遣されたエネア・シルヴィオ。君主の見ている赤い服を着ているのがエネア・シルヴィオ。
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神聖ローマ皇帝フリードリッヒ3世により、詩人の称号を授かるシーン。背景の建物はシスティーナ礼拝堂の壁に描かれていたものによく似ています。
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エウゲニウス4世に服従を誓うエネア・シルヴィオ。エウゲニウス4世はバーゼル公会議の時のローマ教皇でした。
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イチオシ
入口の壁にも2シーンが描かれています。こちらは左。
シエナ司教のエネアがポルトガルのエレオノーラ王女をフリードリッヒ3世に紹介し結婚を仲介したシーン。背景に描かれているのは当時のシエナの街だそうです。 -
その右。
枢機卿の赤い帽子を享受するエネア・シルヴィオ。礼拝堂の祭壇に描かれているのは聖母子とピッコロ―ミニ家の守護聖人だそうです。 -
左の壁のいちばん左は、1458年教皇に選出されバチカンに入るシーン。ここに描かれているのは改築前のサン・ピエトロ寺院だそうです。
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1453年マントヴァの公会議で対オスマントルコの戦いを議論しているシーン。ピウス2世は十字軍遠征を主張しましたが、フリードリッヒ3世他これに応じる君主もいなかったとか・・・。
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1461年、ピウス2世がシエナのサンタ・カテリーナを列聖したシーン。サンタ・カタリーナは1380年に死去し、ローマのミネルヴァ教会に葬られていました。
左下に描かれているポーズをつけた男性はラファエロ、その右がピントゥリッキオ。ラファエロはピントゥリッキオの弟子として壁画制作に参加し、下絵を描くなどしていたそうですがふたりとも美少年です。 -
イチオシ
1464年の十字軍開始のためアンコーナへ赴き出向を待つピウス2世。教皇自らアンコーナへ出向いたものの、船がそろわず2か月間待つ間にペストに感染して亡くなられたそうなんです。沖にそんなに船がいませんね・・・。
ローマからアッシジへ行った帰りに立ち寄ったスぺッロという街で、ピントゥリッキオの絵にフラれたことがあるので今回はしっかり見ました。 -
イチオシ
天井は極彩色のグロテスク模様で装飾され、部屋の中央にはピウス3世が所有していたという、ヘレニズム期の彫刻をローマ時代に複製した ”三美神像” が置かれていました。窓とその上にはピッコロ―ミニ家の紋章もありましたが、天井の中央にもあったようです・・・。
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イチオシ
ほんとうならピウス2世の蔵書が置かれるはずだった書架には美しい聖歌集が並んでいました。そしてはっきりとは写っていませんが、床は菱形のタイル張りで家紋である三日月が入った美しいものでした。
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聖堂に入ったのが13時40分頃でレストランの時間があるので30分しか滞在できず、写真を見たら傾いているものも結構ありました・・・。床の装飾などゆっくり見ようとすると1時間はかかると思うので、次に来ることがあれば平日に来たいと思いました。
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”BOCCON DEL PRETE"
ドゥオーモ広場から南に下ったところにあるオステリアです。この辺りにはいくつかレストランがあり南に下ったところやメルカート広場近くにも素敵なレストランがあるのですが、この後コートを買いに行かなければならなくて近くのこのお店にしました。 -
レストランのメニューはサイトに載っていることもありGooglemapから行かれた方の口コミを見て大体決めていましたが、なんと前菜に食べたいお料理があったんです!それも12ユーロで!!
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”牛肉のタルタル”
前日も食べたばかりなのにたくさん歩いているからか無性にお肉が食べたくて、以前ボローニャで初めて食べて以来もう一度食べたいと思っていたタルタルにシエナで出会えるなんて感無量。お肉はピエモンテ産とありボローニャのビストロのようにソースもついていませんでしたが、オリーブオイルと塩胡椒だけでいただくシンプルなタルタルはとても美味しくて疲れが取れました。 -
”PICI CACIO E PEPE”
PICIはこの地方特有の太麺のパスタでアリオーネというトマトソースでいただくものもあるみたいですが、ここは王道のカーチョ・エ・ぺぺにしてみました。もっちりとした麺にからんでいるチーズのソースがとっても美味しい!ローマの Da Enzo のカルボナーラほど塩辛くなくて食べやすかったですが、とにかく太くてよく噛まないと呑み込めなくてずいぶん時間がかかりました。そしてだんだん塩分もこたえてきて、ついていたトスカーナパンは完食。500mlのお水もほとんど飲んでしまいました。
帰ってから放送された”世界は欲しいモノであふれている”では、鈴木亮平さんがピエンツァで PICI のボロネーゼを食べておられましたが、”讃岐うどん”とおっしゃっていてうなずけました(笑)。時間はかかりますがパッパルデッレほど太くないのでおすすめです。 -
私が通された部屋は入口すぐの部屋で、食後トイレを借りに奥へ行くとおしゃれで落ち着いた部屋もありました。入口すぐの部屋は出入りする人で落ち着けないし、お会計の際のやり取りも目の前でされるので結構気になりました。それでもお料理の値段が高くなくて旅行者にうれしいレストランでした。
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チッタ通りをブティックへ向かいます。右前に見えるのは ”Palazzo Chigi Saracini"で、中世の建物を現在は音楽院として使っているそうです。(右手前の豚さんマークのお店は生ハムなどを売っているお店でした)
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商人のロッジアのちょうど正面にあった ”GEOX”。ブランドは全く知りませんでしたが、ショーウインドーにあったシャンパンゴールドのダウンジャケットが感じがよくて割と手ごろな値段だったので入ってみたのです。
お店に入ってすぐ目に入ったのがオフホワイトのスプリングコートで、ちょうど長く着ていたものを処分した後だったので試着させてもらったところ細身でぴったりではありませんか!でも観光に来たばかりだし帰りに寄ることを約束してお店を出たのです。
行ってみると午前中の店員さんはいらっしゃいませんでいたが午後の方も丁寧に接客してくださったので購入を決め、Tax Refunds の書類も作ってもらったのでした。事前に決めていたので15分くらいしかかからず、バスの時間まで焦ることもなくて助かりました。 -
もう一度カンポ広場へ。午後だと感じが違うかなと思ったのですが、午後4時前だったので夕暮れに入りかけている感じでした。
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広場の片隅に出ていたフリッテッレ屋さん。昨年放送されたBSの世界街歩きで紹介されていた、3月19日のサン・ジュゼッペの日まで1か月間だけ出ている屋台だそうです。この日はキリストの父である聖ヨセフの日で、何でもイエスを連れたマリアと共にエジプトに逃れたヨセフが揚げ物屋さんをやっていたとかでシエナではこの揚げドーナツを食べる習慣が続いているそうなんです。
カンポ広場の上の方の隅にあるため知らなかったら気づかなかったくらいの小さな屋台で、私は朝ここに来た時から ”あっ、ある!”と見つけていたので楽しみにしていたのでした。 -
奥の方では大きなお鍋でドーナツを揚げています。そしてくっついて揚がったドーナツを5つずつ袋に入れる人がいて、中央の数字の番号札の方がお会計をする仕組みになっていました。脇に5つで1.5ユーロとあったので、私は2袋購入。ホテルの人に出もあげようかなと思っていたのですが、この後ちょっとした出会いがありその方たちに差し上げました。
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よく揚がった丸いドーナツは日本のドーナツと違って軽いんです。帰ってから調べたらお米を煮てから小麦粉など加えてねかしてあるそうで、独特の食感でした。
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お母さんとワンちゃんと広場に来ていた女の子は、下っている広場がおもしろいみたいで何度も何度も下っては上り下っては上りきゃっきゃっとはしゃいでいて可愛かったです。ワンちゃんも走りたくてたまらないみたいで、かなり騒いでいました(笑)。
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グラニュー糖のかかったドーナツのせいでコーヒーが飲みたくなりシエナでいちばんの洋菓子屋さん ”NANNINI”へ。歴史のありそうな趣のある店構え、なんと1910年創業の老舗だそうです。
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このお店にはリッチャレッリとパンフォルテという名物のお菓子があるそうなんですが、フリッテッレを食べた後だったのでレジの前にあったTORTAを2種類(いちじくとクルミ、オレンジとチェリーとカカオ)を買ってみました。保存のきくお菓子はだいたい甘い(笑)。おまけにキャラメルっぽい食感で、4分の1づつくらいいただきました。
バリスタの方もベテラン、こういう方の入れて下さるエスプレッソはそれだけで美味しい。カウンターの他に小さなテーブルがあったのでカフェはそちらでいただきました。 -
”トロメイ広場”
奥はサン・クリストーフォロ教会で、広場にはシエナのシンボルの双子に乳を与える雌狼の像が乗った円柱が立っていました。 -
”サリンベーニ広場”
中央奥に建つのは14世紀のゴシック様式のサリンベーニ宮で、13世紀後半からシエナの有力者として実権を握っていたサリンベーニ家の城館で要塞だった建物。右は15世紀ルネサンス様式のスパノッキ宮で、現存する中で世界最古の歴史を誇る イタリア第4位の”モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行”の本店だそうです。
この広場で演奏をしている学生さんのグループがいてしばらく聞いていたのですが、そうだ!と思いつきフリッテッレをプレゼントしたところ、左手にいた女の子は何が入っているか知っているようでにこっとしてくれました。 -
グラシム広場へ行く途中にあった ”STEFANEL”、カジュアルなブランドでミラノのガレリアで娘のデニム素材のジャケットを買いましたが、日本と変わらないお値段でした。右側のピンクのパンツ、可愛いですね!
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ここにも女の子、花壇のまわりをぐるぐるぐるぐる回っていました。シッターさんは知り合いの方とおしゃべり中でした(笑)。
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今日は2時過ぎにお昼を食べたので、昨日の惣菜の残り物で夕食をすませました。アランチーニも揚げポレンタやカーチョフィのフリットも1日前のものなのにとても美味しかったです。洋梨は着いた日にCONADで買ったもので、室内に置いていたのにいっこうに熟す気配がないので硬いままいただきました。
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これがGEOXで買ったコートです。袖丈も気にならない長さでサイズはぴったりでした!(本棚を整理してから写真を撮ればよかった・・・)
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