2024/03/14 - 2024/03/14
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この旅行記のスケジュール
2024/03/29
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徒歩での移動
下城戸跡
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徒歩での移動
町屋地区
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徒歩での移動
朝倉景鏡館跡
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徒歩での移動
平面復原地区
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徒歩での移動
八地谷・雲正寺地区
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徒歩での移動
中の御殿跡
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徒歩での移動
上城戸跡
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織田信長に滅ぼされた越前朝倉氏。
朝倉氏の居城一乗谷城跡は、戦国時代の城下町全体が遺跡となって残された国の特別史跡。
朝倉館跡の背後の山は一乗谷城跡。一乗谷城の麓の城下町跡。
一乗谷朝倉氏遺跡を歩く。
最寄り駅はJR越美北線一乗谷駅。駅から城跡の入口となる下城戸跡(城門跡)までは徒歩20分程。
下城戸跡からもう一方の入口上城戸跡(城門跡)間は2km程。この間(城下町跡)に発掘整備された遺跡が点在する。
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越美北線一乗谷越前。
一乗谷朝倉氏遺跡の最寄り駅。
田畑の中にポツンとある小さな無人駅。平日にも関わらず、下車客は意外に多かった。一乗谷駅 駅
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一乗谷駅前の観光案内板。
一乗谷朝倉氏遺跡のウォーキング開始。
下城戸跡から上城戸跡間は約2kmの距離。一乗谷川の挟んで往路と復路コースを変えて、上城戸跡で折り返し駅に戻る。 -
一乗谷駅の駅前通りの道。
突き当たりが駅ホーム、小屋は駅待合室。 -
一乗谷駅前(徒歩2~3分)にある、一乗谷朝倉氏遺跡博物館。
朝倉氏の一乗谷遺跡に関する展示・紹介を行なっている。
入館料:700円
開館時間:9:00~17:00
休館日:月曜日・年末年始福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 美術館・博物館
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一乗谷朝倉氏遺跡の入口、下城戸跡に到着。駅より徒歩20分程。
*城戸跡は城の門跡。上城戸跡、下城戸跡 名所・史跡
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下城戸跡説明板。
一乗谷の北端の谷幅が最も狭くなったところに築かれている。高さ4m・長さ38mの土塁が残っている。 -
下城戸跡の土塁跡と濠跡。
濠は直接一乗谷川と直接つながっていたと考えられている。 -
下城戸跡(城外側より)。
巨石を使用した城下町入口の通路跡。外側から町の中を見ることができないように防御のため、矩折状になっている。 -
下城戸跡(城内跡側より)。
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一乗谷朝倉氏遺跡内のマンホール。
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町屋地区跡。
下城戸を入ると町屋地区が形成されていた。 -
町屋地区跡。
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朝倉景鏡館跡の土塁跡。
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朝倉景鏡館跡説明板。
朝倉景鏡は、朝倉最後の当主5代目義景の従兄弟。朝倉館に次ぐ広い屋敷で南北には堀と土塁があった。
1573年(天正3年)朝倉景鏡の裏切りにり、織田信長に越前朝倉氏は滅ぼされる。 -
朝倉景鏡館跡。
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朝倉景鏡館跡の倉庫跡。
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朝倉景鏡館跡の土塁跡(植栽)と濠跡(手前)。
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一乗谷史跡公園センター。
無料休憩所や食堂がある。
一乗谷朝倉氏遺跡のパンフレット、一乗城山の登山コースマップ等が置かれていた。 -
一乗谷史跡公園センターに貼り出されていた「クマに注意」。
一乗谷城跡のある一乗城山ではクマの目撃があるらしい。ここで熊鈴の貸し出しがある。 -
平面復原地区。
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平面復原地区。
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平面復原地区。
墓地跡。 -
平面復原地区説明板。
建物はないが、建物跡や道路跡等町並みが復原されている。 -
平面復原地区。
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平面復原地区。
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平面復原地区。
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八地谷・雲正寺地区。
谷(八地谷)の奥まで屋敷が建て込んでいた。 -
八地谷・雲正寺地区の高台より、一乗谷川方向の眺め。
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八地谷・雲正寺地区の風景。
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八地谷・雲正寺地区説明板。
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八地谷・雲正寺地区。
谷(八地谷)方向の眺め。
全国的に珍しい石積みを施した護岸水路の復原。 -
八地谷・雲正寺地区。
門跡。 -
八地谷・雲正寺地区。
土塁跡。 -
復元町並み。
ここのみ見学料必要。
ここまでの道のりの間に見学してきた復原町並みの土塁・礎石や井戸跡に建物を付け加え復元しただけの施設。
見学料:330円
見学時間:9:00~17:00
休館日:年末年始 -
朝倉館跡。
周りを土塁と濠で囲んだ朝倉義景の館跡。 -
朝倉館跡の濠跡。
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朝倉館跡の唐門。
唐門は豊臣秀吉が朝倉義景の菩提を弔うために寄進したものと伝えられる。唐門 名所・史跡
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朝倉館跡説明板。
全国で唯一発掘整備された戦国大名の館跡。
5代朝倉義景の館の遺構で、堀・土塁・門跡と礎石、庭園跡が残る。角には櫓があった。 -
朝倉館跡。
唐門を入れば眼前には広大な御殿跡で、御殿跡の奥まった山側に朝倉館跡庭園がある。
右の高台は湯殿跡庭園。 -
朝倉館跡の土塁跡と南門跡。
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朝倉館跡に五代義景公墓所がある。
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五代義景公墓所。
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朝倉館跡庭園跡。
通路の床はガラス板を使用しており、庭園の池の底を見ることができる。
京から越前へ逃れてきた足利義昭をもてなすために作られた庭園とされ、池の底全体に平らな河原石を敷き詰められていることが特徴。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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朝倉館跡。
朝倉館跡庭園からの眺め。 -
朝倉館全体図。
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湯殿跡庭園からの眺め、朝倉館跡全景。
手前のガラス板の通路が朝倉館跡庭園、後方は唐門。
唐門の先は八地谷・雲正寺地区。 -
湯殿跡庭園説明板。
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湯殿跡庭園。
朝倉館跡の背後の高台に、建物跡を示す礎石がなくただの広場になっている場所にある。
朝倉館跡庭園より規模が大きく、石組だけが残っている。
16世紀初頭(室町時代中期)、朝倉孝景の時代に築庭されたと推測されている一乗谷で最も古い庭園。湯殿跡庭園 公園・植物園
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湯殿跡庭園から中の御殿跡に向かう高台からの眺め。
朝倉館跡の南門土塁跡。 -
湯殿跡庭園から中の御殿跡に向かう高台からの眺め。
朝倉館跡の五代義景公墓所。 -
湯殿跡庭園と中の御殿跡を隔てる空堀跡。
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中の御殿跡からの朝倉館跡の全景。方向は下城戸方向となる。
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中の御殿跡。
朝倉義景の母「高徳院」の屋敷跡。屋敷は湯殿跡庭園や諏訪館跡庭園と並んで、高台に建てられた。 -
中の御殿跡説明板。
南と東側に土塁、東側の土塁の外側と北側に空濠を巡らせている。 -
中の御殿跡からの復元町並みの風景。
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中の御殿跡の全景。
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中の御殿跡背後の土塁跡からの眺め。
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中の御殿跡背後の土塁跡と空堀跡。
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諏訪館跡庭園説明板。
朝倉義景の妻「小少将」のために造営した諏訪館と伝わる館の庭園。
朝倉氏遺跡の庭園の中で最も規模の大きい壮大な庭園。 -
諏訪館跡庭園。
滝口の右にある巨大な石は「諏訪の立石」。高さは4m以上ある。
「諏訪の立石」には朝倉氏供養のために、朝倉氏の参謀であった朝倉教景・朝倉3代貞景・4代孝景の法名が江戸時代以降に彫られ残っている。諏訪館跡庭園 名所・史跡
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諏訪館跡庭園のある高台から下る途中の、復元町並みの眺め。
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下城戸跡に向かう。遠望は下城戸跡。
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上城戸跡。
上城戸跡、下城戸跡 名所・史跡
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上城戸跡説明板。
城下町の南端に位置し、谷幅が最も狭まった場所に築かれた。長さ100m・高さ5mの土塁。土塁の外側には堀が設けられた。 -
上城戸跡より、城内の眺め。
城下町全体が見渡せる。 -
上城戸跡より、城外の眺め。
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上城戸跡(城外側より)。
堀跡と土塁跡。 -
上城戸跡全景(城外側より)。
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上城戸跡(城外側より)。
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復元町並み手前からの、一乗谷(下城戸跡方向)の眺め。
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朝倉館跡の唐門と、背後は一乗谷城跡がある一乗城山の眺め。
一乗城山:一乗谷朝倉館跡の背後の山(435.8m)にある朝倉氏の山城跡。山頂には本丸跡・一の丸跡・二の丸跡・三の丸跡が残る。
登山ルートは東西南北の4箇所あり、1時間前後程度で登れる。 -
下城戸跡と城下内の眺め。
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一乗谷駅全景。
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一乗谷駅。
一乗谷駅 駅
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一乗谷駅。
福井行き列車が来る。
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