2024/03/26 - 2024/03/26
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たびたびさん
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今日のメインは、宇陀市松山重要伝統的建造物群保存地区。それに室生寺も加えてのレンタカーの旅。特に宇陀市は近鉄大阪線からでも離れているので、レンタカーじゃないと回るのは難しいですからね。しかし、なかなか決断ができずに今に至る。今回が初めての訪問です。
ところで、奈良県の重要伝統的建造物群保存地区は橿原市今井町、宇陀市松山、五條市五條新町の三つ。ならまちや吉野の方もそうではないし、これだけいろんな歴史がある県なのに、意外に少ないんですよね。さて、今回の宇陀市松山重要伝統的建造物群保存地区は、安土桃山時代、地元の有力者、秋山氏に代わって豊臣秀長が入部すると秀長の家臣によって、宇陀松山城の城下町として再整備されたのが始まり。秀長は建物の間口の広さに応じて課される税を免除して、有力な商人を誘致したため、間口も奥行きも広い町家の街並みができたとされています。確かに、間口の広い家が多くて、ごちゃごちゃ感は皆無。独特の雰囲気があるように感じました。
ただ、もう少し説明を加えると宇陀は城下町であり、かつ、街道の宿場町でもあった町。大阪・大和と伊勢を結ぶ街道は伊賀街道、伊勢本街道、伊勢表街道(初瀬街道またはあを越え道とも)が知られていますが、大阪・大和から伊勢に向かい宇陀に至るとここで伊勢本街道と伊勢表街道が分れるという分岐点。名張を通る近鉄大阪線は伊勢表街道の方だと思いますが、これだけでもなかなかの要衝だったと言えるのではないでしょうか。そして、以前、伊勢や伊勢街道の意味をまとめましたが、つまり、伊勢は伊勢参りの伊勢神宮があるだけではなく東国への玄関口でもあったということが重要です(https://4travel.jp/travelogue/11601031)。江戸期に入って、東海道が整備されたり、後期には樽廻船や菱垣廻船の活躍があったりして、大阪・大和と伊勢を結ぶ諸街道は相対化していったのではないかとも考えられますが、それでも伊勢とつながる地の利によって想像する以上の活況があったことは十分に認識する必要があると思います。今の奈良の辺境というイメージからするとなかなか難しいところではあるんですけどね。いずれにしても、豊臣秀長の施策はそうした基本的な背景を踏まえてのもの。確かな勝算があったのではないかと思います。街並には、宇陀松山城跡を含む春日神社に松山西口関門、森野旧薬園、薬の館に、松月堂のきみごろも。散策では外せないポイントです。
その後は、それなりに有名な又兵衛桜や意外な穴場は大亀和尚民芸館。織田家宇陀松山藩5万石の関係資料はとても興味深いものでした。なお、織田家(信雄流)にはお家騒動があり、4代をもって丹波柏原藩へ減移封。これをもって宇陀松山藩は廃藩、宇陀は幕府領となりますが、織田家は丹波柏原藩で明治まで続くことになります。
そして、最後は室生寺の国宝十一面観音と曾爾高原のお亀の湯。一日の旅としてはこれくらいがほぼ限度。お天気がイマイチだったこともあって、ちょっと地味な印象もありますが、まあまあ課題はクリアできたかなと思います。
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カースタレンタカー 大和高田店でレンタカーを借りて、いざ出発。
ここからだと宇陀までが20㎞。室生寺経由で曽爾高原までが60㎞。いろいろ調べて、今回のコースの出発点としてはここがベストと判断しました。 -
宇陀の市街に到着。
小雨模様ですが、天気予報通り。まあ仕方がないですね。 -
これは、宇陀市大宇陀歴史文化館 薬の館。
文化3年(1806年)から代々薬問屋を営んできた細川家の屋敷を活用したもので、建物は江戸時代末期に建てられたもの。細川家の資料やここがルーツのひとつという藤沢薬品に関する資料などを展示しているようですが、この日はお休み。外観を確認するだけです。 -
冒頭に触れましたが、間口の広い家が連なって、
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確かに独特。
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裏通りも立派な街並です。
ただ、人通りはまったくなし。観光地の賑やかさは見られません。 -
松山西口関門は、かつては宇陀松山城の城下町の要をなす出入口。
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イチオシ
ここから春日門があった春日神社の方へ向かう道がかつてのお城の大手筋です。
現在の門は、関ヶ原の戦いの後、当地に封じられた福島高晴が城下町の整備を進めた時期。古いものだけにけっこうガタがきているような感じですが、希少なもの。国の史跡となっています。
なお、福島高晴は福島正則の弟。大坂夏の陣で豊臣氏に内通していた嫌疑を受けて改易。織田家(信雄流)の時代に移ります。 -
イチオシ
かつてのお城の大手筋を春日神社の方に向かいます。
宇陀の市街は宇陀松山城の城下町として整備されたもの。城跡は春日神社を含む市街の東側にあります。 -
春日神社参道の石柱を進みますと
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ほどなく春日門の跡。
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石垣が残っているだけですが、これから想像するに松山西口関門より大きな門だったような気がします。
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宇陀の市街は、戦国時代、秋山氏の築いた城下の集落から。その後は、豊臣秀長の家臣によって、街は拡充されています。
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参道の石段を
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上がっていくと
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境内です。
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この石垣も城の石垣っぽいですね。
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手前に城跡への入り口がありました。ただ、今は荒れていて進入禁止。
まあ、これで良しとしましょう。 -
メインストリートに戻って、
石景庵は、観光客と住民との交流スペースとして、伝統的な町家を模して建てられた施設。まだ新しい感じで、休憩もできるしトイレも完備。街歩きの際は、けっこう助かります。 -
そして、これが松月堂。
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創業は明治35年。老舗の匂いがプンプンする店構えで、看板商品はきみごろも。
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包みを開けると
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イチオシ
これはきれいですねえ。
ふむふむ。ふんわりやさしい甘さの生地は口に入れると溶けていくような食感。これは本当に上品で洗練されたおいしさです。田舎のお菓子だと思っていると全然違う。宇陀に来たら必ず寄るべきお店です。 -
その隣りは、いせ弥。奈良漬け屋さん。こちらも創業は慶応2年(1866年)ということで、実はとんでもない老舗です。
奈良漬は、”奈良一”のブランド名。小さな店構えですが、米こうじの看板とかちょっと凄味もあると思います。 -
森野旧薬園は、宇陀の街並では一番の見どころでしょう。
国の史跡に指定されている薬園で、ほかには鹿児島県の佐多旧薬園と島原市の旧島原藩薬園があるのみ。日本三大薬園跡とも言われる貴重なものです。 -
では、中へ。
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敷地の中には
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葛の作業場があって、
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旧家としてみるとちょっと微妙かな。
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で、この土蔵は資料室。
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つまり、森野家は、もともとは葛粉の製造を行っていたのですが、
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イチオシ
享保14年(1729年)、森野家の11代、森野藤助が本草学者で幕府採薬使の植村政勝に随行し、幕府薬園の薬草木を与えられて栽培や精製を許されたというのが転機です。
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ただ、許されたと言っても、森野藤助の著した松山本草のこの緻密な写生図などを拝見すると生半可な仕事ではないですね。現代の医学でも病気を治すのには薬は欠かせないアイテム。漢方とか東洋医学ということですが、薬の力を使って元気を回復させたり、病気を治すという意味では、今の医学と同じこと。人の命にかかわる使命感がないととてもやってはいけないことなのだと思います。
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森野旧薬園保存会の活動や昭和天皇の行幸もしっかりその価値を認めた証でしょう。
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ここから小径の石段が裏山の方へ続いていて
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どんどん
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どんどん上って行くと
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今でも薬園があって、
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イチオシ
約250種類の薬草木が植えられているよう。
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植物学者のような緻密さと経験を重ねた地道な努力。
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地味な作業のようにも思いますが、その歴史は本物のような気がします。
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イチオシ
松山地区まちづくりセンター 千軒舎は、街並の南端。
明治時代前期に建てられた町家で、薬屋・歯科医院として使われていた内藤家住宅を改修、無料開放している町作りの施設です。 -
入り口の土間には
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建物についての解説も。
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奥の落ち着いた上品な日本間の佇まいとか。
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宇陀の伝統美を感じさせるような雰囲気もあって、けっこう見ごたえがあるように思いました。
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道の駅 宇陀路大宇陀は、街並からは少し離れた場所。観光案内所や地元の名産を扱うお土産物のショップもけっこう充実していました。
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なお、いせ弥の奈良漬けはありましたが、松月堂のきみごろもはここには置いていないということ。
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念のため。
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道の駅から、茶房 葛味庵へ。
ただ、茶房 葛味庵というより葛の館という方が通っているかな。 -
さきほどの森野旧薬園がやっている葛のお店です。
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イチオシ
メインの葛きりをいただきました。
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葛のプルプル感が素晴らしいし、黒蜜の加減もばっちり。さすが歴史があるお店は違うなという味わい。間違いなく宇陀の名物店だと思います。
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続いては、樹齢約300年という又兵衛桜へ。ここからはしばらく宇陀の郊外です。
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石垣の上に枝を広げていますが、ここは大坂の陣で活躍した戦国武将、後藤又兵衛の屋敷跡とも言われるもの。
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つまり、後藤又兵衛は大坂夏の陣の道明寺の戦いで討ち死にしたのではなく、ここに落ち延びて豊臣家再興を願いつつ隠棲したというのですが、まあ、真偽はさておき、そんな伝説にもまつわる桜。
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まだまだ見ごろには遠い時期でしたが、見上げた時の枝垂れ加減が絶妙だと思います。
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又兵衛桜から松源院、大亀和尚民芸館へ。
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大徳寺如意庵の元住職、立花大亀師が松源院を再興。その時、師が所持する墨蹟、茶道具などの美術品などを保存するために建てた施設だとか。
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入ってすぐには、織田信勝以下、織田家宇陀松山藩の四代当主を紹介。
実は、私もこれで宇陀と織田家の関係に初めて気が付きました。危ないところでした。 -
その他はずらりと美術品。
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茶釜や
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水滴
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丹波焼の茶碗
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立花大亀師の関係も。
大徳寺如意庵の住職だった頃に集めたコレクションなんだと思いますが、正直、価値はあまりよく分かりません。しかし、雰囲気は確かにあるように思います。 -
阿紀神社は、宇多の市街から離れた山すそ。へろへろ道の先にありました。
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神代に創建され、崇神天皇の勅によって神戸大神宮の号を賜わるとかかなり古い神社のようですが、確かにそんな感じ。
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適度にひなびて、適度に管理もされている。神がかった雰囲気です。
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宇陀には、飛鳥時代、阿騎野と呼ばれる宮廷の狩場があって、持統6年(692年)、軽皇子(草壁皇子の息子で、後の文武天皇)に随行しここを訪れた柿本人麻呂が詠んだ「ひむがしの野にかぎろいのたつ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ」の歌が有名です。
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こちらは阿騎野・人麻呂公園はその人麻呂を冠したネーミングの公園で、柿本人麻呂像は建っていますが、直接的な関係はないかも。弥生時代から飛鳥時代、中・近世の3時代にわたる遺構である中ノ庄遺跡の場所に整備されたという公園です。
以上で、宇陀は終了。 -
室生寺にやってきました。
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中村屋旅館は、室生寺の門前。宿屋兼食堂といったお店です。
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お昼の2時近くだったのですが、まだ開いていて助かります。
大広間に上がって、悠々とお昼のランチ。 -
お料理の方はさすが宿屋だけのことはあるのかな。山菜とかが丁寧に調理されていて、味の変化も工夫されていますね。田舎だしどうかなあと思っていましたが、予想以上においしくいただきました。ありがとうございました。
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昼をいただいて、落ち着いたところで室生寺へ。赤い欄干の太鼓橋を渡ったところが
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表門。
手前の敷石は赤みがかっていて、こういうところはひと工夫。さすが女人高野のお寺だけのことはありますね。 -
そこを右手に直角に曲がってまっすぐ。
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受付所を過ぎたら
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仁王門です。
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仁王門を入って
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進むと
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今度は鎧坂。
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鎧坂を上がり切ると金堂です。
室生寺の国宝建築は、五重塔、本堂とこの金堂の三つ。ただ、五重塔は平安時代初期、金堂は平安時代前期に対して、本堂は鎌倉時代後期ですから、本堂だけは少し時代は後ですね。 -
イチオシ
金堂には、中央に釈迦如来立像(国宝、平安前期)、向かって右に薬師如来立像(重文、平安)、左に文殊菩薩立像(重文、平安)。手前に十二神将のうち6躯(重文、鎌倉)を配置していて、ちょっとした立体曼荼羅。建物と仏像の両方で迫力ある室生寺の美が楽しめます。室生寺は五重塔だけではありませんね。
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なお、横から上がって、
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撮影ができるのはここまでです。
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金堂の脇に建つ弥勒堂もチェックして、さらに奥へ。
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金堂からもう一段上がった先にあるのが本堂です。
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イチオシ
延慶元年(1308年)の建立。五間四方入母屋造りの大きなもので、和様と大仏様の折衷建築です。
あとで出てきますが、五重塔の方から見下ろすと末広がりのずんぐりした屋根の迫力がよく分かります。室生寺は、五重塔が小ぶりなのでそうした可憐なイメージがありますが、この本堂は堂々とした構え。印象はかなり異なります。 -
本堂の脇から石段を上って行く先が室生寺五重塔。まさに室生寺のシンボルですね。
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イチオシ
国宝の五重塔は、海住山寺(鎌倉時代初期)、東寺(江戸時代)、興福寺(室町時代)、醍醐寺(平安時代)、羽黒山(室町時代前期)、法隆寺(飛鳥時代)、明王院(南北朝時代)、室生寺(平安時代初期)、瑠璃光寺(室町時代)の九つ。
室生寺の五重塔は、高さが16.1mとその中でも一番小ぶりですが、朱色と屋根の下の白い縁取りとか石段から見上げた時の優美な美しさはけっこうなインパクトがあって、私的な印象度でいうと断トツのナンバーワンではないかと思います。今日は天気がイマイチなのであんまり映えていませんが、晴れた新緑の頃だと輝く美しさです。 -
ここからだと本堂はこんな具合。五重塔のイメージとは対極の迫力ある堂々とした姿です。
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受付のところまで戻って、最後は寶物殿です。
国宝の十一面観音は七体あって、室生寺の十一面観音菩薩立像はその一つ。しかし、あんまり記憶に残っていないなあと思って、久しぶりにここを訪ねるのも今回の旅の大きな目的のひとつでしたからね。
寳物殿で拝観はいつでもできるので、他の国宝の十一面観音と比べるとハードルは低いです。さて、保存状態もいいのですが、特徴的なのは、なんといっても頬ですね。ふっくらふくよかに膨らんでいて、ちょっと人間臭さもあるような。その分、特別なオーラというのはそこまでではないかもしれません。それに、ただただ穏やかな立ち姿なので、これだとむしろすぐ横にある動きのある十二神将立像の方に目が行ってしまう感じ。十一面観音を静かに拝むという意味では、もしかしたら配置の工夫がもう少し必要な気もします。 -
室生寺を出て
旅館栄吉は、室生寺の門前町の中ほど。おばあちゃんがやっているよもぎ入り回転焼きのお店です。 -
無料駐車場を利用させてもらったので、買ってみましたが、すこし苦みも感じるくらいよもぎが入ってますね。あんこの甘さに生地のしっとり感もまあまあ。素朴ですがちゃんとおいしい回転焼きです。
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室生寺から最後に向かったのは曽爾高原。
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曽爾高原は、ススキの原っぱとかの散策もあるようですが、けっこう人気なのはお亀の湯。駐車場の辺りもなかなかよく整備されています。
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さっそくお亀の湯へ。
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真っ黒な建物の
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中は悠々としていて、想像していたよりずっと立派な施設です。
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そして、ゆったりした温泉でそれはそれで素晴らしいんですが、なにより最大の特徴はこのもわっとまとわりつくような湯の感触。濃度の濃いナトリウム・炭酸水素塩泉だそうですが、肌がすべすべになるという温泉効果はそのとおり。確かにすごいですね。感覚としては石和温泉にもちょっと似ているような気がします。
ここから大和高田までは50㎞。ひたすら帰って、なんとか収まりましたよ~ -
車を返して大和高田駅から大和八木駅へ。
今日の宿は大和八木駅近くですから、駅前で晩飯を食べましょう。宮廷飯店は、赤ちょうちんが下がっていて居酒屋風の外観ですが、本格的広東料理というロゴも見えたので入ってみました。 -
いただいたのは、中華丼。ふんわりやさしい味わいで、確かにあんまり辛くない上海や台湾料理の系統かな。中華料理屋さんとしてこれなら上々。ちゃんとしているのに居酒屋風の構えではちょっともったいないような気がします。
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今日の宿は、ビジネス観光ホテル河合。地図だと大和八木駅から少し離れているのかなという感じでしたが、感覚的にはかなり近いなという印象。暗くなってから入りましたが、けっこう助かりました。
田舎でビジネスホテルを堂々と名乗るっていうのもどうなのかなと少し心配でしたが、全体に落ち着いた雰囲気があって、部屋もそれなりに余裕があるし悪くない。確かに、ビジネスホテルではなく、ビジネス観光ホテルですからね。安心してしっかり寛ぐことが出来ました。
明日からは、吉野と奈良市内。残り二日でラストスパートです。
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中村屋旅館 <奈良県>
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