2022/08/24 - 2022/08/24
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キャンサー50さん
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流山市は近年、子育て世代を中心に人口が増加中の人気の都市です。
しかし、それはつくばエクスプレス(TX)流山おおたかの森駅周辺のこと。
住宅都市として開発された流山おおたかの森駅周辺とは違い、流鉄流山線の終点流山駅周辺はローカル色豊かな落ち着いた雰囲気の町です。
わりと狭いエリアに名所旧跡などが点在しているので、見て歩きには最適です。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
PR
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街歩きの起点、流鉄流山線流山駅。
江戸川を挟んですぐお隣は東京都江戸川区であるにもかかわらず、ローカル色豊かな外観で、昔懐かしい気分になります。
「関東の駅百選」に選ばれています。 -
駅の改札口も昔っぽい。
SuicaやPASMOといったICカードは使えません。 -
駅前にあった「流鉄開業100年}の看板。
2016年に100周年を迎えたそうです。 -
駅から北へ300mほどのところにある流山市立博物館。
流山市の歴史・文化を紹介する市立博物館です。
流鉄など鉄道関係、みりん関係、新選組関係の展示が興味深いところです。流山市立博物館 美術館・博物館
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博物館からさらに北にある大杉神社。
説明板もあるのですが、詳細は不詳とのこと。大杉神社 寺・神社・教会
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大杉神社の境内には石造物が多くありました。
これらは江戸時代のものだそうです。大杉神社 寺・神社・教会
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駅からは北へ約1.3㎞とかなり離れたところにある花輪城址公園。
説明板によると、戦国時代、小金城主高城氏に属した城の跡に平成元年(1989)に設置された公園です。花輪城祉公園 公園・植物園
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山頂付近にある琵琶首観音堂跡の石碑。
怖そうな名前ですが説明板を読むと、恐ろし気なエピソードはありませんでした。花輪城祉公園 公園・植物園
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花輪城址公園から駅方面に戻ってきました。
本町通りという、江戸川に近い通り沿いに数多くの行灯を見かけますが、他のエリアでもいたるところにあります。
行灯回廊というそうです。流山本町行灯回廊 名所・史跡
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訪問時は昼間でしたが、日が暮れると行灯が点燈し、古い町並みと相まって情緒ある景色を見せてくれます。
流山本町行灯回廊 名所・史跡
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行灯一基一基に切り絵が施され、その場所にある店や会社の名が書かれています。
流山本町行灯回廊 名所・史跡
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本町通り沿いにある、瓦屋根のいかにも歴史のありそうな商家、新川屋。
説明板によると、弘化3年(1846)創業の呉服店です。
押し出しの良い立派な外観は、かつての江戸川沿い物資集散地の繁栄振りを想像させます。
国の登録有形文化財です。呉服新川屋店舗 名所・史跡
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本町通り近くにある浅間神社。
浅間神社 寺・神社・教会
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浅間神社の拝殿裏には千葉県内トップクラスの規模を誇る富士塚があります。
浅間神社 寺・神社・教会
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浅間神社の南側にある常与寺。
常与寺 寺・神社・教会
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境内に「千葉師範学校発祥之地」の石碑があります。
千葉師範学校は今の千葉大学教育学部の前身の学校です。常与寺 寺・神社・教会
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常与寺のさらに南側に焔魔堂。
説明板によると、閻魔堂は江戸時代建立の閻魔大王を安置するお堂です。
普通の民家のような建物の中に閻魔像があります。閻魔堂 名所・史跡
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閻魔堂の境内にある金子市之丞の墓。
江戸時代の義賊で天保六花撰の一人、金市のものだそうです。閻魔堂 名所・史跡
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焔魔堂の隣にある「近藤勇陣屋跡」碑。
説明板によると、ここは慶応4年(1868)、元新選組局長近藤勇が陣営を敷き、ついに自首した地です。近藤勇陣屋跡 名所・史跡
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本町通りに戻って、すぐ南にある和菓子屋、清水屋本店。
説明板によると、明治中期に建築されたものです。清水屋 本店 グルメ・レストラン
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清水屋のはす向かいにある流山万華鏡ギャラリー&ミュージアム。
流山在住の世界的万華鏡作家の中里保子氏の作品を中心とする、万華鏡のギャラリーです。
建物も見もので、説明板によると明治22年(1889)の建築で、茶や乾物の販売を昭和38年まで商ってきた寺田園の店舗でした。万華鏡ギャラリー 見世蔵 名所・史跡
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本町通りと平行する万上通りを南下するとある庚申塔。
説明板によると、祠内にある元文5年(1740)造立の板状駒型と祠外に文化15年(1818)造立の兜巾型があります。庚申塔 名所・史跡
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万上通りをさらに南下すると、流山キッコーマン株式会社の工場があります。
その工場の壁面を借用して、流山市の白みりんに関する歴史的な資料を掲示しているのが「流山本町まちなかミュージアム」です。
説明板によると、2014年に流山市の特産品である万上の「白みりん」誕生200周年を契機に設置されました。流山本町まちなかミュージアム 美術館・博物館
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現存する流山最古のみりんラベルや、流山のみりん醸造をけん引した秋元家の「天晴」と堀切家の「万上」のポスター等、貴重な資料が展示されています。
流山本町まちなかミュージアム 美術館・博物館
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万上通りの南にある天晴通りを南下するとある寺田稲荷神社。
石の鳥居と祠ばかりの小さな神社ですが、ちゃんと説明板があります。
それによると、江戸時代の創建で、明治8年(1875)の大火災がここで止められたといいます。寺田稲荷神社 寺・神社・教会
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寺田稲荷のすぐ近くにあるのが一茶双樹記念館。
説明板によると、小林一茶は流山を含む下総地方によく訪れ、その地の俳友達に俳句を指導したり、情報を交換したりして、生活の糧を得ていました。
流山で一茶と親交が篤かったのは、醸造業を営み、味醂の開発者のひとりといわれる、五代目秋元三左衛門です。
秋元三左衛門(1757~1812)は、双樹と号し、実業の一方俳句をたしなみ、経済的にも一茶を援助していました。
記念館は、安政期の建物を解体修理した双樹亭、枯山水の庭園、流山で味醂の生産が最も盛んであった時代を再現し、展示を行う秋元本家、茶会、句会などに利用できる一茶庵があります。
観覧料は無料です。一茶双樹記念館 美術館・博物館
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一茶双樹記念館のはす向かいにあるのが杜のアトリエ黎明。
説明板によると、流山本町は、明治~大正期における有数の事業家であり、菱田春草ら多くの芸術家を支援し、自らも俳句・文学・写真等の芸術・文化活動に優れた才能を発揮した秋元洒汀のゆかりの地です。
「杜のアトリエ黎明」は、洒汀の長女である画家で歌人の秋元松子と、その夫である洋画家の笹岡了一が、戦後間もない頃から、創作活動とともに後進の指導にあたった、流山の美術運動発祥の地と呼ぶべき歴史的な場所です。杜のアトリエ黎明 美術館・博物館
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一茶双樹記念館の裏手にある長流寺。
詳細は不詳ですが、戊辰戦争で新選組が流山に入った時に、隊士を分宿させた先の一つではないかとされています。
そのためか、毎年、「近藤勇忌」の会場になっています。長流寺 寺・神社・教会
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長流寺の東、流山街道沿いに「陸軍糧秣本廠流山出張所跡」碑があります。
説明板によると、ここには大正14年(1925)~昭和20年(1945)に陸軍馬糧倉庫がありました。
業務は軍馬用の大麦等の貯蔵や干し草の加工でした。陸軍糧秣本廠流山出張所跡 名所・史跡
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天晴通りに戻って、やや南にある光明院。
さほど大きな寺ではありませんが、この辺りは小林一茶がよく訪れた場所ということで、寺の本堂に「一茶ゆかりの寺」の看板があります。光明院 寺・神社・教会
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境内には小林一茶と、彼と深い交流のあった流山の俳人双樹の連句碑があります。
光明院 寺・神社・教会
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光明院の隣にある赤城神社。
説明板によると、赤城神社は海抜15mの赤城山の山頂にあります。
神社の石碑には、上州の赤城山が噴火し、土塊がここに流れ着いたと記されており、”山が流れてきた”から流山という地名がついたという伝説があります。
重さ500㎏の大きなしめ縄を有し、この縄は10月の宮薙の日に氏子達らが作るそうです。赤城神社 寺・神社・教会
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赤城神社の西に位置する流山寺。
説明板によると、江戸時代初期の創建。
今の本堂はコンクリート造りの現代的なもの。
戊辰戦争時、流山に新選組が来た時に隊士が分宿した寺です。
江戸期には戊辰戦争時、新選組が駐留していたり、小林一茶が頻繁に訪れていたり、
江戸期には河川舟運の物資集散地として栄えていたり、戊辰戦争時は新選組の本陣が置かれていたり、小林一茶が頻繁に訪れていたり、白みりんの名産地であったりと、知らない歴史を数多く持つ街でした。
遠方から行くほどの観光地ではありませんが、近隣都県の方の日帰り街歩きとしては良いエリアだと思いました。流山寺 寺・神社・教会
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