2024/02/05 - 2024/02/06
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この旅行記スケジュールを元に
今日から最後の二日間は京の冬の旅が中心です。訪ねる先は、四日目が渉成園(枳殻邸)園林堂、相国寺光源院、五日目が西本願寺「京の冬の旅」僧侶がご案内する特別拝観 書院・経蔵・飛雲閣(外観)の三つ。まあ、これくらいがいいところでしょうね。たくさん詰め込んで記憶が混乱することになってもつまらないし、けっこう当たり外れもありますからね。
で、それぞれ内部の写真撮影はできないので、参考となるネットのページを付けたうえで、少し感想をコメントすると以下の通り。
・園林堂(https://kyoto-design.jp/event/58213)
目玉は棟方志功の障壁画「天に伸ぶ杉木」「河畔の呼吸」ほかだったのですが、ちょっとイマイチかな。版画ではなくて肉筆画なのですが、版画より肉筆画の方がいいかというと必ずしもそうではないですね。葛飾北斎とか絵の達人ではあっても、その魅力はやっぱり版画。浮世絵の絵師の肉筆画の展覧会とかちょこちょこありますけど、意外に迫力不足のことも少なくない。原画を補完する彫り師や刷り師の才能もあるのかもしれませんが、版画には版画でないと表現できない迫力があるのだと思います。一方で、棟方志功は青や赤とか明るい色彩も見事に操るのですが、その片鱗もこの障壁画ではみられないし、少なくとも棟方志功の傑作ではないように思いました。
ところで、私は、棟方志功というと実質的な師匠の河井寛次郎を思い浮かべます。河井寛次郎にはまあまあという作品はない。棟方志功がビッグであることは認めますが、やっぱり河井寛次郎を越えることはできなかったような気がします。
・相国寺光源院(https://oniwa.garden/shokokuji-kogenin-temple-kyoto/)
干支の寺ということで、お庭や障壁画の方も工夫を凝らしたものになっていますが、それ以上のものではないような。室町幕府13代将軍足利義輝の菩提寺というのもだからどうということでもないかな。室町幕府や足利将軍と言えば、足利歴代将軍木像のある等持院が圧倒的に有名だし、三好三人衆に討たれた最期もちょっと寂しいところがありますからね。
光源院は早々に切り上げて、承天閣美術館の方で「若冲と応挙」展を拝見。50歳の伊藤若冲が相国寺へ寄進したという釈迦三尊像と動植綵絵は、まさに驚愕の迫力。若冲の神髄はこれに尽きるといっても過言でない力作ですね。若冲と応挙だと画家としての力量は応挙の方が上だと思いますが、これを見ると若冲にはそういう物差しでは測れないものがあるという感じ。人からの評価なんて全然気にしない完全な自分の世界があるような気がします。相国寺は雪舟ゆかりの寺ですが、若冲との縁も偶然ではないのかもしれません。
・西本願寺(https://ja.kyoto.travel/event/single.php?event_id=10837)
昨年は東本願寺の方を拝見しましたが、今年は西本願寺。京の冬の旅は当たり外れもあると言いましたが、妹も一緒だし、最後は絶対に外れのない西本願寺にしておいたという次第。書院の対面所なんかは二条城や京都御所に匹敵するくらいの凄さがありますからね。久しぶりに拝見して、やっぱりその感動は変わりなし。飛雲閣も比類のない建物だし、ついでにチェックした西本願寺の唐門も、すべてが国宝の京都三大唐門の一つですが、大徳寺や豊国神社の唐門に比べても数段美しいように感じます。いずれにしても、対面所、飛雲閣、唐門は建てられた経緯は定かではありませんが、安土桃山時代の華やかな気風を受け継ぐもの。秀吉の聚楽第や伏見城との関係が取りざたされるのも、秀吉との関係が良好だったがゆえですからね。信長と激しく争った歴史も含めて、信仰に裏付けられた権威と権力に文化遺産。西本願寺はすべてがとんでもない寺なのだと改めて感じさせられました。
さて、本来であればここからさらにあれこれの街歩きを絡めるのですが、お天気の方は雨模様。そうなると街歩きは楽しくないので、グルメの方に傾きます。ランチの方で、四日目が洋食おがた、五日目がアランチーノとしましたが、意外に両方とも重たくて、晩飯の方は適当に済ませるしかありませんでした。やっぱりグルメも意外に限界があるんですよね。
あとは、二日目の伏見散策で回れなかった竹田の方へ。竹田だと鳥羽離宮の一部だったという城南宮が定番ですが、今回はそれではなくて、「白河法皇 鳥羽法皇 院政の地碑」の周辺。白河天皇 成菩提院陵、近衛天皇 安楽寿院南陵、鳥羽天皇 安楽寿院陵といった天皇陵を訪ねました。表向きは院政という摂関政治からの脱却とはいえ、この白河法皇、鳥羽法皇のプライベートなドロドロ関係はとんでもない。俗説も交えての整理をするとやっぱり元凶は白河法皇かな。もうひとりの主人公は白河法皇の孫(白河法皇の子である堀川天皇の子)で、白河法皇に次いで治天の君となった鳥羽法皇ですが、待賢門院藤原璋子と美福門院藤原得子も重要人物。四人の関係を理解しないと保元、平治の乱につながる流れは見えてきません。
白河法皇は、中宮藤原賢子とは睦まじかったのですが、藤原賢子が亡くなると女性関係は奔放に。また関係した女性を寵臣に与えたことから、それが崇徳天皇や平清盛は白河法皇の子ではないかという噂の背景です。特に、崇徳天皇は、鳥羽法皇とその皇后待賢門院の子なのですが、待賢門院は白河法皇が幼少の時から養育した白河法皇の養女であり、果たしてきれいな関係だったのか。白河法皇が鳥羽法皇の皇后としたのも自分が関係した女性を寵臣に与えた事例に重なるような気がしなくもないですね。(ちなみに、自分の関係した女性を臣下に与えるというのは、中大兄皇子が中臣鎌足に采女を与えた例もあって特殊なことではない。この経緯から、藤原不比等は実は天智天皇の子ではないかという噂もありました)ですから、鳥羽法皇は待賢門院を愛していたのですが、崇徳天皇にはわだかまりがある。自分の子が実は祖父の子どもかもしれないと考えるとまあ気持ち悪いのは当然です。白河法皇が崩御し、後ろ盾を失った待賢門院に代わって、鳥羽法皇の寵愛を受けたのが美福門院。近衛天皇を生み、近衛天皇は僅か3歳で崇徳天皇から譲位されて天皇へ。崇徳天皇の憤懣は想像に余りあるもの。しかし、近衛天皇は17歳で崩御。ただし、この時、美福門院には、もう一人の切り札、養子の二条天皇がいました。二条天皇は、待賢門院の生んだ後白河天皇の子なのですが、当時は養母養子の関係の方が絆は深くて、二条天皇と後白河天皇の間の関係はむしろ希薄です。近衛天皇が崩御した際、美福門院は続いてその二条天皇を考えたのですが、順序もあって、仕方なく後白河天皇を先とします。つまり、後白河天皇はワンポイントリリーフ。後白河天皇には頼るべき後ろ盾がいないのに対し、二条天皇には美福門院という強力な後ろ盾。後白河天皇に対して二条天皇は立太子し、美福門院の娘を妃とする鉄壁の守りがありました。しかし、ここで鳥羽法皇が崩御。それを機に鬱積していた崇徳上皇が爆発したのが保元の乱。崇徳上皇対体制派の後白河天皇の戦いです。ちょっと付言すると、鳥羽法皇の崩御によって、美福門院の力は衰えてもおかしくないのですが、さにあらず。美福門院は鳥羽法皇からの膨大な遺産を引き継いでいて、財力というもう一つの強みを持っていたのですね。ちなみに、この遺産は、後に南朝、大覚寺統の財政基盤となっていくというほどのものですから、その凄さは容易に想像できると思います。
けっこう長くなってしまいましたが、こうした人間関係は、源氏物語も真っ青くらいの複雑さなのですが、それを平安期のあだ花と見るべきかどうかは微妙なところ。藤原道長をピークとする摂関政治も同じようなものでしょうし、結局は、武家の台頭を招いたというのが時代の違いということくらいかな。そして、そのつけのすべてが後白河天皇に回されたというのも辛いところかもしれません。
これらの天皇陵は観光的な要素はどうかなというところはありますが、やっぱり京都への理解を深めるためには外せない場所の一つ。逆に、今になってやっと訪ねたことに、たびたびとしてはちょっと反省ですね。
なお、保元、平治の乱の関係は別の旅行記もありますので、参考まで。
https://4travel.jp/travelogue/11034915
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四日目の朝イチバンは、渉成園(枳殻邸)の園林堂。
開門を待って入場です。渉成園 (枳殻邸) 名所・史跡
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正面を進むと目隠しのように高石垣があって
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イチオシ
これは、ユニーク。
明智光秀が築いた福知山城は、急ごしらえのためにそこらの寺から集めた石灯籠なんかまで城の石垣に使っていましたが、これも意匠的にはそれに似たような感じですね。 -
中門を入って、
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奥に進むと
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右手に建物がありますが、これが今日の特別公開園林堂かな。
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左手は、渉成園のランドマーク的な建物の傍花閣(ほうかかく)。
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ここから先は
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一気に視界が開けて
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印月池(いんげっち)と
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その東側奥の回棹廊(かいとうろう)。
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イチオシ
回棹廊は、平安神宮の橋殿みたいな印象ですけどね。
渉成園の地は、東本願寺の飛び地境内。もともとは源融が営んでいた六条河原院の跡なのですが、寛永18年(1641年)、徳川家光から東本願寺に寄進されたもの。200m四方の正方形をしていて、東本願寺歴代門首の隠退所や賓客をもてなす場として整備されました。この庭も、承応2年(1653年)、詩仙堂でも知られる石川丈山によって作庭されたものです。
なお、私は初めてこの庭を見た時、その美しさにハッとしたものですが、拝観が有料になってから逆に手入れが粗雑になったような印象もあります。この日も冬だからかもしれませんが、草木の手入れが行き届いていない感じ。なんでかなあ。ちょっと寂しく思いました。 -
では、建物の方へ。
大玄関から -
中に入ります。
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園林堂特別公開の看板もここにありました。
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イチオシ
奥に進むと大書院、閬風亭(ろうふうてい)。
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さきほどの庭園を見通せる雪見障子が素晴らしいですね。
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大広間には
石川丈山筆の「閬風亭」に -
徳川慶喜筆の「渉成園」。
石川丈山のどっしりとした書に対して、徳川慶喜はちょっと女性的とも見れなくはない流麗風の文字。幕末の捉えどころのない判断や行動を考えても、やっぱりそういう人だったのかなあと思ってしまう文字ですね。将軍とはいえ、徳川幕府も徳川宗家も自分のもののようなそうではないような。日本の行く末の責任もあるようなないような。頭はいい人だったのでしょうが、自分のよって立つところが最後まで見えなかった人なのではないかと思います。 -
では、ここからお昼のお店を目指して、ぶらぶら歩き。
これは京都市役所ですが、 -
イチオシ
正面玄関のステンドグラスや
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エレべーターも拝見。
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イチオシ
500万円の費用をかけた漆塗りのエレべーターは、大借金の京都市にはそぐわないという意見もあってちょっとした物議を醸したことはまだ記憶に新しいところです。
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昼飯は洋食おがたです。予約は、電話での受付のみ。それでハードルが高いわけじゃないんですが、なんとなく行く機会がなかったお店。今回は満を持しての訪問です。オープン前に少し並びましたが、食にこだわりがあるようなお客さんもちらほら目について、やっぱりそういうお店なんだなと感じました。
いただいたのはカツレツ by たびたびさん洋食 おがた グルメ・レストラン
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店内は白木のカウンター。ちょっと高級なとんかつ屋さん風かな。
さて、いただいたのはカツレツ。
サラダから -
スープが出てきて
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これがカツレツ。
とんかつとカツレツ。そんなに違いはないと思いますが、こちらのカツレツにはデミグラスソースが掛かっていて、その辺りが名店の味を楽しめる要素になっています。確かに、なるほどねという深い味わいはなくはない。 -
イチオシ
しかし、なんというかかなりのボリューム。
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後々まで満腹感が続いて、一日、けっこうしんどかったです(笑)
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では、午後は相国寺へ。
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特別公開は、相国寺の光源院です。
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仏堂を抜けて、
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ここが玄関。
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本堂には、室中の12面にわたり、日本画家水田慶泉が半年がかりで描いたという色彩豊かな十二支の襖絵。昔話が潜ませてあったりして遊び心も感じます。また、上間と下間に、描かれた加藤晋による「風雷坊」「春」「夏秋冬」も力作かな。
写真は、本堂南の自然石で十二支を表した庭。
このクラスの寺だとメジャーではない分、新しいものへのチャレンジができる余地がある。新進気鋭の画家たちもそこでチャンスをもらって腕試し。ウインウインの関係が成り立っているのではないかとも思います。 -
光源院を出て雨が強くなってきたので、たまらず、承天閣美術館に逃げ込みました。
「若冲と応挙」展 by たびたびさん相国寺承天閣美術館 美術館・博物館
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ちょうど「若冲と応挙」展をやっていて、それを拝見しましたが、特に、50歳の伊藤若冲が相国寺に寄進したという釈迦三尊像と動植物を精緻に描いた花鳥画、動植綵絵(全30幅)が圧巻。本物は三の丸尚蔵館にあるので、これはレプリカだと思いますが、それでも鮮やかな色彩と緻密な描きこみは十分に本物の迫力。若冲の鹿苑寺大書院障壁画(50面)や応挙の七難七福図巻も目玉となっていましたが、迫力という意味ではこちらが圧倒的かなと思いました。
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館内は暖かいし、これで元気も回復です。
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相国寺から三条の方に戻ってきて、ここからは三条通を歩きます。
SACRAビルは、三条通りの名物ビル。大正5年に建てられた旧不動貯金銀行京都支店で、地上3階・地下1階建て。1階がレンガ造り、2・3階が木骨レンガ造りという建物で、窓の多さとかこれも大正ロマンなんでしょうか。 -
テナントは香りのお店やちょっとこだわりのある生活道具のお店とか。
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ちょこちょこ見て回るとそれなりに楽しいです。
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こちらは、風呂敷専門店 むす美。コンクリート打ちっぱなしの店内にはパステルカラーのかわいい系の風呂敷がいっぱい。こういうデザインだとあんまり風呂敷の用途に限定する必要はないかもしれませんね。ちょっと心がウキウキしました。
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烏丸通まで出て、これは新風館。大正15年に建てられた京都中央電話局のレンガ作りの建物を再開発したもので、ホテルやミニシアターも入る複合商業施設です。
新風館 ショッピングモール
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ゆったりした敷地内には
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花屋さんや食堂、書店などが適度に配置されていて、回遊性があって雰囲気もとてもいい。観光地、京都にもフィットしている施設だと思います。
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で、その中の一軒、本と野菜 OyOy。全面ガラス張りで店内もよく見えます。
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ちょっとスイーツっぽいものということで、豆花をいただきました。東京だと豆花の専門店があったりするんですが、そもそもそこまで専門性は必要ないものでしょう。つるんとした舌触りとほのかな甘さを楽しみました。
お昼が重かったので、結局、晩飯はこれで済んだことになりました。 -
今日の宿は、二条駅からすぐのTabist 京蔵。外観はホテルのように見えないので、少し戸惑いました。
オートロックのドアを入って、部屋の方へ。マンションの一室みたいな感じですが、断熱とかがあんまりよくなくて底冷えしている感じがあったりして、建物はチープなような気がします。 -
翌日は、今回の旅の最終日。
西本願寺からスタートです。 -
ここが書院の入り口。ここから先は撮影禁止。
対面所はさすがの迫力。冒頭にも触れましたが、やっぱり天下の西本願寺は格が違います。 -
イチオシ
最後は飛雲閣。
こちらは撮影可。
聚楽第の遺構という説はぴったりの建物なんですけどね。直接の遺構ではなくても、聚楽第にあったものを復元したものかもしれないし。。
秀吉だと茶頭の利休との関係が注目されがちですが、秀吉のスタッフは他にも大勢いたはず。それに、当時の大名は戦うだけではなくて、城造りや街作りのプロという能力も持っていないと役には立たない。聚楽第を作るに当たっても、秀吉が直接差配をするのは限られていて、自分の眼鏡にかなう大名とかも大いに使って事に当たっていたでしょう。この飛雲閣にもきっとそれなりのドラマがあったのだと思います。西本願寺(お西さん) 寺・神社・教会
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ただ、誰がどう関わって作ったにせよ、聚楽第に関係した建物であるなら秀吉の好みを頭に置かないはずはない。そのはっきりとは目に見えない秀吉の好みが積み重なって、大きな流れとして安土桃山文化を作っていったのだと思いますが、しかし、一方でこの時代は南蛮貿易などによって、海外の異文化も普通に目にしていた時代。そうした海外の文化と濃厚に接触した時代にかえって日本的なものが爛熟するというのが日本の歴史の面白いところ。日本人は何かそういうDNAを持っているのではないかというのも私の重要な仮定のひとつなんですけどね。
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特別公開の方はこれでおしまい。ついでに、いつでも見れる唐門の方もチェックして帰りましょう。
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正面の金の建具は煌びやか。唐獅子の活き活きとした描写も素晴らしいです。
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そして、一番の見どころは側面の彫刻かな。
これは、中国の伝説の隠者、許由(きょゆう)と巣父(そうほ)が題材となった「許由 耳を洗えば単父牛をひいて帰るの図」です。
堯帝が許由の人格の清廉さの評判を聞き、帝位を譲ろうと申し出るのですが、それを聞いた許由は潁水(えいすい)のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」とその流れで自分の耳をすすぎ、箕山に隠れてしまったという”潁水に耳を洗う”の故事。 -
巣父(そうほ)は、許由が潁水で耳のけがれを洗い落としているのを見て、そのような汚れた水は牛にも飲ませられないとして牛を連れて帰ったという故事です。
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イチオシ
反対側は、「黄石公が川の中に投げ入れた沓(靴)を張良に拾わせ兵書を授ける図」。
話が長いので、参照します(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%B1%E7%94%B1)が、 -
中国の故事は、現実の世界と伝説の世界が混然一体としていて独特。黄石公は伝説の隠者ですが、張良は実際に劉邦を助けて功績を上げた戦略家。しかし、この故事によって、謙虚さを持っていた人物であり、それが大事であるとしているのですね。非常に説得力のある故事であり、中国の懐は深いなという感じになりますね。
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正面の装飾も
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この孔雀とかもすごいことになってます。
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なお、唐門は西本願寺の外側の方からは反対側も見れますので、それもお見逃しなく。
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さて、今日の昼飯はアランチーノです。
もうだいぶ昔になってしまいましたが、ハワイのお店で食べたのがすごくいい印象で残っていたので、けっこう期待して訪ねました。場所はホテルオークラの裏手の方。ハワイのお店で食べたのがすごくいい印象で残っていたので by たびたびさんアランチーノ KYOTO グルメ・レストラン
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どうかなと思いましたが、高瀬川に面してゆったりとした雰囲気があって、こういうところからやっぱりさすがといった感じです。
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いただいたのは
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ミニコースですが、
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前菜の小さな盛り合わせから、
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二種類の
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パンに
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サラダに
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メインのボロネーゼ。
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イチオシ
いちごのチーズムースに
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珈琲とまったく緩みというものがない。というか、何か忘れていた味覚を呼び覚まされるような感動があります。その感覚はイタリア料理というよりもフランス料理に近いものがあって、それが私の中でのアランチーノらしさにつながっているんですけどね。オープンして4年目のようですが、コロナ禍で実質はまだ初年度みたいなものだとか。これから徐々に評判が浸透していくのではないかと楽しみな予感がします。ごちそうさまでした。
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妹は先に帰ったので、ここからは一人。ちょっと身軽になった気分ですね。
長州屋敷址の碑は、京都ホテルオークラの敷地の中。
説明板には、長州藩邸は南北二か所に分かれ、北側屋敷は70m×56m。南側屋敷は54m×14mの広さがあったよう。元治元年(1864年)の禁門の変で敗れた長州藩は、自ら邸内に火を放ち、京を逃れたとありました。 -
で、ここから冒頭に説明した竹田に向かいます。
安楽寿院は、院政の舞台となった鳥羽離宮の東殿に鳥羽上皇が造営した仏堂を始まりとする真言宗の寺。ちなみに、鳥羽離宮にはいくつかの仏堂があって、ほかにも南殿の証金剛院、殿の勝光明院、泉殿の成菩提院、田中殿の金剛心院があった中で、東殿の安楽寿院が唯一残っているのだとか。 -
つまり、寺と言っても離宮が始まり。
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あんまり抹香臭くはないですね。
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やっぱり、寺の存在よりも、「白河法皇 鳥羽法皇 院政之地」の碑がこの地の歴史的な意味を良く表していると思います。
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鳥羽天皇の陵、安楽寿院陵と -
近衛天皇の陵、安楽寿院南陵も隣接しています。
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北向山不動院も関連していて、病にかかった鳥羽上皇が回復したことをもって建立した勅願寺。本尊は、不動明王。平安京を鎮護する意味から北の平安京に向かっているので、北向山。現在の本堂は豪壮な印象ですが、正徳2年(1712年)に移築したものだとか。
改めてですが、不動院の東には近衛天皇の安楽寿院南陵。北東には鳥羽天皇の安楽寿院陵。西には白河天皇の成菩提院陵があるという位置関係です。 -
最後は、白河天皇の成菩提院陵。残念ながら、陵域が道路の関係で少し削られた感じでした。
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竹田から東寺の方に戻ってきて、この辺りももう少し。
大通寺は、清和天皇の第六皇子、貞純親王の御子、六孫王経基の子、満仲が父の墓所に一宇を建立したのが始まり。 -
その後、鎌倉幕府第3代将軍、源実朝の未亡人、本覚尼が京に戻り亡夫の菩提を弔っていたが自邸を尼寺とし、大通寺と名付けたとか。そもそも六孫王経基も清和源氏嫡流の祖であり、あれこれと源治ゆかりの寺。なるほど、構えはけっこう立派です。
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少し移動して。
羅城門は、延暦13年(794年)に建てられた平安京の正門。平城京の中央部、南端に置かれ、北端の朱雀門と相対する形。門は正面33m、奥行8m。二重閣瓦屋根造で棟の両端には金色の鴟尾を置くというもの。弘仁7年(816年)に大風で大破。天元3年(980年)に再び暴風雨で倒壊。以降は再建されることがなかったということ。碑は公園のような場所に金属の柵で囲われてありました。 -
鎌達稲荷神社は、西寺跡の公園横にあって、創建は和銅4年(711年)。伏見稲荷大社よりも古いことから元稲荷とも。
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あの陰陽師、安倍晴明の子孫である土御門家の鎮守社でもあり、主祭神は倉稲魂大神と猿田彦大神。生け垣に囲まれてひっそりとした構えです。
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イチオシ
で、これが西寺跡。
つまり、平安京遷都の2年後の延暦15年(796年)、平安京への入口である羅城門の東西に東寺と西寺が建立されます。東寺は弘仁14年(823年)嵯峨天皇から空海が賜り栄えますが、西寺の方は、貞永2年(1233年)五重塔が焼失した後に再興されることはありませんでした。
西寺跡は、公園のような場所に中央が丘のようになった跡。「史跡西寺址」の石柱が建っています。 -
続いての吉祥院天満宮は、承平4年(934年)の創建。これは、北野天満宮より早く初の天満宮とされ、道真がここで誕生したという説もあるよう。
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ちなみに、この地は菅原道真の曽祖父、土師古人が平安遷都に際し桓武天皇の供として入京し、ここに邸を構えたとされ、吉祥天は菅原道真の祖父、清公が遣唐使として唐へ向かう途上、吉祥天女の霊験により難を逃れたことから、自邸に祀られたとか。
鳥居から参道、その奥の境内は奥が深くてけっこう悠々。清々しい雰囲気も漂います。 -
若一神社は、平清盛の別邸、西八条殿の跡地にある神社。
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主祭神の若一王子は、加護により清盛が太政大臣に任ぜられたことから、開運出世の神様。
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入口手前には平清盛御手植の楠があったりもして、京都にあって清盛ゆかりの神社はけっこう珍しいのではないかと思います。
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綱敷行衛天満宮は、もう七条通に戻ったところ。綱敷天満宮と行衛天満宮が合併されたもの。
綱敷の名前は、ちょっと有名。道真が博多に到着、上陸された際に船の綱を敷いて御座としたという逸話に因むもの。神戸の須磨や博多にも綱敷天満宮という名前の神社はありますからね。 -
また、この場所は北野天満宮から吉祥院天満宮に通じる道沿い。行衛はその通りに関係する名前です。
神社は石の柵で囲われていて、夜でも煌々と明かりがついていました。 -
京果会館は、日が暮れて暗くなっていましたが、七条通に面した表の方にはパンの志津屋がやっているのと裏手に回ったら、古今中華 文式という中華屋さんがありました。
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小腹が空いていたので、エビチャーハンをいただきました。ぷりぷりのそれなりに大きなエビがいくつか入って豪華だし、チャーハンのパサパサ感もけっこういいですね。これは期待以上。〇のお店でした。
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また少し散策で、梅小路公園の一角にある市電の広場。水族館や鉄道博物館があるエリアで、広々としたスペース。日が暮れてからでも犬の散歩をしている人がいたりして、ひとけが絶えることはありません。
京都の市電は、1978年に廃止され、車両だけがこうして保存されています。一部は広電が引き継いでいるので、あまり過去のものという感じはしないんですけどね。 -
VIVA SQUARE KYOTOも梅小路公園の一角。冬の期間、ここで野外のスケートリンクが開設されます。夜だとちょっとロマンチックな灯りが灯されていい感じ。勤め帰りの若い人とかがスケートを楽しんでいました。京都にはいろんなところがあるものです。
以上で、五日間の旅は終了。お疲れさまでした。
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